※この記事は、百人百話シリーズの第49話です。3月2日 【内容起こし】IWJ百人百話 第48話 佐々木道範さん『無関心に生きてきた僕の人生が原発を爆発させて、子供たちを苦しめている』 【前半】に関連しています。

【動画】3月5日 百人百話 第四十九話 布施大輔さん 
http://www.ustream.tv/recorded/20900506 (92:12)

【以下、お時間の無い方に内容を起こしています。ご参考まで】
2011年11月27日収録
 郡山出身の布施です。年齢は37歳です。
 仕事は、今ちょっと引っ越し準備中なので、昼間友達の内装の仕事を手伝い、夜は代行の仕事をしております。運転代行の仕事をしております。
 家族は自分と嫁と、今1歳の娘がいます。
 結婚したのは、3年前ですね。
 嫁は福島県の白河市の出身です。
【郡山市】
 郡山は空気も綺麗だし、食べ物もおいしい、水もおいしい。それに人柄もすごい良い人たちばっかりなので、僕は大好きです。
 郡山の特色としては、自分の仲間内になっちゃいますけども、とりあえず絆が強い。ほかもそうかもしれないですけど、皆絆が強くて、良い人たちばかりです。

【生い立ち】
 自分は郡山市の大槻町のほうで幼稚園、小学校、中学校と過ごしまして、高校は行ってないです。すぐ仕事を始めました。自分は。
 まぁ、悪いことばっかやってたんで<苦笑>、なので、中学校もあんまり行ってなかったんですよ。実際。
 それで中学校2年の時点で「あなたはここに置いておけないので、転校してください」と言われ、その郡山市大槻町の大槻中学校から郡山市の第三中学校に飛ばされました。
 自分らのときは、ビーバップハイスクールっていうのが全盛期で、不良映画の。そういう影響もありつつ、中学校から自分は暴走族やってたので、あんまり家にも帰らず・・・なんて言うんですか、校内暴力全盛期というか、それで学校の中で一人で暴れまわってたので、それで学校の校長先生に「これ以上はうちにはいちゃだめだ」と言われ、それで家族を巻き込み転校しました。
 ずっと空手をやってたので、あとうちの親父がすごいガタイがよくて、親父に殴られてたので、同級生とかに殴られても痛くねぇなみたいな感じですね。<苦笑>
 父さんはちょっと・・・やっちゃいけない仕事の関係です<苦笑>
Q.本職の方?
 まぁ・・・半分ですね。ぎりぎりこっちの世界かなくらいの。
Q.ぎりぎりセーフなんですか?アウトなんですか?
 ぎりぎりアウトですね。多分。今はセーフです。
【家族】
 気づいた時には、うちの親父が家に居ない。帰ってくるのも2,3か月に1回くらいで、帰ってくれば殴られ、みたいな感じでしたね。自分は。
 うちの親父が車の中古販売店をやっておりまして、それでそっちの人とのお付き合いもあり、気がつけば自分の周りにはそういう人たちがたくさん居るような状況でしたね。父親もずーっと郡山生まれ郡山育ちで、うちのお爺さんも郡山生まれ郡山育ちです。お爺さんも暴れん坊でした。そこまで遡っても暴れん坊です。
 車屋をやってた当時、郡山で一番でかい組織の組長さんがいらっしゃって、その方がうちにもしょっちゅう来てたし、自分もその事務所というか、のお手伝いもさせられたし、その組長さんのお家にもしょっちゅう行ってたので、なので、「あぁ多分うちの親父はアウトかな」って中学校の時に思いました。
【父親に「どっちが本職ですか?」と聞きましたか?】
 中学校2年くらいの時に、うちの親父と取っ組み合いの喧嘩をしてて、それでその時に立てないくらいまでやられて、それでうちの親父が上に登って、
「俺は素人じゃねぇんだぞ。プロなめんなよ」
って殴られたときに、
「あ、そうなんだ」
って聞いて「そらそうだ」って言われたので確信しましたね。はい。身体でぶつかって破れました。
 ちゃんとしっかりといただきました。
「プロをなめんなよ」と。
【転校に対する父親のリアクション】
 その決め手となった理由というのが、一人中学校の先生がいて、セクハラばっかりしてる先生だったんですよ。女子に。それで、女子が嫌がって他の校長先生とかに言っても全然話を取り合ってくれない。それで、やっぱり自分がその先生のところに行き、
