※この記事は、3月27日 坂本龍一氏、AKG後藤正文氏:『No Nukes 2012』開催発表「ミュージシャンとして意見を述べよう」に関連しています。

以前より私が個人的に楽しみにしていましたNo Nukes 2012が7月7日、8日と2日間にわたって開催されました。
坂本龍一氏の呼びかけによって行われた音楽フェスでしたが、「多くの方に考えるための機会を提供したい」ということで、Ustreamで無料で配信され、お話がついたアーティストについてはライブもそのまま配信されました。

こちらとの時差の関係で、眠い目をこすりながらできるかぎり拝見していました。

その中で、私が大好きなアーティストの一人であるアジアンカンフージェネレーションの後藤正文さんがお話してくださり、その一部を実況したのでご紹介しておきます。
(音源だけでもちゃんと録音しておけば、省略なくご紹介できたのに・・・非常に後悔しております。)
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Q.The Future Timesを始めたきっかけ?
「震災があってうろたえた。最初は募金だったが、もっといいやり方はないかと思った。行動を寄付する、払ってでもやりたいと思った」
「僕が一番やりたかったことは、福島の人の話を聞くこと。放射能について心無いことが言われてたりするが、実際に会うと見え方が違ってくる。」
「これができているのは周りの人のおかげ。人に支えられてできている。自分にできるのは取材先に出向いて聞いてくること。コピペで断言するのは怖い。」
Q.「ノイズがある中続けられるのは?」
「SNSはメジャーではない。ツイッターはむしろマイノリティ(少数派)。そこに過度な心の負担を注いではダメ。画面の外に出してなんぼ」
「実際に会えばそんな酷い人はいないと思う。直接クソヤロウって言う人はいないと思う。脳の中では言えるけど、音にする(声に出す)のは難しい。体を使って音にするのはそんなに簡単じゃない」

Q.「脱原発を外に出すことは悶々揺れる中で、どういうふうに考えて、どういう経緯があって表明したか?」

「ミュージシャンが発言してディスられるのはいいこと。そういう役割。人前に出て歌を歌いたいなんて、ちょっと頭のおかしい人だから(笑)」
「迷いなくやってる人は逆に怖いから、迷っていいと思う。周りの仲間たちが認めてくれてるのが何よりなんじゃないかと思う。悶々することに気にしない方がいいと思う。それぞれがそれぞれに」
後藤正文氏の短冊
 「過去を知り現在を知る。そしてより良い未来を作る」
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ここからが本番です。
Ustream限定放送の中で、双葉町長がお話をしてくださいました。
こちらを見て、自分に何ができるのか一瞬だけでもいいから考えるきっかけにしていただければと思います。

どうぞ。

【動画】Ustream rskmtより
7月8日 NO NUKES 2012 双葉町町長+舩橋監督
http://www.ustream.tv/recorded/23848783 (82:15)

