※この記事は、12月8日 【内容起こし】百人百話 第23話 佐藤幸子さん 【その③】『子供を放射能から守るネットワークとニューヨーク』の続きです。

<58:15頃~>
Q.震災後の暮らし。
 仕事を本当に農業を辞めるってなった時に、うちでは卵の収入がほとんどで、野菜とかお米に関しては、自給クラスくらいだったんです。
 卵の方はうちではかなりの収入だったので、でも東電の社員の方の給料の10分の1くらいですけれども、それでもそれがゼロになったわけですね。
 福祉の方の給料は、理事長なんですけど、手取りが12万くらいです。この収入しかないんです。
 ただ、不幸中の幸いっていうか、うちで研修生を受け入れて、研修生のための家を何カ所か用意してたんです。そこに入ってた研修生たちは、全員、あ、一組だけ残ってますけど、全員居なくなっちゃった。空きますよね。そこを飯舘村の全村避難になったので、飯舘の村の人たちが「貸してくれ」というふうになって、それで、実は、貸してるんですよ。3月。
 それが家賃の方は、県からの助成で払ってもらえることになったので、避難してる人から直接っていうのは無いんですけれども、それの家賃収入がいくらかあるというだけなんです。
 私が山形から、前は山形市だったので、2時間半かかるから毎日は帰れなかったんですけど、今、米沢というところで1時間20分くらいで行ける場所なので、毎日帰ってるんですよ。そうすると、今までの6倍の距離なんです。
 だから単純にいっても、ガソリン代が今までの6倍かかるんです。
 なので、今のところ何とかやりくりしてますけれども、これ、ずーっと続いたら、ちょっと続かないよねっていうのが、実際のところですね。

Q.福島ネットワークの活動。
 『子供たちを放射能から守る福島ネットワーク』という名前にしようふうに思ったのは、今一番最初にやらなければいけないこと、もちろん復興も必要なんですけれども、まずは子供のことだ。子供を逃がさなきゃいけない。逃げられなかった子供たちのためにどうするか?ということで、とにかく【子供の命】ということ、一点にしぼって動くネットワークを作るということで、『子供たちを放射能から守る福島ネットワーク』という名前にしたんですね。
 本当に今までいろんな考えて来られた方達、活動してた方も居ますし、全く活動したことのない方、そういう方たちをつなぐたった一つのキーワードが【子供の命】なんですね。
 そういうことできたので、その活動一点に絞ってるんですけど、ただ、それは、本当に自分の活動費は全部持ちだしで始まったんです。
「お金のこと心配して、じゃあ子供の命守らないんですか?」
っていわれたとき、
「そうじゃないでしょ。お金のこと考える暇もないくらいにやることは進めなきゃいけない」
ということで、始まったんです。
 お金は必要なところに必要なだけ来るというのが私の考えなんですね。
 活動始まってみたら、「実はもちろん活動費が必要なんです」っていうことがあちこちで講演に行ったときとか話をするし、訪ねて来られる方、電話をくださる方にそれをもちろんお願いをしているので、募金っていう、カンパという形で、今少しずつ集まってきていて、活動費のほうは今のところそれで賄えるくらいはあるんですが、これいつまでもカンパだけでやれるか?っていったら、それは全然わからないですね。どこまで続けられるか判らない状態で、今いるというのが実際のところです。
 私自身が生活費を稼ぐための農業は一切やれなくなったわけで、福祉のほうの職場の給料が手取り12万くらいで、ちょっとあとは家賃のやりくりなどをしていくことが、本当にこのまま続けていくのはできるかどうか、それはものすごい、今先が見えないところではあるんですけれども、ただ、この自給自足をしていこうと思ったときに、
『お金を掛けなくても生きられる生活をしよう』
ということが、もともとあるので、もし、お金が少なくなって無くなってきたら、それなりの生活に替えていくというふうには思ってるんで、今のところ、「食材を提供お願いします」って4月の早い時点でお願いしたので、それが毎週届いてるんです。週1回。それを今、静岡と群馬とあとは定期的にはないんですけれども、青森から届くとか岐阜から届くとか長野から届くとか、大阪から届くとかそんな形でいただいているので、それで食材を全部いただいています。そのお言葉に甘えるしかないかなという気がしています。
Q.3.11以降の福島の人々のこころ。
 福島県民はね、本当にこの自然豊かなふるさと福島を愛してるんですよ。好きなんですね。食べ物もおいしいし、人柄もいいし、何かあった時には助け合いで生きてきたという、そういう今までの生活がこの3.11後に、本当に小さいお子さんをお持ちの方は、個々では無理だと判断された方は、いち早く外に出られましたよね。
 出られる人を見て、自分も本当は出たいんだけれども出られないっていう人もいっぱいいたんですね。いろんな事情があって、家のローンとかかかえて、子供が言うこと聞かない、おじいちゃん、おばあちゃんを置いてはいけない、仕事を辞めてよそに行って生活本当にできるのか?
