※この記事は、3月8日【内容起こし】IWJ 百人百話 第52話 吉成洋拍さん『ビクビク暮らすかその日1日1日を楽しく過ごすか』【その②】の続きです。

<01:42:40頃~>
Q.計測はされたのですか?
 いや、その時にまだ、ガイガーカウンタとか持ってなかったんで、どうしようとかって・・・。
 どうも「まだ17日あたりのときは風向き次第では来るんじゃないの?」みたいな話をちょっと情報いただいてて。結果的に福島市より南相馬市のほうが全然数値が低いっていうのは、その時に現地入りして初めて知るんですけど、
「南相馬に行く前にちょっとやっぱ怖いから、最後に一服しようぜ」
とかいって、3人で車で行ったんですけど車を山に止めてタバコ吸って、ちょっとおしっことかもして、
「よし、南相馬いくぞ!」
っていって、休憩したところが飯舘村だったんですけど<苦笑>、結果的にそこのほうが実はすごかったみたいな感じで。あの日もちょっと雪、みぞれ混じりの雪が降ってて、そこも南相馬に行ったときはやっぱ飯館は高かったんですね。その後二本松市というところで放射能の測定をして、スクリーニングをしてるのが唯一そこだった、その時は二本松でやってたんで、南相馬まで行った責任というか義務で
「ちゃんとスクリーニングでちゃんと検査したほうがいいよね」
って、僕らはその足で二本松まで行ってスクリーニングしてもらうんですけど、左足だけちょっと引っ掛かって、左足の靴だけがすごい高い数値が出て、「靴脱いでください」って。飯舘村でタバコ吸った時、ちょっと左足道路ついちゃって・・・
Q.どのくらいの数値だったんですか?
 いや、数字は教えてもらえないんで、それは・・・。
 「高いです」「低いです」「大丈夫です」の世界なんで・・・
Q.購入したガイガーカウンタからはどのような情報を得られたのですか?
 多分ね、3月の末の20日以降くらいでガイガーカウンタを持ってた人ってほとんど居ない、一般の方では居ないと思うんで、やっぱりみんなで共有し合ってあちこち測ったりとか、やみくもにどの辺がどうだって全然判んないんで、測りながら・・・ほんと一種の宝探しじゃないですけど、なんか高い数値のところでテンションが皆やけに上がっちゃうみたいな、「わー!」みたいな。
 まだあの時は測り方もよく判ってなかったので、直接地面に、僕が持ってるのはガイガーというかサーベイメータでベータ線、アルファ線も一応拾うっていうやつなんですよね。その使い方もよく判らないでやってたんで、やっぱりベータ線も一緒に拾っちゃうと異常な数値が出たりとかする・・・なんかシステムよくわかんないけど、ベータ+ガンマがその数値っていうわけじゃなくて、ベータ×ガンマみたいな感じで、すごい桁違いの数値が出ちゃったりとか最初のうちは出ちゃってたので、それは後から
「間違いですよ」
みたいな指摘を受けるんですけど、その数値が一概ではないと言われるんですけど、でも普通に20、30マイクロシーベルトとかは地面のほうとかあったりとかしたし、一番高いとこだとよくわかんないですけど600とか数字が出ちゃったりとかもあって、一般の民間の軒下でですね。
 流石にそれはウソでしょ?みたいな感じで言われて、放射能の測定の研究機関の知り合いがいたんでね、その人にその土をプレゼントしたんですけど、やっぱりその数値はすごい高かったみたいな話は・・・
Q.その研究機関というのはどちらですか?
 福島市にある放射能研究所みたいなのがあるんですけど、そこでちょっとお願いして。
Q.その頃家族とはどのような話し合いをしていたのですか?
