※この記事は、11月15日 【内容起こし】IWJ百人百話 第7話 鹿目久美さん【その②】の続きです。

【動画】
11月16日 百人百話 第八話 島村守彦さん
http://www.ustream.tv/recorded/18552285 (47:36)

【以下、お時間のない方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2011年9月28日収録
Q.自己紹介をお願いします。
 島村守彦といいます。生まれは大阪生まれです。それから兵庫県に移りまして、今年齢は、昭和33年生まれ、53になります。
 この福島に来て、福島というか、いわきに来まして、こっちには移住してきました。もともとは転勤族のサラリーマンをしてまして、日本全国をグルグル回るような仕事をしてたんですけど、縁があって福島のいわきに来て、この地が好きになって移住しました。
 家族は私、実は独り者です。こちらに私が来てしまったので、兵庫にいる母親がこちらのほうについてきちゃったという形で、今は母親と二人でこちらに住んでいます。
 仕事は、東北電力がよくやってる、各電力さんがよくやってるオール電化の仕事をずっとやってきてました。
 今はその流れで、太陽光発電、風力発電、そういう自然エネルギーのことをメインにやってます。

 私自身、こちらに来たというのは、ずっとサラリーマンやってましてね、その中で、たまたま兵庫に帰った時に、例の阪神大震災がありまして、それまでは、ずっと『サラリーマンをやってる=我慢をしながらお給料をもらってる』ような生活をしてたんですけど、けど、やりたいことはあると。いずれは一度訪れたいわきという土地が好きになったので、「この町に住みたいな、歳いったら住みたいな」と思ってたんですけど、阪神大震災に遭遇して、ちょっと考え方がコロッと変わりましてね、要するに
「悔いのない生き方をしたいな。後悔したくないな。失敗してもいいじゃない。」
というので、ちょうどこの隣の町に、郡山市というのがありまして、そこにたまたま転勤になったので、それはチャンスかなと思って、独立開業をこのいわきの土地で、全く親戚も友達も何も無かったんですけど、そういった中でしました。
Q.何年前にいらしたんですか?
 えー、ちょうどこちらに落ち着いたのは、8年になりますね。サラリーマンをやめて独立して始めたのは8年前です。
Q.いわきの魅力は? 
 いわきの魅力というのは、まず、そのままでおれる。
 あまり気を使わないというか、そういう自然体でおれるところかなと。まずは。 
 それとやはり気候が温暖で、海の幸、山の幸もいろいろ豊富で、地元の人からすると「何もない」というんですけど、私なんかは、兵庫大阪と比較的街のところにいましたので、「宝物がいっぱいあるな」と、特に一番最初にここにきて思ったのは、田園風景を見て、幼いころ、めだかとったり、カブトムシや、そういうような風景がまだ残ってる、そういったところがすごく良くって、ここにいずれは住みたいなと思ったのがきっかけであったんですけど、すごく、ちょっと人的にいいますと、やっぱり文化が違うので、関西とは。ちょっと溶け込む、受け入れて頂くには少し時間がかかる町ではあったんですけど、一旦受け入れていただけると、本当に楽に自分らしく生活できるところだなと思っています。
Q.福島県民の気質について
 福島、いわきも含めてですけど、気質からすると、非常にやはり私が感じるのは、『我慢強い地域』。隣組制度というのがあって、地域に根差した生活をされている、そういった中で、やはり、「これいったらいいんじゃないの、こうしたらいいんじゃないの?」というのを、うーんと、我慢されるようなところがありますね。
 例えば、いい方悪いですけど、関西の人だと1歩前行くと、3歩、4歩と前に来ますけど、こちらの人は、1歩前へというと、1歩反対に下がられるようなところがありますね。
 それが一番人としては。
 ただ、一度信用していただいて、中に入ることができたら、本当に家の中に入って、なんせ玄関がカギ締まってないお家が多いというような場所ですから、昔の日本が残ってるのかな。そんな感じだと思います。
3.11までに原発・電力業界に対する知識について
