※この記事は、11月18日 【内容起こし】 百人百話 第10話 "BOND&JUSTICE" DJ mambow さん【その①】に関連しています。

【動画】11月21日 百人百話 第十一話 志田守さん
http://www.ustream.tv/recorded/18662976 (63:36)

【以下、お時間のない方のために内容を起こしています。ご参考まで】

2011年9月1日収録
Q.自己紹介をお願いします。
福島県郡山に住んでおります、志田守といいます。
えー、年齢は、今年の5月1日で還暦を迎えました60歳です。
もう60歳なんですけども、子供が二人おりまして、3歳の子供と6歳の子供がいて、子供の子育てっていうのは、かなり私自身としては、満点に近いのかなということをやっていて、仕事がたまたま夜しかないものですから、日中はほぼフルの状態で、生まれた頃から子供とはだいぶ接していて、たまたまうちの女房が息子が生まれた時、3か月目に仕事をちょっと復帰したいということで、
「2か月ほど依頼されたので、どうですか?」
って聞かれて、
「ちょっと待て。一晩考えさせてくれ。」
と。まぁでも一晩考えて、多分男ができないようなおっぱいを直接あげることが出来ないくらいで、ほかは多分やる気になったらなんとかできるだろうっていうことで、妻のほうにはOKですっていうことを出して、うまくやろうかなって思ってたんですけども、そこは悲しいかな男性なので、一番やっぱり泣かれたときに、子供が泣くとおっぱいがほしいとかっていうのがまず小さい場合は多いんですけど、すぐ哺乳瓶にミルクを入れてお湯を沸かすんですけど、お湯を沸かすだけで時間がかかってしまいますよね。
 その間子供を見てるとだんだん泣き疲れてきて、よしよしよし、あやしたりするんですけど、なんとかできて、おむつの交換とかも、もううちは紙おむつじゃなくて、布おむつを使おうっていうことで、多少苦労したほうがいいだろうって。
 逆に普通のお父さんたちが味わえなかったような子育てっていうのができたので、2か月間でしたけども、とても楽しく、いろんな発見がやっぱりこうありましたね。
Q.そこに3.11が襲ってきたのですか?
 そうですね。
 3.11、多くの方がご存じだとは思うんですけど、ちょうどその時、私は2階に居たんですけど、その3歳の娘、下の女の子なんですけど、その子と2階にいたら、最初はそんなに感じないようなトントントンくらいの地震だったんですが、別にそんなに心配しなくていいだろうと。
 そのうち揺れがとてつもなく大きくなって、なんかやっぱりちょっと子供も怯えてるというか、生まれて初めての3歳で経験ですから、で、テーブルの下にもぐって、ちょっとあと一人中学3年生というか、生徒が一人居たもんですから、3人でテーブルの下にもぐって、なんとかやり過ごそうということで。
 ちょうど教室にいたもんですから、かなり本はいっぱい、私持ってるんですけど、本がとにかく前からどんどんどんどん落ちて崩れてきて、テーブルの下にいるんですけども、かなり当たってぶつかってくるような状態で、ちょっと子供たち、少し怖がってぶつからないようなところに少し場所を移動したりとか。
 まぁかなり長く感じましたね。通常の地震ですと、せいぜい1分とかそんなもんだと思うんですけど、5,6分くらいの感じで、それが、それ以上に本当に感じて。
 ちょうどお兄ちゃんはまだ5歳だったんですけど、下に妻とお兄ちゃんのほうがいて、そちらを確認する余裕は全然なくて、自分たちのことだけで精一杯で、多分なんとか女房は女房でやってるんだろうなっていうことで。
 揺れがやっと終わったので、2階から下に降りようかと思ったんですけども、2階、今思えば内階段と外階段があったんですけど、内階段のほうは本棚が倒れて戸が開かない状態になってて、「ちょっとここからは出られないな」ということで、外階段の方に出て、外階段の方に出て、3人で出たんですけども、「ちょうど階段下りようかな」と思った瞬間にまた余震があって、かなりやっぱり大きな余震で、ちょうどブロック塀が20mくらいあるんですけど、それちょうど上から見てたら、ブロック塀が完璧にしなってるわけですね。
