※この記事は、百人百話シリーズの第48話後編で3月2日 【内容起こし】IWJ百人百話 第48話 佐々木道範さん『無関心に生きてきた僕の人生が原発を爆発させて、子供たちを苦しめている』 【前半】の続きです。
また、2月29日 【内容起こし】IWJ百人百話 第46話 大橋さらさん『伯父さん、このまま住み続けて大丈夫だと思う?』に関連しています。


<01:08:00頃~>
 もちろん国も東電も僕は許せませんけど、でも僕も加害者なんじゃないか、子供たちを苦しめてるのは僕なんじゃないかって。そしたら、なんかすごい僕の中で楽になったんですね。なんかワケわからない怒りの中で悶々をしてたけど、
「やっぱ僕のせいで子供らが苦しんでんだ。じゃあ僕が・・・子供たちに、子供たちにいきいきと生きられる、輝ける世界を、僕がなんとかしなくちゃいけないんだ」
っていう、本当にすっきりしたっていうか、子供たちに救われたっていうか。
 だから、ただ怒りでしかなかったんだけども、今は子供たちに教えられてすっきりして・・・楽しくっていったらおかしいんだろうけど、毎日楽しく除染活動しているというか、なんかふっきれたなと。
【震災後、TEAM二本松が活動を開始した時の話】

 震災後幼稚園を再開するということで除染を始めたんですけども、とりあえず・・・とりあえずの除染ですよね。きちんとした除染ではなかったと思います。屋根に降り注いだ放射性物質を洗い流すのと、壁に付着したのも洗い流して、園庭の土を剥いでっていうような作業だったんですけど、高圧洗浄機っていうのも僕は初めて見たし、それはホームセンターで買ってきて、屋根を洗って。
 最初、放射線を測るガイガーカウンタが無くて、しばらくは計測もしないでやらざるをえなかったので、どのくらい線量が下がってるのかっていうのもよく判らない中で高圧洗浄機をかけて、幼稚園の土を剥いで。
 市が測りに来た時は、園庭の数値が随分下がったので良かったのかなとその時は思ったんですが、結局あとからいろんな方の支援でガイガーカウンタを手に入れることになって測りだしたら、そんなに下がってなくて、神戸大の山内先生にいろいろお聞きしたりして、
「屋根がやっぱり高いんだから、屋根をなんとかしないと下がらないんじゃないか」
ということで、でも、高圧洗浄機かけても下がんないんだったらどうしたらいいんかなと思って。
 そしたら、業務用の高圧洗浄機を寄付していただいて、その業務用の高圧洗浄機で時間をかけて塗料ごと剥がしていったら、随分下がるようになったんですけど。
 でも、やっぱりゼロには、3.11以前には戻らないし・・・下がっても。屋根を張り替えるしかないなって、そこは悩んでたんです。やっぱりお金が・・・かかるし、見積もりを出したら500万くらい屋根をやりかえるのに掛かるっていうことで。
 でも、子供たちが外で遊べなくて、幼稚園の中に居るわけだから、やっぱり屋根を変えないことにはどうしようもないなということで、屋根を張り替えようということになっていって。
 それともう一つ。
 ソーラーパネルをつけて、原発の電気は要らないっていう表現というか、発信を幼稚園でしたいっていう思いもあって、冬休みを使って、子供たちが居ない間に屋根の張替えをして、今度春休みにまた子供たちが居ないい間に太陽光パネルを乗せるようなふうに今考えて、業者さんと打ち合わせをしてるんですが、今足場を組んでやっているのが屋根の張替えの作業です。屋根の張替えだけでは、線量がさがらなくて。というのは、雨どいがものすごい高くて、それで雨どいも一緒に取り換えてもらうということで、今両方の工事を、一応冬休み期間中に子供たちになるべく放射性物質をまき散らせないようにと思って、冬休みの間で作業を終えたいなと思っています。
 ガイガーカウンタが5月の末くらいだったと思うんですが、初めて幼稚園の空間線量測った時は、雨どいの下の側溝で30マイクロシーベルト/時ですかね。屋根が場所にもよりますけど3マイクロシーベルトから5マイクロシーベルト/時くらいが屋根の表面の線量で、最初にホームセンターの高圧洗浄機を掛けた時は、3~5あったのが、1~2マイクロシーベルト/時くらいまでは下がったんですね。
