※この記事は、百人百話シリーズの第50話です。3月5日【内容起こし】IWJ 百人百話 第49話 布施大輔さん『郡山で生まれ育って』【前半】に関連しています。

【動画】3月6日 百人百話 第五十話 佐久間理江さん 
http://www.ustream.tv/recorded/20919686 (61:41)


【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2012年1月22日収録
Q.自己紹介をお願いします。
 福島県の渡利に住んでいる佐久間理江と申します。34歳です。
 主人と小学校2年生の男の子、あと幼稚園の5歳の男の子、あとこの子が1歳8か月の娘の5人家族で、主人は今会津に単身赴任をしてるので、週末しか帰ってこないんですけど。
 私は養護学校の教諭をやっていまして、主人は中学校の教諭をやっております。

 専門科目は夫婦ともに理科です。
 私の住んでいるところは、渡利でも県庁の川を挟んですぐ向かい側のところにありまs。生まれ育ったところは県庁のすぐ隣の中町というところで、今住んでいる渡利の自宅から歩いて10分くらいのところです。
 私は、県庁のすぐ前にある学区内の福島市立福島第一小学校と、その後は福島第一中学校、あとは今は橘高校に変わったんですけれども、福島女子高校、大学の方も福島大学というずーっと福島の学校の方を出ております。
 大学を卒業した後もそのまま就職したので、結局県外に出ることは一度もありませんでした。
 高校の時にやはり県外の大学に行く友達がたくさん居たんですけど、確かに県外で一人暮らししてみたいなとか、県外に就職したいなっていう気持ちもあったんですけど、ホントに私・・・<笑>性格そのままなんですけど、めんどくさがりなんですよ。それで、生活をガラッと変えるっていうことがまず面倒くさい<笑>。あと、一人で全部をやるっていうことがめんどうくさい。そうなるとやっぱり身近に友達とか家族とかがいて、何かの時には頼れるとか、あと見知ったところでいつでもすぐなんでも好きなようにできるっていうことが、やっぱり考えると福島県内に住んでいたいなっていうのがありました。
 結婚は、ちょうど9年前になるかと思います。はい。
 25歳の時でした。主人を同じ福島大学で理科を専攻してたので、授業とかが一緒だったので、よく友達として遊んでいました。それでそうですね、趣味や考え方が価値観がとても近かったので、意気投合して結婚しました。
 非常におおらかで楽しく、あとちゃんと真面目に生きてればいいよねっていうようなところが同じだったこと。後は協力してなんでもやっていこうねっていうところが特に私は見てのとおりアトピー持ちで、とてもあまり体が丈夫な方ではなかったので、やはりこれから夫婦生活、家族で暮らしていくにあたって、やっぱり主人と協力して家事や育児をやっていけたらいいなと思っていたので、そういう主人と結婚で来て良かったなと思っています。
 主人はちょうど郡山市の東隣になると思うんですけど、田村市の船引町出身です。
Q.福島県民の特徴はなんですか?
 福島県民はどういう感じかというのはあまり考えたことはないんですけども、そうですね、私が個人的なことかもしれないですけど、福島県のどこまでで使われてるか判らないですけど「さすけねぇ」っていう言葉があるんですね。これはいろんな意味があって、差支えない、どってことないとかどっていうこともないとか、そういうような感じで「さすけね、さすけね」って。だからちょっとした失敗とかそういうことは、「まぁ大丈夫、誰でもあることさ」みたいな感じで使われるようなところがあって、今は若い人とかも多くなって「さすけねぇ」っていう言葉はあんまり使わないんですけど、おじいちゃん、おばあちゃんとかはよく「さすけねぇ」って。
「あー、ごめんね。おばあちゃん、これ忘れちゃった」
って言っても、
「さすけねぇ、さすけねぇ」
っていうのは、私が小さいころ、特に私が生まれ育った中町の町内は、もう皆さんお亡くなりになったんですけど、私の近所はみんなおじいちゃんおばあちゃんばっかりで、本当に町内の人たちに育てられたんですけども、やっぱりその時の口癖がやっぱり「さすけねぇ」だったんですね。
 やっぱりそういうふうなおおらかさがあるのかなって私個人的には思います。
 主人のおおらかさは確かにその「さすけねぇ」っていうところが大きいような気はします。それがあるから、私も気楽に一緒にやっていけるところがあるなと思います。
 ただ、私もそうですし、主人もそうですけど、こだわるところはこだわるので、譲れないところは譲れないので。ただ、お互い「さすけねぇ」の範囲が70%~80%なのでお互いぶつからずにやっていけるのかなと今振り返るとそう思います<笑>。
Q.ご職業について
 福島県の教員として採用されたので、県内の養護学校が勤務でした。初任も郡山にある養護学校でした。私も主人も福島大学の教育学部です。ただ、確かに同じ理科なんですけど、主人のほうは中学校・高校課程の理科で、化学が一番得意なんですけども、多分卒論は地学で書いてたような気がします。
 私は、理科といっても養護学校教員養成課の理科で、卒論は障害時教育学で書きました。ただ理科でも私は地学が専門と言っていますが、本当どちらかというと地学しかできないというところが正直なところかもしれません。
Q.地学と地震について
 今回の3月の大地震の時には、やはり地学の地質の地震の知識がある程度あったので、本当に起こった時にはもうやはり怖かったですね。あれほどの大きな地震が内陸部の福島市でもあれほど大きな揺れがあったということは、もう本当に地震の震源地周辺はもっとすごいことになってるだろうし、一番はやはり津波が恐ろしいなって思いました。やはりちょうど運よくこの福島市の渡利の方は停電が無かったので、子供たちを学校に迎えに行って帰ってきて、ちょうど地震から1時間後くらいだったと思います。NHKを付けたときに津波の映像が流れた時には、本当にやっぱり怖かったですし、あと地震の規模を表すマグニチュードが8.8って最初報道、発表があったんですけど、それが9.0になたっときに・・・もう本当にその0.2マグニチュード大きくなったっていうのが、本当に・・・恐ろしさを感じました。
 マグニチュードっていうのは、マグニチュードが1違うと約30倍違います。0.2ですと、すいません、私あれ?計算がすっかり忘れたんですけど、ちょっとここはもしあれだったら後でしていただきたいんですけど、多分2倍か3倍くらい変わってくるのかな?2×2×2×2×2が・・・2倍くらいまでは変わらないかな?とにかく2倍までは変わらないですけれども、大きく変わってくるのでそれを考えたらやっぱり0.2違うっていうのは、やっぱりすごいエネルギーとしては大きいんだろうなということで、後から計算してみてとても驚いてたんですけど。
Q.地震の被害はどのくらいでしたか? 
