※この記事は、11月8日 【内容起こし】IWJ百人百話 第2話 長野寛さんに関連しています。

11月9日 百人百話 第三話 関根妙子さん
http://www.ustream.tv/recorded/18405893 (43:31)

【以下、お時間のない方のために内容を起こしています。ご参考まで】

2011年9月1日収録
【このインタビューは、郡山で行われた『チェルノブイリ・ハート』市民試写会の直後に撮影されました。】
 郡山市にひとり暮らしをしている、関根と申します。
家の中ぐちゃぐちゃだったんですけど、何も手に付けられなくて。
なんだろう?今日しゃべりながら、自分で答えがほしくて来たような気がしていて。
Q.3.11震災の後に起こった生活の変化。
 はい。あの、郡山市内に一人暮らしをしている、関根妙子と申します。はい。33歳です。派遣社員をしております。
 実家が茨城方面に60㎞くらい離れたところにある鮫川村という田舎なんですけど、そこで実家は酪農を営んでて、毎週末帰るような日常をしていました。震災前は。はい。
 今も郡山に住み続けてます。 
Q.ずっと郡山?
 えーっと、そうですね。あの、ここに住んで郡山で、なんかやらなきゃいけないことがあるんじゃないかと思って、いろんな講習会とか聞きに行ったりしていて、実家に最近はあまり帰れないでいます。
 えっと、6,7年前までからで、郡山に住む前は、高校を卒業してから7年くらい関東のほうで働いてまして、東京都内とか千葉とかのあたりに住んでました。
 で、戻ってきて実家に1,2年居て、郡山でまた改めて生活を始めました。

Q.震災、その日。
 会社で働いてる時に、地震にあいまして、郡山の駅前で働いていたので、駅前にみんなで避難して、ずっとそこで2時間くらい待機して、そのまま帰ろうということで、アパートに帰りました。

Q.地震、津波、原発事故のこと。
 はい。えっと震災が金曜日だったので、帰ってからまずすぐテレビをつけて、テレビをずっと見てると津波の映像が流れてきて、仙台空港の映像が流れてきて、これは現実なのかな?っていうので、部屋の中ぐちゃぐちゃだったんですけど、何も手に付けられなくて、で、ずっとテレビを見てて、11、12、13を過ごして14日の朝に会社に自転車で向かっていって、その時は、もう原発は爆発してたんですけど、まぁそんなに大変なことだと思ってなかったので、会社にまず行って、その日10時くらいにすごい大きな余震があって、また「危ないから家で待機してろ」と言われて、14日の日は、部屋でずっと待機してたら、なんか原発がどんどんやばいかもっていう話になってきて、テレビですね。あんまり電話とかつながらなくて、もう自分でテレビを見て判断するしかない感じだったんです。
 で、15日の日に会社から、避難指示が出たんです。
「関東に避難してください。」
って。
 で、関東に避難しろって普通有り得ないなと思って、どういうことなんだろう?って思って、うちの実家の方が気になって、私はちょっと関東に避難しても避難先が無いので、「実家に待機でもいいですか?」っていうことで、会社のほうに相談したら、「関根さんは特別ということで」。
 それで実家ってちょっといわき方面の方に走っていくので、そこに帰る途中、みんな郡山に避難してきてる車ばっかりを、逆に私はスイスイと一人で、なんか、原発の方に走っていくわけじゃないんですけど、実家は逸れてるんですけど。でも、あの時は向かって一人で走ってるふうな感じに、映像的には見えたと思います。
 すごい渋滞してました。15日は。はい。
Q.避難後の暮らし。
