※この記事は、5月3日に小出先生がNYで講演会!【日本に帰る前に知っておきたい「放射能」のこと】に関連しています。

まず、この講演会を実現するために小出先生を読んでくださった主催者、川井和子さん(MENA Music)に心からの感謝を申し上げたいと思います。

会場には、おおよそ300人ものNY在住日本人の方々が集まってくださり、小出先生のお話を聞き入っていました。
今回は、ボランティアとして当日お手伝いをさせていただいたのですが、行き違い等で不手際がありましたこと、この場を借りてお詫び申し上げます。

私は、Ustream等で小出先生のお話を何度も聞く機会があり、今回初めてお目にかかれて非常に光栄に思います。どなたに対しても誠実に、区別なくにお答えになる小出先生の姿、目に焼き付いています。

会場の反応を見ておりますと、初めて知ることがまだまだあったようで、先生がお話になるたびにため息や苦笑が漏れていました。

休憩中に回収させていただいた会場の皆さんの質問用紙、僭越ながら質問を選ぶ係を担当させていただいたのですが、非常に内容が濃く、切実な思いが伝わってまいりました。時間の都合上、全ての質問に答えていただくことはできませんでしたが、あの質問用紙の重みは、私には忘れられない感覚として今なお残っています。

小出先生から受け取ったお話、是非広めていただきたいと思います。
そして、誰かに頼ってやってもらうというのではなく、自分のできることを自分で見つけて行動する大人でありつづけたいと思っております。

では、どうぞ。

【動画】Hiroaki KOIDE Lecture in NYC
http://vimeo.com/41616418 (02:03:00)
http://cinemaforumfukushima.org/2012/05/05/hiroaki-koide-lecture-in-nyc-2/


子どもを放射能汚染から守れ NYで小出氏講演
共同通信(2012年5月 4日)
 【ニューヨーク共同】40年以上にわたり反原発を訴えてきた京都大原子炉実験所の小出裕章助教が3日、ニューヨークで講演し、東京電力福島第1原発事故後の放射能汚染から子どもを守ることの重要性を強調、多くの日本人女性から「子どもと一緒に日本に帰って安全だろうか」と心配する声が出た。

 小出氏は「日本に帰る前に知っておきたい『放射能』のこと」と題した講演で、放射線ががん死亡率に与える影響に関する海外の研究を引用し、0歳児は全年齢平均の約4倍の影響を受けるとのデータを紹介。

 「子どもが泥んこになって遊ぶような場所が、放射線管理区域の基準を超える」レベルで汚染されたとし「子どもは放射線に対する感受性が強い。被ばくから守らなければいけない」と訴えた。

 また「全ての原発を止めなくてはいけない」とあらためて強調。「(停止した)原発を再稼働させようとしている」日本政府を強く批判した。

 講演後の質疑応答では、子どもを持つ女性から「帰国しても安全か」との質問が多数寄せられ、小出氏は「一人一人の判断だと思う。できれば小さな子どもは連れていかない方がいいが、おじいさん、おばあさんに(孫を)会わせるのも人間の営みとして必要だ」と答えた。
http://www.kyodonews.jp/feature/news05/2012/05/post-5543.html


【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
※とりあえずドラフトです。後程修正と画像をUPします。

