※この記事は、11月13日 【内容起こし】木村真三氏+河田昌東氏の講演会「放射能汚染時代を生き抜くために~チェルノブイリから福島へ~」【その④】の続きです。

<③開始>【木村真三氏講演部分】
(司会)
 木村さんからお話をいただきたいと思います。
 木村さんは、現在獨協医科大学国際医学研究室、福島分室の室長を務めてらっしゃいます。事故後現在は郡山にお住まいだということで、福島にお住まいながら、調査を続けてらっしゃいます。
 木村さんはこれまで放射線医学総合研究所の労働安全衛生総合研究所のほうで調査をしてこられましたけれども、チェルノブイリでの人体への放射線の影響を中心に調査をされてこられました。
 福島の原発事故後、そういった研究所での職を辞されて、科学者として今やるべきことのために職を辞されて、福島の調査に事故後すぐに入られていらっしゃいます。そのエピソードは、現在、朝日新聞にも連載をされています。ご覧になった方もいらっしゃるかと思います。
 木村さんは事故後福島での調査を優先するために、市民向けの講演会はずっと断られていらっしゃったということなんですけれども、今回はチェルノブイリ救援チームからの依頼ということで、引き受けてくださいました。
 市民向けの講演会としては、今回が全国初ということになります。
 それでは、木村さんよろしくお願いいたします。

(木村氏)
 こんにちは。
 わざわざみなさんお集まりいただいて、本当にありがとうございます。
 私自身、こうやって皆さんの前でお話しできるということは、チェルノブイリ救援チームのおかげだと思っております。


 今回、本当にご紹介に預かりましたが、まだ福島の事故が収束してないということで、まず福島の方々自身も不安に思われたり、自分がどういう立ち位置でどう掴んでいけるか、放射能と向かい合っていくかということで、非常に苦労されております。
 そういう方々に対しての教育的な指針となるようなお話をしていくというのが、本来の私のやるべきことかなと思っておりますので、なかなかこういう場には出てこないというのが、本当のことなんです。
 そういうところでも、今後皆さんのように真面目に考えてくださる方々の前でお話をするということは、光栄に存じております。
 ということで、今からチェルノブイリ、ナロジチ地区のお話。更には、今の福島の現状、これは基本的には、私が今二本松市のほうで様々な除染等のアドバイスとか、健康影響に対するアドバイスなんかをやっているんですが、それだけではなくて、いわき市の30㎞圏内にもかかわらず、指定をすべてはずされて暮らしている方々、荻地区、志田名地区の方々のために、今現在調査をさせていただいているということなんです。そこの話をすこしお話させていただきたいなと思います。
 あと一つ、裏話。最初っから裏話をしてどうするかというんですが、実は、プロメテウスの罠、朝日新聞ですが、あれ、私、実は知りませんでした。
<会場笑い>
 簡単な小さな記事になると思って、ただ誤解を受けないように、初めての方だったので、きちんとお話をするということで、実は朝10時からインタビューを受けて、夜9時までずーっと話し続けた結果、ああいう文章になって、実は僕、チェルノブイリのナロジチ行ってたんですよ。だから、全く知らなかったんですよ。
 そしたら僕の携帯電話のほうに電話やメールが次々「出てる、出てる」って。
「うるせぇ、寝かせろよ」
って、6時間時差がありますので、皆さんが読まれてる時って、僕夜中なんですよ。最初のうちは見てたんですけど、だんだんだんだん、あまりに多いので、「もう寝かしてくれ」と言って、電源を切ったというのを覚えております。
 私が帰ってくるまで、これだけの反響があるっていうのを全く知りませんでした。
 帰ってきたら、こんなに大騒ぎになっているというので、非常に・・・正直なところ、迷惑しております。
<会場笑い>
 私は本当にそっと、そっと、福島の方々や汚染地域の方々の手助けになればという気持ちだけでやっておりますので、あまり騒がれるのは、実は本当に好きじゃないんです。
 ということで、実は、
「あんなのが出て困ったな」
というのが正直なところなんです。
 ということで、お話をさせていただきたいと思います。

 私の調査というのは、先ほど河田さんからお話があったように、ジトーミル州のナロジチ地区です。ここに書いてありますように、レーザーポインタってありますか?
 あ、ありがとうございます。
 皆さん、もう最近見られることがあるかと思いますが、この避難対象地域、移住義務対象地域、移住権利対象地域、放射能管理強化地域っていうのが、第1ゾーンから第4ゾーンまで、こういうふうにウクライナでは設定されているんですが、