 福島市渡利でのこの私の住んでいるところは、幸い県庁のほうは停電があってやっぱり停電があったので大変だったようなんですけど、こちらは停電だけはなかったんですね。なので、水道が出なかっただけで普通に生活すればある程度自宅で生活することは可能でした。ただ、水が無かったので給水車へ水をとりに行ったり、あとは近くに井戸があるお家があったので、そこで井戸水をいただいたりして、どうにか1週間ほど生活しました。
 震災の後は水が出るまでも、あと出てからも、それからは全く避難することはなく過ごしておりました。
 ただ、やはり原発事故がありましたので、やはりいざとなったら主人のいる会津若松に行かなければいけないかなとは考えておりました。
 主人は、ちょうど震災が起こった3月11日が金曜日だったので、仕事が終わってからこちらのほうに戻ってきました。ちょうど夜の8時過ぎに到着しまして、ちょうどその後土日だったので、週末その土日はこちらにいて、ただ次の週仕事があったので次の週には会津に戻りました。それが何が良かったかっていうと、福島市では本当にお店もやってなくてものが何も買えないような状況が続いていたので、幸い会津若松の方はしばらくしてから店とか物も出るようになりましたし、ガソリンもまだ福島市よりは手に入るような状況だったので、向こうに帰ってもらってこまめに買い物をして、こちらで必要なものを買ってもらいました。
 地震が起こった時には、娘と一緒にこの渡利の自宅に居たんですけど、この渡利の自宅は木造の平屋で、貸家なんですけど築40年と聞いていて、非常に古い家なんですけども、外に出て揺れが続いているときに、本当に大きく揺れていて、倒れて壊れるなって本当に思うくらい揺れていました。幸い崩れることはなかったんですけども、やはりその後余震も続いていて、もしかしたら余震が続くことによって家がつぶれるんじゃないかっていうのが一番不安でした。
Q.原発事故について
 地震の直後は流石に原発のことまでは頭がいかなかったです。
 ただ、しばらくして12日ですね、12日に1回水素爆発が起こる前に格納容器内の圧力が高まってるか何だかだったと思うんですけど、そういうふうに危機的状況が報道されることによって、
「あれ、これは実は地震よりも大変なことが起こるんじゃないかな」
と非常にドキドキはしていました。
 3月の原発のトラブルがあったころなんですけれども、私は運よく理科だったこともあって以前に近畿大学とか東海村の方に教員向けの研修に行かせていただくことがありまして、簡単な放射能の基礎知識とか原発についての知識はいくらかありました。
 ちょうどもうもちろん20数年も前になるので、チェルノブイリのことについても研修の時に話を聞いていて、やはりあのような原発が壊れるようなことがあると、放射性物質が飛んで放射能の影響が起こるということは知っていました。
 ただ、やはり実際60㎞も離れているという点で、まずやはり原発トラブルがあったときに、まず緊急性があるのはその周辺地域だろうということで、あまりやはり対岸の火事というのか、ちょっとやっぱり自分たちには振りかかるものではないだろうなと若干思っておりました。
 14日の3号機の事故に関しては、朝起きたらテレビ見て流れていたということで、その時にはもう口があんぐりして「あれー?どうなるのかな?」っていうのが先でした。やはりチェルノブイリの事故が頭をよぎったり、ただ予測がつかない、どうしたらいいのかわからないっていうのがまず先でした。
 まずはやっぱり政府が発表してたことに一応準じて従うのが一番無難かなとは思っていました。はい。 
 なので、あとはまだ水も出ない状況だったんですね。福島市はその頃。結局生活する食べ物も手に入りにくいような状況で、まず自分たちが生きていくことが最優先の状況だったのもあったので、まず避難するよりもある程度子供たちが落ち着いて生活できればなということが最優先でした。やはり地震の恐怖を、この子はわからないですけども、お兄ちゃんたち二人はかなりあったので、やはりまずは安心していられるっていうことを最優先に考えていました。
 避難するか否かを判断したその政府の言ってることは、一番は「直ちに健康に影響が出ない」というところですね。
 というのはなぜかというと、本当に私は体が弱い方なので、それこそ慣れない環境に行ったり、あと私本当に寒いのが苦手なんです。会津は寒いんですよね。結局会津に行って私が体調を崩してしまうこと、そっちのほうが子供たちの健康を守ることにはやっぱりリスクを負うということがあったので、「直ちに健康に影響が出ない」のであれば、「直ちに健康に影響が出る」避難の方がリスクが高いとというようなことで、我が家は避難をせずに福島市にとどまるコトを決めました。
Q.ご自身の持病について
