※この記事は、12月3日 【内容起こし】IWJ 百人百話 第18話 植木宏さん【前半】に関連しています。

12月5日 百人百話 第二十話 千葉由美さん
http://www.ustream.tv/recorded/18948682 (79:32)

【以下、お時間のない方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2011年9月27日収録
 はい。千葉由美です。
 いわき市在住、出身は福島県の福島市。夫が転勤族なもので、福島市から白河市に移り住みまして、そこで15年間在住しまして、また転勤になりまして、4年前にいわき市に参りました。
 えーっと、年齢は42歳。子供が3人おりまして、高校3年生、高校2年生、小学4年生です。
Q.震災以前の状況
 3.11以前の仕事っていうかライフワークに関していえば、私は子供がアトピーで生まれてきたっていうことがきっかけだったんですけども、なるべく、今までは普通に取り入れてきた化学物質とかそういったものを口から入るもの、皮膚から入るもの、あらゆる環境の全てにおいて、ちょっと見直してみようっていうふうに思いまして、それからもういろいろライフスタイルを切り替える中で、薬とかもですね、なるべく科学的なものに頼らないで、自然治癒力に働きかけるようなものを使いたいっていう思いから、だったら自分で作りたいっていうふうに発展しまして、土を作るところから始まるんですけれども、自分でも堆肥を作って有機農法で植物を育て、その植物を収穫してアルコールですとか、自然のオイルにつけこんで、成分を抽出したものを使ったりとか、生活周りの全てにおいて天然のものでなるべく代用が効くものは、化学薬品とか化学物質をシフトしていくような、そういうことを取り入れて、それがだんだん自分のライフワークになってきたもので、講座を開いて教えるような資格を取りながらですけども、そんなこともしておりました。
 3.11の時は、娘と外出してたんですけども、買い物に行って、駐車場に車を止めて、ドアを開けた瞬間に地震が来まして、一瞬何が起きてるのかわからなかったんだけど、段々理解してきて、「これは地震だ」っていうことで、お店からどんどん人が出てきて、駐車場が本当に波打ってるような夢なのか現実なのかわからないようなそんな場面が、結構時間にしては長く続きまして、とりあえず高校生の娘と一緒にいたんですけど、小学生がちょうど下校する時間だったので、
「これはすぐに迎えにいかなきゃ」
というふうに思って、道路が波打ってる状態の中、車を走らせて学校に迎えに行きました。はい。

Q.恐ろしかったですか?
 怖かったですね。
「もう終わりかな」って一瞬思いました。
Q.けがは?
 けがは無かったです。
Q.原発の状況をどのように知ったのか。
 テレビがまだついてたのかな?最初は。それで、『とりあえず原発は大丈夫です』っていうのが、まず真っ先に飛び込んできた情報だったんですね。だから、
「あ、大丈夫だったんだ」
っていうふうにそこで思いました。
 意識が多分動揺してたので、どこからのニュースなのかとか、そういったことも全く・・・あの、確認する余裕すらなかったですね。
 ただ、どんな情報もとにかく漏らさず見なくちゃというふうには思ったんですけど、真っ先に『大丈夫』って言われてしまったんで、万全な体制を確認をした上での情報なんだろうっていうふうに私の中では思ってしまったんですよね。
 その『原発が安全です』っていうニュースを聞いた時に、まずはそれを信じたいっていう思いが先に立ちました。
 私は環境問題とかそういったことを考えるような団体に所属していたことがありまして、いろんな環境問題とか貧困の問題とか戦争の問題とかたくさんのキーワードがある中のひとつとして、原発っていうものがあったんですけども、その当時から原発だけは、なんか怖くって扉を開けたくないっていう意識があったんです。だから、勉強しないまんま来てしまって、もともとずーっと辿っていくと、私の父が原発に対して反対運動にかかわっていたんですね。それを子供ながらにぼんやりと眺めていた記憶があって、
「なんでこんなに真剣に、この大人たちが訴えているんだろうな」
っていうぼんやりとした感覚で、それを見ていたっていうことを思いだしました。
