※この記事は、12月8日 【内容起こし】百人百話 第23話 佐藤幸子さん 【その②】『母に誓った思いと命をつなぐということ』の続きです。

<23:35頃~>
Q.子供を放射能から守るネットワーク。
 4月25日に準備会をしたんですけれども、その時に原発震災復興福島会議という名前の会ではなくて、『とにかく今すぐにやらなければいけないのは、子供たちを守ること』だと、1点にしぼって会を立ち上げようということになったんです。
 それで名前を『子供たちを放射能から守る福島ネットワーク』ということで、5月1日になったんですが、準備会の25日のときに10人くらい集まればいいかなと思ってたところが、すでに100人を超える方々が集まっていて、自分たちの思いをそこでも本当にいろんな立場だった人たちが話をされていました。
「すぐにでもできることはやろう」
という話がそこで出たんですけれども、5月1日は会場を同じ会場しか用意してなくて、50人の会場を用意してたんですけど、
「とても50人じゃ入れないよね。今日でさえ100人なんだから」
ということで、すぐに150人以上入れる会場を探したんですが、その当時は震災の影響で使えない会場が多くて、やっと本当に今まで誰も使ったこともないような知らないような会場だったんですけど、そこを予約して当日を迎えたんですけれども、当日250人、マスコミも含めて250人の方が集まって来られて、とにかく今すぐにでもできることをやろうということで、
『今どうなっているか、測定をしよう。測定をしてホットスポットは除染をしよう』と。まだまだ自分たちに知識が無い。勉強をまだまだしなきゃということで、知識普及班ということでやりたい』
という人と、
『とにかくなんだかんだ言っても子供は避難でしょ。避難・疎開・保養を最優先に考えてプログラムを作ろう』
という人と、それと同時に
『避難できない人のためにどうすれば防護できるか、そういうことを勉強して伝えていかなければ、手当てもしなければいけない』
ということで、皆さんその場で分かれて、具体的な話になったんです。
 実は、この会っていうのは、「誰かがこれをやりましょう」って言って、皆で相談をしてやるというようなことではとても間に合わないというのが、最初にあったんですね。だから
「自分がこれをやりますって宣言したら、それはあなたの責任において進めてください」
っていう言い方をしたんです。
「だから誰でも世話人なってやれます。私の責任の元だ」
と言えばということで、とにかくみなさんがこれをやりたいと言ったら、どんどん進めてもらうというやり方をしました。
 世話人としては、今50人くらいお名前が挙がってます。
 会員というか申し込みが必要なわけでもなんでもないんですね。自分が会員だといえば会員なわけで、一応メーリングリストに登録をしている人が、今現在で大体600人くらいいます。それで福島県内外に。もちろん福島県住民だったんだけれど、県外に居るという人もいますし、もともと福島県民ではないんだけど、この活動を支援したいという人も入っているということもあって、約600人くらいで動いています。
 なので、誰かの指示のもとに動かなければできないということでは、ここは務まらない。
『自分で考えて判断して行動しましょう』
というところです。
Q.なかなか伝わらない情報。
 3.11が起こった時に、情報が本当に正確な情報が入ってきてないというのは皆さん思ったと思うんですけど、私もそれは思いました。
 私は超アナログ人間で、ネットも使えないし、本当に電話よりも手紙がいいくらいのそういう人間なんですけど、携帯を持ったときに、
「世の中変わったね幸子さんが携帯持ったんだ」
って言われるような人間だったんですけれども、でも今回ばかりは、ネットが無かったら本当に情報は操作され、隠ぺいされ、正確に伝わることはなかっただろうなと思います。
 私たちが空間線量を測った後に記者会見をした時にも、記者の方達は取材をしてくれましたけど、それが新聞に載ることもなくテレビに放送されることもなく、伝わらなかったですね。
 自分たちがブログに、ネットに載せた、それの情報だけで準備会に100人集まるわけですから、「これはものすごいことだな」と、その時に実感しました。
 確かに信頼してる人から聞くのが一番確かな情報だと私も思いますけれども、
「今の時代、これだけ大きなメディアが正確な情報を流さないことになれば、本当にネットを使っての情報っていうのが重要になるんだな」
と痛感してます。
 私たちは、ほとんどがメールのやり取りとネットのツイッターの情報で広めてはいるんですけれども、ただ問題は、福島県のネット状況があまりにも低いということでまだまだ伝わっていない人たちがいるんですね。