<ゲスト>
  井戸川克隆 双葉町長
  舩橋淳 監督
<MC>

  平野友康さん
  サイコさん

【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】

(平野氏)それではですね、お呼びしたいと思います。
 双葉町の井戸川町長です。
 どうも、ようこそいらっしゃいました。
 そして、今回、こちら『フタバから遠く離れて』という映画があるんですけれども、こちらの監督の舩橋監督も一緒に来ていただきました。こちらの真ん中によろしくお願いします。
(さいこ氏)どうぞよろしくお願いします。
(平野氏)ということで、どうもありがとうございます。先ほどもステージを拝見させていただいておりました。
 ちょっとまず、ゆっくりとお話を伺うことができるので、まずじゃあ、舩橋監督のほうから今ご覧になってる方に向けて、ちょっと簡単な自己紹介と、あとはこの双葉町の今の状況であるとか、今回『フタバから遠く離れて』という映画をお撮りになられたということで予告編も用意してあるんですけれども、ちょっとご説明いただけますでしょうか?
(舩橋監督)はい。ちょっとこれお借りしますが、『フタバから遠く離れて』という映画でして、双葉町、双葉郡の中にありまして、福島県双葉郡双葉町についてのドキュメンタリーです。
 今日井戸川町長がいらっしゃるので、町長のお話を中心に話を展開できればなと思ってるんですが、なぜ僕がここに来ましたかといいますとですね、震災から3月11日で福島県双葉郡双葉町の町民の方々が最も遠くに避難された方々だったんですね。僕がその震災後からずっと、ドキュメンタリーを撮らせていただいて、最初の10か月間、野田政権が12月に原発の事故の収束宣言を出しましたけど、それまでの双葉町の避難所の様子を描かせていただいたんですが、その時に町長と何度もインタビューさせていただいたり、お話させていただいたんですけれども、その中で少しずつ、僕の意見も変わってきましたし、町長も最初は国とか県とかにちょっと気を使われていたところがあったと思うんですけど、だんだん発言を鋭くされていったんですけれども、それはもうご本人から話していただきますが、そういったのが見えてくるんですが、そこで僕が根底にあったのはですね、僕は東京に住んでるんですけれども、よく言われるんですが、『自業自得論』というんですけれども、それはですね、
「双葉町・大熊町、福島第一原発が立地している二つの町は、交付金にジャボジャボ浸かって潤ってきた。原発を選んだのはそれぞれの町のDecision(決意)だったんだ。今原発事故で火の眼にあった、というかこういう災難にあってしまった。それは自業自得なんじゃないか?」
という論理があったんですね。
 正直、僕もそういうことはあるんじゃないかという疑問があったんですよ。なので、埼玉に避難されてきて、通いながらその問いに答えつつ、答えるように撮影を進めていったということだったんですね。
 その中で、どういったものが見えてきたかというのは、是非映画も見ていただきたいんですが、今日は僕よりも当事者の町長からお話を聞いたらいいと思うんですけども、それがやはり全国レベルで皆さんが気になされてることではないかなと僕は理解してるので、ちょっと前提として話させていただいたんですけれども。
(平野氏)それでは町長、今回、ステージ上でもおっしゃられてましたけど、まずは今の町長を取り巻く環境や、あるいはそのメッセージであるとかお願いしたいんですけれども。
(井戸川町長)大変厳しい環境に置かれております。
 なぜこのような厳しい環境にあるかというと、なかなか、全てを町長一人でなすわけにはいけません。1日の中でやはり限られた時間で行動せざるを得ないわけですので、町民からはその辺のお叱りを受けております。
 しかし、それも私は残念だと思いながらもやはり町長としての仕事というのも大事ですので、対面的な仕事に入りますので、それもこなさなければならない中でですね、両立できないところが非常に残念に思っております。
 一番残念なのはですね、事故を受けて一切我々が今、全ての住民の要求要望に聞くようになっているわけですね。できるわけないんですね。避難して何にも役場の形も無くなった中で、全ての供給を聞くわけにいきません。
 そんなことの中でもどかしさを抱えながらですね、毎日ここまで過ごしてまいりました。
