※この記事は、
5月31日澤井さんがドイツ脱原発政策を解説@CNIC
1月20日 【関連動画あり】次回のストレステストは意見聴取会は傍聴なしで開催へ【ドイツにあって日本に無いもの】
2月2日 【動画・内容起こし】ヨアヒム・ラートカウ氏×大島堅一教授 通訳:朴勝俊教授『日本の問題は発想力不足』に関連しています。

ドイツの脱原発政策について、非常によくまとまった報告がなされています。
是非ご紹介したいと思います。

【動画】20120324 メルケル首相“脱原発”の裏側
http://www.dailymotion.com/video/xpnn2n_20120324-yyyyyy-yyy-yyy_news

【追記】


【TBS報道特集HPより】
秘話開封・・・ドイツのメルケル首相が脱原発決めた瞬間 (2012/3/24 放送)
原子力委員会が、大飯原発のストレステストの審査を認めるなど、日本では原発の再稼動に向けての動きが進んでいる。そして国の指導者は原発の将来像をいまだに明確にしていない。
 これとは反対にドイツは、2022年までの脱原発をいち早く決めた。その決断をしたのが、かつては原発推進派だったメルケル首相だ。彼女の考えを変えさせたものは一体なんだったのか。金平キャスターが現地取材した。
http://www.tbs.co.jp/houtoku/onair/20120324_2_1.html#

【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
※前半7分ほど切れていた分、追記いたしました。

(金平氏)原子力安全委員会の大飯原発のいわゆるストレステストの審査を認めるなど日本では原発再稼働への動きが進んでいますが、ドイツはこれとは正反対に、2022年までの脱原発をいち早く決めました。それを決めた張本人は、かつて原発推進派だったメルケル首相です。彼女の考えを変えさせたものはいったいなんだったのでしょうか。
 ドイツで取材しました。

(ナレーション)古いエレベータを降りると使われなくなった原子力発電所のかつての心臓部、コントロールルームに案内された。特別に撮影を許可するという。
 稼働していたころは4人が常駐していたこの部屋には、今は一人だけ。廃炉作業の管理業務を行っていた。
 東ドイツの主力原発に設置されていた計器はどれもアナログだった。
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 この旧グライフスバルト原発は、17年間稼働しただけで東西統一後、安全性への疑問が持ち上がり、閉鎖が決まった。解体作業は閉鎖から17年経った今も続いている。
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(広報担当/マルリース・フィリップ氏)残っているのは高レベル放射性廃棄物の処理の問題です。580トンはここの倉庫にあるので、将来最終処分場に移動しなければなりません。
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(ナレーション)日本と同じで、ドイツでも高レベル放射性廃棄物の最終処分場は決まっておらず、この付近に倉庫を作って保管しているという。
 タービン建屋だった場所に入ると、ここでも脱原発が進行中だった。
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 海に設置する風力発電の基盤を作っていたのだ。 
 2022年までの脱原発を決めたドイツ。決断したのは、メルケル首相だが、実は彼女は長年原発推進派だった。舵を切った瞬間、何があったのか。
 アンゲラ・メルケル首相は、1954年当時の西ドイツに生まれた。父親の仕事で幼いころ東ドイツに移り住み、放射線も扱う物理学者になった。東西ドイツが統一されると、政治家に転身する。核技術に対しては信頼を置いていて、コール政権で環境大臣につくと、温室効果ガス削減のために原発推進を指示する。
 だが、1998年、社民党と緑の党との連立政権に交代。シュレーダー首相は脱原発の方針を決定する。その後、キリスト教民主同盟のメルケル氏が政権を取ると、2010年、前政権の脱原発方針を撤回、原発稼働の延長に踏み切った。
 国民はこれに敏感に反応した。1970年代からドイツには原子力40年戦争と呼ばれる激しい抗争があった。反原発派の勢いが再燃し始めたのだ。

(金平氏)あー、あれそうだそうだ。「×」のエックスの印っていうのは、廃棄物処理場とかに対して反対の意思を示してるという印ですね。これ。「×」
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(ナレーション)私たちは反原発運動の盛んなドイツ北部のゴアレーベンに向かった。
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(金平氏)僕らがここに到着した途端に、ここは急に動いて自動的に閉まり始めましたけど、どこかで僕らを監視してる人がいるんだと思うんですけど。