 あの、実家に帰って、うちは酪農なんで、ずっと牛乳とか。なんか工場が被災して、しぼってもすてなきゃいけないという状況で、もう親とか原発かまってる場合じゃなくて、「牛乳しぼって捨てるのどうする?」みたいなことになっていて、牛乳をしぼらないと、牛が病気になってしまうかも、すごい泣いてしょうがないんですね。で、しぼって、たいてい1日4tくらいなんですけど、4tを捨てなきゃいけないということで、捨てるっていうのも簡単にいくことじゃなくて、穴掘って埋めるとか、そういうような作業をしなきゃいけないので、すごく実家は本当にテレビを見てる余裕もないという生活だったので、私も帰って、手伝ってて、なんか忙しいことしてれば、原発のことはあまり不安じゃなく居られる、家族もいるので、気持ち的にちょっと安心していられるっていう感じで、実家に帰ってきて良かったななんて思って、2日くらい実家にいたんですけど、15、16まで。
 それで、でも、姉が兵庫県に居るんですけど、姉がすごく心配してて、テレビとかインターネットとか調べてて、「みんな避難したほうがいいんじゃないか」ってすごい電話をくれていて、特に私はまだ結婚もしてないし、子供も産む一応予定のある人なんで、「もしあれだったら、私だけでも兵庫に避難してこい」って、ずっと何回も1日2,3回電話してきて言ってくれてて、私も両親に、
「もしこの牛を北海道に皆連れて行って、そっちで生活できないの?」
なんていう話もしたりしてたんですけど、
「バカ言ってんじゃないよ」
って言われて、それで、このままここに居ても会社が何日自宅待機させていただけるかもわからなかったので、会社に電話して、ちょっと相談したんですね。そしたら、
「もしあれだったら、宇都宮営業所で働くことも可能だったら、そっちに避難がてら来たら?」
って言われて、3月の17日に宇都宮にホテルとってもらって、2週間、避難生活をしてました。
 えっと、けっこうその頃は、私安心情報のほうばっかり頼ってて、結構栃木テレビで、すごい安全・安心を言ってる専門家の方のテレビ見て、「あ、そうなんだ。全然心配いらなかったんだ」っていうような感じで、それはなんか、ちょうど避難してる時に、出荷停止が出ちゃったんですね。牛乳の。出荷停止が出ちゃって、
「あー、なんか、家の方が心配で、自分一人で逃げてきちゃったけど、家族の方が心配で、私一人で避難してきて、何やってんだろう?」
っていう気持ちに陥ってしまって、それで2週間後に会社から「この先どうする?」って言われて、
「もしあれだったら、原発も落ち着いてるようだし、郡山に戻ります」
って言った日が、多分レベル4から上がった日なんですよ。レベルが。
「なんかレベルが上がったよ?」
って言われて、
「でも全然大丈夫だと思うので、帰ります」
って言って、帰ってきて。
Q.会社の避難指示。
 そうですね、私なんか特に派遣社員なんで、派遣社員にそこまでしてくれるっていうのも、凄い会社だなって思ったんですけど、海外から部品を取り寄せてて、デバイスを売ってる商社なんですね。だから多分海外からの情報っていうのは、入ってくるんじゃないかなと思って、それは友達に伝えてあげました。
「会社からそんな指示が出てるから、尋常じゃないかもしれない」
っていうことで、みんな私がそういう話をして、避難できないひとは、家から一歩も出ないで窓締めておくみたいな行動をとってました。
Q.再び郡山へ。
 4月1日から、郡山に戻ってきて、郡山で生活を始めたんですけど、でも、マスクとかは完全にして、手洗いうがいもすぐして、っていうのはなんとなくしておこうと思って、そういう中での生活を続けていて、でもそれでもお姉ちゃんはずっと心配していて、お姉ちゃんから電話が来るのがちょっと億劫だなっていう気持ちになっていたんですけど、
「とりあえずこのブログ読んでみて」
って言われたのが、武田さんのブログを読んで、そのブログを読み始めたことがきっかけで、いろんなものを自分で調べるようになったんです。
 それまではあまり調べてなかったですね。
Q.自分で情報収集を。
 今回は、震災で武田さんとかのブログを見るようになってから、ツイッターもアカウント登録したし、Facebookとかも登録して情報はいろいろ集めるようになって、「これはおかしいんじゃないか?」っていうふうになってきてから、私の中でかなりスイッチが切り替わって、なんか自分が見てるのは、危ない情報にばっっかり意識が行くから、そういう情報ばっかり集まってくるだけで、本当はそうじゃない情報も結構あるのかな?どうなのかな?ってすごく混乱しました。
