※この記事は、6月21日【内容起こし】木村真三氏:「原発事故、住民は守られたのか、住民は守られるのか。-避難と帰還、安全確保を考える-」【その②】@エネシフジャパンの続きです。

<01:14:00頃~>

(川崎氏)
川崎氏 皆さん、飛び入り参加をしてしまいました。弁護士の川崎健一郎といいます。ほんとにありがとうございます。今日は勉強になりました。私は、福島の子供たちを守る法律家ネットワークという弁護士を中心とした団体の共同代表を務めているものです。
 今のお話を伺っていて、今日の統一テーマが「住民は守られたのか、住民は守られるのか」ということなんだと思うんですけど、まず「住民は守られたのか?」という点に関して言えば、今のお話からみても答えは明らかで、「守られていない」ということだったと思うんですね。その「守られていない」と、じゃあが今時計の針を1年半前に戻して、どうすれば良かったのかとなれば、「たら、れば」ですけど考えてしまうんですけれども、私は法律家ですので、医学的な、或いは科学的なことに関して立ち入ったコメントは控えたいと思うんですが、しかしその公衆の被ばく限度量というのが空間放射線量で1ミリシーベルトということを基準にされていた。或いは少なくとも放射線管理手帳というものが3か月で1.3、年間5ミリシーベルトというところで、それを越える被曝をする人には放射線管理手帳を与えて、被曝というのを管理していたという3.11前の基準ということを考えれば、そのどちらかの基準に従って、一旦やはり震災直後に例えどれだけの社会的コストを払ったとしても、自主的な避難というのは実施されるべきだったのではないかというふうには思います。

