※この記事は、11月15日 【内容起こし】IWJ百人百話 第7話 鹿目久美さん【その①】の続きです。
また、
10月11日 小出氏:東京都のセシウム汚染状況、二度と戻れない地域、子供たちの甲状腺ガンとチェルノブイリハート@たねまき
11月13日 【内容起こし】野呂美加さんお話会「チェルノブイリからフクシマヘ」【その①】などにも関連しています。

<34:15頃~続きです>
Q.福島内外の状況やマスコミとネットの情報のギャップについて、どう感じ、どう行動しましたか?
 震災が起きて、放射能の怖さを感じて、まず、相模原に避難してきたのが3月の18日でした。
 まず、福島に戻るか戻らないかって考えた時に、娘は今年入園だったので、「さてどうしよう?」と思ったときに、「本当に福島に戻っていいのか?」っていうのを私は考えました。
 それで本当に危なければ、まさか予定通りに幼稚園とか学校が始まるとは、まず思っていませんでした。
 せめてGW明けに入園式になるとか、入学式になるって、私は信じて疑わなかったんですが、それが普通に始まると聞いて、「なんかおかしいんじゃないかな?」って思い始めた時に、私がきちんと勉強して情報を得ようと思いました。
 その時にまずしたのは、やっぱりインターネットで調べることだったんですが、やっぱり自分が検索するだけでは、なかなかいろんなことが引っ掛かってこなかったり、知りたい情報が得られなかったので、前にツイッターをやっぱり・・・、登録してたのをふと気が付きまして、ツイッターでちょっと情報を見てみようと思って、まずそれで情報を得始めました。

 その時に、いろんな人がつぶやくのを見て、有益な情報だと思うことは、その方をフォローしたりとか、あとは、そこで流れている、「ここでこういう講演会のYoutubeとかUstreamとかで情報が流れてるよ」っていうのを皆さん出してくれたので、まずそこから入ったんですが、武田邦彦先生や、チェルノブイリへのかけはしの野呂美加さんとか、小出先生のを私は中心に見てたんですが、他の人もいろいろ見たんですけど、母親として知りたい情報っていうのが、一番そのお三方の中に、私は入ってたと思うので、それを、あの・・・、時間のあるときに、特に実家にそのときはいたので、一生懸命見て、とりあえず勉強しました。
 それを見て思ったのは、まず、
「あ、今の福島は生活する場所ではない」
というのを、初めて気づいたというか、まず一番ショックだったのが、『放射線管理区域』っていうものの言葉っていうのを、まず知らなかったんですけど、そのとき大玉村は、多分1マイクロシーベルト以上、まだありました。
 『放射線管理区域』っていうのを聞いた時に、0.6マイクロシーベルト以上だったらば、未成年の就労を認めていないし、その中で寝泊まりをしたり、食事をすることはまず厳禁でしたよね?それが、すごくショックでした。
 その中になぜ子供や、本当に普通の一般の人でも、それは許されないことのはずなのに、それを許してる国や県が、まず信じられなくなりまして、それで、本当にギリギリまで私は、福島に戻ることを悩みました。
 その時得たのは、そのくらいの知識で、本当に実際の身体への影響っていうのが、まだ私の中にうまく浸透してきていなかったので、その入園という節目を娘に味あわせてあげないことに、私は心が痛んだので、とりあえず入園式には出させてあげたいという気持ちで、福島の戻りました。
 やっぱりこちらに避難してるのは、主人は仕事があるので福島に戻っていたので、娘と二人だったので、私一人の判断ではできないということも感じまして、
「福島に戻って主人をもう一回話をしたいのもあった、入園式を出て、主人と話をして今後のことを考えよう」
という形で、私は戻ったんですけど。
 戻ってみて一番びっくりしたのは、私のように「入園をどうしよう?」って考えてるような空気は全くありませんでした。 
 普通に入園式が始まって、普通に本当に、行事が済んでって、
「え?どうしよう。誰も放射能のことは気にしてないのか?」
と思って、あるお母さんが、
「今数値がこれだけあるのに、外遊びはどうするんですか?」
っていう質問をしてくれたんですね。そしたら、園のほうの意向は、
「外遊びは当分させない、窓も開けない、通園のときはマスクをして来てもらう。必ず中に入るときは、手洗いうがいを徹底させて、細心の注意を払って、被曝をなるべく少ない方向に持っていきます」