 今、舩橋さんが言われたように、最初はトーンが弱かったというのはですね、事故の当事者である方がもっと積極的に我々をフォローしていただくのかなという期待もありました。しかし、事故の責任者がいない中で、被害者だけが今、我々のようにしているんですけれども、本当に事故を償わなければならない人が今見えない状態でいるんですね。従って、住民の方も多くの悩みを抱えて、もう一向に解決しないというようなことに大変、今立場的には非常に厳しいところにあります。
 また一方、全国の皆さんの中で、
「お前たちが原発を誘致しなければ、こんなふうに放射能で我々も苦しむことが無かった」
といわれて、私も責められます。確かに立地として認めたわけですので、それは否定できるものではないというふうに思っております。
 ただ、ここまでの間、このようなことが起きないように、起こさないようにということを東京電力、並びに国にはお願いをしてまいりました。その時に返ってくる言葉は、
「絶対起きない。起こさない」
という言葉でしたので、我々は国策である原子力発電所を全面的に信頼しておりました。それだけに、やはり今回起きた事故についてはですね、言いようのない・・・いろいろな感情がありますね。
 そこで原子力発電所がもたらすメリットとデメリット。
 メリットは確かに今まで受けてきましたけども、そのデメリットとしては、恩恵を受けたものは全て、形にしました。建物とか道路とか形にしましたけど、それを全て置いて、今は何もない状態で避難生活をしてるわけですね。従って、いろんな形でもっともっと我々を見ていただいて、そして良い悪いの判断をしていただければありがたいなというふうに思ってます。
(平野氏)あの、実際に避難をされて、かなり遠くに避難されたということなんですけれども、ちょっとすごい基本的なことからお伺いするんですけれども、双葉町の皆さんはいつくらいに事故の大きさに気づかれて避難・・・をいつ頃されて、今はどういうふうになってるんでしょう?
(井戸川町長)最初はですね、地震で家の中がものが倒れたりして住める状態じゃありませんでしたので、公民館等に避難をして一夜を過ごすということでしたけれども、その夜中ですね。2㎞という避難指示が福島県の方から出まして・・・
(平野氏)その時は2㎞?
(井戸川町長)はい。あと国からは3㎞という連絡が来ましたけど、もう・・・これは後から聞いたことなんですけど、原発の近くにいる住民が11日の夕方、東電の社員が家の近くで放射能の測定をしていたということだったんですね。だから、夕方にはそういうような恐れがあったことを我々には知らされないまま、来てしまった。そんなふうに???、伝達の仕方は非常にまずかっただろうと思います。
(平野氏)実際に避難をされてどれくらい・・・?
(さいこ氏)スーパーアリーナに町ごと行かれたんですよね?私、あれ、すごく衝撃的でした。「町ごと一つのところに移動できるんだ?」っていう意味で。
(井戸川町長)はい。これはですね、町ごと全部ではないんですね。なぜそうなったかというと、通信回線がもう本当に携帯電話もつながらない、電話の数もない中でですね、十分な伝達はできませんでした。従って、町ごとではなくて伝達できる人たちに伝えて、その人たちの中から埼玉に移動することに同意された方のみですね。12日には川俣町というところに避難しました。約3500人くらい避難しましたけれども、そのあとですね、3号機の爆発の状況を見て、「遠くへ行かないといけないな。本当に危険なことが起きているな」ということで、スーパーアリーナの方のコンタクトをとって許可をいただきましてですね、なんとも全員を連れていきたかった思いはあるんですが、出来なかったんです。
(平野氏)本当に、原発がある、福島第一がある町なので、本当に爆発の音も聞こえるくらいの距離に住まわれてる方・・・
(さいこ氏)4号機と5号機が双葉町?あ、違う5号機と6号機。
(井戸川町長)5号機と6号機ですね。12日は、朝から5時44分に政府から避難指示出ましたので、これを災害対策本部で協議をしてですね、朝方川俣町のほうに町長さんに電話をして、避難の了解を取り付けてですね、そのあと防災行政無線で町民へ伝達をして、川俣町に避難するように指示をいたしました。
 そのときは、何の交通手段もありませんので、自家用車でとにかく逃げていただきたいということで、避難を呼びかけたわけですけれども、残念なのは大渋滞が起きて避難途中で被曝というか、放射能を被るような事態になった町民も多くおりました。