 思いますが、しかしまぁ、それは「たら、れば」の話で、そうではない中で、では今から敢えてその恐らく100万人以上の人が対象となるような強制的避難をやるということになれば、社会的には可能か?また妥当か?というまたちょっと別の角度からの問題としてあると思うんですね。それはなかなか難しいという中で、では今日のテーマである「住民は守られるのか?」ここに向けたお話というのをどう考えるべきかというのは、私たちずーっと悩んできました。
 私たちは去年の6月、7月頃に活動を始めて、それまで何かしら原発の問題に関心があったというわけでもないし、特に何かしらそういった活動をしてきたという弁護士でもほとんどの人はなくてですね、自分たち自身が子育て世代の親であることから、またその自分たちが使ってきた電気というものを作ってもらっておいて、事故が起こって、同世代の親が福島で非常に悩んでいるのを法律相談の現場なんかで聞く機会が多くてですね、それに対して、
「ただちに健康に影響はないらしいよ」
とかですね、
「避難しなくていいよって山下先生が言ってる」
というようなことを言って、言うのが忍びないという、いろいろ勉強をしながら、しかし結局我々には「低線量被曝の健康影響というのはよく判らん」という結論だったんですね。結論だったんです。
 その中で、しかし法律にそう書いてあるから、その基準を超えた線量の被曝をしてる人たちが逃げたいというのは十分合理的であるし、それによって生じた損害というのは賠償されるべきである。
 ところが去年の8月の段階で、原子力賠償紛争審査会という文部科学省の機関ですけれども、それが出した中間指針という賠償の基準の中には、いわゆる自主的な避難者、20ミリシーベルト以下と言われる地域からの避難者という人たちには、一切の賠償の対象にしないというような形で定められていたわけです。
 「これはとんでもない」ということでいろいろな運動が起こりまして、昨年の末に政治家の方々が動いていただいたと思いますけれども、いわゆる自主的な避難者であっても、一定の範囲に限られますけれども賠償の対象にするということを認められて、半歩前進したということなんですね。
 しかし、損害賠償っていうのは、「既に起こってしまったことをどう賠償するか」ということですから過去の問題なんですけれども、今お話にもありましたように低線量被曝の問題というのは、『今』現在進行形の問題であって、『今』まさに進行してる。これを防ぐということのためには、損害賠償ではやはり足りない。『避難の権利』を正面から認めるような立法が必要だと我々はずっと言ってきていて、1年ということではここにいらっしゃるまさに阿部先生、或いはみんなの党の川田龍平先生であったり、民主党の谷岡先生なんかがこの問題に非常に関心を寄せてくださって、その結果、たまたまですけれども
ちょうど今日ですよね。日本版チェルノブイリ法と言われている「子ども・被災者支援法」という法律が衆議院本会議を通過しまして、成立をしました。
 これは本当に今日ここに来ていただいているような先生方の、本当に影ではいろいろな政治闘争も含めたご尽力の結果だと思っておりまして、そこは非常に一歩前進というように我々高く評価しているところなですけれども、じゃあそこで定められた避難の権利、避難の権利を明確に定めてると思うんですけれども、そこカバーレンジについてなかなか理解を得ていないところがあり、またいろいろ批判される点もあるものですから、若干この場を借りて、あと5分ほどいただいて補足説明というか解説をさせていただきたいと思います。
 私たちが言ってる『避難の権利』という避難する権利というのはですね、そちらに置いている500円ブックレットをご覧いただければ書いてあるんですけれども、結局低線量被曝の健康影響というものが、「よく判んないグレーゾーンが残る」ということを前提としたときに、いわゆる予防原則ですね。それによって生じる避難というものが、間違いなく身体に関わるようなものであるというふうには、その因果関係や影響というものを確定しなくても、それに対して安全値を見たところをとるのか、合理的である、承認されるべきであるという原則ですけれども、そういった予防原則に従って避難をするということが選択として認められるべきじゃないかという考え方です。
 それは二つのことから構成されておりまして、一つはそういった避難をするかどうかを選択するための情報、十分な情報が与えられるということ。そしてもう一つは、その選択をした人は、その選択が実効性のあるものとして行使するための支援が受けられること。
 つまり、「避難をしたい」と言っても、お金がある人は避難できますけども、無い人は避難は実際できないわけですね。よく言われるのが、我々初期のころ言われたのは、
「避難の権利とは言うけれども、避難は別に郡山と白河の先に関所を設けてるわけじゃない。したければすればいいじゃないか。権利というのは移転の自由は誰にもあるので、別に無理やりさせてるわけじゃない」
ということを言う人が居るんですが、まったく大人げない批判だと思うんですね。今まさに自殺しようとしてる人に対して、「いや別に殺してるわけじゃない。生きればいいじゃん」って言ってるのと同じような話であって、つまりその人が自殺に追い込まれる社会的状況に社会的問題というものがあって、そこに対して支援ということがなされないと、それは結局は生きる権利を奪ってることに等しい。
 同じように、避難する権利も社会的に一定の給付を伴う形で請求権として認められなければならないというふうに私たちは考えています。
 そういった意味ではですね、きょう成立した法律というのは、まだ半歩前進という・・・「避難の権利というのがあるんだよ」という宣言はしてるんですが、具体的な予算措置等を伴っているものではないので、今後さらに充実させていっていただきたいと思っているんですけども。
 避難の権利の考え方に関して、大きく四つくらい批判されるポイントがあるんですね。四つパッと上げますと、一つ目が「コミュニティの崩壊につながる」が一つ目。つまりそれぞれの人がそれぞれの選択をするというのは、「それはそうなんだけれども、それを自由に堂々と認めてしまうと地域が崩壊するじゃないか。」という批判。
 二つ目の批判が、予防原則というものが先ほど理論的根拠だと先ほど申し上げましたけれども、予防原則の考え方等で非常に危ない要素がある。それは今日の話で一番最初にあったんですけども、『安全・安心』というものを極端に求めていくと、検察行政の分野でも顕著ですけれども、逆にすべてのものを排除するというような考えに繋がるんじゃないかというので「予防原則に偏りすぎるのではないか」という批判があります。
 三つ目の批判としては、「そもそも論として自己決定なんていうのは幻想じゃないか。」という批判がありますね。つまり、認知症はどうするのか?子供はどうするのか?みんながそれなりにできる人だったらいいですけど、そうではないでしょ?と。つまり人は一人で自分で決定できないんだよというような、これある種の??的な批判があります。
 四つ目の批判としては、「自己決定というものを要すると言ってしまうと、結局自己責任論に最終的にされてしまう」と。
 こういった四つの批判があるんですけれども、これは是非一言ずつコメントをさせていただいて、私の発言を終わらせていただきたいと思うんですけれども、まず「コミュニティ崩壊論」というのはですね、これは順序が逆だと思うんですね。というのは、この被爆をしない権利というのは、これは『人権』なんですね。『人権』というものは、どんな状況でも認められる、国家によって保障されるからこそ『人権』です。それが地域というものに重きを置いて、「地域が壊れるからその人の人権が抑圧されてもいい」という考え方は、これは究極???シズムにつながりかねない。これはだから、国家というものと国民個人というもののどちらに考えの重きを置くかという、ある種、その世界観というか生死観の問題だと思うんですけれども、弁護士である私の立場なら、それは当然人権というのを基準に考えるべきであるというのが答えになります。
 二つ目の点なんですが、これは予防原則というのが寄りかかるという危険。これも確かにおっしゃる通りなんですね。ですからこそ、我々は『避難できる』ではなく、『避難の権利』というのを言っているんですね。つまり予防原則と避難の権利をセットにすると、極端な話1ミリシーベルト以上の人は、全員義務的に避難しなければならないということになるんですが、これはこれでまたなかなか弊害が多くて、財産権を当然侵害されることになりますし、現実、政治的にそんなことが可能なのかというとがやはりあると思うんですね。やはり避難に伴う社会的なリスクは確かにある。それは結局、個々人の選択を取らざるを得ないというのが、二つ目の批判に対する私たちの答えになります。
 三つ目の批判は、自己決定が可能なのかという議論なんですけれども、これはある意味障害者法の分野の中でずっと繰り返されてきた議論でして、確かにその通りなんです。確かに認知症の人が自分で判断できるかというと、そう簡単ではない。だけれども、ぎりぎりのところまでそういった人たちが自分の意思、自分の価値というものを自分自身で掴み取るための説明や丁寧な支援というものから、極限まで追求されるべきであるということが、やはり障害者法の分野なんかでも到達点なんだと思うんですね。自己決定というものがそもそも幻想ではないかという批判は、こういった困難な状況の中で、何かしら新しく生じる被害というものを食い止めるために自己決定権という避難の権利というコンセプトを提出したことに対して、本質的な代替案を提出するような批判の形にはなってないんです。「本人たちでは判断できない人がいるかもしれない」というのは確かにそうかもしれない。では、じゃあどうすればいいのかと言ったときに、結局は????行政というのが一律に「ここまでは避難しなければいけない。ここからは避難しなくてもいいですよ」というふうに線を引く。そういう国と個人とのあり方に戻ってしまっていいのか?そうではないんじゃないかというのが私たちの答えです。
 最後のね、自己決定権というものを認めることによって、逆に自己責任論そのもので体に被害が出た時、症状が出た時に、
「でも避難しなかったじゃないですか。あなたの責任ですよね?」
というふうに言われてしまうのではないかという批判。これが実は一番根本的な批判だと思います。しかし、これの見方の順序が逆でして、こういった被害が起きないために、今まさに避難をするということを選択する人にはちゃんと選択をさせる。或いはそうでなくて残った人にも、今回の法案の中には含まれてますけど、例えば内部被曝を下げるための学校給食等での放射性物質等の検査、機器をちゃんと設置するだとか、或いは長期にわたる保養、リフレッシュ休暇のようなものを子供たちなどもちゃんと全員国が認めるという、そういったできる限り被曝を低減させるための仕組みというものを可能な限り用意した上で、四つ目の批判に対しては向き合うべきだというのが私たちの考えです。
 ということでちょっと長くなってしまいましたけど、私たちの今考えているこれが正解かどうかは判りませんけれども、我々なりに考えていて、法律相談の現場だったりいろいろ出てくる声なんかを聴きながら、我々が今の日本の憲法と法律と政治情勢とかで、これからの被曝、これからの住民を守るために用意できる一つの考え方の道筋っていうのは、『避難の権利』という考え方なんじゃないかなというふうに思いまして、今日この本を売りに来たのと、今お話ししたような内容で来週発売になる現代思想というマニアックな雑誌なんですけれども、そちらに寄稿しておりますので、放射能から子供たちを守る福島ネットワークの中手聖一さんという方と二人で書いてますので、もし飼われた方はご覧ください。
 貴重なお時間をいただきありがとうございました。
<1:28:55頃まで>