 さすがにブロック塀がしなってるっていうのを私は見たことなかったもんですから、これはとんでもないことが起きてるんだな。
 たまたま隣にお母さんと子供さん、やっぱり小さな子供さんが逃げてて、「ちょっと塀が倒れるかもしれないから、塀からは離れてください」みたいなこと言って。
 でもその余震が終わって、やっと外階段から外に降りて、中にいる妻と子供の安全を確認しようと中に入ったらば、「とても怖かった」ということで、でも二人とも無事だったので、まぁうちにいた5人は皆大丈夫だったので、それはそれでとてもホッと安心したんですけども、まぁ、その夜は、やはりまだ余震が続いていたので、そこらへんずっと余震が続いていたので、子供たちは何かがあったらば、またその避難させなければいけないということで、通常ですとパジャマを着せるんですけども、パジャマは着せないで洋服のままいて、いつでも逃げれる体制でまずいようと。
 ちょうど福島県はそのころまだ冬の最中のような状態なもんですから、みぞれ混じりの雪になっていたり、水がまず断水して使えない状態で、たまたま我が家は井戸水があったので、実は水に関しては大丈夫だったんです。
 あと、ガソリンが全然手に入らなくて、最初のころは規制がかかっていて、10リットルまでしか入れられない。それも結構2,3時間並んで。そのあと20リットルになって、5月の確か連休あけたくらいだと思うんですけども、自由に買えるようにはなったと、そういう状況だったんです。
Q.原発の震災に気づいたのは、いつ頃ですか?
 原発、震災について気づいたのは、3月20日くらいだと思うんですけども、たまたま近くにフランス人の知り合いの方が居たので、その方から電話が掛かってきたんです。
「どうして居るの?」
って言われたんですけど、その質問の意味が最初よくわからなくて、
「なぜ?」
と聞いたらば、
「僕たちは政府の方から、ちゃんと指示を受けて、80㎞圏外に避難しなさいっていうふうな指示を受けたので、11日の翌日、12日ですか、たまたま福島に飛行場があるんですけども、走れる状態だったようなので、(彼らは家族4人で、3歳と6歳の子供も居るんですけど、)大阪の伊丹にほうに飛行機で飛んで、無事80㎞圏以上のところに行って。当然、宿とかも用意してなかったようなんですけど、たまたまお寺のほうに泊まることが出来て、お寺で家族でそのまま生活することになってるんです。」
 当然彼はフランス人だったものですから、
「イギリス人とかアメリカ人とか韓国人とかいろいろな方が居て、みんな同様に80㎞圏外に避難してる。どうして避難されてないんですか?」
と言われたから、
「ちょっと待て。そんな大変な状況なの?」
と。それでちょっと聞いたらば、なるほど。テレビで私たちが見てたのは、皆さんいろいろご覧になってると思うんですけれども、枝野官房長官が、よく出てきて、
「安心です。安全です。ただちに被害はありません」
という言葉を何度も何度も、リフレインしてたので、
「とりあえずは政府が言ってるんだから大丈夫なんだろうな」
という気持ちで受け止めてたから、そんなことよりも余震がとにかく続いてたので、その度に家族、子供たちをテーブルの下に避難させるとか、そちらの方・・・ばっかりだったもんですから、インターネットは少し私の方は使えなかったりしたので、ちょうど11日のときに、全部下の方に落っこちたりしていたので、設定がうまくいってなかったもんですから、あまり。
 彼に言われて初めて、その
「あれ?、原発確かにあるんだけど、どうなってるんだろう?」
ということで、フランス政府がそういうふうに日本に在住されている方に、指示を出したっていうふうに私自身は受け止めてるので、原発事故による放射能漏れというのがあって、それが多大なる被害を及ぼしているっていうふうに、お話は受け取って、それから私自身が情報収集ということで集めて、家族のことをなんとか守らなくてはいけないっていうふうに体がすっとシフトしてきた状態でした。
Q.最初にどのような情報収集をしましたか?