という話をしてくださったので、
「それだけやっぱり、一応は考えてはくれてるんだ」
っていう感覚は、そこでありました。
 でも、周りのお母さんたちは、その時点でどう思っていたかは私はわからずに、そのお母さんがそういう質問をしてくれたので、私もホッとして、そのお母さんとは、その後いろいろ放射能の話をしたんですが、そのほかの人たちはどう考えてるかは、私は全く判らずにいたんですが・・・。うーん。
 それからは、幸いなことに、私の住んでいる大玉村は、早め早めに対処をしてくれて、えーっと、野口邦和先生が、講演にきていただいて、その園庭の表土の除去の指導とかをしていただいたので、5月の時点では全て表土を剥いで、土の中に埋めて線量を下げることをやってくださった、すぐに実行に移してくれたので、その後は、毎週1回、積算の線量を幼稚園とかのおたよりで必ず出してくれてたんですね。
 4月の末の時点で、大玉村のほうでは、このままでいったら、どのくらい1年間で積算、被曝の量がどのくらい積算するかっていうのを仮定で出してくれて、その時点で出た数字っていうのが、平日は園に行って、家に帰ってからは外遊び1時間させるっていう前提で、あとは家の中に居るという前提で出したのが、1.8くらいだったんですよ。
 国の法令で決まってるのは1mSvまでですけど、
「とりあえず今年は1.8(mSv)までいってしまいますけど、それ以上の被曝をしないように、それ以上に下げるように努力をします」
という通知をきちっと出してはくれたんですが、「それで本当に私は安全なのか?」っていうのも不安
で・・・、その時点でずっと私は主人とも話し合いながら、避難をするか・しないかをずっと悩んでいたんですが、大玉村のそのいろんな誠意を考えると、なかなか避難という形に進んでいかなかったのと、やっぱりそういう子育て講座の仲間や、ママ友さんと話す上で、情報を知らない人たちがたくさんいるということがわかったので、私は先ほど出した小出さんや、武田先生や、あと野呂美加さんのHPを見て、生活に必要なことを抜き出して、プリントアウトして皆に配ってみたりとか、あとは、こうやって岩上さんと縁がありましたけど、岩上さんがずっと東電と保安院の会見を毎日放送してるっていうのを初めて知りまして、知ってからはずっと見られるときは見るようにしていたんですね。
 まず、驚いたのが、毎日記者会見をしてるってことに驚いたんです。
 毎日記者会見してても、新聞には報道されない。テレビにも何も出ない。なぜ?毎日こうやって、時間を割いて記者会見をしてるにも関わらず、なぜ(報道)しないんだろう?今、福島県の中で必要なのは、情報だと思ったんです。
 でも、記者会見を見ても、正直、私には何も伝わってきません。
 国がどうしていきたいのか。
 東電がどうしていきたいのか。
 保安院は何を考えているのか。
 記者会見で言う内容も、言葉も難しいし、一般の人に判らない言葉で、ただ伝えるだけ。その事実を伝えるだけで、「だからどう対処する」っていうのが、なかなか出てきませんでした。
 記者の方も質問してるんですが、その質問の内容すら、私にはわからなくて、最初のうちは毎日のようにチェックしてたんですけど、
「これを見てても私の知りたい情報は得られない」
と判断をして、途中からやっぱり見なくなりました。
 やっぱり必要なこととなってくるのは、これからどう生活していくか。
 まず、私は、一番判断、まず最初に主人と判断したのは、
『娘の身体からどう放射能を排出させるか』
だったんですけど、それには、武田先生のHPを見ると、
「放射能の汚染地域の外に少しでも出ることで、身体がリフレッシュする」
というのを聞いたので、やっぱり幼稚園に行きはじめてしまった娘だったので、それを途中で切るのが、そのときは忍びないと思ってしまったので、月に1週間くらいは実家に戻って、1週間くらいはリフレッシュさせたりとか、土日はなるべく線量の低い場所に行って、外遊びをさせるような形をとることにしました。
 その情報もきちんと私の身近な大切な人には、きちんと伝えて、そういうことの必要性をすごく訴えたら、友達の何人かは一時的ですけど、山形とか新潟に避難した人もいますし、今でも皆、土日は必ず線量の低いところに遊びに連れていったりとかするようになりました。
Q.外(神奈川)の情報を得ている自分から見て、福島県なにだけで情報を得ている人と、情報の落差を感じますか?