 仕事の関係で、こちらであれば東北電力さんという私自身も東北電力の指定店ということで仕事をさせていただいているような状態で、電力関係。あとは、この地域にはやはり、原発がある関係で、原発にお勤めの方が非常に多い。そういった中で、今第一のある大熊町というのは、非常に豊かな町だったんですね。
 特にその中でも、原発に行ってる人というのは、豊かな町、まぁそういったところでは、私の仕事というのは、どちらかというとそういった方をターゲットにしていた関係で、非常に東北電力の看板をいただいて、ある面では原発にお勤めの方、東電の社員さんにお客さんになってもらってるような関係で、非常にそういった面では、個人的な付き合いというのもありますし、仕事上のお付き合いということで、東北電力・東京電力の社員さんが多かったというので、私自身は太陽光とかいうふうなのやってますので、エネルギー問題については、もちろん勉強もしてはおったんですけど、原発自身は、私自身は、前はどっちかっていったら賛成派だったんですね。
 というのは、今現状、温暖化っていう、それまでは温暖化の問題というところで、確かに今の生活を維持しようとか豊かな生活をしようという中で、やっぱりエネルギーというものがどうしても、特にオール電化なんていうものは、原発ありきの世界なんですね。あれは、原発というのはご存知かと思うんですが、皆さん、一度100㎞で走ると、ずっと100㎞ずっとぶっ飛ばさないといけない。火力発電というのは、需要が多いとガーッと燃やして、少なくなると落とせばいい。ところが原発は100㎞で走ったら、100㎞でずっと走らないといけない。そういった中で、電気の需要というのは上がり下がりがあって、20くらいというのが一番電気の需要が高いんですけど、それに合わせて発電してる、夜間は余ってくるとか、余剰電力がでるという、そういった中で、深夜電力という制度が出来て、その中で深夜の電気を使って、お湯を沸かすとか深夜の電力を使って暖房するというのが、オール電化の基本。
 そういった仕事をさせてもらった中で、どちらかというと賛成派ではあったんです。
 『安全・安全』という神話も、ある面では信用してた。信用してたいうなかであったんですけど、ただ、今回の3.11というものがあって、私自身大きな間違いをしてたなと、そういうふうに世の中がビジネステイクに持っていかされてるその中に、流されてたんだなというのが、すごく感じました。
Q.3.11はどちらで何をされていましたか?
 3.11の時は、たまたま太陽光のメーカーさんとの商談で、東京に居ました。
 東京に居まして、帰れなくなった、要するに帰宅困難者になってしまいましたね。
 母親が結局、先ほども話したとおり、母親がいわきのほうにいましたので、なんとか帰らないかんということで、車を東京の友人に借りて、夜通し走って、いわきまで帰って、その中でたまたま、私、仕事の関係で東電の人とか、東電の環境測定をしてる会社の人間とかにも友人関係でありましたので、うーん。
 その戻る前に水素爆発を見て、「え!?」と思って、その後原発に行ってる友人から連絡があって、
「とにかく南へ逃げろ。100㎞以上逃げろ。とんでもない。」
Q.何日の話ですか?
 それはね、11日、12日、13日かな?ちょっとね、日にちがね、3日は経ってない。経ってないですね。その・・・
Q.14日の3号機の水素爆発よりも前ですね?
 あ、1号機の時点ですね。
 1番最初に爆発したのは、3号機だったっけ・・・?
Q.2号機から火災があったと言ってたが、実際は格納容器がふっとんでたと。12日。
 ですね。12日か。
 その時にたまたま、友人が??にいてたわけですね。それで、
「皆避難をしてきた。避難して避難室に行った。」
それで、その時に、一旦避難したんですけど、たまたま私もお客さんの関係で、東電原発の作業員に、原発東電の社員に、今回原発で3人の人が亡くなりましたけど、そのうち二人が東電の社員、1人が下請けさん、その亡くなった東電の二人のうちの1人が、実は私のお客さんの息子さんだったんですね。
 そういうような、いろいろ、仕事の関係とか友達関係があったので、たまたま連絡があって、
「逃げろ。爆発した。もう燃料が落ちとる。」
という連絡があったので、慌てて母親を迎えにいって、埼玉の、とんぼ返りで埼玉の弟のところまで行ったんですけどね。
Q.あの時点で東電幹部、社員、外部の人までが、メルトダウンの危険性を知っていたのですね? 