 結局僕はずっと4月末くらいまでは本気で娘と嫁を県外に出す・・・させないともう何にもできないと思ってたんですけどね、娘、実は去年の震災前、1月くらいかな。娘はそのとき3年生だったんですけど4年生になったら吹奏楽部っていう部活が始まるんですよ。吹奏楽部の入部の試験じゃないんですけど、トランペットをとにかくやりたかったんですよね。
「トランペットをやりたい!やりたい!」
って3年生の3学期の頭くらいから言ってて、
「そんなにやりたいんだったら」
っていって、マウスピースとトランペットももう買ってあげたんですよ。そしたらもう娘は1月から毎日練習してね、一生懸命練習して練習して、4月の入部の試験みたいなやつで「絶対受かる!」ってずーっと練習してたのを見てて、そんな中で大震災が起こって学校が始まるのが遅くなったんですけど、最終的には4月の中ごろくらいから学校始まるじゃないですか。
 やっぱり吹奏楽の入部の試験もあって、受かる・・・受かるんですよね。トランペットの役割を貰って、お父さんは避難させたい<苦笑>娘に
「お前、そうはいっても、避難しなかったらもしかしたら3年後5年後に病気で死んじゃうかもしれないよ?そしたらお父さん辛いから、頼むから避難してくれ」
っていうふうに僕はずっとお願いしてたんですけど、娘がそこで言った言葉が
「誰々ちゃんと誰々ちゃんと誰々ちゃんも死ぬの?」
っていうふうにクラスの仲良しの女の子の名前を言うわけですよ。
「えー、それ嫌だけど・・・」
 なんか友達の心配をしてるんですよね、うちの娘はね。
 それで、あとせっかくトランペットの、
「じゃあ私が学校をやめたらそこのトランペットのパートは誰がやるんですか?」
っていうふうに言われて、「いや、知らん・・・」みたいなね<苦笑>、皆で毎日夕方5次くらいまで、結構福島県でも有名な小学校の吹奏楽団で、多分福島県でも1本2本の指が入るところなんですよ。結構英才的に毎日5時くらいまで練習してる状況で、
「誰がそこやるんですか?」
って言われたときに、
「あぁ、もう勝てないな」
と思って、自分は娘がたかが小学校4年生の10歳って思ってるけど、娘にとってはもうコミュニティができあがってて、そこのコミュニティをこれ以上・・・散々話し合った結果ね、僕が感じたのは
「娘は仲間をすげぇ大事にしてて、これを俺が引きはがしたら放射能で体がやられる前に心が先にやられちゃうな」
と思って、それが良いか悪いかは、多分これから5年10年たっても結論出ないと思うんですけど、散々話し合った結果、
「じゃあそのかわり放射能は怖いんだから、マスクは必ずしてね。外に行くときはマスクしてよ」
とか、
「食べ物とかも絶対福島県以外のもので安全なものをパパとママで用意するから、それ以外のものは食べないようにしてよ」
「うん、気をつける」
っていう条件のもとでね、残ることにしたんです。
Q.奥さんはどのような考えを持っていたのですか?
 うちの嫁はやっぱり避難したくないほうだったんですよ。最初はね、僕も「家族3人で京都に行こう、北海道に行こう」ってちょっと言ってたんですけど、
「そうはいってもパパ、1週間で福島戻るでしょ?」
「はい・・・」
みたいな<苦笑>
「ごもっともです」
「それだったら離れて過ごすんだったら一緒に過ごす」
っていうような、もう僕にとっては殺し文句で、
「あ、そうですか」
みたいな・・・
Q.ご自身は別の道を考えていたのですか?
 自分自身は、震災、変な言い方なんですけど震災後3月11日から3月末までにかけて、人生でこんなに幸せを感じたことは無かったっていうのが正直なところ。すんごい辛い、有り得ないこといっぱいあるんですけど、僕はよく振り子に例えるんですけど、本当に辛いことがあった分、本当に当たり前だったことがありがとうだった時期っていうのがこの3月で、例えば僕が豚汁1杯出しただけで涙流して手を合わせて喜んでくれるんですよ。たかが豚汁1杯ですよ。こんなこと僕飲食やってて初めての経験だったし、本当にありがたいキャッチボールっていうのかな、感謝のキャッチボールが多分それは皆は『絆』とかいろんな表現するんでしょうけども、やっぱり現実その場所に居てね、毎日苦しいことも含めて滅茶苦茶感動して、だって電気のスイッチ入れて電気ついて抱き合って喜ぶんですから、本当にこんなに幸せだなって思えたのは3月だったし、そういう意味で・・・震災後福島から離れたくなくなったっていうくらいの気持ちですね。放射能問題でね、家族のことはあるんですよ。でも自分は今僕が福島に生まれた理由はこれだったんだっていうくらいの気持ちで、自分ができることをやろうと思ったんで、震災以降のほうが福島が大好きになりましたね。はい。
 だから、避難とか有り得ないくらいの勢いです。
Q.困っている人の助けになるということが自分の幸せということなんでしょうか?
