小出裕章氏講演会 at コラニー文化ホール 2012/01/08
2012年1月8日山梨県甲府市のコラニー文化ホールにて行われてた、京大の小出裕章氏の講演会記録ビデオ
【Ustream】小出裕章氏講演会 at コラニー文化ホール 2012/01/08
http://www.ustream.tv/recorded/19756088 (155:39)
※内容、撮影状況はYoutubeと同じです。
【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
(進行)小出裕章氏講演会にこのように多数の皆様にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。
ただいまより開会に先立ちまして、開会セレモニーを行います。
開始時間が若干押してしまっているので、この後の先生の講演の収量は3時過ぎになるかと思われます。15分の休憩を挟みまして、そののち4時過ぎまで質疑応答を予定しております。
それでは、実行委員会を代表いたしまして、井上きょうこより、皆様にご挨拶申し上げます。
(井上氏)皆さん、こんにちは。
本日は、小出裕章先生の講演会にご出席くださいまして、誠にありがとうございます。
今年迎えたお正月は、皆さんいかがだったでしょうか。
昨年は、日本に住む私たちにとって、とても辛く厳しい年でした。3月の東日本大震災と福島原発事故によって被害に遭われた方々、ご家族、そして今も高い放射能の土地で暮らさざるを得ない方達に、心からお見舞いを申し上げます。
皆様の悲しみや絶望感を私たち一人一人が自分のものとして、何かを学ぼうと必死に答えを探してきた日々でした。
震災から10カ月が経とうとする今日、原子力と放射能の専門家であられる京都大学原子炉実験所の小出裕章先生に、ここ山梨でお話をいただけることになりました。
昨年7月から30人近い人が集まり実行委員としてボランティアで今日まで準備、運営をしてきました。2000人規模の講演会の主催など皆初めてなので、今日を迎えるまでにたくさんの話し合いと検討を重ねてきましたが、至らぬことがあったかもしれません。それぞれが仕事や家事、育児の合間をぬって、小出先生が語る原発の真実を多くの人に知っていただこうと情熱を持って取り組んできましたので、それに免じてお許しください。
前売り券が発売されて、わずか1か月半で2000枚の券が完売になったこと、関心の高さに、正直とても驚いています。3.11以降、人々はそれまで知らずにいた原発や放射能のこと、社会の構造などに気づきはじめ、勉強し動き始めたのではないかと思います。殊に、原発のことにおいては、40年もの長い間、原発の危険性を訴え続けてきた研究者である小出先生の存在は計り知れず大きかったと思います。
今日も甲府駅から歩いてこのホールまで来てくださった小出先生の生き方とお人柄に、多くの人々が絶望的とも思える真実の中に、希望を見出すのではないかと思います。
とても忙しい中、そして遠くからお越しいただいた小出先生に心から感謝いたします。
また、この講演会に関わっていただきご協力くださったたくさんの方々、そして一緒にこの講演会を作り上げてきた実行委員の皆様、本当にありがとうございました。
3.11、この未曽有の災害は、人々に命をつないでいくことの有難さ、家族の大切さなど、たくさんのことを教えてくれました。私には、10歳になる息子がいます。子供には何があっても生き抜く知恵や力、環境を残していかなければと改めて思っております。そして、子供たちの未来を守るために、親としてどう生きたかという生き様を残したいと思います。
本日の小出先生の講演会が、命を最優先に考え、人々が助け合い、喜び合う安全で平和な社会に向けて、一人一人が歩き出す第一歩になりますことを実行委員一同、心より願っています。
本日は、お忙しい中ご参加いただき、誠にありがとうございました。
(進行)本日はご覧いただきますように、手話通訳、そして右手のスクリーンに出ておりますのは、先生の講演内容を同時に文字にする要約筆記でございます。
それでは、本日の講師、京都大学原子炉実験所助教、小出裕章先生のプロフィールをご紹介いたします。
小出先生は、ご存じの方も多いかもしれませんが、先生と呼ばれるのはお好きではないそうなんです。ですので、これからは親しみの意味を込めて、大変恐れ多いのですが『小出さん』と呼ばせて頂きます。