 すごい混乱して、本当に自分でちゃんと調べて自分で判断して避難しようと思って、インターネットだけじゃなく、講演会を聞きに行くようになっていきました。
 一番最初のきっかけは、田中優さんの原発に頼らない社会っていう内容で、私、原発は無くすべきだっていう考えもあったんですけど、失くせるのかな?っていう考えも両方あって、ちゃんとそういう議論をできるようにするには、自分で調べなきゃなっていうのと、あとなんか放射線に関することも、いろいろ説明してくれるってことだったので、すごいわかりやすい講演会で、それを聞きにいったきっかけで、いろんな講演会に行ってみようって思い始めて、野呂さんのチェルノブイリの架け橋、野呂さんの講演会を聞きにいって、なんか、子供がやばいってすごく思って。その辺から子供を持つ自分の友人たちって、どういう気持ちで子育てしてるのかな?って思うようになり始めて、今そういう状況です。
Q.映画「チェルノブイリ・ハート」を観て。
 えーっと、そうですね。
 なんか映像の中で、避難、あそこまで自分の子供が病気になって、心臓の手術をしてお母さんがすごい心配して、泣きながら先生にこう、縋って「何とかお願いします」って言っても、お父さんは、「ここからは逃げられない」みたいなことを言っていて、私がこういう原発の被害を受けてなければ、「なんで逃げないんだろうな」って本当に画面の向こうの人に対して、すごいクエスチョンになっていて、昨日も自分が当事者なのに、画面を見ていて「なんでここまでなってるのに、逃げないんだろうな」って、単純に思ってしまったんですが、「自分も当事者だったよな」って思って、当事者になってみないと、こんなにも人の気持ちってわからないんだな。
 だから結構、友人とかに「なんで逃げないの?」ってすごく言われるんですけど。他県の友人には。本当にここに住んでると、こんなにも人って動けないんだっていうのが自分が身に染みて、今感じてます。
 こんなところに、こんな、いやー。ほんとに。別で写真とか見たことあったんですけど、眼が片方すごい膨らんじゃってた子とか。あー、無理無理。すいません。

Q.何故、私は避難できないんだろう?
 例えば、私もなんで逃げらんないんだろうなって自分、いつも考えてるんですけど、例えば火事が起きて、みんなここに残ってて、逃げようよって言っても、なんか逃げられれない人が居て、私多分1人で先に逃げられないタイプなんだろうなっていう気がしてるんですね。
 なんかもう多分、今既に煙にまかれている状態だと思うんですけど、引っ張って、一緒に逃げなきゃ逃げられないタイプ。その子たちを引っ張って一緒に逃げる。取り残して逃げられないようなタイプ。
 自分一人だけで逃げて、自分だけ生き残って、なんかそこに・・・。なんか自分が一人じゃなくて、彼氏とかが居たりとか、そういう状況だったら違うだろうなと思うんですが、今別に守るものが大してないというか、そういう中で生きてるので、そこに居る友人とかが、今一番大事で、その人たちが逃げないのに、自分だけ逃げてっていう決断ができないでいます。
Q.避難している友と避難してない友。
 旦那さんが残ってて、お子さん二人連れて長野県に逃げてる人がいるんですけど、同じ高校の同級生で、すごく仲良い子供を3人持ってる子と、2人持ってる子がいて、そこの家庭・家庭で全然意識が違うんだなとすごく感じてしまうんですけど。
 今逃げてる人と、逃げてない人の逃げてない家族のほうに、資料を持っていったことがあるんですよ。「大丈夫?」って。本当にちっちゃい子供だったので、
「もう気にしてても生活できないから、全然気にしてないよ」
ってこっちは言ってて、こっちは3月15日には逃げてて今も帰ってきてない。同じ今まで高校時代から仲良くしてても、こんなにギャップがあるんだなって感じてます。
Q.避難できるのに、しない私。何故?
