昨日ライブで拝見して、ものすごくいろいろと考えさせられました。
現場の声をマスコミのフィルター無しに見られるのは、本当に貴重です。
今後の自分の行動の仕方、改めて考えさせられます。

どうか、多くの方の目に届きますように・・・。

どうぞ。

【動画】
① http://www.ustream.tv/recorded/17674045(37:24)
② http://www.ustream.tv/recorded/17674381(01:25)
③ http://www.ustream.tv/recorded/17674412(03:49)
④ http://www.ustream.tv/recorded/17674504(126:08)

今中氏の資料
http://dl.dropbox.com/u/8332428/%E9%A3%AF%E8%88%98%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0%E8%B3%87%E6%96%99.pdf

出席者
進行:愛沢氏(負げねど飯館!!)
【飯舘村周辺放射能汚染調査チーム】
①今中哲二(京都大学原子炉実験所助教)
②遠藤暁(広島大学大学院工学研究員准教授)
③菅井益郎(國學院大学経済学部教授)
④糸長浩司(日本大学生物資源科学部教授)
【飯舘後方支援チーム】
⑤長谷川健一(前田地区 区長、酪農家)
⑥菅野哲(負げねど飯舘!!)
⑦佐藤健太(負げねど飯舘!!)

主 催 「負げねど飯舘!!」&
    「NPO法人エコロジ-・ア-キスケ-プ」
http://iitate.seesaa.net/pages/user/iphone/article?article_id=228429992


【以下、時間のない方のために内容を起こしています。ご参考まで】

<①15:30頃~>
(愛澤氏挨拶)
壇上に専門家の方々がいらっしゃるけれども、311以降、専門家という人たちの発言力というか、信用はなくなってしまいました。私たちは、どうやって信じていけばいいのか、何を元に判断していけばいいのか、本当に迷っています。実は昨日人の案内をして飯舘を案内した時に、こういう話が合った。私は飯舘のことをみんなで考えていきたいと言いましたが、それに対してその方は、「まったくもって間違っている。基本的にウィルス性のパンデミックが発生した場合、それは封じ込めるしかない。それに話し合いの余地はない。きちんとやるべきだ。」
なぜ放射能の場合、それができなかったのか、そして今もできないでいるのか。これは人類が正直手におえないものをやってしまったということ。この事故がどうしていいのか誰もわからない、そういう状態にいるんだと思います。海図のない航海をしているようです。
5年後10年後に振り返って「まったく意味のない会だった」と言われるかもしれない。けれども、話し合って決めていくしかない、そう思っています。
専門家の信用は、非常に落ちてしまったかもしれませんが、専門家だけをしんじるのであれば、私たちは何の判断もしないことになります。私たちは専門家ではないが、判断には参加すべきだと思います。
例えばマスコミを信じていた人は、今回「安全だ。安全だ。」と言われて、却って信用できなくなったと思います。専門家じゃなくても、人はひとりひとり判断するべきだと思います。意味がないかもしれないけれど、きちんとみんなで話し合って決めていこうと思います。
こんな開会の宣言になってしまって、壇上の専門家の方に申し訳ないのですが、今ここに集まっていらっしゃる皆さんは、真実を探している皆さんです。
「真実を見つけた」
という人を信用してはいけません。真実を探しているという人間を信じるしかないです。そして私たちは判断をするしかありません。
広範は壇上に居る人だけではなく、皆さんも自由に発言する形を考えていますので、是非考えて発言していただけたらと思います。そのための会合になればと思っています。短い時間ですが、よろしくお願いします。

<19:30頃~>
(今中氏)の説明【低レベル放射線被曝に関する健康影響の説明】
答えのない答えの判らない問題を前に悩んでいると思う。
判ってること、判らないことをきちっと整理知って、何が問題なのかを考えていただければと思う。