 水素爆発が起きる前の時点で、メルトダウン、その時は『メルトダウン』という言葉はあまり言われてなかったですけど、燃料が落ちてるという連絡があって、それは????社員ですから、だから、その時点で原発第一に居てる多くの人は、その事実関係を知ってた、知ってた。知ってるからこそ、このいわきの方に住んでる東電社員の家族を「すぐ真っ先に逃げろ」という事態になったんだとは思うんですね。
 でも、東電の社員の家族というのは、結構いわきの方に住んでるわけですよね。
 まずは私の個人的なお客さんもそうですけど、ご主人が東電、第一にいってるご主人から連絡があって「とにかく今すぐ逃げろ。とんでもない」というので、そういったことで家族をまず逃がしたと。
 それを見て、近所に住んでる人は、その人が東電の社員さんだということがわかってるわけですから、「え!?」というので慌てて逃げた。後を追いかけて逃げたというような人も多く、このいわきではありますね。
 いわきの人は、結構知ってます。知ってます。知ってたから慌てましたね。
 なぜかというと、やはり、この地域では一番人数も居るそういうところですし、下請けさんもいっぱい居るし、地域の人は、まずは東電の社員さんの家族がまず逃げた。それでびっくりしているという状況ではあったと思います。
Q.政府・東電の公式の対応と、現場の認識との落差について
 テレビを見てまして、テレビでの報道とかそういったものを見てて、私の友人とか各地から入ってくる情報と、メディアの情報が、もうこーんなに違うわけですよね。
 だから、何とかこう、ことを表に出さないように一生懸命してると。
 けど、多くの人は、メディアの放送を信用していたんだけど、たまたまそういった情報が私には入ったので、まずは私の友人関係に片っ端から電話したんですね。
「とにかく南に逃げろ。そんなことしてる場合じゃない。逃げろ」
と言って、その情報源を言ってしたんですけど、中にはやっぱり
「いや、テレビではこういってるから大丈夫だよ」
と。それを説得する、そういうことはだいぶあったんですけどね。それがあとあとになって、徐々に出てくる、先ほどちょっと話した東電の社員さんが亡くなったという事実関係も、もうその当日にね、亡くなってるだろうなというところ、情報はあって、それも一か月も後になって発表される、そういった、
「現場とメディアで出てる差に、もう驚くというか、何を信用したらいいのだろう?」という状況でしたね。
Q.政府が情報を隠していたことについて
 たまたま、私の情報を入れてくれてる友達というのは、SPEEDIを操作してた人なんですね。
「なんでこの時にこれを出さないんだ?出さないんだ?」
 そのSPEEDIという存在自体を、私は知らなかったんですけど、まさか私の知り合いをこれをやってたというのも知らなくて、それ自体を隠ぺい・・・した、それは、まぁ政府が隠ぺいしたというよりも、内容からすると、過去のことを考えると、やっぱり東電が隠ぺいした?ある面で政府も知らなかったのかな?というのが、それが事実かなとは思ってるんですけど、ただ、それによって、「避難が遅れた。避難が遅れた。被曝した」という、そういう事実があるわけですから、国よりもやはり、根本は東電の体質だと思います。
 だから、あの時に『南へ逃げろ、南に逃げろ。』
 それは私の友人、SPEEDIを知ってる私の友人から聞いたというのもあるんですけど、残念ながら、東電の社員の家族の方にも、
『みんな南に逃げろ、南に逃げろ』
個々にメールが来た、お父さんから電話が来た。
『南へ逃げろ。』
 なのに、なのに、報道には無い・・・<苦笑>。無いわけですよね。
 その事実、「なんで逃げないといけないのか?」というのは、要するに「メルトダウンをしてるから逃げないといけない」という。
 「なんで南なのか?」というのは、「SPEEDIの情報があるから南なんだろう」と。
 だから、そういうような…隠蔽、今思えば隠ぺいでしかないんですけど、そういった情報は、第一の中では皆わかってた、判ってたから家族に連絡。
 だから、このいわき地区、それ以外の地区でも、その関係者の家族は、北に逃げる人は居なかった。皆南に逃げた。それは事実ですね。
Q.その事実を知った福島県民の反応はいかがでしたか? 