 でも、それ以上は下がらなくて、今度業務用の高圧洗浄機を借りてきて掛けたら、1~3くらいの0.5マイクロシーベルト/時くらいまでは下がったんですが、やっぱりそれ以上は下がらなくて。
 どうしようかって悩んでる時に、山内先生が測りに来たりして、でも張り替えないで100%下がんないんであれば、張り替えるしかないなという思いの中でいたんだけども、お金の面もあって、そんなすぐ500万とかは出せないし、どうしたらいいかなとか悩みながら、でもやっぱりやるしかなかったんですよね。その子供たちは通ってくるし、山内先生も、
「もう太陽光にしちゃったらいいんじゃない?原発の電気なんかいらないじゃん」
っていうアドバイスもあって、いや、ほんとそうだなと思って、
「原発でこんなに苦しんでるのに、そうだ。うちの幼稚園でそれを発信できたらいいな」
と思って、それで屋根の工事が始まって。
 幼稚園の教室も0.3くらいだったのが、今0.1台くらいまで屋根を張り替えて下がってきてるので良かったなぁというふうに思ってます。
 やっぱり地形にもよると思うし、やっぱり雨とか雪で降り注いだのが、だんだん下に落ちてくる傾向があるようですし、うちも裏手に山を抱えてるので、裏にお寺の墓地が山なので、そこからどういうふうに放射性物質が流れてくるのか、どういうふうに放射線量が推移していくかわからないんだけれども、でも、判らなくてもやらざるを得ないというか、やっぱり子供たちがそこで生活する以上、これから爆発しない限り、僕はこの二本松まで飛んでくるとは思わないんですけれども、一応50㎞~55㎞原発から離れてるので、日常的に放射性物質が降り注いでいるのであれば、僕も除染したって仕方ないと思うんだけれども、今、その山内先生とかと話をしたのは、
「爆発によって降り注いだやつが残っているんだ」
っていうことで、だから除染・・・地形にもよるっていってますが、それは僕も何とも判らないので、除染して上がっていくようだったらまたやるしかないのかなと思いますが、でも、今のところ除染をしてうちの場合は上がってきてはいないので、これから測りながらどういうふうになっていくのか、ちょっと経緯をきちんと見定めないとなというふうには思っています。
 妻には、
「寺なんかどうでもいいんだ。命が一番大事だし、命のためにどういう決断をしていくのか考えてくれ」
というふうに妻には言ったけれども、僕はやっぱり妻を逃がしたけど僕は逃げなかったし、門徒さんがみんな逃げたら僕も逃げるけど、ここに生活・・・してる人が居て、しかも寺に頼ってくる人も居て、僕は逃げれないなって漠然と思ってましたね。船の船長じゃないけど、やっぱり最後に僕は逃げるべきなんだろうなって、すごい嫌だったですけどね。
「被曝したくねぇ。被曝したくねぇ」
って思いながら過ごしてたし、でも、妻とか子供たちには命っていうところだけ考えてほしかったんですよね。いろんなしがらみの中で決断していくんじゃなくて、命のために、未来のためにどういう決断をしていくのか。
 やっぱりいろんなしがらみがあると、どうしても決断も難しくなっていくから、だから妻には
「寺なんか無くなったっていいんだ。大切な命を守るために考えてくれ」
っていうふうには言いましたが、僕はやっぱりでも、逃げちゃ駄目なんだろうなっていう思いで。
 まず、仕事から僕は命と向き合う、死と向き合う仕事ですから、死の現場から門徒さんたちにどういうふうにイキイキと生きていくべきなのかっていうことをお話しするし、命っていう視点から話してる僕が、その門徒さんたちがどうしていいか判らずに、しかもきちんとした情報が二本松に届かない中で、僕だけが逃げるっていうことはできないなって。きちんと門徒さんたちに原発のこと、放射能のことをちゃんと伝えて、それでみんなで逃げれたらばとは思ったけど、なかなかそういうふうには行かないですね。
 でも、5月の時点で門徒さん呼んで、原発の勉強会はしたんですけどね。でも敵がっていうか、何ていうんですかね、御用学者さんっていうんですかね、「大丈夫だ、大丈夫だ」って言ってる人たちがものすごくて、僕が門徒さんたちにいくら