 本当にいろんな理由で動けない人たちがいっぱいして、その人たちの中でまず分断が起こってしまって、それの現象が起こった原因は何かっていったら、本来は出ていったことが原因ではなくって、出ていかざるを得なくなった状況を作ったのが原因で、それは東電にあるわけで、その東電の事業を認めてた国にあるわけで、本来はそういう怒りは全部そこにぶつけなきゃいけないんです。
 だけど、福島県民、そういうのを言うのが苦手で、言えない。
 その想いが心の中に抑え込むこともできなくなった時に、爆発して、すぐ身近にいる人に八つ当たりをするようになるわけですね。
 私の事業所で言えば、本当に仲の良かった子供さん、小さいお子さんがそれぞれいる友達が一斉に避難してしまって、自分一人残されて、
『自分は、出たいと思わないのよ』
と強がってるけど、実は本当は出たかったという、でも出られない事情がいっぱいある。それをどう自分の中で折り合いをつけるか?っていうところができなくって、『放射能のせいだ』と思うけれども、でも、出てった人に対して、恨みを言ってしまう。それを直接言えないで、周りの人に言って八つ当たりをするという状態が続いてたんですけれども。
 それがそれぞれの方達、やっぱり言えないけれど、言おうとすると身近にいる人にぶつけてしまうっていうような、なんかちょっとした別の理由でそのことを攻撃する。
 私なんかはちょっと、子供福島の用事で職場に出る時間が短くなると、
『どっちが大事なんです?』
 やってることは理解してもらって、もちろん必要なことで、子供を逃がさなきゃいけないことは必要なことだ・・・
『なんで幸子さんがやるんですか?別の人にやってもらったらいいじゃないですか?』
っていうようなことを直接私に言われました。
 そういうことも、どこのところにも起こってて、
『野菜がいろんなところで作られなくなって、お米が作っても出せるかどうかわからない、やりがいがない』
その怒りをどこにぶつけるかって言うと、
『「ここは危険だから避難しなさい」といっている人が居るから、自分たちの野菜が売れなくなった。風評被害だ。』
っていうふうになって、子供福島のメンバーのところにそういうのが入ってきたりするんですね。
 それを支援している人たちのところにも怒りがぶつかる。
 そこで分断されてく。
 子供を逃がそうとしている子供福島と、商工関係の人たちが対立してしまう。
 農業をやっている団体と対立する。
 そういうことが今起こってるんですよ。
 自分の、もちろんね、職場を守らなきゃいけない、地域を守らなきゃいけない、そういう人たちにとっては、人口が減ることがどれだけダメージ・・・があるかっていうことももちろん私たちも判らないわけではないです。
 だけれども、私にとって一番大事なところはどこなのか?といったら、やっぱり【子供の命】だとなるから、それを言うわけです。
 だけど、生活をしていくのに、やっぱりお金が一番必要なんだと思ってる人たちは、
『多少病気になっても、それは医学が発達して治すことができるようになるんだから、今ここで地域を崩壊させたり家族をバラバラにすることの被害の方が大きい。だからここに残ってとどまって、医療の発達を待ちましょう』
って言う人も居たんです。実際に。
 だから、そういうことで自分と相手の人の考えが違うっていうことを認めることができない。受け入れることができない。自分と同じ考えの人とでないと話ができなくなってしまうというので、皆さん、この人は子供を逃がしてもいいと思ってる人かどうかをお互いに探りながら話をしなきゃいけないっていう、そういう状況の追い込まれてて、初期のころは「マスクをしてる人となら話ができる、判る人かな」とか、「洗濯物をどこに干してる?」ってまず聞くと、「家の中です」って言った人とは話が合うなとか、そういうところに気を遣いながら話をするというような状況が生まれているところです。
 本当に原因を作った東電や国に対して、本当は直接言わなきゃいけないんですね。
 だけど、そのやり方がどこに言えばいいのかわからない。
 東電の本社に電話をしても聞いてもらえるのかどうかもわからないような方達もたくさんいると思うんですね。
 それともう一つは、日常の本当に仕事に追われてて、そういうことを考える暇もないっていう、こともあると思うんです。