 えっと、私は、今独り身なので、どこにでも、どこでも生活していける自身もあるし、一回関東に出てるので、避難してどこででも生きていけるだろうなっていう気持ちで、いつでも避難できるって思っているんですけど、じゃあなんで避難しないのか?っていうと、いつでもできるから、まだしないのかな・・・?
 まだここで、もうちょっと答えを見つけられていない。本当に避難しなきゃいけないのかっていうのが、わからない・・・。いっぱいいろんなもの見てるし、講演会も聞きに行ってるし、危ないし、自分が子供を産めないかもしれないっていう、いっぱい危険情報は仕入れているにも関わらず、どこへでも行けるはずなのに、なんで逃げないのか?っていうと・・・。うーん。
 いつでもできるから、もうちょっとここでやることがあるんじゃないか?っていう思いがあって、この今のこの福島で、皆が普通に生活してるところを見てると、なんかそれが異常で、何なんだろうっていう、その中に生きてて、「何なんだろう?これは?」っていうのをもっと知りたくて、ここに居るような気がしてます。
 危機感は、毎日ぐるぐる回ってます。
 なんかこう、危機感をそういう映画を見ると「やっぱり明日避難しなきゃ」って思って、明日の朝になって、町に出てみると皆普通に自転車こいだり、高校生はキャッキャッ歩いてたりとか、ほんとに車もいっぱい渋滞してるし、普通の日常があると、なんか自分は昨日だけのなんか、そこの空間で不安になっただけで、なんか、やっぱ見えない恐怖って怖いなっていうのは、そこなんですけど・・・。
 あの・・・。
 やっぱ危機感が薄れちゃう。毎日薄れたり、やっぱやばいって思ったり、薄れたり、っていう繰り返しをして、決断できないでいるんですね。
Q.兵庫にいる姉からの電話。
 ホットスポットですね。なんか、もう「そんなにそこに居続けない方がいいんじゃないの?」っていう電話を・・・、しゃべる度に言ってくれて、それで私は、「いや私、何があっても逃げないよ」って言ったら、きっともう言わなくなると思うんですけど、「うーん、そうだよね」って悩んでるから、ずっと言い続けてくれているような感じで、もし万が一お姉ちゃんのところに来てもいいよっていわれて、兵庫県に行って、自分がそこで生活して、今みたいな、ここにやっぱ居心地がいいんですね。この町が。友達もいっぱいいるし。
Q.やっぱり福島が好き…。
 そうですね。ちょっと帰れば実家もあって、居心地がいいんです。
 それなのかな?私が離れられない理由って。
 でも、多分簡単に関東とかに好きな人ができて、とかだったら、多分行けるんですけど、目的がないと行けないのかな?避難だけでは、目的がないと・・・。離れられない。
 やっぱ危機感薄いですよね。いろいろ見てるくせに。これは、私、大丈夫かな・・・?
 ・・・にならないですね。
 しゃべってて、わかんなくなりました。自分で。 
Q.避難するために必要なもの。
 恋。<笑い>
 そうですね。
 何か目的がほしいです。ただ逃げてほかの地に行くんじゃなくて、・・・言えない。言えません。
 すいません。

Q.実家にも帰れない私。
 あの、うちの父は結構自由に野放しにしとくタイプで、こないだ初めて腹を割って話したら、本当は心配してたみたいで、郡山線量高いから、せめてうちの方に、鮫川村は0.2とかなんですね。せめて鮫川村に帰って来いって言ってくれて、でも、鮫川村が安心なのに、なんで私はそこにも帰れないんだろうって。
 鮫川村って電波も届かなくて、最近やっとドコモが通り始めたんですけど、なんかあそこに行くと、ちょっと社会と切り離されたような世界になるような気がして、違う自分になるんですね。
 だから、土日だけ帰るっていうのが、すごい私のスタンスに良かったので、やっぱ今までの生活が変わるっていうことが、すごく嫌なんだ。だから、避難できないような気がしてきました。今しゃべってて。
 私の周りの同じ年齢で独身の子も結構いるんですけど、様々。避難を考えたことは一度も無いっていう子もいたし、ここでやりたいことがいっぱいあるから、避難??っていう、多分怖い情報を観たくなくて、もう見ても多分逃げないから見ないっていうことなのかな?って思っている子と、あともう一人の子は、私が連れまわしてるので、怖い情報を知ってて、私よりも怖がりだから、多分私に似てますね。考え方が。「避難したほうがいいんだよね、でも??だからできないよね」って言う感じで、一緒に悩んで・・・・。