 私は、まだまだ双葉町におりましたので、1号炉の爆発の音は聞こえるところにおりました。そしてまもなくですね、音がした後に、空から放射能を含んだゴミが降りてきまして、あの瞬間は警察官もおりました。自衛隊員もおりました。また多くの町民もまだおりましたので、やはり皆、「これで終わりかな」と思ったって言うんですね。私もそう思いましたけれども、異様な・・・みんながシンと静まり返った瞬間がありました。
 非常に音が聞いた瞬間で、「もう間に合わなかった。全員避難が間に合わなかった」と。その後にゴミが降ってきたときには、また更に「もう終わりかな」という思いがしました。
(平野氏)それではもう、その爆発というものがどういうものなのかというのは、もちろん判った上で、その瞬間を迎えてしまったということなんですね。
(井戸川町長)そうですね。
(平野氏)今日町長さんには、私たちに事前にいくつかの資料をいただいてまして、それで双葉町として、或いは町長さんとして、いろいろなメッセージや被曝ということに関しての資料とかもお持ちいただいたんですけれども、ちょっとそれを是非この後見せていただきたい、ご説明いただきたいと思うんですけれども、その前に舩橋監督はこの『フタバから遠く離れて』という映画を撮られたわけですけれども、また外からその状況を見られて、今度は中に入っていっていろいろお話を町民の方に伺うということをされてきたわけですよね。
 ちょっと予告編を是非、3分くらいの予告編があるので、今ご覧になってる皆さんも、実際に地図や映像の断片は見てると思うですけど、実際に双葉町の皆さんというのをイメージしたりとか見たりとかしたきっかけがないと思うんですね。
 ちょっと予告編を見ていただきたいなと思うんですけれども、実際に取材というか撮影をされてるのは、主に避難されたところということですか?
(舩橋監督)そうですね。ずっとつきっぱなしだったんですよ。やっぱり・・・放射能っていうのの怖さって、目に見えないことだなということをずっと思ってまして、どれだけ離れても判らない。安全なのか。それとも近づいてもどれだけ安全なのかも判らない。
 なので、僕はまだ双葉町のことを何も知らない時に、福島からもっとも遠くに逃げた街ということで、とても興味があったんですね。
 僕は、一番正しい判断じゃないのかなと思ったんですよ。なので、埼玉に、東京郊外で僕が電車で通える距離だったので、そこに行ってみて、そこに居る方々と話してみようと思ったのがきっかけですね。
 つまり、我々東京にいる人間は電気を使ってきたわけですよ。震災後初めて、福島第一原発で発電された電気が100%、関東圏内に来てる。
(平野氏)そうなんですよ。それを聞いてびっくりしました。
(舩橋監督)そうなんですよ。なので、自分たちの電気はあそこから来てたんだということを始めて知ったんですね。
 なので、電気を作ってた方々と話す。僕は電気を使ってた方なんですけど、ということをちょっと考えるためにも、避難所に行ってみるということが一番最初のきっかけでしたね。
(平野氏)ということで、ちょっと予告編見ていただきたいと思うんですけれども、これは、音楽を坂本龍一さんが提供されている。『For Futaba』というエンディングテーマ。
 ベルリン国際映画祭で満員の観衆が支持をしまして、僕もベルリン国際映画祭、実はこの上映の翌日にベルリンの方に行って、現地の新聞も見ました。そして町長のメッセージが現地のスクリーンに流れて、非常に映画祭としては大きく扱われていたのと、それが日本であまり扱われていないというギャップに、あのベルリンで不思議な思いをしました。
 そういうふうな縁もあって、実は今日、ここにいらっしゃっているというふうなこともありますので、10月13日から公開。まだ公開されてない映画なんですけれども、本当に今日、今、12,700人の方が本当にリアルタイムで今見てるんですけれども、こういうふうな映画で何かを伝える、考える機会を作ってというふうなことっていうのは、12,000という数は少ない数じゃないと思うんですね。テレビとか或いは・・・娯楽のエンタテイメント対策であれば、1万なんていう数字はなんともないかもしれないですけど、こういったメッセージ性があって、しかも原発の問題ということでいうと、12,800人に増えましたけど、皆さん是非それぞれ自分の・・・どういうふうに思われるか、或いはこれからこの問題に対して興味を持つきっかけになっていただきたいと思います。
 それでは3分ちょっとの予告編、見ていただきたいと思います。


