※この記事は、12月8日 【内容起こし】百人百話 第23話 佐藤幸子さん 【その①】に関連しています。

【動画】12月12日 百人百話 第二十四話 宍戸慈さん
http://www.ustream.tv/recorded/19101885 (77:54)

【以下、お時間のない方のために内容を起こしています。】
2011年9月1日収録
Q.自己紹介をお願いします。
 宍戸慈、27歳です。
 今は福島県郡山市に住んでいて、仕事は、郡山コミュニティ放送という地元のコミュニティFMでパーソナリティをしたり、あとは、福島と郡山を中心に発行されているフリーマガジンDipという無料の情報誌があるんですけど、それの企画・編集なんかをしてます。
 趣味でレースクインをしたりとか、そんなことをしたりはしてるんですけど、生まれも育ちも福島です。
Q.出身は福島市なのですか?
 はい。出身は福島市です。今は郡山市に住んでいます。
Q.3.11の時は、どちらにいらっしゃいましたか?
 郡山市の駅前にあるビックアイで仕事をしてたんですけど、揺れて、その後・・・自分の家に帰ったら、お家の中が酷いことになっていて、私、去年の3月にこっちに引っ越してきたばかりで、まだ1年なんですね。友達もたくさんいるんですけど、親類とかは居ないので、福島市に帰ろうかと思ったんですが、4号線はパンクしてたし、電気・ガス・水道止まってるし、電話はつながらないし、「今日私はこのまま避難所ですか?」みたいな感じになっちゃって、どこに行ったら情報取れるかなって冷静に考えたら、
「ココラジに行けばいいんだ」
と思って・・・。
Q.ココラジとは何ですか?
 ココラジっていうのが、郡山コミュニティ放送という私もパーソナリティをしてる放送局なんですけど。

Q.番組名は何ですか?
 月曜の2時から5時の3時間、どんなチカのゴゴゴゴっていう番組をやってます。
 ココラジに行って、そしたらテレビがついてて、仙台空港に水が流れてる画像が流れてて、あぁなんかすごい大変なことになってると思って。
 でも行くところがないので、家に居てもしょうがないし、なんかじゃあここに居てやれることがあるんだったらなんて思って、ココラジにずっと居たんです。
 でも、ココラジって、時間刻みでパーソナリティーが20人から30人くらいいる放送局で、24時間放送ってしたことがなかったので、夜遅くなればなるほどパーソナリティがいなくなっていくんですよ。電話繋がらないし、みんなガソリンないからわからなくて、12時をまわったくらいに誰もしゃべる人が居ないという感じになっちゃって、実は私、去年の12月にパーソナリティを初めて始めたんです。なので、3月11日以前はニュースなんて読んだこともないし、しゃべって自分で曲回すのがいっぱいいっぱいくらいな状況なんですけど、
「ちかちゃん、しゃべる?」
みたいな感じになっちゃって。
Q.3.11の前は何をしておられたのですか?
 今もやってるフリーマガジンDipっていう地元の情報誌の編集なんかをやりつつ、でしたね。それがメインでしたね。フリーのライターとかやりながら、福島県内を飛びまわって取材してるのが多かったですかね。今もそれは変わらないですけど。
 それで、「しゃべる?」みたいになっちゃって、夜中の12時、3月12日になった瞬間から、次のぐるっと一回りして3月12日の2時まで、だから14時間、午後2時ですね。午後2時まで14時間しゃべりっぱなしで、1人でしたね。夜は、先輩のパーソナリティさんももう一人いたんですけど、朝方になったらほとんど皆居なくなっちゃったので。
 今まで話したこともないのに、死者何名・・・行方不明者何名っていうふうな部分のすごい辛い部分のニュースを読まなきゃいけなくて、泣きそうになるのをこらえながら、夜
「皆さん、多分辛いと思いますけど、皆さん一緒ですよ」
なんて言って。
 2時にやっと交替の後輩のパーソナリティが来てくれて、
「寝てきてください」
って言われて、全部寝袋とか持っていってたので、隣の部屋で寝て、3時間寝て5時に起きて、放送局に戻ったら、
「ちかちゃん。しゃべる前にちょっと一つだけ言わなきゃいけないことがあるんだ。」
って言われて、
「なんですか?」
「原発爆発したんだよね・・・。」
って言われて、なんか何が何だかわからなかったっていう感じでしたかね。3.11から12にかけて・・・。
 まぁそこから10日間くらいは、ずっと24時間寝ずの番で放送局は回ってたので、それに郡山の開成山公園に設置されてた対策本部にサテライトスタジオで出張に行って、大熊から避難してきた方々とかの取材をしたりとか、そんな毎日を過ごしてました。
Q.ビッグパレットですか?
