※この記事は、2月17日 【内容起こし】IWJ百人百話 第40話 田中さん(仮名)<前半>【浪江町の発災時の様子】の続きです。

<35:10頃から>
Q.横浜に避難して以降、お父さんと議論するようなことはありましたか?
 横浜に避難して、うちの親父とは多少なりともしゃべったりはしたんですけれども、要は今後どうなるかっていうのも、親父の会社ももちろん警戒区域内にある、発電所の、福島第一原発の近くにあるので、機能してない状況ですよね。下請けの会社っていうのも。
 会社から呼び戻されるっていうか、「行ってくれ」という形で行くわけなんですけれども、うちの親父にも情報が下りてこないっていうか、上が下してきてないのかそれがわからないんですけれども、我々と一緒でメディアから取り入れた情報がベースだっていう状況でしたね。
Q.3号機の爆発を事前に教えてくれた友人と、その後話をする機会はありましたか?
 その友達とはしょっちゅう会ってるので、その友達も原発の復旧作業員として働いているので、あまり僕も詳しい話は突っ込んで聞いてないんですけど、その彼から聞いてるのは、
「休憩施設は何マイクロシーベルトある」
とか
「休憩所じゃねぇだろ!なんでそんな高いところが休憩所なんだよ!?」
みたいな。
 その作業自体は、僕が専門知識が無いので、聞いてもそんなに判らない、あまり判らないことが多いので、
「休憩してる時はどういう状況なんだ」
とか
「自分の線量を知らない。測ったのか測ってないのか、どこに記録があるのか」
みたいなそういう漠然とした、本人もよく把握してないので、そこを聞いて、今どういう状況になってるのか、そこにうちの親父も行って、おじさんも入ってっていう形になると、すごい・・・情報が、怖い情報なので、すごく不安ですよね。友達に関しても。
Q.ご自身が原発の仕事ではなく自動車の仕事を選択されたのはなぜでしょうか?
 僕は、当然原発が・・・浪江町は立地はしてないんですけど、当然雇用っていうのは莫大なもので、同級生・・・原発で働くしか働く場所が無いというような状況でいたんですけど、僕はもともと車が好きで、車屋になるのが夢で専門学校を出て、地元が好きだから地元に戻ってきて、そこで車屋で働くことになったんですけど、特に夢も目標とか無い生活を送っていたのであれば、僕も当然そういう原発下請けっていう流れになっていたかもしれないです。
Q.どういう方が原発関係の仕事をされているのでしょうか?
 基本的にはそこに就職するっていうのは、友達の家がその会社を経営してて、そこに入るとか、その友達の親から紹介、先輩が入ってそこから紹介とかそういうのは当然ありますし、高校の求人とかも当然そういうところが多いので、必然的に『選択肢が狭い』って言ったらおかしいかもしれないですけど、そこに向いていっちゃうっていう状況は蔓延してるっていうのが浜通り地区ですかね。原発、火力発電所も当然ありますんで、その関連企業、原発・火力、電力企業ですね。そういうところの就職口っていうのは非常に多いと思います。
Q.条件は良いのでしょうか?
 そうですね、給料面では若いうちは当然安いですけど、将来を見越せば年功序列っていうんですかね、それなりの給料が出るっていうので、将来は安泰なのかなっていうのはありますね。
 下請け、孫請け、孫請けのさらに下とか話はまた別だと思うんですけど、ある程度、2次、3次くらいでしたら管理職とかに就けば、それなりの給料はもらえると思いますね。
 浜通りと中通りの給料格差が結構最近知ったんですけど、倍くらい平均収入違うわけですね。年齢別にみると。浜通り地区だと400万から500万、中通りだと200万とか、結構給料格差が大きい。僕も最近知ったので驚いたんですけど、働くうえで浜通りっていうのはそういう・・・電力需要っていうんですか、そういうのは大きいです。
 給料に関しては、やはり原子力発電所、危険な区域とかもあるみたいなんで、そこで危険手当とか多少なり他の同級生の原発関係で働いている人以外と比べたら、高いと思いますね。
Q.原発や放射能について勉強されて、考え方は変わりましたか?