「放射能って危険なんですよ。命を蝕んでいくんですよ」
って言っても、なかなか5月の段階では全然聞き入れられないような状況があったですね。
 今は、だんだん情報がちらほら出てきて、牛から出たり米から出たり、水から出たりして、だんだん二本松の門徒さんたちも
「なんだか騙されてたんじゃねぇか?」
って思い始めてるけど、その5月くらいだとまだ「大丈夫だ」っていう学者さんたちの・・・あとテレビの「ただちに健康に影響はない」ってそこが強くて、いくら僕が叫んでもその時は通じなかったなぁっていう。
 でもきちんと僕が門徒さんたちに命のこと、放射能のことを伝えずに逃げるっていう選択はできないなって、それはだって、僕が坊主になるって覚悟を決めた時からだと思うんですよね。
【仏教に出会って救われた23,4歳の頃】
 坊主になろうって覚悟を決めたのは、その当時の僕が仏教に出会って救われたからですね。
 親鸞の教えが僕を包んでくれたというか、お世辞にも立派な人生を送ってきてないし、悪いことばっかしてきたし。でも、そんな僕の歩んだ人生じゃなくて、僕の中に生きている命は等しく輝いているんだっていうか、そのままのお前で輝いてるんだっていうような教えに生きる勇気をもらったというか、
「立派なお坊さんの命だって悪いことばっかしてきたお前の命だって、命に差はないんだ」
っていうところの感動したっていうのはでかいなというか、
「あ、こんな素敵な教えなんだ」
っていう。僕の父も祖父も坊さんですから、教えに関してはずっと言い続けてたと思うんだけれども、肝心の僕のアンテナというか僕の感覚が・・・親父も爺ちゃんも発信してたんだけど、それを受け止める僕が全然受け止めてなかったというか。
 いろんなものに絶望したりもがいたりした、その時期だったからこそ、悪人だからこそ救われていくんだっていう親鸞の教えが響いたというか、「お前を救うんだ」って言ってるんだなって感動したというか。
 やっと腑に落ちたんでしょうね。自分のことだって感じられたというか、他人事のようにしか感じられなかったけれども、「あぁ、こんな俺を救おうとしているんだ」っていう感動があって、今までは感じられなかったんですよね。教えだけは聞いていたけれども、なんか僕のほうがきちんとキャッチできていなかったというか。
 そんなもがいて、いろんなものに絶望しかかってた僕に、初めて届いたというか、その瞬間に届いたのが親鸞の教えだったので、「あぁ、こんな素敵な教えなんだ」って。それを僕が伝えていくことなんだっていう、なんか覚悟が定まったというか。経済活動としての坊さんではなくて、きちんと命の教えを皆が等しく生き生きと生きられる教えを伝えていくことが、俺の勤めなんだっていうふうに覚悟できたんですね。その瞬間にというか。
Q.それはいつだったんですか?
 23、4ですかね・・・。
 なかなか響かなかったけど、そこからはもうブレてないですね。この辛いことも悲しいこともあるけど、生き方として坊主でいたいっていうか。だから経済活動は別に成り立たなかったら僕がバイトしたらいいんだし、そういう意味で経済活動としての寺だったら無くてもいいなと思うんだけれども、やっぱりその門徒さんたち、僕のたいせつな人たちに命の教えを伝えていくっていう生き方は、その時からブレてないなというか。
 だから、妻にはちょっと矛盾してるとは思うんだけれども、妻にはやっぱり子供たちのことだけ考えて生きてほしいし、もう結果僕と妻がバラバラで子供たちが良い訳もないし、ある意味、妻にも子供たちにも申し訳ないなと思いながら、でもこの場所でなんとかしたいなっていうところで今もがいてますけども・・・。
 でもやっぱり、東京のあちこちでケンカしていくうちに<苦笑>、いろんな知り合いができたりして、なんかあったかかったですけどね。その時の僕を・・・まぁ普通からいったらただの暴力団としか見えないのかもしれないけど、僕はそいつらとなぐり合ったことがあったかかったし、生きていく勇気だったし。まぁダメなんでしょうけど<苦笑>
【ガンで亡くなった母のこと】
 母は亡くなる1年ちょっと前にお医者さんから「もうダメだ」と言われて、でもその抗がん剤治療しながら、ものすごい・・・苦しんでて、おかあちゃんに