申し訳ありませんが、質疑応答部分は割愛させていただきます。
木村先生部分を簡単にご紹介しますと、
1)ICRPもECRRも両方信じていないと明言。
2)NHKのネットワークで作る放射能汚染地図の出演についても、先日は友情出演はしたけれども「基本的にはもう信用していない」。海洋調査そのものはご自身でしている。
3)ゼオライトとカリウムと放射性セシウムについて、カリウムとセシウムは挙動が似ているのは知られているが、農水省が進めている土壌にカリウムを蒔くと、ゼオライトに吸着していたカリウムとセシウムが入れ替わってしまい、効果が無いという点を指摘。完全にセシウムだけを吸着させる方法を開発したベンチャーの研究所があり、それを新潟県三条市での瓦礫焼却で使用することを検討中。
4)稲で実験した結果、それまで1マイクロシーベルト/時だったものが5マイクロシーベルトの環境にすると、明らかに優位に遺伝子以外にも細胞膜が傷つけられて、それを修復されるための遺伝子が動いている。論文も出している。修復はできるが、300マイクロあたりから別のパターンに修復に変わっている。
5)風評被害を無くすためには計測するしかないが、計測器が足りないのでウクライナで共同開発した。5分間計測で6ベクレルまで評価できる精度(ゲルマニウム並み)。9月までに100台。160万~170万円でぎりぎりの値段。食品を計測するだけでもダメなので、WBCも自主開発して、子ども専用機を作った。
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<左:ゲルマニウム並み計測器 右:WBC>
6)原子力安全委員会には放射線防護を知ってる専門家が居ないのでICRPをなぞっただけで話をしてきたのでしょう。原子力規制委員会は人の命を第一に考えてもらい、経済影響からは切り離すべき。
7)自身の経験則で5ミリシーベルト以下で、何らかの症状が出る人が少ない。それ以上は何らかの障害が出てるとよく聞くが、放射線由来かどうかは判断も調査もしていない。
8)新潟で避難者、帰宅困難者のメンタルストレスケアをしている。メンタルはかなり出ている。評価尺度を作るために動いている。

他にもたくさんありますが、力尽きてしまいました・・・。

失礼します。
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