「こういうことをしてるだろ?」
と問いかけて、それで「してない、してない」ってなって、それでされた女の子たち十数人くらい後ろに連れてきて、
「10人くらいいるんだけど、お前どうするんだ?」
っていってもずーっとしらばっくれてたので、それで自分がむかつき、やっちゃいけないんですけど殴りかかり、それが原因で転校になったので、理由をうちの親父に言ったら、
「それはお前は悪くない。そういうふざけた中学校はこっちから辞めてやろうよ」
という感じだったので、すんなり転校はいきました。
 そこの行った転校した先の中学校が、運悪く郡山で一番強いやつがいる中学校で、それで転校初日にやっぱりトイレに呼び出され、
「ちょっとお前ガラ悪いんじゃないのか?」
っていうふうになって、そこで10人くらいにボコボコニされ、10対1じゃなかったですかね。俺も生意気に言ってたんで「全員で来いよ」みたいな。そしたら全員で来られてボコボコニされ、でも次の日には、その一番強いやつと同じクラスだったので、自分で話しに行って、そしたらやっぱ頭張ってるだけあって、すごい話のわかるやつで
「お前も途中で転校してきていろいろ訳わかんねぇと思うから、とりあえず同じクラスだし、これ以上争っててもしょうがないから一緒に仲良くやろう」
って言われ、次の日からはみんなと仲良く暴れてました<笑>。
 自分、あんまり頭が良くないので、学校の先生たちにも
「お前、行けるとこないよ」
と言われ、それであんまり高校行っても、絶対中退する自信があったので、親に迷惑かけるのであれば、最初からいかないで自立して仕事をしようと思い、それで高校に行きませんでした。
 自分の場合は、家のパナホームってあるんですけど、その家の鉄筋のパナホームっていうのは鉄筋でできてるので、その当時は。その鉄筋の柱とかを建てたり、要は家の土台作りというか、鉄筋建てて屋根まで組んで床を入れてっていう仕事をしてましたね。
 その働いた場所をなんで選んだかというと、憧れてる暴走族の先輩がいらっしゃって、どうしてもその人のもとで修業をしてみたい、その人がどういう生き様をしてたのかを見てみたいっていうのがあり、そこに勤めて・・・男気というかそういうのを学んだ感じですね。
 その先輩は自分より6つ、7つくらい上だったので、その当時は暴走族からは足を洗ってたんですけど、結構郡山じゃすごいでかいところの初代の頭の人だったので、自分たちの代くらいまで名前がわかるくらいの人たちだったので、その人がどういう人なのかと近づいていきました。
 近づいていって、自分の、自分も中学校から暴走族をやってたので、仲間内で先輩たちがやってる暴走族に入ったんですけど、やっぱり先輩がいるとやり辛いっていうのもあり、これなら自分たちで暴走族作った方がいいんじゃないっていう話になり、当時5人くらいで自分たちで新しく暴走族を作り、それで毎日毎日、郡山の駅前を4台、5台くらいで走ってました。
 自分たちがやってた時は、もう郡山駅前が東北のシカゴとか呼ばれてた時代だったので、走る度にそういう人たちが木刀もって追いかけてきたり、郡山駅前のアーケードとか走るとビール瓶が飛んで来たり、捕まりゃそのまま連れていかれたり。
 暴走族を引退したきっかけというのは、やっぱり音楽に出会い、それで18歳のときは今みたいなヒップホップじゃなくバンドをやりたくて、本気で音楽やろうと思い、暴走族は引退しました。
 実際16くらいの時に、そのプロのスカウトの人たちが3組くらい、「うちもいいよ」「うちもいいよ」「うちもいいよ」とドラフトにかけられ、「いや、僕はとりあえず今回は保留にします」と。親父にも相談したんですけど、やっぱり息子にはそういう道を歩んでほしくなかったらし「絶対ダメだ」と言われ、そういうのもあり、とりあえず1年考えるっていうあれだったんですけど、1年後に音楽を本気でやりたいと思い、それで全部3チームは断りました。
 うちの場合は絶対継ぐなっていうのがありました。真面目にやれとは言いませんでしたけど、「そういうチームに入るといろいろと問題もあるし、チームに入らないで個人で動いてた方が楽だぞ」と言われ、そう考えりゃ自由が一番いいかなと思い。