 あとは、福島県の県民性というのか、あの、その事実関係というのも、みんな、後で気が付いたのかというのもあるんでしょうけど、その情報が入ってたという人も多くいてたと思うんですね。
 なのに、それよりも地震による停電であるとか、水道が止まったという部分で、ある面では一気にいろんなものごとがあまりにも起きすぎたので、原発イコール、それのみだったら行動はまた変わってたと思います。はい。原発のみだったら、また変わってたと思うんですが、たまたま地震があった。津波があった。そういった中で、原発、その事実関係がもしかしたら、ちょっと割合的には、3分の1になっちゃったというのがあって、こういうその時のその状況になったのかな?という気はしています。
Q.ご自身はどちらに逃げましたか? 
 私は、埼玉に居る弟のところに、母親を迎えに行って、逃げたという形ですね。
 約1か月ほどいました。1か月弱ですか。はい。
Q.避難していた1か月間は、どのように過ごしていましたか?
 その、その間、避難してる間というのは、どっちかというとテレビ見てるしかないわけで、埼玉の弟のところでテレビを見てるしかないわけで、その間もまずは情報として、やっぱり重要になってくるようになったのは、やっぱり食料の問題であるとか、水とかそういったガソリンの問題であるとか、どっちかというとそっちのほうが大きくなっちゃって、確かに原発、その事実はある。あるんだけど、もっと身近な、今必要なものに対しての情報が多くて、その意味でもやっぱり、その原発の割合が小さくなっちゃったかな。
 ただ、その後いわきに戻ってきて、水質?水のいわきの水質調査があったんですね。
 ラジオで前日の夕方の5時に採取しました。その結果を翌日の10時くらいに結果を出してるんですね。
「え!?そんなに早く調べるんだ?」
と思って。
 ところが、その中身は、採取した水を福島県庁に送って、福島県庁はその当時調べられなくて、県庁は新潟の柏崎の東電に送って、それで結果が出てというのを聞いたんですね?
「え!?なんで昨日の5時のが!?すごいなー!」
と思ってたら、それ自体も有り得ない、有り得ない。いわきで摂った水を福島に送って、それからまた送って、それが何で翌日の10時に出るの?
 まず、それは今は訂正されましたけどね。訂正されるまでは、要するに「その告知というのは、嘘じゃないの?」と。
 プラス、驚いたのは、
『検出なし、検出されず』と。
『検出されないのではなくて、今ある基準値未満は、検出なしというふうにしてますよ』と。
「なにそれ?」
という世界ですよね。
 だから、そういった事実関係も含めて、やはりそれを知った人は抗議をして、それから大体3日後くらいに、本当にそういう???なったんでしょうけど、けども、検出されずのベースになってる、いくら以下は検出されずにするとか、その数字のベースは出されないですよね。
 だから、そういうような事実関係を聞くと、知ると、要するに、何も信用できない。何も信用できない。
 そういった中で、私の場合は、皆さん持ってるようなガイガーカウンタとかは、最初から持ってはいないです。興味ないと言ったらウソですけど、無いに近いです。
 それはやはり、避難をしてる間にいわきに戻るべきか、故郷の兵庫に戻るべきか、また新たなところでっていうのは、2,3日、ちょっと悩みました。悩んだんだけど、例えば私は他の兵庫からいわきに移り住んだ人間で、この地で生かさせてもらってるというのがあって、全くの親戚も何もないという中で、仕事をさせてもらってるというのがあって、その人たちのために、やっぱりお世話になった皆さんのために、この地に居るんだというのを決めた瞬間、そういった数値であるとか、いろんなしがらみであるようなところの部分は、もう全く、ある意味で気にならなくなった。好きなようにせよと。俺はここにおるからと。別にね、何日後に放射能で死んでも、そんなの全然かまわないというような状況ではあったんですけど。
 だからそう決めた時点から、すごく自分としては楽になったんですね。
 それが、たまたま私の仕事のお客さんというのが、大熊地区に多くて、実際あるんですけど、お客さんに数値、どのくらいでるんですか?皆もどってきちゃうんですね。どこにいてるかわかりません。どこのところも全部大熊町。ほとんど大熊なんですね。そうした皆さん戻ってくる。
 あとは、連絡は取れても、いろんな地区に行かれてる。そういった皆さんのことを私自身は、そういった皆さんが、またいつになるかわからないけど、帰ってこられた時に、何かお手伝いできることがないのかなと思って、そういうので自分としては、こっちで生きようと決めてからは、すごく楽に生活してます。
Q.もし妻子がいたとしたら?
