※この記事は、12月12日 【内容起こし】IWJ 百人百話 第24話 宍戸慈さん 【前半】に関連しています。

12月14日 百人百話 第二十六話 田口葉子さん
http://www.ustream.tv/recorded/19138076 (67:22)

【以下、お時間のない方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2011年9月27日収録
Q.自己紹介をお願いします。
 初めまして。
 私は福島県のいわき市、いわき生まれで、田口葉子と申します。
 私の住んでいるところは、いわき市でも、そうですね、原発からいうと53㎞くらいのところにあります。泉町のほうになります。そこの所謂新興住宅地のところに、会社員をしております主人と小学校4年生になります女の子の3人で、あとペットが2匹いますけど、そのペットを2匹含めた5人で生活しております。
Q.お仕事は?
 美容関係の仕事をさせていただいております。
Q.3.11の前後の変化
 そうですね。
 仕事においても、生活においても、子供に対する学校生活、主人の仕事、全て、私の実家、おばあちゃんとかおじいちゃんについても、考え方もすべて変わってしまったっていう。
 3.11の大震災の前と後と私の生活、家族の生活、すべてが変わったと思います。

Q.3.11発災当時の状況
 ちょうど2時46分っていう時間帯は、私、まだ去年ちょっと入院しまして、退院したあとでまだ仕事も再開してなくて、家でおばあちゃんと一緒にテレビを見ていたんですね。
 そこでグラグラっと地震速報がなったかどうかも覚えてないんですけど、突然の揺れが来たことでびっくりして、とにかく避難経路を確保しようっていうことで、窓を開けながら家の外壁を見ていると、家の外壁がグラグラと揺れていて、そこでしばらく地震が続いたので、そこで立ち尽くすっていうか、おばあちゃんなんかは座ったままの状態だったんですけど、その後ちょっと収まってから、ふっと我に返った時に、
「娘が帰ってくる時間だ」
 子供が。
「果たして学校から出てしまったんだろうか」
とか、
「無事に帰って来れるだろうか」
「迎えに行かなくちゃ」
っていう、ただ、余震がすごかったので、もうどうしていいかわからない、パニック状態に陥っていました。
 ちょうどご近所の方もいる方はびっくりして外に出ていたので、皆で
「とにかく道路のところに安全なところに居よう」
って言って、そしたら娘がちょうど帰ってきたんですね。
 子供たちはちょうど学校から出てしまっていて、途中で地割れをするところを見たりとか、瓦が落ちてきたところとかはなかったんですけど、そういったところでも子供たちもパニックで帰ってきて、ご近所の方達、あのとき寒かったんですけど、雪もちょっと降ってきたんですね。いわきのほうでは。
 そんな状況で外にずっと5時くらいまで居て、まさか津波が来てるとか、全く電話もつながらなければテレビを見る余裕もなかったので、まさかあんなにひどくなってるとは思ってもみませんでした。
Q.震災の情報はどこから?