 なので、今までだって一生懸命仕事しなきゃ生活できなかったような人たちが、更に余計なことをしなきゃいけないわけですよね。本当は心身ともに疲れ果ててしまう、それに耐えられなくなってしまう。
 だから最初の頃は行政に対して、東電に対して文句を言っていた人でも、言っても言ってもラチが開かないとなれば、もう諦めてしまうんですね。
 そうするとそっちに言うのは諦めるけど、やっぱりここらへんでもやもやしてるものをどっかで吐き出さないといけないから、身近な人のところに攻撃するということになってしまうということなんです。
 だから、私なんかは直接、政府に行って言ったりね、できるので、やろうと思えば。そういうところで、そういうね、考えの違う人のところを攻撃したりっていうことは、まず一切する必要が無かったので、それがなかなかできない人はそうなってしまうのかな。
 だから、最初から自分と考えの違う人が居て当たり前なんだっていうことが、まず前提に無いんですね。
 当たり前で、それを受け入れて、でも、自分はこうだよっていうふうに話ができるっていう、攻撃ではなくて、自分の気持ちを素直に話ができる。
 そういうことができない状況に、今なってるんだと思います。

 福島は農村地帯が多いので、特に今回避難を余儀なくされたところなんかはそうですよね。浜通りの方、もちろん漁村も含めてですけれども、そういう村社会というのは、暗黙の了解でこういうことは、もう皆が同じ考えで行動するんだよっていうのがあるんですね。その中で自分は違う意見だということが、なかなか難しい、そういう場所なんです。
 なので、自分と違う人を受け入れることがなかなかできなくって、
「こういうのは皆一斉に行動するのは当たり前でしょ。」
みたいな。
 だから、何かの会が立ち上がった時に、何て言うんですか、自分だけ違う意見をいってるとか、そういうことはまずありえないんですね。全員、全戸加入っていうのが当たり前だったりするから、自分は入れませんとか、そういうことも言えないような、そういう中で、「もし避難をするんならば、皆一緒に避難をするか、とどまるのはみんな一緒に留まる」みたいな、そういうことが村社会とか地域社会の中では要求される。
 だから、1人だけ避難したりすると、
「あぁあの人は見捨てていった。」
というふうに言われてしまうんです。
「ここは危険な場所だ」
「自分は残らなきゃいけないのに、そうやって危険を煽る、不安を煽るような発言をするような人は、ちょっと受け入れられない、許せない」
というふうになってしまう。
 あと本当に自然が素晴らしいこの福島を、如何にも都会の人たちが汚いものを見るような目で、
『汚染した、汚染された』
「都会の電気を作るために、ここはそういう状況になったんだということがあるので、そんなことよそから言われたくないよ」
というような、そういうことに対しても本来は東電に向けなきゃいけない怒りを都市の人たちに向けるみたいなことも起こってるんだと思うんです。
 私、その意見が違う人たちを攻撃するっていうのは、農村は昔からのそういう村社会の中で自然にできてきた感情だと思うんですよ。なので自分の意見をはっきり言うなんていうことは、まずありえない社会だったので、そういう中で今回自分の考えをきちんと行動で表したという人を見て、ちょっとそれを受け入れられないという意味では、日本の農村社会の今までの在り方が放出してしまったのかなという気はしてるんですけれども。
Q.考えをつらぬける訳。
 私の家は、実は父が4歳の頃に高熱を出して病気になってるんです。それで、そのせいで若干の言語障害と手足の障害が残ってるんです。
 今でいう知的障害もあるんですね。
 なので、父です。私の父が、そういう障害を持っていて、母はうつ病を発病して、精神障害を持っていて、そういう家庭環境で育っていたので、人と違うことが当たり前なんです。私の家の中では。
 自分の意見をはっきり言うっていうことも、私は子供の頃からそれが当たり前だったので、そういうふうに育ってきて、結婚した相手も周りと同調しない生活をしてたんです。『自分の生き方は自分で貫く』という生き方をしてて、よそは何といおうと自分はこれだと思ったらそれで進む。
 だからちょっと変わり者の家だったんですね。
 そういう意味で、他の人がどうであろうと、自分はこうするっていうのをはっきり言えて、自分たちが言ったことに対しても、他の人が何を言おうがそんなことは気にする必要がない。
