司会:おしどりマコさんの講演会にようこそおいでくださいました。
みなさんご承知のとおり、2011年3月11日に東北大震災を私たち日本人は経験しました。その後の大震災としての津波、そして原発事故。私たち日本人、世界の人たちが未だ経験したことのない恐ろしい災悪となっております。そして、この事故は未だに何もコントロールされていないばかりか、更に危機的な状況が続いています。
 みなさまご承知のとおり、この間行われた東京都知事選でのいろいろな世論調査の関心度調査によれば、原発・脱原発、この問題は東京都民の関心度第3番目になっていますね。第一番目は例えば少子化だとか、そういう問題。
 ですから、どういうことかといいますと、それはメディアが操作されている、ということによって、こういう関心度が低く抑えられていることもあります。ただ、被災地の福島の声というのは、もう東京都民にまで届かない、そういう状況なわけです。
 今日は、しかしおしどりマコさんの口から、実際には福島では何が起きているのか、そのことについて、まず一番最初にその当事者の声を伝えていただくということで、今日お招きして、みなさんに来ていただいているわけです。これはもちろん、こういう声がまず外国に伝わっていくということは、非常に珍しいことであるので、その意味でも非常に貴重な講演になると思っています。
 おしどりマコさんは、Free Press Association of JAPAN(自由報道協会)という代表?
おしどりマコさん:理事です。
司会:理事でいらっしゃいます。この組織はそもそも日本で大震災の後に結成されたもので、今ちょっとお話しましたとおり、メディアの操作が行われている、そのメディアの操作が起きないようにメディアの操作を受けないで、正しい生の情報を伝える、そういう目的の元に結成されたジャーナリストの組織です。
おしどりマコさん:地震の少し前にできたんです。
司会:ごめんなさい。そういうことでした。偶然ながら。
 おしどりマコさんは、福島の事故が起きてから、それまでは吉本の漫才「おしどりマコ・ケン」として活躍していらしたんですが、これを機に脱原発についていろいろ発言されるようになりました。それと、本業でもお呼びがかからなくなってしまった。その代わりに、でも逆にジャーナリストとしての名前が知られるようになり、そしておしどりマコさんの質問があまりにするどいので、東電の人たちもたじたじとする、それで有名になったという、そういう経歴を持ってらっしゃいます。
 それで、マコさんはもちろんジャーナリストだけではなく、合わせて福島を訪れて、現地の人たちの声を伝えることもしてらっしゃいますし、それから東電の???の人たちにインタビューもして、その人たちのいろいろな情報を引き出したりもしています。
 では、これからおしどりマコさんのお話を聞いていただきます。みなさんと一緒にいろんなことを考えてみたいと思います。

おしどりマコさん:Hello, everyone. My name is Mako Oshidori. I'm sorry, I speak in Japanese.
 今日は皆さんとお会いできて、こうしてお話する機会を与えていただいて、本当に感謝しています。そして嬉しいです。今回呼んでいただいた協会の方々や、そしてIPPNWという核戦争防止医師会議の方々にとても感謝しています。
 先ほどご紹介していただいたんですが、少しだけ訂正をさせてください。
 私は実は、ここに呼んでいただいてなんなんですが、脱原発活動をしているわけではなく、取材をしているんですね。原発事故の取材や水俣病やアスベストなど、日本にはたくさんの問題があって、その取材をしています。
 しかし、昨日まであったIPPNWの出席していた科学者や医者たちも言っていたんですけれども、
「自分は脱原発のactivist(活動家)ではないんですけれども、原子力に対して都合の悪い事実を研究して発表すると、脱原発の活動家と呼ばれてしまう」
と話していました。
 原子力のロビーに都合の悪い事実を研究したり、記事を書いたりすると、かなり圧力がかかるのですが、それに対してくじけずにずーっと仕事を続けると、いつの間にか脱原発の活動家として見られてしまうようです。
 もちろん私は原発は地球には必要ないと思っています。


