<43:30頃~>
Q.3.11はどちらにいましたか?(43:30頃)
仮住まいのアパートに夫と二人で引っ越し準備をまさにしていました。東京に住んで東海原発、福島原発を心配していたころから、ずっと私は地震にはすごく敏感で怖くて、
「今この瞬間原発のところではどれくらい揺れてるんだろう。大丈夫だろうか」
っていつも思ってたんですけど、まさに大地震が来てしまったっていう、すごい恐怖でした。続きを読む
「できない理由を探すより、できる方法を探そう」
毎日忙しく仕事に追われている方々のために、原発関連のニュース、重要な講演などの文字起こしや自分の考えをUPしています。
少しでもみなさんのお役に立てるよう頑張ります。みんなで一緒に考えて行動していきましょう!
※この記事は、百人百話シリーズの第55話です。前回は3月12日【内容起こし】IWJ百人百話 第54話 安竜昌弘さん『地方紙・地域紙の記者として』【前半】です。
【動画】3月14日 百人百話 第五十五話 大賀あや子さん
http://www.ustream.tv/recorded/21098421 (79:49)
【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2012年2月2日収録
Q.自己紹介をお願いします。
大賀あや子と申します。39歳です。
大熊町から避難して、夫と二人で借り上げアパートに住んでいます。
今は会津若松の借り上げアパートです。
※この記事は、3月12日【内容起こし】IWJ百人百話 第54話 安竜昌弘さん『地方紙・地域紙の記者として』【前半】の続きです。
<01:06:30頃~>
【津波の被害】
戻ってみたら、まず道路が、道路のところに家が流れてきてて、道路が通れない状態です。それで、知ってる顔が居たんで消防担当の人だったんですけど、うちはどうなってるという話を聞いたんです。
「よくわかんないけれども、その近くは大丈夫だって話を聞いたから、大丈夫なんじゃないですか。」
という話だったんです。それでそのまま真っ直ぐ家には行けないので、裏の道を通って車を置いて、歩いて家に向かったんです。そしたら家があったんです。
周りが波とか海から流れてきた残骸とかで滅茶苦茶な状態の中で家があって、全員の無事を確認したという感じ。
※この記事は、百人百話シリーズの第54話です。前回は3月12日【内容起こし】IWJ 百人百話 第53話 鈴木則雄さん 【郡山市のコミュニティFM放送をしながらのジレンマ】です。
【動画】3月12日百人百話 第五十四話 安竜昌弘さん
http://www.ustream.tv/recorded/21079452 (135:53)
【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2012年1月30日収録
安竜昌弘といいます。福島県いわき市に生まれまして、地元の高校まで行きまして大学時代は4年間東京に行きまして、戻ってきて地元の日刊の夕刊紙に勤めました。それで25年くらい勤めまして、それで地域紙のあり方っていうのに対して非常に疑問を持って、それで自分で今『日々の新聞』という新聞を立ち上げましてスタッフ3人で作っています。週三回の新聞なんですけれど。
家はいわき市の海岸線にあります。江名っていうところなんですけども、今回津波にあってかなり被害を受けたところなんですけども、そこで生まれ育って、今もその家に住んでいます。
※この記事は、、百人百話シリーズの第52話です。前回は3月8日【内容起こし】IWJ 百人百話 第52話 吉成洋拍さん『親父の家業を継いで』【その①】です。
【動画】3月12日 百人百話 第五十三話 鈴木則雄さん
http://www.ustream.tv/recorded/21060457 (77:30)
【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2011年11月16日収録
Q.自己紹介をお願いします。
郡山市で生まれて郡山市で育って、54歳の鈴木則雄といいます。
仕事は郡山で郡山コミュニティ放送という放送局をやっています。妻一人、10月に生まれたばかりの赤ん坊が1人、3人家族です。
Q.生まれ育った環境はどんなだったんですか?
いわゆる旧家でして、お盆やお正月になるとものすごい親戚がいっぱい集まってみたいな、そんな家だったんですけれども、商売やってたんですね。明治時代には、なんか立派な屋号を持った商店だったというような感じでした。
※※この記事は、百人百話シリーズの第52話です。前回は3月7日【内容起こし】IWJ百人百話 第51話 タエバさん(仮名)『山下氏は医師向けと市民向けで発言内容が違う』です。
【動画】3月8日 百人百話 第五十二話 吉成洋拍さん
http://www.ustream.tv/recorded/20960238 (153:08)
【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2011年12月21日収録
Q.自己紹介をお願いします。
吉成洋拍といいます。みんなからは「はぐちゃん」と呼ばれてるんですが、歳は40歳、福島市在住で、そうですね、もう40年福島に住んでいます。生まれた時から福島生まれで40年間いまして、今は飲食店を経営させていただいてます。
Q.ご家族はいらっしゃいますか?