<30:30頃~>
(遠藤氏)の説明【3月の放射線測定早期調査】

<③00:00~>
(糸長日大教授)【日本の公害、安心できる避難村づくりとコミュニティ再生】
飯舘とは数十年の付き合いの教授。
飯舘は「偉大なる田舎人になろう」と農村の魅力を生かした町作りを進めて来た。再生可能エネルギーにも取り組んでいたとのこと
避難村、新しい地で飯舘のコミュニティーを作り直すことを考えてはどうか。
安全な場で暮らしとコミュニティーを再生することを考えたい。
安全な地で暮らし、時々飯舘に帰る、2拠点居住型の暮らしを提案したい。

<④08:30頃~>
(長谷川氏)
飯舘村の酪農家の代表として、牛に携わってきた。地震が起きて搾乳作業はしなければいけないが、電気が来ない。発電機を使って搾乳をしていたのですが、テレビを見ているうちに、発電所がどうも変だなと爆発しているということで、3号機まで爆発してしまって、3月14日、役場の対策本部まで行った。夜9時だった。
「飯舘はいまいくらなんだ?」と申し上げたら、
「とんでもねぇ数字になってるんだ。40もとっくに越してる」
私は放射線は全くわからない。でも40をとっくに越してるということが、非常に高いということは判る。「これは大変」ということで、私はすぐに家に戻ろうとすると、その職員に止められて、
「この放射線数値を公表しないでくれ。誰にも言わないでくれ(
「なぜだ?」
「村長に止められている」
こういうこと。
既にそのころから過小評価、そういうものが最初から行われていた。
3月15日6時半、今でも悪いことをしたと思っている。その日が一番放射線量が高い日だった。当時雨が降っていて、そして、雪になった。でもみんな放射線ということで集まってきた。私はそこで知り得る限りの情報を出した。
「家を出るな。子供を絶対出すな。どうしても出なければいけないときは、マスクをしろ。帰ってきたら玄関で服を脱いで風呂に入れ。野菜は食べるな」
そのとおりにしてもらえたようです。
計画避難になってから、飯舘では牛を飼ってはだめだし、牛乳も取ってはいけなくなった。牛は動かすな。でも、飯舘の2頭だけ、それのチェックでダメだったら全部殺す。殺すの?我々はそこしか道がなかった。一切の補助もされなかった。
我々酪農家は自ら廃業を決めた。村で約60頭、牛を殺した。家族同様だった牛を見送る辛さ。私は酪農家代表として全員の立ち合いをした。見てられなかった。我々酪農家の生活の支えになっていた牛が屠畜される。こんな話がこの世にあっていいのか?情けなかった。でもどうしようもなかった。約60頭屠畜に出された。我々のもとから牛はいなくなった。
これからどうなるんだろう?と皆思っている。
村長は除染という方向に向かっている。5年、10年、15年、その根拠はどこにあるのか?我々が言えることは、山の除染をしない限りはダメだと思っている。プルトニウムまで出てしまった。どうなるのか?我々は村には帰りたい。でも除染という大きな壁がある。どうやって乗り越えるのか?村長は帰るという。でも、もし20mSv以下で明日から帰れるとなったら、私らは帰る。でも、自分の子どもや孫は飯舘には帰すつもりはありません。20から下がったから戻ってもいいよと言われても、孫や子育てをする環境じゃない。ということは、我々が一生を終えれば、それで飯舘は廃村になるんじゃないの?ということです。飯舘を出て、一つ屋根の下で暮らすのがいいのか、そういう決断をいずれはくるんじゃないかと思う。それを今考えるのは時期尚早。でもいずれはそういう時が来んだろうなと思う。
村長は、「YesかNoだけじゃない。玉虫色もある。」という。
でも俺は、「玉虫色じゃねぇ!YesかNoかどっちかじゃねぇか?」と言った。

一番可哀想なのは、今の子ども達。
村の代表、県の代表、国の代表の判断が遅れた為に、その子ども達を被曝させてしまった。子ども達が10年後20年後、大人になった時に差別を受ける。広島長崎で差別を受けたように。差別が起きない社会づくりをしなければいけないと思う。
(愛澤氏)一つだけ、村の当局に具体的に求めたいことはありませんか?
(長谷川氏)まず子供たちの健康とか。そして除染、はたして現実味のある除染なのか?家の周りは2年、農地は5年、山林は20年、その根拠はどこにあるか?あくまでも現実的なものの見方で計画を立ててほしい。