「もう抗がん剤やめようよ」
っていって。そしたらかあちゃんも「わかった」っていって、そこからうちに戻ってきて、ずーっとかあちゃんの看病しながら1年ちょっと・・・その当時は嫌なこともあったけど、おむつ取り替えたり食事を無理やり口の中入れたり、そんなかあちゃん1年間看病していく中で、かあちゃんを1年ちょっとで死んだけど、なんか僕に死に様というか、きちんと見せてくれたなっていうか、見事に生ききって死んでいったなぁって。死んでほしくはなかったけど、でも、なんて表現していいかわからないけど、命を感じさせてくれたというか、本当に格好良くじゃないんだけど、なんていうのかな・・・いい死に様っていうか、見せてくれたなっていうのが今は思います。
 だから、僕もきちんと死に切りたいなっていうか、生ききりたいっていうか死にきりたいっていうか・・・。
 妻も一緒になって看病してくれて、子供たちも手当てしてくれたり、なんかステキな1年間だったなっていうか、みんながかあちゃんの命を感じながら生活できて、そのかあちゃんの命が僕にも伝わってるし、僕の子供たちにもつながっていて、死ぬことで命を教えてくれたなっていうふうに思って、かあちゃんありがとうって思いますね。今。
 震災の1か月前だったし、もうお墓も壊れちゃってまだ納骨ができないんだけど、でもなんかそのかあちゃんがエールを送ってくれてるような、
「きちんと生きろよ。子供たちを守れよ」
って言ってくれてる、勇気にはなってますね。
 かあちゃんに手を合わせると、「やべぇ!除染しなきゃ!」とか思うし<笑>
 お墓は、3分の1くらいは倒れたんじゃないでしょうかね。山も墓地も崩れましたし、未だに倒れてる墓もまだあるし、石屋さんも忙しくてなかなかあれなんでしょうけど、亡くなっていったご先祖様たちが怒ってんのかな?って思ったり、子供たちがいきいきと生きれない福島にしてしまって、本当に申し訳ないなというか、なんか辛いですね。墓が倒れてるのは。
 僕の中で家族を避難させたいっていう気持ちと・・・でもここに居座り続ける、ここに居る僕と・・・でも子供たちは幼稚園に通ってくるし、僕の家族は放射能の中にいるし、だかあら除染する。でも除染することで避難を妨げるっていうこともあるんだろうなぁと思いながら・・・。でも少しだけ安全に、これで良かったって思わないけども、僕の家の幼稚園が夏休み北海道に子供たちを連れていって、その北海道で放射能勉強会をして、親御さんたちと子供の未来のことや放射能の中でどうやって子供を守って生きるのかっていう話し合いをできたっていうことも、僕はすごい良かったと思っていて、夏休み8名かな、9名かな、幼稚園辞めていって県外に避難してるんですよね。だから、そういう意味でも、経営者としてはまずいよなと思うけど、でもその辞めていってくれたことが本当に命を選択して決断していったんだなということで、本当良かったなと思うし、いろんな氏支援団体から、ガイガーカウンタを貸出ししていただいて、幼稚園の保護者の人たちに配って、
「子供たちの生活空間を測ってください。もし高いところあったら除染しますから」
っていうことで、貸し出して測りに行って、除染して・・・それをどういうふうに感じたかわからないけど、その親さんが、お父さんが決断して県外へ仕事を探して、避難することになって。
 だから、除染することで子供たちに注意させることや僕らの活動でも避難してくれる人たちが出ていくんだっていうのは、ちょっと勇気にはなっているというか。
 今福島で一番問題なのは、僕は放射能によって断ち切られていくというか壊されていく家族の絆というか、いろんなとこの絆が壊されていって、僕の家もそうですけど僕の周りもそうです。夫婦で喧嘩、夫婦喧嘩が絶えないんですよね。毎日放射能の話になるし、毎日何食べていいのか、何飲んでいいのか・・・命にかかわらない選択だったら簡単にしていけると思うけど、子供の命に関わる決断を毎日していかなきゃいけないという生活にも皆疲れてしまって、本来しなくていい喧嘩が、僕の家もそうですし、近所の家のお父さんも当たり所がなくて壁壊しちゃったり、なんか至る所で夫婦喧嘩が・・・。