(ナレーション)核廃棄物の中間貯蔵施設。正面には3重のゲートがあった。
 ゴアレーベンには高レベル放射性廃棄物の最終処分場の候補地があり、反対派は核のゴミが持ち込まれることに抗議してきた。

(金平氏)多分あれ、抗議運動で投げられた跡だと思いますけどね。
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(ナレーション)去年11月にも高レベル放射性廃棄物が運び込まれる際、数百人のデモ参加者が線路を占拠するなどして妨害した。
 だが、警察側には手を出さず、この運動の特徴とされる『非暴力直接行動』を貫いた。
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(金平氏)ここは、すぐあれですよね。ここに中間貯蔵施設がすぐ見えて、ここは反対派が集まるキャンプみたいな場所ですよね。
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(ナレーション)施設近くの森には、大きな「×」の文字が掲げられていた。
 反原発派たちの拠点だった場所だ。
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(金平氏)反対運動をやる人たちの必須アイテムになってるっていうか、これはつまり、暖を取るための枕にもなるし、暖防具にもなるし、それから、警察にこう何かあった時に防御するための道具にもなるし。
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(ナレーション)私たちはそんな反原発運動の先頭に立ってきた87歳の女性を訪ねた。
 ドイツで反原発の母として尊敬されている人物だ。

(マリアンネ・フィリッツェン氏)警察には従わないわよ!!

(ナレーション)ドイツの反原発運動の先頭に立ってきたマリアンネ・フィリッツェンさん、87歳。ドイツでは『反原発の母』と呼ばれている。

(マリアンネ氏)私が最初に拘束されたときの写真です。
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(ナレーション)これは、33年前。当時55歳だったマリアンネさんの写真だ。
 マリアンネさんは最近反原発運動を写真やポスター、グッズで振り返る資料館を作った。

(金平氏)シュレイダー!?
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(マリアンネ氏)<笑>

(ナレーション)2002年に脱原発を決めたシュレイダー元首相も若いころ反原発運動に参加していたのだという。
 反原発派のシンボルとなったこの地は、やがてヴェントランド自由共和国と呼ばれ、マリアンネさんは半分冗談でそのパスポートを発行してきた。
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(マリアンネ氏)私のところに来たら、みんなに渡すわ。

(ナレーション)反原発運動の資金を集めようとマリアンネさんたちは農民たちの裸のカレンダーも制作した。
 一見ユーモラスだが、込められたメッセージは真剣そのそのものだ。
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(マリアンネ氏)万が一、ゴアレーベンで福島のように何か起こったら、私たち農家は土地も何もかも失います。裸になるのです。

(ナレーション)マリアンネさんは、ゴアレーベンが最終処分場のリストから外れるまで活動を続けるという。

(マリアンネ氏)活動を続けていて一番嬉しいのは、みんな友達、いや家族みたいになったことね。

(ナレーション)ドイツの各地で散発的に続いてきた反原発運動を全国的なネットワークで結びつけたのは、巨大な環境NGOだった。
 その一つ、グリーンピースに尋ねた。

(ハインツ・シューミタル氏)本当に大きな動きになります。一度始まれば、参加者たちは「おもしろかった」と感じてくれます。一緒に運動して、みんなで何かを動かせると実感できるのです。政治も動かせますから、これは火と同じで点火するのは難しいのですが、一度つけたら大きくなるのです。
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(ナレーション)音楽やバスツアーを用意するなど、家族で参加できるように工夫することでデモは巨大化したという。

(金平氏)デモに参加することは楽しいとか、集会に行くことが楽しいとかいうような気持ちっていうのは、なかなか抱きにくいのが実は日本人の、僕は特徴だと思ってるんですね。

(ハインツ・シューミタル氏)でも時には多くの人に危険だと訴える必要があります。一線を越えなきゃならない場合もあります。例えばもし事故の前に福島原発の柵を越えて入り、「ここは津波には耐えられない」と叫んでいたら、どう評価されたでしょう?