(川井氏)それでは皆様、小出裕章先生による講演会を始めさせていただきます。小出先生を拍手でお迎えください。
<会場拍手>
(小出氏)こんばんは。私は日本からこっちへ来たんですけれども、ここまで来るのはなんだか信じられないような気持ちでこの場所に立っています。私から見ると地球の裏側のような街で、日本人の方々がこんなにいらっしゃって、私は日本語で皆さんに話をさせていただく・・・大変不思議な気持ちですが、それもこれも去年の3月11日に、福島第一原子力発電所の事故が起きてしまったということなわけですし、皆さんの中にも福島の関係者の方もいらっしゃるかもしれませんし、これからまた日本に来られるという方ももちろんいらっしゃるだろうし、日本にたくさんのご家族、友人等々をお持ちなのだろうと思います。私自身も毎日、なんか胸が潰れるような気持ちでこの1年過ごしてきましたけれども、今どのようなことが起きているかということを今日は聞いていただこうと思います。
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 早速話を始めます。
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 まず、被曝ということですが、人間が放射線というものの存在を知ったのは、1895年です。ドイツのレントゲンという物理学者がいまして、???のブラウン管のような装置を実験をしていました。レントゲンがその装置を動かすと、レントゲンが実験しているその部屋ではない隣の部屋で、なんと物が光りだすという怪現象が起こることを発見しました。「なんだろう?」ということで、レントゲンはなんとか調べようとするんですけど、何回やっても全然違う作用がやってくる。これは不思議な光が出てるということで、その光をレントゲンは『X線』と名付けました。それ以降、X線とは一体どんなものかということで、世界中の学者がそのX線の正体を調べようとする仕事を始めました。
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 例えば有名なのは、キュリー夫妻です。ピエールとマリーという二人の夫婦が放射線って何なのかということで調べ始めます。ものすごく頭のいい人たち。こんなに頭のいい人がいるのかというくらい頭のいい人たちだったのですが、いかんせん放射線が何なのかということを知らないので、突き止めようとしたわけです。そのため、ピエールもマリーも放射線を出す物質を自分の実験着のポケットに入れて、それを自宅まで持ち帰り、放射能と一緒に生活をしてしまうということになってしまいまして、ピエールは体がぼろぼろになって、ある日ふらふらっと倒れていって馬車に引かれて死んでしまいました。マリーは白血病になって、また死んでしまうということになりました。

 そうやってたくさんの犠牲を払いながら、放射線が何なのかということがわかってきたわけですし、放射線というものが人間の健康というものに大変有害なものだということもわかってきました。

