※この記事は、2月23日【内容起こし】IWJ百人百話 第42・43話 木幡仁・ますみ夫妻ロングインタビュー【その①】に関連しています。


【動画】2月27日 百人百話 第四十四話 菅野吉広さん
http://www.ustream.tv/recorded/20736412 (59:46)

【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2012年1月5日収録
渡利の子供たちを守る会代表 菅野吉広(43)
 みなさん、こんばんは。
 私は菅野吉広と申します。年齢は43歳になりまして、仕事はハウスメーカーの方で営業マンをしております。
 家族の方は妻と子供女の子と男の子ひとりずつ、4人家族で暮らしております。
 実は私の出身といいますのは、ちょうど今福島市に合併されたんですが、もともと伊達郡の飯野町というとことで、実は川俣町の隣の町ですね。川俣町と福島市の間のほうになりますかね。そちらの出身になります。
 妻の方の出身が、こちらもまたちょっと微妙なところで、伊達市の霊山町。これもちょうど飯舘と福島に挟まれてる辺りですね。そちらの出身になります。
 実家の方の線量は、1mの高さで空間で0.5~0.6くらいですね。そのくらいの数値です。
 実は妻の実家、霊山町の石田というエリアなんですけれども、実は一部の地域はかなり早い段階で避難勧奨地点になった場所なんです。私も慌てて、ちょっと線量計を借りてきて測りにいったんですけども、割と低くて0.2~0.3くらいですか。これやっぱり地形の影響でしょうね。
 どちらにせよ、放射線の高いエリアに近づいてしまうので、なかなかそちらに避難ということは考えづらいですね。

 今、私が住んでます渡利地区の中でアパートなんでしょうかね。2階建てのメゾネットタイプと呼ばれるものになるんですけども、私が今住んでいるお家っていうのが、軽量鉄骨か何かの建物だと思います。室内が1階が0.3マイクロシーベルト。2階が0.4~0.5マイクロシーベルトくらいですね。家の前で測りますと、大体0.9~1前後くらいの線量が確認されます。
 ただやっぱり駐車場の角とか端のほうとか、どうしても放射線が溜まりやすそうなとこに行ってみると、1mでも2マイクロシーベルトから、先日測った線量ですと2.7前後位まで線量上がってきます
 子供に対してものすごい不安を持ってまして、今一番心配してるのは息子の顔色なんですね。もともとクマができやすいような感じの子ではあったんですけども、なんか最近ちょっとクマが目立つかななんていうくらいの感じに思ってるんですね。で、ただ幸いなことにうちの子供たち割とインドア派だったものですから、積極的に外に出るタイプではなかったんですね。なので、それは若干良かったかなと思ってるんですけど、ただやっぱり一番怖いのは、水素爆発した後ですよね。何も知らない時に外にいましたのでね。あの時の被曝がどのくらいかと。
 とある団体さんのご協力でホールボディーカウンタは9月の時点で子供たち二人受けてるんですけど、その時はセシウムは出てこなかったんです。放射性カリウムが若干出たくらいで済んだんですけど、ただホールボディーカウンタもすべてが出るわけではないという話も聞いておりますので、本当はもっと詳しい検査したいなと思っていますね。
【震災当日について】06:40頃~
 ちょうど私、3.11の時には、電気屋さんにいまして。はい。
 ちょうど義理の父がパソコンほしいということで、パソコンを眺めてたんですけども。
 突然揺れまして、電気屋さんの3階にいたんですね。家電がたくさんおいてあるところなので、家電が飛んでくるわ、電気全部消える、配管切れて水が全部ダーッと天井から降ってくるわで、僕も生まれて初めて死を覚悟しましたね。
 持ってた携帯もその後持ってるんですけど、2台持ってテーブルの下に行って
「これはもう生き埋めになるんじゃないか。生き埋めだったら電波さえ出てれば探してもらえるかな」
と思って、そうやって何とか数分間やり過ごしたんですけども。
 そのあとですよね。一度揺れが止んで真っ先に子供たちのとこに向かっていって、小学校に行ったら校庭に子供たちが集まってるんですね。それで自分の子供を探すんですよ。呼ぶんですね。うちの子供をお姉ちゃんがあゆっていって、息子はあおばっていうんで二人の名前を呼ぶんですけど居ないんですよ、どこにも。
 居なくて居なくて、僕もパニックなんですよ。
 そしたら、突然「パパ!」って言われて目の前にいるんです、子供たち。
