※この記事は、11月29日 【内容起こし】IWJ 百人百話 第16話 齋藤英子さん【その②】の続きです。

<01:06:40頃~>
Q.半年ですごい成長するんですね。
 だと思います。子供は子供で、
「置かれてる環境は、ママのほうが大変なんだからね。」
ってそう言うんですね。そういうふうにまだ中学校1年生の子供に言われて、今それを励みにしながら、「こういったインタビューを受けるんだけど」ってお兄ちゃんに相談したりして、
「こんなの受けていいんだろうか?もしも、逆にママのしてる活動って、お野菜を売ったりとかしてて、そんなことしたら、また風評被害が広がるだろうっていう電話があったりして、なのにこういうことしてて、うーん、前にちょっといろんな正義感からやったことが、車がパンクしてたりっていうことが、前に一度あったので、また車パンクしたりしちゃったりして」
とかって、昨日冗談で半分相談を息子にもしたりとかしたんですけど、
「いや、そういうのは思うことをちゃんと言ったらいいんだよ。こうして避難してて、大変なんだっていうのも言ってくれ」
って言ってまして、そういうのを子供たちは子供たちで揺れ動いてるとは思います。
 ただ、関西にいるから余計に危ないということが判るんだというところは、多々あるのかもしれないですね。
 こっちだともう、普通に生活してますから、ちょっと引けばよく判るので、引いた方が福島県全体、私たちは「もしかして大熊の土地って、もうどうなんだろう?住めないかもしれないのに。」って思ったりします。いわきにいるいわき市民は。
 それ引いたら、離れていったらだんだん、それが『福島県は』になるでしょうし、もっと引いたら『日本は』ってなるのと一緒なのかもしれないですけど、ただ、自分の故郷をそういうふうな形でしか思えないっていうのは、なんだか私も阪神大震災の時に、自分の青春の地が崩れていくのを見て、涙して、あれはまだ人災じゃなくて、災害、天災だっていう部分が大きいので、あきらめもつくっていうと変ですけど・・・
Q.原発事故と天災は、全く違いますよね。
 宮城県と岩手県、宮城も一部あれですけど、あとこの震災後の原発に関しての被害を受けた地域というのは、全く違うと思うんですね。
Q.パッと見には何も変わらないから、余計にですよね。
 何も本当に変わらなくなってきて、段々、一部瓦屋根にブルーシートがかかってるとかそんな程度であって、それもだんだん直っていくと、もう普通のようなので、「どうして?」って。
 逆に「不安を煽るようなこと言うんじゃないよ」っていう空気もありますんで、9月4日に高田淳先生の講演があって、いわき市長さんがご挨拶されたり、いわき市医師会長さんがご挨拶されたり、私、最初はいわき市医師会主催ということもあって、一つは、あまりにも皆、医療放射能、医療による放射能を恐れすぎてて、歯医者さんに行っても、今は放射能浴びたくないから、歯のレントゲン取らないでくれっていう人がいわきに現れていたり、骨が折れててもレントゲン取らないでくれっていう人もいるとか、そういうのもあったので、そういうことも払しょくするような意図があってなのかな?って、一部は思って参加したんですけど、全くそんな範囲のお話ではなくて、
『福島県はニコニコ元気でいれば、心配ない。交通事故で年間5000人亡くなってます。今回原発で誰か亡くなりましたか?』
とか、そういうすり替えにお話であったり、
『セシウムとヨウ素だと、セシウムは半減期が長い。それが残ってるのは皆さん恐れてるけど、人だって気の短い人と長い人だったら、気の短い人の方が怖いでしょ?ヨウ素の方が怖くて、セシウムは怖くない』
っておっしゃったんですね。<笑>
 で、これ科学者の言うことかな?と思って、聞いててだんだんダンダンもうドヨーンとして気持ち悪くなってくるような形、気分になってきて、でもあの方は中国の核実験のことに関しては、かなり糾弾されてますよね。19万人だか亡くなったとかいろいろな話をされていたというのもわかっているので、私はだから、逆に一面医療放射能に関しての危険性をあまりにも言いすぎて、いわき市民が受けなきゃいけない検査も受けなくなることを案じて来られたのかな?と思っていたら、全くそういうことよりも、本当に、
『安心だ、安心だ。避難地域は避難する必要がなかった。』
そこまでおっしゃってたので、
「本当にそう思ってらっしゃるのかな?」
って、私、何か力が働いておっしゃってるのか、或いは・・・、いったい何なのかな?