 ビックパレットがまだ避難所になってなかったんですね。まだ原発爆発した次の日とかは、スクリーニングとかが行われていたので。
 すごい大変な事態だったんですよね。あの時。
 13日かな、3月13日の朝一くらいから、郡山の開成山に災害対策本部があったので、そこに???室にサテライトスタジオつけてやってたんですけど、もう地方から避難されてくる人がたくさんいて、でも、スクリーニングって被曝してないかどうかっていうのを検査するのをやってて、福島県では、スクリーニングで異常がなかったっていう証明書を一切出してなかったんです。その時。
 でも会津に避難した人で、会津大学かなんかでスクリーニングを受けた人だけが、その証明書が発行されちゃってて、泣きながらこのサテライトスタジオに来たおかあさんが、
『子供と私と旦那が、もう会津の方に避難してしまってるので、宿泊施設にも避難してしまってるので、追いかけてなけなしのガソリンで行った。でも、郡山でもスクリーニングを受けてて被曝してないって言われてるのに、証明が無いから入れられないって言われて戻ってきた』
みたいな。
『県に問い合わせたらスクリーニングの証明書は出してないって言われてるのに、会津だけで出しちゃってるから、この状態を報道してください』
っていうような話があったりとか、本当に何が起こってるかわからない惨状のような感じで、今考えるとその時マスクもしないで、地方からきた車の中で普通にマイクでしゃべってたので、だいぶあの時に吸ってるよねっていうのはありますけど、でもすごい貴重な体験させてもらったなと思ってますかね。
Q.原発や放射能がどういうものであるか、3.11の前はご存知でしたか?
 原発とか放射能に関しては、正直一切興味がなくって、記憶にあるのは、福島民報、福島民友の新聞に、『プルサーマル計画』とか、なんか『MOX燃料が・・・』みたいな見だしがあったのは覚えてるんです。
 本当になんだろうな、よく行っていたカフェとかに、『原発反対!』とか『放射能がどうの』ってあったのも記憶してるんですけど、それに対しても
「何言っちゃってんの?」
っていうふうに、なんか自分には関係ないもんだと思ってた自分がいたなーっていう記憶ですかね。
 でも、実際、そこにその後ずっと直面して報道してたりするわけなんですけど、一番悔やんでるのは、興味・関心を持ってなかった自分が、なんか「なんであの時にもっと・・・」っていう気持ちはありますね。
Q.コトの重大さを認識されたのは、いつ頃でしたか?
 まず一回目が3月13日の朝ですね。12日に爆発したじゃないですか。私12日の夜とか夕方から話をし始めてるんですけど、その時にも
「大丈夫です。アメリカから水か何かをしょった飛行機かジェット機が来ますから」
みたいなニュースが入ってきてたんですね。私の手元に。
 とにかく爆発しちゃったものは、どうにか納めなきゃいけないものだと勝手に思っていて、そこにアメリカを何かを持ってきてくれている。じゃあそれが来たら大丈夫なんだろうって思っていたのに、その次の日の朝、その後のニュースが入ってきてなくて、
「あれ?どうなった?」
ってADの子に聞いたら、
「その後そういえばないっすね」
って言われて、
「なんで?なんで?なんで?」
って行ったら、
「なんか返したみたいな話ですよ?政府が。」
って言われて、
「え?どういうこと?」
 まず第一の疑問。
「なんで?どうして?」
っていうその、なんかとにかく自分たちの手には負えないものすごい大きなものが動いたんだっていう感覚がその時にあって、すごい鳥肌が立ったのを覚えてますね。
 その後が、実際に大熊とか富岡から避難されてきた人たちの顔色を災害対策本部で見て、要は、スクリーニングを受けていない人はこっちに入ってこないでくださいっていうような、郡山市の状況もそんな、周知の仕方もなかったので、まだわからなかった状況で、おんなじ人間なのに差別されている人が目の前にいて、
「え?この状況って何だろう?」
っていう、その・・・うーん・・・
Q.スクリーニングを受けて、被曝していることが判った人は、どういう扱いを受けたのですか?