 なのでそういう人たちにいかにして伝えるか、それも大事なことかなと思って、やはり福島県の新聞、2社あるんですけど、それにどうやって大きく取り上げてもらえるかということを最初から考えていて、ただ記者会見するだけではなくて、大きな行動を起こした時に、取材してもらって載せてもらおうと。
 あと、私が前から百姓としてやってた時に、取材をしてくれていたテレビ局の人に、また取材をしてもらって放送してもらおうとか、そういうことでお願いをしたりしてやったんですけれども、
「本当にしっかりと放送できるような番組を作ってもらおうと思っても、結局番組の方で握りつぶされてしまうので、正確なのは伝わらない」
というふうに言われてディレクターの方にも言われたんですけれども、新聞もその通りだし、
「記者の方は一生懸命記事書いてあげるんだけれども、上で止められてしまうんだ」
と。本当に日本って、チェルノブイリよりも酷い、旧ソ連よりも酷い状況なんだなっていうのが、もう会う人会う人で、口々に出てくる言葉ですね。 
『本当に恐ろしい世の中になっていたな』
って。でも、よくよく考えてみると、日本って第二次世界大戦の時も大本営発表ということで、全く情報を流してたわけで、それと同じことをやってるんじゃないかっていうふうに私たちは思ってました。
「ただ、あの時、子供たちは戦場から救った学童疎開ということをやった、あの時の方がまだ良かったんじゃない?」
というくらい、今の日本政府のやり方は、納得ができない。子供を炎の中に置くということは、もう信じられないという思いです。
 本当に情報を操作するっていうのは、『今、普通の状態ではない』ということですよね。まさに戦時中というのと一緒だなというふうに思います。
 だから、日本の政府を何を今考えてるのか判りませんけれども、本当に見た目では何も変わらない普通の生活が送れそうな状況が、まさしく戦場と同じ状況になっているということを常に意識しなければならないのかなと思います。
Q.新しいメディアに触れる。
 実はUstreamというのを知ったのは、私が4月20日に河田昌東さんの講演会に行ったときに、何やら主催者の方が
「今日はUstが入ってます」
というのを聞いて、
「Ustってなに?」
みたいな感じで、
「確かにそこにカメラはそこにあるけど、ビデオでも撮ってるのかな」
って思ってたんです。
 その時にちょっと発言をしたら、次の日に
「佐藤さんを見たよ。Ustで見たよ」
「Ustって何?」
ってそこで初めて聞いたんです。
「同時中継で全世界に流れていたよ」
って、確かに元研修生がアメリカからメールをよこして、
「幸子さん、見ました!頑張ってますね!」
っていうすごい時代になったなと。
 テレビに出るのが本当に昔では大変な時代だったのに、今どこに居ても世界中に発信できるということを知ったのは、本当にこの震災の後なんです。
 実は、ネットを使えるようになったのは、私はつい数日前なんです。
 なので、
「ブログとかツイッターとかそういうの幸子さんやってくださいよ」
って言われても、できなかったんですね。まぁブログは事務局の方で子供福島のほうで立ち上げてるので、ホームページもありますけど、私自身がそれに書き込んだりそれに情報を入れるというのはまだできない状態で、未だにツイッターはできない状態です。
 見ることはできるようにやっとなりました。
 でもなかなか、自分のパソコンでネットにつなぐことが出来なくて、何回やってもつなぐことができなくて、娘に
「どうやってつなぐの?」
「何時になったら覚えられるの?」
と、そういうような状況で、メールが来ても開けなくって、最初は職場のネットを使ってやってたんですけども、自分のパソコンでもアドレスを入れてやれるようにやっとなったところで、人に頼まなくてもメールを送れるようになりました。今やってるところです。
 あの時にいったのは、多分小林さんだと思うんですね。司会をしてましたから。小林さんが
「自分は新聞記者だったんですけど、嘘の情報しか流れてないので、一切新聞記者を辞めてから読んでいません」
ということで、実は私も新聞で正確なのは、日にちと番組欄だけだと思ってましたから、自分が取材されて新聞に載ったり、テレビで報道されたりしたときに、『事実と違う』というかね、
「ここを言ってほしかった」
っていうのは、やっぱり流れないとか、間違った表現の仕方をしてるとかっていうのは、もちろん自分も経験してるので、それを鵜呑みにしてはいけないというのを肝に銘じながら、新聞は読むようにしていました。
Q.Ustream。
 『Ustreamで流れてるよ』って言われたときに、息子に言ったら息子が