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この地図で大体この茶色の部分までが第2ゾーン、この黄土色のところまでが第3ゾーン、後は第4ゾーンという地域で、実はここの真っ赤のところが第1ゾーンというところで、第1から第4ゾーンまで全てが含まれている地域ということになっております。

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 そのナロジチ地区というのは、これからお話しますが、位置を確認していただきたいと思いますが、チェルノブイリ原発から西に70㎞ほど行ったところがナロジチ地区です。ナロジチ地区の概要としましては、日本の行政区分でいえば、郡部に値します。1町60か所、3万人が事故当時住んでおりました。

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 先ほど言ったように西方70㎞にナロジチ町というところがあります。事故後2日目に、風向きが変わった影響で、今回の福島事故で3月15日の大量放出というので、東京が汚染されたという、こういうのも全部風向きですよね。向きがかわった影響で、これは間違えないようにカタカナで書いてあるんですが、30ミリシーベルトの放射能に汚染されました。
 ただし、この時このナロジチ地区というのは雨や雪が降ってなかったおかげで、土壌汚染レベルというのは、飯舘クラスか、もう少し低いくらいでありました。
 ただ、毎時30ミリシーベルトというのは、とてつもなく高いです。
 これは嘘かまことかわからなくてですが、実は今年の夏の調査に、実はこれを測った方というのを見つけまして、これが事実であるということが確認できました。
 それから、事故から3年後、旧ソ連が人民代議大会で、ナロジチ出身の代議員、これ女性なんですが、アラヤンチンスカヤさんというジャーナリストの方なんですが、彼女が
「ナロジチ町周辺で避難が必要なほどの高度の放射能汚染があったのか?」
という質問をしたときに、当時の情報公開制度=グラスノースチで、政策上「実はそうなんですよ」ということで、大騒ぎになったということなんです。
 そのことがこの『チェルノブイリ極秘』ということで、翻訳もされております。
 ただし、それから騒がれることになって避難を繰り返すことになりましたが、既に崩壊後、経済的・政治的理由から汚染地域、このナロジチ地区に取り残された住人が1万人です。彼らは移住したいと思いながらも移住できてない、そういう現状があるわけなんです。
 ナロジチ地区に関して整理しますと、まず86年事故当時、区域内で全て汚染されて、そのうち4つの村が第1ゾーンとなり、住民が移住しました。これ、意外に早くて、この時は1週間くらいで移住したと。先月たまたま調査してみると、その村が移住するときに、バスの運転手さんをしていたっていうおじいさんから、お話を聞くことができましたが、「1週間後くらいから移住が始まった」というふうに聞いております。
 第2ゾーンに指定された村は18か所。第3ゾーンに指定された1ヵ村が完全移住。第3ゾーンは移住義務か権利を有しますが、完全移住することはなかったんですが、1ヵ所でも高いところがあれば、という事故当初ではそれも移住対象地域に入って、完全に移住が行われたというふうに言われております。第4ゾーンに9ヵ村が指定されております。

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 ナロジチ地区の人たちの役場の前に公園があるんですが、そこには失われた村々の名前が刻まれて、19カ村の名前の碑がたっております。
 事故前が先ほど言ったように3万人。現在は1万人。
 実際に住民登録のない住民が1500人入っております。実際には1万1500人程度が住んでいらっしゃるという話です。
 ちなみにこの1500人というのは、移住をされて帰ってこられた方が大半です。ほかには、例えば町の市場=バザールですが、そのバザール等で行商された方で住みついている方々も含めて、こういう方々が1500人ほどいらっしゃるというお話です。
 これは、放射能以外の問題なんですが、これ、地区内でインフラ事業というものが滞っている。三つの地域を除いて、ガス供給インが通っているのは、全て事故前のもので老朽化が進んでいる。水道管は67年に敷設されたけれども、87年事故後1年から2年後に開設されたのは整備もされてないということで、国内基準値の3倍から5倍の鉄濃度が含まれている、健康にも良くないというふうにおっしゃってました。ゴミ処理場が無い。誰かがごみを捨てたら、そこがゴミ捨て場になってしまうというような、違法廃棄物の、日本でもよくあるようなパターンですよね。そういうふうになっております。

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 これはなぜかと申しますと、国の法律で第2ゾーンは、移住義務であって、移住するという前提のもとだから、大規模インフラ事業はできないという理由から取り残されてしまっている、というような不幸な状況になってしまっております。
 現在、汚染地区に住む方々は、わずかな生活保障という、これは年間80ドル程度というふうに聞いております。また、新鮮な食品を買うための補助金というのが出てるんですが、これはわずか25円。これ1人当たり、月ですよ、これ。25円で何ができるか?