小出さんは、1949年、東京都台東区でお生まれになりました。その後私立開成中学、高校を経て、東北大学へ。原子力の平和利用という夢に期待を膨らませ、原子核工学を専攻。そして小出さんが大学1年の頃、女川原発建設反対運動が起きます。
「夢のエネルギーなのに、なぜ反対するのか?」
と不思議に思い、調査や女川反対派住民と交流する中で、女川原発で作られる電気のほとんどが仙台で使われることを知り、
「大都会で使う電気を遠く離れた過疎地で作り、原発のリスクを過疎地に押し付ける負の構造があるのでは」
という想いに居たり、反対運動に参加し、活動、そして、1974年、東北大学大学院工学研究科修士課程を終了し、京都大学原子炉実験所に就職。
以後、反原発の研究者として、原発の真実を伝えながら、原発安全神話への批判、原発に依存しない社会の提案、そして、常に放射線被害を受ける住民の側に立ち、放射能汚染調査や原発建設反対派住民の議論面での支援などを行ってこられました。
2011年3月、小出さんが40年近く警告を発してきた甚大な原発事故が発生。
今も続く危機的な状況を少ない情報の中から判断、解説し、その的確な発言は、東電や政府が遅れて発表する事実を言い当て、多くの人々の信頼を得てきました。
また、日常生活でも、エレベータや携帯電話は使わない。通勤は自転車。研究室では証明もエアコンも使わないという、原発を必要としない暮らしを実践する誠実な生き方が人々の共感を呼んでいます。
3月11日以降、全国に講演で呼ばれ、会場は満席。インターネット配信の番組を始め、テレビ、ラジオ、雑誌、新聞などからもインタビューの依頼が殺到し、研究の傍らお時間の許す限り応じていらっしゃいます。
そして本日も大変お忙しい中、遠く山梨までお越しくださいました。
主なご著書に『放射能汚染の現実を越えて』『知りたくないけど知っておかねばならない原発の真実』他、多数あります。
本日もホールロビーにてたくさんのご著書を販売しておりますので、講演が終わりましたら、どうぞお手に取ってご覧ください。
それでは、大変お待たせをいたしました。
小出裕章さんのご登場です。皆さま、この山梨中の想いを、今日は他県からいらっしゃった方もたくさんいらっしゃいます。その想いを大きな拍手に代えて、どうぞ盛大な拍手でお迎えくださいませ。
小出さん、よろしくお願いいたします。
《講演開始9:45頃~》
(小出氏)皆さん、こんにちは。
今日は、たくさんの方がおいでくださってありがとうございます。
昨年3月11日以降、たくさんの皆さんに呼ばれてあちこちに行きましたが、こんなに広い会場を満席にするほどのお客さんに来ていただいたのは初めてです。たいへんありがとうございます。
ただ、それも言うまでもないことですけれども、福島第一原子力発電所の事故が起きてしまったという、そのためだと思います。
私は、かれこれ41年間、そういう事故が起きる前になんとか原子力を廃絶させたいと願いながら生きてきたのですが、とうとう私の願いは届かないまま、事故になりました。
言葉に尽くせず、無念・・・です。
そして、今現在福島を中心に膨大な汚染が生じてしまっていて、その汚染はこれから長い年月にわたって、人々に被曝を与えることになるのだと思います。特に若い人たちに対して、こういう汚れた世界を残していってしまうということになりましたので、原子力の場に居た一人の人間として、お詫びしたいと思います。
お詫びします。<頭を下げられます>
今日は、福島第一原子力発電所事故を中心にして、これから私たちがこの汚れた世界の中でどうやって生きていくべきなのかという話を皆さんに聞いていただこうと思います。
スクリーンにいろいろなスライド等を見ていただきながら、話を進めます。
原子力発電所というものを皆さんは、何か近代の科学の粋を集めて作ったもので、大変優れた機械だと思われてるかもしれませんが、原子力発電所というのは、大変効率の悪い蒸気機関です。蒸気機関というのは、約200年前にジェームスワットというような人たちが発明した古めかしい道具なのですが、その中でも大変効率の悪いという蒸気機関です。
例えば、今日標準になってるのは、電気出力100万キロワットの原子力発電所ですが、それは一体何を意味してるかというと、電気になってる分が100万キロワットあると、そういう意味です。
では、原子力発電所の中の原子炉で発生している熱は、100万キロワットだけなのかというと、そうではありません。実は、原子炉の中では300万キロワット分の熱が出ています。そのうち使えるのが100万キロワットだけであって、残りの200万キロワットは使うことができないまま捨てなければいけないという、まことに馬鹿げた道具なのです。