 その原発に関して、インターネットでグーグルなんかで検索すると、たくさん情報が出てきてたので、最初は多分、新聞とか個人のブログとか、そういうのを見てて、ちょっと日にちはよく覚えてないんですけど、中部大学の武田邦彦さんがブログやっていて、それを最初、そこでかなり私は情報収集して、ただその・・・、福島県の災害対策本部のほうにも電話をかけて、
「一体どういうふうになってるんだ?」
とちょっと確認したんですね。
 そしたら、その当初は県の原子力のことについて、いろいろコメンテーターが居て、その人によると「安心です」と言われてて、
「それって誰なの?」
って聞いたらば、
「長崎大学の山下教授という方が、そういうふうに県の原子力災害対策アドバイザーになっているので、そんなふうになって情報を出してますけども、そんなに心配される必要はありません」
というふうに電話でお聞きしたんですね。
 24,5日くらいですね。3月のです。
 でも、武田邦彦さんのブログを見ると、かなり毎日、下手すると1日3回くらいとかUPしていただいたので、それは本当に藁をもつかまるような気持ちでそれを見てて、なんとなくむしろ武田さんの言ってることの方が信じたいし、信じられるなということで、ブログの方をかなりこまめに見て、やっぱり私自身よくわからなかったのは、
「100mSvでも大丈夫です」
というふうに、あのアドバイザー、山下教授は言っていたりしていた反面、武田さんなんかは、1mSvって言ってて、最初私もその単位なんかもよく・・・、普通の福島県の多くの方は、よほどじゃない限り原子力について、あまりほとんど何も判ってなかったというような状況だったんですけど、だんだんだんだん勉強していくうちに、いろんな言葉が、『ヨウ素』だったり『セシウム』だったり、或いは『セシウム137の半減期は30年』とか、だんだん武田さんのブログを読むことによって知識が増えてきて、いろんな方が言ってることが自分の中である程度整理整頓されて、受け止めるように自分自身が変わってきたわけですね。
『自分の子供たちをこのままここに置いておいていいのかな?どうなんだろう?』
 っていうことで、まず悩み始めて、たまたま妹夫婦が静岡にいるもんですから、
「ちょっと子供二人と、当然小さいので妻も一緒に行かないとダメだから、3人ちょっと疎開させてほしい」
ということで言ったら、
「大丈夫だよ」
っていうことだったので、4月の7日、今考えるとちょっと遅かったかなと思うんですけど、4月7日から5月の21日まで、44日間ですか。静岡のほうに疎開させて、考えてみるに、
我が家の子供たちは、何とか福島県から避難させることができた。
 でも、多くの子供たちは、その頃外を歩いていると、マスクもしないで歩いていたり、或いは公園なんかでも、まだ最初のころは知らないお父さん・お母さんが子供たちを遊ばせている、そういうのを見た時に、
「何かが間違ってるよな。これは、まるっきりこんな状態で居られるわけじゃない」
ということで、自分の中で
「よし!福島県の子供たちを、みんな疎開させてあげよう」
って、まぁ自然に心の中から湧き上がってきたんですね。
 でも、1人の私がそういうことを果たして、どこまでできるのか・・・、子供たちを避難させたいという想いは湧き上がって来たけれども、それを具体的にどういうふうにしたらいいのかっていうのが、まだその頭の中ではまとまっていない状況だったんですけれども、私は60歳なんですけども、38歳までミュージシャンをやってました。
 ミュージシャン、所謂芸術といいますか、何もないところに何かを作るっていう仕事をしていたので、私にとって何もないことは、そんなに困難な状況とはこれっぽちも感じていなかったので、「想いがあれば形になるだろう」っていう自分の中の直感はあったので、普通の方とはそこらへん全然発想が違うんですけども、「まぁ何とでもなるな」というふうに自分が思って行動すればいいだけだ・・・。
 その時に1人だけじゃちょっと無理なので、悪いんですけども、3人でいい、3人いたらやっぱり音楽仲間のバンドのトリオっていうのは、基本カルテットもあるんですけども、3人であればいろんなことが動けるだろうなということで、それでたまたま32歳のまたきたはるなさんっていう方が、
「私、手伝います」
ってまずいってくださって、もう一人郡山市市議会議員の蛇石郁子さんという方も、
「私もお手伝いできます。ただ私はちょっと仕事がある関係上、そんなにいつもいつもできるわけじゃないけども、是非やっぱり何かしたい」
ということで、
「はい。わかりました」
ということで、じゃあちょっと3人でいろいろ話をしようということで、翌日3人で話をして、私のまず想いを2人に伝えて、子供たちをなんとか避難させたい。そのためには、具体的に何をどういうふうにしたらいいのかなっていうのは、まだわからないんだけれども。それを多くの人に伝えなくてはいけないなと思って、そのためには何をすればいいんだろう?じゃあ、チラシを作るなり何かやっぱり告知しないと難しい。5月の14日、メーデーの大会だったんですけど、そのような状況だったので、メーデーというよりは原発のほうの話になってたもんですから、そこでチラシを作って、
『避難をするために・・・悩んでいたり、何とかそれを具体的に実現したいって思っている方は来てください』
みたいな内容のチラシを書いて、団体の名前というかそれも必要なんだろうなということで、
ハーメルン・プロジェクトという名前を私が考えて作りました。
Q.『ハーメルン・プロジェクト』の名前の由来は?