 たくさん被曝をすると人間は死んでしまいます。
 「たくさん」というのがどれくらいかというのをこの図を使って皆さんに見ていただこうと思います。
 左の方に赤い帯が、下の方が帯の幅が狭くて、上に行くに従って帯の幅が広くなっていきます。数字は、2,3,4,5,6,7,8と書いてありますが、この数字は全身にどれだけの被曝をしたかという被曝量になります。一番下が2グレイ、3グレイ、一番上が8グレイ。一番上のほうにゼロから100という数字が書いてあります。これは何かというと、急性脂肪確率というものです。この図を判りやすくするとこうです。
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 2グレイという被曝をしたところから帯が立ち上がってきているのですが、2グレイという被曝をすると死ぬ人が出始めるというのが2グレイという被曝です。帯がだんだん太くなってきて、4グレイの被曝をすれば50%に相当しているんですけど、二人に一人が死んでしまうという被曝量が4グレイです。そして8グレイという被曝をすれば、もう全員死んでしまうというということが放射線医学の研究の結果判ってきました。
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 それを確かめる出来事が日本で起こりました。1999年の5月30日、日本の茨城県の東海村というところでJCOという名前の核燃料を加工する工場がありました。この赤いところなんですが、ここで臨界事故という、皆さん普通は聞きなれない名前の事故が起こりました。
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 一体どんなことが起こったのかというと、こうです。
 その日二人の労働者がこんな作業をしていました。一つの大きな容器の両側に立って、下の方に立ってるこの人は大内さんという人です。大内さんは大きな容器の上に穴があいていたのですが、その穴にロウトを挿して支えるということをやっていた。もう一人の人は梯子を上って上に立っていますが、この人は篠原さんという人です。篠原さんはウランを溶かした溶液を大内さんの支えているロウトを通して大きな容器の中に流し込んでる、そういう仕事をしてました。この作業は前日の29日から始まりました。
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 二人はこのステンレスの容器に溶かしたウラン溶液を7杯分順番にこの大きな方の容器に入れる作業をしていました。29日のうちに4杯分流し込みました。そしてその日の仕事は終わりました。大内さんも篠原さんも家に帰ったのです。皆さんもそうだと思いますけど、仕事を終えて家に帰る。家族がいて家族と過ごす団らんがある。きっと大内さんも篠原さんも仕事を終えて家に帰って、家族と過ごした。そして大内さんという人は、大変規則正しく生活をしていた人だそうで、朝の5時に起きてご飯を食べて、7時になったら会社に行く。そして家に帰ってきて家族と一緒にご飯を食べて、その時に必ず焼酎を2杯。そういう生活をしていたんだそうです。ですから5月29日も大内さんは家に帰って家族と一緒にご飯を食べて焼酎を2杯飲んだ。そして次の朝起きてこの仕事を始めました。7杯入れるうちの既に4杯は前日に入れていたわけですから、3杯だけ入れればいいという仕事で1杯目を入れて何も起こりませんでした。2杯目を入れても何も起こりませんでした。最後の3杯目の1杯を入れた時に、この大きな容器の中で突然ウラン核分裂の連鎖反応を始めるという、そういう事故になってしまいました。核分裂の連鎖反応の起こる状態を私たちは『臨界』という言葉で読んでいます。それが予期せず起きてしまったので臨界事故と呼ばれているわけです。ここでウランが燃えてしまうわけですから、猛烈な放射線が飛び出してきました。
 二人はこの場で被曝をして倒れました。すぐに救急車が飛んで来て、彼ら二人を現場から連れ出しました。そして一番始めに国立水戸病院という茨城県内にある大きな病院に二人とも運び込みました。しかし国立水戸病院は彼らの診察を拒否しました。
「被曝者は嫌だ」
ということで拒否した。
 そして彼らは千葉市にある放射線医学総合研究所という被ばく治療の専門病院にヘリコプターで運び込まれるということになりました。
 放射線医学総合研究所は、さすがに放射線被ばくの専門の研究所ですから、大内さんと篠原さんが一体事故でどれだけ被曝をしたのかということを調べる力を持っていました。そしてすぐに調べた。一体どれだけ彼らが被曝をしていたかというと、私、先ほど8グレイという被曝をすると100%人間は死ぬと見ていただいたのです。
 では大内さんはどれだけかというと、18グレイという被曝をしていました。
 篠原さんは10グレイという被曝ということが判りました。
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 こうなるともう助けることはできない。これまでに判っている長い被ばくの歴史で蓄積してきた知識でいえば、もう彼らを助けることはできないということが判ってしまったわけです。そのため、放射線治療の専門病院であった放射線医学総合研究所自身が彼らの治療を拒否しました。「もうだめだ」と。
 そこで日本の医学界が総出で大内さんと篠原さんを助けてみようということになりまして、二人を東大病院に連れていくことになりました。
 これが東大病院に連れてこられた時の大内さんの右手です。なんとなく赤く腫れぼったくなっていると判って頂けるでしょうか。海水浴に行って日焼けをしたような、そんな感じなんですね。しかし、海水浴で日焼けをした後には、そのうち黒くなってきて擦ってやれば表面の皮膚が落ちて、また下から綺麗な皮膚が顔を出してくれる。それが普通の人間というものですね。
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 しかし、この大内さんの手が赤く腫れぼったくなっているのは日焼けしたからではありません。放射線に被曝したからです。
 皆さんも時々、病院でX線撮影というのを受けられると思いますが、撮影装置の前に立って、息を止めてバシャっと撮る。その時に、例えば私が撮られるときには、私の胸のところにある写真のフィルムです。X線は背中の方から私の身体めがけて照射されて、私の背中の皮を貫いて肉を貫いて、骨に一部が止まって、そしてまた肉を貫いて胸の表面の皮を貫いて写真のフィルムに印刷されるわけですね。そうやって体を全部貫いて被曝をさせながらフィルムに印刷するというのをやっているわけで、大内さんのこの手も表面が腫れぼったくなっているのは、その下の組織も被曝をしてるわけだし、肉も被曝してるし骨も被曝をしてるし、裏側の皮膚だって被曝をしてるんですね。
 そうすると、もしこの表面の皮膚が被曝によって生き延びることができなくなると、表面の組織もその下の組織も既に浴びてしまっているわけですから、皮膚を再生する力が無くなるということなんです。

