※この記事は、
【追記あり】6月5日河田氏「チェルノブイリから見た原発震災」@國學院大
7月20日 【追記あり】福島市水道局:ホットスポットにひまわり1万本種まき-【その後の処理は・・・】
11月15日 【動画あり】第2回低線量被曝リスクについての作業部会【木村真三氏、避難基準:5mSv/年を提案】
8月28日【動画・削除前にどうぞ】 ETV特集 ネットワークで作る放射能汚染地図3
6月13日 木村真三氏:放射能汚染について@CNIC【NHK ETV 放射能汚染地図の様子など】①
再び、NHK ETV特集「ネットワークで作る放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月~」などに関連しています。

一か月ほど前の講演会ですが、依頼もありましたし、Bochibochiの勉強にもなるので、UPさせていただきます。
是非ご覧になってみてください。
河田さんについては、6月に講演会を見て、ひまわり除染についての問題指摘に衝撃を受け、Bochibochiも自分なりに拡散して動いてはみたのですが、結局止めることはできなかった経緯があります・・・。

時間的にも結構な量がありますので、ぼちぼち上げさせていただきます。ご了承ください。

2011年11月13日 木村真三氏+河田昌東氏の講演会
 「放射能汚染時代を生き抜くために~チェルノブイリから福島へ~」
【動画】
111113木村真三+河田昌東講演会1-河田氏
http://www.ustream.tv/recorded/18719180 (42:53)
111113木村真三+河田昌東講演会2-質疑応答
http://www.ustream.tv/recorded/18719744 (64:35)
111113木村真三+河田昌東講演3-木村氏
http://www.ustream.tv/recorded/18797990 (92:06)
111113木村真三+河田昌東講演会4-Cラボ報告
http://www.ustream.tv/recorded/18735843 (17:32)

【以下、お時間のない方のために内容を起こしています。ご参考まで】

(河田氏)
 ご紹介いただきましたNPO法人チェルノブイリ救援中部のの河田です。
 私どもは21年間からですね、チェルノブイリ原発事故の救済にいってまして、いろんな活動をやってきました。その中で学んだり見たり聞いたりしたことを、日本国内に伝えてですね、原発事故が起これば、こういうことになるんだよということをしてきたつもりであります。
 しかしながら、残念なことに、こういう事態になってしまいました。
 今後我々がどのように放射能と付き合っていけばいいかということを、これから皆さんと一緒に考えていかなければいけないわけで、今日私は一般論ですけれども、チェルノブイリの事故とそれから、福島の事故と比較しながら、事故そのものの性質がどういうものであったのか、どこが同じでどこが違うのか、何が原因なのかということをお話いたします。時間に余裕があれば、私どもがこの5年間、ウクライナのナロージ地区の汚染地域で行ってきた農地の復興事業についてもご紹介したいと思います。よろしくお願いします。
 最初の写真は、これは25年前の4月26日に起こったたチェルノブイリ原発4号炉の爆発の後であります。
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 今年はがちょうど25年前ですから、いろんなイベントをやる予定でいたんですけれども、3月に福島の事故が起こりまして、その予定は大幅に変わらざるを得なくなりました。
 見るも無残な光景になっています。
 実は、この事故が起こった時に、ソ連政府でしたけれども、この事故を世界に隠しておりました。我々も事故直後、そういう事故があったことを知らなかったわけですね。

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 この新聞を見ればわかりますが、事故は4月26日でしたが、この新聞のニュースは4月30日。なんかすごいこと書いてありますが、大変なことが起こったということは判りましたけれども、中身は新聞社には申し訳ないんですけれども、かなりデタラメです。

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 しかしその後2,3年して、ソ連の最後の大統領でありますゴルバチョフさんが、情報公開を認めました。グラスノースチといいますけれども、それによって被害が具体的に何が起こったのか、ということが判ってくるようになりました。
5 その結果を受けて、私たちが実際にウクライナに行くようになったわけであります。
 えー、実は、このチェルノブイリの事故の直後にですけれども、日本の電気事業連合会がこういうパンフレットを全国に配布しました。
『あのチェルノブイリの事故というものは、特殊な社会体制、社会主義ですね、それから日本の原発が全く炉型の違う、そういう特殊な原子炉なので起こった事故である。だから日本ではこういう事故は起こりません』
というふうなことを高らかに宣言したわけです。
 しかし、それから25年後に起こったことは、ほとんど同じであります。事故の経緯は違いますけれども、これまで語られてきたところによりますと、結果に関してはよく似ております。