 困ってる人に何かをしてあげたいから残るとかそういうのじゃなくて、単純にコミュニケーションのキャッチボールっていうのができやすくなったというか、多分根底のベースは辛いこと、大震災っていう原発の問題っていう辛いことにあるんでしょうけども、でもそれをきっかけにいろんな新しいことを、ホントに福島県民価値観が変わったじゃないですか。全てにおいて僕は価値観が変わったと思ってるんですよ。今までホントに当たり前だと思ってたことが全てがありがとうだったんだなっていう感謝の気持ち、感じれるようになったと思うし、お金よりも大事なものっていっぱいあるんだなっていう、そういう人との繋がりだったりとかそういうものも感じたし、逆にそれを感じたからこそ、避難する・残るっていうところで皆が苦しんだんだと思うし・・・福島良いとこだなって・・・<笑>
Q.ご自身が福島に残ると決めた時、何を判断理由にしたのですか?
 僕の心境としては、やっぱり3月4月は避難、絶対避難って思ってたし・・・家族がね。僕じゃなくて。できれば家族親族、なるべく僕の関わりある人は避難してほしいなんて思ってて、4月末に娘が残るっていうふうに決めた時に、じゃあ残るための手段っていうのを模索するようになって、もちろん週に1回山形に家を借りて、山形、ここから1時間半くらいなんでね、高速飛ばして。そっちに週に1回だけでもそこに泊まったりとかも考えたりもしたんですけど、結果的に山形とか行くんだったら、家で、家の線量はもう4月の段階で0.2とかすごい低い状況だった。自分の家の室内が0.2マイクロシーベルトとかっていう数値だったんで、それが高いか低いかは別としても、外の数値に比べたらホントに50分の1とかそのくらいの数値だったんで、家は絶対安全だろう、まぁ絶対じゃないですけども、他に比べたら安全だ。それ・・・行ったり来たりで精神的に大変な思いするんだったら、家で楽しく・・・家の中でできるものを考えたほうがいいかなみたいな感じだったんで、自分の家っていう安全な場所を確保して、ここの自分のお店なんかもやっぱり線量低い・・・でも確認はしてね、それで自分の中で残るみたいな感じなんですけど。
 でも5月は福島にどうやって残ってやるためには、やっぱり避けて通れないのは食べ物ですよね。食料はもううちは本当にうちのお店なんかは地産地消で申し訳ないけどやらせていただいて、良いか悪いか、放射能に汚染されてる・されてないは別として、福島県外のものをとるっていうことで、自分のやってるあがとっていうバーの方の食材に関しては、福島県産を使わないということで、脱地産地消で、それが良いのか悪いのか全く判らないんですけど、うちに来たら県外のもので食べていただきますっていう方針で、全ては娘のためというかね、娘がここに来て食事したらって考えた時に、安心して子供がいても一調理人なんで、やっぱりそこはすごい気を使ってやったし、やっぱりそういう意味で食料品のベクレルメータとかめちゃくちゃ欲しかった、食料品の放射性物質を測る機械・ベクレルメータとかもほしいなと思っていろいろ動いたりとかもしたし、いかに放射能と共存していけないっていうのが定説なんでしょうけど、でもやっぱりここの福島に残ってる人が居て、大事な仲間も居て、その子供たちも居て、僕は炊き出しでいろんな小っちゃい子供たちとかも3.11以降交流してきたんでね、この子たちを置いて自分たちだけ避難なんて有り得ないなという感じで・・・。
 それで残るみたいな感じなんですけど。
Q.家族で福島に残ると決めたのはいつ頃ですか?
 家族で福島に残るって決めたのは、もう5月頭くらいのGWがちょうど避難のタイミング、GWを逃すと次は夏休みまでどうしてもって感じだと思うんで、実はね、6月の9日か10日に娘がやってた吹奏楽部の福島県の大会があって、それにむけて皆猛練習をしてたので、その大会・・・僕も最初は「その大会中止してください」って言いたかったんですけど、その大会があるがために皆が避難できないような状況が実はあったりとかして。でも、皆は夢、目標に向かって頑張ってるので、それを僕一人がギャーギャー言う訳にもいかなくてね、じゃあ6月9日のその大会までは居ると。
「6月10日以降に一回話して、どこに避難するか決めようか」
っていう感じで、それを4月末くらいに
「6月10日まではその話は一切しない、そのかわり放射能に気を付けましょう」
って。それで6月10日以降の話し合いで・・・落ちというかあれなんですけど、6月9日の大会が終わったら次東北大会があるんで<笑>、どんどん続いていっちゃって結局やめれなくなったんですけど、「避難しないで吹奏楽がんばりな」みたいな。
Q.優勝したのですか?