 私が住んでいるところから原発までの距離は、多分50㎞くらいだと思うんですけども、原発があるところに居るっていう感覚はあったんですけども、あまりにもちょっと、何て言うんですかね。意識的に遠い存在っていうか、近くにありながら意識をする機会っていうのがほとんどなくてですね、楢葉のほうに遊びに行ったりしたときに、何て言うんですかね、建物を目にしたりとか、あとはJヴィレッジとかっていうとってもすばらしい施設が整っていたり。
「なるほどこういう仕組みでこの町は潤ってるんだな」
とかっていうことを、ぼんやりとですね、感じることはありました。
 あと、年に1回、なんかわからない振り込みがあって、それが4000いくらくらいなんですけど、
「これって何?」
って思ったら、それがまぁ「原発がありますので、申し訳ありません」的なお金なのかな?っていうことを後で知りました。
Q.震災、原発事故直後の状況
 地震はとにかく被害が結構、家は壊れなかったんですけども、家財道具がほとんどひっくりかえって、足の踏み場がないような状態だったんですね。
 ひっきりなしに地震がどんどんくるので、それを片づける暇もなく、とにかく子供たちが怖がるので、車の中に寝泊まりするようなことを2,3日続けていました。
 その原発に関しての情報は、いろいろ入ってきてはいたんですけども、その爆発するシーンとかを見ても、イマイチ実感が沸かなくって、っていうか、やっぱりどこまでも安全っていうか大丈夫だって思いたい自分が、根強くいたんですね。
 真っ先に逃げなくちゃいけないっていうふうなところまで、なかなかいかなくって、水も出ない・・・かったり、食品っていうか、食材も手に入らない中で、お店にも並ばなきゃいけない、水をくみにも並ばなきゃいけない中で、そういう画像が片隅にありながらも、やっぱり「ここは大丈夫だろう」というふうに思い続けて、給水に並んだりとか、子供を連れて並んだりとかもしていました。
 15日の日に、もういよいよ夫の会社の方でもだんだん動きがあって、私は実家が福島市なんですけども、
「とにかく離れたところに、ちょっとでも離れたところにおいで」
っていうことで言われたんで、「じゃあ」っていうことで、15日に初めて「行こう」っていうふうに決意をして、福島市に向かいました。
Q.津波の被害は?
 はい。津波の影響は直接私の家までは来てなかったんですけども、私の友達の息子さんが住んでいるところが豊田っていうところで、そこは目の前が海で、ものすごい被害を受けて、家も流されてしまって、身一つで私の友達の家は、内郷ってとこにあるんですけど、そこに避難してきたっていう話を聞いて、初めて実感として津波の被害がとてもひどかったっていうことを知りました。
 私が住んでいるところは泉地区なんですけども、そこからまっすぐ太平洋に向かったところの長崎海岸っていうところも、実はとても被害が大きくって、アクアマリン水族館とかあの辺もかなりの被害を受けたっていうことが、あとあとになってから入ってきた情報でしたね。
Q.3月15日放射能を避けて。
 とにかく原発からなるべく離れようっていうことで、私の実家のある福島市のほうに北西を目指して進んでいくんですが、その間ですね、もうちょっと離れたところから、まるで・・・離れたっていうのは古殿町っていうところくらいまで行った辺りから、本当に危機感がない世界を目にしまして、このくらいまでくると全く別世界なんだなっていうことを感じました。
「ちょっと離れれば、放射能の影響ももうないんじゃないか」
って、またそこで思い込みたい意識が働いてですね、なんとなく安全になったつもりで北西を目指して、車の窓を開けながらかなりの渋滞の中何時間もかかって、ガソリンも手に入らない状況だったので、途中でスタンドにも長時間並んで、そこでも窓を開けっぱなしの状態ですね。その状態で、今思えば、かなりマスクは多分子供たちはつけさせてたと思うんですけど、私も夫ももう油断してはずしていましたね。
 今思えば、本当にあのSPEEDIのあの情報がきちんと公開されていれば、本当にあの時の被曝を防げたっていうふうに、本当に悔やまれてならない行動パターンでした。