 目の前に居る子供に気が付けなかったんです、僕・・・。
 それで、その後に「お前たち、大丈夫か?」と。ちょうど下校の時間だったんですね、あの時間。だから、家の娘がどんくさいといいますか、遅れをとったといいますか、娘がちょうど教室の後ろのランドセルを取りに行ってたらしいんですね。その時に揺れたと。なんでしょうね、机の下にもぐろうとしたら、机がなかったそうです。椅子一個で頭の上、椅子一個にもぐって隠れたそうなんですけど、娘の背中、ちょうどこの辺の位置の天井が落ちたんですね。本当に九死に一生を得た。当たってたらもうどうなってたか判らないですね。
 何事もなく無事だったので助かったんですけども、でも、あの晩のことはあの日の夜のことはもう・・・恐怖というか不安は今でも忘れられないですね。
 とりあえずそのあと妻と連絡がとれて、妻が戻ってきて、あと両親とか兄弟の安否確認をとって。電話が繋がらなかったのでやっとの思いで電話が繋がって。
 そのあとすぐにお客さんのところをずっと回ってたんですけども。
 それからまた、夜家に戻って、余震がたくさんありましたよね、あの時ね。でも子供たちが怖くて家に居られないんですよ。しかたないんで、広い駐車場の真ん中に車を持っていって、車の中に布団を引いて、そこで一晩子供たちと過ごしてたんです、家族で。
 やっぱり、車が揺れて潰れるってことは有り得ないでしょうから、ひっくり返りでもしない限りは。ただ、建物の場合は揺れでつぶれる危険性がありますので・・・。
 なんか恐怖の一日目を過ごしましたけども、でもそのあとですよね、やっぱ大変だったのは。今度は家は電気はたまたま通ってたんですよ。お水も幸いなことに断水はしてたんですが、なんなんでしょうね?場所の関係なんでしょうかね?少しずつは出たんですね、お風呂に。溜め水で来たんでお風呂も入れたし、おトイレの水も確保できたので、なんとか大丈夫だったんですけど、でもガソリン無いのだけが効きましたね。当時報道なんかで随分流れてましたけど、一番最初にガソリンを入れにいった時は30分で入れられたんです。あの時は。2000円か3000円分ですね。その次に行った時には、1時間半並んだんですよ。それで2000円くらいですね。そのあと行った時には、ついに5時間という恐怖の時間帯になりまして、僕もう諦めたんです。もう5時間並んで寒い中ガソリン待ってたら、入れた分が全部無くなっちゃうくらいなので、「もういいや。ガソリンは入れない」と。
 しばらく車を動かさないで、自宅にこもってたんですけども。そしたらたまたま知り合いがガソリンを少し分けてくれまして、そのガソリンを元にガソリンを入れる缶を、灯油缶をあちこちから持ってきて、それは新潟まで行ってガソリンと灯油を大量に買って帰ってきたものですから、なんとかやりくりできたかなということですね。
 実際震災直後っていうのは、それと水素爆発した後もそうですけど、ただ漠然とアメリカの9.11のような感覚で見てたんですね。
「とんでもないことが起こった。けど僕ら関係ないだろう。当然福島は60㎞くらいあるので、ここまでは影響ないんだろうな。」
くらいに思ってたんですよ。
 逆に当時は津波の方がショッキングで、もう津波の情報にくぎ付けになってたというところがあったんですが、実際その後4月には、南相馬でボランティア活動やってましたので、4月の時点で放射能に対しては、あまり関心が無かったというのは確かだと思います。
 行ってた場所は、南相馬の原町区、鹿島区というところです。そこに行った理由としては、インターネットでいろいろ調べてたところ、最初は相馬市に行こうと思ってたんです。いろいろ遊びにいったりなじみが深かったので。ところが鹿島区はボランティアの方が少ないという情報がありまして、それでちょっと鹿島のほうに行ってみようかということになって、そこで海沿いの方のお宅のがれき撤去ですね。友達、あとその畳とかいろんなガラクタですね、そういったものを出す作業をやってましたね。
 そんなことを4月の前半から何回かやるようになってたんですけど、4月の中盤以降から、仕事の方が再開してしまいまして、今度行けなくなってしまったんです、現実的に言うと。今度4月の中盤くらいからお客様に対するアフター対応が始まりまして、会社のスタッフも全員、避難してる方も結構居たので、福島に残ってるメンバーで何百軒というお宅を回ってたものですから、ちょっとボランティア活動を中止したという形なんですね。