 被曝している人は、そのまま記憶が確かであれば、医大に搬送されたりとか、除染をされたりとかっていう処置が施されてたと思うんですが・・・
Q.除染について、少し詳しく教えてください。
 その時に聞いたのはですけど、本当に着の身もすべて剥がれて、真っ裸の状態で、水を吹き付けられるだったか何だったかって聞きましたけど、そのあたりの情報も、やっぱり末端に行けば末端に行くほど出てこない。
 あと、災害対策本部に入り込んでた時というか、その時もなんかこう、なんて言うんですかね。行政側がすごくもたついている感じを感じるんですよね。
 なんかこっちに入ってこないでっていうなんとなくな匂いを・・・、判んないですよ。私が感じただけなので、実際はどうだったか判らないですけど、なんとなくそういう雰囲気を感じて、
「これは大変なことなんだろう」
ってすごく感じましたね。
 あと、本当次の日になってくると、海外の人がどんどん入ってくるですね。
 外人のメディアの方とかが災害対策本部にも来てて、ココラジの腕章とかをしてるので、"Excuse me"って声を掛けられて、お互い取材合いしたりなんかして、
「どこから来たんですか?」
って聞くと、イギリス、オーストラリア、アメリカ、フランス、ドイツ、ほんと各国から来てて、
「なんで居るの?」
って聞かれるんですよ。
「大丈夫なの?お家はどこ?どうするの?」
って、なんか「そうだよね」って外国人の方々に思わされて、
「頑張ってね、できるだけ遠くに逃げて」
みたいにやっぱり言われたりとか、でも、もう多分私、同世代の同い年くらいの世代の子よりは、たまたまココラジで取材をしてたりしたので、大変なことになってるっていう感覚をつかむのも早かったのかなっていう気はしていて、本当に毎日夜から朝までが担当でしゃべってたんですけど、朝7時で放送終わった瞬間に泣いてるんですよ、私。
 どうしていいかわからないですね。ガソリンも無いし、本当は外に出たいんだけど、
「ココラジの中でちかちゃんは若いんだから、行けるなら行きなよ」
って言われたり、レースクインの仕事をしてたりするんで、県外の人とか結構電話くれて、
「今すぐ迎えに行くから、今すぐ出てこい」
とかって言われたりしていて、あー、もうなんか訳が分からなくて、でもどんどんそれこそフォロワーさんとか増えてってしまってて、どうしていいかわからないっていう、そんな状況の中で、本当に大変なことなんだなっていうのは感じてました。
Q.時が経つにつれて、コトの重大さへの認識の変化はありましたか?
 毎日放送を続けていくわけですよね。
 その続けていく放送の中で、やっぱり最初はね、爆発したっていう情報と、あとはライフラインがどうなってるかっていう状況を伝えていくですけど、ライフラインが普及してくれば復旧してくるほど、リスナーさんだったりが、放射能に対して原発っていうよりも、放射能に対してどういう対応をしていったらいいんだっていうところに、すごく??になってるのが伝わってくるんですよね。
Q.例えば、どのような反応だったのですか?