<20:30頃~>
(菅野氏)
唐津からです。何かの形でみなさんのお力に慣れればと思って、自分としてはやっているつもり。
3月12日の爆発以来、私の家の周りに相当数の避難者がいらっしゃった。その皆さん方に家の庭でお湯を沸かして、カップヌードルを食べるお湯、子供さんのミルクのお湯の井戸水を汲んできてお世話をしてきた。
ところが、14日、15日、大爆発によって、15日、16日に放射線量が上がってきた。その方々には「遠くに避難したほうがいいよ」と呼びかけた。実際に村にも掛け合った。しかし、唐津村は動いてくれなかった。避難すべきだったとして、18日に避難をすることになったが、今現在も福島のNPOと一緒に、飯舘の方々のために支援物資の配布や情報の伝達をさせていただいている。その中で話を聞く。聞こえるのは、「村の情報が聞こえない」という不満。
「村の情報を何も伝えてもらえない。」
それを役場に言って伝えた。
「HPに掲載しなさいよ、村の考え方を何らかの形でつたえなさいよ。」
訴えたが、それが1か月過ぎても、2か月過ぎてもなかった。ようやく村の広報誌に載るくらいだった。
今回、早く出されれたのは除染計画ですが、村の避難している村民の皆さんは、
「村はどうなるんだろう。自分の家はどうなるんだろう。生活はどうすればいいんだろう」
そのことが心配なんです。村に戻りたいのは誰もが同じ。戻りたいけど、帰れないんじゃないの?という頭がある。だから、きちんとそれを伝えるべきじゃないのかと言っている。住民の声を聴く場を作ってくださいと役場に動いている。どうやら私は役場から煙たがられている。仕方がないかもしれないが、住民の皆さんの声は伝えるし、役場からのことも伝えていきたいと思っている。
農業のある暮らしを忘れてはいけない。
話を聞いていると、どうもうつ病の方が出てきている。
「家に帰りたいけど帰れない。」
仮設を抜け出す人もいた。抜け出したばあちゃんもいた。心情として当たり前。しかし帰れない。帰りたいけど、帰れない。現実、これから時間が過ぎていくと、益々そういう状況が増えていくのではないだろうか。
仮設や公営住宅に住んでいるのは、村の3分の1。ほかの7割は一般住宅、いわゆる県の借り上げ住宅に住んでいる。仮設や公営の方は自治会ができた。その自治会で繋がれているようです。しかし一般アパートに住んでいる方は、情報がない。そういう中で暮らしていて非常に心配だけが募ってくる。7割のための情報伝達をしていただきたいと望む。まだまだ長い時間が、年月が我々の避難を余儀なくさせていくんだろうと思う。しかし、負けてはいられない。生きていかなければならない。人生を無駄にしてはいけない。そういう考え方で、飯舘村は、いつかは一つになると信じて頑張っていきましょう。