一体どうやって捨てるのかというと、このような形でその熱を捨てます。左にあるのが原子力発電所の原子炉だと思ってください。赤い部分が100万キロワットと書いてあるのですが、この部分だけが電気になります。残りの200万キロワットをどうするかというと、実は海に捨てる、海を温めるということをやっています。
どうやってやるかというと、海から海水を発電所の敷地の中に引きこんできまして、復水器という部分でその海水を温める、そして温まった海水をまた海に捨てるということをやっている。そうしなければ動くことができない。そういう道具です。
200万キロワット分で海を温める。
一体どのくらい温めると、皆さん、思うでしょうか?
1秒間に70トンという海水を引き込んできて、その海水の温度を7度あげるということをやっています。1秒間に70トンて、皆さん想像できるでしょうか。1という間に70トンという水が流れる。
日本には川がたくさんありますけれども、1秒間に70トン以上の流量を誇る川は30もありません。本当に大河が原子力発電所の敷地にできてしまって、その大河の温度が7度上がるというのです。
7度の温度上昇ということを皆さん、想像してほしいのです。
よく私はどうやって想像してもらおうかと考えて皆さんにお願いすることがあるのですが、今日皆さんは、家に帰って風呂に入るだろうと思います。ぬるい風呂の好きな人も熱い風呂の好きな人もいると思います。まずは自分が好きな温度の風呂に入ってください。
そしてその後で、その風呂の温度を7度上げて、もう一度その風呂に入るということにチャレンジしてみてほしいのです。
きっと誰も入れません。
この会場に2000人くらいの方が今来てくださってるのだと思いますが、誰にとっても7度の温度上昇なんていうものは、耐えられないことだと思います。
でも、この海には、もともといろいろな生き物が生きていたのです。魚だっていれば、貝だっていれば、海藻だっているという、そういう海でした。なぜそういう生き物が海にいたかといえば、その海が好きだったからです。
そこの海の温度が7度も上がってしまうということになります。
この生き物たちは風呂に入るために、この場に来るわけではなくて、四六時中ここが好きで住んでいたわけですけれども、その温度が7度も上がってしまったら、生きることができません。
魚はきっと逃げていきます。
でも海藻などは逃げることができませんので、その場で死んでしまうということになってしまう。
そういうことをやらなければ、原子力発電所というのは動くことができない機械です。
私は先ほどから、福島第一原子力発電所とか今でも原子力発電所という言葉を使ってきたわけですけれども、本当はそういう言葉を使ってはいけないということを、私が数少ない恩師と呼ぶ、水戸巌(みといわお)さんという方が私に教えてくれた。
「原子力発電所と皆さんが呼んでいるものは、それを正しく呼ぶなら『海温め装置』と呼ばなければいけない」
と、言ったのです。
たった3分の1だけ電気にして、本体の3分の2で海を温めているわけですから、まさに海温め装置です。
それから、本当の意味でいうなら、『福島第一海温め装置』というものが、今事故を起こしている。そして皆さんの甲府の近くには、静岡県の浜岡原子力発電所というものがありますけれども、『浜岡海温め装置』というものが今も動いているという、そういうことになっています。
ちょっと私の作ったのと違っていますが、話を進めます。
今私は、ここに300万キロワット分の四角を書いて、100万キロワットが電気になって、200万キロワットが海温めだと言ったわけですが、その300万キロワットの発熱というものが、全てウランを燃やすことで発生しているのかというと、実はそうではないのです。ウランを燃やして発生している熱は、279万キロワット分です。
では、残りのこの部分は何かというと、私たちが『崩壊熱』と呼んでいる熱が原子炉の中で発生しています。
この『崩壊熱』というのは何かというと、原子炉の中に蓄積してきた放射性物質そのものが発生させる熱です。原子炉を動かせば、次々に原子炉の中に放射性物質が溜まっていくのですが、その放射性物質自身が熱を出すということになっていて、それが21万キロワット分あります。
21万キロワットって、皆さん、想像できるでしょうか?
