※この記事は、百人百話シリーズの第51話です。前回は3月6日【内容起こし】IWJ百人百話 第50話 佐久間理江さん(渡利地区在住)『大事なのは量とバランス、自己免疫力』です。

【動画】3月7日 百人百話 第五十一話 タエバさん(仮名)
http://www.ustream.tv/recorded/20939158 (45:19)

【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2012年1月21日収録
Q.自己紹介をお願いします。
 はじめまして。
 仮名で大変申し訳ありません。
 私はもともと福島県医科大学病院で働いていた内科関係、そういったところで仕事をしていましたけども、諸事情がありまして辞めました。
 医大にいた年月はとても短いですけれども、今私が思っていること、感じていることをお伝えしたいと思いまして、それで仮名だということで話させていただきます。

Q.2011年3月11日震災当日
 3.11のときには、ちょうど病院のほうで診察をいろいろやる準備、その当時はもう既に辞めていたんですけど、その時は呼ばれていたのでその先輩の手伝いをしていて、突然グラッと大きな揺れが来まして、とりあえず患者さんを安全な場所に逃がすこと、もちろん点滴、そういった方々達もまず酷い状態にならないようにするということだけ、とりあえず皆そのことに必死になっていましたし、あとからこれは知った話なんですけど、手術をしていた先輩の方が停電になっちゃって、わかんなくなっちゃって、それで非常用電源に切り替わって、それで「とりあえず皆落ち着いて」っていう話になったんだっていうことは聞きました。
 パニックっていうのは誰もが経験したことがない大きな揺れでしたし、当然看護師の方々はみんな・・・みんなっていうわけではないんですけど、女性の方ばかりですので、やはり「キャー」っていう方もいれば、涙流しながら必死に患者さんの支えになっている方もいましたし、その中でやはりみんなそれぞれできることをやったのもありますので、やはりその中でも看護師長とか当時休みだった主治医の先生とかにも連絡がつかないっていうケースもありましたので。
 特に一番記憶に残ってるのが、小さいお子さんを連れてた患者さんなんですよ。妊婦さんにしてもそうなんですけど、妊婦さんであれば転んでしまったはずみで破水してしまったりとか、医大の中で私自身がそれを現場で見たっていう訳じゃないですけど、病院の専用の電話で、結局人手が足りないものですから、あちこちあちこち電話が飛び交ってる状態の中で、「あっち行けこっち行け」って上の人から指令をされたりとか、とりあえず「けが人はけが人で集めてやってくれ」っていうふうに指示をその当時出されていましたね。
 そして揺れが落ち着いて、それからまた病院戻りますよね。病院戻って散らかったのを片づける人とか患者さんとか入院してる方々の不安を取り除く努力を皆で一生懸命やってあげてはいたんですけど、夕方くらいになるとまた大きな余震がありまして、その時にやっぱり怖いっていう話もありますし、入院してる方々でも
「余震が怖くて寝られないから、退院して別の病院に行きたい」
という方々もいらっしゃいました。
 福島県立医科大学病院が福島県内で一番大きな病院で、医科大学もあれば看護学部もありますし、いってみれば福島県内で唯一の医療人を育てる専門学校であって。
Q.搬送されてくる人はどこから?
