※この記事は、
10月11日 小出氏:東京都のセシウム汚染状況、二度と戻れない地域、子供たちの甲状腺ガンとチェルノブイリハート@たねまき(菅谷市長の話が出てきます。)、
10月9日 福島県:36万人の18歳以下の子供全員の甲状腺検査開始
10月7日 今中哲二助教の2006年のチェルノブイリ20 年:事故の経過、汚染、被曝、影響をご紹介
10月4日 【内容お越しUP】小出氏:玄海原発4号機の『トラブル』、子供たちの甲状腺被曝@たねまき
10月4日 【動画追記あり】福島の子供たち130人中10人に甲状腺機能に変化・・・などに関連しています。

本日、今朝早くに行われた菅谷昭(すげのやあきら)松本市長の講演会です。
多くの方が文字起こしを希望されていたので、やることにしました。

是非多くの方に届きますように・・・。

どうぞ。

【動画】

2011/10/14『チェルノブイリから学ぶこと』~放射能から子供たちを守るために~
菅谷昭 松本市長 講演会 in 福島
http://www.ustream.tv/recorded/17868965 (76:30)


【以下、時間のない方のために、内容を起こしています。ご参考まで】

※スライドが不鮮明だったため、2012年2月9日菅谷昭氏講演会:『放射能被曝から子供たちを守るために 国、自治体、市民がすべきこと』http://www.ustream.tv/recorded/20598356から拝借、差し替えました。 

(菅谷氏)
皆さん、おはようございます。
ただ今ご紹介いただきました菅谷でございます。
本日は子供たちを放射能から守る福島ネットワークの会の主催によります講演会にお招きいただきまして、こうしてお話しする機会をいただきましたこと、大変うれしいを言えればいいんですけれども、今日の話題は嬉しい話題ではないということで、私自身、大変複雑な思いであります。

本当に今回の事故に伴って、福島県以外の方もいらっしゃるかもしれませんけれども、大変苦しみ、悩み、これからどうしたらいいのか?ということで、日々ご苦労されている方々がいらっしゃる中、私自身がチェルノブイリの原発事故の医療支援ということで、5年半ほど現地で子供たちの甲状腺の手術に携わり、尚且つ、汚染地をあちこち回りながら、子供たちのお宅に伺って、診察したり、またいろんな悩みを聞いてきたということ、そういう経験があるものですから、私自身、本当は信州の田舎からこの福島に来るなんてことは、とっても考えてはおりませんでしたが、誠に残念ながら、日本でもチェルノブイリに匹敵するような原発事故が起きてしまったという事実を元に、改めて我々自身が、原子力災害に関して、或いは放射能災害に関して、しっかり考えていかなければいけない、こういう時が到来したものと思います。
私としましては、これからお話する中で、皆さん方に、原子力災害というのはどういうものであり、また、今後直面している現状において、皆さん方がどう対応していくか?ということの、少しは参考になればということで、お話させてもらいますが、なにせ今日のお話は、決して煽るつもりはありません。事実だけお話しますから、後は皆さん方がそれぞれに判断されて、行動していただきたいというのが、私の気持ちでございます。
実は、昨日、東京で午前中は、野田内閣におきまして、新しい文部科学省の審査委員が決まって、文部大臣、それから副大臣、或いは政務官の???、放射線について勉強したいのでということで、呼ばれてお話してまいりまして、その辺も今日の話の中と関連ありましすから、国に対して「こうしてほしい」と強く要望してまいりました。
その辺もお話してまいりたいと思っています。
私は、事故後福島にはこれで3回目なんですね。講演に来るのは。
一回目、二回目の場合は、医療関係者、それから一般の業界の関係者とお話したんですが、今回はある意味ではまだ一番??の形をどうしたらいいのか?ということを悩まれてる皆さんで、5月6月以降、新しい事実が国から発表されておりまして、事態が少し変わってきている、そういう中で、改めて我々はどう対応すべきかということを含めて、お話させていただきたいと思います。
今日は、先ほど植木さん、または、??さんお話ありましたけれども、皆さん方からのご質問が大変多いということ、それから今日私がお話しようと思ったけれども、多分皆さん方のほうが相当勉強されて、そしてよく知っていることも多いと思いますから、少しレジュメをお配りしましたが、私の中で的を絞ってお話したいと思います。
私は今日はまた午後新潟で講演があるものですから、そういう意味でもって、午前中に話を終わらせて向こうへ行くものですから、そういう意味でも、効率的に今日は時間を使ていきたいと思います。