 変わってますね。はい。
 私の場合は、たまたま、子供も居ないし、嫁さんも今いないし、あとは歳いった母親だけですので、そういった条件だったので、この地におろうと決められたんだと思ってます。
 反対にいえば、この地におりたくても、避難せざるを得なかった、それは正解だと思ってます。私がもし、子供が居てたりしたら、何が大事っていったら、それはやっぱりそっちの方が大事ですからね。避難してたと思っています。
 私の場合は、兵庫で育って、こちらに転勤で来たというのが縁でこの場所が好きになって、自分で脱サラして仕事を初めて、そういった中で今こうして生きていられるというのは、やっぱりこのいわきの、特に今避難してる大熊、広野、楢葉の方々がおられたから、自分はこうやって今も生活させてもらってるんだなと思ってます。
 その中で自分がやってきた仕事、やってた仕事というのは、例えばお風呂の設備であったり台所の設備であったり、無かったら困るものですよね。特に震災があって、お料理ができない、お風呂に入れない、電気がつかない、そういった時に、自分が居なかったら、どう思うだろう?自分はそういった人たちが帰ってきたときに、ココに居ますよと言ったら、はがきを送ったというのも、たまたま今回の震災で、私のところも経営上は厳しくて、店を閉めました。自宅を事務所に変えてます。けれども、戻ってこられて連絡しようと思った人が、私が居なかったら困られると思うし、そこを私を信用してくれて、私を生かしてくれてる人たちを裏切るわけにはいかんというので、実際、避難するときに、「私の携帯番号だけは、お父さん持っていってよ」と言って避難したというお客さんからもね、連絡をもらってるし、今も広野地区、ぼちぼち戻ってこられてます。そしたら真っ先に電話いただいて、
「おふろちょっと直してね」
「これで帰れますよ」
と、そういった仕事をしてたというのもあるし、本当にこの地域は、はっきり言って溶け込むのに時間かかりました。そういった中で、私という人間を信用して受け入れてくれた人たちのために、生かしてくれた人のために、何か自分ができること、微力だけどできることはないのかな?と思って、それが今回の震災の中で、
「私はこの場所に来た理由は、もしかしたらそれなのかな?それなのかな?」
と思いました。
 もちろん、阪神大震災での経験というのもありますし、そういった中でこの地に生かされてる意味というのを、この震災が見つけさせてくれたのかな。うーん。そんな気がしてますね。
Q.その感謝、恩返しの気持ちはどこではぐくまれてきたのでしょうか?
 私自身、ずっと仏教に関わってきて、今現在もお坊さんの位を貰うために、お寺には行ってます。もしかしたら、そういったのが、そういう気持ちになったのかなとは思う、それはあるとは思うんですけど、人はみんな、本当に一人で生きてる孤独な人らにとってもご先祖さまからしたら大事な人。みんな大事な人。生かされてる。生かされてる。生かされてるのは、それぞれ皆意味がある。そういう気持ち、想いもありますね。
 だから、特に今回多くの方が亡くなった。
 そういった中で自分は生きてる。
 自宅もある。
 家族も無事だ。
 そしたらそれで何をするんだ?
 そしたら、とかく今は、今までの世の中というのは、自己中心に考えるというのがありますけど、やっぱり常に相手の立場、相手のことを考えて、自分が何ができるのかな?
 そういった中で、商売、自分の商売というのは、確かに金儲けかもしれないけど、私自身は、ご褒美だと思ってやってきました。利益が出るにはご褒美、ご褒美がもらえるような仕事をしようと。甘いかもしれないですけど、そういった気持ちでやってきました。
 だから、苦しいときに、ひとつね、契約をいただけるとやっぱり涙が出ますよね。嬉しくて。その気持ちを忘れないように仕事をさせてもらう時は、お客さんのところに行って、仕事をさせてもらうときは、それこそお寺さんに何か自分がする、お寺さんに??に携わらせてもらっているというくらいの気持ちでやろうというのがあったのかもしれませんね。
Q.浄土真宗ですか?