 仕方がない部分もあると思います。二本松市の中ですから、やっぱり共稼ぎよりかは旦那さんが仕事してお嫁さんが主婦でっていう。だから、女性は子供の命や未来を考えて避難したい、でも男性は経済活動やしがらみの中で腰が重くて動きだせないっていうような・・・僕もそうですけど。
 そんな中でぶつかっていくんだろうなっていう・・・。
 なんか光が見えないのが一番かなっていうか、答えも判らないし。「危険だから避難しろ」っていうことにも、僕は限界があるなっていうか。じゃあ避難してどうやって生活していくのか。だって危険なのはみんな判ってるんだもん。でも、出来ない現実があって、「きちんと引き受けるから。仕事もあるし、大丈夫だよ、来て下さい」っていう避難のさせかただったら僕はいいなと思うけど、ただ「危険だから避難した方がいい」っていうのは、なんかこう、3月の当初だったらまだ聞けたかもしれないけど、もう10カ月以上経って、今・・・の精神状態で福島の人たちが聞けるかっていったら、それは難しいんだろうなって。ただ追い込んでいくようなことになってしまわないのかなって。 光さえあれば、僕は歩めると思うけど、なんか・・・・・・難しいなぁ・・・。
 今日も幼稚園の保護者がガイガーカウンタを返しに来た時に、
「連休どうするの?」
って言ったら、
「山形にアパート借りてるんで、連休は山形で子供たちを遊ばせてきます」
って、そこの家の土手は、未だに30マイクロ以上あるんですよね。
 家の庭を挟んでこちらの土手のところが・・・。
 週末は山形にアパート借りてるんで行ってるけど、でも今度そこの家の土手を除染することになって・・・だから、ホント、除染するから住むのか、ちょっと最近思うのは、だから何人か避難する人たちが出てきたので、踏みとどまらせるだけではないんだなっていうか、僕たちがマスクして除染してる作業を見て、
「あ、放射能まずいのかな。子供たちどうしたらいいのかな」
って考えるきっかけになってるんじゃないのかなって思ったり。でも何が正しい、僕がやってるのが正しいんだって思い・・・思えない部分もあるし、でも、僕はそこでやり続けようと思いますが、正しいか正しくないか、それは・・・子供たちが単純に個々に判断してくれたらいいなっていうか。
【佐々木さんは原発が爆発した直後、妻と子供たちを新潟へ逃がした。だが妻の姉(大橋さらさん)一家は逃げなかった】
 僕が引っ掛かってたのは、子供・・・僕の想いとしては、無条件に子供の命を洗濯してほしいっていう想いがあったのと、もちろん彼女もいろいろ葛藤してたとは思うけど、僕は・・・旦那さんと子供の間で迷ってたんだろうなっていうところで、僕の想いとしては、
「旦那なんか置いていったって、なんとでもなるじゃん」
っていう想いだったのかな。夫婦で話し合って決めたんだって言ってたけど、僕の妻もずっと気にしてたし、新潟に避難して「なんで避難しないんだろう」っていう。
 僕はこっちにいたので、どういうふうに話したんだっけな。まだ原発がどうなるか判らない状況だったので、
「なんかあったらもう逃げてくれ。そっちを選んでくれ。わからないけど」
って・・・そういう思いで、多分僕は言ったと思うんですけどね。
 いや、難しいですね。なんで同じ苦しんでるのに対立していくんだろうなっていうか、本当に・・・話の仕方があるのかな。
 でもみんなに皆受け入れられるように話もできないと思うし、でも、僕が嫌われることより大事なこともあると思うし、僕も結構震災当初は嫌がらせが来たりもあったけど・・・嫌ですけどね。その変な嫌がらせとか受けるのは。その時妻も子供も新潟行ってたから、僕だけだったから良かったですけど、きちんとここに傷ついたって言ってくれるんであれば、なんか対応とかできるんだろうけど、一方的に話し合いにならないような言い方されても、なんの返しもできないし。だから、最近はそういうとこ、ふっきれましたね。最初は嫌だったですけどね。
 近所の人たちも、
「あのバカ息子、何かやり始めたぞ」
みたいな。
 『大丈夫だ』先生って僕は言ってます。先生の講演に行って質疑とかしたんですけど。
Q.山下さん?