 まず、3月11日の震災の時には、電話も何もつながらない、やっと夕方少し落ち着いてからテレビを見て、津波の被害とかものすごい建物の損壊とか、そういったのを初めて目にしたんですね。
 その日は怖くてもう着の身着のままで寝て、次の日をむかえるんですけども、まず水が出ないということで、水が出ないけどっていうことで、初めて本当にすごいことなんだなっていうのに気づいて、テレビをつけるとまだ原発が爆発したっていうのは、ちょっと耳にしてなかったような気がするんですね。
 次の日、とにかくいわきは、ものがない、水が出ない、震災当日の日も自動販売機とかでお水を探したんですけど全くなくて、隣のご主人、やっぱりご家族三人で女の子が一人幼稚園に行ってる子がいるんですけれども、その方が「一緒に買い物に行きましょう」って言ってくれて、一緒に買い物に行ったんですね。
 その時にすごい行列、200人くらい外で待っていたと思います。普通にマスクもせず、何もせず、普段着で買い物に行きました。買い物に行って、外で2時間くらいまって、やっと一人10品というもので、とにかく必要なものを買おうという形で買いました。
 その後帰ってきて、新聞とかも多分来てなかったと思い・・・、あ、次の日は新聞は来てたんですね。新聞の情報よりもまずテレビの情報を、24時間テレビをやってる状況だったので、見ていて3月13日くらい・・・ちょっと時系列がわからないんですけども、枝野官房長官がその当時出ていた時に、
『非常事態だ。原発が爆発した。福島だ』
っていうことで、福島の原発は、第一と第二があるんですけれども、それによっていわきからの距離も若干違うんですね。
『第一原発が爆発した。』
 その時に、
「いわきは何キロ何だろう」
って思ったんですけど、その時うちの主人が地図を見て、だいたい直線だと50㎞圏内か、もしくは60㎞圏内くらいの位置だということで、
「じゃぁ、大丈夫なのかな?」
 だからその程度だったんですね。
 でも、そのうち、枝野さんの尋常じゃない汗を見て、
「本当にこれでいいんだろうか」
と、不安になるんですけれども、その時にうちには家族3人にほかに、うちの主人のおじいちゃんが施設の方から水も出ない、職員も少ないという形で、私の自宅の方に来たんですね。私の母親もいましたし、おばさんも一人住まいなので、6人で家で避難してた感じですね。
 そんな形でいたので、なんでいうんですかね。とにかく食料もなくて不安だらけだったんですけども、14日になって『原発が爆発した』と。その時に、
「爆発・・・、爆発って何だろう・・・」
っていう感じだったんです。
「どんな爆発なんだろう?」
と全く知識が無いので、原発のことは考えたことが無かったんですね。
 15日、はい、テレビで爆発してるシーンも見ましたし、その時に初めてインターネットを開いて様々な情報が、本当かウソかはわからないまま情報を鵜呑みにしていたこともあるんですけども、その中で15日にはうちの周りは新興住宅地で、小さいお子さんを持ってる方がほとんどなんですね。みんな居ないんですよ。避難してしまって。その時に、
「これは本当にヤバいのかな・・・?」
ってちょっと思って、娘を外に出した記憶はないんですけども、とにかく水は無いから水はくんでこなきゃいけない。周りは居ない。ガソリンも無いので車も走っていない。食料もない。
Q.いわきの西、須賀川への避難
 15日の夜、多分7時過ぎだったと思うんですけど、一度須賀川に親戚が居るので、須賀川のほうに行こうと思ったんですけど、須賀川はいわきから見ると西側の方ですかね。そちらのほうにとにかく遠くに逃げればいいんじゃないかっていう考えしかなかったので、そちらに行こうと試みたんですけども、でも、その時に乗ったのが、私と娘と私の母と叔母の4人だけだったんですね。主人と主人の父親は、いわきに置き去りにしてしまったんですね。車に乗れないということと、主人の父親がやっぱり体もおぼつかないのもありますし、
「避難したくない」
っていうことがあったので、
「じゃあとにかくお前たちだけで行け」
ということだったので、夜7時すぎだったと思うんですけど、一度家を離れたんです。でも、途中まで行ったときに、とにかく心もとなくって、置いてきてしまったことに。叔母も
「今避難しなくても大丈夫だよ。家にいればいいんだよ」
ということだったので、気にはなってた・・・私も車の運転がよくできなかったので、一度戻ったんです。また。
 戻って、その日はそのまま自分の家で休んだんですけども。
 16日も本当に自衛隊とかが水をかけてたのが何時だったのかちょっと覚えてないんですけど、そういったのを祈るような気持ちで見ながら16日を過ごしたんですね。
 17日になって、高速道路が走ってると聞いたんです。高速道路がとおってるんだったら、ガソリン半分以下だけど行けるとこまで行けるんじゃないかということで、その時に初めてやっぱり『出よう』っていうことを決心したんですね。
 その時には、私と娘と主人、3人。あと、私の母親と叔母はバスでやはり須賀川のほうにバスが走ってるのもラジオで確認できたので、バスで須賀川の方に二人は行きました。主人のほうの父親は、身体がおぼつかないので、うちの主人のおばさんのところにお願いをしたんですね。水と食料とを持って。
 バラバラに行って、変な話、叔母とは涙の別れをしながら、本当にこれで会えなくなるんじゃないかっていう、そういうのがありましたね・・・。
 ・・・すいません。
 <涙されています。>
 ・・・そうですね。すいません・・・。
 娘がどうなってしまうんだろうって・・・。
 そう思いましたね・・・。
 それから、高速に乗ってつくばの方に主人の義兄がそちらに居るので、とにかくそこまで行こうと必死で、もう本当に車の暖房もつけずに。
Q.寒かったですか?