 私はヨーロッパに来て驚いたことが一つあります。
 それは日本がものすごく民主主義で自由な国だと思われているということです。
 実は私は、東京電力の記者会見に最も回数多く通っている記者なんですが、私がいろいろな事実を記事に書くと、都合の悪いことが多いようで、様々な圧力がかかります。
 私が書いていた雑誌に、
「おしどりの記事を一回載せるごとに、原子力推進の記事を3回載せろ」
と電力会社の団体から編集長に圧力がかかったことがありました。それで、私の記事が載らなかったのですが、そのほかにもテレビ局でテレビの番組で私が東京電力の事故について話すという企画があったのですが、スポンサーから
「東京電力と原子力、原発という言葉を一切使うな」
という指示が出て、出演が無くなったこともありました。どうしてかというと、圧力がかかって・・・。
 それまでというか、2011年と2012年は電力業界側からの圧力だったのですが、2013年に日本の政府が原子力を再稼働していくと決めていった時から、政府側の監視が付くようになりました。2013年、去年の7月に参議院議員選という選挙が終わり、日本の国内では二つの院とも自民党という政権が一番最大の与党になったのですが、その時にこの政権が、原子力関係の技術者と研究者を秘密に集めて、秘密のミーティングをしたんです。「福島第一原発をどうやって廃炉にもっていくかというアイデアは無いか」と研究者を集めたのですが、一枚のリストが配られました。そのリストにはいろいろな人間の名前が書いていて、今の日本の政権は、
「そのリストに名前が載っている人物に近づくな」
と研究者たちにリストを配っていました。それは今の政権と敵対する政党の強い力を持った人たち、例えば、『菅直人』とか『小沢一郎』にならんで、『おしどりマコ』と書いてある。まぁ、近づくなと言われて配ったリストなんですが、私は既にそこの研究者と何人か仲が良かったので、
「リストに名前が載っていたよ」
と教えて頂きました。
 それからしばらく、尾行をする男性がつきだしたのですが、それは詳しい人に聞くと、公安調査庁という内閣府のいろいろなことを調査する組織の一員のようです。私は隠し撮りが趣味なので、隠し撮りに成功した一枚をお見せします。

 このように私が誰かとしゃべっている場合、誰とどんな会話をしているのか聞こうとする人がぴったりついていた時期がありました。私は芸人なので、しゃべっている人(相手)は「マネージャーさんですか?」と聞くのですが、
「いえ、私は彼のことを全然知らないので、私の追っかけだと思います。」
 福島県でいろいろなお母さんたちを取材する時もあるのですが、そうすると、私が取材をして一緒にご飯を食べたりしているお母さん達と帰るとき、別れるときに、ひとりひとり顔写真を撮って、そして車のナンバーを撮って帰っていった公安調査庁の人もいました。
 なので、福島県のお母さん達は、そういう顔写真を撮られたり車のナンバーを撮られたりすることに怖がって、もう取材を受けるのは嫌がる人もいますし、記事に書くのもやめてほしいという方も出てきます。
 こういう公安調査庁に仕事に詳しい元公安の人に聞きますと、そういう見えるタイプの尾行は、『威嚇・脅し』だそうで、
「一人いたらあと10人くらいいると思った方がいいよ」
と言われました。まるでゴキブリのようだと思います。
 
 このように原発事故に関して、少しシビアな取材をすると、いろいろな圧力がかかったり、取材ができにくくなったりします。
 でも私の他にもたくさん原発事故のことを取材をしている記者は、大手の新聞社や大手のテレビ局にもいるのですが、なかなかその情報は外には出てきません。なぜなら出す段階で「情報を発信しないように」という圧力もかかるからです。
 なので、皆さんにこれから話すことは、驚かれることもあるかもしれませんが、でも同じように私が日本の人たちに話す時も、日本の人たちも驚かれます。聞いたことの無い話であったり、新聞やテレビで見たことのない事実だからです。