 その中で気になりだしたのが、「雨が降ってくるよ」と。「放射能、放射線が家の中に入っちゃう」と屋根壊れちゃったりしてるので。僕らはその時平気で小雨振る中屋根の上に登ってたんですよ。そんな話を聞くうちに、その時もいろいろ放射線の話してました。注目するようになってきたんですね。
 ただ、それでもまだ若干他人事だったかなと思ってます。気持ち的には。
【『渡利の子供たちを守る会』について】 15:15頃~
 実は5月の末に渡利小学校という小学校があるんですが、うちも二人の子供を通わせてるんですが、そちらの表土の入れ替え工事、その説明会がありました。その中で福島市の教育委員会の担当者の方、当時の部長さんが出てこられまして、
「明日から小学校の表土の入れ替えを実施しますよ。もう業者も工期もすべて決まっております」
という説明がありました。
 私、その説明に参加した時に、それは住民の意思確認をする場なんじゃないかと思って出席したんですね。そしたら、市側から、もう決定事項を伝えるだけという一方的な説明で終わってしまいまして、非常にそれに憤りを感じたわけなんです。
 その中で説明会が終わりまして、私を含めて5人、4人はお母さんなんですが、この私含めて5人の方が市の教育委員会側の部長さんに会の終了後詰め寄ったんですね。
「なんで住民の意思を聞かないんだ!?住民がまだOKしてないか。なぜ工事が決まってるんだ?」
という質問を浴びせかけたんですが、市側の部長さんの方は体よく躱して、そのままお帰りになったという話なんですが、その説明会の終了後にその5人がちょっと集まって話をしまして、
「このままじゃ子供たち危ないんじゃないか」
という話になったんですね。
「それじゃあ、一度いろんな人に声を掛けて、集まって話し合いをしてみませんか?」
ということで、6月に入ってから我々5人含め、これ実は渡利だけではなかったんです。実は割と広域にこの話が広まりまして、福島市各地からあとは二本松市とかそういったところからいろんな方が来てくれたんですね。
 最初百数十名の方、集まっていただいて話し合いを持ったんですが、その中でなぜ渡利ということに限定してったかと申しますと、僕たち住民っていうのは非常に力が弱い。福島市すべてのことをできるとは思えなかったんですね。やはり自分たちの足元っていうんですかね、特に汚染が進んでいた渡利に申し訳ないけど限定しましょうと。ただ、渡利が福島市の指針になればいいなという思いもあって、『渡利の子供たちを守る会』という会を発足したわけですね。
 その後は当然市や現地対策本部に要望書を提出したり、国に対して政府交渉をしてみたりと、いろんな活動を繰り返しておるんですけども、正直思うようにコトは進んでいかない。
 ただ、コトが進まないから粘って何とかなるという問題ではなくて、一日一日子供たちの被曝っていうものが進んでいくんですよ。これは僕も偉い学者でもなんでもないです。ほんと一般人です。僕は100ミリが安全なのか1ミリが安全なのか、何が危険で安全か、これ明確な答えを正直持ってません。でも、被曝させないことがベストであるのは判ります。
 ですので、逃げれる方はすぐに避難してほしい。でも、やっぱり仕事があったり皆裕福な家庭ではないものですから、避難して新しい土地で生活するっていうことに対して余力のない方たくさんいらっしゃいますので、そういった方はたくさん残られてます。
 そういった方々のお子さんたちをなんとか守っていきたいなという、今の思いがあって、それで今ご存知かと思いますけど、私たちと『子供たちを放射能から守る福島ネットワーク』さん、あと『FoE Japan』さん、『フクロウの会』さんと、この4団体の協力で、今渡利・土湯ぽかぽかプロジェクトということを計画しております。このプロジェクトは一体何なのかということなんですけど、これは避難したくてもできないお子さんを持つご家庭に対して、今福島の西部地区に土湯温泉という場所があるんですが、そちらのほうに一時的に避難をしていただく。それに対して金銭的な支援をしていきましょうという形でございます。
 実はこのプロジェクトというのは、残る・避難をする間を埋めるプロジェクトだと思ってるんですね。だから、この間を埋めるって聞こえはいいかもしれませんけど、住民の方々に選択肢を与える、一つの選択肢として持っていただく。このプロジェクトによって、逆に避難を決意される方も出てくるかもしれません。逆にこのプロジェクトのもう一つの持ってる意味合いとしては、これはもしかすれば、福島に帰ってくるきっかけになるプロジェクトになってしまうかもしれません。これは非常に難しい捉え方なんですけども、実は問い合わせの中で、