「携帯でも見られるんだよ」
って言って、息子の携帯で、途切れ途切れのを見たのが最初で、つい最近までは自分の携帯がネットが使えるっていうのを知らなくって、
「この携帯でも見られるよ」
って言われて、初めて自分でやって佐藤幸子と検索したら、ダーッと出てきて、
「え!こんなに自分が出てるんだ!」
っていうのが初めて判ったんですね。
 クリックしていくと、
「ずーっとこれやってたら、一日中だって見られるんじゃない?」
っていうくらい出てたということがわかりまして、
「そっか、世界中でこれ見てたのか・・・」
と思いました。<笑>
 それを検索するのに、
「どういうふうに入れればいいの?」
 娘に何回もナンタラカンタラって言って、
「じゃあ書いてよ」
って書いてらっても、それでも自分でできなかったです。
 はい。すみませんでした。<笑>
 でも、皆さんは知ってましたよ。もと研修生とかみんな『見てます、見てます』って、見てねって知り合いにメール流そうかなと思ったら、逆に向こうからメールが来たりって。
「超有名だから」
とか言われて、
「そんなに有名なの?」
って思ったら、本当にびっくりしたのが、講演頼まれて帰ってきて飛行機から降りて歩いてたら、後ろから
「すみません。あの、Ustで見ました」
って、郡山の方に声かけられたんですね。
「そんな、後ろ姿で判ったんですか?」
っていったらびっくりしたんですけども。
 こないだ8月6日に広島に行ったんです。30年ぶりに。
 それで、夜中について泊まって、次の日の朝、朝ごはん食べないで途中のパン屋さんでパン買って、パンをちょっとかじりながら演説を聞いてたら、コツコツって歩いてきた方が、
「すいません、Ustで見てたんですけど、佐藤さんですよね」
って言われて、いやー、恥ずかしかったですね。パンかじってたんですよ。その時。
「すごい確率的には宝くじに当たるよりも低い確率でお会いしましたよ、きっと。」
っていう話をしたんですけども。
Q.Ustreamっていうのを聞いたことが無かったですか?
 全然無かったです。
 全くないんです。申し訳ないです。<笑>
 どういう人がそういうのを撮って配信してるのかも知らなくて、子供は福島で何かイベントあるたびに、
「カメラ持ってきてる人いるよね、あの人誰?」
って聞いたら、
「Ustの人だよ。Ustの渡辺さん」
って、いつも黒いなんか怪しげな格好してる人が居るよっていう感じだったんですけども、最近です、ようやくそれがわかったのが。
 でもこの間ニューヨークに行ったら、Ustで見てますって皆さんから声を掛けていただきました。
Q.New York。
 ニューヨークに9月の18から25まで行ってきたんですけど、ニューヨークに行くようになるいきさつが、またとんでもないことでね。要するに北海道の泊原発の再稼働が決まってしまったという時に、“Shut Try”という3.11後に立ちあがった団体の泉かおるさんという方が、実は北海道に6月に講演に行ったんですが、その時に呼んでくださった方なんですね。電話を寄こして、
「佐藤さん!ニューヨーク行くわよ!」
って言うんですよ。
「佐藤さんも行くのよ!!!」
って。
「私、外国言ったことないんですけど・・・」
って言ったら、
「何言ってんの!今福島から行かなくてどうすんのよ!!国連の総会があるんだから、市民レベルでも集会やるように段取るから!」
って言うんですよ。
 私、とてもじゃないけど、仕事そんな1週間も休めないですよ。事業主休んでどうするんですか、今職員だって、本当に精神的に不安定な中で、やっと仕事してもらってるのに、言いだせなくてどうしようかな。なんて言って休もうかななんて。事業主なんですけど、職員の人にも
「本当にごめん、この日ちょっと休みたいんだけど」
ってお願いをして休んだんですけど。
 それで、ニューヨークに行ったんですが、国連総会の時に、もちろん集会をやるのが一番の目的ですけれども、その前後、向こうの議員の方にお会いして直接福島の現状を訴える、日本の現状を訴えるということで行ったので、3人の議員の方にもお会いしました。
 お名前はちょっと憶えてないんですけれども、オバマ大統領の隣の隣くらいに写真が載っていた方とお会いしたので、かなり上の方だと思います。
