※この記事は、11月11日 【内容起こし】IWJ百人百話 第5話 ヤマダさんに関連しています。

11月15日 百人百話 第六話 紋波幸太郎さん
http://www.ustream.tv/recorded/18518876 (81:41)

【以下、お時間のない方のために内容を起こしています。ご参考まで。】
2011年9月27日収録
Q.お仕事は?
 福島県いわき市出身の名前は紋波幸太郎と言います。今年で30歳になります。
 私の家族は、父、母、弟の4人の家族になってますね。
 あと、私自身は、妻が1人、2か月になる息子が一人います。
Q.お仕事は?
 自営業でバーを経営しております。
Q.生まれはどちらなんですか?
 生まれは福島県いわきし内郷の片田舎なんですけども、そこで生まれて、1年くらい東京に行ってたことはあるんですけど、それ以外はずっといわきで生活しています。
Q.3.11の時に、奥さんのお腹は何か月目でしたか?
 震災があった時は、妻が妊娠6か月。もうだいぶお腹も大きくなってたんですけど、つわりがひどかったんですが、だいぶおさまってきて、「これからやっと散歩も行けるな」とか、いろいろ考えてた時でした。
Q.どんなシチュエーションで震災に遭遇しましたか?
 地震があった時は、自宅で遅めの昼を食べてて、妻と食後の片づけをしてる時に、ちょうど地震が来まして。
 一緒にいたおかげで怪我もせず、なんとか乗り切ることができたんですけど。当日は。

Q.どんな状態でした?地震の時。
 一か月前くらいに、外国で地震があって、ビルが倒壊して日本人が二十何人死ぬような地震。そんなニュースを見てたばっかりだったんで、「あ、とうとう死ぬのかな」と、マンションの4階に住んでたんですけど、全然その時は安全性とかわからなかったんで。
Q.どれくらい揺れた?地震を描写してください。
 部屋でソファに座ってて、妻は立ってて、地震があって、家具が倒れてきてもいいような部屋の中心に寄っていて、二人で抱き合ってたんですけど、そうですね。本当、スレスレのところに何やらかんやら、いろんなものが落ちてくる。皿は割れる。
 揺れももう座ってたんですけど、なんでしょう・・・。
 座ってた場所から動いちゃうくらい。
 もう酷いですね。縦横・・・。
 4階だったんでなおさら揺れたんだとは思うんですけども、妻は泣いちゃってるし、至る所でがしゃんがしゃん割れる音はするし、倒れる音はするしで、自分自身もちょっとパニックになってて。
Q.家具は倒れましたか?
 家具は倒れました。
 テレビ類もそうですし、クローゼット類なんかも倒れましたね。
 酷かったですね・・・。
Q.怪我は?
 おかげさまで、妻も私もけがはなく、ただやっぱり子供のことがすごい心配で・・・。
 安定期は過ぎてたんですけど、ストレスだったりそういったものがどういうふうに影響してくるのかは、全然わからなかったので、もしかしたら・・・。流産もあるんじゃないかとか、いろいろ考えて・・・、ちょっと怖かった。数日間怖かった覚えがあります。
Q.地震、津波、原発の事故と続いていきましたけど、どんな風に情報を知っていきましたか?