 私は小さいころからアトピー性皮膚炎だったんです。それで、病院のほうで治療をしていたんですが、大学の頃に本当に薬の効かないほど酷く悪化してしまったんですね。それからちょっと病院の治療ではなく自分の自己免疫を高めることによって直すというほうに方向転換してきたんです。ただ、やはり長期に使った薬の副作用で、就職した年には網膜剥離になって手術をしたり、あとは網膜剥離の手術の後遺症で今では緑内障もあるんですね。それでちょっと疲れがたまったりすると、やはりどうしても眼圧が上がって頭痛が出たり、後はやっぱり皮膚も肌も荒れてしまったり、そうするとやっぱり家事をやったり育児をやったりすることが非常に困難をきたしてしまうというような状況なんですね。
 私の場合アレルギー源は食べ物ではなくてハウスダストとダニなんですね。なので、本当にあとはやっぱりアレルゲン自体はそれなんですけども、やはり化学物質だったりそういうちょっとした身の回りのものでもやはり反応して肌荒れを起こすような感じなので、やっぱり環境がガラッと変わるというのは、やっぱりアトピーが酷くなるんじゃないかっていうリスクを伴うので、非常に私にとっては負担になってます。
 アトピーと緑内障自体は多分つながりはないと思うんですけれども、ただやっぱりどちらも血の巡りとか新陳代謝だったり、そういうことが関係してるんだと思うので、やはりどちらも体調が崩れることによってやっぱり悪化してしまうというところがあるのではないかなと思っています。
Q.震災後の体調の変化について
 震災後の体調の変化ですけれども、やはり子供がいるからなのか、どちらかというと気を張っていたんですね。まずはやっぱり食べ物も手に入らないような状況だったので、とにかく子供たちに何か食べさせてあげられるようにとか思うと、やっぱりスーパーやってるところを見つけて買いに行ったり、あとはいろいろそういうふうに生活していくために必要なことをいろいろとやっていたので、実は去年のちょうど3月くらいまでは実は皮膚が無いくらい酷いアトピーだったんですけど、実はその震災の後、地震のあと、やはり気を張っていたのがあったのか、どうにかしなきゃっていう気持ちが強かったのか、少しずつ実は落ち着いてきたんです。
 あと、これは半分笑い話というか冗談で言ってたんですけれども、原発事故があって15日から放射線量が上がったんですよね、福島市の方でも。それでその時にやはりテレビでも騒がれたんですけども、私は福島県の田村郡の三春町というところにある和らぎの湯という放射能温泉っていうんですか?いわゆる。によく体調が悪いときに通っていて、それで調子が良くなっていたことがあったんです。なので、我が家は腹を括ってというか、うちの主人と一緒にその放射線量が上がった時に、
「あ、温泉だ!温泉だ!」
って言って暮らしてたんですね<笑>そしたら実は皮膚の状態が良くなったんですよ。やはりどちらかというと震災後、確かにいろいろ大変だったんですけど、気を張っていたということで実は体調はどうにか崩さず過ごすことができました。
Q.子供への放射能の影響について
 子供への放射能の影響については、やはりいろいろ言われてましたので、心配はしておりました。ただ、私自身がアトピーでこの十数年自分の身体を良くするためにいろいろなことを勉強しまして、母親がアレルギーだと子供もそのアレルギーになってしまうのではないかっていう懸念がずっとあったので、とにかく子供たちが元気に健康に生まれてきて育つようにということを、とにかく常々心がけておりました。その時にやっぱり判ったことは、アトピーにはこれがいいとか、ガンにはこれがいいということではなく、身体本来が直す機能がちゃんとあれば、病気になっても治るし病気にならないことも可能であるということがあったので、今回の放射能に関して一番心配したことは、放射線によって細胞が壊れる速度のほうが、私たちの身体で壊れた細胞を治す力を上回ってしまった場合に結局症状が出たり、死に至ってしまうことが一番不安だったので、あとそのまだ細胞が壊れる速度よりも治る速度の方が上回っていれば、今後病気になることも考えにくいし、後は病気になったとしても治すことは十分可能であると、そういうふうに判断しました。
Q.子供の方が放射能の影響を受けやすいという意見について
 感受性が強いから影響力が大きいとか、そういう話は確かに良くわかるんですけども、それは放射線に限ったことではなくて、例えば薬だったり薬品とかそういうことでも結局子供の身体の大きさに合わせてやはり変わってくるもので、その影響力っていうのはやはり・・・放射能に限らず、何かしら大人よりは影響があることはなんとなくわかってますけど、やはり子供に関しても治す力がしっかりしてれば、十分対応できるだろうというのが大前提にあったので、急性症状以外はあまり気にしてはいませんでした。
Q.原発事故の情報はどのように得ていましたか?