 結局大内さんの右手がどうなったかというと、こうなりました。

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 これは被曝してから26日目というわけです。
 8ミリの被曝をしたような人は、2週間しか生きられないというのがこれまでの知識でした。しかし、大内さんはこの時点で4週間生きていたんです。日本の医学界は総出で大内さんを助けようとして、毎日10リットルもの輸血を繰り返しながら、天文学的な鎮痛剤―麻薬ですけれども、それを与えながら彼を助けようとしたのです。
 ですから、26日になってこんな姿になってしまって、表面の皮膚がこうなっているということは、胃壁だって腸壁だってみんな焼けただれてしまっているわけですから、現実はものすごく恐ろしいことで、体液がどんどん失われていくということで、大内さんはもう既に意識も無いという状態だったんですが、日本の医学界は彼をこういう姿で助けようとした。結局彼は、83日間苦しみ抜いたあげく、やはり助からないということになってしまいました。
 本当に放射線に被曝をするということは恐ろしいことだと私は改めて思います。

 私は先ほど被曝の単位というのはグレイというので見ていただいた。そのグレイというのは何かということを少し聞いていただこうと思います。
 1㎏の物質が1ジュールのエネルギーを吸収した時の被曝量を1グレイと決めた。私は物理をやっている人間ですので、これ以上単純に決められないと思うくらい見事に単純に決めたと思います。つまり、1㎏の物体、私の身体1㎏でもいいし、水でもなんでもいい。それに1ジュールというエネルギーが放射線から加えられたら1グレイという、つまりこういうのは被曝というのは、放射線からどれだけエネルギーを受け取ってしまうかということが決定的なことだということを意味しています。ただ、皆さんジュールと言ってもピンとこないと思います。1ジュールというのは、0.24カロリー。1カロリーというのは、1gの水を1℃温度を上げるというのが1カロリーです。ですから、1ジュールだったとすると、1gの水の温度を0.24℃上げるというそれだけのエネルギーです。物体が1㎏あるなら、温度が上がるのは約1000分の1くらいになってしまいますから、ものすごくわずかということなんですね。もし、被曝する物質が水であれば、大体1000分の2度温度が上がる、それが1グレイという被曝量です。

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 私、先ほどこの図を見ていただいた。2グレイという被曝をすると、人が死に始める。4グレイの被曝をしたら二人に一人が死ぬ。その時に人間の体温は1000分の1度しか上がっていない。8グレイの被曝をしたら、1000分の2度。そんなものです。

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 大内さんは18グレイ、篠原さんは10グレイ被曝していたと先ほど聞いていただきましたけれども、彼らの被曝は彼らの体温を1000分の数度というくらいしか上げていなかった。ホントに微々たるエネルギーしか放射線から出てきていなかった。
 皆さんだってそうだろうし、私だってそうですけど、時々風邪をひきます。病気にもなります。体温が1度ないし2度上がることは誰にだってあります。そんなことで人間は本当は死なないのです。でも、こと放射線に被曝をする場合には、体温が1000分の7度上がることしかできないエネルギーを受け取ってしまったら、もう生きていられない、そういうものなのです。