 とりあえず、もう地震があって、マンションの耐久性を信じてなかったというのもあったので、ひととおり荷物をまとめて、すぐ駐車場の車に行きまして、ラジオをつけて、余震も全然続いてたんで、部屋に戻るのも怖くて、妻だけ駐車場に戻してですね、ラジオを付けて。
 震源地もどこだか全然わかるような状況じゃなかったですし、ただ、自分の家のマンションが高台にあったので、とりあえずここまでは津波は来ないだろうと、直線で海岸、一番近いいわきの海岸から10㎞未満くらいだったんですけれども、さすがにここまでは来ないだろうと。
 津波に関しては安心して、妻だけは車に残して、ほかにもちょっと取り忘れたモノ、二人の記念品なんかがあったので、私だけ部屋に戻り、指輪やらなんやら、あとはちょっと、「もしかしたらテレビつくかな」と思ってつけてみたら、多分いわきだけなのかもしれないんですけど、電気だけ来てたんです。ガス、水道は止まっちゃってダメだったんですが、電気だけきてて、電気が使えればケータイも使えるし、テレビも見られるしということもあったんで。
 それでテレビをつけて、ちょうどもう、そうですね。あの時は時間の流れが速くて、どれくらい経ってたかわかんなかったんですけど、ちょうど仙台が津波の飲まれるシーンをずっと繰り返し放送してて。
 そん中で、ケータイの充電器やらなんやら取って、やっぱり、そのまま車に戻って、一度店の方、いわき駅の目の前にお店構えてまして、ちょっと古い建物だったんで、心配で見に行きました。
 まぁ、案の定、ほとんど割れて・・・。えー、お酒がそうですね、棚にあったお酒は全部もう割れてしまい、建物も傾きひび割れ、いわきの駅前に、今工事が終わってすごくきれいになってる駅前ですけど、タクシープールのような広い広場があって、そこに高校生やら社会人やらがパニックになった人が、わんさかわんさかいる中で、店開けて入っていって、もう酒のにおいが臭いんです。
 それで、もうパニックになってる人をかき分けて、妻と一緒だったんですけど、店にいって惨状を知って、ほんともう一日二日でなんとかなるような店内では無かったです。ありとあらゆるものが倒れて、テレビがあったんですけど、それも全部割れ、皿も落ち、商品なんてほとんどないような状態。
 もうとりあえずそこで、店のほうは見限りまして、いわき市内、お客さん含め友達がたくさん、地元でたくさん居たものですから、混乱する中、ケータイのツイッターなり何なり、いろんなツールを使ってコミュニケーションとって、情報を共有しあって、いやもう、どうしようもない。とりあえず。わけがわからない。
Q.11日のその時点では、とにかく地震が起きた、そして津波が起こった、とにかく余震が怖い。
 地震があって、津波の被害があって、自分にはその被害が及ばないと。
 マンションの方も確認してみたところ、店のチェックが終わって、マンションに戻って、大家さんなりにチェックしたところ、大丈夫なんで住めると。住める状況にある。
 じゃあ住もうと思って落ち着いたところでテレビをつけて、その時は、そのまだ津波と地震の被害だけでですね、原発の情報なんていうのは一切なかったですし、今まで30年間生きてきて、あったのかもしれないんですけど、原子力発電所に関する問題を意識したことが無かったんです。いわきに居て。
 意識する時は、年に入ってくる電力会社から入ってくる四千いくらの給付金が入ってきたときに、「あー、今年も入ったんだな」くらいに感じるだけで、その・・・、危険なものだとか、頼ってるっていうものの意識すら、まず無かった。
Q.危険性については、どれくらい知っていましたか?