フタバから遠く離れて 予告編 from Atsushi Funahashi on Vimeo.


(平野氏)はい。ということで、予告編を見ていただいたんですけど・・・。<涙されています>ダメだなぁ・・・。司会が泣いちゃダメなんだけど・・・いや、ちょっと今・・・すいません。できるだけ感情的にならないように・・・思ってたんですけれども、やっぱりリアルに・・・いろいろ苦労されてる方と一緒にいるというだけで、やっぱりちょっと何か・・・感じるところが違うんですね。
 それと同時に今、鹿児島県知事の再稼働支持してる伊藤氏の当確がNHKニュースで出たんですけれども、すいません、僕は・・・最初っから言ってるとおり、こういうふうな活動をずっとしてこなかったんで・・・なんか初めての直接自分に跳ね返ってくる挫折というか、なんかこのNo Nukesのものすごい頑張ってるいろんな人たちの顔と、今日町長さんたちを始め、いろいろなことが重なってしまってすいません、感情的になってしまいました。
 本当は、こういうふうな・・・ちょっとなんかね・・・感情的にならないで、楽しい放送というか中継をしていきたいなというふうに思っていたんですけれども、すいません、ちょっと一人で感極まってしまいました。
(さいこ氏)二人で。
(平野氏)いや、これはね・・・、インターネット越しじゃわかんないですよ。ね?全然平気だったのに、ちょっと・・・、うん。すいませんでした。
 ということで、せめて今ご覧になっている皆さんに、そうですね13,200人くらいになってきました。それもすごい貴重だなというふうに思っていて、やっぱり例えば首都圏でいうと、原発の首相官邸のデモとかっていうのも、だんだんあんなふうに増えてきたりとかして、一人一人の重さっていうのが、なんか一人一人はすごいちっちゃいんですけど、それが数になっていったりとかした時に強さっていうのを感じていったりとかしたので、こういうふうな、ちょっとUstですけれども、13,305っていう今リアルタイムで出てきてる数字とかね、すごいリアルに感じちゃったので、是非なんらか感じて、今日はこの後もYMOありますから、楽しんでいってほしいと思います。
 じゃあ、ちょっとすいません。
 じゃあ、話を戻しまして、今、双葉町がどういうふうな状況にあって、そしていろいろな資料をご用意いただいたので、ちょっと是非見てる方にご説明をいただければと思います。
 よろしくお願いします。
(井戸川町長)あの、我々はですね、あってはならないことを、そういう状況になってしまったんですね。
 それはどういうことかというと、広島・長崎、或いは第五福竜丸などなど、多くの日本人が苦しんできたことを学んでなかったかのごとくですね、大きな試練に立たされております。
 今回の事故は、私たちの町の事故ではありません。
 もう人類の本当に大変、厳しい事故になりました。
 地球規模の事故で、大きな環境を破壊しております。
 この破壊されたものはですね、今まで「原発を誘致して大変良かったのではないか」といういろんなご意見ありますけども、それらを遥かに超えた事故になってしまったということですね。
 しかし、この事故の大きさがよく語られてませんので、なかなかメディアには載らないのが本当に残念だなと思っております。
 今回の事故は、広島・長崎と比べ物にならない多くの放射能が出てるんですね。世界で4つの原発が同時に壊れて、そこから放射能が出たというのは前例がございません。
 放射能の毒を消す術もないわけですね。
 なのに、「安全だ」。或いは安心教育をされている多くの福島県民の皆さんが、本当に実態を判っていただきたいなと、このことを思うと胸が張り裂けるように、私は悲しくなってしまいます。
 事故前の原子力発電所の中の放射線管理というのは、今思えば「厳格であったな、ちゃんとやってたな」というふうに思います。その基準よりもちょっと上乗せして東電基準というくらいに、もうちょっと厳しい基準でやってきましたけど、今はもうそういう基準が全く無視されたごとく、「20ミリシーベルトでも住んでもいいよ」というようなことが国から言われております。
 これは、新たな被害を我々は受ける恐れがあるということで、私はもうあってはならないことだと思って、実は今日持ってきた資料というのは、管理区域という言葉、我々は知っております。しかし、全国の方は原発に携わってない方は、ほとんど知らないことだと思いますけれども、放射能の濃度によって管理区域が設定されておりました。
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A区域、B区域、C区域ということで、A区域は、ここで皆さんといるような環境です。しかし、Bというと、もう放射能が完全にある区域ですね。その中へ入るためのいわゆる服装というのは、こういう感じの服装でないと入ることができませんでした。