 やはり、原発事故の直後はあまり情報が無くて、メディアのいろいろな情報があるのがありましたけれども、やはりインターネットはどうにかつながったので、インターネットでいろいろ調べてたり、あとはやっぱり直後にいろんな先生方が福島にいらしてお話をしてくださったのがあったんですね。実際それを聞きに行くことはできなかったんですけど、その講演会の内容とかを聞いたりして。あとはやっぱり一番は情報が手に入らなかったですけど、一番は本当に子供たちそのものを見て判断してました。この子たちがすぐに具合が悪くなるようであれば、やはり避難しなきゃいけない状況であろうと。ただ、今すぐに具合が悪くならない状況であれば、それは十分今までの私の知識でカバーできるだろうということで判断してました。
 結局は、細胞の再生・修復の能力と壊れる能力を天秤にかけたときに、どっちに傾くかが重要だと思っています。
 放射能に限らずこの世の中、環境ホルモンだったり添加物だったり農薬だったり、いろんな結局・・・体に悪影響を及ぼすものが存在している状況下で、結局はそれを同じ量をとってたとしても病気になる人とならない人がいる。もちろん今までの広島・長崎とかチェルノブイリにおいても、病気になる人とならなかった人がいる。やっぱりそこの境目は壊れる細胞の数と修復する数を天秤に掛けた時にどちらが上回ったかだったと思うんですよね。
 なので、そのあとあとになって出てくるっていっても、そこを踏まえてとにかく細胞が正常に治せるような体にしておけば十分対応はできるし、何もガンとかってよく言われてますけれども、とくにガンの性質を十分理解していれば、ガンを増やさないような方法をとることで十分防ぐ、予防はできると思っています。
Q.自己免疫力を高めるには?
 とにかく自己免疫力アップの方法っていっても、とにかくこの十数年いろんな何とか療法だったりなんとか療法っていうものもいろいろ調べてきました。かといってそれに集中してるわけじゃなくて、私の場合にはいいとこどりで自分のライフスタイルに合うものをやってるんですけれども、一番簡単なのは、食べ物なわけで、人間の体を作る原料も治す原料も食べ物である。だったら、食べ物をしっかりしていれば、ちゃんと身体を作れるし、治すことができる。だから、食べ物を気を付けていることが一番の対処法になっています。
 世界でも認められているんですけど、多分今回の放射能における良い方法っていってよく言われてると思うんですけど、玄米菜食ですか。ごはんが50%、野菜・海藻類が30%~40%、残りの10%か15%くらいがお肉っていうようなバランスで食べることによって、あとは発酵食品をとるとかそういうことで体が健康に保てるようにということを気を付けています。
 だからといって脂っこいものを食べないとか肉を食べないとかそういうことではなくて、できるだけそういう食事を常日頃して、あと外に食べに行ったとき、友達とか食べに行ったり家族で外食したときには、もちろんおいしいものを食べるっていうのがうちのライフスタイルです。
Q.避難しない結論に至った経緯は?
 まずは主人も私の身体を一番心配していました。結局私が倒れたら子供たちももう「直ちに健康に影響が出る」と。だから、私が安定して生活できることが一番であろうということがありました。
 あとはやはり情報収集についてなんですけれども、やはり私の周りの友達も小さいお子さんがいるので、非常に不安に思っておりました。なので、私の方でも結局専門が理科だからということもあって、いろいろと質問が来たんですね。
「これは大丈夫なのかな」
「あれは大丈夫なのかな」
ということで。
 4月近くになってから文科省のHPあたりでいろんなところでいろんなデータが出るようになったんですね。なのでそれをとにかく集めて、それを大雑把に私の知識でできる範囲で計算してみて、
「福島市だとこれくらいの状況だよ。チェルノブイリだったらこういう状況だったよ。確かに放射線は安全ではないよ。でも世の中にはいろんなリスクもあるから、とにかくそれはいろんな情報とかいろんなリスクを考えて判断したほうがいいよね」
っていうようなことで、友達にも話しましたし、主人ともやっぱり話をして、うちは避難をしてお金を使うほうがストレスになるって、あとね、食うに困るようになるからそっちのほうがリスクだろうということで判断しました。
 避難して食うに困るっていうのは、やはりそうですね、生活の安定なので、職が無くなる、収入が無くなる、それこそそうなってくると子供たちの先ほど言ったように、とにかく子供たちの健康を守るためには食べ物はしっかりしてあげなきゃいけない。そうなるとちゃんとしっかりした食べ物を確保するためには、ある程度の経済力が必要ですので、やはりそこを最優先にするためには、避難よりも福島市で生活していく方が子供たちを守ることにつながると考えました。
Q.迷いなどは無かったですか?