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7 これは事故から数年間かかって作りあげた石棺と我々は呼んでおりますけれども、急ごしらえで作ったためにですね、地盤の不当沈下が起こって、今あちこち痛んでおります。屋根に大きな穴がいっぱい空いてて、雨が降ると放射性の汚染した水が溜まって、それが地下水に流れ込む危険があるということですね。
 この一回り大きな石棺でこれを覆うという計画が、今進められています。
 このように、事故がおこった原発というものは、非常に長期間、安全のために管理をしていかなければいけないのがよく判ります。
 もちろん、福島の場合にもですね、4基同時に事故を起こしたのですから、もっと長い時間、もっとたくさんの資金、或いは労力が必要になるのではないかというふうに思います。

8 このチェルノブイリの事故の収拾ににあたったですね、原発の専門家が、レガソフ、非常に有名な物理学者だったんですけれども、原子力研究所の所長だったんですが、彼は事故の収拾にあたってですね、陣頭指揮をとりました。そして、被曝によって2年後に亡くなったということであります。それを踏まえて考えるとですね、今の日本のいわゆる原子力村といわれる住民の方達は、果たしてここまでやってるのか?非常に疑問に思います。


 これからその事故の比較をしながらお話いたしますけれども、まず、チェルノブイリの事故というのは、すでにご承知かもしれませんけれども、制御に失敗して核暴走が起こった、そして爆破したということになります。
 核暴走っていうのは言ってみれば、原爆ほどではないにしても、そういう原爆よりはゆっくりではあるけれども、制御できない爆発が起こったということであります。
 あとで判ったことでありますけれども、ある特殊な領域において運転すると、突然暴走するっていう設計ミスがあったというふうに言われています。もちろん、運転員たちはそういうことを知らないで運転したわけですから、運転員たちに罪は無いということは??白であります。
10 これは、ソ連政府が発表したデータなんですけれども、予定出力って書いてあるところがあるんですけれども、「危ない」と思って緊急停止ボタンを押したときには、すでに遅しですね。数秒間の間に2回、大爆発が起こりました。1というのが100万キロワット。通常出力ですね。そして二つの爆発の大きい方は、実に100万キロワットの原発で4億キロワットの熱が出たわけですから、もつわけがないわけであります。

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 えー、事故は黒鉛炉という原子炉だったんですね。その熱によって黒鉛に火が付きました。そして10日間燃え続けました。10日目にですね、突然下がりますけど、これは空から大量の鉛とか粘土とか、或いは核分裂を抑制するホウ酸を落としてですね、収束させたわけであります。

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 その関係で、大量の被爆者も出ましたし、これは、私が撮った写真なんですけれども、ヘリコプターとか汚染した車両の墓場があちこちにあるわけで、この写真を撮るときに近づいて行ったら、100mくらいだったでしょうかね、近寄ろうとしたら、
「危ないから、やめろ」
と言われましたけども。

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 こういうふうに、チェルノブイリの爆発によって、非常に大きな犠牲を払ったわけで、それに対して福島は、核暴走ではなくて、水素爆発であるというのは、皆さんご承知のとおりであります。
14 なぜ水素爆発が起こったかといいますと、二つの冷却に失敗しました。
 一つは炉心をずっと冷やし続けなければいけない。
 もう一つ、今回非常に問題になったのは、使用済燃料プールっていうそこも冷やさなきゃいけないわけですけれども、そこの冷却も失敗したということで、ご承知の通り原発派3年に1回くらいですね、燃料を交換します。取り出した燃料自体もまだ熱いわけなんで、ずっと冷やさなきゃいけない。ところが、そのプールも冷却水がまわらなくなったということです。

 これはその水素爆発の瞬間の写真ですが、ご覧になった方も居ると思いますけれども、なんかその核暴走と水素爆発では規模がもちろん違うわけですけれども、それにしても大変な爆発だということがわかります。南相馬におきましても、この時の音を聞いて震え上がったという方もいらっしゃいます。
13 なぜ、冷却装置が緊急時の冷却装置が必要かといいますと、今、ちょっと言ったんですが、原子炉の炉心というものは、制御棒を入れて核反応を止めても、膨大な熱を出し続けるわけです。熱と放射能は並行してます。放射能が半減期でどんどん減っていくにつれてて、いつも減っていくわけですけれども、その間ずっと冷やし続けなければいけないとなっております。
 その二つの冷却に失敗した。
 それから、なぜじゃあ水素が発生したかということですけれども、ちょっと細かい話になりますけれども、これは燃料棒の構造と性質によります。