 コンクールが二つあって、一つが駄目だったけどもう一つで東北大会かなんかに行けることになったらしくて、優勝というか入賞ですね、きっとね。なんか僕にもよくわかんないですけど。
Q.3月以降はどんな活動をされていたのですか?
 3月12日以降3月いっぱいまで炊き出しをやらせてもらうんですけども、炊き出しの需要が県外からいろんな人が炊き出しをしてくれるようになって、そちらの方にお任せみたいな。僕らは次何ができるかなっていったときに、やっぱり避難所って僕らが炊き出しをしてた避難所、あづま総合体育館っていうのは、福島市のすごい外れ、山のふもとにある体育館で、何を買いに行くにも不便なんですよ。何も買えない、お店が無いんですよ。自転車でたばこ一個買いに行くのにも体育館で自転車を無料貸し出ししてるんですけども、一個一個買いに行くのに往復1時間かかるような状況の中で、それは不便だなっていうようなので、今度は僕らは循環バスを今度走らせるボランティアで、福島の町中とあづま総合体育館をバスで30分くらい距離があるんですけど、そこを1日4周くらいするバスをボランティアで回して、避難所の方達と福島の町中の人たちの交流という形で、福島市もやっぱり震災も売り上げが落ちてたりとか、どうやって集客しようという感じのところを避難所から人を連れてきて、こっちにお金がおちてこっちの避難所の方も便利に買い物ができるっていう、その福島市民の人と海沿いの人との繋がるバスっていうのを運行を始めていくんですけど、そんな中、僕は床屋さんの専務をやってたんですけど、やっぱり炊き出しを2週間3週間続けて気づいちゃうんですよね。
「もうなんか僕は料理人だな」
みたいな。料理を提供してお客さんの喜ぶ笑顔を見るのがホントに・・・自分の使命だなというふうに気づいて、床屋・・・避難してきた人がいっぱいこっちに押し寄せて、押し寄せてって変ですけど集まってきてるんで、床屋の売り上げ、すごい良いんですよ。震災後、低料金っていうのもあるんでね、1000円でかみ切れる、シャンプーできるっていうので売り上げもいい感じで伸びてるんで、「僕居なくても大丈夫だよね」みたいな感じで、「大丈夫です」って僕は抜けて、今のここのお店で飲食というのをまた一から始めてるんですけど。
Q.弟さんに経営をまかせたとんかつ屋さんはその後どうなっているんですか?
 うちの弟がやってるとんかつ屋は、もう一切4年くらい経営はノータッチなんで、とんかつ屋で出すものに関しては、僕は一切何も言う権利も無いしね。全てうちの弟に任せてあるので、はい。僕も判らないです。
Q.新たに始めたお店の経営の方はいかがですか?
 えーっとですね、震災後ね、大混乱になって放射能っていう問題が起こった時に、やっぱり僕はすごい恐怖感を覚えたのはあったんですよね。それは何かっていったら、もう福島の町中で経営できる人が居なくなるんじゃないのかなっていうくらい、放射能の野菜の問題だったりとか、ほんとに福島っていうのはなんだか風化じゃないな、ほんとにもうぼろぼろになっちゃうんじゃないかってすごい心配して、だから、5月とかね6月の頭くらいになったら若者がどんどん首切られちゃって、もう失業者すごいことになるんじゃないかなって僕はすごい実は心配してたんですけど、実はそうじゃなくてね、福島市っていうところに限っていうと、バブルが起きたんですよね。
 これはね、原子力の対策本部っていうのが福島県庁のすぐ隣の自治会館っていうところにできたのでね、日本全国から震災後・・・行政の人が集まってきたりマスコミの人が集まってきたりとかで、もう本当に6月、7月、8月くらいまでは毎日ほんとに売り上げがすごいくらい、福島の飲食なんかは良かったと思うんですよ。全部が全部かどうかわかんないですけど、僕の知る限りでいくと、ほんとに福島市全体が盛り上がって、夜はね、「こんなに活気があるの久しぶりに見るね」くらいの勢いで、おかげさんでうちのお店なんかも前年比より売り上げちょっと良かったりとかして、前の僕がやってたお店の8席しかないお店なんですけど、そこなんか毎日満席で、必ず一組二組は東京からのマスコミさんだったりとか、あとはボランティアで滋賀県とか京都からとか姉妹提携してるんだか知らないんですけど手伝いに来てくれてる人が飲みに来てくれたりとか。
 変な話、福島は震災後風俗がやっぱすごかったらしくて、風俗バブルが一番で二番目はホテルですね。ホテルもほとんど予約とれない状態が続いてて、三番目飲食って言われてると思うんですけど、ほんとに・・・
Q.なぜ風俗が儲かったのでしょうか?
