20120808 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章


【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】

(水野氏)東京には近藤さんです。
 今日はまずですね、福島第一原発事故直後の東京電力の社内のテレビ会議の模様、その映像がごく一部ですけれども、また条件付きではありますが公開されたということからお話を伺いたいと思います。
 全部で150時間のうちのわずか1時間半しか公開されておりません。一般にはですね。
 今のところ150時間というのは報道関係者が一定の条件のもとに見られるわけなんですが、ただ、逆にいいますと、この1時間半の部分についてのみは、どなたでもインターネットを通じてみることができるというわけです。
 それで、私も見てみました。小出先生もご覧いただいたと思うんですが、どんな印象を持たれましたか?
(小出氏)ひとことで言えば、当たり前のことですけれども、「大変な困難状態だった」。東京電力という会社としては、あんなことが起きるとは誰も思わないまま迎えてしまった出来事なわけで、何をどうしていいか判らないようなまま事態がどんどん進行していくという、そのことが私としては改めて「あぁ、こうだったんだな」と思いながら見ました。
(水野氏)これ、特に音が無い部分があるとは聞いてましたけど、私、ところどころ音が無いのかと思ったら、いやいや、もう逆に9割がた音が無い、ほとんど音が無いというものでしたよね。
 或いは、『社員のプライバシーの保護』という言い方をしていますが、顔などはぼかされていて、誰がそこでしゃべっているのか、或いは『ピー、ピー』という音がしょっちゅう入ってきたように思います。
(小出氏)そうですね。
(水野氏)こうした中で、小出さんがこの事故の原因解明、或いは責任の所在、或いは被害が大きくなってしまったことはどうしてなのか?ということなどを検証するうえで、知りたいと思ってらっしゃったのは、本当はどういうところを見たいと思っていらっしゃいました?
(小出氏)私はもっと事故が起きた3月11日当日のことをまずは知りたかったんですけれども、そのことはほとんど無かった・・・
(水野氏)ほとんど無かったです。始まるのかな?と思ったら終わってしまいました。あっという間に。
(小出氏)はい。ですから、私としてはもう本当の一番大切なところは聞くことができませんでした。
(水野氏)3月11日の地震、そして津波、その時にどんなことになっていたかというのをまずは小出さん、すぐのところをお知りになりたい。
 これはどうしてその部分が特に大事だと小出さんはお思いになるんでしょうか?
(小出氏)要するに、事故というのは一番初めが大切なんです。もちろん皆さんだって判っていただけると思いますけれども、どんな機械だって事故は起こしますけれども、起きた時が一番その事故というのが劇的に変化というか、事象が進行するのです。ですから、その時のことが一番大切なのであって、何日も経ってからどう動いたということは、まぁむしろ些末なことになってしまうのです。
(水野氏)はぁ・・・。小出先生は以前からですね、この原発が「津波だけでやられたのではなく、地震の段階でもいろいろ不具合があったんじゃないか?」っておっしゃってますよね。
(小出氏)そうです。
(水野氏)そこの辺りの時間っていうのは、全くこれ・・・今回の公開の中では判りませんね。
(小出氏)はい。残念ながら判りませんし、今回は福島にしても東電にしても、出てくるのは偉いさんが集まってるところの場所なんですね。
 でも、私が知りたいのはそうではなくて、『現場のこと』なのです。
 現場がどうなって、現場の人たちがどんな会話をしながら事故の対処をしていたのかというのを、実は私は一番知りたくてですね、今回のような偉いさんたちの会話というのは、正直言えばあまり興味はないのです。
(水野氏)なるほど。近藤さんはどんなふうにこれを考えてらっしゃいます?
(近藤氏)時間・・・場面も限定、おっしゃるとおり声も通らないということになりますと、東京電力はまさにその事故を起こした張本人ですから、これは僕は普通の事故じゃないと思うんですね。要するに、国民、政権、全ての人間が共有しなくちゃいけない事故だと思うんですよ。そうすると、隠していいことなど一つもないと思うんですよ。