 そうですね。政府から、『実は放射線量がいわきよりも、私が避難した福島市とかのほうが高かった』っていうことを知ったのは、15日に避難してから2,3日後だったような・・・。記憶が定かではないんですけども、その時に知りまして、でも本当になんていうんですんかね。情報がもうしっちゃかめっちゃかの状態だったような気がして、それってどういうことなのか、自分の中でなかなか理解するまでに時間がとにかくかかりまして、「じゃあ線量の高いここに居続けていいのか」どうかっていう、その問いかけというのは、線量だけで判断ができなかったっていうか、子供たちがとにかく地震に対する恐怖心がものすごく強かったので、核家族で自分の家に居て線量が低いとこに居るか、それとも線量が高くても・・・うーん、まぁ、福島市のほうで、そこに居続けるかっていう選択肢の中で、子供たちは
「おじいちゃん、おばあちゃんとか従妹とかと大勢の中に居たい」
というふうに言ったんですね。
「それもありかな」
っていう感じで、ずっと1カ月くらいお世話になる中で、どんどんどんどん、放射線とか放射能のいろんな、実は危険だっていう情報がどんどんどんどん強くなってきて、なんて言うんですかね、もう怒りの感情が、もうどんどんどんどん、こう高まってきますし、私の父親が原発の反対運動とかしていましたし、いろんなことに詳しいので、父親もどんどんどんどん、いろいろ『危ない、危ない、危ない』っていうことを言って、インターネットとかでいろんな情報を調べていくんですね。
 私としては、どうしていいのかわからないんだけども、一番自分の中で危機感とか怒りとかっていう思いがピークに達したのは、始業式が始まるっていう案内が学校から回ってきたときですね。
 やっぱりそれに対しても、
「有り得ない」
っていうふうに思いまして、周りの反応がどうなんだろう?ってまず思って。
 担任の先生からの電話だったので、
「とにかく先生、どうなっちゃってるんですか?何がどうなって、いつもどおりの日程で始業式が行われなければならないんですか?」
っていうふうに、先生にとにかく気持ちをぶつけるんですけども、先生としては、
「私たち教師たちも、もう全くもって反対なんですが、教育委員会とかがそれで方針決定してしまっているので、どうすることもできない・・・。ただ毎日会議を開いても、とにかく日程を動かすことができないんです」
っていうことで、
「じゃあ先生、どうしたらいいんでしょう?私はそれをどうにか阻止したいし、できるかぎりのことをして、子供たちを学校に行かせたくありません」
って何回も何回もその話のやりとりがあるんですけども、
「じゃあ保護者のほうから声を挙げてもらえなければ、私たちは立場上どうすることもできない」
っていう回答ばかりで、
「じゃあわかりました。保護者で声を挙げさせてもらうので、どうか私と同じ考えのお母さん方と繋がらせてください」
ってお願いをするんですが、
「それはできません。やっぱり守秘義務っていうのがあるので、どこの誰が同じ考えですよっていうことをお伝えすることはできないんです」
っていうふうに言われました。
「じゃあ連絡網みたいなので聞くしかない」
と思って、何人か当たってみたんですけども、私と同じような意思表示をしようとしてる人が全く居なかったんですね・・・。
 それでもやっぱりどうしても、だからといって、子供を始業式に登校させるっていうことは自分の中では受け入れたくないことだったので、
「1人でもいいので登校しないっていう選択肢を選ばせてもらいます。」
ということで話をして、1か月間、いわきに戻ってから子供を自宅にずっと置いておくっていう手段をとりました。
Q.メディアの情報と地元住民
 メディアから入ってくる情報はですね、多分もう既に温度差があるんだろうなっていうことは、自分の中で気づいていました。
 それで、インターネットの情報だとか、あとはテレビに出てはこないような市民の側に立った方の講演の内容とかですね、発信してる情報だとか、そちらのほうをメインに見るような姿勢をとっていました。
 それで、周りとの温度差っていうか、情報格差っていうのは、かなり・・・ありまして。
 私みたいに、「本当はどうなんだろう」とか、「これは本当は怖いことなんだ」とかっていう声は、ほとんどなくて、お母さん方も
「大丈夫でしょう」
みたいな、そんな雰囲気の中、私が「大変だ、大変だ」っていうことを発信すれば発信するほど、やっぱり自分の存在はどんどん浮いていくのを感じていましたし、