 よく言われるのは、やっぱり日本全国から警察官とか自衛隊とかの人が来たりとか、あとは放射能の研究かなんかでいろんなところからいろんな方が来るじゃないですか。そういう中で風俗で命の危機感を感じるかなんか知らないですけど、やっぱそういう知り合いもいるんですけど、「すごいわー!」みたいな話は聞きますね。
Q.県外の客さんが多かったのでしょうか?
 お客さんは県外の人だと、県外の人ですよね。やっぱりお金を落としていってくれるんで、ほんとこういうこと、多分会津の人とかが聞くとお怒りになってしまうんだろう
と思うんですけど。
Q.会津の人が怒るとはどういうことですか?
 放射能の影響とかでやっぱ会津なんかは実は東京より線量低いのに、軒並み修学旅行がキャンセルになったり旅行がキャンセルになったりとかで、前年比8割とか旅館がね、そういう・・・実際測ったら、東京より線量引くんですよね。そういうところで本当に売り上げが・・・。だから福島で健康被害だっていう人と、風評被害だっていう人に分かれると思うんですけど、やっぱり会津の人、僕は風評被害っていう単語自体はあまり好きじゃない、そこでオブラートに包むのはよろしくないと思うんですけど、ただ僕は会津の人とかは風評被害ってそこは言っていいんじゃないかなって思うんですよ。本当にわかんないですよ?放射能の影響がどういうのかわかんないですけど、僕ら、数値を測ってるんですけども、東京に居る友達より会津にいる友達の方が累積の放射能の累積数値は低いんですよ。そのくらい会津は低いんですけど・・・
Q.会津への修学旅行生はどこから来るのですか?
 会津の修学旅行、僕はちょっとよく判らない。テレビでチラッと見ただけなんですけど、やっぱり会津若松市っていうのは観光の町ですから、その観光の町が軒並みお客さんが誰も来ないっていうのは、よくメディアとかでも流れてるし、本当にみんな「大変だ、大変だ」っていう中でやってるんじゃないですかね。
Q.会津は福島から独立した方がいいという人もいますね。
 「会津県って作った方がいい」って言ってるくらい、いやでもその思いはすごくわかるし。
 同じ農家の人でもね、野菜を作ってる人と果樹をやってる人では全然違うし、僕も農業をやってないからちゃんと言えないんですけど、ただ友達がやっぱり苦しんでるのは、同じ「農家の人が苦しんでます」っていう意味の中で、今福島ではね、果樹をやってる人は買ってくれる人は日本全国の人なんですよね。桃でもリンゴでも、全部県外に出荷して利益を得るのが果樹。かたや、キュウリだったりとかそういう野菜は、なんとか地産地消でまかなえる、放射能入ってるかもわかんないけど、町で売ればちょっと安くても皆買ってくれるじゃないですか。でも果樹園の農家の人は、やっぱり桃、福島で桃を売ろうと思ってもなかなか買ってくれないんでね、全国相手にしてなんぼっていう人たちが、果樹の人はホントに今辛い思いをされてて、それがやっぱり若い、若くて元気な経営者ほど苦しんでるっていう現実はありますよね。
Q.地産地消される野菜の価格はどのくらい下がってるのですか?