(水野氏)ひとつもないはずですね。
(近藤氏)なおかつ、真相に迫るものは進んで発表してこそ、公開してこそ正しい態度やと思うんで、これはいずれにしたって、裁判で争ったって、こんなものはすぐに公開せよということになるのは、僕は当たり前だと思うんだよね。
 そういう意味で、限定されてる、しかも専門家の小出先生がおっしゃるように、当初のものが、11日のあれは夕方からだったですかね。そういうようなところが専門家が知りたいというところを外してるっていうところがね、何なんだ?という・・・。しかし、今の政権、そういうの多いですね。肝心なことは、なんかいろんな出来事でもそうですが、なにゆえか閉ざされてるっていう気がします。
(水野氏)この1時間半の中で私のような素人が見ても気になったことはですね、小出さん、現場の吉田所長らと原子力委員会の斑目委員長の意見が食い違ってる、それで激しい応酬があった場面があるんですよね。
 これ、2号機について3月14日の午後には格納容器の圧力が高まったんですが、そこでどう対処するかの判断が迫られた場面が写っています。
 これ、格納容器の圧力が高まるというのは何を意味してたんですか?
(小出氏)原子炉の冷却ができませんし、内部から高温高圧の蒸気が噴き出してきていたのです。そして、その高温高圧の蒸気は、私たちがサプレッションチェンバーと呼ぶ圧力抑制室というところで蒸気を水に戻すはずだったのですが、もうそれを戻す力も失ってしまいまして、水自身がもう無くなってしまって、全部蒸気になってしまうというような、ものすごい過酷な状況にあったのです。
 それは、東京電力も予想していなかったような事態でしたし、斑目さんにしても全く予想もしていなかった事態だったのです。ですから、何がどう進行しているか判らない状態で、とにかく福島の現場、吉田さんも含めて、とにかく何とか圧力を下げなければいけないと彼らは苦闘していたわけですし、斑目さんのほうはとにかく原子炉を冷やさなければいけないという、原則的な考えに取りつかれていたのですね。 
 そういうやりとりで、どんどん時間が進行していくわけですけれども、私は本来であれば原子力安全委員会という組織に居た人たちが現場に行くべきだったと思います。
(水野氏)なるほど。だから現場との温度差がずーっと並行してあるんですね。
(小出氏)そうです。1979年にスリーマイル島の原子力発電所の事故が起きましたが、その時には現場に原子力規制委員会の人たちが行って、そこで対処しました。
(水野氏)行ったんですが!アメリカでは・・・。なるほど。今回は、ずーっとテレビ会議で・・・。
(小出氏)そうです。斑目さんは官邸に居座ってるわけですね。他の安全委員の人は何をしてたのか、ひとことも聞こえてこない、そういう状態でした。
(水野氏)聴こえてこないですね。うーん。結局「斑目さんの言うとおりにしろ」と東電の社長が言って、その命令に従って、結果的にはうまくいかず、燃料露出のタイミングが早まったとも言われてますが、じゃあどうすれば良かったのか。小出さん、どう思われます?
(小出氏)判りません。本当に私にしても「こんなことが起きる」とは言いながらも、時々刻々劇的に事故が変化していくわけで、現場に居て現場で頭を働かせながらとにかく対処するしかなかったと思うのですけれども、そういう体制が全くなかったということです。
(水野氏)そうですね。その後も原子力委員会の方は現場に足を運ばないで・・・はぁ・・・。私たちはテレビ会議の枠の中に、私なんかは捉われてしまっておりましたけど、逆に「テレビ会議の中に捉われる」、そのこと自体が大きなリスクであったということですね。
(小出氏)そう思います。
(水野氏)はい。どうもありがとうございました。
(小出氏)ありがとうございました。
【以上】

テレビ会議録画映像

※10:35頃~水野さんがおっしゃっていた斑目氏の見解と現場との見解の相違の場面(3月14日16:12頃 2号機SR弁による減圧操作の経緯<音声あり>)が出てきます。

失礼します。
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