 はい。
 えーっと、まず『福島の中で得られる情報っていうのは、本当にほとんど得られないと言っていいに等しい』です。
 一番衝撃的だったのは、御用学者と言われる人たちが、御用学者と言われる山下教授とかが、3月の後半から講演会をしてて、
『100mSvまで大丈夫だ』
っていう講演
を、私は直接聞いてないんで判らないんですが、そういうのが流れてたり、他のお母さん方から聞いてるんですが、それを話した時の冊子とかチラシがありまして、それを貼ってる小児科があるんです・・・。はい。
 それでやっぱり向こうのお母さんたちは、具合が悪ければ「いつもと違う」っていうふうになると、やっぱり放射能と結びつけて考えると思うんですけど、そういうところで心配をして、相談すると、
「ほら、先生たちがこうやって大丈夫だって言ってるでしょ?僕たちもそう思ってるから、そうやって冊子もあるし、そういうのを読んで、違うから安心してください」
っていう先生も居るそうです。
 それには、私もちょっとびっくりしたのもあるんですけど、本当に福島の中では、新聞とラジオとテレビを見ていたら、それが先走りしていて、新聞にもそれは大きく出たので、大体の人は、インターネットをやってない人は、それを信じていました。
 特に福島の中では、やっぱり福島民友と福島民報が主流で、皆さんその新聞をとってるんですが、情報っていうのが、数字はとにかくより細かく載ってます。
 だけども、本当にその数値の意味とか、いうのは、まずわからないですし、とにかく福島県の中では、この数値なら大丈夫だっていうことばかりがクローズアップされてたっていうのが、すごく印象にあります。

 えっと、私はもともと神奈川県の相模原市で生まれ育ったわけですから、まず福島にお嫁に行ったときに、一番感じたのは、えー、テレビの番組や新聞の内容が、全く違うということですね。
 多分、その場所にしか居ない人は、それが全てで、それが全国に放送されてると思うんですが、やっぱりテレビの内容も新聞の内容も、その土地土地で全く違って、流れてる情報の内容も、本当に違うなっていうのは感じました。
 今回、やっぱりこういう震災が起きて、両方でいろいろ情報を見るのですが、まず、相模原の方に帰ってきて思うのは、『あまりにも震災の内容だとか、原発被害の内容を知らない人が多すぎる』ということです
 やっぱり、こういう言葉でいってはいけないのかもしれませんが、やっぱり自分の身にふりかからないことは、他人事っていう感じがすごくあるので、自分から情報を得て、興味を持ってくれる人でないと、その情報を知らないっていうことですね。
 実家の近所にも、やっぱり放射能の影響をすごく心配してくれる方がいて、その人と話をすると、私もホッとして気持ちを判ってくれるので、その人も本当の情報を知りたいと思って、私といろいろ話してくれますが、いろいろ話すたびに、
「こちらでは何もそういうのは伝わってない」
っていうのをいつも聞きます。
 それで、やっぱり、福島に帰って話をすると、あまりにも・・・そうですね、福島の中でも限られてる情報なので、何でしょう・・・。