 あとは、原子力規制委員会の委員の方ともお会いしたんですけど、日本でいう原子力安全委員会ですよね。規制委員会なんで日本よりも厳しくやってるのかなとは思うんですけれども、その方ともお会いしたり、あとは3.11後にドキュメンタリーの映画の製作をした方がいて、スリーマイル島、チェルノブイリ、福島の映像を使って、それで世界各国のいろんな方からのコメントが入ってる映画だったので、私も一緒に見たんですけれども、英語ですし、字幕スーパーが無かったので、何を言ってるかさっぱりわからなかったのですが、でも映像を見る限りでは本当に凄まじいことが起こってるというような映画だったんですが、そういう映画の初日だったので、そこでもシンポジウムがあって、そこでも発言をさせてもらったり、後は、向こうに行って初めて知ったんですけど、ニューヨークから一番近い原発、インディアンポイント原発が64㎞のところにあるっていうことで、しかも、福島第一と同じ型の原発で、活断層が見つかって天然ガスのパイプなども走っていて、火災が起きた時の火災感知器がなくて、電源喪失した後に25分しか非常用電源が動かないという、最悪の原発がニューヨークから64㎞。しかも私たちがアメリカに行こうとしたら、なんか地震が起こったらしくて、『東海岸は地震が無い』と言われてたのに、地震対策は取られてないんですね。で、地震が起こったと。
 なんか山火事もあって、すぐ原発の近くまで山火事があったと。大雨がふったかなんかして浸水もしたと。最悪の状態に今なってるという、アメリカの原発なんですけど、そこも実際見に行ってきて、話を聞いてきたんですけども。
 本当に『福島の次は、インディアンポイントですか?』というくらい酷い原発だというのがあって、
「3.11のあとにアメリカ政府が80㎞圏内のアメリカ人は避難しなさいというんが出たんですけれども、それに対してどう思いますか?」
と原子力規制委員会の方から聞かれたので、
「私はそれは、妥当な距離だったと思います。もしかしたらもっと避難したほうが良かったかもしれないわけだから」
っていうふうに答えたら、向こうの方もちょっと困った顔をされたので、おかしいなと思って聞いたら、日本は安全な原発で事故は起こらないということになってますけど、アメリカは事故が起こるという前提で原発は動かしてる。もちろんスリーマイル島の事故があったから当たり前なんですけど、そうすると事故が起こった時にどうするか、それをきちんと避難計画を立てなければいけない。その距離が、今回日本で80㎞逃がしたけど、アメリカで事故が起こった時に80㎞逃がさなきゃいけないわけですよね。それの避難計画を作ったら、専門家が見たら『これは不可能だ』と。市民団体は『当然受け入れられません』ということで、
「インディアンポイントから80㎞圏内に1800万人住んでるので、その方たちをどうやって避難させるんですか?」
ということが今問われてるという状況で。
Q.ニューヨークがすっぽり入ってしまいますね。
 それは当然無理ですよね。
 今まで原発運動が下火になっていたんですけれども、もうどんなことをしても止められないのであれば、止められないにしても事故を起こさないようにしてもらおうとか、事故が起こった時には、どういうような対策をするのかとか、そういうふうに路線を変更してたんだけど、
「やっぱり止めなきゃいけない。」
 3.11の後に反原発運動の人たちがまた運動を盛り返してきていて、それで10月1日に全米で一斉デモをするというふうなところまでいってるんです。
 ワシントンとニューヨークと両方行ったんですけど、どちらも反原発運動されてる方ともお会いして、いろんな集会とか含めて、記者会見とか本当に観光一切なしっていう状況で、ご飯も記者の中で食べるみたいな状況でやってきました。
 日本のご飯はおいしいんだなってアメリカに行ってつくづく感じたんですけど。
 そういうようなことで、なんとか無事、向こうの方と交流が出来て、こちらの現状をお伝えして・・・。
Q.New Yorkで訴えたこと。
 「私がどういう生活を今までしてきたのか、オーガニックナチュラルファーマーということで言ってきたんですけど、30年間そういう生活をしてきた、それは何のためかというと、石油が入らなくなっても、食料が入らなくなっても、自分たちが生きていくのを学んで伝えるためだと、まさにやまなみ農場でやってきたようなことをこれからの人たちに伝えていくためなんだということを伝えて、それが全て出来なくなってしまった、こういう悔しさがあなたたちに判りますか?」
というようなことを話をして、
「それで地域が崩壊してしまった、分断されてしまった。ただちに出た被害というのは、これです。心がバラバラになるということが、直ちに出た被害です」
ということを伝えて、それで
「日本政府は子供を守らないための基準を作った。子供を守る気は一切ないんです。だから世界中から支援が必要なんです。子供を守ってください」
っていうようなことを私は伝えたんです。