 原発事故があって避難するか否かということを考えたのは、本当に迷ったのは、3号機の爆発があったあと、それも2,3日くらいですね。その頃はもう本当に主人の実家だったり、あとは私の実の弟が横浜のほうにおりますので、それこそ
「じゃあ私の父と母はいざという時には横浜に送って、私たちは会津に行こうか」
とか、そういうことを考えていました。でも2,3日して「なんだ、子供が元気だ。元気じゃないか」<笑>と、まず急性症状は出ていないと。あと、結局放射性物質と放射線と放射能の違いを私は判っていたので、結局一回飛んできた放射性物質が継続的に供給されない限り、放射線量は下がっていくということはすぐに判断できたので、なのでやはり水素爆発後の1週間くらいで我々がなんともなっていないのであれば、十分大丈夫であろうというふうに判断して、なので我が家では本当に爆発後1週間程度で
「避難する必要はないね、しないほうが多分元気で暮らしていけるね」
という判断をしました。ただ、もちろんその後もう一回爆発があったりとか、もっと深刻な事故の状況になっていたとしたら、多分避難してたと思います。
Q.福島市の放射線状況はどうでしたか?
 福島市の渡利の線量が高いというのは、いつでしたかね・・・?なんかやはりニュースだとかなんだとかで取り上げられるようになってからだったと思います。
 あとはそれがよくしょっちゅう耳に入ってくるようになったのは、娘を最初に預けた保育園、福島市の渡利の弁天山のふもとにあるところで、そらまめという保育園で娘を預けはじめたのが8月なんですけども、預けるまでの間にそらまめではグリーンピースさんが来て放射線量を測ったり、あとは除染の指導をしたりして、グリーンピースさんたちが来て測った時に、
「渡利とか渡利に隣接する弁天山の反対側の小倉寺地区が高いんだ」
ということを言っていたということで、よくそれで「渡利は高い、高い」とそういうふうに耳にするようにはなりました。
Q.放射線量を測ったのはいつ頃ですか?
 我が家で購入したガイガーカウンタは、インターネットで買った3万円くらいの安いやつなんですけど、中国製のやつです。ただ、ちょうどその頃、多分5月か6月くらいに買ったと思うんですけど、ちょうどそのころになると、福島市であちこちの公園などを測っていたんですね。それで福島市の測っている数値と比較すると、我が家の機械自体はちょうどその半分の値しか示さなかったので、大雑把に実際の放射線量よりも我が家の機械は50%くらいしか出ないから、大雑把に二倍すればいいだろうというような感じで使っていました。
 ちょうど福島市の新浜公園というところが県庁から北の方に1㎞も行かないようなところにあるんですけど、その新浜公園で放射線量が高いというふうに話題になって、一時期立ち入り禁止になったことがあったんですけども、ちょうどその時に新浜公園で大体高さ50㎝で3.1とか3.2だったんですね。同じところに行って芝生の上で我が家の機械で測ったところ、1.8~2を示していたんです。だから大体半分くらいの値なのかなということで考えていました。
 そのころ、私の福島あたりの自宅の庭で、高さ1mで測ると1.8とか2を指していたので、ザックリ計算すると庭周辺では、その5月6月のあたりでは、3~4マイクロシーベルトあったのかなと推測できます。ただ、高い・・・私はそれで危険だとか安全だということは判断するのは、やはりその時には厳密にはできなかったので、まぁ目安としてどういう・・・目安というかどういう放射線量は変化するのかなというような形で使っていました。
 それで一つ判断したことは、本当にそれはいろんな判断材料の一つでしかないんですけど、やはり温泉地の放射線量が2~3マイクロシーベルトであると。かといってそこでやたらめったら病気の人が居るかというとそういうわけでもないと。となれば、今はやはりそれと同じ、自分の家はそれと似たような状況が続いているのであろうということがまず第一でした。
 あと、放射性物質の供給がこれ以上なければ、もちろん放射性物質はどんどん崩壊して減っていくことは明らかだったので、であれば、この3マイクロシーベルト、4マイクロシーベルトは何年にもわたって続くことはない。そう考えれば、わざわざ避難する必要はないだろうと判断しました。
 私は非常に大雑把なので、私の父がいろいろ気になってあちこちで調べたらしいんですけど、私の機械で測ると雨どいだったり側溝だったりが40とか50マイクロシーベルトを指していたそうです。なので、大雑把にその倍近く、だから80マイクロとか90マイクロシーベルトあったと思うんですよね。
 ただ、この屋内で測ると私の機械で0.3マイクロシーベルトとかだったんです。だから、大雑把にもしかしたら実際の値は0.6とか0.5マイクロシーベルトだったと思うんですけれども、それを考えると、さてどういうことが言えるかというと、やはり放射線は放射性物質から出ているものであって、更に距離の二乗に反比例して減衰する。更に、窓なり壁なりで遮蔽されることによって減衰する。確かに側溝とか雨樋とかが90マイクロ100マイクロシーベルトあろうが、そこで24時間生活することもないし、そこを通りかかったとしても普通一瞬だし、だからといってすごい90マイクロある蚊らと言って90マイクロシーベルトをまるまる被曝するということは非常に考えにくいだろうということで、あまり気にしていませんでした。
 なので、我が家では窓も開けてましたし、暑い日は。私エアコンが苦手でエアコンをかけると具合が悪くなってしまうので<笑>乾燥したり身体が冷えて具合が悪くなるので、窓全開なんですけど、9月の時点でも窓全開にしていましたし、あまり気にはしていませんでした。