 震災以降、原子力発電所の構造、簡単な構造は知ってたんですけど、実際の細かい構造ですとか、非常用の電源がどこに設置されていたとかそういうのは全く知らなくて、それを聞いていったり、数値、何ベクレルとか何テラベクレルとか、いろいろ数値が出てきて、
「その数値は何なんだろう?」
ってやっぱ疑問に思ってきて、携帯とかで数値をこういう単位でどうなんだ?って聞いていくと、もう・・・専門的なことが多すぎて、個人で調べていくには限界があるくらいの単位とか計算とか判らなくて、専門的な人、働いてる人はそこまで専門的なことは知らないわけですよね。原子力発電所で働いてる人。その分野でその専門の方がいるわけで、結構聞いても判らないっていう人が多いんで、自分でちょっとずつ、核物質がどう変化して何になるとかっていうのをちょっとずつ今勉強してる段階です。
 当然、こうなるとは予想してなかったんで、そこまで怖い・・・原爆、広島とかのそれとは別だろうっていう考えだったので、ここまで広範囲とは考えなかったので、今考えると、『安全』とか『二重、三重、四重のバックアップとってるから平気』とか、他のあちこちに原発あると思うんですけど、そうなってくると・・・そこに原発あっちゃいけないよねっていう地域が非常に多い。
 今回どこで何が起きるか判らないっていうのが、今回の震災で判ったので、原発・原子力っていうのは、明らかに人類が制御しきれていない分野なので、それは『脱原発』という形にシフトしていくっていう考えに変わりましたね。
Q.震災以前は『脱原発』というふうには思っていなかったのですか?
 『脱原発』っていう考えは、地元がこういう・・・原子力関係の仕事で潤ってたっていうか雇用の面ですけど、そういうのもあったし、他の県や自治体が抱えてる問題は遺書だと思うんですけど・・・なくちゃ困るっていう感覚ですよね。原子力発電所。
 だけど、実際こうやって起きてしまったら、ちょっといらないっていう、矛盾した答えが。
 今まで「なくちゃ困る」って思ってたのに、事故が起きたら「やっぱり要らない」っていうのをどこにぶつけたらいいのかっていうような感情はあります。
Q.これだけは話しておきたいということは何かありますか?
 そのほかですと、やっぱり自治体とか浪江町に限ったことじゃないんですけど、放射線にどのくらい被曝してるかっていう数値を全く・・・住民の数に対して、全くといっていいほど測りきれてない。まだ数千人ですよね、2万何人いるうちの。対象になっただけで、まだ実際何人測れてるか判らないんですけど・・・。
「なぜそこに設備があるのに、そこでは測ってくれないんだろう?」
とか・・・。
「なんでやらない?県は・・・なんでそこで県の施設で設備があるのになんでやってくれないんだろう?」
っていう思いがあって、
「県はどこに縛られてできないって言ってるんだろう?」
っていうのが今すごい知りたくて、友達とか友達の子も小さいので、そこですよね。
「どこでどうやったら、ちゃんとした数値を出してくれるところがあるのか?」
っていうのが、実際福島県で測れる、やってるとこもあるんですけど、調査は始まってるんですけど、きちんとした数値を出してくれるところ。それの影響について、きちんと一人一人に説明してくれるところを知りたい。
Q.理研分析センターで検査を受けたとのことですが、そのことについてお話いただけますか?