 すごく衝撃的だったのが、私今ツイッターは震災前からはやってたんですけれども、まぁまぁ自分と同じ、自分がフォローしてるのと同じくらいのフォロワー数で、放送中に災害対策本部から、初めて放射線量っていうものが発表になったんですよ。それまで一切誰も数値をいわなかったんですね。それが多分1週間経つか経たないかくらいで、5日目とか4日めとかそのくらいだったと思う、15日くらいだったかなとは思うんですけど、それをネット上にも上がってなかったんですよ。一切。
 私これは私を知ってる人だけでもお伝えしなきゃと思って、書き始めたんですよ。毎時のものを。
 そしたら、1日に100件ペース、100件ペース、いやもっとですね、1日200件300件とフォロワーさんが増えていって、ものすごく今自分が持っている情報、放射線に対する情報っていうものを福島の人が欲してるんだというのは肌で感じて
、その後すぐに噂の山下教授が出てくるんですけども、放射能の安全性を歌うための文句がいろいろ出てくるんですね。山下教授の話もそうですし、あとは、病院の放射線技師による基準とか、そういった安全によるものだったり。
 でも私たち自身もどのくらい安全で、どのくらい不安なものなのかわからないので、そういった専門家のものをもってきて、とりあえず一つの情報として出すしかないので、読み上げていって・・・、えーっと、県から出ていた数値に、下に※で『レントゲン1回あたりに浴びる被曝量は、この何分の1ですから』みたいな、とにかくレントゲンと比べた安全ですっていううたい文句が入ってるんですよ。入ってるので私たちもそれを読んでたんですね。
 でも、なんだか自分たちがそれこをツイッターだとか独自の手段で得ている情報と、なんだか違う気がするなっていうのをどこかしらで感じたんですね。多分2週間3週間経ってからだったと思うんですけど。
「あれ?なんだかおかしい気がするぞ」
って、山下教授の講演、『安全です』っていう講演もココラジでもダビングして、それを流したりしてたんですよ。
 でも、誰がどこで何を言い始めたか覚えてないですけど、
「なんかそれってまずいんじゃないの?」
っていう空気が流れ始めて、私と同い年のパーソナリティの女の子がいるんですけど、その子だけでも、
「『だから安全です。心配しないでください』っていう最後の一文は読まないようにしよう」
って。それを読んだか読まないかは、ココラジ側では多分ある程度パーソナリティに任せてくれるので、
「そこは私たちだけでもいいから読まないようにしよう」
って、読まなくしたり
とか、あともう一つびっくりしたのが、郡山の数値が上がったんですよね。県外の方はご存じないかもしれないんですが、福島・郡山・本宮・二本松ってスポットで測定されていて、測定していたポイントが、地表からの高さはまちまちで、福島市は地表から1m、郡山市はどうやら3階で測っていた。それを私は知らずにずっとツイッターにあげつづけていた。
 ある日、数値がいきなり郡山の数値が福島と同じくらいの数字に上がったんですよ。
Q.数値を覚えていますか?
 10近かったかな。10マイクロシーベルトとかそのくらいだったかな・・・。
 うーん。
 で、最初は福島市だけ高くて、郡山市が本当に低かったので、
「福島だけ高くて、郡山大丈夫なんだ」
って思っていて、私は両親が福島市に居るので、福島市をすごく心配してたんですね。
「まぁ、風向きかな」
なんて言ってたんですけど、ある日福島と同じになっていて、
「あれ?」
みたいな。
 付け加えられた文章に、
『3階で測っていたものを1階に戻した、直したら、今の数値になりました』
っていう旨のアナウンスがあって、それを私はそのまましょうがなくツイッターにあげたんですよ。
「変わりましたが、3階だったのが1階になったため・・・」
そしたら、なぜか知らないんですけど、私に
「なんで?」
っていうバッシングがすごくきて、
「いやー、郡山市に聞いてもらわないと・・・」
っていう、そんな状況で、でもどこかでこれは作為的だったらすごい大変なことだなっていう不安感を持った・・・それも一つの出来事ですかね。
『行政って本当に信用しちゃっていいのかな?』
っていう自分の中の疑問がついた一番の出来事だったかなと・・・。
 そこで疑問符が付きはじめたから、山下教授の『安心だ』って言っている見解を持つ山下教授を県の放射線リスクアドバイザーに迎えたっていう件、そして、数値が作為的じゃなかったにせよ、もしそれが作為的であったら、ものすごく怖いことだなっていう自分の中の疑問点をいろいろ掻き集めていった中で、今度は自分の中の軸で情報を精査するようになってくるですよ。県から市から言われたものじゃなくて。
 そうなってきたときに、
「あれ?今福島、郡山が例えば皆避難しちゃったとしたら、東北道路って寸断されるよね。東北自動車道、東北新幹線って寸断されるよね。そしたら、今仙台とか岩手とか復興が必要なところへの物資も届かなくなるよね。そういう意味で考えたら、今福島・郡山を非難させることって、もしかして国にとってものすごくリスキーなことなのかな」
ってそういう面から考えたら、もしかして私たちは居ていい場所じゃない場所に、『居ていいですよ』って言われてるのかもしれないとか、いろいろなあらゆる側面から、それはそうじゃない可能性ももちろん考えた上で、考え出すっていうきっかけにはなってきたかなと思いますね。
Q.何かおかしいと思い始めたのは、どういう理由からですか?