 それは、夫の方のお母さん、姑さんも舅さんもそのところは認めててくれて、
「よそで何を言われようが、家の中でうまくさえいってればいいんだから、そんなの気にすることないよ」
っていうふうな考えだったんです。
 だから本当に人の考えって、その家の家庭の考え方がそのまんま出るので、家庭環境は本当に大事だなと私は思うんですけれども、そういう家庭だったということが、今を作ってると思います。
 今実際に避難をしている人は、多分、住民票を移した人っていうことでしか統計は出ないと思うんですけど、6万人くらい避難してるというんですね。200万人ですからね。
 避難をしたほうがいいんじゃないかなと思いながら避難できないでいる人が、うーん、1割くらいか2割くらいかなというくらいだと思うんです。実は。
 『避難なんかできないよ』最初からあきらめてる人が、私は実はほとんど。『危険だと知りつつも避難なんかできないよ』と諦めている人が7割くらいかなという気がするんです。
 私たち最初に『子供を避難させなきゃ』って思ったときに、全員避難だと思ったんですね。でも、
「もしかしたらもう夏休みの辺りに1割避難させられたら本当に大成功くらいの気持ちになんないといけないのかな。9割残った子供のために何かしなきゃな」
って実は思ったんです。
 来年度の新年度に向けてまだ動くとは思うんですけど、1割まで避難できるかどうかだなっていう気はします。
 実は、いろんな運動をしていく中で、実際に引っ張る人は5%いれば、世の中動くんだと私はずっと教えられてたんですね。5%の人が動けば、それ以外の人はくっついてくるだけだからといわれてたので、1割の人がもしドーンと動いたら、あとの人たちも慌てるんじゃないかと思うんですが、でも、そう簡単に動けないっていろんな事情があるっていう、そういうことだと思うので、なので、完全に動ける人1割、動こうか動けないか迷いながら残る人が2割くらい、あとの7割は安全だと思いこんで動かないっていう、そんなパターンかなっていう気はするんですけど。
Q.汚染された土地で生きる。
 これだけ汚染が広まると、本当に福島から出ればそれで問題は解決するというわけではないと思うんですね。特にこれから内部被曝のことも問題になるので、食べ物をどれを食べたらいいか、どれならば子供が大丈夫なのかっていうのは、本当に重要になってくると思うんですけど、国が決めた500ベクレルという基準値が、全てこれが風評被害を起こした原因だと私は思ってるんですけど、きちんと厳しい基準で、それで基準値以下だったというのであれば、皆さん信用すると思うんですが、500って・・・どれだけ高いの?って。
 ウクライナやベラルーシの食べ物の基準、最初はもちろん高く設定しないと食べられなかったんですけど、今は大体40ベクレルくらいなんですね。
 なので、水なんかは2ベクレルですよね。アメリカの水の基準が0.11ベクレルですよ。
 それが日本は200ベクレル、食べ物500ベクレル。
 これは誰も信用しないの当たり前だと思うんですね。
 私たちはだから、自分で測ってきちっと自分の目で確かめて判断して、食べるか食べないか決めたいと思ってるので、福島県産のものは全部ダメなわけではないんです。実際に私の事業所で働いているヘルパーの家で作ったキャベツが0.1ベクレル以下でしたから、もうそれは子供に食べさせても全然問題は無い数値なんですね。
 そういうことを考えると、これからお米がどんどん出てくるので、それをきちっと測って、年に数回食べる量の果物とかなんかは、多少高くてもそれは私にしてみれば、そんなに問題視するほどではない。トータルで1年間どれだけ食べたかが問題なので。
 そうすると一番食べるお米、一番飲むお米、そういうのが大事なので、それをきちんとどのくらいのものを自分が食べてるのかをやっぱり知って上で、毎日の食生活を送らなければいけないと思うんです。
Q.これから…。
 今子供たちと一緒に米沢に、私自身も居ますけれども、職場が福島なので毎日出てきてはいるんですね。私は子供たちが自立してどこかに住むようになったら、私自身は川俣のやまなみ農場に戻りたいと思ってます。