「皆もっと明るい話題とか、もうちょっと希望のあるような話をしたい中で、私がそれを言い続けることで自分たちの話す内容とかが、ちょっと無神経な感じに取られちゃうから、そういう話はしないでほしい」
的な、そんなこともあったりとかして・・・。
 私、ブログをやってたんですけども、その中で県内の人と県外の人のやり取りがその中であるものですから、今の状態が本当に大変なことだっていうふうに、私としてはとらえているんだっていう発信の仕方をしていて、それに対して、やっぱ県外に居る方も、そういう目で見てる人はそれに対して同調していろんな意見を寄せてくれる中、地元の・・・つながりっていうか、本当に身近な友人とかもそんな中で繋がってたんですが、やっぱりその友人たちの・・・発信する情報も、
「あなたの発言のおかげで、全てお気楽・のんきな人っていうふうに思われてしまうじゃない?」
みたいな、そんな感じで、ちょっとこう、何て言うんですかね・・・、気まずさを感じるような場面もあったりだとか、あとは同じいわき市内の方から、私が訴えようとしてることに対して、
「あなたがそういう声を挙げれば挙げるほど、世論の流れが強まっていってしまうことによって、子供たちが今まで通りに部活だとか、そういうことを頑張りたいと思って大会目指して頑張っている子たちが居るのに、練習時間が削られてしまったりだとか、行動が制限されてしまうッテいうことに対して、私はとっても怒りを覚えます」
っていうような意見も寄せられました。
 まぁ、その方の考えは
「人は、いつ事故に遭って死ぬとも判らないので、毎日毎日を楽しく生きたいので、大丈夫だって言われていることに対して、大丈夫じゃないっていうような、そういう声は挙げないでくれ。心配して守りたいんだったら、避難をしなさい」
っていうような、そういった意見をぶつけられたこともありました。
 県内の情報っていうか、毎日テロップで流れ続けてた放射線量とかそういったものは、目で数字を実際に見ても想像がつかないんですよね。どのくらいの数字がどのくらい体に影響を及ぼすかっていうのが、まだまだ自分の中では具体的に、感覚的なところでもまだまだ結びついていなくって、数字を見ても、なんか漠然とした感じにしか取れなかったんです。
 避難先の福島市が十何とかマイクロシーベルトとかっていう、その周りとは桁が違うなっていうのは判ってはいたんですけども、『ただちに影響はありません』とか、これでも・・・本当に危機感を持たせるような報道っていうのが全く無くって、その危機感を、今思えば持たせないようにしてたんだなっていうような内容、具体的にどうこう話してたっていうとこ、そこまでは記憶ないんですけど、とにかく周りが安心と思うような報道の仕方だったっていうことは間違いはなくって、福島市ですらマスクをつけてる人がほとんど居なかったんですね。私が避難した実家の周りの人の歩いている姿とかを見ても、ほとんどマスクをつけてる人が居なくって、子供たちも普通に自転車を乗り回して遊んでいるような場面もたくさんあったので、その状態を見た時に、初めて・・・だんだんインターネットの情報とかも入ってきたときに、福島県での情報が『大丈夫ですよ』っていう内容だったことのギャップの中で、子供たちがそういうふうにマスクもつけないで外遊びをしてしまっているっていう、その現状を見て、私は子供はもう一切外には出さないで家の中でもマスクをつけさせてるような状態だったので、親の意識次第でこんなにも子供たちの置かれている状況が変わってしまっているということは、本当に感じました。
Q.情報格差と周囲の反応
 具体的な母親同士のやりとりっていうのは、実はほとんどないんですよ。皆口を閉ざしてしまっているので、誰が何を思っているのかっていうのは、本当に全くしゃべらない。皆さんが放射能に対して、危険だと思ってるのか安全だと思ってるのか、それは表面的なところでは、本当に判らない状態になってしまったのが、本当にすぐのとこだったと思います。
 それで、じゃあ何を元にその人が子供を守らなきゃって思ってるスタンスの方なのかなっていうのを判断するのは、マスクをつけさせてるかどうかとか、あとは洗濯物を干してるかどうかとか、その人の行動パターンからしか窺い知ることが出来なくって、