 えー、まぁその時は、原発のことなんて、本当にもう意識、意識にすらなかったわけです。
 その、例えばその核実験だ、原爆が落ちましたっていうような国だったので、そういうふうな、頭にはありましたけど、「地震によって起きてしまった津波によって被害を受けて、どうなる」っていうところまでの意識は、全く無かったですね。
 その、まぁ、そばにというか、大熊ですけれども、自分の市には、ここからそうですね、原子力発電所まで大体直線で50㎞ないし60㎞未満のところにある市なんですけど、私が住んでるところがそうなんですけど、もう、身近すぎてなのか、近くにありすぎて、小学校だったり中学校で見学に行くわけです。原発の施設内をみんなで行って、その時に「クリーンなエネルギー」「安心・安全なものだ」ということがあったので、全然意識せずに暮らしてて。
 で、そんなものなかったものですから、当面やっぱり危機的状況になると、自分の目の前の、自分の命をどうつないでいくかしか考えられない。じゃあ「水はどうする、食料はどうする」っていうとこだけに意識が集中してしまって。
 買い物しかり、一通り済ませ、うちのお店のバーのお客さんの中に、他県からいわきに来られて、単身で仕事されてうちに通ってくれてる常連さんがたくさんいらっしゃる。
 その方たちに連絡をとりまして、
「もし家が危険な状況だったら、うちは安心だからうちにおいでよ」
っていうことで、友人を呼びまして、一緒に4人、5人で生活をする。そういうスタイルをとって、そのほうがやっぱり安心するんですよね。人が多い方が。水一本買うにしても5本買えるわけですし、まぁ安心して、皆居て、心が落ち着いて、「ひとまず生きてるね」っていう話をして、親にも連絡がつき。
 で、テレビをつける。そうするとそこでニュースが流れてるわけです。
『原子力発電所が緊急停止しました。今後どうなるか判りません』
というようなニュースをやってるわけです。
 そこで初めて、ここから50㎞くらいしか離れてない原発が危険だと。
 多少、まぁ、ネットなりニュースなりで見てたので、チェルノブイリのことは知ってたので、
「まぁ、でもあそこまではならんだろう。いくらなんでもここは日本だし。あれから何十年も経ってる。流石に大丈夫だろう。ある程度の緊急停止はしたけれども、ある程度は何かやってるんでしょ?」
っていう期待とか、勝手なものなんですけど・・・、持ってやってたわけです。
 それが12日とか13日。
 1日たち2日たち、一向に回復していかないんです。流れてくるニュースは。
「電源が復旧しました」っていうニュースもやらないですし、なんだろう。どのくらい危険なのかもわかりませんし、とりあえず自分の命があって、食べ物があって、水もあって、親も生きてる。とりあえず知ってる中でも被害がないということで、安心してしまって、
「まぁ、そのうち水道も復旧するだろうし、電気はもともとあったので、大丈夫だ。ガスも回復するだろう。いつもどおりの店も戻って、生活も戻っていくんだろうな」
っていうのが、前提、大前提としてあったんです。
 楽観はしてましたね。
 でも、14日になってですね、14日に確か3号機が爆発。
 その映像は繰り返し、テレビニュースで流れてまして、14日がたまたま私の誕生日っていうのもあったんですけど、皆でワイワイしながら。缶詰とかで祝ってもらったりだとか。パーティーですね。パーティーしながら、久々のお酒を飲んでみたりとかしてたんです。
 繰り返しテレビでは、派手な爆発がずっと流れてるわけです。
 その時にいろんなネット、掲示板、ツイッター、いろんなSNSやらなんやら使ってみてみても、もう情報がわからないんですよ。錯そうしすぎて。
 テレビから入ってくる情報。
 特定の誰かが流してる情報。
 「これは、信ぴょう性があるよ」って流してる情報。
 まったくもう全然、意見が食い違ってて。
Q.具体的にどんな情報がありました?
 ネットやらなんやら駆使して、いろんな情報を集めてたんです。
 情報ひとつひとつが、なんでしょう。それこそ、
「チェルノブイリのように住めない町になる。200㎞圏内、半径200㎞圏内は住めない。今すぐ逃げろ。」
っていう意見もあれば、3号機の爆発の前に、確か1号機も爆発、爆発というかしてたんですよね?見比べてみると全然違った爆発なんですけど、1号機の時点で、テレビでですね、確か学者さんかな、大学の教授なんかが、
「あれはベントの一種だから大丈夫です」
と、繰り返しニュースやらで流れてたわけです。
 それだけで180度意見が違ってるわけです。
 もう、そん中で妻は自分の子供だけが心配ですし、私もそれは心配。
 一緒にいた友人・・・、「逃げようか」誘ってはみるものの、「親が居るから、僕はここに居る」って言う人がいるわけですね。
 じゃあ、うちら二人だけで逃げるのか?