多分、皆さん、家庭で電熱器であるとか電気のポットであるとか、小さな電気ストーブであるとか、いろいろなものを使われていると思いますが、そういう家庭で使う電熱装置は、大抵のものは約1キロワット程度です。そういうものが21万個分、原子炉の中で熱を出し続けていると、そういう状態になっているのです。
何か、原子炉に異常があって大変だということで、ウランの核分裂反応自身を泊めることは、比較的容易です。
しかし、この『崩壊熱』というものは止められないのです。
放射能というものをそこに作ってしまって、そこに溜まっている限りは、何をやっても止めることができないという、そういう熱が原子炉の中で21万キロワット出るということになっています。
皆さん、例えば自動車に乗っている。そして、何かのトラブルになった。例えばタイヤが一個ぼろりと取れてしまったということになれば、皆さんはすぐにブレーキを踏む。そして、場合によってはエンジンを切るということになると思います。必ず車は停止できます。時速60キロで走っていた車であっても、必ず時速0キロメートルになります。
しかし、原子炉の場合には、駄目なんです。
なんかトラブルがあったということで、ウランの核分裂反応は止めることはできるけれども、崩壊熱は止まらないのです。
走っていた車が、街中の雑踏であろうと山の崖っぷちであろうと、ブレーキを踏んでもエンジンを切っても止まることができないで走らなければいけないと、そういう道具が原子力発電所なのです。
福島第一原子力発電所で起きた事故は、この崩壊熱というものをとうとう冷やすことができずに、原子炉が溶け落ちてしまったという、そういう事故でした。
これは、もう皆さん何度もご覧になったと思いますが、福島第一原子力発電所の壊れた現場です。
上から下にまっすぐ建物が並んでいますが、これはタービン建屋という建物で、タービンと発電機がこの建物の中に並んでいます。原子炉はその左側に並んでいます。
上から1号機、上の部分が骨組みだけになってしまってるのが、お分かり頂けると思います。次が2号機です。まだ建物が残っているように見えますけれども、この2号機というものが、『実は内部では一番酷い破壊を受けていて、大量の放射能を放出したのは、この2号機だ』というのが、日本政府の見解になっています。これは、3号機、もうボロボロです。骨組みすらが崩れ落ちるというような激しい破壊を受けている。一番手前が4号機ですけど、それもまた、ボロボロになっている。
3号機、これですね。もう鉄骨が溶けて崩れ落ちるというような形になっていますし、4号機の方は、まだ骨組みはそれなりの形を保っていますが、この4号機というのは非常に特殊な壊れ方をしています。
3号機の方をまず見ていただきたいのですが、爆発して吹き飛んでるのは、最上階の2階の部分です。その下の部分はちゃんと壁があるのですね。
ところが4号機の方は、上の2階を含めて、さらにその下の階も爆発して壊れてしまっているということのなっています。
原子炉ってどんな形になってるかというと、こんな形になっています。
真ん中に繭のような絵が書いてありますが、これは私たちが『原子炉圧力容器』と呼んでいる鋼鉄製の圧力釜です。その中にウランを入れた炉心という部分があって、ここで熱が出ている。運転中には核分裂反応を起こすし、核分裂反応を止めてもここで崩壊熱が出ている、そういうものです。
そして、これが万一壊れた時には、放射能が環境に出てきてはいけないので、ここにフラスコのような容器がありますが、これが『原子炉格納容器』と呼んでいるもので、放射能を閉じ込める最後の防壁です。
ところが、原子力発電所の場合には、放射能そのものは原子炉の炉心だけではなくて、別の場所にもあります。
どこかというと、左上にある『使用済燃料プール』というところです。
ある一定期間、原子炉の炉心でウランの核分裂反応を進めてしまうと、中に放射性物質がたくさん溜まってきて、ある段階でこれ以上燃やすことができないということになるのですが、その段階で、この使用済燃料を釣り上げて、隣のプールに移すということをやっています。つまり、放射性物質をたくさん含んだ使用済燃料がこのプールの中にある、そういう状態です。
