3月8日、NYで行われたNo More Fukushimas Peace Walkに参加してきました。

このアクションを知ったのは日系新聞の中で紹介されていて、No More Fukushimas Peace WalkのHPをチェックしてみると、この日程なら個人的にでも参加できるかもと思って連絡をしました。
 アメリカでこういうアクションに参加するのは二度目ですし、なにせ私はどこの団体にも所属していないために勝手もあまりわからないので、最初はどうしたものかとも思ったんですが、本当に行って良かったと思います。
 やはり一緒に歩いた方との素敵な出会いもあり、なんと今回は、福島から2家族が参加されるということで共同通信の方やローカル氏の記者さんなども数人いらしてました。
 

 今回福島から参加されたのは、ともに福島の郡山市から避難されている富塚ちあきさん、悠吏くんと深川よしこさん、凱聖くん、きらりちゃんです。4マイル(約6.5㎞)ほどあるZuccoti Park(Occupy Wall Streetの拠点だったことで有名だと思います)から国連前まで一緒に歩いてくれました。

参加者は最大で70名強くらいだったと思いますが、ほとんどがどこかの団体や何かの運動をされている方でした。

やはり日本山妙法寺というお寺のお坊さんが中心になって、「南無妙法蓮華経」と唱えながら街をゆく姿は、ニューヨーカーには鮮烈な印象を与えたのではないでしょうか。
すれ違う方の多くは立ち止まったり、「これ何のマーチ?」と主旨を質問して来たり、写真をとったり。
お店のほとんどがガラス張りなので、レストランやショップの店員さんもお客さんも目を真ん丸にして見ていました。
無題そうやって注目をされながら、私も自分で作ったプラカード(右側)でアピールすると、ほとんどの方は「うんうん」と頷いてくれたり、笑顔を返してくれたり、Goodの意味で親指を立ててくれたり、リアクションがあるんですね。
こちらの文化で、やはり道ですれ違う人とはアイコンタクトをしてスマイルするというものがありますので、こういうアクションに対しても、瞬間、ほんの一瞬だけど道行く人と共有できるという実感がありました。

また、NYPDもものすごく協力的で、コンスタントに4台のバイクでルートを警護してくれて、信号が赤でも車を止めて、私たちを優先にしてくれました。アクションが終わった後も、みんなで「ガイドありがとう」と伝えました。

家に帰ってきて、昨日歩いたルートをGoogleで調べてみると、23~4㎞をおおよそ7時間かけて歩きました。
私の鈍った足腰には、正直きつかった・・・。
帰ってきたら、もう足がパンパンで・・・(笑)今はもう回復してますけど!

私が個人的に撮った動画が1時間くらいありますので、それをUstreamでご紹介しました。

【動画】
2012.3.8 No More Fukushimas Peace Walk in NY

http://www.ustream.tv/recorded/20985320 (82:25)


なかなか、こういうふうに世界中でアクションがなされていることが日本に届かないのではないかと思います。
私も日本でどのような運動が展開されているのか、Ustreamなどでやっと知ることができています。


そういうところでもつながっていければと思います。

3.10~3.11にかけて、日本で、世界中でいろいろな催しがあると思います。
皆さんもそれぞれに、この1年という時の流れと、亡くなった方々の追悼、そして私たちの今後を見つめる週末になることだろうと思います。

この週末は、じっとそのことを考えようと思います。

失礼します
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なお、今回参加してくれた子供たちですが、1月に横浜で行われた脱原発世界会議での富塚悠吏くんのスピーチと、このピースウォークの前日に国連で行われた模様が共同通信で記事になっていたので、あわせてご紹介させていただきます。


なぜ大人は危険と思わなかったの 福島から避難の子が証言
共同通信(2012年3月 8日)
 【ニューヨーク共同】東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を避けるため福島県から首都圏に自主避難した母子が7日、ニューヨークで開かれた会議に参加し、子どもたちは「(旧ソ連の)チェルノブイリ事故の時、なぜ大人はいつか自分の国の原発も危なくなると思わなかったのだろう」と問い掛けた。

 東京都世田谷区に避難した小1の深川凱聖君(7)はチェルノブイリ事故とその影響を聞き「僕は放射能がとても怖くなりました」と話し、大人が自国の原発の危険を考えなかったことに疑問を投げ掛けた。

 避難生活で「福島のお友達とも一度も会えていません」と語り、父は仕事のため福島に戻り、月に一度しか会えず「寂しいです」と述べた。

 横浜市に避難している小4の富塚悠吏君(10)は、避難が急に決まり友達や先生に別れのあいさつができなかったと話し「今は新しい学校に楽しく通学しています。でも時々福島のことを思い出し悲しくなります」と語った。福島の子どもや避難した友達を励ますためブログを始めたという。

 会議は国連本部で開催中の「女性の地位に関する委員会」の関連イベントで、日本の人権団体「ヒューマンライツ・ナウ」と日弁連が共催した。
http://www.kyodonews.jp/feature/news05/2012/03/post-4974.html

【追記】4月2日
※ニューヨークで発行されている『週間NY生活』というフリー新聞で紹介してくださっていました。

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http://viewer.nyseikatsu.com/viewer/index.html?edition=388&directory=../editions