 本当に、その新聞とか地元のニュースだけで情報を得てる人の中には、すごく偏った考え方の人も居るし、全国に目を向けてる人は、また違う情報が得られる場を自分から見つけて持ってる人も居るし、そういう人たちの『温度差』っていうんですか?それをすごく、今回感じました。
 特に年齢層もそうですが、子供のいる家庭・いない家庭っていうのは、すごく大きく差が出まして、やっぱり心配で「他の支社に移りたい」って言ってうちの主人の会社でも移った方も居るんですが、そういう人を非難する声も会社の中で聞こえたりとか、えーっと、そんな・・・、
「国が安全って言ってるのに、なんでそこまで神経質になって、わざわざ職場まで変えなきゃいけないのか?」
とか、
「わざわざ子供たちや奥さんと離れて生活をしなきゃいけないんだ?」
っていう声も、よく聞かれます。
 それで、すごくあとひとつ、感じるのが、同じように被災して、同じような危機感を感じて、福島県外に避難した人たちもたくさんいるんですけど、そういう人たちから、
「なぜ避難をしないんだ?」
と避難しない人たちを非難する声が聞こえる・・・。
 それは、私の友達でもそうだったんですけど、今、学校のことや子供の気持ちを考えて避難しない人もいますよね。そういう人を、なんか・・・、
「本当に子供の命を一生懸命考えてないから、避難が決断できないんだ」
って言った人がいまして、
「なぜ同じ思いをしたはずなのに、なぜ同じ思いをした人を責めるんだろう?」
っていうのは、私は、特に私は、福島でも生活してるので、福島の中だけで生活せざるを得ない人たちの気持ちもわかります。私は、こちら、神奈川のほうに避難してる生活もときどきあるので、そういう方たちの声も聞くので、その人たちの気持ちも判ります。
『両方の気持ちがわかる中で、被害者、お互い被害者なのに、どちらかがどちらかを責める』
っていう形が、すごく腑に落ちない。
 一番責められなきゃいけないのは、どこかっていったら、東電や国。それを忘れてるんじゃないか?
っていうのが、一番、私の中では、腑に落ちない部分で、うーん。
 福島の人たちっていうのは、福島県内同志で結婚してる方も多いので、実家も福島県内。だからどうしても頼るところがなく、行けない人もたくさんいます。私の友達にもほとんどそういう人が多いので、できればそういう人たちが、もし避難したいと思うんだったら、それをフォローするような方向に・・・持っていけたり、そうやって避難ができて、自分が安心する場所にいるんだったらば、そういう中の声をもっと伝えてくれる人がいたらいいんじゃないかっていうのが、今の私の気持ちです。
 本当に私、今回こういうイベントに参加させてもらって、私も何ができるだろう?って震災以来ずっと考えていて、
「本当に一人の力だと何もできないんじゃないか」
っていう気持ちしかなかったんですが、
「こうやって気持ちを伝えるっていうことが一番大きなことなんじゃないか?」
っていうのを学ばせてもらって、今までは小さなネットワークだけの中でしたけど、自分が働きかけることができるところがもっとあれば、こういうふうに活動していきたいなって思ってます。
Q.神奈川と福島を行き来する現在の状況で、お子さんの体調に具体的にどんな変化が?