 搬送されてきた人たちっていうのは、ほとんどその医大近辺に住んでる方々ですとか、福島市内でもそうですね・・・かなり大きな傷をもって怪我をしていらっしゃる患者さんとかが運ばれて来たりとかありました。
 あとは浜通りは浜通りで、あとは中通りは中通り、会津のほうは会津の方でいろいろやっていたんですけど、最終的に集まるのが福島県立の医大病院だったので、医大の中でももちろん東電の社員の方々とかも運ばれてきましたし、その時に自衛隊のヘリで確か運ばれてきた方が多かったと思いますね。
 やはり戦場っていう感じなので、映画で廊下でも手術するようなっていう、そこまでは無かったですけども、簡単に傷口を縫ったりとかっていうのはありました。
 診察室っていうのは普通のけがだとか上から落っこちてきて顔面にあたったという方々も結構多かったですし、医大近辺に住んでる方々は、ほとんどが高齢者が多いんですよ。なのでその高齢者の方々が、やはり地震の影響で怪我をして骨折しただとか、或いは車の運転中にびっくりして単独事故みたいな、多分そういう感じだと思うんですけど、そういうふうな形で病院のほうに運ばれてきたりとか。
 本当にみんなが休む暇なくやってる状態ですし、スタッフ自体薬剤師の方から医療品の方から、全員猫の手も足りないくらい忙しい、ホントに。
Q.原発について
 原発の1号機の爆発の映像を見た瞬間に、それが私が帰宅してからなんですけども、帰宅して、
「これはとんでもないことになるんじゃないかな」
と思いましたし、当時、医大の方のところでも県のほうでも、
「原発のほうは今までいろんなことがあったけれど爆発もしなかったし、仮に爆発したとしてもこっちの方まで放射能は来ないんじゃないか」
っていうふうに私も一番最初思ってはいたんですけども、万が一風向きとか或いは飛んではいけないものが飛んで来たりする可能性とか、様々なことが頭をよぎりましたので、正直言って数日間眠れなかったですよね。
 政府の方でもSPEEDIの公表が3月の23日ですか、正式に出たのが。県の方でも災害対策本部の方には送っていたのに、県の方でも受け取っていないし、医大の方でもそういったデータは出てなかったですし。
 その中でヨウ素剤のことに関しても、福島市に関しては配りなさいとかそういったものは何もなくて、福島市医師会の方から
「こういったことになってるので、こういった手続きをとって患者さんたちを安心させてください」
というFAXが送られてきてたんですよ。
 あの時一番最初に医師会から送られてきたFAXの中に放射能に対しての提言とかそういったもの、様々なことが書かれてはいたんですけれども、結局その当時ガイガーカウンタとかシンチレーションカウンタ、一般の人はその当時は持ってる人って極本当にわずかな方だけでしたので、もちろん教授の先生方もシンチレーションカウンタとか持ち出して、どれくらいこの服にはついてるとかっていうのは調べてたっていうのは見たことがあったんですけども。
 やはりここの福島市・・・ご存じだと思うんですけど、福島県では200万人住んでいますし、子供たちだけで36万人いるわけでして、今子供たちも徐々に増えて、新しい命も生まれていて増えたり減ったりっていうのはありますが、その中でもし万が一、ここの福島市のほうに放射能が降ってきた場合、一体どういうふうになるんだろうということで、私もそんなに???の話そんなに得意ではないんですが、自分なりにいろいろ様々な過去のチェルノブイリですとかスリーマイルの時ですとか、あとJCO臨界ですね。そしてあと、肥田先生の書いた書籍、たまたま目に止まったのでそれを読んだりとかしまして、自分にその当時足りないもの、そういったものを自分なりに吸収していったっていうそういう感じなんですけども。それでもやはり、もともと放射線関係、医療の医学について学んでる先生とは全然知識が及ばないので、判らないものは判らないとしか言いようがないので、いろいろ助言を受けたりとか、あとは知ってる先生になかなか連絡、もちろん携帯の方はあの当時震災でストップしていたのでなかなかつながらなかったので、友達の家に行ってスカイプで連絡をとって、それでそのスカイプを通して・・・
「100mSv浴びたらとにかく危険だよ」
っていう言葉を言われたりしたんですけども、それは東京に住んでいる私の友人なんですけども、その方は今東京の方から北九州だったかな、そっちのほうに引っ越ししてるんですけども、その当時そういう話を聞いて、3月17日か18日に山下先生と長崎大学の副学長の方がここの医大に来られて、その時に山下先生がいろいろ
「100mSvまで安全だよ」