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 ウラン燃料は非常に細いパイプの中に入って、それを束にして燃料集合体という構造を作ってるわけですけれ16ども、この断面図、燃料棒を手に持ってるのが実物大模型ですけれども、非常にか弱いというか、華奢な構造です。直径1㎝くらい。長さが4mありますけれども、このさやはジルカロイっていう金属、合金でできてますけれども、厚さが1㎜もない、1㎜弱くらいの構造であります。
 盛んに核反応が起こってる時には、真ん中の温度は2500℃を超えています。冷却水は300℃から350℃ですから、もしこの冷却水が無くなって回らなくなったら、順番に溶けてしまうということは自明のことです。
 さらにこのジルカロイという合金は水と反応して水素を発生するということがわかっているわけですから、そういう一瞬たりとも冷却を止めるということはできないということは、わかってたはずなんですが、なぜかこれは新聞ですけれどもね、東京電力は、
17『水素が発生するとは思っていませんでした』
と正直におっしゃってますけれども、当然、ですから大量の放射性物質が飛び出してきたときに、ベントっていうのは外に出して圧力釜自体を守るという、
『それの手順もよく判らなかった』
ということです。

 爆発した後も、こんなふうに放射能を含んだ蒸気がどんどん出ておりまして、現在は随分少なくなっていますけれども、これが水を注入なくても100度以下になる状態を『冷温停止』と言いますが、年内いっぱいかかるんじゃないかと政府は言っております。

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19 それから今回非常に問題になったのは、炉心溶融によって圧力容器、それから格納容器まで壊れたということであります。
 『メルトダウン』っていうのは、まぁ炉心が溶けてですね、窯の底にぼたっと落ちることを『メルトダウン』って言われていますけれども、それが窯に穴があいて、溶けた燃料が外に出た、これを『メルトスルー』言っております。なぜそういうことになったのか。
 実は、圧力容器というと、なんか巨大な圧力釜なんですけれども、底がツルっとしていて、如何にも頑丈そうに見えると皆さん思っておられる方が多いんじゃないかと思います。
 実はそうではありません。

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 この写真は、浜岡1号の圧力容器の下なんですけれども、福島も全部似た構造をしております。こんなふうに窯のしたには大量のパイプが突き刺さっています。なぜかと言いますと、まずは緊急時の制御棒を挿入するための案内管というパイプがあります。そのほかに、中で核反応がどれくらい起こってるか、常時モニターさせていますけれども、そのモニターをする装置をまたパイプを通じて中にいれてあるわけです。

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 左側が制御棒の案内管、それから右側がインコアモニタハウジングと言いまして、反応のモニターする装置をを挿入するパイプであります。
 で、この厚さ16㎝の圧力容器の壁を突っ切って、パイプが上のとこだけですね、溶接されてるわけでありますけれども、ここにとけた3000℃以上の燃料がぼたっと落ちてくるわけですね。あっという間に溶接は溶けてしまいます。そしてパイプがどさっと落ちて、左側のパイプの直径が約10㎝です。
 政府はどうも、まだ誰も見てないわけですけれども、圧力容器には直径1㎝くらいの穴が複数個空いているといいますから、まず間違いなく、この制御棒のパイプが溶け落ちたと思います。そこから溶けた燃料が下に落ちます。これが『メルトスルー』であります。
 こういうパイプは、圧力容器の下に100本以上あります。このプラスの部分、或いは丸の部分は、全部パイプの位置を示しています。

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 ですから、『メルトダウン』が起こった途端に、どこからでも『メルトスルー』が起こる構造になっています。つまり、これは沸騰水型の原子炉ですけれども、『メルトダウン』ということは絶対起こらないんだという前提で設計されたものであります。
 よくしばらく前までは、
「原発のメルトダウンは起こらない、起こっても100万年に1回だ」
というふうに随分言っていたわけですね。
「それくらいの確率でしか起こらないわけから、こういう構図にしても大丈夫だ」
といっていたわけです。
 しかし、その100万年に1回が起こってしまったわけであります。