<04:50頃~>
それでは、最初にですね、皆さんにスライドというか絵をお見せしながら、チェルノブイリの状況をお話して、その後、レジュメにそってお話していきたいと思います。
『チェルノブイリから学ぶこと』~子供たちを放射能から守るために~、こういうタイトルをいただいていますから、これに沿ってお話します。
それでは、スライドお願いします。

3


これ見ていただきますと、これはなんの変哲もない大平原の情景ですが、私は10年前に日本に帰ってきました。5年半の医療支援活動を終えて。
その時に、2001年ですが、全国あちこちに呼ばれてお話させてもらいました。
これが一番最初に出したスライドなんです。
これはベラルーシ共和国の大平原です。見てもらうとわかるように、この緑と更なる空。ブルーですね。
ここは、緑のじゅうたんが敷き積まれて、旧ソ連邦は、ウクライナも含めて肥沃の大地、穀倉地帯だったので、ここでは麦とか、あるいはとうもろこし、それから馬鈴薯、じゃがいもとかその他いっぱい作られて、肥沃の大地でございまして、ここには湖があったり川があったり、いろんなところで本当にすばらしい大地でした。
こういうところに村もあります。ここは林、ずっと林になってまして、山はないですね。その向こうが地平線で、夕方になると本当にロマンチックでございますけど、大きな太陽が沈んでいく。山国生まれの私にとっては、いつも感動的な自然を見せてもらったわけですが、そういう中で、ここに暮らす人々は、天の恵みと地の恵みによって、本当に心豊かに、物質的には貧しいかもしれませんけれども、心豊かに一生を終えているという状況でございます。
これが、チェルノブイリの事故によって、一変してしまったんですね。
そして、ここは今、高度に汚染されて、人が住めない・・・ですね。
これをお見せして、私は10年前に日本でもこういうふうな状況が起こりうる可能性があるけれども、無いようにお願いたいとお話しますと、ほとんどの会場の皆さんは、チェルノブイリの皆さんはかわいそう、子供たちがかわいそうとして、自分のこととしては捕えなかったですね。
ところが、今取り出して、これを皆さんにお話しするような場が出てきたものですから、改めてお見せしますと、今は皆さん本当に真剣に見てらっしゃる。
これが、要するに、原子力災害と自然災害の大きな違い。ここは人は住めない。これは原子力発電所の中の事故によって、30㎞、これは後程お話します。
ですから、自然災害の本当に今回の場合もそうですし、被災された方々に本当にお見舞い申し上げますけれども、みんなで力を合わせたら、またここに住めるんですね。自然災害というのは。阪神淡路大震災であれだけひどく大地震によって、破壊されて被災された神戸も、数年後には見事に復活して、復旧しております。
ですから、それはいいんですけど、この原子力災害の場合には、これから住めない、原発事故が1986年の4月26日に起こりまして、今年が25周年です。でもまだ30㎞ゾーンの中は、除染しても、まだなお住めないということで、今後こういう状況が福島県の中において、起こりうるかどうかということは、うーん、ねぇ。わかりませんね。
はい。では、次お願いします。
2
これは、チェルノブイリ原子力発電所の4号炉でございまして、これが爆発事故を起こしたんです。25年前でございます。
そして、このチェルノの原発がどこにあったかと言いますと、これがウクライナ共和国で、そしてその国境があります。その北にあるのが、ベラルーシであります。私はここに5年半いたんですけれども。それで、国境沿いでウクライナ側にあった。こちらは東側が、これはロシアでここにモスクワがあります。
こういう地理ていな関係。
ここにポーランドがあります。
ここはちょっと覚えておいて、隣にポーランド。
結局、ここで大きな爆発事故を起こして、こういうような家庭で、風で季節風に乗って、汚染が広がっていって、特に大量の放射性物質が空中に吹き上げられまして、大きく汚染されたのは、もともとあるウクライナ、それから原発のないベラルーシ、それからロシアですか。さらにはこちら北欧の??、ポーランド、或いはドイツその他こちらの国も汚染された。しかし、結果的には北半球全体が汚染されたんですね。ですから、日本も軽度に汚染されたわけでございます。
はい、次。こうやっていって、後程もうすこしわかりやすい地図にいきますけど、要するの放射性物質に汚染されたものが、こうやってドンドン広がっている、例えば30㎞とか、或いは100㎞とか200㎞とか広がっていきます。これは400、500ですから、これでも広がっていく。ホットスポットがあるんですね。
次をお願いします。
3
これは、1986年の事故で5年後の1991年、事故後5年目ですけれども、私は市民グループと一緒に活動に入りまして、これが5年後のいわゆる初めて私がチェルノブイリ原発を訪問したんですね。??の許可を得まして、中に入れてもらったんですが、この時は、??オーバーでズボン、それからベレー帽と、こういうふうな形に、向こうから一式これをはいてくださいと言われて、そして、ここから7,80mなんですけど、これが4号炉なんですけど、ここが大爆発を起こしましたが、結局火事にもなりまして、消火作業で消えないものですから、何をしたかというと、ヘリコプターで上から鉛を撒いて、さらに固めて、その上からさらにコンクリで固めたわけでございます。
これを『石棺=石のひつぎ』というわけです。
今回、福島の場合でいうと、石棺というわけではないですが、水棺とかいろいろ難しい、今も少量ですけれども放射性物質が放出されています。
チェルノブイリは、大体11日には、全部収束してるんです。この辺は大きな違いです。
ただし、もう一つ違いがあって、こちらは原発が稼働している時に起こってしまっています。今回の福島の場合は、冷却じゃないけど、一応地震でストップしてますから、この辺はまた違うんですけど。また、こちらの場合は、まだ炉心の中で核分裂反応を起こしている可能性があるものですから、時間が経ちますと劣化してきますから、こういうところから放射能が漏れてくるということが心配されているんですけれども、福島の場合は、逆に今度は7か月経っても、今もなお放射性物質は漏れている。この辺が違う。量が違うんでしょうけど。
はい、次お願いします。