<④30:00頃~>
(佐藤氏)
飯舘村民は様々な問題に直面している。
どこからどう片づけたらいいか判らない状況。
今一番頭にきているのは、除染という問題。
除染というのも、村は2年、5年、20年で進めていこうとしているが、果たしてその方法でいいのか?その除染をするにあたって、作業をするのは、村民じゃないのか?緊急雇用対策でそれでいいのか?
除染をするにあたって、健康被害を防ぐための枠組みをしっかり用意してから始めるべきじゃないか?
県外に出る機会があって話をすると、やはり
「原発の状況、飯舘村の状況、放送がない、まったく見えてこない」
という現実のようだ。もっと声を出していかないと忘れられてしまう。
負げねど飯館で、健康手帳を作る動きをしている。
健康手帳は何かというと、4月に本当は、被爆者手帳を子供に発行しようと動こうとしたが、ご両親から
被爆者手帳というのをやめてください。私たちの子供がだと被爆者扱いされるのはすごく困る
ということで、なんとか違う方法はないかということで動いた。
大事なことは、私たちは3月4月に、ものすごい高線量下で生活をしていた。その時の記録をしっかり残しておかなければいけない。
これは、ヒバクシャ、広島、長崎、ビキニの方々からもお話を聞きながら、記録を残すことが大事ときいて、健康手帳を作り始めた。
18歳以下と妊婦さんには、健康手帳が発行されているはずです。行政から。これも私たちのほうと協力しながら作り上げた。もっと出してほしいと言ったが、18歳以下でということになったので、
「それは困る、僕も29才だし欲しい」ということで、負げねど飯館で19歳以上に健康手帳を作った。3月4月の記録を残しておくため。専門家にも見てもらって、しっかりできている。10年後、20年後に病気になった時、思い出せなんて無理でしょう。
長崎・広島でも被爆者手帳を作るとき、相当苦労があったと聞いている。今からつけておくことがとてもいいこと。これがちゃんとした記録になっていれば、もしなにかあったとき、何かしら進展があると思う。来週あたりから配れるので、しっかりつけておくこと、これをお願いしたい。
あとは、皆さんの率直にみんながどう思ってるか、村に戻れるのか、除染ができるのか?子供たちをどうするか?中間世代の人たちの健康被害の枠組みもないし、どうするのか?お声をお聞かせください。

<④34:00頃~>
進行を小沢祥司さんに代わる。

(東京から河合弁護士の話)
浜岡差し止めを10年近くやっている。脱原発弁護団を立ち上げて、そこの代表をしている。私たちは差し止めということで、そちらを中心にしていこうという方針ですが、飯舘村の話をきいて、胸が砕かれるという思いです(声が震える)。我々弁護士として、どういうことができるか?ということを考えながら聞いている。
公害にも携わっていて、
「償え、謝れ、再発させるな」
これが戦いの原則。
今回、本当に今回は公害のもっとも恐ろしいもの。
まずは、「償い」をさせる。
「謝らせる。」
そして、今回は原発事故を起こした「根っこを断つ」。
この3つをやらないと無くならないと思う。
こういう問題に立ち向かうとき、南相馬市の桜井市長のように怒り狂って戦いを挑むのか、飯館村長のように、特に飯舘村を厚く助けてほしいから、脱原発とは言わないと本に書いてありますが、そういうスタンスで臨むのか、どちらがいいのか言えない。でも、戦いの原則の「償え、謝れ、もとを断て」ということは、堅持していかなければいけないと思う。
僕は、あまりに深刻な話を聞いて、自分でも「こうすればいい」なんて思いつかない。ただ、今回はこういう日本中の原発を止めていこうとしている弁護団の代表として申し上げたいのは、これから、飯館村が立ち直っていくには、時間と苦労がある。その場面では法律的な問題が起きてくる。脱原発弁護団、120人日本中に作った。これが一丸となって団結して支援をしていく。今回の原発事故で被害を受けた地域の方々に脱原発弁護団の代表として、法律家として全力でお手伝いすることを約束します。