 はい。
 したら、周り皆知り合いの人たちだったので、
「なんで大丈夫だってせっかく言ってくれてるのに」
みたいなのだったり、その除染し始めたことに対しても、
「やめてくれ」
っていう。
「みんな不安がる」
 あと、幼稚園児の通学路をガイガーカウンタで測り始めた時も、「やめてくれ」っていうような。
 食品を測って公表し始めても、「やめてくれ」っていう人もいるし。
 でも、僕だけだったらあれだったけど、やっぱり僕の周りが支えてくれてるし、特に家族が、僕が嫌がらせ受けても僕を信じてくれてるというかね、結構そういうところで支えられてるからやれてるのかな。
 僕もへこみますからね。だって脅しの手紙とかきたら、「なんだよ」とか思うけど、子供たちが遊ぶ公園を除染し始めたら、
「公共事業の邪魔すんじゃねぇ」
とかっていうことになっていくし・・・
Q.要するに除染利権に触れてるということですね?
 なんでしょうね。ブランコに乗ってるのに、子供たち。除染しなかったらと思うし、いろんなとこで嫌がらせがあったけど、なんか逆にそういうエネルギーが出てきたかな。
 支えてる方があったかいし、いろんな人たちに支援されてることのほうがでっかいなぁっていうか。直接家にきて話するならいいんだけど、なんか誹謗中傷だけされても、その時間もったいないなと思って、最近。「除染したいし」とか、「食品測りたいし」とか思うし、素敵な妻に支えられて、僕がうまいこと活動できるようにやらせてくれてるなと思いながら。
 僕は原点がやっぱり・・・「妻が大好きだから、子供が大好きだから」っていうところなので、そこだけは全然ブレないなと思いながら。たまに忘れそうにはなりますが、僕の一番大切なものはそこだし、僕の活動してる原点は家族だし、そこをどうにかして守りたい。
 でもありがたいですね。妻がやっぱり一番理解してくれているし、いろいろな場面で悩んでいても、僕を信じ切ってくれているというところが。だからこそ頑張らねばと思いますね。
【一番言いたいこと】01:56:40頃
 一番言いたいことは、『福島を忘れないでください』ということです。
 避難している人も出来ない人も、苦しんでいて・・・でもそれが忘れ去られることが怖いなっていうか・・・福島だけじゃ復興できないと思うし、子供たち守れないと思うし・・・。
 もう福島は疲れているので、放射能で心が壊されそうなので、助けてください・・・。僕一人の力では何もできないし、具体的な支援ってなかなか言いづらいんですが、忘れないでほしいですね。もがいて苦しんでいる人たちが居るっていう、どうやって生きていったらいいんだろうって悩んでる人たちが居るっていうことを忘れないでほしいですね。
 まだまだ福島の復興なんて、僕は・・・ないと思います。
 何か光の見えない中を、福島の人たちは・・・どっち歩いていいか判らない状態でもがいてるんだと思います。
 忘れないでください。
 助けてください。
 以上です。
【あ!粉ミルクのこと話してもらうの忘れてました!】01:59:40頃~
 NPO法人を立ち上げて食品の測定が始まって、子供たちが口にするものを測ろうということで、
「毎日口にするのは何だろう?」
「お米だね」
っていうことで、お米を測りだして、あと牛乳を毎日保育園でも小学校でも給食で飲むし、牛乳を測ろうっていうことで、基準値以下なんだけれどもセシウムが検出されていて。
 粉ミルク、赤ちゃんは粉ミルクしか飲まないし、粉ミルクってどうなんだろうって測り始めたら、やっぱり基準値以下だけども検出されてる。牛乳に関しては、牛乳だけで育つわけではないから、良くはないと思うけど、粉ミルクに関しては、赤ちゃんそれしか摂取しないのにセシウム入ってるって、まずいなと思って、その・・・買う方も入ってないと思って買ってるんだと思うし、何回か測っても出たし、だからそういうことで明治に交渉して
「セシウムが検出されてるので、きちんと公表してください」
って。最初は全然相手にされなくて、
「検査してますから。個人レベルの話には対応できません」
というような。うちの測定室ができたばっかりだし、信用もないのかなっていうのもあって、うちの測定室ではなくて同位体研究所というところでもサンプルを送って、その粉ミルクの検査をお願いして。
 そんな中で共同通信の記者さんが同位体研究所にちょうど来てて、それでうちに取材に来て、