ですから、この中に放射性物質がたくさんあるし、使用済燃料プールの中にも放射性物質がたくさんあるということは、もし何か事故があったときに何をしなければいけないかといえば、この炉心を冷やし続けなければいけないということ、そしてもう一つは使用済燃料プールを冷やし続けなければいけない。その二つの仕事がどうしても必要だったのです。
しかし、冷やすためには水が要るんです。
水をポンプで回すということを通常やっているんですけれども、ポンプを動かすためには電気が要るのです。ところが、福島第一原子力発電所は、地震と津波に襲われて、一切の電源を奪われてしまいました。そうなるとポンプも動かない。水を原子炉に送ることもできなければ、使用済燃料プールに送ることもできないということで、崩壊熱を冷やすことができなくなって、これが溶け落ちる、そして使用済燃料プールの中でも崩壊が始まるということになります。
その崩壊する過程で、水素という爆発性の気体が発生するのですが、その水素がこの原子炉建屋という建屋の一番最上階の部分に溜まって、水素爆発という爆発をして、この最上階2階分を吹き飛ばしたというのが、1号機・3号機・4号機、全部そうなんです。
つまり、この2階の部分というのは、こういう巨大な空間で、体育館のようなところで、言ってみれば何もない空間です。その空間が吹き飛ばされてしまったということになったんですが、先ほど4号機は特殊な壊れ方をしていると、私は聞いていただいた。
なぜかといえば、この部分だけではなくて、更にその下の部分も壊れている。『更にその下の部分』というのは、使用済燃料プールという膨大な放射能を格納したプールのあったその階すらが、爆発で壊されてしまっているとそういう状態になっているわけです。
この使用済燃料プールは放射能を閉じ込める最後の防壁である、格納容器の更に外側にありますので、この使用済燃料プールが崩壊するようなことになれば、一切の放射能の防壁を奪われたまま、放射能が環境へ飛び出してくるという、そういうことになります。
これが、4号機です。一番最上階、2階はもう吹き飛んで何もありません。
さらにその下の階が壊れているというのがわかっていただけると思います。使用済燃料プールは、実はここにあるんです。
今のところは、まだ持ちこたえているのだろうと思いますけれども、次に何か大きな余震でも来て、ここの使用済燃料プールが崩壊するようなことになれば、もう一切の打つ手がないような放射能が環境に飛び出してくるという、そういう非常に危機的な状況が、今現在まで続いているのです。
今聞いていただいたように、この事故は、発電所は全ての電源を奪われたことで発生しました。今、この会場も停電になるということになれば、真っ暗ですね。非常灯が付いているので、非常灯を頼りに皆さん逃げるということにならざる得ないと思いますが、原子力発電所というものは、もともと放射性物質を取り扱ってますので、窓も何もありません。そういう建物で停電してしまったら、真っ暗闇です。
これは、中央制御室の空間で、皆さん何も見えないと思いますが、この中央制御室の中には、既に放射性物質が流れ込んできて、大変な放射線が飛び交っているという場所です。目には見えません。そして真っ暗闇です。
そうした中で、作業員たちは何とか事故を収束させようとして、苦闘して、懐中電灯の明かりを頼りに作業をするということになりました。
こんな姿ですね。
放射能の防護服を着て、マスクをして、懐中電灯の光を頼りに「なんとかできないか」と言って苦闘したのです。
しかし、電気が無い。
『電気が無ければ何もできない』というままに、次々と原子炉が爆発して壊れていってしまうということになってしまったわけです。
ここまできても、原子力を勧める人の中には、
「いや、そんなこと言ったって、まだ人が死んでないじゃないか。大したこと無いよ」
というようなことを言う人がいるのだそうです。
