※この記事は、11月29日 【内容起こし】IWJ 百人百話 第16話 齋藤英子さん【その①】の続きです。

<36:35頃~>
Q.東電は情報開示をせず、一方で事故後には撤退しようとしていた、そのことについてどう思われますか?
 夫が帰ってきて、東電の方は『危険を判ってるんだ。その方たちは割と役職が無いような方だった』ということなんだけど、もう末端までじゃないですけど、危ないっていうことが、東電の中では知れ渡っている、なのに、テレビに出てくる東電の方、国、枝野さんにしろ、西山さんにしろ、皆さん、
「今のところどうもない」
「直ちにどうもない」
とか、そういうことばっかりだったので、
「これはもう、全く今伝わっているメディアのことと、現実は乖離してるんだな」
というか、
「完全に隠ぺいされて、国策として何かが動いてるんだな」
ということをすごく感じましたね。
 第一、何かを信じられないんだっていう、その国策だったり政治力であったり、何かの力がっていうのは、一度12日に1号機が爆発した後、第2原発も危ないって話になったときに、10㎞圏内にするのか20㎞圏内っていうのが、揺れ動いた時があるんですね。第2原発から20㎞圏内とかっていう話になってくると、いわき市もかなりの範囲がかかってしまう。しかも、共立病院っていういわきの基幹病院なんですが、いわき市立共立総合病院までかかってしまう。そこの患者さんたち何百人、どうするんだ?ということになりますね。
「どうするんだ?」
って先生たち、ドクターがテレビを見てる時に言っていたら、それからほんのしばらくして、20㎞圏内から10㎞圏内にまた戻したんですね。避難地域が。
 その時に
「あぁ、何か政治力なのか、何かそういった本当に市民の安全どうのこうのではない、物理的に国が対応できないから、できることしかしないんだな。避難しろって言われてできないんだ」

っていうことをとても感じて。とにかくあの時点では、福島から逃げるすべがほとんどないような形で、高速道路も本当にどこまで安全で、どこまで壊れているのかわからないけれども、封鎖されてますし、下の普通の道を通って、東京に行くのにしても、どこまでがどういうところが危ないのかとか、そういう情報もないし、飛行機も大阪から飛んできてるのに、どうして福島から離陸できないんだ?とか、私はそれを聞いた時、
「本当にもしかしたら、福島は見捨てられるんじゃないかな?」
って、とってもいい人が多いので、逆にここを一つ封じ込められてしまって、チェルノブイリのこともよぎりましたし、ここから人が出ないように何か作用しちゃってるのか?っていうくらい、思った覚えがあって、それくらいのことなのに、何も報道されないし、『大丈夫だ』っていう、これからは何か信じるのはテレビだけでは絶対十分ではないし、逆に関西のほうからいろんな情報を得たり

「もう今、関西のほうだと、いろんな集会が始まってるよ?」
って聞いたんですけど。、3月15,16,17,18日、そのあたりになってくると、
「今集会あるけど、そっちでもいろんな何かあるの?」
「全く無い」

 ライフラインが通ってないこと、皆パニックになってしまって、目先の生活のライフラインだけに困ってるような状況で、『水が無い』それだけ、先の原発が危ない。
 皆いったんそれで、高速道路がとおって避難していくんですけど、そこで福島県の人たちが恐れていたのは、爆発が起きた時の外部被曝っていうか、そこだけがほとんどの気持ちだったと思うんです。なので、皆さん避難期間も比較的短くて、水が無いしライフラインがないことと、大きな爆発があって、イメージとしては原発なイメージ、外部被曝が起きることを避けるために避難したっていう形がほとんどだと思うんですね。
 でも実際は、そこからまたこれで終わるわけじゃないし、これからいくらでも内部被曝であってり、どれくらいの線量が残っているんだろうっていうようなことを、ずーっと原発がある町で生まれ育った人たちの方が、却って今まで考えたことがない。安全だと信じ切っていたので、どういった放射性物質があるのかとか、何十年残るんだよとか、そういうこともあまり周りの人たちは気にしなかった・・・。
Q.東電という会社に対しては、どのように思われますか?