 いえ、意外にそんなに下がってないのが実情っていうのは、福島産だから安く売るっていうのは、逆にマイナスだと思うし・・・安い・高いは季節によっての変動はめちゃくちゃありますけど、福島産だから安い、県外産だから高いっていうのは、そんなないと思います。
Q.食べて応援キャンペーンは農家ではなく流通業者を儲けさせているという話もありますが。
 そこまでは僕も聞いてないんですけど、ホントに桃とかでいえばいくら値を下げても売れないっていうのが僕は桃農家の人知り合いにいるんですけど、例えば東京でこの間、これは実話ですけど東京で福島応援フェアっていうのがあって、桃農家さんみんなで行って、お客さんが来てくれて「頑張ってね、頑張ってね」って飛ぶように桃が売れました。
「みんな応援してくれてありがたい」
と思って帰ったら、帰り店のゴミ箱に全部捨ててあったっていう話を聞くと、
「俺たちは桃を金がほしくてやってんじゃないんだ。福島の桃は安全だって検査までして売ってるのに、それをPRしたいのに、「がんばって」っつって桃を全部捨てていくっていうのはどういうことなんだ!?」
って怒り狂ってる人もいましたけど。
 みんな買ってくれるけど食べないで捨てるっていうのが、「食べても安全だから」っていう検査をしてPRのイベントだったらしいんですけど、そういうギャップがまだあるみたい・・・。いや、「切ない話だね」っていう話はしてたんですけど。
Q.他に何か変化はありましたか?
 あとは石巻とか宮城とかにボランティアに行った方が、
「1泊くらい福島泊まってもいいだろう」
みたいな感じで福島の様子を見に来てくれて、そこでお金を落としてくれて、そういうものありがたいことだし、やっぱり福島復興に必要なのっていったら、やっぱりお金が回ることだと思うんでね・・・。
 意外って、そうですね・・・。
 僕、震災後1番意外だったのは、やっぱり避難してきた人が全員脱原発を唱えるのかなと思ったらそうじゃなくてね、原発に携わってる人なんかは、
「早くあっち戻って仕事してぇな」
なんていう人とか、
「あそこでまた食堂やりてぇ」
とかね・・・。その原発を容認してるのが結構意外。これ意外でしたけどもね。
Q.原発を容認している人の話はどこでお聞きになったのですか?
 僕ね、炊き出しでいつも仲良しなおじいちゃんがいて、その人がたまたまテレビに出ててね、インタビューを受けてて、そのおじいちゃんは浪江からきたおじいちゃんで、炊き出しを通して避難所のおじいちゃんと知り合い仲良くなったんですけど、そのおじいちゃんがたまたまある日テレビに出てインタビューを受けてる時に、
「おじいちゃん、出てる!」
とか思ってね。したら、
「いやー。早く原発直って帰りてぇな」
みたいなの言ってるんですよ。「えぇ!?」とかって。
 散々こんなに苦労してるのに、脱原発じゃないの?みたいな。
 その時初めて、
「あ、そうなんだ。いろんな考えの人がいるんだな」
っていうのがすごい初めて感じさせてもらったし・・・。結構話をよく聞くとね、
「やっぱり放射能は怖いけど、地元に戻りたいし、地元に戻ったらやることないから、原発で働きたいな」
みたいなね。
「父ちゃんに原発で働いてもらわないと困るんだ」
みたいな人もいたし・・・、それは自分の無知をすごい感じましたね。
Q.放射能の危険性を知った上で、今ご自身はどのような考えをお持ちですか?
 ぶっちゃけ言うと、いま全然僕は放射能気にしてないっていうのが結論かな・・・。判んないものに対して、怯えたくもないし。いやね、5年間放射能のことで悩んだら事故で死んだとかなんかそんな感じ・・・いやちょっと違うな。
 でもなんかホントに、今放射能全然気にしてないですね。
Q.なぜ気にしていないのですか?
 気にしなくなった理由っていうのは、未だに実は数値的には僕はよくわかってないですけども、あの当時24マイクロ、25マイクロシーベルト/時っていうのを過ごして、現実そこで過ごしちゃったわけじゃないですか。今更その100分の1を減らすのにストレス抱えるんだったら、僕は休みの日とかは家族連れてちょっと敢えて県外に一泊しなくても日帰りで県外に行ったりとか、ちょこっとずつはやりますけど、今の数値を見る限り、あとは空間・・・線量だけじゃなくて、放射能物質が浮遊してるかしてないかっていうのを見た時に、そんなに浮遊してないしね。
Q.どの位の数値なんですか?