 あと、そういうことが頭にまず放射性物質と放射線の関係がまず頭にあったので、それで十分対応できる。そういうふうに頭で計算してたのはあったんですけど、更にそれを証明してくれたのが、福島市で行われた子供たちへの線量計のガラスバッチの配布による測定だったんですけども、9月、ちょうど10月11月のほうの結果は、つい1週間か2週間前届いたばっかりで、まだ計算してないですけど、9月1か月分だけみると、子供たちが0.1とか0.2ミリシーベルト被曝だったんですね。それで単純に24時間と30日で割り算をすると、平均で0.3マイクロシーベルト。一番高かった娘で計算すると0.3マイクロシーベルトであると。
 結局、もちろん除染されていた学校敷地内に居たのもあるので、平均値で全部は話せないと思うんですけれども、やはり外はいくら何マイクロシーベルトあろうが、やはり減衰するということを考えれば、やはりまずは実際に自分たちが生活するのは外の放射線ではない。量ではないってことが充分これで判ったので、とにかくやっぱり危険なのは本当に原発周辺で今働いてる人たちなんだなというふうに認識しています。
 最初は9月の1か月間だけの計測。それでもう一回目は10月と11月の2か月分の計測です。
 ガラスバッジの方は9月の1か月間はまず配布されて、9月の頭1日から30日がもしかしたら日曜日だった気がするので多分10月1日に学校なり保育園に返却して、それが多分実際に測定機関に送られて来て、この9月の結果、1か月間の結果は10月の末か11月の頭に来たかなと記憶してます。
 10月、11月は今度は2か月間の測定で、これも10月1日から11月の末の30日までで、それで子供たちに持たせて、それを学校の方に渡して、これが届いたのが1月の頭だったと思います。
Q.放射能への対策はしていましたか?
 放射線と放射性物質からどう身を守るかという点に関しては、やはり初めのうちはマスクをしておりました。あと子供たちにもさせてました。というのは、マスクをすることによって身体の中に入り込むのはある程度は防げるだろうと思っていました。ただ、実際調べてみたらヨウ素にしろセシウムにしろ、それ単体で飛んできた場合にはマスクの網目よりも小さいので、透過してしまうというのが第一点。
 そうなるともう一つ考えられる外を歩いていて放射性物質を取り込む可能性があるのは、セシウムとか放射性物質がくっついた土ぼこりを吸い込む可能性でした。
 それについて考えた時に、運よくちょうど福島県庁の向かい側にある福島第一小学校の放射性物質の土壌の測定値がHPに載ってたんですね。そこを見たら、セシウムだけの値なんですけれども、約1万、1万あるかないかだったんですね。1万ベクレル/㎏。つまり1㎏に1万ベクレルくらいだったんですね。それを単純に割り算したんですけれども、10グラム吸い込んだとして100ベクレルなんですね。よくよく考えて、100ベクレルも!?って考えると思うんですけれども、ようくよく考えると10グラムも土ぼこりをうちの子供たちが吸い込むかって考えた時に、吸い込めないと思うし、もし吸い込んだとしたら放射線でやられる前に肺炎とかほかの?<笑>症状が出てると思う。今も福島市の土壌汚染の状況で、そんなに大量に放射性物質がついた土ぼこりを吸うことは考えにくいと考えてました。
Q.内部被曝についてはどうお考えですか?
 低線量被曝とか内部被曝だとか、チェルノブイリでの状況だったり、そういうことを知るようになったのは、やはり5月6月くらいからです。
 というのは、福島県内の各地で講演会が行われたり、あとはいろんな、私、ちょうど宅配をやってるんです。いろいろ野菜などを宅配で買ってるんですけど、そこの宅配業者のおたよりとかにいろんな情報が書いてあって、そういうことで内部被曝によって子供たち、チェルノブイリの子供たちが病気になったとかそういうことを知るようにはなりました。
 ただ、やはり・・・それと同時に自分たちの身体の中にもう既に放射性物質は、自然にカリウムとか存在してるし、となると、やはりそれを遥かに上回るとか、或いはそれを凌駕するような量を採らなければ、身体には影響しないというか、十分対応できるんじゃないかなと思ってはいました。
 あと、1番とてもありがたい情報があったんですけど、ちょうど私、一番下の今1歳8か月の娘と一緒に遊んでくれてたお母さんたちが母乳検査をやってくれたんです。それがちょうど5月の頃でした。その時に、なんと福島県内産の野菜も食べたし、もちろん上野お兄ちゃんとかお姉ちゃんたちがいるので、保育園とか学校の送り迎えで外とかにも出ていた、そういう状況下だったお母さんでも、母乳検査に不検出だったんですね。出たお母さんでもセシウムは4ベクレル程度だった。それを半減期で逆算していくと、せいぜい1000とか2000ベクレルとかそんな感じだったんですよね。そう考えた時に、
「3月に吸入した放射性物質の量って、意外に大したこと無いんだな」
ということが判ったんですね。
 結局自分の身体にある放射性・・・もともとあるカリウムの放射性物質より若干多いけれども、ほとんどがヨウ素なんかはもう既に体内から無くなっている状況でもあるし、あとはこれから気を付けていかなきゃいけないのは、やはり汚染された農作物だったり肉だったりを食べ続けることによって、起こる障害が気を付けなければいけないなと思ってはいました。
 チェルノブイリとか核実験最盛期の頃にいろいろ研究されて判ったやつで、農作物の放射性物質の移行係数っていうのが判っていて、このくらいの土壌汚染だと掛け算して野菜にどれくらい移行するよっていうのが目安で判るっていうのがあったんですね。
 それでちょうど福島第一小学校の放射性物質の濃度にいろいろ野菜に掛け算をしていったら、基準値を上回るものは、今年はほとんど出ないだろうと。もちろん放射性物質は検出はされるだろうけど、基準値500を超えるものはそうそうは出てこないだろうというのもあったので、じゃあそれは調理段階でもまた減るし、だからそう考えるとあんまりそんなに気にしなくてもどうにかやっていけるんじゃないかなという判断はしてました。
Q.汚染の可能性がある食べ物への不安は?