Q.答えはどこにあるんだろう。
 なんだろう?答えがほしかったから、自分の答えがほしくて来たような気がしていて、それなのに、やっぱり自分ってなんでこんなにいろんなものに優柔不断になってるんだろうってことが露呈しただけで、見つけられないかもしれません。????いきます。東京へは、3か月くらい説得して、毎日毎日、なんか泣きながら行きたいって言って、許してもらえていったんです。
 なんかやること全部やって、「あ、こんなもんか」っていう満足して帰ってきて、あの、東京でも郡山でも変わらないな、自分次第なんだなっていうのは感じていることなんですけど、一回出てからの郡山に住んでるのと、何も知らないで郡山に住んでるのは、また違うかなと思っているんですね。
 でも、キライじゃないです。東京は。
Q.避難する動機…。
 あの、私が避難できない理由って、なんでこんなに決断できないんだろうって考えて、今しゃべりながら気が付いたことは、やっぱり避難っていうのは、どうしてもマイナスイメージで、だったらここにいたほうが楽しい、でもきっと避難したら楽しくない。
 でも、その避難した先に好きな人が居たり、たのしい街だったり、例えば沖縄だったら避難していいなみたいな、そういうポジティブな発想だったら、逃げれるような気がするんですね。でも、自分で新しく一から生活を、仕事探して、そこで人と新しい出会いで慣れ親しんでいかなきゃいけないとこっていう思い。だったら、
「このままここに居たほうがいいやー、なんかどうせ見えないし、放射能ほんとに怖くないかもしれない」
みたいになって、そのまま居るんだなっていうふうに、ちょっと気が付いてきました。
 そういう避難先に明るい何かを見つけられるような、避難の仕方を考えていきたいと思います。
 一時本当に沖縄だったらいかもって、避難を考えたことがあるんですね。
 あるんですけど、でも、現実、沖縄・・・、「1人で行ってもなぁ」っていうとこで、結局ここにとどまっているっていう・・・。
 もし友達同志で「一緒に逃げようか」っていうことになったら、一緒に逃げれると思うんです。1人だったら逃げられなくても、友達同士だったら逃げられるんですけど、その友達も仕事を辞める決断を一緒にしなきゃいけないし、そのタイミングが合えば、一緒に避難できるかもしれないですし。
Q.一緒に避難する仲間。
 あー、居ないですね。
 やっぱ皆、そこまでの決断に至るまでに、うーん・・・。
 多分現実には無いと思います。友達と避難するっていうの。一生一緒に友達と生活できるわけじゃないから。私がそう思っても、向こうは笑い話で終わっちゃう。ないですね。
Q.避難を決断できる時。
 もし、今このまま自分が決断をできないまま、4年5年、ここで生活を続けて、万が一福島県内の病気の確率が高くなったりとか、出産率の低下とか、出産率の低下はちが・・・、流産がちょっと増えてきたっていうのを最近聞いたんですけど、それが本当にもっと数字として現れてきたときに、やっとそこで重い腰が上がるのかもしれない。今は、まだその鼻血が出たっていうのも、よく聞きますけど、それが果たして?っていう。
 結構、私、情報に操作されてる人間だなって思うんですけど、インターネットとか講演会とか聞きに行くと、いっぱいそういう情報を聞くんですけど、それをテレビとかでやらないと、あの講演会で言ってた人たちが、逆に過敏なのかな?って、逆にこう、温度差になってしまって、テレビに結構影響されてるなって思います。
 テレビとか周りの人の普通の生活してる日常に左右されています。
 あの、私の友人とか友人の子供とかは居ないです。講演会で、手を挙げたお父さんが、
「うちの子供がみんなで鼻血を出しました」
とかそういう話を聞いて、自分もなんか4月の下旬くらいは、すごい調子が悪くて、喉がずっとイガイガしたりとか、そういう身体に異変もあったので、余計調べだしたっていうきっかけがあったことを、今思い出しました。そういえば。
 もう今は全然なんともないので、「やっぱ大丈夫なんだな」って、内部被曝を気を付けていれば、大丈夫なのかもしれないっていうふうな感覚も持ち始めてます。
 私みたいに思って、「今は外部被曝より内部被曝だよ」って言って、生活してる人が多いと思うので、だったら私もやらないよりやったほうがいいのか、そのやって余計ひどいことをしてしまうのかもしれないけど、除染っていうか、そういうことを考えていこうかなと今思っているところです。
Q.やっぱり一生福島にいる?