『世界に1台しかない内部被曝の機会を、私高田淳が発明して、それで午前中15名の人を測ったら、皆さん大丈夫だ。ご安心ください』
っておっしゃったんです。
 そんな機械、簡単に携帯して持ち回れるものなのか?本当にそんなに役立つものだったら、量産すればいいわけだし、おかしい・・・っていうのが土曜日に聞いて、日曜日、気持ち悪くなって。
 ネットで調べると、幸福の科学とか幸福実現党とかの呼ばれてらっしゃることが多いので、何かそういった宗教的なものであったり、政治的なものであったり、何かバックにおありなのかな?って。どうしてこういう方を、いわき市長さん、呼ばれてすぐ退席されたんですけど、のかな・・・?って。「もういわきに来たのは三度目だ」っておっしゃってました。
 1300人、この間の肥田舜太郎先生、熊仲ひとみ先生たちは、本会場がまだ空席がまだ若干ある程度でしたけど、本会場外もびっしり一杯、外も二つエキジビション、席がいっぱいで、外の通路までいっぱいいっぱいだたんですね。
 それくらいの、皆さん安心を求めてやってこられた方々が多いのかどうなのか、ちょっと判らなくなって、うーん。未だに思い出して、なんか気持ちが悪いっていう感じですね・・・。
 それをいわき市長さんが呼ばれたということも、いわき市長さんがお話を市民に聞かせて良かったと思ってらっしゃるのかどうか?
 それはちょっと問題だなと思ってます。
Q.戻って来られた後の様子を教えてください。
 戻ってまた仕事につくと、避難してる人たちからも、「今どんな状況ですか?」とか「幼稚園に戻りたいんですけど」って。
 私は「戻っておいで」ということは、まだ一度も行ったことがなくて、ただ、どうしてももどらなきゃいけない、もしくは知らない間に皆さん戻ってこられる。
 じゃあ、受け入れる側なんだから、受け入れる側としては、最大限、安全・安心に健康被害がないように、お子さんたちを受け入れなければいけない。そのために、土の入れ替えをやったりとか、今も水もミネラルウォーターだったりとか、浄水器通したりとか、理事長がそこには
「採算どうのこうのじゃなくて、今やるべきことをやろう」
って。
 あとは、逆に私が関西にいるからこそ、じゃあ、できることもあるだろうというので、奈良のほうからお野菜を取り寄せて・・・
Q.見せていただけますか?
 それは奈良から送っていただいてます。奈良産直センターというところで、私の30年来の友人が奈良県に居て、奈良の奥の自然派というところの理事長をやっていて、そこが仕入れてるとこらしいんですけど、本当に仕入れ価格でそのまま送っていただいて、クール宅急便で送っていただいて。
 お母さんたちも不安。この辺りのスーパーだと、どうしても福島県産のものが非常に多いということで、小さな幼稚園児がいるということは、もっと下にもお子さん居る方も多いので不安だというのを聞いたのと、あと8月20日に地方紙で
『今こそ福島県産を食べようじゃないか』
っていう・・・記事が編集日記の中に、そういうのが・・・。
Q.何というものですか?
 福島民友さんなんですけど。
 普段は本当に地元紙で地元に密着した取材をしていただいていて、役に立っている新聞なんですね。うちも家でとっています。
 地方紙と全国紙、必ず2種類取るようにしてるんですけど・・・。
Q.何と書いてあるんですか?
 最後の方、特に最後の方なんですけど、
『飲食店で聞くと、地元でも福島県産を敬遠する人がいるのは残念だ。それぞれだろうが、まずは県民が率先して食べないと、応援してくれる人に申し訳なかろう。「今こそ福島県産を食べよう」を県民の合言葉にするべきではないか』
って書いてあるんですね。
1

 これは、私は東電の社員食堂とか、国会の食堂とかに持っていって、食べてくださいっていうんじゃないの?って率直に思ったんですよ。
 これ読んだ時に、ずーっと最初からそういった類のことを、段々鳥肌立ってきて、最後これで締めくくられていたので、「これはいけない」って。この中にせめて『大人は』とかあれば別なんですけど、『子供は避けよう』とかっていう文言が全くなく、
「このまま福島県産を食べよう。でないと応援してくれる人に申し訳ない。」
 応援してくれる人って、そういうことを望んですか?っていったら、決して望んでないと思うんですね。福島県民は、福島産だからこそ、責任とって、責任が・・・、私たち一般市民が責任取る必要はなくて、これはおかしい。
 これをもし新聞やテレビのメディアとして、それが正しいと思って信じている人たちは、
「あぁ、そうだよね」
って。何人かはこの地だと納得されるのかもしれない。
2

「これはちょっと危険なことではないか」
って思って、8月20日なんですけど、8月26日に「PTAとしてこういう取り組みしませんか?奈良の安全なものを」っていうことで、
「市場の食品については、国の基準に沿って安全が確認されているものの、福島県産を応援して食べるのは、私のような50代を超えているような大人が責任を引き受けてとる行動であり、子供たちにとっては、より安心・安全なものを選択していくべきだと考えております。そこでということで、奈良の産直ルートを確保したので、希望があれば」
っていうことでやりましたので。
Q.幼稚園のお母さん達に呼びかけられたもの?一般への公開は?