 最近、福島市内だと0.8マイクロシーベルトとかなんですか。1を切った値で。
 ちょっと前までは「10マイクロシーベルト切った」とかって皆で手を挙げて喜んでたけど、今思うと「10!?」とか思っちゃいますけどもね。多分この数値はもうそんなに下がんなくて、あとは30年くらいはこの0.6高0.8なのかわかんないですけど、ずーっとそこを維持していくと思うんで、結構いろんなところを測るんですけど、東京でも0.3とか0.2とかあったりとか・・・、どこ行っても数値だんだん同じになってきたなみたいな感じなんで。
 ただ食料だけは自分で選択するっていうものがあると思うんですけど、場所に居る限りは、もう全然・・・「1マイクロシーベルトを切ってる場所ならいいかな」みたいな勝手な僕のイメージができちゃってますね。
Q.いつ頃からそのように思い始めたのですか?
 あんまり放射能、放射能言わなくなったのは、やっぱり気にしなくなったのは、去年の10月、11月くらいですかね、秋くらいですかね。そこからは、
「どうせ同じ被曝するんだったら、気にしないほうがいいや」
みたいな。思ったのは去年の秋くらいですね。
 僕、震災後ね、放射能の問題とか大震災の影響とかある・・・今もそういう爪痕とかは残ってたりとか放射能の問題なんかは、今終わったわけじゃなくてこれからいろんなことが出てくるんでしょうけど、僕がじゃあ何ができるのかなって言ったら、ホント微力なんですけども、でも福島のために何かするのが僕の使命だと思ってるし、過去悪かった分、ここぞとばかりに恩返しというか、過去の清算じゃないですけどね<苦笑>、福島のために何ができるのかなみたいな。ましてや、福島に住んでる仲間といろんなことを作っていきたいと思うし、これからやっぱりもしかすると福島っていうのは、世界中から同情される町に見られてるかもしれないんだけど、これから僕らがやる使命っていうのは、『福島を憧れの町に変えること』だなっていうふうに思ってるんですよね。
「福島に行きたいな」とか、「福島楽しそうだな」とかって日本中、世界中の人から思ってもらえるような町を作っていって、それが放射能とどうかかわってくるのか判らないですけども、とにかくここに残ると決めたんで、後は福島を楽しい未来の子供たちの未来を明るく描けるように、そういう健康面とかも両立していかなきゃですけど、僕らができることっていったら、なんかそういう横のつながりだったり、人と人とのコミュニケーションだったりとか、そういうつながりをどんどん作っていて、ほんとに福島・・・今福島県人にしか言えないことっていっぱいあると思うんですよ。どんなに偉い先生でも、福島県の県人の人にしか伝えられないこととかあると思うんで、そういうものを、ホントに・・・「ありがとう」とかそういう感謝の気持ちだったりとか・・・なんかなぁ・・・。そういうものを伝えていけたらなっていうふうに思うんですよね。
 この間、ラジオの番組である中学生が全然知らない中学生なんですけどラジオに出てて、
「今の福島の大人たちって、なんか違うと思うんですよ」
ってなんか中学生が言うんですよね。
「なんなんだこれ?」
と僕は思ってボリュームを上げて聞くんですけど、
「3.11の震災後にまずは亡くなった人もいるし、いろんな思いをした人がいるんだから、生かされてることにまずは感謝したほうがいいですよね」
っていうような話で、
「その上で次、感謝した上で次っていけばいいと思うんだけど」
って中学3年生の男の子がそんなこと言ってて、
「あー、そうだよな」
ってなんか生かされてる、これからじゃあどういうふうに福島を楽しい街にしていくの?明るく元気な街にしていくの?って考えたら、やっぱり子供たちの夢とか応援しなきゃいけないし、やっぱりそれを僕らがどういうふうに応援していけるかっていうのをこれからやっていかなきゃいけないと思うし、そのためには僕はもう明るく前向きにどんと構えてて、いろんな相談とか夢とかあったら、僕はそれを応援するのが僕の使命だなと思ってるんで。
Q.原発についてはどのように考えていますか?
 僕はね、正直原発はわからないです。あったらいいのかないほうがいいのか、正直判らないし、今まで原発があったおかげでできてた生活も多分あるんだろうし、「放射能が絶対漏れない」っていう安全神話から、「放射能は漏れても大丈夫」っていう安心神話に変わっちゃって、価値観はいろいろ変わったんでしょうけど、じゃあ今後ね、日本の未来、日本がこれから進んでいく方向で原発があったほうがいいのか、ないほうがいいのかっていうのは、正直僕にはわからないですし・・・ほんとわかんないです。
Q.電力が不足すると言われることについてはどうお考えですか?