8


ちょうど私の今の写真の足元で今、ガイガーカウンタで測定しております。
これは、事故後5年目です。ここで測ってるんですけれども、どうやっても針が振り切れてアラームが鳴ってるもんですから、これは小児科のドクターですけれども、
「やばい!逃げろ!」
と言って、彼はハンカチで鼻を押さえてまして、通訳さんも鼻を押さえてますけど、私も本当に無防備だったので、よく知らなかったってことですよね。こんな恰好をしててもですね。多分この下からは、相当のガンマ線が出てるんだろうと思います。
それから、これは空間線量を測ってますから、この辺には相当の放射性物質がうごめいている。考えてみたら、原発から7,80mのところへこんな恰好で入ってます。
今皆さんが、福島の場合に作業員が重装備で、防護服、防護マスク要りますけど、僕らの場合はこんな感じ。
ここは全くこんな恰好でやってますから、それくらいに放射能、放射線というのは、目に見えないし、においもしないし、味もしないですから、そういう意味での恐怖というのはありますから、これをどうやって管理するか?というと、結局はこういう測定で値をだすしかないんですね。空間線量等で。
あとはわからないですね。
先日鹿児島に行きましたけれども、鹿児島市内の場合は、桜島の爆発によって、灰があちこちあって、それでもって、爆発がわかりますけれども、放射線の場合には、こういう測定以外は、人間の感覚ではわからない、この辺がやっぱりこれから福島の場合には、こういう測定をしながら追っていくしかないでしょう。
次をお願いします。