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 それからC区域というのは、4万ベクレルから40万ベクレルの間がC区域ということで、C区域の入る衣装は、マスクを完全にしないと入れません。こういうような状況で入らないといけません。 
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 さらにD区域というのは、これはもう全く放射能の濃いところ、最高に濃いところは、空気ボンベを背負わないと入れません。
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 こういうような状況で管理されてきたんです。
 さらにその管理の中で、管理区域の中では飲食も喫煙も、してはいけません。10時間以上、その管理区域の中にいてはいけません。或いは18歳未満は管理区域には入ってはいけませんという、こういう管理の中でやってきたんですね。
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 しかし、残念ながら、この基準が今、無視されております。
 どうして原発によって、多くの県民が、今困っているのにもかかわらず、このような基準を国は採用しないのか、非常に私は怒りを覚えております。
(平野氏)今の管理区域に相当する場所が、福島県でいうとどれくらいなのかっていう地図が実はあるんで、いただいてるんですけれども、そちらのほうだけちょっと今、すいません。
 皆さん、多分ご存じない方はびっくりされると思います。
(さいこ氏)10時間以上いちゃいけいないし、ご飯食べちゃいけないっていうのに相当する・・・
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(平野氏)こちらが福島県の地図なんですけれども、青い部分と黄色い部分、これ、寄っていくと放射能マークにこの図ではなっているんですけれども、これらが全て今、ご覧いただいたマスクであったり、或いは酸素ボンベを背負わなくてはいけない。この青いところは酸素ボンベで、あとは黄色いところが全て防護服を着て。
 つまり「18歳未満は居ちゃいけない。ご飯を食べてはいけない」という場所がこれだけあると。
 ですがここでは普通に生活をしているということなんですね。
(井戸川町長)ここは、このために私はいろいろ調べました。そしたらですね、チェルノブイリでは、5年間かけてこのような基準を作りました。これは5年というのは、非常に痛ましい子供たちの姿ですね。ここにもいくらか用意しましたけども、子供たちのこのような痛ましい姿があって、初めてこのチェルノブイリの基準ができたんです。
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 従って、あってはならないことが起きないようにするには、日本の今回の取り組みが必要であろうと私は常に訴えておりますが、なかなかマスメディアには載りません。もう何回となくこのことは訴えておりますが、本当に知るべき真実が知らされないのが、非常に私は悲しいと思っております。
(平野氏)これはチェルノブイリの時に、こういうふうな今ご覧いただいているような写真にあるような子供たちが・・・奇形の子供たちが生まれてしまったから作られた基準ということなんですよね?
(井戸川町長)はい。そのとおりです。
(平野氏)それが、そういうふうなことで作られた基準なのにも関わらず・・・参考にされていないというのが正しいのか、現在この経験に基づく避難基準というのは、日本は満たされていない、つまりこれは数年後かに同じことが繰り返すことが高いということになるわけですよね。
(井戸川町長)高いかどうかはわかりませんけども、要するに被害ははっきりここに出てくるわけですね。だから、こういうことがあってはいけないのではないかということを私は訴えておりますけれども、なかなかこれがですね、政府の方では更に今度、私のところに言ってきたのは、
「100ミリシーベルトでも前例がない」
という話が出てきております。
 これはとんでもない話でですね、前例があったら大変なことですので、なぜ、だけどそれはこういう実績があったにも関わらず、100ミリという数字も、大変国民として、私は野田総理に尋ねました。
「国民と思ってますか?」
 そしたら総理は、
「大事な国民です。」
と答えてくれましたけど、大事な国民が放射能のあるところで暮らすべきなんでしょうか?
 これは是非全国の皆さんにこの実態を知っていただきたいと思います。
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 私はあってはならないことだと思います。大事な国民であるならばなお、この福島の区分はやめてですね、チェルノブイリの区分を福島の、区分とするべきだと私は考えてます。