 実は横浜に避難した姉と、自分たちの放射線被ばくっていうのはどれくらいかっていうのが気になって、独自に理研分析センターっていうところで調査、尿のセシウムとヨウ素の量の検査を受けたんですけど、当然自費っていう形で、金額がすごい高い。
 金額の方は、一人3万円ですごい高額なお金なんですけど、誰もができる。余裕があっても今の状況厳しいのでアレなんですけど、同級生、避難所で多く知り合いもいたので、まずやってみようということで、うちの姉がずっと横浜に居たので、数値は出ないはず、僕とは比較になるのでちょうどいいやと思って、一緒に受けたわけなんですけども。
 その検査が検出限界の差で2リットルの量を溜めていくっていう作業になるんですけど、検出限界を下げるには量が必要ということで、2リットルっていう量を大体5日~1週間かけてペットボトルに毎日行ったら溜めて、尿には当然菌が入っていて発酵っていうんですかね、してしまうので冷やしながら溜めていく作業で、結構すごい大変なんですけども。
 それで溜めて送って、送ったら割とすぐに結果が来たんですね。1週間くらいで。「混んでるからすごい時間かかるだろうな」と思ってたんですけど、1週間くらいで結果来て、結果は姉の方がヨウ素が不検出、セシウムが、セシウム134と137を合算した数値がセシウムっていう(項目)らしいんですけども、そこで0.23ですか。1㎏あたり0.23ベクレルという形。
 僕はずっと横浜に避難するまで福島の浪江の津島地区に居た時、恐らくそこで吸った数値だと思うんですけど、ヨウ素の方は半減期が短いので不検出と出てしまったんですけれども、セシウムの134と137の合算で3.7ベクレル。
 姉の数値の約20倍~30倍近く数値が出てるので、実際・・・事故直後は一体どのくらい、ヨウ素がどのくらい出てたんだろうっていう逆に不安になる・・・。これは、減ってるのか逆に食物で増えてるのかっていうのも判らないので、この検査結果が何を意味してるのかっていうのはまだ判らないんですけれども・・・
Q.検査を受けて何を考えましたか?
 この検出結果っていうのは、僕は12日3号機が爆発するまでに浪江町の津島地区を出たので、その後3号機が爆発してから天候とかの影響で放射線とかの影響がすごい強く出たのは2日後、3日後だったので、そこにまだ留まっていた人とか福島県内の飯舘とかあちこち高濃度に汚染されたところに居た人たちの数値は、僕よりも高いのかどうかっていうのも比較が必要だと思うし・・・連絡を友達から「避難、危ない」っていう情報を貰っていなくてもし僕も留まりつづけたら、もしかしたらこの数値、もっと倍、2倍と高かったのかもしれないと考えると、すごい怖いっていう感じはしますね。
Q.検査結果の数値は高いと思いますか?
 要は姉としか比較をしてないので、実際出ちゃいけない数値っていうのは、もともとヨウ素とセシウムとか出てはいけない数値、不検出でなきゃいけない数値がこれだけ出て、関東の人と福島で、これだけ20倍、30倍違うっていう。でも現地の人、当然測った人が少ないので、町の検査とか数値を知らないので、そこまでこの数値が意味してるところが判ってないので、これから情報を集めてお医者さんの専門家に聞いてみて判断する形になっていくと思います。
Q.横浜に住むお姉さんの数値についてはどう考えますか?
 横浜の姉が0.23ベクレル/㎏検出されている、話してたのは「食べ物じゃないか」っていう話なんです。実際最近では結構横浜の方まで飛んできてるっていう報道もあって、空気とか塵とかから被爆、内部に入ってるということもあるでしょうけども、福島の子供たちも食物によって内部被曝、セシウムも出てますので、多分食べ物。流通の過程で要は何ベクレル、基準値より下のものが出荷されてるということなので、含んでても出荷されてる状況なので、そういう影響も関東含め日本全体ですよね。
 だからそれも含めて、どんどん日本国民の内部被曝っていうのが広がっていくんだろうなって感じています。
Q.今後どのように生活していこうと考えていますか?
 横浜から仙台に引っ越してきたわけなんですけど、今後被災地っていう形で、福島と宮城でちょっと離れてしまったんですけれども、こういうあちこち、いろいろいい機会・・・発信できるいい機会っていうのが、どうしても関東よりこっちのほうが多いので、居ベンドだったりデモとか、被災地だからこそ発信できるものがあるんじゃないかということで、こっちに引っ越してきたんですけども、今後はまだ仕事は決めてないので、仕事を決めつつ、被災地、浪江町も一応ここから1時間半くらいで行けますので、そこからいろいろ現地の友達とかに話を聞きながら、「こういう数値が出たんだけど」っていう話をしながら、活動とか発信できれば・・・
Q.発信、活動とはどのようなことなのでしょうか?