9


これは、改めてちょっとお見せしたかったのは、ベラルーシの地図の一部です。
ここに原発がありまして、ちょっと画像が色分けしてちょっとわかりづらいんですけど、言いたいことは、ここは30㎞ゾーンで、ここは強制退去の地域でございます。そして赤になってだんだんに色が薄くなってくる状況で、しかし結局はホットスポットというのは、あちこち飛びますよ?ということで、こういうふうに、赤や中には紫とかありまして、こういうところは、基本的に人は住めない状況になっています。
それから、また、こういうふうにあちこち、軽度の汚染地があって、私は、中を動いて5年半いたわけです。
次お願いします。

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そういう意味でいきますと、最初に政府が20㎞うんぬんというときに、私自身はチェルノブイリから考えれば、そんなことはなくて、範囲なんてどんどん広がりますよということは、ずっと言っていたわけです。
アメリカが、80㎞までとにかく逃げなさいとアメリカの場合、フランス・ドイツ。結局海外の方が、相当敏感に逃げましたよね。
今考えてみたら、当たってるわけですよね。
日本の政府のほうが、そういう意味で、危機意識というのが非常に軽かったということです。
これは、30㎞ゾーンです。ここから向こうは住めない。基本的に住んではいけない。強制的にですね。本当にいいとこですね。林もあるし、村々もたくさんありますけれども、でもここの村々から200くらいですかね、あまりにも高度に汚染されてますから、そういうお家は全部壊されて、そして埋められたんですね。
「埋葬の村」と呼ぶ人もいます。
こういう状況で。
ここは、結局、25年経過してますが、今も住めない。高度に汚染されて。
こういうところは、除染してますけど、でも、こうい林の中、除染できないんですよね。やるとしたら、全部木を切ってやるしかない。その辺がやっぱり不可能な状況で、汚染の状況は今もって高度であるという状況であります。
次お願いします。

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これは、放射性のヨウ素の汚染のマップの状況。
先ほどは放射性セシウムのマップです。
ドーンと爆発しますと、最初に出るのは、放射性ヨウ素。当時合わせてセシウムも出るんですね。一般的に。その時に、後で、あとでっていうか、どのくらい時間差があるかわかりませんが、セシウムとかヨウ素の後で、ストロンチウムとかプルトニウム、そういうものが、出てくるわけであります。
この放射性ヨウ素のマップが、これ、5月の1986年の5月の10日の時のマップなんです。ということは、事故後2週間後のマップがこうやってちゃんと出るわけです。今、政府から放射性ヨウ素のマップって出てないですよね。8月末に出たのは、放射性ヨウ素じゃなくて、セシウムですよね。そういう情報をもっと出さなきゃいけないのに、どうしてかわからないが、出ないですね。持ってるんじゃないかと、わかりませんけど。
要は、これを見ていただいて、ここにチェルノブイリの原発ですが、大体セシウムと同じような拡散の動きを示してますから、今回の、これから後は推測ですけど、8月末にセシウムの土壌汚染マップが文科省から出てますけど、それを考えれば、大体似たような状況があるのかな?ということで、軽度の汚染地の???ありますよね。こういうような状況が福島の場合も考えられるのかなというふうに思ってます。
もう今やっても、放射性ヨウ素は半減期はご承知のとおり8日ですから、3か月から半年たつと、影響無くなっちゃいますから、今から測定しても出ませんから、多分今回のセシウムの時は、同時に放射性ヨウ素も測ってますけど、それは出てないと思いますけど、最初の時にやっぱりどうなのか?ということを、我々としては、非常に気になるところで、皆さんもですね。
はい。次お願いします。