っていう話を病院の中でしたことがあったっていうふうに、先輩からは聞いてはいるんですけども、それが19日の外国人記者会見かな、それから福島テルサでの21日か22日の講演会で市民向けで「100mSvまで安全だ」っていう話があったので・・・、普通の先生は普通の先生っていうか、山下先生のことを当時は救世主みたいな感じにあがめてた先生も中にはいらっしゃったみたいなんで、そのほかにはチェルノブイリとか様々な研究をされてた方もいるのに、「なんで長崎大の山下先生じゃないといけないのかな?」っていうちょっとした疑問が私の中であったんですけども。
 そうこうしてるうちに、広島大学の神谷先生とか山下先生の下の高村先生ですとか、いろいろあちこちで発言をされて、結果的には飯舘にしても高村先生や山下先生の発言によって避難が遅れてしまって、本来だったらここの福島市にしても、私の中では安定ヨウ素剤が配布されるべきじゃなかったのかなと。副作用は出るかもしれないんですが、飲んでおいて損はないんじゃないかなと思ったんです。
 4月か5月くらいに福島市役所の方に行きまして、安定ヨウ素剤の件についていろいろお話をしてきたことがあるんですけども、結果的には「県の方の指示がないとそれは送れない」と、「送れない」っていうか病院のほうには配ったりとかできない、或いは万が一でも安定ヨウ素剤に関して処方箋が無いと患者さんに渡しちゃいけない。もちろん住民には『安定ヨウ素剤』っていう言葉すら当時は無かったですし、官房長官、枝野官房長官が
「直ちに影響はありません」
っていう言葉しか繰り返しておりませんでしたし、一番情報がいってなかったのが災害弱者って言われている年配の寝たきりの高齢者ですとか、身体的な障害を持っている障害者、目が見えない方とか耳が聞こえない方。
Q.福島県立医科大の副学長に就任した山下俊一教授について
 正直、一番最初は「おだやかな先生だな」っていう印象は受けたんですけども、日が経つにつれて、その発言が変わっていって、特に5月二本松で講演会があったときには、
「私の孫を連れてきて、皆さんのお子さんと同じように公園とかで遊ばせます」
というふうに父母さんと約束して話をしたみたいだったんですね。実際にそれをやってるのかな?って思ったら、それは誰も確認してないことなんですけども、多分まだやってないんじゃないかなと私は思うんですけど。
 普通、山下先生みたいにいろんな研究されてる先生だったら、今の総理みたいにいろいろ発言がぶれたりとかしないと思うんですよ。医師向けの勉強会とかでも、市民向けの講演会で話した内容と医師向けに話した内容とでは全く全然違ったりしますし。
 市民向けのほうでは、放射能について判りやすく尚且つ不安がらせないようにっていう、そういう感じで説明はしてはいるんですけども、医師向けっていうふうになると、実は山下先生が言うには、
「チェルノブイリでは様々な研究をしてきて、今すぐ健康被害が出るとかそういったものは無い。ただ考えられるとすれば、やはりどれだけセシウムとかヨウ素とかを取り込んだ期間、要は被曝した期間が長いか短いかによってデータが変わってくる」
という話は聞いたんですけれども、私は一回しか参加してなかったのでその後どういう話をしたのかっていうのは判らなかったんですけど。
 内部の方でどういうふうになってたのかっていうのは、詳細まで私の方はわかりませんけども、確かに山下先生が、或いは神谷先生、高村先生が入って来られて、雰囲気が一気におかしくなったというか、前と違う感じになったというのは、これはみんな感じてると思います。
Q.辞めていかれる方はどのように思われていたのでしょうか?
 結局若い先生方っていうのは、ベテランの先生たちと比べると経験も浅いですし、そんなに「こんなの違う」なんてことは言えませんし、逆にどうなのかっていうふうに考えて、そこから放射能について山下先生の論文を読んで、学び取っていく方々もいますし、
「もともとこれはこういう考えは持っていない。俺はついていけない。」
或いは、独自で測定した結果、あの頃まだ何十万っていう金額はしてたと思うんですけど、ガイガーカウンタとかシンチレーションカウンタで自宅の周りとか或いは自分の職場の回りとか測って、
「このままじゃ身体がもたない」
とか、そういう中で精神的に追い詰められたっていう先生も当然中にはいらっしゃるんじゃないかなと思いますし、もちろん家族の方も含めて、福島にこのままいると危険だから、福島からどこか西の方、あるいは遠く離れた沖縄ですとか或いは北海道とかそういったところに行かれた方も中には、私の知らないかない居るとは思うんですけども。
 その中で今いる方々がどんな思いでやってるのかっていわれると・・・、恐らくかなり我慢しながらやってる先生が多いんじゃないかなと思います。
 福島大学にJAEAが入ってきてますし、それに伴って医大の方でも長崎大学、広島大学の研究の人たちも入ってきてますし、完全にもう自治体がやってる県民健康管理とかそういったものも含めて、自分たちのデータ取りみたいな・・・。
Q.医師として、福島はどのくらい危険だとお考えですか?