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 さらに飛び出した燃料が、格納容器まで穴をあけて外に出て、地下水を汚染した疑いがあるといっておりです。
 政府はそれが地下水に浸透して、更に海に流れていかないために原発全体を海側に囲い込むような形で地下30mの遮水壁っていいますが、それを作ると言っております。工事費がこれだけで2300億円かかるといってますから、非常に大変な工事になるわけでありますけれども、今回の『メルトダウン』、『メルトスルー』というのがそういうことまで起こってしまったわけで。
24 飛び出した放射能について、よく議論があるわけですけれども、これは8月25日ですね、政府が発表したものですけれども、広島原爆と比べると、セシウムの量について168発分であるというふうに言ってます。チェルノブイリの場合には、これまで500発分ということがわかってますので、大まかにチェルノブイリと比べれば、放出したセシウムの量は約3分の1くらいというふうに考えられます。

 今までの政府、或いはソ連政府が発表した数字を元にまとめると、こうなります。いちいち説明する時間はありませんけども、一つ特徴的なのは、セシウム137っていう半減期の長いセシウムと、それから134というのがあるわけですが、これがチェルノブイリの場合にはおおよそ2対1、福島の場合には1対1と書きましたけれども、もしかしたら1.2対1くらいかもしれませんが、割合が違うということであります。ということは、半減期の短いものが福島の場合は多いわけですから、チェルノブイリと比べて割と早く減っていくんじゃないかと、これはシミュレーションすればすぐわかりますけれどもっていうふうに思います。

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 あと問題になるストロンチウム90とかプルトニウム239の量も、チェルノブイリと比べますと大幅に少ないということが判ります。

<19:30頃~>
 さて、影響であります。
 10日間で飛び出した放射能によって、土壌が汚染したわけでありますけれども、その間あっちに吹いたりこっちに吹いたりした風によって、まだら模様に汚染したわけであります。

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 我々が支援してるのは、ウクライナのジトーミル州というところなんですが、面積にして岐阜県と長野県をあわせたくらいの広さがあります。上半分が汚染地域であります。
 これは拡大したとこです。上が30㎞です。これはナロジチ地区のことについては、後で木村さんがここのさまざまな病気について調査をされておりますから、詳しい話をしていただこうと思います。我々は、この村で汚染した農地の復興事業を5年間やっております。

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 これはナロジチ地区の行政長からいただいたデータですけれども、事故直後の空間線量率です。レントゲンで表示してありますけれども、これをシーベルトに直しますと事故直後27日なんですね、1時間あたり30ミリシーベルトというものすごい被曝線量です。ここに10時間いますと300年分の被曝をしてしまうということになったわけです。

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 日本の福島でいえば、ほとんど原発のそばの空間線量に近い値ということになります。
 事故から最初に1日、2日の間にものすごい被曝をうけたということが判ります。
29 これはよく本にも出てきますけども、汚染面積ですが、ウクライナ・ベラルーシ・ロシア合わせて12万平方キロメートル、日本の面積の約3分の1にあたります。中部地方全体くらいの面積になります。
 これはちょっと古いんですが、文科省が発表した福島周辺の汚染地図であります。これを見てわかるのはですね、緑色よりも内側の範囲、これが60万ベクレル/平方メートル以上ということになります。
 昨日かな、新聞でもうちょっと詳しい地図が出まして、そっちは60万ベクレル以上のホットスポットは群馬県、或いは宮城県にまで及んでるということが、最近わかっています。

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 なぜこれを出したかと言いますと、ウクライナ、或いはベラルーシの場合には、1平米あたり、55万5000ベクレル以上のところは居住禁止区域になってるからです。
 しかし、今福島ではそういうところにたくさんの人々がまだ住んでおられるわけです。 これを数字にしますとこうなります。

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 第1ゾーンと第2ゾーンが、その55万5000ベクレル以上でありますけれども、これは空間線量にしますと、年間5mSv以上にあたるというふうに言われています。これは国際的な放射線防護の約束ごとからすると、非常に合理的なんです。皆様が病院とか大学に行くと、放射能のマークが貼ってあるところがありますね。あそこは5mSv以上の被曝の危険があるので、一般人は立ち入ってはいけないっていう、そういう管理区域なんです。
 ですから、それ以上の被曝の危険があるところには、住んではいけないというのは非常に合理的です。
 しかし、今現実の福島は、こういうレベルを遥かに超えているところがたくさんあるわけですね。しかもそこにまだ人が住んでいる。
<23:25頃まで>

【その②】に続きます。
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