<41:00頃~>会場ディスカッション開始
(会場男性)本来村民ではないので、ここで発言するのはいいかどかわからないが、被害関係者の一人として、いいたいことがたくさんある。私は今の村長の暴走は止めないといけない。必ずしも行政と対立する必要はないとおっしゃったが、29日に出た村の除染計画、あれは村長の除染計画。議会が承認したか?村の意見、誰か聞いたか?私はそういうことを考えた時に、飯舘村の人はもっと怒りをもって、拳を振り上げて対峙していく必要がある。
私は地震前までは、村長のファンでした。この小さな村を全国に発信して、お話も上手だった。ただ今のやり方は、3.11以降のやり方はとてもついていけない。議会に決議を出してほしい。村議会が動いているか?機能してるか?それにもかからない、そういう形で村長が独走している。村民ではないが、愛している飯舘にいて、許せません。以上
<会場拍手>
(菅野氏)気持ちはよく判る。村民は陰でぶつぶつ言う。しかし、面と向かってモノを言ってくれない。これには一番飯舘村の村民の欠点だと思う。自分がそう思うのであれば、しっかりとモノをいう覚悟が必要だと思う。ただお互いに疲れているから、このことについて、決して批判するのではなくて、導いていくというやり方でやらなければならないだろう。
今までは村民参加が基本だった。どんなことがあっても、村民のみなさんと議論をして村を作ってきた。しかしこの6か月間、懇談会も何もない。避難をしなければならなかった懇談会だけ。これは、正常ではないんじゃないの?と思っている。あとは皆さんの考え方によると思う。

(佐藤氏)おっしゃること、当然だと思う。自覚をもってもっともっと発言していくことが大事だと思う。

(会場男性)百姓をやっています。川柳をやってます。へたくそですが。
「ごますりが責任までもしょいこむか」
村長が除染計画出した、国にだけ責任転嫁するつもりがない聞き、非常に憤慨した。私たちに何ひとつ責任はない、あたかも、自分たちの何らかの責任があるかのようなお話は、到底承服できない。
心配もたくさんある。
健康上の心配。これは長いこと心配ないと村にとどめて置かれた。佐藤さんはじめ何度も狂ったようにお願いしたが、聞いてもらえなかった。とにかく村民を避難させることを第一にとお願いした。3月4月、妊婦や子どもはすぐに避難させるべきだと村長に掛け合い続けたが、叶わなかった。
原発に対する問題。国と東電に対する責任と、完全な補償についての問題。これから先の問題だが、私たちの村が再び人の住めるような村にするための問題。
もう一つはそれに至るまで、私たち住人がどのような姿勢で村を持ちこたえさせていいく心を持つか。村を復興させるために、早い時期のそうなればいいと思うが、検討もつかない。
先ほども話があったように、住民のたくさんのきずなを吸い上げて、持ちこたえていく、将来に向けてがんばっていくということしかないと思っている。
問題に対して、いろいろな角度からの取り組みがあると思うが、それぞれが前向きの姿勢で取り組んでいるのであれば、自分たちとは考えが違っても、村長でいるような姿勢で臨むのがいいのではないか。
ただ、飯舘村長のように非常に『優秀』な方で、村議会に相談ものってもらえないようなあり方は、私は少し困るなと思っている。私たちの代表である、村一体の代表であること、そういう姿勢で臨んでほしい。<拍手>

<53:00頃~>
(会場男性)3年前にこの村に引っ越してきた。半分村人で、半分村人でないような形だが、一言しゃべらせていただく。
いろんな話があったが、こういった話は交渉事。我々が東電・政府に対してどのような交渉力を持つか?
除染のやり方について、相手のテーブルに乗るだけでは何の意味もない。。
我々の交渉力の源泉は何かと考えると、この村を30年くらい立ち入り禁止にするというくらいでやらないと、つまり国が「帰れ」と言っても、帰らないというくらいの姿勢で臨まないと交渉力は持てない。
住民投票をやる、それが駄目であれば、リコールしかない、それくらいの覚悟でやることが一番大事。
確かに命も大事だが、もう一つ大事なことは、我々の??。早急に次の生活ができるような形に。そのためには、命の次には金が要る。金をどうするか?
そういったことで、火急的速やかに村長の計画をつぶすことをお願いしたい。
(小沢氏)確かに、除染の方向の話は飯舘村だけではなく進んでいて、これはどうもはやく原発問題を収束させて、まるでなかったものにしてしまう活動なのではないかと思ってしまう。
これまでこれだけの被害を受けた補償の問題が進展していない。東電の賠償の書類も非常に煩雑で、ほとんど読みこむことができない。こういう状況も、被害者ではないが、訴えていかなければいけない。

【その②】に続きます。
失礼します。
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