 検出されているものに関しての不安は確かに無いといえばウソかもしれないですけど、ちなみにすいません、お伺いしたいんですけど、岩上さんはおいくつですか?
A.52です。
 ですよね。はい。核実験最盛期のころ、もちろん岩上さんも行きてらしたし小さかったと思うんですけど、それこそ1960年代から70年代に掛けては、それこそ知らない間に食べ続けていたところもあって、内部被曝もそれこそ日本人男性なんかは500ベクレルとかセシウムを体に入れてましたという時期もありましたし、それを考えると1960年代を生きていた人たちがみんな元気でいるだから、全員が病気になるわけではないし、病気にならない人だっている。だったら自分たちは病気にならない人になればいいや<笑>ということがあったので、とにかくその病気に基本的に放射線があろうがなかろうが、病気にならない、或いは病気になっても治すということを基本に置いてるので、あまりこまかいことは気にしていません。
 核実験最盛期60年代70年代、広島だったり、もちろん病気になってる人もいるしなってない人もいるから、放射線の影響がないよとか安全だよとか言ってるわけでは私は無いです。よくね、
「960年代、日本ではガンとか増えてるから核実験の影響だ、なんだかんだ」
っていうのもあるんですけど、でもそれはグローバルに見ると、実はアメリカ。あんなに人数が多い所なんですけど、1977年の将来大統領有力候補と言われてたらしいんですけど、マクガバンという議員さんが調査したマクガバン報告というのがあるんですけど、それが出て以降、アメリカではいわゆる生活習慣病とかにあたるガンとか心臓病が着実に減ってきているんですね。ただ、一方その一方で日本はそのマクガバン報告で警告されている、いわゆる一言でいう欧米食というのが増えてきた。それに合わせてどんどん増えてきている。つまり、もし1960年代の核実験の影響がもしあるのであれば、それは全世界的において平均的にそういうふうに増加は見られるはずなのに、極端に増えてるのは日本だけ。おまけに大国アメリカは逆に減っている。
 そう考えると、放射線の影響でガンがいくらかできて、それが増えちゃった人もいるかもしれないけれども、それが全員ではないだろうなっていうふうに私は個人的には思っています。
 あとは、やっぱりさっきも言ったんですけれども、別にがん細胞は我々常に毎日5000個から10000個できてそれを修復しているわけですから、その作業がちょっと増えただけで、ちょっと増えるだけなので、うん、私はあんまりそんなに怖いものではないかなと思ってはいます。
Q.周りの反応についてどう思いますか?
 避難なり移住なりいろいろ生活を変えられた方もいますけれども、私はそれはとてもいい判断だと思います。
 というのは何でかというと、本当に放射能が怖いのであれば、本当にそれは心の面でもとても健康とは言える状況ではないので、とにかく私は友達にもよく言ってるんです。
「とにかく病気にならないと言い切れないが、だからといって病気になるとも言いきれない。今の状況では。」
 今は日本は二人に一人がガンになって、3人に一人がガンで死ぬ時代ですので、まぁ私個人的には、今の福島市の状況だとね、何万人とか何千人に1人ガンが増えるくらいであれば、多分将来的には福島でガンになったとしても、ね、その原発事故の影響だと言い切れるかというと言い切れないんじゃないかなと思ってるんですね。だったら、もう最初から放射能があろうがなかろうが、ガンにならないような生活をしていくのが一番手っ取り早いかなというふうに思ってます。
 ただやっぱりそれは人それぞれ考え方が違うので、とにかくやっぱり放射能が怖いのであれば、遠くへ逃げるなり何なり生活を変えるなりして、家族全員が心も体も健康でいられることが一番大事だと思うので、私は本当にそれは非常にいいことだと思います。
 例えばセシウムが一個、原子が一個体に入りました。それがそのままセシウムのままで何日がして外にでました。そしたらその間にでる放射線量はいくらですか?