「あなたはこれに対してどういうふうに思っていますか?」
っていうような直接的な質問っていうのも、もうしづらい状況にありました。
 私が、やっぱり周りとつながらなければ子供を守ることができないっていうふうに思ったので、とにかく行動に移したいと思ったんですね。
 同じ学校同士でつながれないのであれば、誰かがきっと何か動き始めているだろうと思って、その時に私のブログの方に匿名で情報がよせられまして、
「福島市で会を発足しますよ」
っていう情報だったんですね。
 それで、私はいろんなブログを覗いてる中で、親同士が教育委員会をバッシングしたり教師をバッシングしたりとか、ディスカッションの場はたくさんみたんですけど、じゃあ同じいわき市内の人であれば、是非お会いして行動しませんか?っていうふうにしたかったんですけど、みんな身分を明かさない中でも話ばっかりだったので、これは私の求めるものじゃないと思って、とにかく行動したかったので、その会に足を運んだのが5月1日の日で、『放射能から子供を守る福島ネットワーク』っていう、今、中手さんが代表になっている会なんですけど、そこの発足のところに参加させてもらいました。
Q.福島県民について
 私はとにかく声を挙げたいタイプの少数派の人間なんだなっていうのは、段々判ってきてたんですけども、お母さんたちにちょっとずつチャンスがあれば繋がりたいっていう思いで、ちょっとずつちょっとずつ、近づくようなことはしていたんですけども、私は、まず不安な人を探さなければいけないと思ったときに、福島で発足した福島ネットワークで、測定班になったんですね。自分としては、まずは数値を目で見て確認するところから話をしなければならないんじゃないかと思ったので。
 ガイガーカウンターがとにかく手に入りにくい状況の中で、やっぱりそれは貴重なものですから、不安な人は、やっぱり自分の周りを測りたいんですね。なので、
『では、個人のお宅まで伺って測定をさせてもらいます。』
っていうことをスタートしようっていうふうに思って、チラシを作って、いろんなところでチラシを配ったりとかしながら不安な人たちを見つけるための、そんな活動をしました。
 たくさんの人が不安に思ってるっていうことがわかってきたんですけども、
「じゃあ声を挙げるっていうもう一歩のアクションになぜ至らないのか?」
というところの話も、いろいろ聞く中で、お母さん同士のママ友と呼ばれるグループ・組織みたいなのがあって、私はたまたまそういうものには属していなかったので、判らない世界なんですけども、
「誰々ちゃんのおうちはマスクつけていない・つけてる」
とか、あとは
「牛乳を飲ませてる・飲ませてない」
とかそういったことも、「自分だけではちょっとやりにくい」とかっていう声も、正直ありました。少数派になるのが怖いのかどうなのか?っていうことは、問いただしたことは無いんですけども、父兄懇談会みたいなそういうお母さんが、やっと声を出せるような、そういうところに参加して、授業参観には参加しても、懇談会まで残る人っていう割合も結構少ないんですね。
 そんな中で、今回はやっぱり地震があって、原発事故があって、そして子供たちがいつもとは違った状況の中での懇談会だったので、そこに残った人っていうのはそれなりの意識があった人だったと思うんです。
 やっぱり私としては、30人くらいの小学校のクラスなんですけども、その中で物申す存在っていうのが、多分私一人だけで・・・、そこに私ほどではなくっても危機感を抱いて、
「学校の対応はどうなんでしょうか?」
とかそういうことを聞きたくて残ったお母さんの数が6人くらいだったですかね。
 その中で、皆が不安に思っている気持ちっていうのを初めてそこで私は聞くことができました。
 担任の先生の考え方にもよるんですけども、たまたま私の子供の担任の先生は、とっても子供よりの立場をとってた先生で、全面的に私が思ってることに対して、
「同感です」
っていうことを言ってくださってた先生だったので、懇談会の内容は、私と先生のやり取りの中で、不安には思ってるけど、それほど声を挙げるまではいってないお母さん達+私と先生みたいな、そんな感じでした。
 不安に思ってるお母さんがいるということが判ったので、
「じゃあ是非良かったら一緒にアクションを起こしませんか?」