 逃げればいいんでしょうけど、やっぱ逃げられない。避難できない。
 自分で決断するのが怖い、怖いっていうのか、不安なんですよね・・・。その状況下において。
 何が正しいことで、何が間違ったことなのか、全然わからなくて、その14日の爆発を見て、妻の実家が私の家からですね、車で飛ばして30分くらいの同じ市内にあるんですけど、そこに一晩お世話になろうといって、家族の、あちらの家族と話をしたら、もともと水も出ない、ガスも使えない。なんで、水かガスがあるところ、都心の親戚の家だったりに一緒に避難しようって話にはなってたんですけど、その爆発の映像を見てから、あちらの親、お父さん、お母さんが、
「もうダメだ。いわきから出よう」
って、お父さん、お母さんはインターネットとか全くやってないので、テレビだけの情報なんですけども、学者さんの言うことは全く信用してなくて、爆発の映像だけ見て、とても不安になったらしくて、てっきり私なんかは、ネットの情報も得てしまっているので、大丈夫だっていう意見と、駄目だっていう意見が、自分の中で葛藤してて、決断を下せない・・・、まだわからない。大丈夫かもしんないし、駄目かもしんない・・・。
 でも、ここを離れるっていうことは、自分がずっと住んでたところを離れるっていうことは、そんなに本当に皆が言うほど簡単じゃないんですよ。
 他で、他の国ですね、ニュージーランドで地震があったときも、自分の中で、「もしそこで地震でダメなんだったら、避難すればいいじゃん」っていうふうに思ってたんですけど、実際自分の身にふりかかってみると、到底離れられるものじゃ・・・なくて・・・。
Q.先ほど「地震が起こった時に、原発が危険なものだと認識が全くなかった」と。
今の段階ならばどう判断を?
 原発が爆発して、大変なこと、巷じゃ大変なことになってます。情報は入ってくる。でも自分の中に全くデータが無いんです。知識として何もない。
 あるのは広島で落ちました。ケロイドになって人が、たくさんの人が死にました。
 チェルノブイリで大変大きな事故がありました。
っていう認識でしかない。
 やっぱりそうすると、怖いんですよね。何がなんだかわからない。全くもって知識がない。
 今だったら区別がつくのかもしれないですけど、爆発して放射性物質が飛散して、落ちたところはホットスポットになる。
 そんなのは後で得た情報で、その時は全くわからないわけです。
 政府が、確か2,3㎞で最初同心円状の「ここは危険です」っていうのを出してたと思うんですけど、強制避難。
 「まぁ、正直50㎞離れてるし、大丈夫だろう」って思ってたんですけど、それこそ、ネットですね。インターネット、電気が来てたので、パソコンも使える。インターネットをとりあえず使ってみようって見たら、まぁ、要は被害にあってないある程度余裕のある人たちが、いろんな当時のチェルノブイリの事故の映像だったり、それこそ私が全然知らなかったスリーマイル島の事故の奇形化した植物だったり動物だったり、被害に遭った子供たちの映像ですね。奇形の子供たちの映像を、だんだんネット上にUPされていくわけですよ。そういうものが。
 デマかどうかはわからないですけど、そのときに実情、
「スリーマイルではこんなことがあった。」
「チェルノブイリでは今でもこんなことになってて、ここが汚染区域で今だに人が住んでない」
っていうのをずーっと・・・。
 そこで、初めて情報を得るんです。
 それまでなんていうのは、全くどういう健康被害があって、どういうふうに土壌を汚染して、何年後に何が発病、どういう病気が発病するのか知らなかった。単位すら知らなかった。
 『核』とか、『原発』っていう文字は知ってても、中身は知らなかったわけです。全く・・・。
 知らなくてもでも判断を下すのは、自分じゃないですか。逃げるか逃げないかは。
 そこで・・・なんでしょう。妻の方の家族と言い争いじゃないですけど、「大丈夫じゃないの」「ダメじゃないの」家族間の中で得ている情報が違うので、言い争い、言い争いっていうと語弊があるかもしれないですね。議論、議論が、意見が全くもう食い違っちゃってる。情報量が多い・少ないとか、単純には終われないと思うんですが、お父さん・お母さんはテレビだけ。それと新聞ですね。