「今県外避難してるんだ。でもどうしても子供たちが戻りたいと毎日言われる。でも渡りに帰ることはできない。怖くて。でも今この土湯から学校に通うんであれば、子供の被曝量も少なくて済むので、そういったものに利用させてもらえないか」
という問い合わせいただいております。
 実際、僕たちとしては・・・まだ帰ってきてほしくない。せっかく勇気を持って避難された方が、今何も変わってないこの現時点で戻ってきてほしくはない。
 じゃあ、市が言うとおりに2年経ったら線量が半分下がっていく。半減期もありますから、除染が進めばもっと下がるんでしょうけども、本当に安全が確認されてから戻ってきてほしい。なので、今は正直な話すれば、子供たちを逃げるに逃げられない子供たちを少しでも被曝リスクから遠ざけるプロジェクトとして考えていただきたいなと思っています。
 現在計画を発表しましてから、概ね1か月くらい経つんですが、全国の多くの皆様から今ご寄付をいただくような形がありまして、今正直なお話しますと、今回の目標金額っていうのは1000万を目標としてます。ただ、この1000万で避難させられる・・・子供の数って本当に限られてまして、計算していきますと金曜日の夜、土曜日の夜の2泊ですね。週末避難と考えまして、大人二人、子供二人の4人家族を20組。あと平日避難。日・月・火・水・木曜日を10家族、これも4人家族ですね。
 という設定でもわずか3か月分の費用にしかならないんです。3か月、正直短いんです。
 今僕らがそこで悩んでるのは、僕ら一般、こういった市民団体だったり一般人が、そんな大きなお金を集めること出来ないんです。正直いうと。でも、全国の皆様のご協力で、なんとか少しの間だけでも子供たちを被曝から遠ざけることもできるということになりますので、なんとかこのプロジェクトは長期で継続していきたいなとは思います。
 今、おかげさまで募金の方も目標額の半分近く集めることができました。これは、この放送を見てる方の中でも募金してくだされた方もいらっしゃると思いますので、ちょっとカメラを使って申し訳ないんですが、ありがとうございますと一言言っておきたいと思います。
 どうも今回はありがとうございました。
【3.11以降の日々】24:40頃~
 死を覚悟するほどの地震が僕が生きてる間に来るとは思わなかったですから・・・。そこからですね、人生変わってきちゃったのはね。やはり今渡利の子供たちを守る会という活動をすることになったのは、そこが起点になりますから。
 今正直、ハウスメーカーの仕事と会の方でもいろんなことありますので、完全に二足のわらじを履いてるような状況になっちゃってますよね。
 震災後、ほぼ休みなしっていうんですかね。たまに生き抜きをするときもありますけども、本当に日々忙しい状況が続いています。
 実は岩上さんのブログの方で自転車に乗られるということ。私も自転車乗るんですよ。ロードバイク乗るんですけど、実際去年、ほとんど乗る機会が無かったんです。すっかり1年遊ばせてしまいまして・・・。たまに自転車眺めなら、「乗りたいなぁ」なんて思うこともあるんですけど、でも、去年は諦めました。
 乗ってても、震災後もちょっと移動のためには使ってたんですね。ただ、放射線が今度気になっちゃって・・・もう・・・なんでしょうね・・・、特にサイクリングロードが阿武隈川沿いに走ってますので・・・、私が一度測ったことがあるところで、川のサイクリングロード沿いで、当時でいくつだっけな・・・。結構前なんですけども、5マイクロシーベルトくらいありましたね。
 そんなんで去年は1年の大半をこの震災関係のことで費やしてしまったというのも現実ですよね。
 体調変化、これは放射線の影響かどうか、僕にはわからないんですけども、私個人が若干・・・ちょっとおかしいのかなと思ってるんですが、実は私は肌のかぶれがちょっと増えてまして、最初はただかぶれるだけだとちょっと、以前は少しはかぶれる癖はあったんですよ。それが今3,4か所くらいにかぶれが出てまして、「薬でもつけてりゃ治るかな」と思ってたら治っていかないし。よくよく他の方と話したら、
「抵抗力が放射線の影響で無くなってきてるんだよ。だから酷くなってるんじゃないのかい?」
なんて話はされたんですね。ちょっとこれは病院に行って来なくちゃいけないかなと思ってるんですけど、正直暇がなくてなかなか病院に行ってられないんですが。