 なぜそんなことになるかということですけれども、今日会場にいる皆さん、300人くらいの方がいらっしゃるわけですが、誰一人として同じ人は居ないですね。このニューヨークの町全部を見たって、ひとりひとり違う人間のはずです。もちろん日本人だけで全員違うし、世界70億の人間はみんな違う。それはなぜかといえば、一人ひとり遺伝情報が違うからです。私の遺伝情報は私だけのもの。皆さんの情報もすべて一人ひとり固有のものなんですね。その遺伝情報というのはDNAと呼ばれるものに書き込まれているのですが、その化学物質、基本的には水素と酸素と炭素ですけれども、それにどんな形で書き込まれているかということで、私は私で生きていられるし、皆さんは皆さんで生きていられる。そして水素と酸素と炭素がお互いに手をひきつけあう力というのは『分子結合』というのですけれども、それは数eVと書きましたが、エレクトロンボルトと私たちが呼んでる単位です。もうとてつもなく微小な単位になります。そういう微々たる力で私なら私の遺伝情報を維持して、一人の人間として私が生きていられるというふうになっているわけですが、放射線のエネルギーというのは、じゃあどういうレベルのものかというと、皆さんが病院でX線撮影を受けるときのX線は10万エレクトロンボルト。私なら私の遺伝情報を書き込んでいる分子結合のエネルギーなんかに比べれば、数万倍も大きいというようなエネルギーの塊が私なら私の身体を貫いて写真に印画するということをやっているわけですね。お医者さんは大変便利なので使いたがります。病院に行くとお医者さんの顔を見る前になんか検査すると言われてX線撮影なんて四六時中という、そんな状態になってしまっている。確かに便利ですね。今皆さんが私を見ても私はこんな姿に見えるわけですが、私をX線で見れば、骨がどうなっていて、「あそこの骨が折れている、あそこに何かある」というのが判ってしまうという。大変便利なのでお医者さんは使うけれども、それをやる度に私なら私の遺伝情報、或いは組織というものが破壊されていっているということになります。

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 そして、今日ここから聞いていただく原子力発電所の事故というようなものが起きた時に、一番重要な放射性物質、放射能はセシウム137というものですが、それはガンマ線という放射線を出します。そしてエネルギーは66万1000エレクトロンボルト。もうこんなになってしまえば、遺伝情報を書き込んでいるエネルギーの数十万倍といいうようなエネルギーが体に飛び込んできて破壊していくということになります。
 ですから、体温の上昇としてはたった1000分の何℃というようなものでしかないにも関わらず、人間は生きられないということです。

 今聞いていただいたのは、人間が死んでしまうというようなかなり大量の被曝をしたときのことを聞いていただいたのですね。では、人間が死ななければいいのかというと実はそうではないのですね。放射線というものは、今聞いていただいたように膨大なエネルギーを持っている限り、死ななかったとしても私なら私の身体の細胞に傷を受けるということ自身は必ず起こるということなのです。さっきの大内さんのように死にはしなかった。それでも体に傷がついているということだけは避けられないのです。それがやがて癌や白血病のように病気として表れてくるということは、広島や長崎の被爆者の人たちが長い年月をかけて証明してくれてきた。たいへん悲惨な経験をしながら証明してきてくれたことなのです。現在そういう被爆者の方を調べたり、生物学的な実験をしたりして、低い被曝というのがどういう影響を及ぼすかということを調べている研究者、団体は世界中にたくさんあります。米国にもあります。米国の科学アカデミーの中に、BEIR委員会というのがあります。『Biological Effects of Ionizing Radiation』というのですが、放射線の生物影響を調べる専門の委員会です。その委員会が2005年に7番目の報告を出しました。その報告書の中にこう書いてある。
「利用できる生物学的、生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値は無い。」

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 しきい値というのは、これ以下ならば安全だという値がしきい値だという、しかし放射線の被曝に関する限りそんなものはない、どんなに低い被曝であっても必ず危険が伴うということが判ってきたことなんです。
 なんとか人間が被曝を避けるような道というのを探らなければいけなかったと私は思いますが、残念ながら人間は原子力というものに手を染めてしまいということになりました。もちろんそれは原爆という形で姿を現して、たくさんの人を苦しめるということになりましたし、または原子力発電というものを世界中でやってしまっているということになっています。