 私は、ネットなりなんなり、もうちょっと広い範囲で見れてると思ってたんですけど、当時は。
 なまじ見てる、知ってる情報の得方が違うので、噛みあわないんです。
 大丈夫な人は大丈夫だって言いたいし、私は危険だと思ってるんですけど、どう対処していいかわからない。遠くに離れれば無事なのか、今すぐいかなきゃならないのか、2週間後でいいのか、3週間後でもいいのか、それすらもわからない状況で。
 テレビを見ても、被害にあった津波の映像だったり、14日の時点だと、まだ全然何も何シーベルトが人にどれだけの影響を及ぼすのか、どれだけの被害を起こすっていうことすら、まだやってなかった。それを見てる余裕がなかっただけかもしれないですけど。
 14日・・・。あった後にですかね、米軍の80㎞圏内の避難っていうのが、結構大々的なニュースになってまして、それがまたそのテレビで発表されるものと、ネットの方で発信されてくるものだと、ネットの方がやっぱり広義にわたってるというか、「大丈夫だよ」っていうものから、「ダメだよ、今すぐ逃げなきゃダメだよ」っていう、幅がもう広すぎて、テレビだと結構、
『80㎞圏外に避難するように米軍が言いました。」
その事実だけ。
 じゃあ、その背景って何があるのかな?ってなったとき、ネットで見てると、もうそれは自分の中で処理しきれないくらいのものだったんです。
 実際避難しようと思っても、出てくるのはお金の問題だったり、現実的なものです。ガソリンも無かった。食べ物も無い。水もペットボトル3本、4本くらいしかない。
 酷い時は、私の住んでるマンションの下って行ったところに川があるんですけど、そこで頭洗ったりだとか、洗濯もの洗ったりとか、今考えると、どれだけ汚染されてたか判らないんですけど、当時はそんなの、降ってきて川の数値が高くなってるのかもすら、わからないので、普通に洗濯して頭を洗い、そんなことをやってた・・・。
 それで14日・・・。15日はですね、もういわきをひとまずあちらの家族と相談して離れまして、茨城のほうに一旦、避難して、一晩そこで過ごし、もう私がその時はですね、だいぶもう、疑心暗鬼というか、何も信用できなくなってたので、とりあえずあちらの親に、
「妻とお腹にいる子供だけでも親戚が埼玉にいるので、そこまで避難します」
と説得して、自分の車で高速を使わず下道で、埼玉まで避難したんです。
Q.埼玉のどちらへ行かれたんですか?
 あの、西川口のほうに避難しました。弟が居るんです。
 正直「埼玉なら、大丈夫だろう」と。原発問題しかり、水の問題にしても、多少は「いわきよりは全然ましなんじゃないか」と思ってたので、当時発表されたのは、多分10㎞20㎞の避難区域やらなんからが、広がってたと思うんですけど、今ある知識は風向きによって変わる。風下だったら100㎞離れていようが。風上だったら5㎞でも10㎞でも比較的安心だと。
 それもでも、5月、6月、7月に入ってきてから出た情報。
 当初なんて、「同心円状でダメです。ここちょっと大丈夫です。ここ、ちょっと安全です。」くらいの認識しかなかったので、
「とりあえずそこから出たい。避難したい。」
その一心です。
 その行動の根底にあるのは、子供なんです。
 チェルノブイリの奇形児の子供の写真を見てしまっていたので、もし、生まれてくる子供がこんなんなってしまったら・・・、どうしていいかわからない。
 ちょうど1年くらい前に、一度流産してまして・・・、しょうがない自然の流産だったんですけど、二人目ができて、無事安定期に入って、やっと・・・、写真ももう動くわけです、胎動で。
「やっと生まれてきてくれるんだ」
と思った矢先のことだったので、もう子供のことしか頭に無くて・・・。
「この子が無事生まれてくるには、俺はどうすればいいんだろう?もし、二人目、なんかあって生まれてきていまったら、俺はもう・・・。自殺するんじゃないか?」
と、そのくらい・・・、心配で心配で・・・。
 その時に子供に与える影響、妊婦さんい与える影響っていうのも、全然知識に無かった。映像で、こんなに酷い子供が5年後10年後生まれてきてしまう、写真、画像でしか見てなかったので、これだけは絶対避けようと思った。その一心で、3月はもう動いてます。
Q.川口にはどれくらいいたんですか?