 えーっと、私は、神奈川と福島を行き来してるんですが、娘の体調の変化を、すごく感じます。
 まず、神奈川の来たときには、一気にいつも悪い症状が出るっていう感じがします。
 こっちに来て外遊びもできますし、今まで中に居て、身体を使ってなかったので、その反動もあるかもしれませんが、思いっきり遊んだ後に、来てすぐに必ず熱を出します。
「あら?」っと思って、疲れも出るかなと思って、熱を出したその後から、ケロッと元気になって、まず、熱はもう9℃以上出ることが多いんですけど、本当に風邪とは違う症状で、熱だけ出すような形なんですが、一番変化を感じるのは、『食欲』です。
 本当に福島に居るときは、お尻をひっぱたかないとご飯を食べないような子が、そうですね、大体いつもお茶碗、子供用のお茶碗に半分を食べるのが精いっぱいで、それも30分も1時間もかけて食べてるような子が、神奈川に来て身体が少し元気になってくると、ご飯をおかわりしたりするんですね。
 うちの母もそういう状態を知ってるので、その・・・娘を見て、本当にびっくりするんです。私も毎日見てますから、こんなにモリモリご飯を食べてくれる娘を見ていて、すごく嬉しくなって、やっぱりどこか体調が悪かったり、きっと体が重いって感じてると、大人が食欲が無いように、子供もそうなんじゃないかな?って私も感じます。
 私はやっぱり1週間くらいだけ神奈川に来て、福島に戻ることが多いんですが、福島に戻る途中で、必ず私も娘も喉がガラガラと痛くなります。2,3日は必ず咳が続くんですね。
 それを最初に感じたのが、娘の入園式の時に福島に戻った時に、「あら風邪ひいたかな?」って言ってたんです。その時はそれだったんですが、GWも6月もこちらに1週間くらいいたんですが、その帰るときにも、帰る道すがら、必ず喉がガラガラしてきて、必ず咳が出る。
 向こうにずっといればそういう症状はなくなって、気づかなく、判らなくなっていくんですが、必ず帰る日になるので、「やっぱりこれは放射能の影響なんじゃないか」と思って、うちの主人とかには言うんですが、
「またー、気のせいだよ」
と、言われてしまうんですけど、必ず私はなるので、絶対そういう何かしらの影響があるんではないかと、自分の身をもって体験してるので、それは感じます。はい。
Q.『福島の留まる人・離れる人』についてカノメさんのお考えと、これから先どうされるかをお聞かせください。
 私は直接関わっている人たちっていうのは、やっぱり小さい子供を持つ母親が中心なんですが、やっぱり、母親が思う気持ちはみんな一つで、『とにかく子供を守りたい』っていうことです。
 皆さん、私の周りに限っていえば、可能ならば安全なところに移動したいっていう人がほとんどです。
 でも、やっぱりおじいちゃん・おばあちゃんと抱えてる方とか、やっぱり行くところがない、今、きっといろんな自治体で受け入れてくれるところはたくさんあるんですが、その情報すら知らなくて、行くところがないから仕方なくここに居るっていう人もいます。
 あとは、やっぱり一番ネックになってるのは、本当にご主人に反対される方が多いです。
 私の一番の友達も、あの・・・、
「自分が看護師の資格を持っているので、ご主人に仕事を辞めて、東京より西のほうに避難しないか?」
っていう相談を持ちかけたことがあったそうです。
 でも、やっぱり自分がずっと続けてきた仕事を男の人が辞める、そして新しい環境で仕事をするっていうのは、きっとすごいストレスにもなるし、大変なことなんだと思いますが、そのお友達はやっぱり自分が食べさせていけるものがあるので、
「仕事が決まるまでは自分がどうにかするから」
ってそこまで説得しても、やっぱり首を縦に振ってくれなかったと言ってました。
 それで、そういうふうに福島の中では家庭の中でも温度差がありまして、やっぱり、家族が一つで居ることが一番だとは私も思うので、それを振り切ってまで行ける決断をできる人っていうのは、なかなか難しいと思います。
 いち早く避難が出来た人の話を聞くと、やっぱりご主人が理解があって、ご主人から「避難、さっさと避難してくれ」って言われて行った人の方が多い感じがしました。
 おじいちゃん・おばあちゃんが「行ってもいいよ」って言っても、ご主人がやっぱりしぶってるってところが結構あるのが、すごく驚きました。
 同じ親としても、女性と男性っていう中でも、意見の相違があるっていうのは、不思議なことだなと思うし、でもそれが現実だと、私も感じます。うーん。