 国とか電力会社さんとかでいう「原発がないと電力がまかなえない」っていうあれは、僕はそうじゃないと思ってるんですよ。ただ、僕が言ってる原発が必要か必要じゃないかっていうのは、ホントに利権がらみの話で儲ける人がいる・いないの話。でも、調べるとね、
「原発が今稼働してないから日本の貿易が赤字になってるんです」
とか言われても、ぼくさっぱりわかんないんで、
「あ、そうなんですか」
っていう話じゃないですか。
 ただ、原発が無いと日本の電力がまかなえないっていうんであれば、もっとエコなことやればいいと思う。その辺でいくとね、田中優さんとかも僕、脱原発でいろんな講演会とか田中優さんなんかとも何回かお話したりとか、武田先生とかとお話したこともあるんですけど、必要ない・・・電力が欲しいから原発がほしいっていうのは、いやそうじゃないんじゃないかなって思うんですよ。
 でも、じゃあ明日から無くせっていったら無くなんないわけだし、そこのスライドに対しては多分今国民全員がそこを議論してることであって、僕はわからないです。ただ僕にできるのは福島を風評被害だか健康被害だかわからないですけど、福島を憧れの町に変えたいなってそこの想いだけですので。
Q.東北電力を使用する福島に東京電力の原発は必要があるでしょうか?
 お店でよくいう東京の人とかも来て、
「なんで東京の電気を福島で作ってて、今回こんな事故があって福島の人が苦しまなきゃいけないの?」
っていう議論にたまになるんですけど、僕はそうは・・・別にたまたま福島にあったっていうだけで、別に東京の人の電気だから、そういう憤りとかそういうのは全然全く無いし、言ってみれば東電の人だからって多分キライになんないですよね。ただ、東電の幹部の人はまた別かもしれないですけど、ウソをついてる根源なのかなんか知らないですけど、社員さんはホントに日本を救ったヒーローくらいに思ってますし、ホント、東電の社員にも感謝だし、別に東京電力が福島になんであるの?っていう怒りは僕の中には全然ないです。
Q.そのポジティブな考えはどこからくるのだと思いますか?
 結論からホントいうと、福島好きなんだもんとしか言いようがないんですよね。
「じゃああなたは何のためにそれするんですか?」
っていったら、
「福島好きだから」
としか言いようがないし、ましてやそこに大好きな仲間がいて、大好きなコミュニティがあって、その人たちと夢語ったらほんと面白いですから、福島っていうだけでなんでも夢が・・・なんでもじゃないですけど、叶っちゃうじゃないですか。震災が起こったことによって福島っていうのが注目されて、福島県人だからっていうので、ちょっとした僕らのわがまま・・・わがままというか思いが、ちょっと思いを描いて熱く語ったら、今まで動いてくれない人が動いてくれたりとか、今日のこの出会いとかもそうですよね。ホントだったらお会いできないような方ともお話できたりとか、そういのがやっぱりあるし、福島は楽しいし、ほんと福島大好きっていう・・・その集団が今残ってるのかなとしか僕は思ってないんで、逆に「今日、まだ悩んでる人いるんだ?」っていうくらいに、逆に思っちゃったくらいで。
Q.最後にご自身にとってふるさととはどのようなものですか?
 ふるさと、まぁ福島・・・ふるさと。ほんと大好きな場所だし、それは放射能とかあんまり関係なくて、汚染されてようが汚れてようが、我が家は我が家だし、じゃあ我が家をきれいにはしようと思いますけど、汚いから家から次の家っていうのは僕の中では解釈的にはいかないし、震災が起こったからこそふるさと大好きになった面もあるし、それは最初に話した僕がアメリカ行って外に出たからこそ、自分の足元がすごい好きになったっていうのと、多分同じ振り子のような気がして。震災があったからこそ、福島大好き。放射能もしかしたらこれは誤解を生むかもしれないけど、放射能が漏れたからこそ今のこの感情っていうので僕らは今こそ何かをやらないとっていう気持ちにさせられてるのかもしれないし、なんか、僕の中では良いことも悪いことも、起こったこと全てに感謝するっていうのが僕の根底にあるんでね。
 ほんと福島、故郷大好きです!としか言いようがないですね。はい。
【以上】


失礼します。
にほんブログ村 環境ブログ 原発・放射能へ
にほんブログ村

人気ブログランキング