 でもうちの親父は絶対反対してたみたい。なので、助かりました。反対がなければ多分、そっちの道を行ってました、自分は。
【音楽】
 18に出会った音楽っていうのは、パンクロックっていうジャンル。それでまずは音楽を聞いて、曲を聞いて鳥肌がたったというのが初めてだったので、そのパンクを聞いて、聞けば聞くほどすごい体中鳥肌が立ってきて、それでそれは自分でもやりたいと思い、バイトしたお金でギターを買い、そこから始めました。
 初めて聞いたのはパンクのLaughin' Noseの『Get the Glory』っていう歌がありまして、定番っちゃ定番なんですけど。それを聞いて鳥肌が立ちました。
 それでその音楽を進めてくれた人が、ちょうどバンドをやってて、進めたやつはボーカルやってたんですけど
「ギターが一人抜けるので、お前ギターやらねぇ?」
って言われて、それなら俺に是非やらせてくれとなってギターを購入し、死ぬほど練習して、あの当時俺らが聞いてたのはインディーズとかだったので楽譜がなかったんで、聞いて耳で覚えて、そのコードを引いて身体で覚えるみたいな感じでやって、初めてギターを始めて半年くらいでライブを体験して、
「もう人前でやるのはなんて気持ちいいんだ」
って。
 今まで怒られてきたばっかりだったので、人から注目されて・・・キャーキャー言われたとかそういうのが初めてだったので、それに快感を覚えて、そこからずーっと彼とはバンドをやってました。
【バンド名】
 『ホモサピエンス』ですね。
 バンド時代に今でも大親友のBond and JusticeのManbowと出会い、Manbowは僕の一個下なんですけど、僕たちがやってたパンクのイベントに彼も参加してて、彼は違うバンドのドラムをやってて、そこで出会うようになりそこで仲良くなり、それでそのバンドは3年くらいで終わって、ボーカルのやつが「今度は東京に行く」ってなったんで、「東京に行ってプロでやる」っていうふうに言ったんで、自分も「ついてきてくれ」って言われてたんですけど、自分はまだ行くのは早いなと思って、そこで一旦バンドは止めて、1年過ぎて彼が東京でバンドをやってて、また「ギターが足りないから」って言われて助っ人みたいな感じで東京に1年半くらいバンドをやり、で挫折をして、プロの人たち、向こうのインディーズの人たちはすごいうまくて、それを見て衝撃を受けて、
「自分の腕ではこの人たちにはかなわねぇな」
と思い、挫折をして郡山に戻ってきました。
 東京で夢破れ、郡山に戻ってきて、本当にどこにも行くとこが無く、親にもこっちに帰ってきたっていう連絡もできなかったので、それでその当時仲間だった人たちには連絡をして、
「じゃあ今日は家来いよ」
「明日はうちに来いよ」
って言ってくれてたので、そういう生活を3か月くらい続けて、それでそこから多分どこかで親に見つかったんですよ。
「なんで郡山に居るんだ?」
ってうちの親父に見つかり、
「実はこういうあれで・・・夢破れ帰ってきたんだけど、家にも帰り辛い。仕事も何やっていいかわからない」
っていう話をしたら、
「遠慮する必要はないから、とりあえず家に帰ってこい」
と言われ、仕事も「もう一度チャンスをやるから、うちの車屋でやってみろ」と言われ、またやり始めました。
 郡山に戻ってきて、さっきも話が出たDJ Manbowが郡山の駅前のほうで洋服屋さんをやっていて、それを知らずにたまたまそのお店に行ったらManbowがいて、そこで
「何やってんの?お前?」
「ここ俺の店なんだ」
っていうふうになり、そこに通うようになってヒップホップを覚えていき、ヒップホップを聞き、また鳥肌が立ち、これはもうパンク以来の衝撃だと思い、それからヒップホップにどっぷり浸かってきましたね。
 パンクから感じたものは、そのLaughin' Noseとかいうバンドも戦争反対とかそういう歌とかもやってたし、いろいろ社会に向けていろんな言葉をあの人たちなりに発してて、自分たちの作った曲でもそういう・・・政治に向けてとかそういうのもやってたので、自分の場合あんまり興味が無く、ギター弾くばっかりだったんで歌詞とかにあんまり興味がなかったんですけど、その歌詞を聞くとやっぱり政治に対していろいろ言っていたので、知らない間にそういうメッセージが身体の中に入ってるのかなと思います。