 公開はしてないです。そこまでまだキャパがどうかっていうところもあるので、一部の保護者の方々が、ご不安だということも聞いていたところに、こういう新聞記事もあったので。
Q.何月何日の記事ですか?
 これは8月26日です。
 もう6月の時点で、園のほうでは文科省の通達や政府の『ただちに健康に影響はない』というのを鵜呑みにした対応では、大切なお子さんをお預かりしている責任を果たせないと考えておりますというのを、これは保護者向けになんですけど、配信して幼稚園の放射能対策に於ける方針についてということで、お伝えしてるんですね。
 まぁどちらかというと、安全側に振った対応をしていきますっていうことを宣言して、そういった取り組みをやっているわけで、今、逆に園児数は小さな園なんですけど増えていて、そういう気持ちの方もやはりいらっしゃるし、ただ、もう一つの葛藤があって・・・、中にはこのことを知ってお友達に、まだ避難してるお友達に電話されて、
「今そっちと線量そんなに変わらないし、私の行きはじめた園はこういう園だから、戻っておいでよ」
って言って、戻って園に入ってくださる方がいらっしゃるんですね。
 ありがたい一方、非常に私、ここもジレンマを感じてるとこなんですけど・・・、私たちがやれる、私たちの園でやれることってやっぱ限られてます。この中で、じゃあ円の外に土の入れ替えをしたからと言って、園の外に子供たちが出ないわけにはいかない。奈良のお野菜、月2回取り寄せたところで、お肉だって食べるだろうし、いろんなものを食べるだろうし。これで安心だから、じゃあ避難から戻ってこられたとしたら、私って・・・、私って、目の前のことしか見てない活動かもしれない。
 ちょっと偽善者になってしまうんじゃないかとか、そういう葛藤も、今持ってます。
 もっと5年10年後を見据えてやっている行動なのか?って自分に問い返した時に、そこまでなのか?今最近そういう一旦は、こういう活動をやって他の園よりはやってますから、今ここに居る中である程度きちっとした活動をやっていくんだという自負もあるので、5年後10年後、果たして今の私のやってることは正しいのかどうか?っていうところを考えると、悩みますね。
 朝起きるとね、3月11日以降、朝、手がこんなんなってるんです。グーにして。朝その手を、やっぱり何かしら緊張してるのか、いろんなこと考えてるので、手をこう、朝解きほぐすっていうか、そういう感じから1日がスタートしますね。
 やっぱり子供のことも考えると、夜寝る前辛いですし、お兄ちゃんとは、「あともう1年しか居られないね」っていわきでも言ってたのに、うーん、本当にこのまま大学生になったら離れちゃうんだなとか、娘ももっと思春期で、今悩んでることもたくさんあるだろうし、そばに居て抱きしめてあげたいっていうところもあるし、いろいろ複雑な気持ちがあるんですけど、ただ今必要なことというのは、私が今縁があって幼児教育に携わって、今後のことを考えると、やっぱり今後は子供たちに生きる力とか、人間力とかよく言われますけど、言われて久しいんですけど、IQよりEQとかそういったことも言われてあれですけど、なんかそういうもう少し歴史を紐解いていって、子供たちに生きる力とか、特にこの地域の子って外に出ることもなかったっていうこともあるんで、今度遠足で、子供たちの遠足にしてはあれですけど、今度福島空港に連れて行くことにしたんですけど、下手したら今後まだまだ原発もあぶないかもしんない。初めて飛行機に乗るストレスと、うちの子供たちを何回も飛行機に乗ってるから、ああして二人で行けたのであって、ちょっと飛行機に連れて行ってあげようかなて。なにかしらそれがどこかに結びついて、生きる力とか何かになるかもしれないとか、今後はそういうところも普通の保育だけじゃなくて、必要になってくる・・・
Q.いろいろな葛藤があると思います。お子さんの側に居るという選択をなぜ取らないのか、教えてください。
 今、一番、大事なものは何か?って聞かれたら、家族なんですね。家族。