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 実はこれ、僕はもうずっと今回で15回目になるんですが、毎回行きつづけるとだんだんホテル暮らしが辛くなって、キエフ市内でアパートを借りたりしてるんですが、そういう時にスーパーに行って買い物をするんですが、25円っていうのはちょうどお子様が食べるスナック菓子みたいなものが1個買えるくらい、コーヒー1杯で大体40円。そのくらいですので、
「それで何ができるの?」
というのが、彼ら住民の訴えでもあります。
 しかも、これが1か月間毎月毎月出してくれればいいんですが、これ滞ってしまうんです。これ、数カ月、2,3か月に1回、ようやく支給されるという形で、この程度のこともうまくいかないというのが現状なんです。
 ソ連崩壊前には、汚染された農作物やセシウム137の濃度が高いキノコやベリー等の摂取を禁じられて、配給により生活をしてきました。食事の配給がありました。特にお子さんというのは、後で申し上げますが、3度の給食が出ていたということになっています。それが、崩壊後その配給もなくなって、また自給自足の生活のなってしまったということなんです。
 皆さんも随分福島でお勉強されてきたと思いますが、外部被曝というのは年々汚染物質の半減期とともに下がったりしますが、内部被曝というのは、いくら少なくなったとはいえ、生態濃縮が起きてますので、それを摂取することによって蓄積が続いていきます。その結果、内部被曝が高まってしまうということで悪循環になっているということが、このナロジチ地区の方々の状況なんです。

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 これは、ナロジチ地区病院のマリア院長さんのお言葉なんですが、食品について汚染されて無いモノを一家族の人数を調べ、家族単位で販売していた、これは事故当時の話です。これは、もちろんきちんと最初から知っていれば、福島でも同じようなことができたと思っております。保養についても、汚染の少ないクリミア半島やカルパチア山脈などに3か月、行かせてもらって、そこで新鮮な食べ物を食べる。ところが、今年は48%の子供しか保養に出かけることができなかった。しかも期間は、現在では18日とか24日程度と3分の1以下になってしまっているということです。
 保養は、クラス単位や学校単位、小さな子供たちは保護者が同伴するということで、広く精神的にも支えているということです。
 さらに、これは現地の先生方がもちろん引率をされるんですが、受け入れ先の方もちゃんとケアをするための先生が、一緒に現地で、カルパチアとかクリミアの先生が一緒に協力して、子供たちを支えるというような至れり尽くせりという対応をとっているところです。

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 現在、子供に多くみられる症状としましては、免疫低下、甲状腺異常、甲状腺異常というのは、もちろんピークは過ぎましたよ。大体甲状腺異常のピークというのは10年後くらいに最大を迎えますので、それから言いますとどんどん下がってきてるんですが、それでも甲状腺異常は、他の地域より多いというふうに言われています。また、食道炎、胃炎というような、一般的には考えにくいようなもの、こういうものも増えているんだよということをおっしゃられていました。
 現在の大人に多くみられる障害としましては、心疾患、乳がん、ガン全体も徐々に増加しており、一般の方々も免疫低下が進んでいるというようなことをおっしゃっていました。
 これは、今から2年前、2009年に調査に入った時の写真です。

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 これがナロジチ地区病院の外観なんですが、実は小さな建屋のように見えますが、実は病室の数も79床だったかな?結構大きな病院で、26人のお医者さんが居るというような、この地区にとっては無くてはならない存在のところです。
 ちょうど私が訪れたのが9月だったんですが、その時はちょうど健康診断、年に2回の健康診断を行っているところに遭遇しまして、お話をいろいろ聞くことができました。

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 ウクライナでは0から17歳までを小児とみなしておりまして、17歳までのお子さんたちが来ておりました。最近制度が変わって18歳までになったそうですが、この国、コロコロかわるので、僕はあんまり当てにはしていません。

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 そこにいらっしゃったのは、ウクライナの放射線医科学研究センターのステパノワ教授。彼女の論文を以前から目にしてたので、「あー、あなたがステパノワさんですか」ということで、ちょっと話を聞かせてくださいいということで、いろいろインタビューをとったんです。それで、
「ナロジチ地区の罹患率はどうですか?」
と聞くと、
「ウクライナ全体、全区域よりも高い。もっとも汚染が受けたところなんで。」
というお話がありました。さらに、これちょっと字が小さいんで読み上げていきますが、
「貧血(ヘモグロビンの低下)、消化器系の病気、11歳の子供が胃潰瘍になったという例がみられる。地元で獲れた食料による内部被曝の影響と思われる。」
「なぜそういうことが起きるのでしょうか?」
と聞いたところなんですが、
「これは食道や胃に対して、まず食物を臓器が吸収する場所である。そこで最初に出会うセシウムに出会うということで、そこの影響が出るのではないか」
というふうに医学的見地からおっしゃられておりました。