 あと、幸い避難が出来た人の中でも、避難した先ですごく悩んで生活してる人がたくさんいます。やっぱりこんなことがなければ、福島は本当に暮らしやすくて、生活しやすいところで、本当に子育てには一番適してるなって感じるようなところです。
 私も結婚した当初は、神奈川に戻ってきたくて仕方がなかったんですが、住んでいるうちに、やっぱり福島が私の故郷だとも感じたし、子供が生まれたらなおさら、子供をここで育てたいと、本当に感じた場所なので、そのお母さんたちの気持ちが痛いほどわかります。
 だから、いつか帰りたい。
 しかも、やっぱり福島で生まれ育った、そのままそこに根付いてる人たちばかりなので、その福島を…捨てて外に出たっていうのは、外に出ても放射能の心配は無くなっても、それ以外の部分で、すごく傷ついている方たちがたくさん居て、やっぱり残してきた友達とか家族とか、そういうのを想って、安心して今でも生活できないって思ってる人がたくさんいるので、そういうことは、福島県以外の人には伝わってないんじゃないかと、私はすごく感じます。
 あとは、やっぱり簡単に避難、『なんで子供のために避難をしないんだ?』って簡単に言う人がたくさんいます。
 でも、やっぱり人それぞれ、その環境があって、立場があって、やっぱり個々のレベルで考えて最善のものっていうのは、多分違うと思うんですよね。
 子供の、確かに子供の命が一番で、福島の外に出るのが、本当は最善な方法なのかもしれませんけど、それを・・・とりたくてもとれない人たちがたくさんいること。
 それはお金であったりとか、人間関係であったりとか、たくさん理由があるとは思うんですが、その『すべての人たちが自分のしたい最善のことをできるような方向に、この国が動いていってくれないかな』っと、私はすごく思います。
 そのために何をしたらいいのか?っていうのは、私も今は、思いつかないんですけども。
 それで、そういうことを踏まえて、私がこれからどうしていくか?っていうのも、震災以来ずっと悩みつづけていることなんですが、夏休みに神奈川の相模原市に避難をしてる間に、野呂美加さんのお話会に行ってきました。その時に野呂美加さんと直接お話をする機会があったんですが、その時言われたことは、
「避難をするべきときには、必ず決断ができる」
と言われました。
「今、悩んでるんでしょ?」
「はい、悩んでます。いろんなことがあって悩んでるんです」
「きっとその悩みも吹っ飛ぶくらいの決断が下せるときがくる」
っていう言葉をいただきました。
 それは、この先もっと何かがあって、国が避難しろっていう時かもしれない。子供に・・・体調が悪くなって、絶対に外に出なきゃいけないと思う時が来るかもしれない。
 その何かほかの要因があって、その決断ができるときがくるかもしれない。
「迷ってる時は動かないほうがいい」
って言われました。
 それからもずっと私は、自分の胸に手を当てて考えているんですが、今回、こういうイベントとかにも参加させてもらって、いろんな人の話を聞いて、思ったことは、
「やっぱりしばらくは福島を出たほうがいいんではないか」
っていう結論に達しつつあります。
 それで、まだ、完全移住という形はとれなくても、しばらくの間は、神奈川の実家のほうに避難するという気持ちに、だんだん傾いてきました。

 それは、やっぱり一番は娘の身体のことですね。
 やっぱりチェルノブイリハートの上映会を昨日見ましたが、やっぱり体に影響する、身体への影響のあまりの大きさに衝撃を受けましたし、なんでしょう。その、娘の先々まで、影響するっていうのもすごく怖いことだと思いました。それが避けられる手段として避難があるのだとすれば、それは実現したいと思いましたし、避難の権利の話も聞きましたけど、やっぱり『人は健康的に毎日を過ごす権利がある』と思うんですね。
 『今の福島でそれが得られるか?』って言ったら、『絶対に得られない』と私は実感してます
 やっぱり子供というのは、外に出て、元気に走り回るのが仕事であって、室内に閉じ込めてても、決していい影響を与えないっていうのは、私はやっぱり福島での生活と、相模原、神奈川の生活も両方知ってるので、それは身をもって体験してることなので、やっぱり子供は子供らしく生活をさせてあげたいっていうのが、一番の想いです。
 そのためにはいろんなことを乗り越えなきゃ、金銭的な面だとか、家族の絆とかそういうものをきちんと見直すことも必要だと思うので、それをもう一度きちんと考えて、結論を出したいなと思っています。はい。

 私が住んでる大玉村の話なんですが、すごい村長さんが精力的に頑張ってくださってまして、なんだっけな?