 夫もなんでしょうけど、まず母親はやはり自分の子供ですね。今子供と考えたら人生の中で子供と一緒に居られる期間って、大学とか行っちゃったら18年くらいしかいないわけですから、その中の最後の仕上げの時期っていうか、一番一緒に居たい時期、赤ちゃんの時からもちろんそうですけど、家族は一緒にいるものだって。まさか離れるなんて夢にも思ってなかったわけですし、「あっちに居るとなんか疲れるんだ」って子供はやっぱり言います。「気を張っていて疲れるし」って。
毎日電話もしてますし、毎日兄とも、妹のほうとも。兄には「受験勉強の邪魔になる」って言われるくらい話をしてるんですが、でも、果たして一番大事な家族を今、私は絶対にこっちに居て、残んなきゃいけないっていう、そこまで代々の何かを受け継いでいてというとかでもないし、正直仕事にしても、今まで逆にいろんな仕事についていることもあって、戻れば昔の幼馴染とかが、「何かできることあるでしょ?」って言ってもらったり、英語もずっと続けてるので、少しはできるし、何か活かせるかもしれないし。
 果たして・・・。
 正直なところ、今の職場でここに残ったお子さんたちを、何か??????社会の役に立ちたい、そういう思いももちろんあるんですね。子供が「私の原点守ってくれ」っていうのを家族を守るだけじゃなくて、家族以外プラスアルファ生きてきた中で、何が少し、もう少しプラスアルファ役に立てる自分があって、試練があるんじゃないか?って思う時もあるし、本当に揺れ動きます。
 かといって、子供たちが、娘がちょっと悲しげなメールを送ってきたりすると、やっぱり・・・、物理的にも離れてたらどうしても無理だろうっていう時もあるので・・・。
Q.なぜここに留まっているのですか?
 なんでここに留まってるのか?っていうのは・・・難しい・・・ですよね・・・。なんでここに留まってるのか?って率直に今聞かれると・・・うーん。
 子供たちが「何で僕たちここに居るんだろう?」っていうのと同じ、逆かもしれないんですけど、危険かもしれないし・・・。何なんでしょう?
 一つは、どこかでやはり自分はずっと職業を持ってきた人間だというのがあるかもしれない。
 母親でありながら、ずっと仕事も続けてきた。仕事に関しての考え方もそれぞれだと思うんですけど、例えば今引き受けてる仕事、今やってる仕事っていうのは、年度末ごとに変わる仕事であって、それは3月、一つの区切りです。
 だから、私は一旦上司というか理事にも言ったんですが、来年の3月までは頑張ります。そういういい方で、今います。
 来年度は?って・・・、まぁその先は言わせてくれなかったっていう感じがあるんですけど、なので、何か一つ、それは職業観かもしれないですね。何か一つのことをやるときには、もちろん最後は命が大事だし家族が大事ですけど、今離れていても一応うちの子供たちは、あと半年間だったら、大丈夫だろうって。でも、私が今職場を離れても大丈夫かもしれないし、阪神の球団の社長が亡くなった時阪神優勝したので、それくらいの話かもしれない。
 どこかになんかそういう一度、離れられない何かがあって、今入園の話したり、お母さんたちの悩みを聞いてるうちに、受けきれないですね。今お母さんたちだって皆悩んでるのに、そこで自分は避難する道とか逃げ道あるから、じゃあそちらにって、もし行ったときに、逃げた時にある程度納得のいくとこまではやって去りたいという気持ちがあります。
 どこかで私はもしかして去るのかもしれないけれども、去って行ったときに、そこで私は責任を果たせなかった自分が、その時その時にある、それぞれ責任ってあると思うんですね。家族に対する責任もあるけれども、社会的な責任も大人になったら、少しはそれぞれあるものだっていうのがあるので、もしも、さっとそこで去って行ったとする。子供たちと一緒に去って行ったとしたら、多分それはそれで、一生引きずっていくことが怖かったのかもしれないです。
Q.園長としての社会的責任で残る、というのでは釣り合わないようない思えるのですが?