 えーっと、自分が川口に避難して、弟に世話になってた期間は、大体2週間くらいですね。
 ちょっとひとり暮らしの部屋だったので、6畳、8畳一間くらいで、狭いところで3人ぎゅうぎゅうで住まわせてもらって、こっちも仕事も何も無いモノですから、料理手伝ったり洗濯手伝ったりで、生活を手伝って、食料買って、ちょっと地元の私の両親がいわきに残ってたものですから、不安で連絡を取りつつ、まぁにわか知識で得た情報だけ伝えて、母もインターネットとか全く使わずに、テレビだけで知識を得てた人だったので、
「これだけ危険だよ。外はこれだけ出ない方がいい。」
っていうのだけ伝えて。
Q.2週間あれば、最初の真っ白の状態よりもだいぶ詳しくなりましたか?
 そうですね。それを詳しくと言っていいかは判らないですが、出ていた情報の信ぴょう性が、自分の中でも選別でき、正しいのか正しくない情報源だったので、ツイッター上ですごい、流れてたわけです。
「これはデマだ。これは本当です。拡散希望だ」
もういろんなパターンあると思うですけど、流れすぎてて自分の中では、得たのはいいけど、その情報をどう処理していいのか、全く分からない。
Q.既存メディアの情報と、ネットメディアの伝える情報の差は感じましたか?
 爆発自体もそうですし、14日の3号機の爆発の時、あれも実は何時間も前に爆発してたのが、やっとテレビで放送された。
 ネットとかで出てたんですけど、その時はテレビしか、私はちょっとケータイがつながりにくい状態だったというので、テレビで見てて。
 それで後々知るわけです。携帯で見てて、
「あれは実は、何時間も前に起きてたことだったんだよ」
 そういうのから、そのテレビ、今まで自分が使ってたメディアに関するニュースだったりっていうのは、ちょっと信用できなくなってきてしまって、私の中での情報って、いい情報と悪い情報とあると思うんですけど、テレビでどういう意図で流さないのかわからないですが、とりあえず『これだけの危険性があって、これだけ大丈夫なんです』っていうのは、伝えるべきだと思うんです。
 そんな昔の、昔のって言ったらあれですけど、40年、50年前のソ連のような社会主義国のようなことは無いだろうと思ってたんですけど、どうも??が違う、食い違ってる。「これは信用できないぞ」ってなって、父親が透析でどうしてもいわきを離れられられなかったものですから、母親も一緒に残るって話になって、もちろん子供のころは心配だったんですけど、もちろん親も心配で、
「居るんだったら、とりあえず嘘か本当かわからないけど、こうしてくれ。例えば水は飲むな。なるべく戸は閉めてろ。換気扇は使うな。もし、何かあった場合、これだけの違いが出てしまうよ」
っていうのを、自分なりに母親に伝えてですね。なるべく「本当の」っていうのは・・・、いろんな情報を与えてあげたい。自分が得たものを伝えたいと思って、母親に伝えてたんです。
 その時は、もう3月の終わりくらい・・・、ですね。
 そこから大田区に、東京都の大田区におじさんがいまして、ずっとお世話になってた人だったので、話をしてみたら
「構わないから家においで」
ということで、一軒家だったので、私と妻が行っても全然寝るところもあるし、ゆっくり暮らせるんじゃないかということで、呼んでいただいて、そこに移って一週間くらいですね、お世話になって。
 正直、その時もお世話になってたんですけど、テレビは無い部屋だったので、ケータイのUstだったりだとか、ネットのSNS、ツイッターなり使って、逐一「いつ帰れるんだろう?」って。帰りたい一心だったので・・・。