8


私は、事故が起こった時から、枝野官房長官、今は経産大臣になられましたけど、
「ただちに影響はない」
と言っていましたが、いや、ただちに影響はないっていうことは、基本的には内部被曝より外部被ばくのことを言っているわけで、私は最初から内部被曝のほうが問題になりますよ、しかも急性の影響じゃなくて、晩発性の、遅れて出てくる影響がりますから、あまり、安全、安全ということはどうかな?ということを、田舎の方で発言してたんですが、私はなぜそれを言いますかというと、内部被曝の典型的なガンの症例というのが、ご存じのとおりチェルノブイリの子供の甲状腺ガンがありましたから、内部被曝の典型的なものを経験してますから。甲状腺というのは、?の前に喉仏、蝶々が羽を広げたような臓器で、体の代謝や発育をつかさどる、大切なホルモンを作って分泌するわけですが、このホルモンの主成分、というか材料がヨウドであります。このヨウド、ヨウ素は、昆布やワカメに大変含まれていまして、口から入りますと、胃腸から吸収されまして、その80%、ほとんど甲状腺に取り込まれて、それが素材となって甲状腺ホルモンを作ってるわけです。一般的には。
ところが、この甲状腺というのは、これが安全な??のヨウド、こちらは放射性ヨウドというのが区別できませんので、空から放射性ヨウ素が待って来たり、また口から放射性物質が入ってきたりで、そうしますと体に入りますと、甲状腺はヨウ素であれば何でも取り込んでしまう。今回の場合には、放射性ヨウ素を大量に取り込んで、結果として取り込まれた放射性ヨウ素の中から、ベータ線というような非常に飛ぶ距離が短い、大体10㎜程度ですかね、放射線が飛ぶ、それを出して、そして細胞の中にある細胞核の中にあるもののDNAに傷をつけてDNAの中には、ガンを起こさせる遺伝子がありますから、その遺伝子を常に影響を及ぼして、結果的に甲状腺がガンになってしまう、そういうメカニズムになっているわけでございます。
そういうことで、今回の場合には、特に、子供たちの甲状腺がんが非常に増えてしまったんです。それだけ放射線の影響というのは、小さければ小さいほど影響を受けやすい。これは放射線の感受性が関係するのです。
次お願いします。

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これは、チェルノブイリの原発のあと、子供の甲状腺ガンがどのように年次推移したかというもので、この横軸が何年ですね。86年88年。縦軸が症例です。子供ですよ。
これは86年。原発で事故が起こった、チェルノブイリの。
子供の甲状腺ガンというのは、大変珍しくて、大体子供人口の100万人に1人から2人なんです。チェルノブイリの事故の場合、では事故の前はどうだったか?というと、ベラルーシの国全体で、大体国際的な水準と同じ、標準と同じくらいですね。発生頻度は。
これを見ていきますと、86年、事故の時。87年、88年、やっぱりぼちぼちど増えてきてますね。2例とか3例とか。90年の時に突然ガッと増えてたんですね。この年を入れてみますと、5年目ですね。ここからずっとですね、異常な増え方でございまして、ベラルーシの時は6つの州・県に分かれてますけど、特に一番高度に汚染されたゴメリ地区、そこに住んでたんですけど、大体通常の130倍に増えてしまったわけです。これは異常だということで、国際原子力機関も子供の甲状腺ガンだけは認めてくれたんですけど。
こんなことで私は、あまりに増えて、僕自身は96年の始めに向こうに渡ったんですけど。非常に増えてますね。
こういう状況でありますから、内部被曝というのは、すぐには出ませんよというのは、これを見て一目瞭然ですけど、4、5年経つことによって、子供の甲状腺ガンは出てくる。内部被曝の影響というのは遅れて出てくる、いわゆる急性の影響ではなくて、晩発性、遅れて遅発性という影響が出てくるということで、ここはやっぱり注意してあげなければいけないということで、私は内部被曝ということを申し上げたわけですが、今は本当に皆さんに内部被曝が広まって良かったなと思っています。

【その②】に続きます。
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