私は随分驚きましたけれども、死んだ人なんてたくさんいるんです。
例えば今ここに、新聞の記事を1枚持ってきました。
これは、大熊町という町に双葉病院という大きな病院がありました。400人近い方がこの病院に入院していた。その病院は、原子力発電所から4㎞離れたところにあった。そして、原子力発電所が次々と爆発していくということになって、放射能が噴出してきているということになって、警察官すらが『もう逃げるしかない』といって、病院の職員たちは何とか入院してる患者たちを連れ出して、一緒に逃げようとしたのです。その間にもたくさんの人が、患者が死んでいく。そしてとうとう連れ出すことができない患者は、病院に取り残されたまま死んでいくということで、すでに45人が、この病院だけで死んだという記事です。
死んだのはこういう人たちだけではありません。今避難所、或いは仮設住宅というところに行って、お年寄りを中心に次々に命を落とすということもあるわけですし、皆さんもご存じかもしれないけれど、ある酪農家の人は、自分の牛舎に
『原発さえなかったら』
と壁にチョークで書いて、その場で自死する道を選びました。
農業者は、自分が作ったキャベツ畑が放射能で汚れてしまったと、そのキャベツ畑で自死するということをやって、たくさんの人が既にもう命を奪われてしまっています。
そして、命を奪われたのは、人間だけではありません。
事故が起きて日本の政府は一番始めに
『3㎞の範囲の人たちは、万一のことを考えて避難しなさい』
という指示を出しました。その範囲の人たちは、「万一のことなんだろう」ということで、手荷物を持ってとにかく、バスに乗って避難所に行きました。もちろん家畜もペットもみんなその場に置いたまま、避難したわけです。
しばらくして、日本の政府は、
『10㎞の人たちは、万一のことを考えて避難しろ』
という指示を出しました。もちろん住民はその指示に従って、避難所に行きました。家畜もペットも取り残されました。
しばらくして、
『20㎞の人たちに、万一のことを考えて避難しろ』
という指示を日本政府が出しました。そして、住民はそれに従って避難所に逃げました。
しばらくしたら、今度は日本の政府は、
『30㎞圏内の人は、自主避難をしろ』
という指示を出しました。
政府が避難のバスを出して避難所を準備していれば、住民は避難できると思いますけれども、勝手に避難をしろと言われて避難できる人は、多分いない。地震で交通網も分断されてるわけだし、逃げるっていったって、逃げる場所が無ければ逃げられないということだったと、私は思います。
「大変非情な国なんだな」
と、私はその時に思いました。
でも、いずれにしても住民が逃げちゃった後には、こういう家畜たちが取り残されたのです。これは、牛です。酪農家にとっては、牛は家族です。一頭一頭名前がついている。朝起きて、おはようって挨拶を声を掛けて、体を撫でて、朝食を与えて。
そうやって過ごしてきた家畜が取り残された。
この酪農家の人は、そのままにしておくことができないで、放射能の防護服を着てマスクをして、牛に餌をやりに戻ってきたということになりました。
しかし、彼のような酪農家だけではありませんでした。囲われたまま、牛が次々と死んでいくというようなことが、避難区域で起きました。死んだのは牛だけではありません。馬だって囲われたまま、死んでいく・・・ということが起きたのです。
ペットたちは町を彷徨うようになりました。
これは双葉町という町ですけれども、この町に行くと、こういう大きな看板があちこちに立っています。標語もいろいろなんですけど、この標語にはこう書いてあります。
『原子力 正しい理解で 豊かな暮らし』
というのです。
私は、原子力発電というのは、いつか大きな事故を起こす可能性があると警告を続けてきた人間ですけれども、双葉町はそうは思わなかったんですね。
『私のような人間の言うことは聞いてはいけない。国が安全だと言っている、東京電力さんが絶対安全だと言っている。そういう説明を正しく理解をまずしよう。そうすれば、お金がたくさん入ってきて、豊かな暮らしができる』