 東電の社員の方々?ある程度末端の方々まで「爆発がありそうだ」って皆さん逃げていて、私の夫なんかには、もう本当に
「午前中に爆発があるかもしれないことだから、飛行機が飛ぶまで爆発が無かったらいいんだけど」
って言いながら車の外に降りてて、
「爆発があってもここから見えないけどね」
くらいのことだったらしいんですけど。
 本当に離陸して、午前中に1号機よりも大きな爆発があって、それを東電の社員たちは知っていて、そういうふうに避難させていて、何もアナウンスは東電側から県民にないっていうか、特に地域ですよね。近くの地域の人たちに触れて回らなければいけないはずだし、その時東電は何をしていたのか?って。
 普通本当に他の企業だったら、自分のところで爆発か何かあったら、みんなで謝っていくはずですし、何かをしてしまったわけで。そういったことに関して、未だ嘗て東電の社員の方々は、やはり一つの会社に勤めたらそれなりの責任はあると思うんですね。個々のいろんな方々に罪は無い。でも、勤めてる会社がやったことであるから、そこで今までお給料もらっていたわけなので、これまでの除染活動とかもそうですけど、除染活動手伝いにくるわけでもないし、それは前の幼稚園協会で東電の方が謝罪に来た時にもお話しましたし、今、14日の日にお話を東電の方にするべきだったなって、私は今でも思うんですけど、夏休みだって1か月とって、タイに行ってきたというようなことを言っていて、今有給も、もう関東地区に居る東電の職員は「別に普通に取れるよ?」っていう話を聞くんです。
 となると、本当に会社の体質が一体どういう体質なんだろう?普通の会社だったら、何か自分の会社がそういうことをやってしまったら、例え・・・、直接の責任が無い部署であっても、皆さん謝ったり、何かできることっていうのをやるはずなんですけど、それが全くなされてなくて、逆に自分たちだけが逃げて、これはテレビでもやってましたけど、避難所に居る場合も、東電の職員が一緒だと、職員は周りから冷たい目で見られたりストレスが大きいから、大きな体育館とか何かでも、ちょっといい場所っていうと変ですけど、違うところに移していただいたりとか、そういう配慮があったということも聞いていますので、なんだかそこの辺り、本当の会社は国民を幸せにする義務があるはずだったのに、それでもって始めた原子力の企業理念だったはずなんですけど、全然そういうのと乖離してしまって、
「お国と一緒になって隠ぺい工作をして、なんていう会社なんだろう!」
っていう、今もですけどね。今もずっと解せないっていうか、JALより酷いって言ったらあれですけど、JALの人はまだ年金をカットしたりいろんなことをして再建していってるという形なんですけど、東電のなんだか沁みついた、何かがあるんだなって、今までも東電が原発の反対した人たちとかはテレビにもあんまり出られないとか、いろんなことを聞いてもいましたけど、改めてそのあたり、なんか私たち一般市民・・・が、知らない世界・・・が、『原子力村』とかではあって、特にこういう純朴な県民性というか、地域性のところにうまく持ってこられて、うーん、背負ってるんだなと思います。
Q.14日はどのように動かれていたのですか?
 14日の方の爆発の方が大きいっていうことですね。
 それで、みんなうちの保育室も閉鎖するということにしまして、当面水が出ないということもありましたけど、それによる被害があることを想定できたので、保育士の方は、しばらく休みますということにしました。
 保育室が休みになると、医療スタッフのお子さんたちを預かってるわけで、それは困るという面との兼ね合いが非常に難しくて、ただ、ここは本当に医療の中で透析という特化したところもあったので、80歳、90歳代のおじいちゃん、おばあちゃんたちの命ももちろん大事だけど、目の前にいる自分の子供の命を守れないというのは、本当につらい看護師さんたちも居るわけで。
 閉鎖というか、一旦休むということにしたのは、一つは子供たちだけでも避難させてほしいということ。子供たちでも避難すれば、避難を受け入れるっていう支援団体も関西の方でも見つけていたので、そういった張り紙をしたりやって、避難したいという人を受け入れるような準備は進めていました。
Q.ご自身の避難は?
 14日の爆発を受けて「小さなお子さんが居る方を避難させていいですか?」と、理事長にも確認をして、それで避難誘導しました。
 皆さんがある程度、会津とか県外とかに避難しましたということを理事長にもご報告したら、
「じゃああなたも齋藤君も避難したらいいっぺ」
って言われまして、その後、また16日の夜中に車を走らせて茨城空港から、今度は夫と二人で姫路の実家のほうに行きまして、でも21日くらいに病院がまた再開・・・、病院の患者さん一旦東京とか新潟に移動をさせてたんですね。これもときわ会グループの中で700人規模で患者さんの東京とか新潟に大移動させて、そこに残ってた人たちは本当に大変だったと思うですけど、移動して。
 今度水が出るようになったので、それでまた患者さんを呼び戻すということをやったわけです。
 また、そうなってくると医療スタッフが必要なので。
 それ以降爆発はなかったから、病院はもう一度再開するということになって、そうなればスタッフが必要になるので、保育室をあけてほしいと言われまして、とにかく私はそういうとこの責任者なら戻ってこいということで戻って、戻った段階でもう皆さん???の方から
「保育室は空いてるので、お子さん預けて仕事してください」
ということで、徐々にお子さんを連れて看護師の方々も戻ってきて、お子さんはできるだけ安全にお預かりするということが始まったのが、3月23日です。
Q.ご自身はいつから姫路に?