 一体なんで原子力なんかに手を染めたのか。
 今から日本の新聞の記事を一つご紹介しようと思います。「これからの未来は原子力だぞ」と皆が思っていた頃の新聞記事です。
『さて、原子力を潜在電力として考えると、まったくとてつもないものである。しかも石炭などの資源が今後地球上から次第に少なくなっていくことを思えば、このエネルギーのもつ威力は人類生存に不可欠なものと言ってよいだろう』
ということです。

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 実は私自身もこれを信じたのです。
「化石燃料が無くなっちゃう。人類の豊かな生活を支えるためには未来は原子力にすがるしかない」
と思いこんで私は原子力という場に足を踏み入みました。恐らくこの会場にいらっしゃる皆さんも、かなりこの主張を信じていらっしゃる方がいるのではないかと。「化石燃料がなくなっちゃう。だから未来は原子力」という説ですね。
 でも、これが全くウソだったのです。
 この地球上にあるウランというのはかなり希少な資源で、どんなにそれを使おうとしたって、ウランというのは石炭に比べたら数十分の1、石油に比べても数分の1しかないという大変貧弱な資源でした。結局原子力が未来のエネルギーになるなんてことはもともと無かったのです。実に馬鹿げたことに夢をかけてしまったと思います。今日はそのお話はゆっくり聞いていただく時間はありませんので飛ばします。
 この新聞記事は後半があります。後半を見ていただきます。
『電気料は2000分の1になる。』
<会場苦笑>
(小出氏)当時は、原子力といったら値段もつけられないくらい安い電気になると言われていたんです。皆がそんな期待をしていました。
 さらに、続きます。
『原子力発電には火力発電のように大工場を必要としない。大煙突も貯炭場もいらない。また毎日石炭を運び込み、焚きがらを捨てるための鉄道もトラックもいらない。密閉式のガスタービンが利用できれば、ボイラーの水すらいらないのである。もちろん山間へき地を選ぶこともない。ビルディングの地下室が発電所ということになる』
<会場苦笑>

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(小出氏)こんな期待があった。もし、それが本当ならこの教会の地下室に原子力発電所を作ったっていいはずですが、原子力発電所は火力発電所に比べて小さくなるという道理もなかったし、巨大な煙突を立てて放射能を外に捨てなければ運転できないというようなものでもありました。都会には絶対に建てない。山間部の村に押し付けるということしかできなかったのです。

 この原子力を牽引してきたのは、もちろん米国です。原爆を米国が始めたし、原子力発電も米国が始めました。米国の歴史はこのようになっています。
 文字が化けてしまっています。私のパソコンとそこで使わせていただいているパソコンの中身が違うせいかもしれませんが、口で説明します。
 この青いところは、運転中の原子力発電所です。
 この白いところは、建設中です。
 黄色いところが、計画中です。

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 1960年代に私も原子力に夢を持って、原子力の場に足を踏み込んだのですが、その頃はまだまだ米国では原子力の夢に酔っていた時代でした。猛烈な勢いで運転開始、建設中もどんどんうなぎ上りに上がっていった。計画中もどんどんうなぎ上りに上がっていったという時期が60年代から70年代初めに米国でもありました。
 しかし、流石に米国という国は気が付くのが早い。
 真っ先に始めたけれども、ダメだということに気が付いたのがものすごく早い時代に気が付いたのです。判っていただけると思いますけれども、青い運転中、白い建設中、黄色い計画中、その三つを合わせた合計数が一番多いのは、1974年です。それを過ぎたら米国では計画中の原発は全てキャンセルされました。建設中の原発も90%を越えて出来上がっていたものすらキャンセルされた、そういう時代にすでに74年から入っていたのです。この1年前に???ますが米国のスリーマイルアイランドにあった原子力発電所の事故が1979年に起こりました。しかし米国はこの事故を経験するもっともっとずっと前から、もう原子力に見切りをつけていた。
 そして次に書いてあるこの↓ですが、これは1986年に起きた旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故ですけれども、もうその頃には米国は原子力の息の根は、もうもともと止まっていた。もう次々とキャンセルされていって、今ようやく100基を使っている、そういう状態です。
 これは次々と私は廃炉になっていくだろうし、新しい計画は多分立ち上がらないと思っていたんですが、ブッシュという大統領が何年か前に、原子力発電所を新しく作る」と言ってくれた、国家が膨大な資金支援をするという法案を通してしまったがために、いくつかの電力会社が手を挙げかけました。挙げかけましたけれども、多分これは全部潰れるだろうと思います。結局、米国はこのまま原子力は衰退するということになるはずです。
 では日本はどうかというと、こういう形になります。