 えっと、私は、一生福島にとどまりつづけるっていう覚悟は無いです。
 無くて、でも、もしここで本気で好きな人が出来てしまったら、どうするんだろうな。
 好きな人だったら、どこでも生きていけるって、今まで強く思ってたんですよ。それが福島の人だったら、「福島から外に連れて行ってくれる人じゃない」って思っちゃうかもしれないですね。
 その人が一緒に「ちょっとここヤバいから一緒に逃げようか」って言ってくれる人だったら、すごくいいんですけど、「ここで生きてかなきゃいけないから、ここから逃げないよ」って言う人だったら、ちょっと考えちゃうかもしれない・・・。
 どこかで、あの、出ていくきっかけ探しをしてます。
 あの、だから、福島の人だったら困るって思っちゃってます。
 県外にそういうきっかけの動機がほしいです。
 ずっと福島に居続けるっていう強い気持ちは無くて、逃げたい気持ちがある中で、今生きてるんだから、ここでじゃあ何をするっていう、答え探しをしてる状況です。
Q.揺れ動くこころ。
 なんか、私のこの年齢で、今こういう状況になってしまって、とっても実は心境は複雑で、あの・・・。どっちの覚悟もしてるんです。
 一生独身でいるべきかもしれないなっていう、ちょっと悲しい覚悟もしてて。
 うーん・・・。
 ここで被曝してしまって、この年齢で・・・、すごい『リスクの高い独身女性だな』って、自分をそういうふうに評価していて・・・。うーん・・・。
 だからといって、県外に避難して新しい人を見つけるっていうのは、行ってから探すっていうのがすごく寂しいことな気がしてしまっているんですね。
 なんでかっていうと、期待して行ったのに見つからなかったら、その時の寂しさったらないなっと思っていて、だったら、一生独身かもしれない覚悟の上で、ここに居るほうが後悔しないのかなっていう迷いの中にいます。
 33歳、ハイミスだと私は思っているんです。あの20代の時に、「30越えて独身ってなんかあるよ」って自分自身思ってたのに、気づいたらその年齢とっくに過ぎてしまって、すごい人生相談みたいになっちゃいましたね<笑い>。
 それでもって、被曝してしまって、でも被曝のせいにしたくないんです。そういう、自分が生きてきた中ですから、ただ、そういう目で自分を「じゃあもらってください」っていう相手が出来た時に、どうなのかな?って。そういうジレンマが出来て、私はその恋愛さえも諦めてしまうかもしれないです。ちょっとわからないです。なってみないと。
 もう私は、もし、彼が自分を「それでもいいよ」って言ってくれたとしても、今度その上のハードルとして、彼のご両親だったり、そういうものもあるのを、なんか乗り越えるっていう気力がないんですね。
 なんかちょっと被曝してしまった時点で、結構あきらめも半分あって、それを乗り越える自分の気力もないし、相手にそういう思いまでして、自分と一緒になってもらうっていう・・・、なんかあんまり自分に自信がないからそう思っちゃうのかもしれないですけど・・・。
 そういうなんか、けっこう、余計に自身が無くなります。自分の結婚観に対して。すごい今まで結婚したいって、すごく思って生きてきたんですけど、子供もいっぱいほしいと思って今まで生きてきて、それでこういう災害に遭ってしまって、私の夢って、家族を持つことだったんです・・・。
 でも、気がついたらこの年齢になってて、それでもまだ夢も希望も捨ててなかったのに、被曝してしまって、一応それでも気を付けて生活してるから、「しっかりしてましたよ」って言えるくらいに、本当にマスクもしてるし、そういう生活はしてるんですけど、でもやっぱりダメかもって、思っちゃってます・・・。