 17日から18、19。6日間ですね。
Q.避難していた6日間に入ってきた情報と職責との間で、どのような思いでしたか?
 自分の子供たちはここにいられる、避難できるなということで、まずはホっとしました。
 ただ、他のお子さんたち、医療職だからこそ残らざるを得ないということで戻ってくるんだということに関しては、非常に複雑で、自分自身も関西の親戚から、友人から皆、私が
「またいわきに戻るんだ」
って言ったら、
「あんた、おかしいんちゃうの?」
そういう反応だったんですね。
「なんでもどんの?命あってのものやんか?」
っていう、そういう関西人のあれで言われて、
「命・・・、うーん。」
10歳のときに、父親から身体髪膚、厳しく育てられた方だったので、自分から自ら自分の健康を害するようなことをしにいくことにもなるわけで、だけれども、立場上というか、本当に医療にも支えられてきた私も両親ともに透析患者だったというものあって、そういったことで医療に支えられて生きてきていたわけなので、これは、私がすぐにそこで大きな爆発があって命を失うことは無いだろうっていうこともあったので、戻る決心はしました。
 でも、その前に夫は姫路に着いたんですが、着いて直ぐ戻ってしまったんです。おじいちゃんが残っていたから。自分の父親は行かないと言って残っていたので、
「やっぱり帰る」
って言って。
 おじいちゃんも喜多方の親戚のほうに送り届けて、その後ずっといわきに居ましたね。
 そこでもやはり、
「あー、この人と私とは県民性が違う」
っていうか、「違うんだな」っていうのはありました。
Q.ご主人のお仕事は何ですか?
 保険会社なので、そういった事故処理もいろいろあるでしょうしってこともあったんですけど。
Q.お仕事で戻らなければいけなかった?
 外資系なので、比較的早くに『バスを出すから、東京に避難しろ』とか、残った人たちには、トラックが来て救援物資も潤沢に配られたりとかはしてました。
 なので、必ずしも彼は戻らなくても良かったんだけれども、やはり・・・、自分の父親、母親、その時は母親は入院はしていたんですけど、を残して姫路に自分は・・・っていう思いがあったんですね。
 だから、そういう方が福島には、いっぱい居ると思うんです。
『本当は避難すべきかもしれないけれども』
っていうことで。 
 たまたま私たちの実家が関西にあって、すぐに避難できるし、子供たちもある程度の年齢であって、比較的今まで人間力というか、私も生きる力というか、そういうのを自立させるのが親の役目だというのが、とても思っていたので、何かあった時にはそうして、自分たちで行動ができるっていう、その年齢にやや早いけれどもなっていたので。
 滞在してる6日、7日間の間に、私は子供たちの転校手続きをとったんですね。22日、もう帰る前の日に近くの民生委員を訪ねていって、
「こうこうこうで、こちらに残って転校できるように」
っていうことで、民生委員の方に一筆書いてもらったら、住民票とか移動しなくても大丈夫だということを聞いていたので、一応こちらだと息子はこちらの進学校に行っていて、本当に楽しい楽しい高校生活を送ってたんですね。文武両道のところでおじいちゃんも「おめでとう」って言ってもらえて、ずっと楽しい、本当に高校生活だったと見受けていたので、それを切り離すというのは断腸の思いだったけど、でも、あちらに戻って、この子の将来に厳しいぞって。自立して、子供と一緒に居なきゃいけない年代でもないということと、そうして自立していくのも、一つ試練だけど、そのほうが大事だと思って。
Q.お子さんは高校生と中学生?
 そうです。そのとき小学校6年生で、今度中1になるときだったんです。
Q.友達と離れることについて、何か言われませんでしたか?