 それはどうしてかというと、私がやっぱり一番そこでやりたかったことは、安全な食べ物を作って、自分も子供にも食べさせるって、そういう、それで、ほかに入って来なくてもそういうものに頼らなくても生きられる生活でなければ、これからずっと長く続けられる生活ではないから、自然の恵みを大事にする、そういう生き方をするっていうことが大事と思ってやってたので。
 ただ、今の状況では子供は無理だという判断なので。
 私はもう、50を過ぎてるから、50以上は大丈夫だと言われてる、そちらを信じて、そういう時のために自分はとにかく免疫力と高める、多少のことでは病気にならない、そういう生活をしてきたつもりなんです。なので、そう簡単にやすやすと病気にならないぞっていう自信はあるんです。
 住み慣れたところで自分の食べる野菜は作って、子供にはちょっと無理かなと思いながらも、自分は自分で作って収穫して、それを食べる野菜が、これがおいしいんですね。
 なので、とりあえず農薬と添加物のない食生活、これで、体内の毒物はなるべく入れないっていうのをやってきたので、多少それこそ、放射性物質が入ってるモノであっても、それに対しては抵抗力を持ってると、私は思ってるので、戻ろうと思ってます。
 私はやっぱり川俣で最後は終えたいと思ってて、自分の生まれ育ったところが一番安心していられますね。
 福島以外のところで住んだことが実はないんですけど、でも、あちこち旅行したときに、ここに住みたいなと思うようなところがなかったわけではないんですけど、やっぱりそこから帰ってきて、自分の家が見えてくると
「やっぱここが一番いいよな」
って思うというのが私の中にあったので、私はどんなに放射能があそこにあろうとも、戻ってきたいと思います。
 一番期待してるのは、私たちっていうか自然農やってる人たちが、一番畑をどうやって作って来たかというと、微生物によって豊かにしてもらってたんですよ。虫や微生物、草。
 なので、例え放射能であっても、私はそこを再生する力は、自然の中にあると思ってるんですよ。なので、余計なものをやらなくても、必ず長い年月かかるかもしれないけど、自然は自分で浄化する、そういう能力を持っているんじゃないかなって、それに期待をしたいんです。
 それは、原発事故が起こった時に次に思ったのは、
『宮崎駿の風の谷のナウシカの世界になったな』
と思って、腐海の森、オウム、あれは、福島の自然豊かな森であって、オウムという虫、これがそれを守る役目をしてるという、そのオウムっていったい何かな?って思ってたんですけど、形そのものを見ると、実はダンゴ虫なんですよ。ダンゴ虫を巨大化したのがオウムかなって思ってたんですけど、そしたら、川俣町は実は絹の産地で、養蚕の産地だったんですけれども、つい最近、ちょっとね、これは確かな情報かどうかわからないんですけど、蚕がクワの葉を食べることによって、体内に取り込んで浄化する作用があるっていうのをちょっと聞いたんですね。それでピンときたのは、オウムはもしかしたら蚕なのかもしれないって思って、それで昔、たまたま養蚕地帯だったのに、それが経済産業の中で淘汰されてしまって、輸入に押されて廃れてしまったんですね。化学繊維に押されて。
 それを取り戻すことができるのが、まだもしかしたら養蚕かもしれないっていう。
 あと菜の花っていうのもありましたよね。
 あれも昔は農村に必ずあった風景なんです。菜の花畑。それが無くなってしまった。それを取り戻せということかなというふうに、あの菜の花プロジェクトの話を聞いたり、それで、小麦も実は、中には入らない。外皮にだけは入るけど、小麦粉にした時には食べられるんだっていう話を聞いてたんです。だから、麦とナタネと蓮華、これが農家の三原色と言われてたんです。春になると赤青黄色で。それを捨ててしまった昭和30年から40年くらいが、高度成長期で農村から人が居なくなって、引っ張り出されて、農薬・化学肥料に頼るようになって、貧しくなった。
 そういうことを逆に取り戻すための作業をするきっかけになればいいなということで、また農村に菜の花がもどって、れんげがもどって、麦がもどって、自給が高まって、養蚕が戻って、絹も取り戻せて、っていうようなことができたらいいなっていう思いがあったんで、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』になったつもりで。
 やっぱり絶望とか怒りとか憎しみだけでは人間は生きてけない。希望というものも必要だと思うので、私は希望をもって生きていきたいなと思ってるんです。『風の谷のナウシカ』大好きで。