 それでは原発作業員の方についての話をしたいと思います。
 この方は、東京電力の社員で、2012年に福島第一原発で医療室で看護師の仕事をしていた方です。
 2013年に東京電力を辞めた時に、彼にインタビューをしました。
 原発の作業員が亡くなったとき、その発表は仕事中に亡くなった人だけ、東京電力は発表します。例えば、週末に亡くなったり、寝ている間に亡くなったり、そして3か月働いて数週間の休みの時に亡くなったりする作業員は、発表はされません。
 一応、東京電力の医療班のところにまで報告はあがるのですが、「もともとの病気だろう、持病だろう」ということで、片づけられてしまいます。「それが被曝による死かどうかは誰も判断はつかない」と言っていますが、しかし、ものすごく過酷な状況で働いていることには間違いはないと彼は話していました。
 彼のインタビューを私はさまざまな雑誌の媒体でも書きたいと思ったのですが、残念ながらこれはインターネットでスポンサーが付いていない報道のサイトでしか私は書いておりません。
 2012年の1月に原発作業員が一人亡くなったのですが、彼について私たちが警察と病院の事情聴取のコピーを手に入れることができたので、かなり詳細な細かい取材をしました。亡くなった作業員の身元引受人の住所というのを手に入れることができたので、そこの住所まで訪ねていってみました。その住所は、アパートは存在しているのですが、日本では、「4」という数字は縁起が悪いということで、古いマンションには「4」のつく個室は無い場合があります。身元引受人の住所は、アパートの204号室だったのですが、足を運ぶと203の次は205しか存在しませんでした。そのアパートの隣近所の方にも訪ねたのですが、その身元引受人の方は住んではいませんでした。なので、数字の書き間違いでもないようです。地図上ではその建物は存在するので、実際に行かないとその号室はないということは判りません。これは架空の住所の身元引受人だったのかもしれません。
 原発事故の後に限らず、建築業界や原発業界の闇の部分ですが、身寄りのない方や高齢の方、身寄りのない高齢の方が、このような過酷な作業にあてられることが多いそうです。
 2011年に100ミリシーベルト浴びた作業員は、毎年のがん検診や手厚い健康ケアがあります。しかし、ほとんどの原発作業員は90ミリシーベルトや95ミリシーベルトや83ミリシーベルトや、100ミリシーベルトを超えないように作業をさせられていました。なので、手厚いケアはありません。
 以前から、事故の前から原発でずーっと働いていた作業員の人たちは、1年にそれくらいの量を浴びるとどうなるのか、2時間で35ミリ浴びるという作業はどういう意味なのかよく判っていて、
「もう自分は長生きをしないだろう。そして、子供は絶対作らないし、5年後の命もどうなっているかわからない」
とよく話しています。
 今日本では、子供たちですら守られていない状況ですが、でもそれでも子供たちの健康を守らなくてはという人たちもいます。しかし、原発の今一番シビアな環境で作業している人たちを守ろうという団体や声は、ほとんどありません。それは私たちの、本当に責任でもあると思います。
 その私が2012年の1月に取材をした亡くなった作業員の記事ですが、週刊文春という雑誌に載ったんですが、ちょうどその時に日本の有名な歌手の、はっきり言いますと浜崎あゆみさんが電撃で離婚をしたので、
「申し訳ないけど、記事を4分の1にしてくれ、かなり削ってくれ」
と言われてしまいました。
 なので、このような情報が出てこないというのは、このような情報を知りたいと思わない私たちの責任もかなり大きいと思います。