 ありました。
 ええ。
 部活にしろ、高校生活ですね、非常に楽しい高校生活を送っていたわけですから、一旦そういった民生委員の手続きをして、姫路のほうに高校に電話を入れて戻ってきたんですね。子供たちにはまだ転校の話はしていなかったんですが、
「どうする?」
「え?戻る!」
っていう子供たちの、もちろん思いなんですけど、
「ママはこうこうこうで危ないので、こうしてほしいんだけれども。」
 子供たち、最後は子供に決めさせようと思ってました。
 逆に言えば、それだけ自立している段階なんで。
 ただ、子供は・・・、まぁむしろ私より一足先に関西に居て、姫路のほうのテレビを見てると、こちらのテレビとの情報もまた違うようだし、非常に危ないんだということを、段々日増しに子供たちはわかってきた。最終的には、私の古くからの友人たちが子供たちを説得してくれたりもして・・・。
Q.どのようなやりとりがあったのですか?
 子供は、
「じゃあどう言うの?友達に?僕は、避難する。」
「『どうして?』って。今はもうほとんどの子が戻ってきてるのに、『どうして?』って言われる。『危ないからだ』って言えないだろう?」
ということをいうわけですね。今までの仲良かった親友に。
 ソフトテニスをやっていたので、相方も居る。なのに、こっちに行って。
 でも、もう私は逆に、私が友達に言われたように、
「命があって、大事なんだから」
って。もう本当に、
「身体髪膚、敢えて毀傷せざるは、孝の始めなりって、前言ったでしょう?」
という話をして、
「身体がまず大事だと思う。これから被曝をしていくことになる。なので、ママの判断はこうなんだけれども」
って。子供たちは兄の方が先に納得をしてくれて、一旦短い期間かもしれないけど転校っていう気持ちだったんですけど、高校の転校の制度っていうのは、
『卒業までか1次的なものなのか、どちらかを選んでください』
というのを入学式の突然になって言われて、その際に受験もあったから、悪いけれども1年早く留学でもしたと思って、飛び級でいったと思ってということだって言って、息子の方は納得して・・・
Q.抵抗しませんでしたか?息子さんは。
 うーん、確か息子は転校するっていうことに関しては、今までの友達から離れることの辛さと、説明のしようがないっていう辛さがあって、私はその転校する、じゃあ、どこかで娘のほうも卒業式もしてないわけですね。娘なんかは卒業式もなくて、そのまま来てしまっていて、息子もかなり「絶対ヤダ!戻る」って最初は言ってましたけど、むしろ娘のほうが、非常に今もなんですけど、娘は
「私の原点はいわきなんだからね」
って、今も言いますね。
「おばあちゃんにも私の故郷はいわきなんだから」
って言いますね。それ聞くのがとても・・・なんですが、娘は、
「私の原点はいわきだから、だからママも帰っていわき守って」
って、今は言います。
 だから、その胸の内というか、
「原点で今何かしら役に立つんだったら、ママは今役に立つことをやって。」
今、娘はちょうど中1で切り替えの時だったのに中学校に入って、兄と同じようにソフトテニスをやって、テニス部に入ってやっているので、要するに、娘は来年どうするんだ?子供も葛藤しています。
 ただ、ハーフなので、東北人と関西人の。
 そこでの子供たちが今後あちらにいた情報とかを見ながら、どう捉えていくのかな?って。
Q.娘さんは、友達との別れをきちんんとできたのですか?
 えー、夏休みに帰ってきたときに、もう一度お友達に会ったというのはあります。お互い。夏休みに二人ともこちらに今回戻ってきて、戻って改めて、
「何の気兼ねもなく話ができる」
って。息子の緊張感は、今いる高校の先生からもお手紙とか抱いて、やはり緊張してるんですって。皆から、娘なんかも、皆に同じ説明しなきゃいけない。
「なんで福島から来たの?津波で家流された?」
向こうの子は、
「どうしたん?流されたん?被曝してきたん?」
そういうことを平気でみなさん聞いてくるので、それに答えるのが一番嫌だったしばらく言ってましたね。
 息子も検査しようかなって一時期自分で言って・・・。
Q.PTSDで?