 ヒップホップからは、いろいろ学びすぎて何を言っていいかわからないんですけど、自分が感じてるのは、仲間との絆というか、が一番大きいですね。
 ヒップホップに出会い、レコードととりあえずターンテーブルを買い、自分では練習してたんですけど、やっぱり周りにManbowとかがいて、やつはもう何年もDJもやっててうまいし、自分は一度東京で夢破れて挫折してるので、もう一度チャレンジしてみようという気持ちにはなれずに、人前ではやらなかったですね。DJとか。
 自分はDJもちょこちょこやり、自分でもラップを書いたりフリースタイルと言って、そういうのを。今はできなくなっちゃいましたけど、昔は郡山の駅前とかに行くと、沿いう子たちがたまっていて、目の前でラップの言い合いをしてたりとか、そういうのはやってました。
 やってるときは燃えましたね。かなり熱くなり。でも自分の場合は熱くなると手が出ちゃうので。
 自分は23の時に1回目の結婚をして子供ができたので、1回目の結婚をして27で離婚しました。その1度目の結婚してる間は、ずーっと親父の車屋さんで働いてました。その当時は営業とか全てやらせてもらってたので、ほとんど一人でできるくらいにはやってました。
 自分も年々真面目というか、子供もできたので真面目にやってたので、うちの親父としても
「いずれはお前は後継ぐんだからな」
っていう話をされてたので、自分もそのつもりでもいたので、一生懸命その時はやってました。
 27の離婚する前くらいの時に、ちょうどうちの親父がちょっとやらかしちゃいまして、逮捕されるはめになり、それで、その時はすぐ出てきたんですけども、その逮捕されてる間に周りの中古車会社の方からいろいろ責められ、
「出てきたらうちの親父にもう一度社長職としてやらせるのはどうなんだ?」
っていう話がずーっと出てて、今まで働いてた従業員たちもその周りの人たちに言いくるめられるみたいな感じになって、その逮捕されて新聞とかにもでかでか載っちゃったので、もうみんな知ってる感じだったので。
 それで、とりあえずうちの親父は社長を辞めてくださいみたいな感じになり、それで少しは働いてたんですけどやっぱり自分の親父が作った会社で、他の人が社長でやってるっていうのは、自分はすげぇ嫌だったし、その時に自分が「俺が社長やります」って言ったんですけど、
「身内が社長をやるっていうのもダメだ」
みたいな周りの人たちにもすげぇ言われてて、こんな訳わかんない大人の人たちとこれ以上いるのもやだなと思い、辞めました。
 それで辞めてちょっとして、仕事探してたんですけどなかなか無くて・・・。
 要は、前の嫁の方がほかに男を作って出ていったみたいな感じ。その前からあまりうまくはいってなかったんですけど、仕事もなくなり金もなくなりっていうのが多分引き金だったとは思います。大きく言えば、蒸発みたいな感じです。
 仕事上ではなく、うちの親父の知り合いが郡山で風俗を始めるという話になり、どこかケツ持ちを紹介してくれっていう話になり、うちの親父のお兄ちゃん分の人にケツ持ちをしてくれという話をしたら、そのお兄ちゃん分の人が多分高額な月々のお金を請求したらしく、その現場に喫茶店かどこかでそういう話し合いをしてるところにうちの親父の友達が間違ってというか、自分は脅迫されてるんだと思い込んで警察の人を呼んじゃって、そのまま逮捕になっちゃいました。
 結局は警察署に入ってて、うちの親父の友達が取り消してくれたんですよ、被害届を取り下げてくれて、一応出てこれたみたいな。誤解だっていうふうになったんですけど、周りはやっぱり新聞にも出ちゃったし、うちの親父がやってた車屋自体が郡山で一番二番目くらいにでかい中古屋さんだったので、それも社長が暴力団と一緒に何やってるんだっていう話になり・・・いろんなですね。
 お父さん戻ってきてから結構廃人のように・・・今まで信用して使ってきた人たちにもそう言われ、仲間だと思ってきた同じ中古屋さんの人にもぼろくそに言われて、「今まで何をやってたんだ」となり、結構半年くらいは廃人のようになってました。
 その時出てきたばっかりのときは、俺が