 はっきり言えば、私の中では妊婦さんはじめ子供たち、全ての人たちに言えることなんですけど、非常に危険な状態だと私は思います。
 チェルノブイリでいえば、30㎞入口のところで検問ありますよね。あそこあたりで確か0.98とか1マイクロくらいだと思うんですけども、確かテレビでそれくらいだったような気がするんですけど、もし間違ってたら申し訳ないんですけど。
 そういったことも考えると、ここの福島市民は事故後約11か月・・・結構経ちますけれども、その中でかなりの子供たちにしても妊婦さんにしても浴びてるわけですし、ましてや母乳を検査するっていうこと自体、そこに住めないっていうふうに考えてもいいんじゃないかなと私は思うんですよ。
 安全な場所で子供たちを生むっていう場合だったら、やっぱり京都大学の小出先生が言うように西のほうとかに逃げろと、避難と同じように、やっぱり遠くの方に逃げないといけないと思うんですね。
Q.健康被害について
 私が聞いた中では、3.11から11か月の間の中では、鼻血の件に関して救急車で運ばれてきたっていうのは1人だけなんですよ。そのほかは大体緊急電話、ツイッターなどで「こういうふうになってるんだけど」っていうことくらいしか聞いてませんし、でも3.11以降確かにそういったものは非常に多い。
 考えられるとすれば、小さな子供たち、通常私たちよりも感受性が2倍から5倍ほど高いですから、子供たちがもしかしたら20歳くらいになるくらいの間に、そういった疾患を持つようになる可能性も十分高いんじゃないかなと。その中身っていいますか原因っていいますか、爆発以後に適切な処置ができていなかったことがあげられると思うんです。それは間違いなく政府のミスであって、然るべき処置をとらなかった市長はじめ県知事のそれは責任になるとは思うんです。もちろん医大とかそういった病院っていうのは、患者さんの命を守るためにとりあえず精一杯のことはいろいろしてきたつもりでありますけども、その中でやはり一番重要なデータを流してもらわなかったっていうのが一番ここの福島市にとって、福島県にとってもそうなんですけど、一番つらい部分であって、今の子供たちに非常に申し訳ないって、そういう思いがあります。
Q.新型うつ病について
 新型うつ病が増えているということだけは聞いてますけど、症状は今までのうつ病とそんなに変わりませんし、仕事のやる気が無いとかっていうのは、それはあるんですけど、常に倦怠感、だるさ、基本的にうつ病に関しても確かに薬とかそういったものは取り扱っていましたけど、基本的には精神科の領域になるんですよね。なので、私は福島市内の方の精神科ってたくさんあるんですけども、ある先生に話を聞いた時に、
「原発のことが僕らに言われたってわからない。確かに大学時代とか判るとは思うけど、勉強したけども、それくらいのことしかわかんない。だから、精神科のところでそういうふうにいろいろ言われたとしても、不安がらせないようにするしか方法が無い」
っていうふうに話した方がいるんですけども、やっぱり判らないことに対して、なかなかはっきり言えないので、それはどの業界でも同じだと思うんですけど、プロ野球とかにしてもサッカーにしてもなんでもそうだと思いますし。
 それで、聞いた話ではこういった感じだって話すことはできますけど、詳細について聞かれると、正直自分の中では精神科の領域になるんではないのかなと思うんですけども。だから精神科の先生からすれば、
「原発関係のことは因果関係があるかはわからない、わからないけど・・・」
 『わからない「けど」』っていうところがすごく引っ掛かってるんですよね。なので、原発から由来してるものなのか、それとも心的ストレスが溜まってきて、それによって寄与されたものなのかっていうのが、そこのところはもう少し時間が経たないと判らないんじゃないかなと思います。
【以上】

失礼します。
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