 PTSDで検査しようかなって。
 なんか時々ふっとガードレールに突き刺さった映像が浮かんで来たり、あと、
『直ちに健康に被害はありません』
って言葉がふっと浮かんで来たりする話はしていまして。
 ただ、5月に1度私もあちらに行った際に、新日鉄広畑製作所っていうのが姫路にあるんですけど、そこにテニスの試合があって、息子が行ったんですね。あそこも原発村ならぬ製鉄村みたいな形で、周りが製鉄所が公害をいっぱい出していた高度成長期に、一杯製鉄所が出来たまわりで、テニスコートとかいろんな運動の競技場とかがあるんですね。
 そこで大会があって、息子はすぐ試合にも出て、一応居場所がテニス部であって、向こうでも本当に暖かく迎えてくださったこと、本当に感謝してるんですけど、姫路の高校の先生方が迎えてくださって、テニスもすぐ試合に出て、その時に・・・、日もテニスしてると、真っ白な新しいボールが真っ黒になっていくんですね。鼻を拭くと鼻が黒くなる。これは煙の中から鉄粉が落ちてきてる。
 その時に、息子はふっと
「これ、でも見えるからこうなんだよね。」
っで、二人で、それで二人は吹っ切れたような気がします。
「放射能、放射性物質は見えないからね。あー、こういうことが起きてるのかな?」
って。そこで、一回、子供は諦めがついたような・・・。
Q.家族が離れ離れになって、それぞれの胸の内をどのように感じていらっしゃいますか?
 いろんなところで、この事故というか、動きにそれぞれの価値観によって今まで仲良かったご夫婦だったり友人同士が、考え方によって、特に放射能に関する危機意識の違いによって、仲悪くなったり疎遠になったって聞きますけど、うちもやっぱりそういう部分はありますね。
 主人にとっては、やっぱり福島が。いわき市にはそんなにあれなんですけど、福島県人で、子供の頃居た伊達とか、いろんなところが本当に避難区域になってたりとか、それを見るともう・・・、ため息ついて
「嫌になる。自分の育ってきたところが、もう住めないようなところになってるのは辛い」
っていうのは、主人からも聞きますので、そこは私には判ってるつもりでも、そこまで理解してるつもりでも同じ気持ちにはなれないし、主人なんかもやっぱり寂しいし、子供と離れて揺れ動いてると思います。いろんな気持ちが。
 今も、ついここ1週間ほども、その件でやはり、ちょっと主人と話が合わないっていうか、ポロッと主人は
「結局あなたはあっちに帰りたいんじゃないの?」
って言われてですね、
「来年度以降、どうしよう」
とかって話。娘一人に今度なったら、お兄ちゃんが大学に行って、もし東京に行くんであれば、娘一人でおばあちゃんはもう透析していて、人口??もやって入院したりとかもしていて、本当に今二人でお弁当も作って、選択してアイロンかけしたり、二人でやってるんですね。
 だから、今度妹1人、中2で一人でいられるのかなって、しかも、まだまだ思春期で母親が必要な時期なのに、どうしよう?戻すべきなのか?って。
 完全にあちらだけに避難で心の問題もあるしって。
 娘にはこないだも聞いてみたけれども、娘は
「今決めることじゃない。」
って。そうやって子供はだんだん成長していってるんですね。避難してる間に。
「だって、まだ何があるかわかんないじゃん?もう一回爆発するとか漏れるとか、なんかあるかもしんないから、ギリギリになったら考えるから。今から悩んでたって」
「万が一帰るんだったら、仕事のこともあるし早めに言っとかなきゃいけないし」
とか言うんだけど、
「それは望んでないから、ママが来るってことは望んでない。故郷が無くなっちゃうから、原点が、私の原点はいわきだ。」
って言います。
 夏休みに帰った時に、ちょっといろんな活動してるのを見てるので、ただ単に働いてるプラスアルファそういう今残ってる子供たち、お子さんたちに何ができるのか?っていうのを、自分の子だけが避難して、どっかに私も後ろめたさがあるんですね。
 自分の子供だけ避難させて、お預かりしてるお子さんたちをどう守れるのか?
 でも、果たして今の状況で、今いろんな活動をしてます。
 土の入れ替えを幼稚園5月31日、補助金とか全く関係なしに理事長が、
「あっちゃいけないもんがあるんだから、取り去るべ」
って言って、土の入れ替えをしたり、今やさいなんかも奈良の方から、それも関西の友達が非常に心配してくれて、奈良の方からお野菜をPTAで取り寄せて、内部被曝を防ぐとかそういったことであるとか、姫路・東北人会っていうのがあるんですが、3月11日を機会に姫路にいる東北の方が集まって募金活動してくれたりして、姫路のお祭りの日に、風船を同じ2時46分に、姫路城のお城広場で一緒にあげましょうということで、幼稚園で風船をあげたんですけど、その時娘がちょうどいわきに来ていたので、そういう活動をしているとか、いろんなことは子供も
「ママだけど園長先生だから、園長先生も頑張って」
って、健気に言ってくれるんです。余計にあれなんですけど・・・
<01:06:40頃まで>

【その③】に続きます。
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