(ナレーション)だが、デモや抗議運動だけでは実効性が足りないとして、反原発運動は政治活動へと発展していった。
 1980年に緑の党が誕生。
 3年後には、連邦議会に議員を出す。
 結党から18年でシュレイダー政権の一角を担い、脱原発を推し進める役割を果たした。
 緑の党の現在の党首、クラウディア・ロート氏に取材を申し込むと、なんとジーンズ姿で議員会館に現れた。

(金平氏)なぜこんなに新しい政治的なスタイルを作り上げて、世界的な規模に影響力を及ぼすまでに支持を得続けてるんでしょうか?
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(ロート党首)私たちは30年以上かけて国民の信頼を得てきました。「脱原発を」と叫ぶだけでなく、再生可能エネルギーの方向に進むべきだと主張して取り組んできました。
 ここ数年の反原発デモがなぜこれほど巨大化したかといえば、もう雇用は原発産業には無いからです。
 一方、再生可能エネルギーの分野では、既に35万人分の雇用が生まれています。
 私たちは環境と経済、ecologyとeconomyを結びつけたのです。

(ナレーション)環境を重視したドイツの教育も、反原発運動を支えてきたという。

(金平氏)原発ということについて、学校の教育、或いは教育が果たすべき役割とは何だと思いますか?

(ロート党首)私たち人間は環境と経済成長、そして技術の進歩との関係を見直さなければなりません。ましてや、福島のような大災害の後では尚更です。
『みえない雲』という素晴らしい映画があります。原発事故になれば、どんな被害がもたらされるか、結果も考えずに進歩したらどんな被害がもたらされるかを教えてくれます。
 逆に、電力会社の人たちが「原発は危なくない」と安全神話を煽ってきたのは、国民に対する犯罪行為です。

(ナレーション)チェルノブイリ事故の翌年、ある小学校教師が書いた『みえない雲』。原発事故を扱った小説で150万部読まれ、映画にもなった。
 放射能で汚染された雨雲から少女が弟と逃げようとするが逃げ切れず、被曝する様子が描かれている。
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 ドイツの中学校などではこれを題材にした授業も行われているという。
 ドイツの公立小学校では原発のことをどう教えているのか。
 6年生の国語の授業で行われていたのは、環境問題を考えるカレンダーづくり。ここに原発が登場していた。

(先生)あなたたちは原発のことを考えて反対なんですね?ドイツは福島の事故にどう反応しましたか?
(男の子)まず、7基の原発を停止しました。
(先生)そして?
(男の子)2022年までにすべてを止めます。
(先生)うん。よく覚えてますね。

(ナレーション)書きあがったカレンダーを少年たちが発表した。
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(男の子)絵の上の部分は、原子力発電所です。原発はよくありません。福島のことを思いだせるように描きました。人々はわるいものを吸い込まないようマスクをしています。下には「太陽光は勇気をくれる」と書きました。太陽光と一緒によい生活ができます。緑もたくさんあって、みんなでピクニックをしています。

(ナレーション)この日は1日中、地球環境をテーマにしたプロジェクト型の授業で、最後は英語で自然を大切にしようという歌を合唱した。
 国民の環境問題への意識の高さも、ドイツの脱原発へと向かわせる重要な要素となった。
 ドイツではメディアも原発に対して長年懐疑的だった。想定外のリスクは何か、最悪の場合何が起こるのか、常に探ろうとしてきた。
 例えばこの新聞社は、福島原発の水素爆発の際には写真を1面に載せ、見だしをこう掲げた。
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『これが想定外のリスクだ』
(日刊紙taz/インゴ・アルツト記者)ソ連でもなく25年前でもありません。日本というハイテク先進国での事故でした。いつでもドイツで起こりうるのです。

(ナレーション)原発推進派だったメルケル首相が、この爆発で脱原発に一気に舵をきった。彼女の口から「これで終わった」と直接聞いたジャーナリストがいる。
(週刊誌シュピーゲル/ディルク・クルプユバイト記者)彼女は爆発でショックを受けて、これまでの自分の原発への考え方に疑問を持ちました。原発の安全性に信頼を置けなくなったのです。彼女は国民を守らなければと思いました。ドイツ人が自然の問題にとても敏感ということもあります。原発にこだわれば、選挙ですべて失うことを知っていたのです。