 あとなんか、小学校の知り合いのお母さんなんですけども、この方はなんでしょうね、涙目みたいになるっていう話なんですね。お医者さんに「放射線の影響だよ」って言われたっていうんですよ。
 ただ、実は渡利の石山子供クリニックさんっていう小児科があるんですけども、結構評判のいい小児科さんで、かなり繁盛してるとこなですが、ここの先生がとあるお母さんに「避難したほうがいい」って言ったことがあるらしいんですよ。
 お医者さんたちは微妙ですね。特に福島医大の副学長に山下さんがおさまっちゃってるので、病院の先生と話をすると公的にはやっぱり発言できないそうです。でも、医療関係者の中の全てが山下先生の意見に賛同してるわけじゃない。やっぱり半々くらいに割れるんですって。その地元の、うちも随分世話になった先生がそういうことをきちっと言ってくれる先生で良かったなと思ってます。それでやっぱり、避難を決めたという方もいるんじゃないでしょうか、中には。
 私も年度末は一つのまた・・・避難者が増える時期じゃないのかなと。
 1月から市は渡利とかの除染を始めると言っています。また同じことを繰り返したら、完全に住民の福島市に対する、福島市から気持ちが離れちゃうと思うんですね。「またこんなことやってる。何も変わらないし、このままじゃ安全を確保できないから」っていうことで避難者増えちゃう可能性もあるし・・・。
 市は大金を使って除染のパフォーマンスをやろうして・・・、実のある除染をやってほしいですよ。
 前、福島市に7月のときかな、うちの会だけで要望書を出しに行ったことがあるんですけど、あの時に言われたのが、
「除染をして水をどうするんですか?流せないですか?」
「水は側溝に流してください。堀川町の汚泥処理施設に行きますから。」
っていう発言ですね。ゴミは焼却炉には、今結構知られるようになりましたけど、バグフィルタですね、
「バグフィルタついてるから大丈夫だよ。水は、摺上ダムからセシウム出てないから大丈夫だよ。」
「でもダムにそんなもの取る装置あったかな?」
という、そんな意味不明な回答をしてたんですね、その時点から。恐らく今行っても同じようなこと言うんでしょうけど。
 ・・・なんでしょうね、もう一つ、今要望書をちょっと用意してて、本当は去年のうちに出したかったんですけど、ちょっと瀬戸市長と面会、アポがとれないものですから、年またいじゃったんですが、瀬戸市長に一つだけハッキリ聞きたいことがあるんですよ。原賠審で瀬戸市長発言しましたよね、いろいろ。あれが瀬戸市長の本音なのか、それとも誰かが絵図を書いたのか。住民に対する補償ですね。補償してくれというのをおっしゃってましたけど、あとは何でしょうね・・・ちょっと待ってくださいね、言葉が出てこないんですけど・・・避難に対しての話もしてましたかね。あれ、今まで中手さんとも子供福島ネットワークの中手さんとも話したんですけど、
「びっくりしたよね。まさかあの場で言うとは思わなかった。」
 それが瀬戸市長本人の意見だったら、少しは見る目を変えようかなと。でももしかしたらどこかで絵図が書かれてる可能性もありますよね。あそこで既に内々に補償をするということがある程度内定されていて、それを市長が強く言えと。あれでいくと市長の手柄ですよね、あれは<苦笑>ほんとはね、他の方々が一生懸命やってきてあそこまでこぎつけたっていうのが本当なんですけど。
 その辺ちょっと聞いてみたいなと。本音のところで。まぁ教えてはくれないでしょうけど、ぶつけてみたいなと思っているんですね。
 ただ、今の福島市のスタンスが変わらないと思うので、避難者はどちらにしても増えていくとは思いますね。
 今ちょっとデータが不確定なんですけど、今福島に戻ってきてるパーセントが全体の7%って話、ちょっと聞きましたね。出るよりも戻るほうが少ないってことですね。戻ってきてるのは若干居るのは確かなんですけども、私だって本当は戻ってきてほしいですよ。本当の話をすれば。でも戻る場所じゃ無いんです・・・ここは・・・。
 それが本当にいつの日なのか、2年なのか5年なのか10年なのか30年なのか、これはもう全然わかんないですよね。この飯舘とかに比べればまだ可能性は若干なりにも残っておりますけど、それでも厳しいですよね・・・。
 僕よく、前、現地対策本部の佐藤さんに福島の現地対策本部があるんですけど、そこに佐藤さんっていう班長さんがいらっしゃるんですけども、その方に言ったことがあるんですけども、
「あなたは東京のど真ん中にサリンの入った・・・」
 これは東京の方に非常に申し訳ない発言になってしまうんですけど、
