※この記事は、11月1日 【動画・内容起こし】ニュースの深層「トルコ地震とアルメニア原発」【アルメニアの状況とロシアの原発事情】<その①>の続きです。

(上杉氏)ナゴルノ・カラバフ自治州に関して、アルメニア系の人が民族が住んですということですかね?
(廣瀬氏)アルメニア系民族が住んでまして、ソ連時代はアルメニア人を中心とした自治区。アルメニア人が大体70%、アゼルバイジャン系が30%という比率だったんですが、完全な自治が与えられていたんです。
しかし、このナゴルノ・カラバフとアゼルバイジャンの飛び地になっているナヒチェバン。この療法は、もともとアルメニア系が非常に多いところだったんですが、ソ連建国の時に、スターリンがまずそのソ連中にいろいろな民族的なしこりを残そうとしたということと、アゼルバイジャンとトルコは非常に兄弟国と言われて、同じ系統のトルコ系民族でして、トルコが当時のスターリンに
「なるべくアゼルバイジャンに多くの土地をやってくれ」
ということを言いまして、ソ連はまだ若い国でしたので、トルコとの関係を悪くしたくなかったということもありましアルメニア・トルコ・アゼルバイジャンて、ナゴルノ・カラバフとナヒチェバンのほうともアゼルバイジャン領にしたわけですが、もともとはこの両方はアルメニア系が非常に多いところでした。
ナヒチェバンのほうはだんだんアルメニア人は駆逐されていったのですが、ナゴルノ・カラバフのほうは、その後もアルメニア人が多かったんですね。
ソ連の末期の頃に、やはり民族運動が非常に激しくなりまして、そこから紛争が発生しました。
ソ連が解体した後も、ずっと紛争が続いていたんですが、ソ連がアルメニアを支持したことによって、このナゴルノ・カラバフのほうが勝つことになるんですね。
その後、ナゴルノ・カラバフのみならず、周辺の地域もアルメニア軍が占領して、アルメニア軍といいますか、ナゴルノ・カラバフ軍と一応向こうでは言ってますが、ナゴルノ・カラバフ軍が占領することによって、アゼルバイジャンは今でも国家の20%を占領されている状況が続いてます。

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