「ここの会社を継ぐからそれでいいだろう」
っていったら、うちの親父も「そうしてくれ」。そこでいろいろうちの家族で頑張ってきたんですけど、周りが・・・「株持ってるどうのこうの」とかでいろいろな・・・俺にはよくわかんなかったんですけど、そういうのがあり、駄目になっちゃいました。
 出てきたときに、多分入ってたのは2週間くらい、20日間拘留を多分やったんですよ。その時に結構げっそりしてて、今まで見たことないような、今までは本当におっかない親父っていうイメージだったんですけど、全然その時は覇気もなく、こういう親父は見てられないなぁっていう感じでした。
 その時に、「この会社は俺が守んなくちゃならない」とは思いました。
 正直、自分でも一番は子供が自分の手から離れるっていうのが一番ショックで、それプラスうちの親父もあんなふうになり、自分自身も結構立ち直るまで時間がかかりました。
 その当時は人と会うのも嫌で、外に出るのも嫌だっていうのもあったんで、実家の自分の部屋に鍵を付けて引きこもってたし、体調も悪くなってきてたんで、本当に引きこもり状態でした。
 うちの親父は結構立ち直りが早くて、「自分の車屋なんてもういらねぇよ」っていうふうになり、それでもともとうちの親父麻雀が大好きで、麻雀、雀荘を作り、今でもやってるんですけど、そこで仕事してますね。

 うちの母は、すごい真面目な人で、自分とか親父とかともまるっきり正反対の感じだったんで、本当に俺たちがなんかするたび、親父が何かするたびにきちがいみたいに狂ったように暴れてたんですよね。お母さん<笑>もう学校に呼ばれるたびにうちの母親が来てたんですけど、
「なにやってんの!!!」
みたいな感じで、気性が激しいというか、当時精神的に病んでたと思うんですよ。その当時は。俺も酷い。うちのねぇちゃんも酷かったんですよ。ねぇちゃんも酷くなり、俺も酷くなり、親父はもうずっと酷い。30だったので、それでもうプッツンきてましたね。
 でも当時は、うちの親父はお金がいっぱいあったので、だからお金を何十万何百万単位でうちのお母さんに上げて、新しいAudiとかベンツとか新車が出るたびに与えてたんで、それでお金でなんとかしてたみたいな感じですね。
 うちの親父が捕まって出てきて、そういう方達の縁は全て切ったので、そこから雀荘を始めてその雀荘にもそういう方達は一切入れないという形をとってるので、うちの母も家族みんな安心してます。
 うちの親父が最近よく言うんですけども、
「本当にあの時に捕まって良かった。」
 捕まっていろいろあったけども、いろいろあった中で、やっぱり普通の人が一番いいっていうのがあったらしく。「中途半端でもダメ。そっちの線を越えてもダメ」ってよく自分も言われるんですけど・・・、最近の親父を見てても、昔は目つきがギラギラしてたんですけど、そういうすっぱりそういう人たちの付き合いを辞めてから、生き生きとするようになってきたので、家族としてもそういう生き生きしてる親父を見るのが初めてだったので、本当に線ははっきり引いた方でいいんだなと学びました。

 34の時に今の嫁と、当時友達の紹介だったと思うんですけど会って、今の嫁っていうのは一回り下で、それで「だいぶ若いおねえちゃんだな」と思いながら付き合ってたんですけど、その34の時に子供ができたというふうになったので、籍を入れたんですけど、1人目の子供はお腹の中にいる時点で、「心臓が逆になってる」と言われたんです。
「心臓が左じゃなくて右にある」
と言われて、それでとりあえず生むことはできるんだろうけど、生まれたらすぐに手術をしないときっと名前とか忘れたんですけど、結構ややこしい心臓の病気だったらしくて、生まれてすぐに取り出したらすぐに手術をしてやらないとダメだと言われ、最初郡山の病院で見てもらってたんですけど、「うちじゃ手におえない」となったので、福島医大の方を紹介されて週1回診察に福島医大の方にいってましたね。
 それで結局のところは、生まれる月の最後の検診の時にお腹の中で「心臓の音が止まってる」と言われ・・・。その日は出せないので、
「とりあえず3日間薬みたいなのを貰って様子を見て、その後入院して人工的に陣痛を出してやるので」