 子供たちが可哀そうです。
 子供を持つ若い親が可哀そうだと思います。
(舩橋監督)ちょっと一個だけ整理しておきますと、これですね、町長が示していただいたことの比較表なんですけど、避難基準でチェルノブイリの時はチェルノブイリ法というのが事故から5年後、1991年に制定されたんですけれども、国際的なプレッシャーがいろいろあって、ようやく旧ソ連政府が認めたんですけど、義務として避難しなさいというのが、5ミリシーベルト以上なんですね。5ミリシーベルト以上は移住の義務なんですね。出ていかなきゃいけない。
 ICRPが定めている年間被曝の限度量、1ミリシーベルトというのがあるんですけど、それは国際的なプレッシャーの成果なんですけど、それも認めましょうと。つまり、5まではないんだけど1以上だよっていうのは、避難の権利を認める=移住の権利。だから1~5(ミリシーベルト)は権利を認める。つまり、政府が移住するなら費用を持つよということですね。
 今、福島はどうなってるのかと考えると、20ですね。20が避難指示解除準備区域、つまり「除染して下がったら住んでください」というところが20未満なんです。
(平野氏)事故から1年ちょっとの今でもそういうふうになってると?
(井戸川町長)そうですね。
(平野氏)ちなみに、これは5年後に、言い方はあれですけど、しぶしぶチェルノブイリ法のほうだと5ミリ以上は義務だということになったわけですよね。そうすると、やむを得ずといいますか、5年後の段階で義務にせざるを得なかった。ここはすごいポイントだなと思うんですけれども。
(舩橋監督)そうですね。最初はやはり旧ソ連政府は半径30㎞圏内だったんですね。5年間はそのままだったんですけど、日本は20㎞だったんで、それでも「旧ソ連の方がいいじゃないか」という話はあるんですが、それは横に置くとしても、やはり最初は放射能に対する知識が無くて、半径でくるっと30㎞円を書いてイエローだったんですよ。
 いざ線量を測ってみると、風向きとか地形とかがあって、分布が均一ではないということで線量による避難基準を設けたんですね。
 それが5年かかって5ミリシーベルト以上。
 だから、つまり日本政府は、チェルノブイリから何も学んでないということになるんですよね。
(平野氏)だから5年後に旧ソ連が「5ミリ以上はもう義務にしなくてはいけない」と身をもって知ったということが、全く今回活かされていないということなんですよね。この図から読み取れるものとしては。
(舩橋監督)さらに込み入った話なんですけれども、町長、これ細野大臣は、これ「知ってます」って言ったんですよね?
(井戸川町長)はい。私の前で。私がこれを大臣に示しましたら、
「よく判ってます」
という答えをされました。
(舩橋監督)ということは、知ってて「こうだ」ということなんですよ。知ってて「20以下は住みなさい」ということなんですよね。
 ということは、どういうことなんですか?
(井戸川町長)その後ですね、細野大臣に尋ねました。
「だったらば、我々に5年間の苦労をさせないで、こういう経験をさせないで、このままこちらに持ってきてはいかがですか?」
といったらば、答えがありませんでした。
(舩橋監督)「チェルノブイリの基準を持ってきたらどうだ」って言ってるんだって・・・
(井戸川町長)そうです。
「我々をそんなに苦しめないで、こちらにもってきたらどうですか?」
と聞いたらば、答えませんでしたね。
(平野氏)町長としてはどうして答えてくれないと思いましたか?
 ちょっと・・・理解ができないんですけれども、今聞いていて。
(井戸川町長)答えない理由はですね、その後ですね、政府からくる文書には、100ミリシーベルトの正当性をICRPの勧告なり何なりを出してきて、私を説得しようとしてますけれども、これを見てから100ミリとか20ミリが安心だとかいう訳にはいきませんので、そんなん理由になりませんね。やっぱりこういう苦労をされたことを福島県内には相当よごらされてしまったんですよ。だから、やっぱり今回の国会事故調にもあるように、さらにこれも人災だと思うんですね。人災を重ねることなく、もう思い切った政策に出るべきだと私は政府には呼びかけていきたいと思いますけども、全国の原発の立地されている皆さんも、こういう実態は知らないんではないだろうかと。我々は交付金で頂いたものを、先ほど申し上げたかもしれませんけど、全て置いて放射能から逃れて、今避難生活をしてるわけですよ。
 だから安全が如何に大事かということですね。安全は譲れるものではないというふうに皆さんにはよく知っていただきたいと思います。
<40:40頃まで>

【その②】へ続きます。
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