と、そういう街づくりをしてきた町でした。
挙句の果てに、事故が起きて双葉町は全住民が町を離れるということになりました。
取り残されたペットが町を彷徨うという状態です。
彷徨っているのは、犬や猫だけではなくて、酪農家が解き放った牛たちも、こうして人のいなくなった町を彷徨ってると、そういう状態です。
しかし、彼らは、彼らっていうかこういう生き物たちは、汚染地帯で生きてるわけで、牛もペットも皆汚れてしまっているわけです。
こういうものが外に出てきたらば、放射能汚染が広がってしまうということで、日本の政府は、こういう生き物を全て殺戮するのだそうです。
一体、こういう牛たち、馬たち、ペットたちにどういう罪があったのでしょうか。
何の罪もない生き物を、人間が人間の都合で殺さなければいけないと、そういう状態になってしまっています。
一体この事故でどれだけの放射性物質が環境に出てきたかということを、日本政府の公式発表の数字を今から皆さんにご紹介しようと思います。
今からお見せするのは、大気中に放出されたセシウム137の量、これは『Bq』と書いてありますが、これはベクレルという放射能の単位です。を、いまからこの白いキャンバスに描いてみようと思います。そして、この描くのは日本国政府がIAEAという国際的な原子力推進団体に提出した報告書に書き込んだ数字を、今からお見せします。
このセシウム137というのは、原子炉が運転したりしてできる放射性物質、核分裂生成物というもの、全体の中で、人間に一番危害を加える代表的な放射性物質が、このセシウム137なのです。それを今から私はここに書きます。
まず、左の下に小さい四角を書きましたが、これは広島の原爆が爆発した時にばら撒かれたセシウム137の量です。8.9×10の13乗ベクレルと、そういう放射能でした。でも、こういう数字は皆さんちょっとピンとこないと思いますので、この黄色い四角の大きさだけ、広島原爆がばらまいたと考えてください。
では、福島第一原子力発電所の事故で、どれだけのセシウム137が大気中に出てきたと日本政府が言っているのかというと、まず1号機でこれだけです。広島原爆がばら撒いたセシウム137の6発分か7発分が、既に1号機からばら撒かれた。
そして一番たくさんの放射能を出したのは、2号機だと言っています。先ほどの写真で、まだ原子炉建屋の形が残っていた原子炉が、一番多く放射能をばら撒いたと言っている。
そして、骨組みすらが崩れ落ちた3号機もまた、何がしかの放射能を出した。
これだけ大気中に出したんだと日本の政府が言っています。
これ、広島原爆に比べると一体どれくらいかというと、170発分です。
それだけのものが、ある日突然、福島第一原子力発電所から大気中に出てきてしまったと言っているのです。
そして、この日本政府の発表値というのは、確実に過小評価です。私は彼らは最大の犯罪者だと思っているのですが、犯罪者は自分の罪を少しでも軽く見せようとするのであって、なるべく小さな値にしようとして計算したのがこれです。
世界では、いろんな人たちが、それぞれに評価をしていますが、11月だったと思いますが、北欧を中心にした研究者が出した値は、これの2.5倍ほどの値を出しています。
ですから、広島原爆・数百発分という放射性物質を、既に大気中に出してしまったということです。
そして、私は何度も大気中と言ってますけれども、実は海の方にも、また同じように大量な放射性物質をもう既に出しちゃったということなんです。
そしてまだ、今現在、危機は進行中です。
どういう状態になってるかというと、これは、1号機というものについて書いた模式図ですけれども、2号機も3号機もみんな同じだと思ってください。
ここに原子炉の炉心というものがあって、ここが崩壊熱を冷却することができずに溶け落ちたのです。炉心という部分は、ウランを焼き固めた瀬戸物で出来ています。皆さん、家庭で瀬戸物をお使いですね。お茶碗でもいい、お皿でもいい。
その瀬戸物を溶かすということ、できますか?