 次に、福島の母親たちの話をしたいと思います。
 彼女たちは、福島県のいわき市というところに住んでいるお父さんやお母さんたちです。彼女たちは、学校給食についての運動をしています。
 今、福島県では、福島県の生産物が汚染されているんじゃないかということで売れないので、それを売るために学校給食で子供たちに食べさせて、安全性をアピールして、福島県のものを売っていこうという政策がとられています。いわき市では、もともと大きい自治体なので、福島県のものではなく、東北から生産物を買っていたのですが、事故の後、子供たちに安全性をアピールさせるために、福島県のものを学校給食で食べさせようということになってしまいました。彼女たちはそれに反対して署名活動をしています。
 検査を厳しくしたらいいのではないかという声もあるのですが、彼女たちは、現在の日本ではセシウムしか測っていないので、ストロンチウムが入っていたらどうするのか、10年後に『実は昔はプルトニウムが入っていました』と言われたらどうすればいいのかと、反対をしています。
 彼女たちの主張は、安全かどうかではなく、子供たちに安全性のアピールをさせるというのは、科学的な問題ではなく倫理的な問題ではないかと思っています。しかし、現在福島県の7割の自治体では、学校給食で福島県のものを安全性のアピールのために、子供たちが食べています。彼女たちはとてもマイノリティです。なので、とても圧力がかけられ、嫌がらせもあります。
「汚染を気にするなら福島から出ていけ」
 そして、いろいろな・・・具体的な嫌がらせを私は取材して聞いているのですが、それを書いたり発信したりしないでほしいと言われます。なぜなら、どんな嫌がらせに自分たちが参っているのかということを知られると、余計それがひどくなるのではないかと恐れているのです。
 これはベラルーシのベルラド研究所というところのネステレンコ所長と2012年の10月に福島県を一緒に視察した時の写真です。彼が一番驚いていたことは、これは伊達市の小国小学校というところですが、この横の校舎があって、プールがあって、ここの辺りを測定した時のことです。見えますかね?27・6マイクロシーベルト/時という数字を指しています。彼はこの時私に、
「この小学校の生徒はみんな避難してるのか?」
と言ってきました。私は、
「授業を受けています」
と答えました。
「これはベラルーシでは子供はすぐに強制避難する数値だ。日本は豊かな国と思っていたが、そうではないのか?」
と言われてしまいました。
 たまたまその時に、この伊達市の市役所の職員たちが来ましたので、
「ここでとても高いポイントがありますよ」
と言いますと、
「知っています。」
と答えられました。
 ・・・まぁ、本当にこれは特に高いポイントなのですが、小学校の中はきれいに掃除をしていて、低いから大丈夫だということになっていますが、しかし、ネステレンコ所長は言うのですが、
「中は掃除はしていると言っても、シェルターになってるわけではないし、同じ空気だし、風はふぶいているのに、それはどういう意味だ?」
と何度も聞いていました。
 ここの小学校のお母さんに後程見せてもらったのですが、この2012年の9月、ネステレンコと一緒に見に行った1か月前は、179マイクロシーベルト/時あったそうです。それを『掃除をして、3.9に下がったから大丈夫ですよ』と、この学校の校長が保護者に配ったプリントです。このプリントを見せてくれた彼女は、179マイクロシーベルト/時という数字なら、すぐに子供たちを避難させてほしいと言っていました。しかし、もう今はこの小学校は通常の状態になっているので、彼女はもう自分でお金を出して引越しをしました。
 私が取材をした2012年当時は、この小学校に200ファミリーほど子供を通わせているファミリーがあったのですが、そのうち被曝を気にするファミリーは、たった2つでした。今はその2つとものファミリーは引っ越しをして避難をしているのですが、いつも「自分たちが頭がおかしいのか?本当は安全なのに、自分たちが怖がり過ぎているだけなのか?どう考えていいかわからない」と話していました。
 ちなみに、このように高く放射性物質で汚染されているところは、今は土を剥ぎ取ってゴミ袋に詰めて、どこか近くの空き地に積んでおくという措置がとられています。
 そして福島県に限らず、近隣の東日本の茨城県や群馬県や宮城県、岩手県も汚染されている地域はたくさんあって、そこも同じように人々が住んでいるので、掃除をして近所に放射性物質の廃棄物を積んでいます。
 ちなみにこの土が入った袋は、小さく見えますが、一つ1トンです。かなり大きいです。これは茨城県の写真なんですが、おもしろいことに、端っこに『ごみは持ち帰ろう』と書いてあるんです。
 まぁ現在これはどの様に処分していくかということは、決まっておりません。