 ラジオやツイッターで情報発信していく責任も感じ始めるんです。もちろん最初からあることはあるんですけども、例えば与えられた情報でも県や国から与えられた情報が、果たして正解なのかどうかすらわからないなっていう疑問を持ち始めたので、これは自分でもうちょっと勉強しないと、おっかなくて人に何かを伝えるってできないなって思い始めて。
 本屋さんに行って、田中優さんの『原発に頼らない社会へ』っていう本を手に取るんですよ。
 放射能って何?
 放射線って何?
 日本が地震大国であるっていう事実。
 それから、電力って今まで当たり前に使ってたのがどういう仕組みで作られてるのか。
 その辺もある程度勉強した上で、私、ずっと広告の世界で生きてるんですよね。なので、スポンサーさんがあって、だから報道が出来て、だから告知ができてっていう仕組みは人一倍知っているつもりで、そのロジックを当てはめると、なんか・・・あれ?ここにすごく大きな広告のロジックがある気がする。それも、国とか・・・電力会社とか・・・そういったレベルで。
 っていうところが、すごく・・・自分の中の疑問符を本当になんか決定打にしたというか、
「あ、これは本当に自分の軸でしっかり物事を見ないとダメなんだな」
っていう感覚を養えたターニングポイントだったと思います。
 それから、ハッピーアイランドネットワークさんとか、子供を放射能から守るネットワークとかそういった有志の団体が企画してくれた「放射能は安全なものではない」っていう見解をもとに行われる講演会を、とにかくもう漁るように行って、私たちの同世代の女の子とかおんなじ世代の子たちは、仕事が始まってるので1か月2か月経っていって、そういう情報はきっと得られないと思ったので、私がせめて行ければ。
 幸いにしてココラジの社長も一緒に行ってくれたりとか、そこにダビングしに行ってくれたりとか、録画しにいってくれたりっていう方なので、一緒に行って田中優さんもそうですし、武田邦彦先生もそうですし、野呂さんなんかもそうですし。
 とりあえず一通り行って、自分で勉強したんですよね。
 勉強して、その後、
「これは本当に大変なことなんだ。ここには居てはいけないんだ」
と。本当に1か月半、2か月くらいかな。5月、連休あたりくらいですかね。思い始めて、もともとマスクをしたり食べ物を気を付けたりっていうのは、最初からしていたんです。その自分の中での疑問があったので、これはなんかしなきゃいけない気がする。
 周りの人たちは、もう大丈夫っていって外していたんですけど、私は怖かったので、そこもしっかりやっていこうと思って。自分の番組でも、必ず放射能、放射線に関する講演会があれば紹介したり、自分が作っている携わらせていただいているフリーマガジンDipの中でも、福島のこれからをみんなで考えるっていう特集をやったりとか、そん中でも、野呂さんとか田中さんとかに寄稿いただいたりとかいろいろして、勉強すれば勉強するほど、
「あぁ福島は危険なんだな」
って、『安心ですよ』とは言えない。特に私なんかはまだ27歳でこれから結婚もしたいし、子供も産みたいし・・・っていうことを考えたら、ここはちょっと難しいなと思ってきて。
 でも、周りとの温度差がだんだん出てくるんですよね。
 情報をそうやって得てる人と、得ていない人の差。
 一番つらいのがその差で、生活の中でマスクをして普通に営業に行きます。
「こんにちは」
「宍戸さん、なんでマスクしてるの?」
「いや、放射線、放射能、ほら内部被曝・・・」
「大丈夫だよ!」
って。
「」大丈夫じゃないと思います、私は」
っていうんですけど、
「ちょっと気にしすぎなんじゃないの?そのストレスのほうがよくないよ」
って、やっぱり言われちゃう。
 それでも私は負けたくなかったので、
「私は危険だと思ってるんでし続けます」
っていったりとか、自分のブログでできるだけ自分が講演会とかで得てきた情報を伝えたりとかしてたんですけど、ありがたいことにやっぱり同じ世代で同じ感覚を持ってる女の子とか、飲み会とかで会ったりすると、マスクしてたりして、