「サリンが入った箱が置いてあった。そこにサリンがある。でもそれは容器に密閉されていて、サリンはちょっとしか出てない。健康被害は無いですって言われたところに住めますか?」
 当然回答できないですよね。
 でも、同じなんですよ。
 だって、放射線だって大量に降り注いだら即死じゃないですか。『微量だから安全、安心だ』って言われたって、恐らくサリンだって本当に微量だったら、恐らくそこで生活できると思いますよ。即死するようなレベル・・・僕はちょっと詳しくないんですけど、若干だったら生きていけるんだと思うんですよ。そういう状況下に置かれてるわけなんですよ、僕らは。
 そうやって置き換えると分かりやすいのかな。
 今回の事故が大きすぎて、これ、正直チェルノブイリのレベルじゃないですよ。超えてますよね、完全に。チェルノブイリの場合は、国土が広かったから避難できたっていう話をしますけれども、なんでしょうね。危機管理ってよく言葉使いますけども、危機管理って???が危険って判断するのが正しいんじゃないでしょうか。判らないところ、微妙なニュアンスのところ、危ないか・危なくないか、まさに渡利もそうですけども、これで万万が一、20年、30年後に何か起こったらこれ、どうなんですか?ほんとに・・・。
 大変な騒ぎが起きますよね。何十年もかけて、子供たちが、そのころもしかしたら死んでるかもしれないんで、子供たちが直接裁判をして長い年月戦っていくことになる可能性だってあるんですよ。35:00
 だから・・・やっぱり僕たちの代で全て終わらせておかなきゃいけないんですよ、こんなことは。僕だってもう44歳ですから、あと何年こうやっていけるか判らないですけど。
 逆にね、「あの時うちの親父頑張ったから、今こうやって俺たちやっていられるんだ」って言ってもらえればね・・・まぁ言ってもらえないと思いますけど<苦笑>でもね、なんとなくは判ってるみたいなんで、子供たちも。
 最初はなんか、僕のこと学校で友達に言われて嫌だったみたいですけど、最近・・・。やっぱりね、親のこと茶化されたり言わんのは嫌になるが普通なので、最近は兵器みたいで。
【家族への想い】38:20頃~
 そうですね、放射線が危険だよということ、当然妻も同じくらいのタイミングで、当然私が知り始めたということは妻にも伝えてありますので、妻もだんだんに意識を持ち始めた時期ですね。5月以降が。
 その中で、当然避難というものを考えました。実は、私、最初の水素爆発の後、知人が山形に一旦避難したんですね。その話を聞かされた時に、
「あんとき避難しなかったやつ、馬鹿だよ」
って言われたんですよ。
「バカ・・・?何言ってんだよ、お前?」
って思ってたんです。でも、6月くらいになったらその認識が間違ってたのが判りまして、
「申し訳ない。お前が言ったことは正しかった。本当にあの時、お前の言ってることが間違いなかったし・・・」
 メールが来たんですね。
『今爆発したぞ。福島放射能危ないから、俺は山形に逃げる。お前も来い』
みたいなメールですね。
「素直に聞いておけば良かった。」
と、ただただ認識の甘さを悔いるばかりだったんですけれども・・・。
 5月、6月くらいを境に私たち夫婦の意識っていうのは変わってきたんですね。じゃあ避難するとしたらどうしようかということで、さっきちょっとお話もしてましたけど、僕の個人的な考え方としては、近くに居たくないんです。放射線うんぬんよりも、福島に思いを残したくないんです。忘れられるところ。正直海外でも良かったんです。英語なんかしゃべれませんけど、行けば何とかなると思ってるタイプの人ですから、東北とか実際栃木とかこの界隈、新潟とか居たら、福島は目の前じゃないですか。だから、やっぱり福島のことを忘れることできなくなっちゃうんですね。だったら思い切って別天地に行きたいなと。それで近くに居れば、どうしても福島を思い出してしまうということで、両親・兄弟いますので、うちの両親も年老いてますので心配もしますし、そうなるとしょっちゅう帰ってきて、結局戻ってくることになってしまうと思うんですね。ですので、どうせならそう簡単に戻って来られないところに行きたい。違う環境であれば、新しいスタート切れるんじゃないかなと思うんですね。
 正直、沖縄以外であれば転勤できるんですよ。うちの会社が沖縄以外は全国ありますので、転勤願いを出せばなんとけ行けると思うんですね。だから、九州とか北海道とか行くことは当然可能なんです。
 でも、やっぱりそこで、でも妻もやっぱ「九州とかならいいよ」っていう話はしてくれたんですね。理由が若干笑っちゃうんですけど、