と言われたので、その時は家に帰り、その後3日くらいしてまた福島医大の方に行って、人工的に陣痛を起こすやつでやってもらい、息をしてない赤ちゃんを取り出して。
 嫁には見せられなくて、取り出した姿を。嫁も見たくないとなったので、もう自分なりにやって・・・。
 それで1人目の子供はそういう病気があってダメでした。
 その後・・・、おととしにもう一度妊娠したっていうのが判り、じゃあ今度は大事に大事にしようというふうになり、もうその時は嫁はバイトしてたんですけど、バイトをすぐやめさせて、ほぼ自宅監禁くらいの感じで。
 それで次の子は無事に生まれてきました。女の子です。
 まぁ一回目のがあったので、すごい悲しい体験をしてたので、その出てきた瞬間はもう泣くくらい嬉しくて、まして初めての女の子っていうのがあったので、「大事にしないと」と思いました。自分的には、もう結婚する気とか全然なかったんですけど、相手も一回りも下だし、ただ付き合ってるだけみたいな感じだったんですけど、なんか付き合っていくうちにあまりにも下すぎるので、「俺が何とかしてあげなくちゃこの子はダメなんじゃないのか」みたいな感じになってきて、それで子供を作ろうという感じで、籍を入れる覚悟で子供を作って、両方の親に結婚しますというふうに言いました。
 うちの嫁の方も、ちょっとやんちゃしてたらしくて、嫁の親からは
「俺と一緒になって暮らすようになって真面目になった。親ともちゃんとまともに会話するようにまでなれたから、それはあなたのおかげだ」
と言われ、なので全然結婚には賛成でした。
 改めて親になってみて、本当に俺の場合はすげーいっぱい迷惑をかけてきてたので、知らない間に親に迷惑かけて、親に頼ったりもしてて甘えたり・・・もあったので、やっぱり親の存在っていうのはすげぇでかいなと思うし、娘ができて娘には本当に幸せになってほしいし、俺みたいな男にもつかまってほしくもないし。なので大事に育てたいです。
 子供にはすごい優しくしてます。嫁の親にも誕生日とかにはいろいろ買ったりもしてあげてるので、優しくできてるかなとは思います。嫁にはまだいろいろ迷惑かけてるので、もう苦労かけっぱなしですが、幸せな日々でしたね。普通に何もなく、落ち着いて生活してたんで、すげぇ幸せでしたね。
【3.11】46:15頃
 3.11は自宅に居ました。
 自分は自宅で寝てました。しかも全裸で寝てました。寝るときに自分全裸なんで。ほんとに全裸でそのまま寝てた感じで、あの携帯のエリアメールが鳴って、自分が寝てる部屋と隣に嫁と娘がいたんですが、そのエリアメールで叩き起こされ、それで3.11の前に何回か震度4くらいの地震があって、そのエリアメールが来るくらいの。3,4回あったのかな。自分の家はマンションで4階建てなので、古い建物だしすごい揺れるんですよ。震度4くらいでも。そのエリアメールなんて今まで聞いたこともなかったし、それで1回目、2回目、3回目くらいのときにエリアメールが来るたびに、とりあえず外に出ようと。崩れるんじゃないかと思ってたので、とりあえずエリアメールが鳴った瞬間に外に出ようと嫁と話をしてたので。
 その3.11の時もエリアメールが鳴り、嫁と娘のところに行ったらもう既にバックとか持って外にでる準備してたので、自分はパンツだけ履いて、とりあえず嫁に「お前ら外に出ろ」って言ってたんですよ。嫁が玄関に出るときくらいにものすごい揺れが揺れ始まってきて、とりあえず自分も服着てる暇ねぇよとおもって、パンツのまま外に出て。
 階段で降りようかなと思ったんですけど、階段の踊り場もものすごい揺れで、崩れるくらいの勢いで揺れてたんで、嫁はしゃがんで子供抱っこしたまんまで動けなくなって、とりあえず嫁に子供抱っこしてたら子供危ないなと思って、俺が抱っこするって言って、抱っこして「気合で降りろ。絶対崩れるから」って言って、それで4階から俺は階段十何段ありますが、それを全部ジャンプして1階まで降りました。嫁もジャンプして。パンツ一丁で降りました。
<49:20頃まで>


【後半】へ続きます。

失礼します。
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