「あれ?マスクしてる。珍しいね」
って同世代の女の子なんで、
「どうしたの?」
って言うと、
「ちかちゃん、ブログに書いてたじゃん」
って言われて、
「あ、でもこういう人も居るんだったら、私、伝え続けよう」
って思って、そんな多分春をすごし、ずーっと悩み続けてるんですよね。その時も。福島にこのまま残っていいものなのか、生活を続けていっていいものなのか。でも、悩みながらも前に進むしかないので、ストロンチウムとは何と間違って吸収されやすいかとか、玄米菜食がいいとか、そういう勉強をしながら、ずっと続けてきて、仕事柄レースやなんやで外に出ることも多くて、だんだん外の人も、なんか終わったことみたいなふうになってきていて、その温度差もやっぱり辛かったりとかして・・・
Q.それは何月頃ですか?
 そうですね。外に出て温度差を感じたのは5月とか6月くらいには、外では終わったことになっていた感覚はありますね。
 ずーっと私は原発に絡むこと、放射能に絡むこと、気になってたので、ずっとブログに書き続けてたんですけど、レース関係でずっと見てくれている全国の人っていうのは、もうなんですかね・・・。何が行われてるのかわからないんだと思うんですけど、レースで会ったりすると、なんかすごく可哀そうな目で私を見るんですね。
「ちかちゃん、大丈夫?ブログ見てるけど大変だったね」
って。なんかその切ない顔を見てたら、なんかそれを書くことすらもなんかいいのかな?っていう気になってきちゃって、
「あ、全然大丈夫です」
って一応前を向いて進んでるので、
「全然大丈夫です。今日は外に出てきてマスクしなくて平気なんで、大丈夫です」
「え?そんな状況なの?」
とかって言われて、
「でも内部被曝しちゃったら怖いですよね」
とかって言うと、
「え?内部被曝って何?」
って。
「あー、そんな状況なんだー」
って思って・・・。
Q.それはどこでしたか?
 それは、長野でしたかね。言われたのは。長野。静岡に住んでる人に長野で会って、言われたかな。
 その後、いろいろな人のつながりで震災を経験した話を熊本で講演をしてくれとか、そんな話をいただいて、熊本にも7月に行って、1000人近い人の前でお話をさせていただいたんですけど、その時も・・・、放射線と放射能の違いがわからないっていうのがデフォルトだったんですね。
 私が玄海原発がちょうどやらせメールで止まった2週間後とかに行ったんですよ。
 もし、そのまま稼働していたら、何て言ってこようかなって思ったんですけど、止まってたんで、良かったなと思って。なので、
「玄海原発が止まってて、本当に私は良かったなと思っていて、私たちのような思いをする人が、1人でも少なくなってほしいと私は思ってるので、一番・・・後悔したのは、興味を持ってなかった自分に一番後悔をしたので、皆さんにはそう思ってほしくないから、考えてください」
っていう話をしてきたら、その後の打ち上げでお話をする人する人が、なんか「すごく感銘を受けた」って言ってくださるんですよ。
 でも、私にとっては普通のことなのに、
「あ、そっか。こんなに離れてしまっているところでは、全然違うんだな」
っていうのに、改めて感じて。
 その事実すらもすごく大変なことだなって。
 本当に対岸の火事にならざるをえない。わからない故に、情報が無いが故に、情報が精査されてしまってるが故に、そうなってるのが、彼らにとってもすごくマイナスなんだな。逆に例えば、私がそういうふうに話をしたら、熊本の人たちも
「僕たちも考えたほうがいいと思わせられました」
とか、同い年くらいの男の子が、何か言われてることは難しくて分からないし、放射能とか放射線とかわからないけど、同い年の女の子がなんか必死に訴えようとしてるほど、危険なものなんだっていうことに気づいてくれる。それだけでも意味があるかなと思うんですけど、そういうことが精査されて伝わらない。今の状況が非常に危険だなーっと思いますね。
Q.福島と外の世界、それ以外の理由で格差を感じることは何かありましたか?