 なんで、本当に改めて、もう一度改めてなんで?ってなると・・・。
 ただ、私の場合は、ここに居続けるかどうかは別・・・ですね。ある程度、期限付きというか、執行猶予付きみたいなものがあります。
Q.何と結びつけられているんでしょうか?
 今、そうですね。今やってる活動であるとか、仕事?
 ここに故郷ではないにしろ、19年いわきに居て、子供たちの故郷であって、主人の父もこちらに居る。本当にお世話になって、子供の子育ても手伝ってもらったおじいちゃんだけを残しておけないという気持ちもあるし、今、関わってる、縁があって関わってる人たちは、日々やってることが少しでも役に立ってて、逆に警鐘を鳴らしている部分もあって、そういう・・・ところが、どこかで・・・。
 絶対・・・、私もしかしたら通じないのかもしれないし、大学のゼミの先生も心配して電話してくれて、
「自分の無力さを知れ」
って、逆に叱られたんですけど、うん
「自分が頑張ってどうにかなるほど、世の中甘くない。それでそっちに居続けるの?」
って逆にいわれたりしてるんだけど、でもなんかちょっとこう、今去るわけにはいかないっていう何かがあるんですね。
 今去って、何か自分が生きてきた中で、少しなんか偽善みたいなんだけど、できること、ここの今ずっと福島県に住んで、いわき市に住んでいる人ではできない何かがあるんじゃないかなって。それが自分の中の存在価値っていったら変なんですけど、もちろん子供の方にも会いたいですけど、今実際自分の子供をパッと振り返ってみたら、この半年間で、離れてることによって成長もしてくれているし、娘は私が帰ってくることを、「今すぐは望んでない」って言いきるんですね。「それよりも自分の原点でちょっとは頑張っていて。」って。
 多分私はいつか帰ることにはなる。少なくとも私は定年後老後は、やっぱりアイデンティティはあっちかもしれない、老後はあっちかなっていう気もしていたので、それが早まるのかもしれないけど、今なんか、岩上さんに言われて、なんで?って明確な答えがなかなか私、出ないけど、いつかは帰るんだけど、今は帰れないですね。
Q.好きなんですか?この土地が。
 あまりにも自分と違いすぎてて、正直、好きか嫌いかって言われたら、自分に馴染んでるのは、やっぱり関西なんですね。
Q.故郷ではないとおっしゃりながら、合理的な行動を取られていない。それはなぜなのですか?
 故郷ではないけれども、子供たちの故郷なんですよね・・・。
 私は子供たちのこと大好きだし、自分で親ばかだと良く子供にもいわれるけど、イイコに育ってくれたなと思ってるんです。
 すると、ココの地が育ててくれたというところもあるし、子供たちを見てると、私にはない純朴さだったり、やさしさだったり、そういうものがすごく備わってる。
 自分の子供なんだけど、半分はここの故郷の子供なんですね。
 それをとても愛おしく思う時があって、やはり・・・、合理的でないと言われるかもしんないけど、どこかでそういう気持ちを恩返し、自分のやってることがね、そんな大それたことでもないけれど、何かしないとこのまま「もう、はい、さよなら」ってなれない。
Q.恩返しなんですね。
 子供を育ててくれた土地じゃないですか。二人ともいい子になってくれたなって。
 私には持ってない優しさというか、この地だからこそ育めた優しさみたいなものって、あるなって思うんです。
 関西のややガツガツしたところだけじゃなくて<笑>、そういうところはとってもあります。
 もしかしたらそれに関して、本当に、今それで子供たち二人が本当にヘルプミーって私に呼びかけていたら、私はもちろんここをサッと・・・、どうしてもやっぱり子供のことがって言えるんですけど、その二人の子供たちは、まだ本当は心の中はヘルプミーで、私のことを気遣ってるのかもしれないし、何かあるのかもしれないけれども、耐えて頑張って成長していってくれているので、そこは、その子供たちのためにも、何かできること、ちょこっと。
 どこで満足して終えるんだってなってくるかもしれないけれども、少なくとも来年の3月までは・・・
Q.今やっていることは、感謝の表現であると。
 そうですね・・・。
Q.ご主人の気持ちは、どのように理解をされていますか?