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 ここで、あと、
「心筋梗塞というので、(これは子供ではないんですが)38歳と42歳で死亡した人もいるという方もおられる。免疫の低下も進んでいる。ここの子供をキエフで深く検査している。」
 これは重症度の高いお子さんたちに対しては、キエフの放射線医科学研究センターの病院で、彼女が入院指示を出しながら、検査してるというふうに、私は何回か言って拝見させていただきました。あと、
「甲状腺の問題はどうですか?」
と聞くと、
「もともとヨウ素が少ない、ヨウ素欠乏症気味の地域である、その地域が甲状腺???、その結果子供たちに多く甲状腺ガンが起こったが、今は無い。先天性異常はというと、人口1万人で、年間出産件数が100件程度なので、統計的に増えてるかどうかはわからない。その議論は難しい。ただ、86年に事故処理作業者=リクビダートルのお子さんたちは、一般的に先天性異常が多い」
というようなお話も聞いております。
「このナロジチ地区、町というのは、住民全てが被災者で、移住しなければならない第2ゾーンに設定されていますよ」
というようなことをおっしゃられておりました。

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 続きまして、ここですね。これはバザール村という第3ゾーン、ここは第2ゾーンだというような話も聞いていましたが、第2ゾーンもかかっているということでしょうかね。そこに行って、たまたま汚染調査をしていたときに出会った家族のお話をさせていただきたいと思います。

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 この方がアレスサンドルさんといって、この村の村民会議長、村長さんという方はいらっしゃいません。議会政治なので、議会議長さんが村長の役割をしますが、彼が議会議長をしているところです。この横にいらっしゃるのが、チェルノブイリ救援チームの現地特派員の竹内さんです。彼が現在17年かな、ウクライナに住み続けられて、ロシア語はもとよりウクライナ語も堪能であるということで、非常に私の調査にとってもなくてはならない方です。
 この地域、バザール村という比較的大きな村なんですが、だんだん人口は減ってきたのですが、昔はバザール地区という地区があったというふうにお伺いしました。それが、地区を維持することができなくなって、ナロジチ地区の九州されたということで、現在では526人の人々が住んでいる。
 彼は、この第2ゾーン、第3ゾーン、特に第2ゾーンに彼らは入ってるので、
「第2ゾーンを第3ゾーンに格下げしたい」
という思惑があります。先ほどインフラ事業ができにくい、村の開発ができるということで、それで産業発展をしたいということで、彼は
「できるだけ被害が大きくないんだというふうに言いたい」
というのが彼の心境でした。
 そこで
「汚染地図を見せてください。」
と言ったら、
「何それ?」
っていうから、
「いや、汚染地図、必ずありますよ。どんなところでもありますから」
って言ったら、
「そっか、地図か。地図ないな~」
って言ったら、たまたまこのアレクサンドルさんの秘書さんが、20年来お勤めになられていて、
「たしか地図は2階の倉庫だよ。ちょっと見てこようか」
って言ったら、
「こんなん出てきました」