 ハーメルン・プロジェクト、まず頭の中に今回の放射能汚染のことについて、3つイメージがあったんです。
 一つは、皆さんご存知のように絵本で『ハーメルンの笛吹く男』というのがあるんですけども、それはまず一つ頭の中に浮かんで、つまり、
「何か大切なことをやはりやらないと、とんでもないことになるよ。約束をきちんと守りましょう。」
 今回のその放射能汚染のことを見ると、『約束』というか、政府は本来ならば国民を守る立場にあるはずです。いわばお父さんでありお母さんだと思うんです。子供たちを守る。
 ところが、見ていると、政府は私たち福島県民に対して、何も動こうとしない。
Q.『ハーメルン・プロジェクト』の活動内容は?
 最初はやはり相談を受けて多かったのは、
「父親が福島県の中で仕事をする。お母さんと子どもが避難したい。そのために週末あたりお父さんがすぐ家族に会えるように、できれば近くはありませんか?」
ということで、今回は新潟県はかなり中越地震なんかでもあった経験も持っているので、地震に対してはいろいろ動いてくださって、新潟は隣の県なんですけども、日本海までいってるので、放射能値なんかも低い。隣の県であるにも関わらず低いというような状況があったので、新潟県に避難を希望される方は結構多くて、そのほかだと山形だったり秋田だったり、どうしても東北が良いという方は仕事の部分で・・・お父さんが仕事をされてるんですけども、そのお父さんが週末行ったりとか、そういう部分で良いという方が支援してて多かったように見られます。
Q.生まれ育った風土から離れがたいといった感傷的な理由もあるのでは?
 風土、福島県とどうしても東北って近いし気候もそんなに変わらないので、「できれば近くでやり過ごしたい」というようなお気持ちでいらっしゃる方が多いなっていうふうにも、実際は感じました。
 今回は私、一番やらなくてはいけないなと思ったのは、お金の持っている方はかなり早い状態で避難されています。あと、正しい知識を持っている方も避難されてます。
 問題は、お金にあまり余裕が無い方とか、或いは知識を正しく、今回のことに対して、持ってない方々。この方々はなかなか動くのが困難な状況に。
Q.メディアによって情報の差はありましたか?