 3月の終わりくらいになったときに、いわきの方では水が復旧したよっていう情報が、ツイッター上で地元に残ってる友達が流してて・・・。
 それを見てたので、戻りたいなっていう思いが・・・あってですね。
 家賃の件もあります。マンションの契約もして、お店のほうの家賃。実際問題お金の問題もあったので、このまま逃げるにしても戻るにしても、一旦東京を離れて戻ってみないといけないと、踏ん切りをつけて、妻と二人で戻ったんです。
 これも後で知った情報だったんですけど、ちょうど妻が検診の時期とかぶってまして、いち早く先生に診てもらいたかった。
 埼玉の弟のところに世話になってる時に、ネットで検索しまして、産婦人科医に連絡をとったら、快く診てくれるっていうことで、行ってですね、診てもらったんですけど、その時にちょうど
「どこどこの避難所だと、いわき市民は除外」
除外っていうか、入れないっていう。
「茨城の方の避難所で、福島県民は入れません」的な情報がツイッター上で流れてまして。
Q.それは事実確認してますか?
 噂です。噂で見てしまって・・・、でもそれは噂かどうかはまだその時はわからなかったので、もしかしたら、避難所がいっぱいで入れなかったのかもしれないし、別の意図があったのかはわからないですけど。
Q.差別されているような情報が流れたんですか?
 そう、原発事故の影響によって、差別されるっていうことが、もう自分の中に入ってしまったわけです。それまで一切そんなことはなかったわけです。
Q.噂が入ってしまった?
 自分の中に、その福島県民が差別されてしまっているという噂が、自分の中に入ってしまって、今まで全く意識してなかたものでも、噂として自分の中に入ってしまえば、これが、その情報が嘘か本当かはわからないけれど、もしかしたら、自分がこのさき行ったどこかで、いわき市民ということだけで、何か病院の診察拒否なりあるんじゃないか?と心配になってしまって、それで、もう、でもなんとか子供が心配だから診てもらおうと思って、電話をかけて診てくれるところを探したら、ちょうど一軒目で「全然かまいません。来てください」って。
Q.要するにそれは噂だった、思い込みだったんですね?
 実際に福島県民が差別されてたっていうのは、噂でしか、ただのうわさでしかなかったんですけど・・・、まぁ、今、いろいろ見てみたら、ネット上では流れてたのかもしれないけど、ただのうわさにしか過ぎない、それが判ったので、良かったんですけど。
 当時としては、ヒヤヒヤもんですから、検診の時期も過ぎた妻が診てもらえない、今現状、すごいストレスを抱えて生きてきた子供が、どういった状況で今お腹の中にいるのかすら、わからない。それがもう、不安で不安で・・・。
 産婦人科のほうに片っ端から電話をして、快く診ていただけるところがあって、
「大変だったねー。」
なんて話をしながら、先生に診てもらって、普通そういうところって、産婦人科ってカルテが無いとなかなか現状をつかめないので、あまり新患の人って診察しづらいっていうのがあると思うんですけど、それを快く、もうエコーやら写真やら、
「もし、放射線のことに関して不安なことがあるなら、私が聞くから、何でも聞いてください」
ってことで、すごく良くしてくれたんです。
 とりあえずお腹の子は無事だったので、一安心。
<00:39:45頃まで>

【その②】に続きます。
にほんブログ村 環境ブログ 原発・放射能へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他生活ブログ 東日本大震災・震災復興へ
にほんブログ村