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「これ汚染地図あるじゃないか」
みたいなことを突っ込んでしまいまして、それを見ていくと、そこに第1ゾーンが存在するということが判りまして、
「これは大変なことだ。もし、第1ゾーンが存在するんだったら、どのくらいのレベルになっているか、見てみたい」
と言ったら、まず最初はアレクサンドルさんは、
「ここには人は住んでない、昔の堆肥処理場があったから、堆肥処理場跡地でこういう高いところがあるんだ。」
 今もって最近新聞で騒がれてますが、家畜の飼料というものが汚染された食品を食べることによって濃縮されて排出されるんですね。それでものすごい線量が出ることが、実は福島でも大問題になっております。それが現実問題25年前にあったらしいんですね。
 その地域に『人は済んでない』と言ってたんですが、僕らが
「じゃあ勝手にお前ら調べてこい」
って言われたんで、
「じゃあ調べてきます」
と線量計を持っていこうとしてら、急に思いとどまって、
「もう一回行ってくれないか?」
っていうんで、
「おまえ行かなくていいって言ったじゃん」
って言ったら、
「気になるから行こう」
っていうので、
「じゃあ言ってくれるんだったら行きましょう」
って行ったんです。
 それで、その場所っていうのはこういうところなんですね。
 ちなみにこういうところっていうのは、旧ソ連のあたりから趣をそのまま持ってるんです。どんな小さなところでも、きちんとした礼儀、初めて初対面の方々に対しては、スーツで行かなきゃいけない。これは、礼儀なんですね。
 そういうために実は、本来調査のためだったら、僕はこんなスーツなんて着ないんですが、初めての調査だったのでご挨拶に出たので、こういうふうなスーツを着ているという件もあるんです。
16 線量計を見ながら回ってると、その時の空間線量率っていうのは、0.3マイクロ、ちなみに0.334マイクロシーベルト/時。これは、23年経ってそれです。
 0.33っていうのはかなり高いですよ。23年経ってるから。
 というような地域でした。
 彼の指さす方向70㎞先に「チェルノブイリ原発があるんだよ」というようなことをおっしゃってました。
 そういってるうちに、そういえばここに若い女性が最近子供を産んだところがあるんだって急に言いだして、
「おまえ、あるじゃないか」
というふうにいって、
「だったら紹介しろよ」
17ということで、そこに居ると危ないよって言ってたら、ちょうどここの親父が、あ、すいません、親父じゃなくてお父さんが、バスに乗って帰ってきて、移動手段がまだバスなんですよ。この親父が帰ってきちゃったときに、この村長さんが、
「おまえんとこの若い娘がいたよな。ちょっと会わせてくんねぇか?」
「あ、いいよ」
って気さくに。娘さんを呼んできて、赤ちゃんを抱いて呼んでこられたんですが、その時にパッと見たのが、実はこれ写真がはっきり見えないんですが、この次のページで見るとわかる。喉が腫れてるでしょ?
 これは、甲状腺異常なんですね。これは、悪性か良性かはちょっとわからなかったんですが、いろいろ聞き取り調査をしていたら、「良性腫瘍である、結節性甲状腺腫である」と数年前に、僕が行ったときより4,5年前に「アメリカの調査団から、そんなことを言われたんです」というようなことが出てきて、驚いたと。
18 それで、片一方だけが腫れてるんです。甲状腺っていうのは両翼あるんですよね。普通バセドーシ病とか甲状腺亢進症とか、そういう方々は、両方が腫れるんですが、明らかに片一方だけが腫れてるというので、
「あ、間違いなく腫瘍だな」
というような感じで、実は恐る恐る話を聞いておりました。
「異常を感じたのは思春期の頃だといって、それからずっとほっているんだけども、だんだんこういうように症状になってきた」
ということを彼女から聞きました。彼女は、『甲状腺の病気=死』というふうに彼女は思ってたんです。その時、出会ったときに実はお腹の中に8か月の赤ちゃんがいました。
「もし私が病院に行って治療をするとなると、私は死んでしまうかもしれない。今治療を赤ちゃんがお腹の中にいるというような状況で、私が病院で手術をしたところで、私は助かるのかどうかも判らない。」
というような悲観的なことをおっしゃってたので、
「いやいや、そうではないんですよ。きちんと甲状腺というのは治療すればまだまだ助かりますよ」
というような話をしたんですが、その時にはなかなか納得していただけませんでしたが、実はその後、キエフの病院に1年後尋ねてみると、行かれてキエフでご家族で暮らされていると、治療も順調に行き、お子さんも元気に育って、お腹の赤ちゃんも生まれたというお話を聞いて、ホッとしたところです。

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 彼女のお父さんは、実はそういうことは一切知らずに、この汚染地図があることも、実は23年間知らなかった。
「知ってたら、こんなとこ住んでないと言いながら、でも、胸騒ぎがしたんだ。自分は移住したいと嘆願書を出してた。そしたら、州の議会からは、『あなたはこのブルシロフ地区のモロズイフカ村建設中の建物に入る予定です』みたいなこと、この紙切れが2枚、再三彼が請求して、2枚の紙切れが送られてきたけど、結局何もしてくれないんだ」
と、いう話を延々と恨みつらみというものを聞かされました。
 痛いほど患者の気持ちは伝わりましたし、自分たちが出ていきたいのに出ていけない、この不幸というのは、本当に福島であってはならないものだと、今でも思っております。
 実際に事故後25年経っていますが、チェルノブイリ・ナロジチ地区というのは、もう事故後20周年の時に、ウクライナも含めて、IAEAとICRPが『事故は収束した』というふうに発表されてますが、彼らの中にはまだまだ戦いというものが今現在続いているんだということを、皆さんにもお知らせしたいと思いまして、発表させていただいています。

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<31:15頃まで>

【その⑥】に続きます。
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