 寒かったので、暖房もつけるとガソリンが減ってしまうと思って、毛布を娘に懸けながら・・・<涙されています。>
 道も判らずに必死になって遠くに逃げようっていう形で行きました。
 17日には義兄の家にお世話になって、でも義兄の家に行ったら、義兄は結構しっかりした方なので、娘さんがいるんですけども、その娘さんは既に福岡の方に避難させていたんですね。私も「ここでもダメなのかな」って思ったんですけども、でもそこまで行くのが精いっぱい・・・だったんですね。そんなにやっぱり親戚のお宅といっても迷惑がかかるので、ちょっとホテルでも予約をとって、そっちに移ろうかっていうふうに移ったんですね。
 そのホテルに3泊くらいしたんですけど、そのホテルでもすごい地震で、8階だったので怖くていられなくて、地震の怖さっていうのが・・・すごくて、そこにもいられないっていうことでまた義兄の家にお世話になったんですね。
Q.揺れるんですね?
 それから私も・・・。
 揺れます。それはものすごい、あの時震度5強くらいあったと思うんですけど、茨城のほうでも。でもそのホテルの中にも、たくさんいわきナンバーの方がいらっしゃって、
「あぁ、みんなこっちに避難してるのかな」
なんて思いながらいたんですけど、でもとりあえずそうしていても時間だけが過ぎて、原発の状況も全然収まらないと。
「もしかしたら1週間くらいで帰れるんじゃないかな」
って思ったんですけど、全然そんな気配もないので、そこで主人のほうも仕事が始まるということで、大体、春のお彼岸明けくらいに仕事が始まるっていうことだったので、その前に私の独断で、
「アパートを借りてしばらくこっちにいようかと思う」
って言ったら、主人も
「そうだね。しばらく親戚もいるので、全然知らないところではないから、しばらくこっちにいたら」
っていうことで、1Kの小さなアパートを借りたんです。はい。
 借りて、そこが3月25日くらいからそこをお借りして、荷物も本当に電化製品なんかはレンタルをして、その他必要な家具とかは全部ついていたので、布団はお義兄さんのところからいただいて、そうやってそこに身を寄せたんですね。
 主人が仕事が始まるっていうので、主人だけが戻ったんです。その間、私と娘は学校もまだ始まるか始まらないかもわからなかったので、そこに何もすることもなく、窓も締め切ったまま、テレビだけを二人で見ていたって感じです。
Q.子供の学校が普通通りに始まると連絡が来た・・・
 いや、うーん、学校が始まるって、普通通りに学校が始まるって連絡がきたんですね。ただ、その、どうして地震もまだあるのに、余震も続いてるし、原発も本当に全然収まらない状況で、学校が始まるっていうのが信じられなくって、私は学校には行かせられないって思って、茨城の方の学校にも行かせようかと思ったんですけど、
「茨城ってちょっと近いかな」
っていうのも不安で、「茨城でももしかしたら・・・」っていうのがだんだん情報がいろいろ入ってきてたので、
「茨城でも本当にいいんだろうか?」
っていうのがあって、そこで学校には行かせることをしないで、1か月間だけ学習塾に娘は行かせたんです。学校に行かない代わりに学習塾にちょっとでも勉強させたくって、行かせたんですけど。
