※この記事は、12月8日 【内容起こし】百人百話 第23話 佐藤幸子さん 【その①】の続きです。

<42:00頃~>
Q.避難という選択。
 私が本当に自分も含めて避難しなければいけないという決断を迫られたのは、本当に3.11直後だったと思います。子供たちはすぐに避難させて、自分がいつ避難するかというのは、はっきりは決めてなかったんですけれども、自分の身体がもつかぎりはここに居ようと思っていたんですが、ついにもたなくなったということで、避難を決めたんですけれども、実は、皆さん避難するためには、本当にいろんな事情が避難できないっておっしゃるんですけど、私はチェルノブイリの事故の後に、避難を子供たちにも万が一の時に避難させようと決めてたので、そういう意味では、自分の中では整理がついていたと、大げさに言えばそうなりますね。
 今考えると、実は私の長女がお腹の中に居た時なんですけれども、私の妹、3人姉妹なんですが、一番下の妹もちょうどお腹の中に子供が居て、妹は実は、早産だったんです。福島医大に入院をして、早産で赤ちゃんは保育器に入ったんですけど、その時に私が付き添いをしました。妹は入院中だったので、
 その時に妹の子供は1850gくらいかな。450gの赤ちゃんも保育器に入っちゃって、早産ですね。当然ながら。その隣には、4000gの大きな赤ちゃんが保育器に入ってるんです。なんで大きいのに入ってるのかな?と思ったら、
『心臓に疾患がある』
って言ったんですね。
 その時は何気なく聞いてたんですけれども、今思うと、チェルノブイリの直後に妹は早産で、しかも妹の子供は水頭症だったんですよ。これが全く関係が無いと言い切れるか?っていうのを思ってたんで、やはり何かがあったときには、すぐに逃げなきゃって、それの覚悟をしてたっていうのはチェルノブイリの後です。
 なので、決められたのかな。実際起こった時にって自分で思っています。

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