 浄土真宗から分かれた分岐したとこですけどね。
Q.在家ですか?
 在家ですね。
Q.宗派とか聞かないほうがいいですか?
 微妙ですからねぇ。これはねぇ。微妙ですからそこらへん、今の範囲でいいとおもいますね。
Q.いわきのお客さんが戻ってくるのを待つ心境について
 そうですね。ちょうどこの先週の土曜日に富岡に一時帰宅をされるお客さんから電話がありました。
「設置してもらった台所機器を外して持って帰れるなら、持って帰りたいんだ」
といって、
「外し方を教えてほしい」
とか、
「地震のために給湯器が断水があったので、給湯器の方が動かなくなった、来てほしい」
というような連絡はありましたし、今後もこれから連絡が来ると思うんですけども、やっぱりそうしたときに、電話をいただいて、
「あー、連絡とれた。島村さん!申し訳ないけど・・・」
って言われるのが、非常にやっぱり嬉しいなと思うし、残念ながら、多くの業者は、大手の会社の同業のところは、結構福島からもう出ちゃって、逃げちゃってると。実際そういった今回の震災があって、自分のお客さん以外の方から、いろいろ「給湯器が倒れた、動かない」というので、販売店はもういなくなっちゃってるというので、だいぶそういったお客さんのところに行かせてもらって、直させていただきましたけどね。
 だから、「こんな時自分がおらないとどうするんだ?」という思いはありますね。
Q.いま伝えたいこと
 だから、今回私自身、阪神大震災と今回の震災と2回経験してるんですけど、それは自分自身で思ってるのはやっぱり、人間に対する警告かなと思ってます。
 あまりもう、私たちは豊かさを追い求めた中で、例えばスーパーに行けば、冷凍食品が蓋が開いてる状態で置いてあると、あれはどこよりも早く冷やそうという、コンビニ行って、昔はアイスクリームは蓋が開けっ放しで売ってる、あれを早く溶けるより冷やしてると。それを当たり前にしてきた。そういった中で、天罰だというお偉いさんが言いましたけど、やっぱりその部分も、正直あるのかなと思ってます。
 だから、今回の震災をとおして、やはり日本人は生き方というのを考えていかなきゃいけない。本当の豊かさは何なのかというのを考えていかないといけない。
 特に、この福島という土地は、東京のほうに電気を送り、食料を送り、牛を生産し、そういった町だったんですけど、その1次産業はほとんど壊滅状態で、そういった中で是非ともこの福島の人には、悩んでる人多いと思うんです。多くの人がどうしよう、どうしよう、どうしよう。
 私自身、悩むと後ろ向きなことしか考えない。多くの人がそうだと思います。悩むと後ろ向きになっちゃう。そしたら、まず、避難しようかどうしようかと迷っておられる方は、一度避難してみていいと思うんです。避難してみてダメだったら戻ってきたらいいんです。
 だから、まずは、原発反対運動するというのもね、どんどんやったらいいと思うんです。そういうの抑えることなく、こういう目に遭ってるわけですから。だから、まず後悔しない。せっかく、この日本という国、この今の時代の日本という国に生まれてきてるわけですから、悔いを残さない生き方を、皆さんしてほしいなと思います。
 間違いだったら、いい。間違いを起こしてもいいと思うんですね。私自身はそういう考え。今私がここにおろうと思ったのは、間違いといったら、間違いかもしれない。間違いかもしれないですけど、どうしようかなと思うなら、まずやってみようというのが、私の考えなんで、駄目だったら戻ってくりゃいい。
 ただ、今福島、いわき、福島から避難されてる東京とか沖縄とかね、避難されてる方は、非常に皆さん、戻ってこようと思ってる人多いんですよ。多いんだけど、やっぱり『逃げた』という罪意識があって、戻れないという人が実際は多いのは多いんです
。うん。多いのは多いんです。
 だから、そういった人たちが戻ってこられるような状況にしたいなと思ってるんですね。だから、それはそう思っちゃうのは、福島の県民性かもしれない。みんな引け目をもって逃げてる。うん。理由があって行ってるんだけど、『逃げてる』。『逃げてる』という言葉もあんまり使わないでほしいな。うん。と思います。