 あさの・・・、名前忘れて失礼なんですけど、私がもともと大玉村に住もうと決めたのが、子育て支援にすごく厚いところだったんですね。福島の中でも先駆けて、医療費の助成も、私が引っ越した当時は、中学生まで無料で、今年からは高校生まで無料という形になったりとか、予防接種も他では自費でやってるところも助成したりとかしてくれて、結構子育てには厚い支援をしてくれる。
 今回の震災の放射能のことも、一番悩んでるお母さん方と直接話をしたいと言ってくれまして、直接私も村長さんと話をしまして、これから村がどうなっていくかっていうのを説明していただいて、安心した部分もありますし、ご自身のお孫さんがいるので、自分の家の周りをご自分で除染を頑張ってやって、どれくらい除染が大変なことか?っていうのを身をもって体感してらっしゃるので、それをやっぱり村全部に波及させていって、村全体の線量を下げたりとかする活動もしてますし、今度、食品を測る機械も村にいれて、???ごとに測って安全なものを即売所で売るなり、そういうのもしていくような形にしていくと言ってました。
 ただ、この間放射能対策の決起集会みたいのをしたらしくて、そこでもいろんな情報を??させるっていう活動をこれからしていくっていうことになりまして、子育ての面や、農協関係、商工会とか青年会とか、各自いろいろこれからやっていく目標をたてて、決起集会で報告しあったそうなんですけど、私はそこに行けなかったので、詳しい内容はちょっとわからないんですが、そういった活動もしてるので、小さな村なんですが、そこも一生懸命そうやって頑張っていってるので、他の自治体もすごく、横のつながりを作って、福島全体がもっと頑張っていってほしいなと感じます。

 大玉村は、仲通りの二本松市と本宮市のちょうど間くらいに位置するところなんですが、大玉村は、人口は8000人ほどで、村の中心はやっぱり農業です。コメも盛んですし、野菜もたくさん作ってまして、あとは、乳業とかそういうのも盛んです。
 子育て支援も厚いんですが、住みやすい村を作ろうということで、大きなスーパーも5,6年前に誘致して、本当に村の中ですべてが補えるような形にした村っていう感じですね。

 原発の実態をあまりにも皆さん知ら無すぎる。
 福島県に居る人たちが知らないっていうのが、一番。私も原発のことを問題視したのっていうのが、遅いんですが、去年プルサーマルを稼働するっていう時に、私も反対の署名運動をしたりとかしてたんですが、その時に初めて原発の存在を意識していたんですけど、福島の中でもプルサーマル自体を知らない人もその時点で居たり、危険性を全く知らなかったりとか、どこにあるかさえ、きっと知らない人も大勢いて、そういう存在のために自分たちが脅かされたっていうのは、すごく納得がいかないですし、なぜみんながもっと関心を示さなかったのかな?っていうのが一番、いろんなことを調べていく上で疑問でした。
【以上】

失礼します。
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