「福岡行きたい」
「なんで?福岡何かある?」
「おいしいものがあるから」
って<笑>
「そうか」
みたいな。
 やっぱり未練を残してしまえば戻りたくなるっていうのが人情だと思うので。
 先日、グリーンピースさんとかとお会いする機会があって、ちょうどオーストラリアの方がいらしたんですよ。
「オーストラリア行きたい」
と言ったんですよ。妻も老後は僕が死んだらオーストラリアで移住したいくらいの話してたりしたので、オーストラリアだったらうまくいくなと思って。子供たちもオーストラリアまだ言っちゃえば覚悟を決めてくれるかなと。そしたら、
「オーストラリア、原発あるよ」
って言われちゃいまして<苦笑>
「あ、そうだな・・・」
 行くんならそのくらい徹底してやりたいなと。
 ただ、現実今週末避難に留まってはいるんですけど、やっぱり週末避難に留まってる最大の原因は、特に娘、小学校6年生の娘ですね。今までは合唱部に入ってたものですから、大会とかがあって練習に忙しかったということ。あとやっぱり友達との関係ですよね。非常に友好な友達関係を持ってますので、「どうしても離れたくない」という気持ちが強い・・・ですね。
 それで、やはり特に息子には多くは語ってないんですけど、娘には放射線の危険性っていうんですかね、特に女の子ですから、当然
「将来赤ちゃん産むんだよ。赤ちゃんが変な格好で生まれてきたらどうする?」
っていう話はしたんですね。
 そういったことは、娘は重くは受け止めてるんですよ。ただ、逆に言うなら、娘が友達関係があるとかそういったのを理由にしてますけど、逆に僕と妻が踏ん切りきれないのかなと、そこに娘を理由にしちゃってるのかなっていうのを最近思うんですね。
 ・・・本当に本気で行く気だったら、行けるんだと思います。
 僕と妻に勇気が足りない・・・ですね。
 だから、避難された多くの方に聞きましたけども、やっぱりすごい勇気だと思ってます、僕は。
 避難っていうことになった場合に、実際、転勤することも可能ですし、全国ほとんどどこでも動けるんですね。だから、よく職替えをして避難される方いますけども、そのリスクだけはとらなくていいかと思っています。
 妻は若干パートで働いてるので、その分の収入が減りますけども、しばらくであれば貯金を崩したりそういうことでやってはいけますので。私個人としては、一応年度末っていうのをターニングポイントと考えてまして、ちょうど娘が小学校を卒業する。ただ娘は渡利中学校行く気満々なんですけど・・・。先日も制服の注文のやつがきまして、・・・どうしたものかな・・・と。何もそれは話はしてないんですけど、今娘を僕、あちこちに連れて歩くんですね。山形連れていったり、最近は東京なんかにも2回くらい連れていったりして。彼女は東京を非常に気に入りまして、非常に楽しいとこだということをインプットできたかなと思ってます。ちょうどうまいことに「世田谷に今借り上げ住宅あるから」とお誘いが来てたものですから、これは良い話だなと。これは東京だったら「うん」って言うかなとチャレンジしようとしてる最中なんですけど。
 本気で話したことはまだ3度くらいしかないんですけど、最初は夏休みの前ですよね。一度泣かれてますからね・・・<苦笑>流石に今はちょっと言いづらい状況もあるので、親としてはずるいでしょうけど、外に慣れさせるという手法を使ってますので、今は。でもね、なんでしょうね、6年生なんでもっと嫌われてもいいんでしょうけど、娘曰く「うざくて臭くてキモくなかったらいいパパだ」って言ってくれてるので、とりあえずはOKかなと<苦笑>
 子供たちの気持ちの変化が少しある気もしてるんですけど、一番変化があったのはいつ頃かな?うちの息子の方ですね。やっぱり閉じこもってばっかりいると、そういった生活を続けててストレス溜まってたんでしょうね。非常にわがまま・・・もともとわがままな子なんですけど、それに拍車がかかって、なんか小さいころに戻ったような・・・感じがあったんですね。最近はやっと落ち着いてはきたかなとは思うんですけど。
 お姉ちゃんのほうはもともと素直な、お利口な子だったので、うーん・・・。それで、そんなに気が付かないだけかもしれませんけども、不安を持ってるんでしょうけども、そんなに大きな変化もなく今まで来てくれたので、それは非常に助かってます。
 また最近の話でいうと、私と妻の関係なんですかね。お恥ずかしい話、1月1日、元日に離婚話しまして・・・<苦笑>
Q.それはまたどうして?