 娘もストレスでうまく表現ができないっていうか、なんか精神的にやっぱり参ってるみたいで、変な話、おトイレが近くなっちゃったりとか、すごく不安で、情緒が不安定になってきたんですね。
 で、『どうしようか、どうしようか』って。
 主人はいわきに戻ってたので、いわきに戻ってると普通に生活をするっていうか、普通ではないんですけど、若干思ってるよりもみんな普通に生活をしているっていうことを耳にはしていたんですけれども、じゃあどうしようか。このまま学校行かせないっていうのも困るし、こっちの学校に転校させるか、もしくはもっと遠くに行かせればいいのかとか、いろいろ考えたんですけれども、でも私自身の体力と寂しさもあったんだと思うんですけど、これ以上遠くに行くのは、自分の中で難しいっていうふうに思ってしまったんですね。娘もやっぱり、主人に家族ばらばらになるっていうことで不安定さもあったので、一度連休明けには戻って学校に行かせようかなっていうことで、学校の方に連絡はしたんですね。
 学校の先生も、結構しっかりした先生なので、『マスク着用、お水は持ってきてください』とか、結構好意的に放射能に対しての知識も多分、先生はおありだったんだと思います。子供のためになんとか被曝を減らせないかとか、そういうことを考えてくださる先生だったので、主に担任の先生とそんな形でして。
Q.学校給食への不安
 後は給食も心配だったんです。給食は、しばらくは簡易給食っていって、パンと牛乳とか、そういうものしか出さなかったんですけど、栄養面でも気になりますけども、なんといってもその『牛乳』。
 チェルノブイリのころでも、牛乳が汚染されててそれを飲んで子供たちがっていうのが、情報として入ってたので、
「牛乳はやっぱりまずいんじゃないかな」
ということで、牛乳だけをやめるか、ただ栄養面も気になったので、
「とにかくお弁当にします。お弁当にさせてください。」
っていうことで、その頃は学校もある程度簡易給食だったので、
「お弁当いいですよ」
っていう感じでお弁当を持たせていたんですね。
 しばらく経ってから、2学期かな、
『完全に給食が始まります』
 そうしたときに、校長先生から電話が来たんです。
「給食は安全ですので、食べてください。」
 給食自体強制だと思ってなかったので、
「いや、今はまだ食べられません」
「どうしてですか?」
「放射能の、放射性物質が検出されてるので、安心できない。安全ではなくて安心できない」
っていうのを言ったんですね。校長先生は、
「いや、あのモニタリングとかもきっちりしてるので、安全です。安全ですので食べてください」
ということだったんですけど、多分お弁当を持っていってる子には、多分、校長先生は直接っていうか、連絡をしていたんだと思うんですけど、その中で私は
「まだ安心はしていない、だったら、どこの食材を使ってるとか、数値までを出してくれるのが一番ありがたいんですけれども、その辺を見せてくれたらば、目で確認したのであれば、お弁当から給食に替えることは考えます」
って言ったんですが、
「それは一杯あるので、そこまではできない。給食センターに聞いてください」
っていうことだたったんですね。
「じゃあまだ自分で納得して安心はしないので、お弁当のままでいきます」
ということで、それで今もまだお弁当です。
Q.なぜそこまで給食を強いるのでしょうか?