 ですから、もしこれを見られてる人で、避難されて他のところに行かれたけれども、戻ろうと思っておられる方は、全然皆さん、地元の人はそんなこと思ってないので、是非とも遠慮なく戻ってほしいなと思っています。
 あの、政府の報道、東電の発表、そういったものは、もう皆さん信用できないというのは、事実である。そういった中でどうしようかと思ったら、最終的には自分を信じるしかないと思うんです。自分を信じる。自分の感性を信じる。
「留まろう。避難しよう。家族だけでも行かそう。」
だからもし、そういったことで悩まれておられる方、おられましたら、なかなか国の補償とか東電の補償というのは100%じゃないので、けども、それを理由に非難せずに、自分がこう思ったら、そう動いた方がいいと思うんですね。だから、決して遠慮する必要はないと思うんです。せっかくね、こういった、乗り越えて生かされてるわけですから、思ったとおりのことをやっていいと思います。
 だから、福島の人は、本当にそういった面では、歯がゆいような部分もあったりもするんですけども、それが良いところだと思うんですけど、是非とも、未来を生きる子供たちのために、自分を信じて行動してほしいな、と思います。
Q.福島を出ようと考えている人に一言あればお願いします。
 あの、今、多くの方が悩んでおられると思うんです。
「避難すべきか、居るべきか」
しがらみもあるし、けど、是非とも避難しようと思ってる人は、一度、避難してみていいと思うんですよ。うん。あの、答えは、それは答えじゃなくて、そこで新たな人生というのもあるだろうし、そこでまた、故郷に対しての思いというのがあるかもしれない。出て戻ってくるのもいいし、悩まれてる方は、まず、悩んでる時間、場合によっては、残念ながら被曝をし続けてる。それだったら一度場所を変えてみるというのもいいと思いますので、『避難した=逃げた』じゃないんでね。
ないんで、逃げたじゃないんで、是非とも、自分から、これから繋がっていく多くの人たちのためにも、日本をこれから生きていく人たちのためにも、まず、思ったことを行動に移してみて、駄目だったら、それで答えが出るんだから、答えを探す状態tというよりも、まず動いて答えを出して、駄目だったらまた次の選択をしていく、選択する権利というのはありますからね。うん。悩んでるんだったら、是非とも行動に移していただく。
 これが私は、後悔、後悔するのが一番もったいないと思うんですね。後悔したくないんですよ。
「あのときこうしてれば良かった。あのとき、こうしたのは間違いだった」
『間違いだった』がわかったら、またそれがいい。一つ前進だと思うので、是非とも行動してほしいなと思います。
Q.最後に、原発や政府に対する現在の考えをお聞かせください。
 あの、今政府が原発再稼働とか動いてますけど、私は前は原発反対じゃなかったんです。賛成だったんです。
 温暖化防止のためには、石油?、俗にいう化石燃料を私たちの世代で使い切っちゃうわけにはいかないと思ってたんです。
「今の状態で石油が無くなったらどうするんだ?」
と思ってたんです。あとは「温暖化の問題でそれしかないのかな」と思ってたんですが、今回のことで判ったのは、やっぱりその核燃料はどれだけ自然に戻るのに、どれだけ年月がかかるんだ。1万年も。そういったこともやっぱり知らなかったし、報道もされてこなかった。原発反対=過激派みたいな感じで見てた。そういうふうに国が仕向けてきた、世間が仕向けてきた。それはやっぱり大きな間違いだったと思います。
 やはりきちっとした情報を、全ての人に出す。判断材料を出さない、この国は何なんだろう?と。
 それから、今回のことをいろいろ報道されたように、事故に関する報道含めて、やっぱりそれが残念ながら、日本の??部分だと思います。大切なのは、情報を、全てそれを自分の判断でどう動くかというのが大切かなと思います。
 締めくくれてないな・・・。
 はい。
 すごいびっくりした。のんびりしてるんですよ。のんびりしてるんですよ。いろんな面で。
【以上】

失礼します。
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