 赤ちゃん、私がもし、そういういい人と知り合って、自分を愛してくれる人と知り合って、そのご両親も納得してくれて、そういうのを越えてまで私を受け入れてくれた人に対して、万が一、出産した時に、体の弱い子が生まれてしまったら、もうなんか申し訳なくて、なんかそういう先まで考えると、なんか、もしかすると一生独身の覚悟をしなきゃいけないのかな?っていうのは、思ってしまいます。
 私は、結構、あの、あの、好きになったらどこにでも行っちゃうみたいな人で、ポジティブでしたし、楽しかったいいみたいな生活で生きてきて、楽しいことを見つけることで、生きる喜びを感じて生きてきてたんですけど、なんか・・・、この被曝・・・、本当に原発災害があってから、半ば諦めちゃってるんです、自分の人生・・・。
 こんなこと言ったら、親も悲しむと思うんですけど、でも、まぁそれまでに結婚して子供産んでなかった自分の人生のタイミングの悪さだったのかなって、受け入れるしかないかなと感じています。
 えっと、放射能の影響を、講演会で放射能の影響っていうのを調べ始めた時に、やっぱり遺伝子が細胞分裂するたびに、傷ついた細胞がそのまま増えていくと、駄目になるっていう。だからもう30過ぎてると、たくさん細胞分裂はあまりしてないから、影響は少ないって聞いて、自分は大丈夫だって。ただ、その子供とかっていう影響が大きいっていうのは、判り始めた時から、「あ、ちょっとヤバいかも」っていうふうになってきました。
 好きな人が居れば、乗り越えられるかも、今は。
 全然見えないです。先が・・・。
 あの、私は、ここで生きていて、なんか自由な身のくせに、何かに縛り付けられていて、避難できないでいて、何の説得力もないし、何か、誰かがこれを聞いて、何かを感じるかもわからないし、本当はここで、皆が避難するような形のことをお話したかったんですけど、自分の中で答え見つかってないのに、そんなこと言えるはずもなく・・・。
 本当は昨日の映像を見て、チェルノブイリ・ハートを見て、そのことでやっぱり危険かもしれないっていうことは、改めて向き合い始めたいっていうことを、今日話したかったんですけど、ここに来るまでの自転車こぎながら、普通の日常を見てて、また私って、気持ちこうやって振れるんだなって思ったら、なんか何もしゃべれなくなってきてしまって・・・。
 あの、「こういう人もいるのかな、福島には」っていうふうに、同じような人もいて、逃げられない人もいるんだなっていうことを感じてもらえれば、いや、感じてもらう? 
 私もいずれ避難したいと思いながら、これからもそういう決断できるように、なんか向き合っていきたいと思います。
 うーん・・・。なんかうまく言えないですけど。
Q.本音。
 ちょっと今、実は、その結婚の話が出た時に、普段、泣かないようにしてるんですけど、ちょっと今、ぐっと来てしまいました・・・。
 「私ほんとはそう思ってるんだ、心の奥で」って・・・。
 なんか、改めて気がついちゃって、ちょっと泣きそうになりました。
 なんか、しゃべってみたりとか、向き合ってみないと、自分のこともよくわからないで、わかんないから、ここでなんかもやもやして生き続けてる感じがしてました。
 今しゃべって良かったです。
 友人と話すことはあるんですけど、
「避難したいね、そこの先に連れてってくれる人がいいね」
みたいに、夢物語だけしてます、いつも。
 重たい話じゃなく、「誰かそこにいい人居ないかなー」っていう感じですね。
【以上】

Q.揺れ動くこころ。のパート。
同じ女性として、非常に胸に突き刺さる内容でした・・・。

失礼します。
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