 それは私個人の考えですけども、学校が『給食を食べろ、食べなさい』っていうことには、何点かあると思うですけど、まずいわきに避難してる子供たちがたくさんいたと思うんですね。その中でお弁当を作ってくれる家庭と作れないっていう方もいらっしゃると思うです。そういった中で差が出てきてしまうっていうのを、ある意味子供を使って安全をアピールするまでは、そこまでは考えるのかしら?とは思うんですけど、でも上から言われれば、もしかしたらそういったこともあるんじゃないかっていうことで、何点かそういったことはあると思います。それは私個人の考えですけど。
Q.一時避難から戻ってからの生活
 まずこっちに戻ってきてからは、住宅街、よく子供が遊んでるんですけれども、全く子供は遊んでいませんでした。
Q.ガイガーカウンターで周囲を測ってみた
 その頃、そうですね、主人の義兄からガイガーカウンタを借りてきてたので、それで家の周りをちょっと測ったんですけど、家の周りで0.6とか、機械によっても違うのかもしれないんですけど、そのくらいあって、家の中でも0.2くらい、あと1階と2階では数値がちょっと違うんですね。2階建ての家なので、1階では0.2くらいなんですけども、2階で特に眠る部屋、寝室だと0.3くらいとかはあるんですね。ベランダが2階にはあるので、ベランダは除染すれば少し違うのかなと思って、主人がやったんですけど、あんまり変わらなかったんですね。デッキブラシで洗った程度なんですけど、高圧洗浄機ではなくって、そんなでいて、学校もやっぱり登下校、結局新興住宅地っていうのは山に囲まれているので、数値がもしかしたら高いのかなって。学校も、結構学校にも行って測ってきたんですけど、内緒で。
 学校で地上、校庭近くは地上1㎝くらいで、0.7くらいあったんですね。
 校庭ではもちろん遊ばせられないし、体育もできないだろうと思って、登下校に関しても結構子供の足で25分くらい学校まで歩くので、送り迎えをしています。はい。
Q.子供の通学路の線量も測ってみた
 場所によって全然違うんですが、草むらの中とか、草むらの近くは0.4とかそのくらい。その当時はですね。
 最近は測ってないんですけど、その0.4という数字が、果たしてすごい子供に対してどんな影響があるのか、影響がないのか、それがわからないんですね。
 そうですね。連休明けには完全に戻ってきました。
Q.その頃(5月)と今(9月)で線量の変化は?
 その頃から比べて、今家で測ってる数値は、家の中でだいたい0.12~0.13、0.15くらいまで家の1階部分であります。2階部分もそんなにさほど変わりは無くなってきたんですけど、ただ外は0.2以上検出することがあるので、やっぱり異常な数値だと思うんですけど、慣れてきてしまってる自分が、それが一番怖い・・・。はい。
 今は1学期はマスクもさせて、花粉の時期でもあったので、登下校させていたのが、それが今は無いんですね。暑いっていうのもあって、マスクを外したまま今でも、タダ送り迎えの形はとってますけれども、学校の中でもマスクは無くてっていう形。窓も開けっ放しなので。そういうふうに慣れてきてる自分が怖い・・・。
Q.周りの人は?
 周りも至って普通です。はい。
 あの・・・、友人でも気にする友人と、同じくらいの子供を持っていても全く気にしないっていうか情報を見ていないのか見たくないのか。それからだんだん自分が
「これは危ないんじゃないか。放射能ってほんとにこれではダメなんじゃないか」
って思っていても口に出せなくなってくる。
 なんか、「え!?」っていう感じに、「そんな今更言っても」みたいな。
 そういうふうになると、自分が
「あ、やっぱ自分がおかしいのかな?こんなに気にして生活して、自分がやっぱおかしいのかな?」
って思うようになってくるですね。
Q.放射能問題を気にする方ですか?
 結構それもあやふやなところがあって、気にするところは気にするんですけど、食材気にしてる割には外食もしたりして、その辺で自分で
「なんでこれが許せるんだろう・・・」
 そこがわからない時があります。はい。外食大丈夫なのかなとか、気にしてるほうだとは思います。はい。


 当時の爆発の時から比べると、今は子供も外で遊んでたりしますし、なんかだんだん本当に気にしなくなっていくとは思います。
 前は本当に子供を外で遊ばせるなんて考えられなくって、でも今は例えば子供が「自転車乗りたい」っていたらば、外で自転車乗らせたりとか、多分食べ物に関しては同じで、申し訳ないんですけども、どんなに数値が出ていないって公表されていても信用できないところがあって、食材だけは気を付けています。お水と。はい。
 野菜はなるべく遠くのものを入れたりとか、主に西日本か、この辺普通に買い物すると北海道か青森が一番遠いところで、あとはほとんど茨城県産、もちろん福島県産がメインですけど、福島県産、茨城県産、千葉県産くらいまでが改めてみると多いなって。気にしてなかったんですね。きっとね。