 多くの福島県の人たちは、「まぁあまり大したことが無い」というふうに感じてらっしゃる方が、お話したりすると
多いんですけども、それは最初の枝野官房長官が
「安心です。安全です。ただちに被害はありません」
あれの『安心です・安全です』教、或いは『安心です・安全です』という、その政府の思いに、多くの国民が乗りたい。むしろやはり私なんかでもそうなですけど、「楽になりたい」という気持ちは当然ありますので、そこら辺のメディアのコントロールがとてもよく効いたなというふうには、私自身は感じていて、残念ながら、私は枝野教は全然信じてないので、信者にはならなかった関係でものごとをよくクリアに比較的見られたポジションに居た。そのおかげで今回の私たちの活動というのもできた。
 正しい情報を得たので一番大きかったのは、『インターネット』から、自分で調べて、あとはそうですね。いろいろニュースなんかでも、結構まともなこと言ってるなというような新聞記事でもあれば・・・、でも一番大きかったのはやっぱり『インターネット』から入ってくる情報っていうのは、私にとってはとても有効な情報でした。
 私はインターネットなり本で、或いは講演会で知識を得て、或いはそういうことをやらないで、NHKなり3大新聞、そちらの方の情報で済ませてきてしまった、そこには相当かなり大きな格差があって、私たちもいろいろスタッフなんかと話してる中で、
「やはりもうちょっと情報格差を減らすために何をすべきなんだろうか?」
と。
 やはり一番インターネットが見られないような方もいれば、或いは携帯電話くらいでしかアクセスできないような人。
 やっぱりその人たちに今の情報をもっともっと知ってもらうという意味では、やはり紙媒体の部分でいろんなところにネットワークよりもむしろフットワークですか。それを使ってお店だったり、或いは何か講演会か何かがあった際に、
「こんなことがありますよ」
 そういうことをやはり知らせる必要性というのは、すごく感じていたので、私たちもできる範囲の中でそういう部分を紙媒体の部分を担ったり、或いはほかでもいくつかグループがありますので、そちらのほうの方とも連携プレーして、できるだけ正しい情報を紙ベースで流そうということではやってきましたけども、なかなかそれを全部全てやるっていうのは、とても困難だなというのは、今でも感じています。
 メディア・・・からの情報というのは、やはり、多くの方はテレビを持ってますのでテレビをつければすぐ見ることができます。
Q.メディアの違いによる認識の差には、どのようなものがありましたか?
 新聞もたくさんの新聞をとってるわけではないでしょうけど、一つ二つは皆さんとってますから、まず朝テレビを見て、新聞を見て、
「今どうなってるのかな?」
 そういうことは、多くの福島県の方々はやってきたと思うんですけども、何人かとも近所の方ともお話したりして、こんな話をするとどうしても
「そんなに危険なんですか?」
というふうに・・・、話されてくる方が多いんですけども、メディア・・・のやはり、影響力っていうのは、逆な意味で私は無視できないなと思って、自分でもハーメルン・プロジェクトというブログで情報を発信したり、ただそれもやはりコンピュータ、パソコンをいじれる人に関しては、それはそれで見られるんでしょうけど、持ってない方とか、年配の方とかは当然そういうものは持ってませんので、或いは都合のいいようにものごとを解釈するというか、歳をとってれば中高年であれば、確かに放射能の被害、そんなに細胞分裂少ないでしょうから、大丈夫だ。自分は大丈夫なんじゃないのかなと、これも多くの方がご覧になってたと思うんですけども、テレビで佐藤雄平福島県知事、或いは菅総理なんかが福島県の方に来て、画面の中でトマトをむしゃむしゃむしゃと食べられて、きゅうりをバリバリ食べて、
「福島県の農産物は安心なんです。皆さん食べてください」
 あの映像を見た時、私はとても不愉快な気分でした。
 何を考えてるんだろう?
 仮に体はまぁいいでしょう。でも、あのあとテロップを流すなり、一言言ってほしかったんですけども、
『これは、私たちは大丈夫です。だけど、こんなことは小さい子供は危険ですからやめてください』
それをテロップで流すか、もしくは一言フォローすべきなんですね。
 ただ単に「安心です」っつっておいしく食べてる、そうすると先ほどの情報格差で、正しく判ってない方は、多くの方々は、
「なんだ、福島県の農作物は安心なんだな。総理大臣も食べているし、県知事も食べている。何も心配しなくていい。スーパーに行けば確かに福島県産の農作物が山と置かれています。であれば、そんなに心配しないで食べよう」
 当然若いお母さんが、そういうものを買ってくれば、お家に戻って料理を作った時に、流石に離乳食にこれは使わないとか、或いは子供の夕食に福島県の野菜は使わない。そんなふうにはやはり思わないで、まぁ自然に買ってきたもので離乳食を作ったり、子供たちにそれを料理を作って食べさせる、そういう構図がシームレスに作られている。
<32:30頃まで>

【その②】に続きます。

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