 子供も連れて行ったので、13歳と17歳の子供二人を連れて行ったので、その二人にも友達と離れて暮らさなければならなかった辛さや、自分は、
「仕事を失っていまった。原子力発電所が安全だということは嘘だった。電気が足りないというのも嘘だった。そんなウソをついてまでやるのは、どういう理由だ?私たち、子供たちの命よりも、お金の方が大事なんですか?」
ということを伝えたんですけども、あとは、泊の原発再稼働されてしまったということと、有機農業をやっていた北海道の方も一緒に居たので、その方も北海道の農民であっても被害を受けているんだというようなことの話もしてきたんですけど。
「野田首相が、
『世界一安全な原発を作る』
というようなことを言いに来てるけれども、福島から学んでほしいのは、『安全な原発を作る』のではなくて、『安全な原発など一つもないんだ』ということを学んでください。アメリカには。そのことを伝えに来ました。」
というような話をしたんです。
Q.政治…。
 日本にね、原発作業を今度はそういう歴史的なことをずーっと考えても、日本の政治家は原子力村の経済界から操り人形だと私はずっと思ってるんですけど、まさに私たちが交渉で東京に行ったときだったと思うんですけども、菅さんを引き摺り下ろすような話が出た時に、
「何をやってるんだ!?そんなことやってる暇があるんなら、子供の命守るほうに全力投球しろよ」
と私なんかは思ったんですけれども、本当に日本の政府がもうダメだと、守らないんだという思いで、とにかく世界から言ってもらわなきゃ、逆に日本はアメリカから言われるとなんでも言うこと聞くというような国なので、そういう意味でニューヨークには言ったんですけれども、菅さんが替わって野田首相になって、野田さんは30年間市民の声を聞くと言って、街角に立ったわけですよね。
「それが首相になった途端に、市民の声は聞けないんですか?どっちの意見を聞くですか?」
というような思いで野田さんに向かって言ったんですけれども、野田さんだろうと菅さんだろうと誰でもいいんです。とにかく日本を代表する人が決めることができる、それだけの権限があるはずですよね、首相であれば。
 それをとにかく国連の場で、
『本当は安全な原発など一つもないんだから、日本が率先して原発を止めて、福島の子供達、日本の子供達、そして世界の子供たちのために、原発を止める、それを世界に発信してほしい、そのくらいのことを言って、それで世界史に残る首相として名前を残してください』
っていうのを、私は野田さんに伝えたくて言ったんですよ。野田さんが実際に、その場所に現れるかどうかなんかは、判らないで行きました。もしかしたら建物の中にいるところでしかしゃべれないかもしれない。でも、たまたま私たちがスタンディングデモをすることを許可をしてもらった場所に行く途中で、報道陣が、マスコミがいっぱいいるんですね。カメラ持って。その建物がよくよく聞いたら、そこで野田首相が各国の方をお招きして晩餐会をやる場所だというのが判って、その前に実は
「あそこで私たちの記者会見をしようと思ってた場所だよ」
って話してたとこだったんです。
「あそこ1時間借りるのに50万かかるところだから」
とか言いながら。
「でも、50万もったいないから、子供に支援したほうがいいから、20万のところでやったから」
っていわれて、20万のとこで実は記者会見してたんですけど。
 そこでやるのが5時半からだというのがわかって、これは直接言えるんじゃないかということで、私たちはそこで立って、野田首相の車を待ってたんです。
 車が何台も続けてきて、その時に
「幸子さん来たよ」
ってマイクを持たされて、それで叫んでいたんですけれども、本当に日本の子供たちを想ったら、そんな安全な原発、世界に輸出しますって、福島県の県民の感情を逆なでするようなことをよく言えるもんだなという怒りを込めて、話をしたんですけど。
 あと、
「一度入ったんだから、必ず出てくるはずだから、出てくるまで待とう」
って許可とってた時間は過ぎてしまったんですけれども、そこに立ち続けて、向こうの警備をしている警察の方達も、「もう時間過ぎたよ」とも言わずに、でも「ここからは出ないでね」とか言いながら、前に行ったりちょっと後ろに引っ込んだりしながら、野田さんが出てくるのを待っていて、一応、30分延長して私たちはハンドマイク使ってたので、これ以上はちょっとやっぱりやめようということで、ハンドマイクをおろして、野田首相はまだ出てこない。出てきたらもう地声で行くしかない。
「幸子さんの声、地声がでかいから大丈夫だ!届くから!」
って言われて、それで出てくる直前になって、車が移動してきて私たちから見えないように車が遮ったんですよ。
 だけども、