ということを投げかけたんですけども、皆さん・・・ちょっとネットワークとかっていうものに対しては、ちょっと敷居が高いみたいに思ってる方がほとんどで、何かネットワークに入ってしまうことによって・・・、やっぱりちょっと行動派になっちゃうことに対する警戒心みたいなものがあるんだ?っていうことに、ちょっと気が付きました。
 それで、実は校長先生に除染の問題だとか給食の問題だとか、そういう子供に直接影響することに対して、私としては学校の考え方をもうちょっと詳しく話してほし刈ったりだとか、除染をしてほしかったり、給食に関しても選択肢すら・・・。ほかの学校は、アンケートを取られた学校もあったそうなんですけど、うちの学校はアンケートを取ることすら無かったんですね。私は、自分の主張として、『最初から牛乳も給食もとりません』ということで、意思表示をしてたんですけども、それに関しては本当にただ一人の存在だったというか、他の方達はこれだけ不安に思ってるらしいことが判ったのに、そこまでしないのはなぜなんだろう?って私自身が知りたかったりだとか、ちょっとお話をしてみたかったんですけども、個人的に電話して
「いかがですか?そういうアクション起こしませんか?校長先生に一緒にお話を聞きにいきませんか?」
って電話をさせてもらったんですけども、
「いやいや、私はちょっと・・・ちょっとちょっと・・・」
っていう感じで、そそくさと電話を切られてしまいまして。
 その「私はちょっと」っていう思いの根本的な部分っていうものは、やっぱり子供を守りたい種類の中で、『孤立した存在にさせたくない『っていう守り方もあるんだ、っていうことが、やっぱりこの町っていうか、この県って言ってもいいのかもしれないですけど、これだけ不安に思ってる人がいながらも、「実際に迷ってはいるけど、牛乳は飲ませてる」っていう人が圧倒的多数・・・。「給食も怖いんだけど、でも・・・」っていう声が圧倒的多数な理由っていうのが、やっぱり『子供を孤立した存在にさせたくない』っていうそういう思いなのかな?っていうことが、段々判ってきたような気がしますね。
Q.現在起こっている健康への影響は?
 私の子供は、直接目に見えて具合が悪くなったりとか鼻血が出たりとかっていうのは無かったんですけども、突然、高熱を出して5日間くらい39度~40度くらいの熱が引かなかった時があったんですね。
 10歳の子です。小学4年生の3番目の子供。
 私としては、自然治癒力とかそういったことを自然育児とかを学んできた段階の時に、免疫力とかそういったことにも目を向けてきた経緯があって、東洋医学において熱を出すっていうことの意味が、『身体のバランスを整える』っていうことの一つでもあるっていうことを自分の中にそういう考え方があったので、
「もしかしたらもう散々今までなかった放射性物質っていうものに細胞が晒される中で、やっぱり何かしらの身体の反応っていうのがあって、それを必死で抵抗しつづけていながら、やっぱりそういう形でポーンと発熱っていう形で出てきて、必死でそれを矯正するような、そういうものが起きているのかもしれないな」
っていうふうに感じました。
 他では、私はそうやって測定の活動をしてる中で、やっぱり
「家の周りだとかそういうところを測ってください」
っていう依頼が来るものですから、高いホットスポット探ししてるつもりではないんですけど、やっぱり雨樋の下だったりとか側溝だったりとか、結構高い、1マイクロ以上のところとかもありまして、自ら被曝しにいってるといえばそれまでなんですけども、そういう活動をしているので、しょうがないかなとか思いつつも、やっぱり目がとっても痛くなって、自分の目が痛くなって涙が止まらなくなったりっていうのが、原発事故以来、かなり1か月くらい続きました。
 運転してても痛くて涙が止まらなくて、路肩に止めて休まなきゃいけないような状態があったりだとか、そういうのは自分の中では、「もしかして?」って思うようなことでした。
Q.それまでありました?そういうことは?
 なかったですね。原発事故以前は、そういった目の症状っていうのは無かったです。
<39:40頃まで>


【後半】へ続きます。
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