 結局一般のお母さんの不安はそこなんです。結局セシウムが体に入ったら、セシウムが身体の中に存在している限り放射線がずーっと出続けてる。結局その放射線が出る仕組みを判ってない。だから本当にセシウムとか放射性物質が入ることを本当にゼロにするのに必死になっている。そういうふうに判らないお母さん方の不安は、そういう小さなことの積み重ねなんですよ。
 私の中のキーワードなんですけど、『量とバランス』なんですよね。
 だから、結局有害なものを全部アウトってなると、それこそ病院で出してる薬なんかも出せなくなっちゃいますよね。あれなんかも一応基本は毒ですから。だから、何でも量とバランス。だから放射性物質で量とバランスで、結局チェルノブイリでこの前ロシア政府だかが出してたっていったのかな、報告書があったんですけど、結局放射線が悪い、放射能が悪いよといって強制移住になっちゃった。それによって生活が不安定になって、結局自殺だ、アルコール中毒だ、或いは精神的、精神疾患が増えたというような状況もあるわけですよね。
 だから結局は量とバランスがやっぱり生活にしろ、放射能にしろ、化学物質にしろ、そういうのがやっぱり重要になってくるのかな。
 でも、やっぱりそれは今度は確かにトータルで有害なものは社会でちゃんと見てかなきゃいけないのは前提にあるんですけど、やっぱりそれはあとは実際のところは国任せじゃなくて、あとは各個人、各家庭でやっぱりきちんと自分たちにとってはどうなのかってことを判断するのが重要で、やっぱり人任せに、安全を人任せにしない、自分の健康を人任せにしないっていうことが重要なんじゃないかなと思ってはいます。
 だから、我が家ではいろんな避難のリスクと放射能のリスクを天秤に掛けた時に、避難のリスクの方が高かったから避難しなかったですし、でもほかのお家では
「放射能が怖いよ、怖いよー。子供外に出ちゃダメだよ」
って言ってたら、それだったら福島市を離れたほうがやっぱり子供の健康にはリスクが低くなるし、だからそれは各家庭で考えていくものなんじゃないかなと思ってます。
 だから正直に言うと、「福島市は移住だ、避難だ、子供たちは疎開だ」っていう動きは、ちょっと我が家のスタイルとしてはちょっと困る面があります。はい。
 一律に全員が「はい、何歳以下の子供たちは親許離れて疎開だ」っていうのは困るなっていうは、やはり結局放射能が無ければ育つ、健康に育つわけでもないし、子供の成長っていうのには、やはり親だったり家族だったり、環境だったり、本当にいろんなことが複雑に絡み合っていくものなので、核シェルターに子供を入れて、それで子供は元気で健康に育つんだったら、私だって核シェルター作ってそこにポンといれときますけど、実際はそうではないですし。
 だから、そういう点ではやっぱりそういうふうに一律に「はい、ここは危険だからダメ」っていうのは、それこそ私にしては非常に困るし、それの方が私は自分の子供を健全に育てられる自信はないです。
Q.今後について
 とにかく私は、一番上の小学校の長男は、やはりいろいろ判る時期になってきました。やっぱり学校でも「放射線怖い、怖い」だのなんだの言ってる子がいて、
「放射能って危ないの?」
っていう話はよく聞かれました。
 でも、私は実は・・・福島大学と文部科学省が一緒になって実験をした福島大学付属中学校とか福島大学付属幼稚園でやった表土除去とか天地入れ替えの放射線量減衰の実験があったんですね。
「じゃあそれを自分の家でもやってみよう」
ってやったんですね。その時に家の私の長男も一緒に草むしりだ!とか土ひっくり返しだ!とかいろいろやりました。その時に、やっぱり私の息子が言ったんですけど、
「放射能って危ないの?」
っていって来たんですね。
「いや、危ないとは思うよ。でもそれも量だと思うよ?だって見てごらん」
って、その時にカナヘビっていうんですかね、とかげみたいなやつ。あれがちょろちょろいっぱい動いてたんです。もちろん秋にはバッタも飛んでたんですけど、
「農薬とか除草剤とかで草や虫は死ぬ。でも今こういうふうに放射能高い高いって言われてても、この虫は死んでないし生きてる。だから、お前たちだってこうやって元気に生きていくことは可能なんじゃないのか。ただ安全ではないかもしれないけどね。
 だから・・・世の中にはいろいろ悪いものもあるんだから、それを全部除去していくことは不可能だし、それは放射能だけじゃなくていろんなものがあるから。だからそれは自分でよく考えて生きていきなさいよ」
っていうふうな感じで話したことはありました。
 あとは、よくやっぱりお母さん方が、本当にこれから先、自分の子供が結婚できるんだろうか、差別を受けるんじゃないかっていう心配をしてるんですけど、我が家としてみれば、結局そういうふうに差別したりそういうふうなことを言う人、そういうようなことをする人と結婚することはないだろうと思うんですよね。
 なので、きっと多分私たちの子供たちと結婚してくれる人は、多分とても素敵な方だと思うので、福島という看板があることによって、確かにこれから先何かしら差別だいじめだということがあるかと思うんですけども、でもそれはそれでね、いろんな人がいるので、あんまりそんなにそれに対しては、あんまり不安はないですし、あったとしてもそれによって、それがあったことが問題ではなくて、そういう人とどういうふうに付き合っていけばいいのかということを考えるいい機会ですので、あんまりそういう点でも不安には感じてないです。
【以上】

失礼します。
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