 具体的にまだ漠然としてというか、ツイッターとかそういうソーシャルメディアとか脱原発で訴えてるデモとかで参加すれば当然繋がっていくので、そこからなにか個人で自分からやるっていうのは結構大変だと思うので、まずはやってる人を見ながら、どういう活動をしていけばいいのかまだ判らないので、少し勉強しながら発信できて、ツイッターなりミクシィなり、いろいろFace Bookとかあると思うんですけど、そちらのほうでいろいろ情報を発信していければなと思います。
Q.つながりの強い場所で脱原発と発信すると、かなりの圧力がかかるのではないですか?
 そう・・・、表立ってなかなか先輩とか立場とか親とかあると、
「この人に言っていいのかな?」
っていう遠慮っていうか、その立場とかあるんで、でも内心その人も「原発要らない」って思ってても口に出さない人も多いんで、そういう『しがらみ』ですよね、やっぱ。縦社会っていうんですかね。仕事も降りてこない、元受っていうか上の会社ですよね。メーカーさん。東芝とかいろいろあると思うんですけど、そこに迷惑はかけられないっていう『しがらみ』がずっと末端まで続いてるっていう状況だと思います。
Q.人間関係が複雑に絡み合っているのですね。
 その原発関係の仕事じゃないので詳しくは判らないんですけども、ちょっと聞いた感じ、うちの親父の話とかでは、やっぱり親会社に迷惑はかけられないというので・・・うちの親父の下の会社もうちの親父の会社に迷惑はかけられないというお互い遠慮というので、悪いからみですよね。悪循環っていうか、ちゃんと連携すればうまくいくっていうのはあると思いますね。
Q.被災された皆さんは何を望まれているのでしょうか?
 町に住めない状態でどう感じているかっていうのは、結構2種類とか3種類とかに・・・僕は割と「起こってしまったんだから、とりあえずそこはそこで割り切ろう」っていう側なんですね。割り切った上で、入れないなら入れないで・・・いいよ。だけどこの先町の雇用っていうのは頼り切ってた・・・、頼り切ってたって言ったらあれですけど、住民に対する原発関連の雇用が集中してたので、今後もし・・・。町としては町は入れないけれども、復興できるかどうかもまだ判らないですけれども、入れるようになっても働き口っていうのは大幅に減ってるわけで、当然町の空洞化で若者は居なくなるでしょうし、どうやって町を維持していくのか、町っていうか地域を維持していくのか、すごく難しい課題だと思うんですけど、でも廃炉までには雇用が維持されるっていう・・・事故が起きて逃げたいのに、まだでもそこには仕事があるっていう状況・・・がまだ続いてる、まだここ多分、数十年同じ状況が続くんだと思うんですけど、結局事故が起きても働いていて、呼び戻されるじゃないですけど、仕事があるから廃炉に向けて、収束に向けて、また入って仕事があるという『ダメな悪循環』ですよね。
 それを脱出できるのか?っていう、町はまだそこに依存しなきゃいけないのか?っていう考えは非常に強いです。
Q.故郷を失ったことを本当に割り切れるものなのでしょうか?
 「割り切った」って言っても、起きてしまったことと感情とはまた別で、すごい悔しいですよ。友達同士で気が緩んだら、普通に涙が出てくるとかまだありますし、感情と行動は別に考えたというか、「すごい悔しいし何やってんだ」っていう思いはあるんですけど、「町はまだどうにかするぞ」っていう思いもあるし、「だけど実際問題どうなんだろう?」っていう・・・要は客観的に見れなくなるじゃないんですか。
 だから、起こってしまったけどそこからどうするんだ?っていうのをちゃんと話したいっていうか、そこで感情的にならずにどうしようと考える意味での「割り切り」ですね。
Q.避難地域を20㎞とすることについては、どのように思われますか?