私、嫁、娘、小学校4年生10歳の娘が一人います。
※この記事は、百人百話シリーズの第51話です。前回は3月6日【内容起こし】IWJ百人百話 第50話 佐久間理江さん(渡利地区在住)『大事なのは量とバランス、自己免疫力』です。
【動画】3月7日 百人百話 第五十一話 タエバさん(仮名)
http://www.ustream.tv/recorded/20939158 (45:19)
【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2012年1月21日収録
Q.自己紹介をお願いします。
はじめまして。
仮名で大変申し訳ありません。
私はもともと福島県医科大学病院で働いていた内科関係、そういったところで仕事をしていましたけども、諸事情がありまして辞めました。
医大にいた年月はとても短いですけれども、今私が思っていること、感じていることをお伝えしたいと思いまして、それで仮名だということで話させていただきます。
※この記事は、百人百話シリーズの第50話です。3月5日【内容起こし】IWJ 百人百話 第49話 布施大輔さん『郡山で生まれ育って』【前半】に関連しています。
【動画】3月6日 百人百話 第五十話 佐久間理江さん
http://www.ustream.tv/recorded/20919686 (61:41)
【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2012年1月22日収録
Q.自己紹介をお願いします。
福島県の渡利に住んでいる佐久間理江と申します。34歳です。
主人と小学校2年生の男の子、あと幼稚園の5歳の男の子、あとこの子が1歳8か月の娘の5人家族で、主人は今会津に単身赴任をしてるので、週末しか帰ってこないんですけど。
私は養護学校の教諭をやっていまして、主人は中学校の教諭をやっております。
※この記事は、3月5日【内容起こし】IWJ 百人百話 第49話 布施大輔さん【前半】の続きです。
<49:20頃~>
全部とばしていきましたからね。子供抱っこして。
それでとりあえず外に出て、外に出たくらいの時は、多少落ち着いてはいたんですけど、その後余震とかもあって、とりあえずパンツ一丁だから何も出来ないってなって、上に一回戻ったんです。それで車のカギと自分の服を着て、家に戻ってとりあえずすぐ着れるものと思ってジャージ着て、車のカギ、財布を持ってもう一度外に出て、出たくらいにすごい地鳴りというか、ゴーッっていう音がすごいしてたしエリアメールは鳴りっぱなしで。自宅の駐車場で車の中でちょっと過ごしてました。
※この記事は、百人百話シリーズの第49話です。3月2日 【内容起こし】IWJ百人百話 第48話 佐々木道範さん『無関心に生きてきた僕の人生が原発を爆発させて、子供たちを苦しめている』 【前半】に関連しています。
【動画】3月5日 百人百話 第四十九話 布施大輔さん
http://www.ustream.tv/recorded/20900506 (92:12)
【以下、お時間の無い方に内容を起こしています。ご参考まで】
2011年11月27日収録
郡山出身の布施です。年齢は37歳です。
仕事は、今ちょっと引っ越し準備中なので、昼間友達の内装の仕事を手伝い、夜は代行の仕事をしております。運転代行の仕事をしております。
家族は自分と嫁と、今1歳の娘がいます。
結婚したのは、3年前ですね。
嫁は福島県の白河市の出身です。
【郡山市】
郡山は空気も綺麗だし、食べ物もおいしい、水もおいしい。それに人柄もすごい良い人たちばっかりなので、僕は大好きです。
郡山の特色としては、自分の仲間内になっちゃいますけども、とりあえず絆が強い。ほかもそうかもしれないですけど、皆絆が強くて、良い人たちばかりです。
※この記事は、百人百話シリーズの第48話後編で3月2日 【内容起こし】IWJ百人百話 第48話 佐々木道範さん『無関心に生きてきた僕の人生が原発を爆発させて、子供たちを苦しめている』 【前半】の続きです。
また、2月29日 【内容起こし】IWJ百人百話 第46話 大橋さらさん『伯父さん、このまま住み続けて大丈夫だと思う?』に関連しています。
<01:08:00頃~>
もちろん国も東電も僕は許せませんけど、でも僕も加害者なんじゃないか、子供たちを苦しめてるのは僕なんじゃないかって。そしたら、なんかすごい僕の中で楽になったんですね。なんかワケわからない怒りの中で悶々をしてたけど、
「やっぱ僕のせいで子供らが苦しんでんだ。じゃあ僕が・・・子供たちに、子供たちにいきいきと生きられる、輝ける世界を、僕がなんとかしなくちゃいけないんだ」
っていう、本当にすっきりしたっていうか、子供たちに救われたっていうか。