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 ずーっと増えてきてしまいました。本当に懲りない国です。
<会場一部苦笑>
(小出氏)教えてくれた米国がとうの昔に撤退してるのに、まだまだ原子力にしがみついてきたという歴史を辿ってきました。それでも1990年からはほとんど増えていないです。日本でも。
 そして明後日(5月5日)になると、北海道電力の泊原子力発電所というのが運転停止して、日本の原子力発電所が全て止まるという日が明後日来ます。
<会場拍手>
(小出氏)私はこれまでなるべく電気を使わないように心がけてきましたけれども、
それでも全然電気を使わないということはできない。自分の使っている電気が、なにがしかの原子力から来てると思うだけで、????でした。でも、明後日からは原子力の電気を使わない日本が来るわけで、なんとしてもそのまま原子力を再稼働させないということをやりたいと思っています。
 しかし、日本の政府は逆になんとしても再稼働しようとして、いま着々とレールを敷いている、そういう状態になっています。
 もともと日本の原子力は今も聞いていただいたように米国から輸入したんですけれども、どんなだったかというとこうなっていました。
 米国のWestingHouse、ご存じだろうと思いますが巨大電機メーカー。それは潜水艦に使う原子力がありまして、それを発電用に転用することになります。一方ではGeneral Electricというやはり米国の大企業ですね。それが原子力発電所を作るということになる。WestingHouseは加圧水型原子炉、General Electric社は沸騰水型原子炉といって、日本で加圧水型は三菱が下請けた。沸騰水型は東芝と日立が下請けをしたという、そういう体制を作りました。

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 事故を起こした福島の原子力発電所は、もともとはGeneral Electricが作った原子力発電所です。1号機はまさに全部がGEでした。2号機はGEと東芝、3号機はGEと日立だったと思いますけれども、そうやって作った原子炉が全て潰れてしまったということになりました。
 そして、この構図はちょっと脱線しますが、今少し変わろうとしています。どう変わろうとしているかというと、世界の市場はWestingHouseの作ったPWRのほうが優勢なんです。GEが作った沸騰水型は劣勢。そして日本では三菱、東芝、日立というそれぞれ巨大な企業が米国のWestingHouse、GEの下請けに入ってやってきたわけですが、沸騰水型は劣勢なんです。そうすると日本の企業がこれから生き延びようとするなら、やはり加圧水型をやりたいと思ったんですね。そしてこの東芝が奇策に出ました。自分たちはGEの下請けで沸騰水型をやってきたんですけれども、このままでは生き延びられないということで奇策に出た。何をやったかというと、WestingHouseを丸ごと買収した。そうすると、三菱が下請けにいたんですけれども、東芝が丸ごとWestingHouseを飲み込んでしまいましたので、三菱はもう出る幕が無くなったので追い出されてしまった。

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そして東芝が入ってきたということになります。三菱はどうしたかというと、仕方がないのでヨーロッパのAREBAという会社、ドイツとフランスの合弁企業ですけれども、それがヨーロッパの加圧水型というのを作っているんですが、そこの下請けに入ったという、このような一大転換というか、世界の原子力産業の転換がつい数年前に起こっています。なんかみんな金儲けで原子力を通してまだまだ金を儲けたいという人たちがいるし、いずれにしてもWesitingHouse、General Electric社の力を借りなければ今の原子力は成り立たないと、そういう状態になっているのです。
 だからこそ、今東芝の奇策が出ざるを得なかったという現状です。

【その②】に続きます。
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