 年齢の格差は感じますね。
 やはり、ちょっと笑える話なんですけど、あるカフェで私ランチを食べてたら、隣の席に7人くらいおばちゃん、私の母よりもちょっと上かな。60歳くらいの方々が同窓会の打ち合わせって言ってたんですけど、そんな内容で打ち合わせしてるんですよ。
Q.それはいつ頃の話ですか?
 それいつ頃だったかな・・・。5月とか6月くらいだったと思うんですけど。
 まぁまぁまだ全然収束もしていない、メルトダウン、メルトスルーくらいの情報が出てきたくらいの状況だったかなと思いますけど。6人、7人のおばさま方が、私はここに住もうかすごく悩んでる時期に
「いやーなんかさ、政府の言ってることも嘘みたいねー。アハハハハハハ」
って話をしていて、
「なんかでも、隠してたりすることもあるんでしょうねー。後から後からねー」
とか言って、すごい笑い話をしてるんですよ。
「いや、私全然笑えないんですけど」
って、背中で食べながら聞いていて。
「ま、でもね、私たちはもう60年も生きたからー、大丈夫だけど、本当に私たちの子供とかね、孫が可哀そうよねー」
 本当に思ってるのかな?っていうような、そんな話っぷりで、
「でも、そうよねー。私たちはなんか、なに食べてもガンになるのが放射線の影響か、そうじゃないかわかんないからね。」
 いやまぁ確かにそうなんですけど、その中に福島市の渡利ってすごく放射線量が高いんですけど、渡利の方が居たみたいで、
「あんた、ほら渡利だから、私よりも早く死ぬわよ、アハハハ」
みたいなことしゃべってて、
「あー、そういう状況なんだ」
と思って。
 私たちなんかは、これからやっぱり自分の子供を育てるのに、ここで大丈夫かなって思ったりするのがあるんですけど、年齢が違うと、その情報を得ようっていう気持ちも違いますし、その情報を隠されてるとか、情報が伝わってこないことへの危機感すらも、やっぱり薄いんだなって、そういう格差は出てるなと思いますね。
 あと、私、27で、27歳の同い年の女の子としゃべってて思うのが、私たち世代が一番私は危険だと思っていて、30歳くらいになってしまうと、子供が居たりするので、子供を理由に避難していたりとか、子供が居るから子供のために勉強するっていうことがあって、ある程度情報を得てるんですよね。なので、お母さん達と話してると、比較的話がトントンと話が進むんですけど、私たち世代の女性、男性もそうだと思いますが、朝9時から夜の6時7時まで仕事をして、情報を得られる時間って、その後の8時から12時くらいの時間なんですね。
 ただ、月~金までその時間でみっちり働いてれば、休みたいだろうし、そんな時間にチェルノブイリの辛い映像なんて見たくないだろうし。
 だから比較的離れ小島のように取り残されていってしまって、私たちの25近辺の女性は、本当に情報の面ではすごく、うーん・・・。少ないかなって。
 逆にその下の世代、20歳から25歳くらいまでの世代の後輩と話をして思うのは、そのくらいの世代の子たちっていうのも、逆に放射能とか放射線とかストロンチウムとか難しいじゃないですか、話が。
 なので、嫌な怖い事実しか見えてこないんですよね。
 それを細分化して、しっかり理解すればどう防ぐかというコトが考えられるんですけども、彼女たちはまだそこまで自分の主軸で物事を精査できる子が多分少ないんだと思うんですが、なので、
「マスクとかしなかったら危険だよ」
っていうと、
「もうその話しないでください!」
って、言われちゃうんです。
「ちか先輩の言うことわかるんですけど、もうなんかそこに触れたらうつ病になっちゃいそうだから、いいんです。私はもう。太く短くでいいんです!」
とか言っちゃうんです。
 なんかこの状況って何なんだろう?って、そういう格差はたくさんありますね。
<39:30頃まで>

【後半】に続きます。
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