だから、ただ怒りでしかなかったんだけども、今は子供たちに教えられてすっきりして・・・楽しくっていったらおかしいんだろうけど、毎日楽しく除染活動しているというか、なんかふっきれたなと。
【震災後、TEAM二本松が活動を開始した時の話】
※この記事は、百人百話シリーズの第48回です。3月1日 【内容起こし】IWJ百人百話 第47話 佐々木るりさん『これで本当に良かったなんて思えない』の続きです。
【動画】3月2日 百人百話 第四十八話 佐々木道範さん
http://www.ustream.tv/recorded/20824667 (129:00)
【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2012年1月6日収録
NPO法人チーム二本松代表
佐々木道範、39歳です。
福島県二本松市にある浄土真宗真行寺の副住職をしています。
それと震災後にNPO法人を立ち上げて、チーム二本松というNPO法人の一応代表をしております。
家族構成は、一応父が住職をやっていまして、あと妻と子供が5人おります。一番上は大学4年生、2番目が中学3年生、中学1年生、幼稚園の年中とまもなく2歳になる5番目がいます。
※この記事は、百人百話シリーズの第46話です。
【動画】2月29日 百人百話 第四十六話 大橋さらさん
http://www.ustream.tv/recorded/20775090 (59:57)
【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
大橋さらと申します。
40歳です。
家族構成は、夫とあと娘が二人おります。高校3年生と中学校2年生です。
二本松の生まれではないんですけれども、今は二本松市というところに住んでおります。二本松市に来てからは10年以上経ちます。
親子仲はですね、良い方だと思います。かなりいいと思います。いつも4人家族一緒に居て・・・<涙されています> こたつを囲んで・・・ほんとに原発の事故で屋内退避していたときも・・・家族4人で寄り添って過ごしていました。
※この記事は、2月27日 【内容起こし】IWJ百人百話 第44話 菅野吉広さん~渡利の子供たちを守る会代表~『僕と妻に避難する勇気が足りない・・・』に関連しています。
【動画】2月28日 百人百話 第四十五話 橘柳子さん
http://www.ustream.tv/recorded/20753664 (114:46)
【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2012年2月2日収録
【自己紹介をお願いします。】
名前は橘柳子、たちばなは一つの文字、りゅうこは柳の子です。なぜ柳の子かというと、生まれが満州、大連だったものですから、柳の多い町だったそうです。それをとって柳子にしたというふうに母から聞いております。
年齢は1939年生まれです。ま、仕事は長く子供とともに生きてきた教師という仕事をしてました。現在は、年金生活をしております。こんな状況になったとき、変な言い方ですが仕事がなくて良かったのかなと。職場を気にしないで避難を続けられたからというふうに考えております。良いか悪いかは置いておいて。
子供は一人です。埼玉のほうに避難をしています。
現在は夫とともにこの本宮の仮設住宅に10月に来ましたので、3か月なんです。
住まいは浪江町というところで、ここの仮設に来た時で9カ所目の避難を続けてきました。転々としました。
※この記事は、
2月23日【内容起こし】IWJ百人百話 第42・43話 木幡仁・ますみ夫妻ロングインタビュー【その①】の続きです。
<43:00頃から>
(仁さん)原発反対運動については、私はそれなりに批判的な立場でおったんですけれども、私の頃は全日農の親分をはっていた岩本忠夫さんがおられて、その方が原発反対同盟の委員長としてやっておられて、私もときどきそこの集会に参加したりなんだりしていたというような形で居りました。
原発賛成派・反対派ということでぶつかり合いということは、だから無かったろうというふうに考えております。
私たちは原発反対とは言いながらも、原発そのものについて、じゃあ今無くしてどうするんだ?っていうような形で問題はたてられなかったので、それは黙ってみてるしかないのかなという形でいたのが事実でございます。
原発反対同盟の人たちは、それなりに原発反対の署名をしたり、或いは集会をやったりデモをやったりという形でやっておりました。そのほか何をやったのかと言われれば、別にこれといって結びつくようなことは無かったんですけれども、ただやはりいろんな各地の原発反対運動をやってる方々と結びついた形でいろんな連帯行動はとっていただろうと考えています。私もその辺については・・・岩本忠夫さんのもとで動いていたので、それはあまりよく判らないといったのが事実だろうと思います。
bukachu