「カメラを持った人もバッチリ写ってたから、野田首相直接届いてるから」
って言われて、ずーっとその車が行くまでの間叫んでました。
「福島県民の声を聞いてーーー!!!」
「子供たちを守ってーーー!!!」
「安全な原発など無いと言ってーーー!!!」
 そういうことで。テレビにも使われた映像はハンドマイクを持ってる時ですけれども、
「福島の子供たちを守れなくて、原発の安全を言うのは卑怯だ!!!」
 それを思わず叫んでましたね。
Q.農業、そして福祉の仕事。
 3.11の後に、仕事を農業ではやれないと判断したのは、3月31日のときに実は田んぼの土をACROに送ったんです。調べてもらうのに。
 フランスの検査機関ですね。
 私のところだけでなくって、元研修生のところ、飯舘村と山木屋と大波と、私のところ。まさに今、避難区域になったり、空間線量が高いと騒がれてるところの土なんですけど、その中では、私のとこが一番低かったんですけど、それでも基準値5000ベクレルと超えてて、6500ベクレルだったんですね。それ以外のところは、本当にチェルノブイリの強制避難区域と同じくらいのレベルの飯舘村、山木屋、大波が超えてました。
 12万ベクレル以上ですね。
 なので、その人たちはとっくに避難をしてたんですけれども、もちろんね。
 私のところは6500ベクレルで、避難まではいかないくらいですけれども、でも作ることはできないと思ったので、もう今年は一切作らないとその時に決めて、鶏の方に3日に1回、4日に1回餌やったって、鶏はすごい敏感なので、毎日同じ時間に決まった量をあげないと、卵を産まないんですよ。どんどん落ちていたので、このまま続けるって言うことはできないということで、4月の中旬に鶏を全部処分することを決めて、肉として必要だっていう人が居たので、いくらかは差し上げて食べていただいて、それ以外は全部殺処分しました。
 実は卵にはなかなか入りにくいって言われてたんですね。だから最初の頃測った時は、数値低かったんですけれども、「食べていいよ」といわれたんですが、でもやはり続けることはできないと判断したので、そのうちどんどん汚染も酷くなってくるだろう、食物連鎖で卵には濃縮されるということがあったので。
 それで辞めることを決めたんです。
 ただ、福祉の事業のほうは、利用者さんがいて、ヘルパーさんが働ける人が居る間は続けようと。飯野町なんですけど、
「飯野町がもしかして避難区域に指定されれば、その時はみんな一緒に避難しようね」
とは言ってたんですけど、20mSv決められた時点で、
「これはもう福島市は避難できなくなる」
というふうになったので、
「避難は恐らく国から、県から言われることは無いだろう」
ということで、そこでも辞めることは全く考えてなかったんで、ずっと続けるというふうには覚悟は決めていました。
 ただ、若いヘルパーさんは居る場所ではないから、避難を奨めたんですけど。
 職場の中でも避難した人と避難できなかった人が飯舘村の方が二人いたので、その方たちは飯舘村からはもちろん避難してもらってたんですけど、そこからさらに避難することを考えた人と、残った人の間で、本当に心の絆が分断されてしまって、当初の頃はギスギス、本当にギスギスした関係がずっと続いていました。
 私も、
「子供たちを避難させることに関しては、理解できるけど、私が来なくなることはダメだ。事業主としてどういう責任を取るんですか?」
といわれて、
「もちろん私は辞める気はないし、続けるつもりだから」
と言葉で言っても、どんどん子供、福島の活動に時間がとられてしまうと、もうそっちを専業にして、こっちはやらないんじゃないか?というふうにスタッフの中から思われてきましたね。
 実際に今の時間帯的には仕事場にいるよりは、子供福島の仕事をしてる方が多くなってます。
 なので、本当に職場の仲間には申し訳ないなと思いながら、でも少しずつ私がやってきた仕事をそちらにやってもらえるように移行してはいるんですけど、完全に辞めるつもりはないので、私が本来やろうとしてたことは、
『障害者でも高齢者でも、その命を全うするまで皆に必要とされて生きて、「ここに居てもらって良かったね、ここに居て良かったね」って自分が思える、そういう居場所を作ろうと思ってて、自分は今一生懸命ヘルパーを紹介をしてますけど、将来自分がヘルパーをされる側になったときに、自分がこうしてほしいというようなヘルパーを自分で育てる』
 そういう思いでいたので、これは一生の仕事だと思ってたから、辞める気はないんですが。
<58:15頃まで>

【その④】に続きます。
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