 あのー、実は私非常に今忙しいものですから、夜も結構遅いんですね。本業もありますし。打ち合わせ等々で結構遅い時間に帰ってくるケースが多いんですけど、今度家に帰ってくると、いろんなパソコンでチェックをしたり、やることがやっぱ溜まるんですよ。帰ってきた瞬間からパソコンとにらめっこするので、その生活を数カ月やってたんですね。それで、最近妻との会話がちょっと減ってたっていうのは判ってたんですけども、お互いに会話が減ってたんですけど、妻がそれをすごくストレスに感じてたんですね。それで、元日の日にちょっと買い物に行った帰りに、機嫌悪そうにしてるので「どうしたの?」と話したら口を割りまして、
「もう別れる!」
って言われまして・・・<苦笑>夫婦なんてそんなもので、夫婦喧嘩をしましてお互い言いたいこと言って、結局仲直りして元の生活に戻ってるということです。
Q.あぁ良かったですねぇ。
 はい<笑>いや、ホントに出ていかれたらどうしようかと思いました<笑>久しぶりでしたね。でもね、僕以上にストレス感じてたんですね。やっぱり何でしょうね、アメリカの方にご寄付を貰ったりする方がいるんですけども、その方に一度メールで言われたのが、
「やっぱりなんだかんだ言っても家族のこと一番に考えなさい」
と。確かにそうなんだなと。ちょっと私も反省をした元日だったかなと。家族があってこそですから、流石に僕も妻に出ていかれて、子供二人預けられてどうやって生活していこうかと一瞬悩みましたけども・・・。ほかのこと一生懸命やれるくらい妻にも一生懸命妻のことも考えてあげなくちゃいかんなと。夫婦十何年やってると気が回らなくなって。
 やっぱり避難されて苦しんでるケースもよく聞くので、それだけは避けたいんですよ。うちの家族は例えば北海道のせたな町っていうところに避難された方がいるんですけども、やっぱり夏休み、1か月せたな町でお世話になってて、そのまま避難決めてきたケースだったんですけど、やっぱこの方も2学期から避難されたんですが、避難されてからどのくらいだったかな、1カ月ちょっとすぎたくらいだったかな・・・。ツイッターで変な書き込みをしたんですよ、その方。辛いような書き込みをちらっとしたんですね。ちょっと心配でお電話いれたら、何も言わないんですけど、電話で泣いてるんです、どうみても。やっぱり母子家庭で、恐らく向こうに行って皆さんによくはしていただいてるとは思うんですけども、やっぱ何かあったのかなって思うんですが、やっぱりね。そういう苦労されてるってケースもあるので、うちの妻に耐えられるかなっていう不安もちょっとあるもんですから・・・。
 本当だったら、山形辺りに行ってもらって、僕がここに一人で働くのが一番楽なんでしょうけど・・・。
【将来について】52:40頃~
 これは正直、私は避難したとしてもこの活動は続けます。
 今、新しい方も会のほうに入っていただいてますけども、あとから入ってくる方っていうのは、またちょっと若干スタンスが違うんですね。活動家的なスタンスになりやすいですよ。最初のメンバーもそうですけども、僕が一番大事にしてきたのは、お母さんたちの声を聴くことなんです。だから、お母さんたちの声を聴く人間が居なくなったら、もう会の存続の意義が無くなってしまうので、やっぱりお母さんとお茶飲みながら、冗談言いながらでもその中で不安に思ってることとかやってほしいことを言ってもらう、それが現実化してるわけですから。だから、今度あまり遠くに行ってしまうとなかなか活動大変になっちゃうとは思うんですけど、ただ、いつ終わるか判らないことですから・・・。いや、本当はね、仕事辞めても食っていけるんだったら全力でもっと関わりたいんですけども、そういった術を僕も知りませんので、今は仕事を続けざるを得ないなと。
 まぁ、願望ですかね、それがね。家族を養っていくことが一番大事なことなんだよ、僕にとっては。
 だからね、普通の生活したいですね、正直な話。
 だから自転車トーク的なこと言いますけど、僕、実は子供たちにも・・・ちゃんとした自転車買ってあげてるんですけど、うちの息子にはトレックのらしてるんですね。
Q.すごい!
 だから、ちょっといいものを乗せてる。娘には、コーダブルームっていうちょっと国産系っていうか、ちょっと良い自転車に乗せてるんですけど、本当はサイクリングしたくて買ったんですよ。女房にもBD1を買い与えようかと狙ってた時期だったんですよ。サイクリングロードを皆で走りたいな、なんていう計画があってあのとおりですから<苦笑>
 自転車4台は僕の車には積めないぞと。
 それでそういったこと考えて、なんか夢になっちゃいましたね。一番身近なことだったはずなんだけど・・・。憧れですね。
 ねー。ほんとに・・・なんていうのかな・・・。こう、この子たちと、もともとこんな震災前から子供たちの友達、夏休みだか冬休みだか呼んできて、みんな連れて一人でどこかミニバンなんで7人乗れるものですから、大人一人で子供7人乗せてどこか行ってたりしたんですよ。もともとそういうの好きで。・・・なんていうのかな、ちらっとお話しましたけど、正直若いときかなり荒んだ生活してたものですから、ただ子供たちの笑顔、素直な感性っていうんですかね、あれを見てるのがすごく嬉しいんですよ。それが今できなくなってきてるっていうのは、すごく・・・結局僕の今の活動の原動力なんでしょうね。
 でもね、やっぱり子供って変えてくれますよね。
 いやー、自分の子供が生まれてみて、子供ってこんなにすごいものとは思わなかったですね。
 どんな親でも言うと思うんですけど、子供が死にそう、命助けるんだったら、心臓だってあげれますよね。ほんとに。
【以上】

失礼します。
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