 ロシアの退避区域が何十キロとか下手したら数十キロですよね。普通に考えて僕が住んでいた浪江町は原発から7㎞くらいなので、非常に近い。線量も割と高い地域。それでもやっぱり町は、さっき「割り切って」と言いましたけど、「町はダメだ」って言いだしたら、町そのものが成り立たない。「住民が声を挙げなければ」っていう思いも強くて、町に対する愛着は人一倍強い方だと思うんですね。こだわりっていうか・・・町で自分の店を持ってとかいろいろ夢はあったんですけど、浪江町に対するこだわりですかね。
 でも、
「住めないだろう。今後何十年住めないだろう。ヘタしたら孫世代まで住めないだろう」
ってよく言われるんですけど、それでも声は・・・住めないかもしれないけど、何かできるかもしれないじゃないですか。
 というわけで、住めないけどそこで何かしらできるんであれば、浪江町としての名前は消したくないっていうか、何かしら声を挙げないと口をつむいじゃ、もう全然話にならないんで、決して諦めたわけじゃないです。今後も戦っていかなきゃいけない。
 だから、なんて言ったらいいんだろう。
「住めないけども、町はどうにかするぞ」
っていう声を常に挙げ続けるっていうのは、町民の義務じゃないですけど、要っていかなきゃいけないと思います。
Q.町をどうにかしたいというのは、土地についてですか?それともコミュニティについてですか?
 諦めないというのは、集団で移住というのは現実的に結構厳しいんだと思うんですよね。なので、そのコミュニティを維持するっていうのは、個人個人の携帯に入ってる人とかそういうコミュニティになってしまうとは思うんですけども、町を維持することを諦めないっていうことは、コミュニティもそうだし、
「警戒区域で放射線量が高い。だけどその中でしかできないことってあるよね。あの広範囲を除染ってできるのか?」
っていう逆に疑問に思ってるくらいなので、政府は「町がやる、県がやる」って言うんですけど、まぁそこで出来ないなら出来ないで、町民じゃなくてもほかの研究機関でも、町を使ってもらう。そこで何かしらの税金とかでまた町の収入として出るとかそういう形で、何かしらの町としてのコミュニティのネットワークを作るために何かできるんじゃないかっていうのが考えなんですよね。
 だから、具体的に漠然とそうなっていったら町としても住民税とか当然ガクッと下がるわけで、誘致していく。除染とか別にして、っていうので、コミュニティづくりの一環として何かそういう活動が今後起きるかどうか、まだわからないんですけど。
Q.浪江町は7㎞圏内ですから、人を呼ぶのは難しいのではないですか?
 特定の地域、除染とか特定の地域だけして、原子力関係の研究機関とか汚染物質を除染して小さくして埋めようっていうプランですよね、政府も県も。
 それを立地させるのもどこの自治体も「ダメだ」って、「それは受け付けられない」って、当事者なのに「それはダメだ」みたいな感じじゃないですか。放射性物質の土砂も瓦礫とかもどこに持っていくんだって言ったら、町から動かせない、そこに溜まるしかないのに・・・っていうのがあるので、そういうのをもう警戒区域内に作ってしまうとか、研究機関なり何なりっていう、政府でやるって、そういうふうなのがが必要なのかなって、そういうふうな誘致です。
Q.7㎞圏内のご自宅に一時帰宅した時の様子を教えてください。
 一時帰宅で自宅に戻ってきたときには、もう背丈を軽く超える草で庭が覆い尽くされていて、地震当日、道の状態が悪くてバイクでちょっと移動したことがあって、庭にバイクを置いておいたんですけど、それがもう見えないくらいの草が生えてて、瓦が全部落ちている状況で、中は水浸しで。水浸しっていうのは、汚染された雨水が入ってきてるわけですよね。屋根から。
「どれが一体持ち出せるんだろうか」
っていう状況で、ほとんど何も取ってこないというか、必要なものしか、通帳とか土地の権利所とかそういうのだけですね、持ち出すのは。
 入ってやっぱり町に人の声がしないってか、車の音もしない。自分の音か木の揺れる音とか鳥の声とか、すごい不気味ですよね。
Q.線量計を持っていって測ったりなどはされましたか?