 福島の事故とチェルノブイリの事故で、私がかなり違うなと思うことは、インターネットがとても発達しているということです。
 これは、松本子ども留学というプロジェクトの見学会なのですが、長野県松本市というところで市長が、福島県の子供を10人・・・第一回目は10人預かって、学校を卒業するまでずっと松本市で寮を作って、そこで学校に通わせるというプロジェクトを始めました。松本市の菅谷昭市長は、お医者様で、チェルノブイリの事故の後、ベラルーシやロシアに通って、子供たちの甲状腺の手術を何年もされた方です。なので、福島で原発事故が起こり、すぐに子供たちを避難させないといけないと主張しました。しかし、それは通らなかったので、松本に避難をしてきた市民たちと一緒に、このプロジェクトを立ち上げました。
 福島では、原発事故の汚染を怖がったり、被曝を気にしたりすることはタブーとされていて、
「国が大丈夫、政治が大丈夫、研究者が大丈夫と言っているのに、何を怖がっているのだ」
ということになります。なので、このプロジェクトは、『避難』や『疎開』という言葉は使わずに、『留学』という言葉を使っています。その方が福島の中で宣伝をしやすいし、参加しやすいからです。
 日本では4月から新しい年度が変わるので、これは今年の4月から福島の子供たちが長野に来て生活をしはじめるのですが、これは去年の12月にこのプロジェクトに参加をしたいと思う子供たちや家族が見学に来るというテストのケースでした。
 このプロジェクトに参加を希望している子供たちに、お父さんやお母さんがいないところで、ひっそり話を聞いたのですが、とてもショックでした。このプロジェクトに参加する子供たちの多くは、中学生の女の子です。中学生になると、自分でインターネットを触って情報を集めることができます。
「学校の先生やお父さんは、「原発事故は大丈夫」というけれども、自分でインターネットで調べると、とてもそうは思えない。原発事故の後、どうも自分は体調がおかしくなった。しかし、汚染されていない地域に遊びに行くと、元気になるような気がする。なので、自分は親は反対しているけれども、汚染されてないところで勉強したいんだ」
 そう話す子供もいました。
「自分は、大きくなって子供を産みたいので、できるだけ早く福島から出たほうがいいのでは」
と話す中学生の女の子もいました。
「大学や高校で福島から出ようと思っているけれども、中学のうちに出られるなら、このプロジェクトに参加したい」
と話す女の子もいました。
 汚染に対してはいろいろな考え方がありますが、こうして子供たちが自分でインターネットで情報をとって、それで考えようとして、子供たちだけが怖がっている。『親には言えずに、学校の先生には相談できずに怖がっている』という現実があることを知って、驚きました。
 ある小学校では、PTAの集まりの中で、
「インターネットを見て怖がる人がいるので、学校の情報だけに一本化しましょう」
という話し合いが行われました。それが恐ろしくて、引っ越しを決めたファミリーもあります。

 今彼に時間の配分を聞いたので、次に福島第一原発の現状のことについてお話したいと思います。
 これは、1号機と2号機の後ろにあるスタッグと呼ばれる煙突です。福島第一原発には、今さまざまな問題があちこちにありますが、これは私が最も危険だと思っている場所の一つです。これは120メートルあるのですが、2013年の12月に、この根元の部分に、最も高い数字、毎時25シーベルトの地点があることが判りました。マイクロもミリもつかない、25シーベルトということは、人間が近づける場所ではありません。
 問題はここからです。
 この煙突の東西南北の4方向、120メートルの60メートルの地点に切れ目と変形があることが判ります。この写真の部分です。完全に切れている部分もあります。本来すぐに修理をしないといけないものなのですが、根本が毎時25シーベルト、あと毎時15シーベルトの地点もあります。そのため、何も手が付けられません。なので、現在東京電力は、これに対してとっている対策といえば、
「監視員をおいて常に見ています。」
 これは、1号機と2号機に非常に近いため、今も福島、東日本では地震が時々あるのですが、これが建屋に倒れてこないか、現場の作業員はとても心配しています。
 これが1号機、もしくは2号機に倒れてきた場合は、作業員は逃げるしかないでしょうし、逃げるのが間に合うかどうかもわかりませんし。そして、もう一度近くの住民が避難しなくちゃいけないようなシビアなアクシデントに繋がるかもしれません。
 あと、もう一つあまり知られていないことの一つに、今も福島第一原発の原子炉から大気中や地下水に放射性物質が出続けているという現実があります。
 これはちょっと私が急ぎで書いたものですが、原子炉の圧力容器と格納容器です。現在圧力容器から恐らく、燃料棒が溶け落ちて底にたまっているものと考えられています。なので、水で冷やしているのですが、そうすると、水と放射性物質、放射線に反応して、水素が大量に発生しています。そうすると、また水素爆発を起こす危険性があるので、窒素を入れて水素を追いだそうとしています。そして、窒素を入れてフィルタを通して、放射性物質をできるだけ獲って、そして中の気体を外に出しています。
 問題はここからです。
 これは1号機の場合ですが、1時間に35リューベ窒素を入れて、1時間に21リューベフィルタでキャッチして外に出しています。つまり、1時間に14リューベ、どこかわからないところから漏れ続けているんです。これは1号機も2号機も3号機も同じ状況で、今も放射性物質が大気中に漏れ続けています。それはトータルで、1時間に1000万ベクレルと言われています。
 地下水ももちろん汚染されています。これは安倍総理がオリンピックを東京に呼びたい時に言った、『汚染水は完全にブロックされています』と言ったエリアです。この辺りに非常に高い地下水の汚染が見つかって、そして、この部分は汚染水が大量に漏れているということは、もう東京電力も認めています。安倍総理は、この港湾と呼ばれているところで『完全にブロックされている』と言ったのですが、記者会見に通っている記者たちは、それが何もブロックはされてないことをもちろん知っています。なので、安倍さんの発言のあと、記者会見で記者たちが何人も
「本当に汚染水は港湾でブロックされているんですか?」
と質問が相次ぎました。
 すると、東京電力は、
「安倍さんのご発言を聞いて、東京電力としても国に主旨を確認しました。」
と言いました。つまり、東京電力もかなりおどろいたようです。
 東京電力は「ブロックはしてない」とはとても言いませんでしたが、「影響は少ないとは考える」という答え方を終始しています。
 先ほど説明した、ここのとても高い汚染のある地下水ですが、実は今年の2月6日にここの地下水の一つの井戸から、ストロンチウム90が1リットルに500万ベクレルあるということが発表されました。しかし、その地下水を穴を掘って、そして水を獲って測定したのは、去年の7月です。なぜその数字が出てこなかったのか。セシウムや他の放射性物質の数字は出ていましたが、ストロンチウム90の値だけでてきませんでした。なぜ高い数字を発表しなかったか。東京電力の説明では、
「あまりにも高すぎる数値のため、測定に間違いがあったのではないかと調べていた」
という回答でした。
 この地下水の観測は、掘って初めて第一回の測定だったため、その地下水が何時からどれくらい汚染されていたのかということは、現在全くわかりません。
 現在汚染をしらべるために、たくさん地下水をしらべるための井戸を掘って測定をしているのですが、今判っていることは、どこから何が漏れているのか、恐らく一か所ではなく、たくさんの場所からいろんなものが漏れているということだけが判っています。地下水がいつから何がどれだけ漏れていたということは、判っていません。そして、『今まで測定していた数字も小さく見積もっていた』という発表が、今年の2月にありました。
 このように空気にも水にも、現在も放射性物質は漏れ続けている上、人間が近づけないけれども、すぐに対処しないといけない壊れそうな場所も何カ所かあります。
 しかし、このような情報を知っている日本の方々は、とても少ないと思います。みんなが見るようなテレビや新聞には、こういう記事は載らないからです。そして、『国や研究者が言うから大丈夫だ』ということで、どんどん汚染地域に避難している人たちを戻そうという計画がとられています。