「個人レベルで対応しないっていうんであれば、私の方から言いますから」
っていうようなことで、
「じゃあお願いします」
って。
 そしたら、公表して30何万缶ですかね、回収しますってことになったんだけども、そこまで僕は良かったと思うんですよね。赤ちゃんにちょっとでもずーっとセシウムを与え続けるっていうことは、僕だったら絶対したくないことだし、それはすごい良かったんだけども、その後いろんなメディアの方達が僕のところに取材に来て、僕が違和感を感じてたのは、大企業である明治を叩くってことがものすごいスクープになっていくんだろうなってことはもちろん思ったけども、明治を叩くことで本質からずれていくんじゃないのかなって。だって二本松の農家の人たちだって、子供たちだって、放射性物質さえ降り注がなかったら苦しんでないし、きちんと検査してない明治は僕は悪いと思うけれども、ある意味被害者だとも思うんですよね。原発事故による。去年だったらそんなことは無かったはずだし、その本質というか、原発事故が起こったから苦しんでいる人たちがいるんだっていうことが、なんかずれていくような報道になってしまっていたなというか、大企業を叩くことで
「明治だけが悪いんじゃないでしょ。明治も被害者でしょ」
っていうか、福島の農家の人だって、酪農家の人だって、みんな原発事故の被害者。誰が撒き散らしたのかっていうところが見えなくなっていくような報道の仕方だなっていうか、そういう違和感があって、その赤ちゃんを守るっていうことでは良かったと思うんだけれども、本来の放射能は何で降り注いだのかっていうところに行かないと・・・ずれていきそうだなっていうようなことを感じていました。
 全部のメディアに言ったんですけどね。叩いていくことときちんとなんでセシウムが混入することになってしまったのかっていうことも、僕が話してもそっちは全然・・・<苦笑>、もう誘導尋問みたいにされて・・・

 今、除染作業を福島県で、宮城とかでもやってるんでしょうけど、それを持っていく場所が決定しなくて、小学校だったらグラウンドの端に避けていたり、うちは下に置いてますけど、そこにもなんか・・・二本松市には浪江の人が役場ごと避難してきていて、何人かその避難所で、浪江の人とか双葉町の人とも話しましたけど、若い人たちは、もう帰れないと思ってる人も居れば、おじいちゃん、おばあちゃんは帰りたいと思ってる人が多かったりして、放射性物質をどこに持っていくかっていうところで、結局なんか・・・原発の近くに持っていくことになりそうだし、僕が除染していて思うのは、どこも世界中、地球中、どこも汚れていい場所なんて無いはずなんですよね。二本松でもいろいろな候補地ができて、「じゃあここの市の土地にやります」ってなったら、周りの人たちが「やめてくれ」って騒ぎ出す。当たり前だと思うんですね。
 結局、人が少ないところ。ってことは自然が豊かなところ。貧しいところっていうところに、その仮処分場を作っていくような発想が、なんかこの原発を作っていく・・・そういう発想と一緒だなっていうか。
 結局、自分の都合の悪いものを誰かに、結局弱いところに押し付けていくようなことになっていくし、なんか・・・現実的にどこかに作んなきゃいけないんでしょうけど、僕は自分の家に埋めてるし、除染した家には近所に言って埋めさせてもらってるけど、降り注いだからしょうがないと思うんですよね。福島の人たち。でも、浪江だけとか双葉だけとか、なんかそれも、なんか・・・帰りたい人も居るし。「爆発したからしょうがねぇじゃねぇか」っていったらそれまでなのかもわかんないけど、なんかその発想っていうか、原発作る発想と一緒じゃねぇのかなと思ったりして。
 だから、そこを越えるつながりというか、東京電力だったらこのくらい、みんな一個ずつ持っていってとか、なんかみんなで???いけるっていうか、みんなでなんとか、誰かに押し付けるんではなくて、そういう方法ってないのかなと思って・・・。すごいこの辺でも揉めてるし。どこに作る、あそこに作るっていうことで。
 なんかそういう発想で物事を考えていったら、原発なくなったとしても、また原発じゃない何かを作り出すような発想になっていくんじゃねぇのかなとか思いながら・・・
【以上】

失礼します。
にほんブログ村 環境ブログ 原発・放射能へ
にほんブログ村

人気ブログランキング