 国産という意味では気にはしてましたけど、逆に西日本のモノっていうのは、旬のモノじゃなければ入ってくるんですね。ここがまだ旬じゃなければ、例えば高知の方のナスとか、じゃがいもなんかも宮崎県とか、先にできるあったかい方から入ってくるんですけど、段々地元が旬になってくると、それが無くなってしまうんですよ。そうした時に、
「あれ?何を買ったらいいのかな」
っていうふうになって、今までは『これを作りたいから、これを買ってこよう』と思ってたんですけど、今は『これが手に入ったから、これを作ろう』というふうに変わりましたね。はい。
 そうですね。あと、気を付けてるっていうことは、自分も震災時は本当にマスクもきっちりして手洗い、顔もしっかり洗っていたのが、今は、顔なんてほとんど洗わない…洗わないっていうか昼間はそのままですし、外から帰ってきて洋服を払うようなこともしなくなりましたし、子供に対しても、「素肌は出さないほうがいいんじゃないかな」と思っていても、どうしても暑いので、そういうのも気にせずやってしまったり、ただ、うちの娘は結構皮膚が弱いので、アトピーまではいかないんですけど、掻いて血が出ちゃったりするんですけど、傷口から例えば放射能が入ると危険だってちょっと聞いたような気がして、
「傷口は大丈夫なんだろうか」とか、
「絆創膏をはっただけで大丈夫なんだろうか。」
「お風呂に入るときも、水が傷口に入ったらどうなんだろう」
というふうには、未だにそれは思います。ただ、入れてますけど・・・。
「転ばないように、絶対転ばないように」
っていうのはあります。

 私の、そうですね、友人たちは・・・、放射能に対してあの当時は震災で爆発した当時は、みんな多分避難してた人たちが友人の中でも多いんですけど、その中で農家の人がいるんですけど、その人が
「お米できるけども、子供には食べさせられない。」
そういった考えを持っていたんですね。
「自分たちで作ってるお米を自分たちは食べるかもしれないけども、子供には食べさせられない」
って言ってるのを見て、やっぱり同じ考えなんだなっていう、思う友達も多かったんですけど、段々そういったことを半年経った今、米所、コメが出始めましたけど、不検出だっていうところも多いじゃないですか。そうすると、
「お米は大丈夫だよね」
って皆変わっていったりとか、
「出てないんだから、大丈夫だよね」
とか、逆に放射能に汚染されたものを口にする、汚染されている状況を・・・討論し合うっていうか話し合うこと自体がタブーになってきてるというか、前はメールとか電話の中、直接会ってとかはなかなか震災当時はできなかったので、電話でそれぞれ「どうなのかしら、どこに行ってるの?」とか様子を伺いながらいたんですけども、その時にはただ放射能に関しての知識っていうのは無かったと思うんですね。それは、テレビだけの情報では得られない情報、得られないっていうことを。新聞なんかでも得られないっていうことが、私はそう思うので、インターネットを見てる人はある程度危機意識はありますけども、見ない人はもちろん見ることができないし、聞くこともできない。テレビでの報道のみ。NHKとかね。それのみなので、そこまで危険だって思えない、思わない人たちが多いと思うんですね。
 その中で、
「放射能ってこうなんだよね。内部被曝って怖いんだよね。子供は感受性がもっと強いんだよね」
そういうふうに言っていくと、
「何言ってるの?この人。考えすぎなんじゃないの?大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫でしょ?」
って言われちゃうと、
「普通にお店で売ってる野菜を買う」
って友達に聞いたら、
「うん。買ってるよ」
って。
「福島県産?牛乳でも?」
「買ってるよ。」
「気にしないの?」
「何が?」
って言うんですね。
「いや、これだけ汚染されていると、野菜とか心配じゃない?」
って言っても、
「でも国が、県が大丈夫っていってるんだから、私はそれを買う」
って言われて、
「気にしてるの?」
って言われると、気にしてるんですけど、それをちょっと・・・なんか言いづらいっていうか、なんか自分だけが良いっていうか、自分さえ良ければいいみたいに聞こえるんじゃないかと思って。避難をしてる時もそうですけど、自分たちは逃げてるけど、友人でも医療関係の人たちは残っていたんですね。
 その友達がまだ避難してないっていうのを聞いたりすると、自分がすごく悪い子としてる。避難してることを隠さないといけないのかなって思うようになってしまいましたね。
<35:30頃まで>

【後半】に続きます。

失礼します。

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