 主人は福島県人だけれども、大学時代は東京に居て、あと転勤で秋田の姫路で知り合ったんですけど、ただ・・・、主人の父親は会津出身で、本当に会津魂の人で、福島県警、警察だったので、主人は自分では「故郷が無い」っていうか、2,3年ごとに転勤、転勤で移動してきたので、故郷が無い、私のように幼馴染がずっといてっていうわけではないので、「羨ましいな」とはよく言われてたんですけど、でも福島県内ではずっと18まで居たわけで、最初は、だから「故郷が無い」っていうから、「じゃあ私が故郷になってあげようやないの」とかって冗談で言ったりしてたんですけど、主人はやっぱり18歳まで福島に居て、いろんな地を転々とした、その転々とした地が、今悉く立ち入り禁止区域になっていたり・・・
Q.福島県内で?
 県内で。
 だから、それはそれで辛いみたいですね・・・。
 伊達とか小原とか福島市とか居たって言ってますので。
Q.ご主人はお母さんを亡くされ、お父さんの介護もあり、子供とは離れ離れ、今五重苦ぐらいの感じですよね?
 今は、岩上さんに言われて、もうちょっと優しくしなきゃって思いました<笑>。
 ちょっと今、ふっと、今ちょっと私主人のこと忘れてたかもしれないですね。子供のことと仕事のことで目いっぱいで、若干主人のことは忘れてたかもしれないですね。
 置き去りにされていたかもしれない。
Q.これで奥さんと不仲だったら、死にたくなりますね。
 「あなたは姫路に帰りたいだけじゃないの?」
って言われてから1週間くらい前から、あんまり会話が無くなってしまってるんですけど、会話、今、避けてますね。お互い、かける言葉がないくらいの状態になってきますね。それぞれが。
 でもそういう人が今本当に福島にいっぱい・・・いらっしゃると思うんです。
Q.故郷に対する非合理的な思いというものを旦那さんに伝えれば、納得されるようにも思いますね。
 いやいや、でも、今日来て一番良かったなと想って。
 岩上さんにそういうお話を聞いて、正直1週間ほど、それ以来口きいてない状態だったので、ちょっとだんだんお互いかける言葉が無くなっていくんですよね。
 こういう緊張した生活がずっと続いていた中で、夫の方は仕事を持っているところもあったので。
Q.同じものを大事にする、共有していなければ、孤立感がありますよね。
 私は、そうやって「今なら家が売れる」っていって、ね?
 正直避難の方とかも入ってくるので、この間貯金を全部はたいて、ローンを完済させて、いつでも離れられるようにはしたんですね。本当にまだまだ原発、何が起こるかもわからないわけだし、っていうか、至急離れなきゃいけないっていう緊急性があることだってあるかもしれないし、一応ローンは繰り上げ返済して、あとどうしようもないのはあれですけど。今までずっと働いてきたので、何とか経済的なことはそんなに悩まなくてもまぁ良い範囲にはなってるんですけど、そこもやっぱり夫にすれば、「もう離れていくのか?」って、おじいちゃんにも頭金を出してもらった建てた家でもあるので、お爺ちゃんにとっても寂しいだろうし、主人の父のほうは、
「あと1年経ったら、娘は帰ってくるんだっぺ?」
みたいに最初の頃は簡単に思っていたし、
「1学期終わったら帰ってくんだっぺ?」
とか、そういう感じだったので、やっぱりショックですよね。おじいちゃんも。
 こちらで離れ離れ・・・、かわいがってくれた孫も離れているっていうことは、まだ理解のある、他のご家庭とか聞くと、もともとおじいちゃんたち、縛り付けるような発言が多い中、
「一番大事なのは、二人が元気でいることだかんな」
って。
 主人の弟が白血病で亡くなってるんですね。高校生の時に発病して、22,3で亡くなってるので、おじいちゃんも「もしかして白血病とか何か、原発がらみで受けたことがそうなったら」っていう思いもあって、どうして白血病になったのか、全くわからないままなってる人なんですけど、だからそういうことに関しても、敏感にはなってて、主人もそこは、最初は理解して、一緒に避難させたっていうところはあると思うんですけど。
 本当にそれぞれですね。本当に、なんかこういう決断を下す時って、生まれてからこの人生の中に、どういう経験をしてどう考えてきたか。
 時間は同じように、みんな平等に流れてるんだけど、どう考えてきたかとか。
 だから、今回こうして百人百話ってされるのは、本当に貴重なことだと。
 それぞれの思いっていうか、それぞれの背景があって、それぞれなんで。
Q.心の中の思いというのは、ご自身でも気づいていないことがありますからね。
 最後お話聞いてもらって。
 やっぱり自分でこう話してみて、改めて抜けてる、何か欠けてるとか、こういう場が、こういうのって大事だなって思ったんです。
 ありがとうございます。
【以上】

失礼します。
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