温度を上げていって溶かす。
ガスコンロの上に置いたって、瀬戸物は多分溶けない。
もちろんストーブの上に置いたって溶けない。
このウランの瀬戸物は、2800℃にならないと溶けないのです。
そして、この炉心という部分に、約100トンの瀬戸物が入っている。
それがドロドロになって溶けちゃったと言っている。
溶け落ちた下は、原子炉圧力容器という鋼鉄の圧力釜です。しかし、鋼鉄は1500℃にもなれば溶けちゃう。2800℃で100トンものものが溶け落ちてきたら、この鋼鉄のお釜に穴が開くということは当たり前のことなんであって、既にそれが下に落っこっちゃったと言っている。落っこちた先は、格納容器という放射能を閉じ込める最後の防壁ですけれども、これは厚さが3㎝しかない鋼鉄製なんです。そうなれば、これもやられて、放射能は地面にめり込んでいってるだろうという予測がなされています。私も、それを危惧しています。
そうなれば、もう放射能と閉じ込める防壁は何もありませんので、地面にめり込んでいった放射性物質は、今度は地下水を汚染して海を汚染するということになると思います。
それから、先ほどから聞いていただいたように、使用済燃料プールというのが格納容器の更に外側にあるのですけども、ここも既に1号機から4号機までボロボロになっているし、4号機は特に建物そのものは、さっき見ていただいたようにボロボロに壊れてしまっているということで、本当にこれからまだまだ深刻な事態というのが予想されるという状態なのです。
それにも関わらず、日本政府はつい先日、事故の収束宣言を出すということをやったんです。
世界の物笑い・・・です。
どうなってるのかすら判らないのに、収束宣言を出すという、本当に恥ずかしい国だと私は思います。
結局一体、どんな汚染が生じたのかというと、日本政府が公表した地図がこれです。
福島第一原子力発電所は、ここにあります。
点線が二つ書いてありますが、20㎞と30㎞です。日本の政府は、この範囲の人たちに避難をしなさいと指示を出した。事故の直後に。
しかし、原子力発電所から放射能が噴き出してきたときに、吹き出してきた放射能は周辺に同心円的に汚染を広げるわけではありません。どっちから風が吹いているのか、風によって汚染は流れていくのです。
ある時に、北から風が吹いていて、汚染はずーっと海岸線沿いに汚染を広げていって、茨城県から千葉県の北部まで、ずーっと汚染をさせたということがありました。そして、ある時に、北西方向に猛烈な放射性物質が流れていって、周辺に猛烈な汚染地帯を作った。そして、約50㎞、或いは60㎞先まで行ったときに、風向きが変わりました。北の方からの風向きになって、放射能が反転して南へ流れ下っていくということになりました。
青い帯が判っていただけると思いますが、ここは福島県の中通りと私たちが呼んでいる地域です。東側と西側に山に囲まれた谷間の平坦です。福島市、二本松市、郡山市、白河市というような福島県内の人口密集地帯が、ずらりとこの中通りに並んでいたのですが、放射能の雲は、その地帯を舐めるようにして汚染していくということになった。
そして、楽々と県境を超えて、栃木県の北部、そして群馬県の北部を汚していく。そして、長野県境の山で阻まれて南下していって、埼玉県の一部を汚染するということになりました。
皆さんの山梨県は、ここですから、まぁ、幸運と思っていただければいいと思います。今までの汚染でいうならば、山梨県までは膨大な汚染は来なかったということになりました。
そして、日本政府はどうしたかというと、この赤と黄色、そしてその周りのちょっと緑いろっぽいところがありますが、この範囲の住民を強制避難させました。
約10万人の人たちです。
<45:40頃まで>
【その②】に続きます。
失礼します。
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講演会の公式facebookページでも紹介させていただきました。
https://www.facebook.com/datsugen.yamanashi
>>小出裕章氏講演会@山梨 実行委員さん
コメントありがとうございます。
ご紹介いただきありがとうございます。
自分にできるのは、このくらいのことしか見つからなくて本当に申し訳ありません。
一人でも多くの方に届きますように、思いは一つだと信じてやっていこうと思います。
失礼します。