 これが、『自由で民主主義のすばらしい国だ』と思われていた、豊かな日本の現状です。

 でもこのような状態になっているとは、本当に私たち自身の責任だと思います。どうやったら何が変わるのか?ということをいつも考えています。
 日本では、選挙の時に1票を入れるだけで政治に参加していると思う人が多いです。以前の私もそう思っていたかもしれません。しかし、私たちは、何を買うか、何に時間を使うか、何に足を運ぶかに、常に一票を何かに投じているということに気づきました。ですから、こうして皆さんが皆さんの時間を使って、足を運んでここに来てくださったことに、とても私は感謝をしています。
 なので、日本の現状はこんなのですが、でもそれでも私たちが知りたいと思って、メディアに変わってもらいたいと思って、政治に変わってもらいたいと思って、自分で何を買ったり何かで時間を使ったりすることで、自分の人生を変えていくことで、すぐに変わると思います。
 私は芸人の師匠、ドイツではなんて言うんでしょうね、マイスターっていうんですかね?に、ときどき、まぁ直接の師匠ではないんですけれども、
「長いものに巻かれておけ」
と怒られるときもあります。一方で第二次世界大戦を経験した私の別のマイスターは、
「国のためにしゃべるな。目の前のお客さんの幸せのためにしゃべれ」
という人もいます。
 別の師匠には、
「(私)一人で頑張っても、世の中が変わるには100年かかるよ」
と言われてしまいました。
 しかし、
「私みたいなのが100人いたら1年で済みます」
と言っています。

 今日、みなさん、100人以上はいらっしゃると思うので、もう1年で世の中は変わると思います。
 原発事故だけでなく、様々な問題が世の中にあると思うんですけれども、自分の人生や自分の生活を、何に使うかということに、私は本当にいろんなことを考えて、丁寧に生きていきたいと思います。
 
 今日は本当にありがとうございました。