 実は、巨神兵をまだ不完全な巨人を掘り起こしてっていうのがあるじゃないですか。あの不完全な巨神兵っていうのは、原発を封じ込めておいた、もしかしたら核を封じ込めておいたものを、また未来の人たちが掘り出してきて、復活させようとする。そういうことなのかななんて、自分勝手に思ってて、だから放射性廃棄物の最終処分場がなくて、地下に埋めようとしてますけど、あれをまた未来の人たちが掘り起こしてきて、また核兵器に使おうなんてことにならないようにというような想いを持ちながら、とにかく長い年月かかるかもしれないけれども、自然は必ず回復するというような、そういう思いでいるので、それまでじっと我慢してる、そんな思いです。
 農村からそういう主要作物以外は全部潰される、捨ててしまったそういう背景が、要するに工業製品を輸出したいためだったということですよね。TPPこれから行われて、もっと食糧の自給が下がってしまったら、どういうことが起こるかっていったら、日本に戦争をしかける必要なんか何もないんですよ。もともとないんですけど、そんなのは。
 だから、戦闘機なんかいらないし、もうそんな自衛隊が必要なわけもないし、アメリカの基地も必要ないわけなんだけど、でもなぜかそんなことを思ってる人がいるんですけど、何で日本をダメにするかって言ったら、食料ストップしたら、もうそれでもうおしまいなんですよ。今4割ですからね。それがもっと下がったら、どういうことになるかっい言ったら、
「もう食料あげないよ」
って言われたら、もうそう言われないように日本は言うこと聞くしかないんですよ。そんなことをどこの国が植民地か、そんなの、未だって植民地だと思ってますけど、植民地に成り下がりたいのか?と私から言わせれば思うんですよ。
 本当に人間が生きていくのに必要なものって、よく考えてほしいんですね。
 人間は食べ物食べなきゃ生きてけない。綺麗な空気と水飲まなきゃ病気になる。こんなの誰が考えたって当たり前のことなんです。
 なので、申し訳ないけれども、お金食べて生きてる人、直接食べて生きてる人は居ないです。お金は便利でいろんなものに確かに交換できるかもしれないけど、そんなもののために綺麗な自然を汚してしまったら、本当に人間は滅びる道を選ぶのかっていうふうな思いがあるので、私はまず食料を自給してエネルギーを自給して、それを可能にするのは、自然しかないと思ってるんです。
 だから、これからは草木の時代だと言った方がいるんですけど、粘土器があって、石器があって、石油があって、原子力があったかもしれないけど、鉱物の時代は終わったんです。自然の再生可能なものを利用した生き方をしなければ、本当に地球そのものが悲鳴を上げてる、そういうことだと思うので、一見美しい福島県に放射能が降ってるのと同じように、一見綺麗に見えているこの地球上は、もう核から何からゴミだらけ、化学物質だらけで悲鳴をあげてるんだと、私は思います。
 それを一掃するためにも、元に戻す、食料自給する、そういうことに視点を向けなければいけないということを、今回の3.11で学ばなければいけないんじゃないかなって私は思ってます。
Q.最後に。
 今の日本、あと10基。あと10基なんでね、これを是非再稼働しないようにしたいと思ってるんですけど、もしそれが叶えば私は生きてる間に、日本の原発止まったよという報告に、お墓詣りに行けるかなと思ってます。
 世界中の原発が止まるまで、お墓参りに行かなかったら、恐らく無理かなと思ってるんですね。なんでもそうなですけど、かかった時間だけ戻すには時間がかかるって私は思ってるので、原発ができてから60年ですか。そしたら、あと60年かかるかもしれないという思いはあるんです。でも、世の中って変わるときって一気に変わるときもあるので、100番目のサルという絵本がありましたけれども、100番目のサルになったときに、世界中が変わるということに期待したいので、それはもしかしたらインターネットの世界だったのかな。一気に伝わるというのは、これの世界だなと今思ってるので、それに期待をして、是非私が生きてる間に、お墓詣りできるように頑張ります。
【以上】


失礼します。
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