(ナレーション)メルケル首相と親しいトプファー元環境大臣は、彼女の心境の変化をこう解説してくれた。

(トプファー氏)メルケルは、福島の事故を新しい情報だと捉えました。これに古い答えで対応してはいけないと考えたわけですが、場合によって意見を変えるのは政治の責任だと思います。
 でも国内でものすごい批判にさらされることになりました。

(ナレーション)メルケル首相は、事故後すぐに7基の原発を停止した。しかし、それでは不十分だとして、3月26日には25万人、ドイツ史上最大の反原発デモが発生。ドイツの脱原発は重要な局面を迎える。
 その頃日本では・・・

(枝野元官房長官)20㎞から30㎞の区域では、万が一にも健康に影響を・・・

(ナレーション)日本政府は、原発から半径20㎞から30㎞圏内の住民に自主避難を要請。エネルギー政策の議論どころか、事故の対応に追われるばかりだった。
 そしてドイツでは、地方選挙でメルケル首相の予感が的中した。
 福島の原発事故から2週間後に行われたドイツの地方選挙。メルケル氏の率いるキリスト教民主同盟に代わって、大躍進したのは緑の党だった。
 メルケル首相は6月9日、連邦議会でこう発言してドイツの原子力戦争に自ら終止符を打った。

(メルケル首相)「福島の原発事故は、原子力に対する私の態度を変えました。」
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(ナレーション)ドイツの脱原発運動が成功したのは、市民運動や緑の党、教育やメディアなど様々な要素がダイナミックに作用したからだと歴史家のラートカウ氏は語る。

ヨアヒム・ラートカウ氏)ドイツの反原発運動は、精神的・政治的な孤立状態から抜け出すことができたのが大きかった。脱原発運動では、忍耐強く専門知識を得て、孤立しないように注意してネットワークを結ぶことが大切です。
 そうすれば、日本にもチャンスが来ます。
 遠くから見ると、日本は一風変わった国で、伝統に対する強い意識がありますが、一方で「変わらなければならない」という認識に至ると、とても過激な方法で変わります。明治維新もそうでしたよね。
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【VTR終了】
(竹内アナウンサー)去年17基のおよそ半数の原発を停止して、脱原発に動き出したドイツの電力事情についてなんですが、電力の輸出が盛んなヨーロッパの統計があるんですけども、7基を停止した3月以降夏までは赤字で、つまり電力輸入の方が多かったわけなんですが、秋10月から好天が続いて太陽光発電も伸びて、再び黒字になって、1年間トータルでは電力輸出のほうが多かったということなんですね。

(金平氏)よくね、ドイツは「外から買ってきたんだ」みたいな論議がありますよね。実は現実的には売ってるんですよ、今ね、外に対してね。
 それにしても、脱原発に向けたドイツの向き合い方と日本っていうのは、正反対の方向に今いっていて、日本の方は昨日もその安全委員会がストレステストの審査を認めて、後は政治判断というふうになってますけれども、どこまで向きが違うのかっていうのは、僕はとっても現地で取材して・・・非常に心に残りましたですね。

(竹内アナウンサー)ドイツと日本の違いということでいいますと、VTRでご紹介しましたドイツの公立小学校では、来年の6年生は核のゴミの中間貯蔵施設、ゴアレーベンに遠足に行くということで、日本にも同じように放射性廃棄物の問題はあるんですが、具体的にはそこまで教わらないですよね。教わるとまた意識も違ってくるんじゃないかと思いますよね。

(金平氏)まぁね、日本とドイツがどうしてこう正反対のほうに行ってしまったのか、いろんな理由あると思うんですよ。例えばチェルノブイリが陸続きだったとかね、そういうのはあると思うんですけど、3月10日の報道特集でもお伝えしたんですけども、メルケルさんが一番すごいところっていうのは、倫理委員会っていうのを招集するんですね。その中には原子力の専門家っていうのは一人も入ってなくて、
「原発の存続を決めるかどうかっていうのは、倫理の問題なんだ」
っていう、そこを持ち出したっていうのは、とっても僕はすごいことだというふうに思っていて、日本の原子力安全委員会とか保安院任せで、あとは政治判断だっていうふうにいって泰然としてるっていう状況とは全く深さが違うという印象を受けましたですね。
【以上】

失礼します。
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