 はい。一応線量計は、おじさんから1台借りまして、ちょっとどのくらい誤差があるのか5万円くらいのやつだったので、誤差がどれくらいかちょっと把握はしてないですけれども、自宅周辺の空間線量は3後半から4で、排水溝とかで一番高いとこで30近くマイクロシーベルトですね、はあったので、とてもまだ人は何日も居ていい状況ではないですね。
 空間線量は、車の中で3から4の間を行ったり来たりしてたので、実際は1㎝とかで測定すれば、倍とか3倍とかの数字が出てくると思います。
Q.そこへ戻ろうと思いますか?
 戻ろうとは地元には・・・今のところ戻ろうとかそういうのは考えてないですね。だけど、ですけど、「浪江町民」を辞めるつもりもない。もう・・・存続する限りは住所をその場所!っていう意地ですかね、プライドっていうか・・・
Q.住民票はそこに置いておくぞ、と。
 はい。浪江が好きですね。
Q.今、田中さんの想いは故郷を離れているのでしょうか?留まっているのでしょうか?
 想いは当然浪江町に留まり続けると思いますね。浪江町に入れないですけども、浪江町民としてのプライドっていうか、震災がなければそこまで愛着があったと思ってなかったので、震災後、意地とかプライドですよね。
「浪江町民辞めないぞ!」
っていう・・・
Q.震災の後にそのプライドは生まれてきたのですか?
 そうですね。はい。
 要はそういうふうな感覚は震災後、浪江町から???されないっていうか、全然映らない。全然国民も日本中で「浪江町ってどこ?」っていう状況から忘れられてるっていう感覚と、震災後いろいろ落ち着いてきてから取り上げられるようになってきてから、みんな認知されるようになってきて、
「浪江町出身なんだ」
って言ったらみんな知ってる状況・・・、まぁ不思議なんですけど、嬉しいのか複雑な気持ちなんですけど、そこで・・・浪江町民だからできることっていうのは絶対あると思うんですね。隣の大熊町も双葉町もそうだと思うんですけど。
 単に『意地』ですよね。愛着っていうことに対しての。
Q.原発は憎いですか?
 正直、原発は・・・憎い・・・かもしれないですね。まぁ、結局は全てを奪い去っていったっていう形なんで、これから何かを始めようっていう時に、事故が起きて入れなくなって、もう生きてる間には住めない状況になってるかもしれないんで、すごい悔しい思いがすごい強いですね。
 複雑なんですけども、周辺の経済状況とか、あちこちで再稼働反対する運動とか起きてるんですけども、そこで再稼働せずにそこで廃炉にしていくってなったら、そこの地域は成り立っていけるのか?っていう・・・。
 大体原発立地してるところは片田舎の人口が少ないところが多いので、本当にそこの自治体は成り立って行くのか?っていう・・・ほかに代わる就職口を誘致してからじゃないのか?って。もちろん原発は、もう『脱原発』っていう方向で考えてますけど、その途中の過程が抜けてるんじゃないか?その雇用を確保できるのか?っていうんですかね。ほかの地域、あちこち、柏崎とかいろいろ発電所あると思うんですけど、そこで成り立って、そこの住民は本当にそこで無くなってしまったら、当然空洞化とか起きていくでしょうし、そういう問題をどういうふうに皆考えてるのかっていうのは、ちょっとまだわからないので、複雑ですよね。
 いらないんですけど、抱えてる問題っていうのが結構すごい大きいですよね。多分数億円、数兆円規模で動いてるでしょうから、難しいですよね・・・そこの立地してる町とか、周辺で支えてもらってるっていうところは。
 そう思うとちょっと予想がつかないんですけど。
【以上】

失礼します。
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