昨日行われた討論会を見ることができました。
小出先生は、3.11以降、かなり前から食品について「大人が汚染されたものを食べて、1次産業を守り、子供を守る」とおっしゃっていました。
そのことについての討論会です。
司会・進行は今井一さん、登壇者として、子供を放射能から守る全国ネットワークの森啓太郎さんです。

では、どうぞ。

【動画】
2011年9月13日小出裕章氏と語る、続・原発『安全神話』溶融 (02:16:00くらい)
<内容について>
3.11から6カ月を経てわかったこと、確信したこと。
そして、この先どうなるのか、どうすべきなのか。
震災前より一貫して原子力発電所に対し「警告」を発し続けてきた、小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)。

3・11から6カ月を経て、小出氏は次のように主張する。
「農作物・畜産物等の汚染検査を厳密にした上で放射線に汚染された物は、子どもには決して食べさせず、例えば50歳以上は飲食可などとして、大人が責任をとって食べよう」

本番組では、そんな主張に疑問を持つ方と小出氏との議論を通じて、現在進行形で危機が拡大する、放射線の影響について考えます。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv62917682?ref=top

【以下、時間のない方のために内容を起こしています。ご参考まで】
(今井氏)6時半になりました。

携帯電話なってますけど、マナーモードにしてください。それで、どうも初めまして今井です。ジャーナリストです。
小出さんの本を買ってくださった方が、セットで買ってくださっているとの情報がアマゾンで入っていますが、最近この『原発国民投票』という本を出しました。
実はこの劇場のこの第7芸術劇場のフォーラム7のプロデューサーもやっています。上の第7芸術劇場の???スピリトというほうのプロデューサーもやらせていただいています。
そこにお越しになった方いらっしゃるかもしれませんけれども、5月に小出さんに原発神話溶融というタイトルで上でやったんですが、その時お越しになってくださった方、おられますか?
おぉ、3分の1くらいおられますね。で、覚えてらっしゃると思いますけれども、終わるときに小出さんに3.11から半年の9月に一度来てくださいと言ったら、小出さんが、
「土日はすべて詰まってます」
ということで、平日しか空いてないということだったので、無理を言って、今日京大の原子炉研究所での研究が終わった後でこちらに来てただきました。
今日は、小出先生、今日は「さん」で行きます。小出さん、あちこちで仙台とか福島とか、この前四国にも行かれました。もちろん大阪でもやってらっしゃいます。ここにおられる方、多分小出さんの講演聞かれた方、居ると思うんですが、聞かれた方、手を挙げていただいていいですか?
ほぼ全員でしょ?ほらね?
それで、そういうことなんで、2週間3週間ほど前に小出さんと相談して、
「いつもの小出さんの講演は多分皆さん学んでらっしゃるので、今日はどこでもやったことがないようなことをやりませんか?」
と相談しました。
そしたら、小出さんは
「是非やりたいことがある。それは、放射能で汚染された食物に関して、それを即刻廃棄処分にして、東電や国から畜産業や農業をやってる方に補償をさせると。もちろん補償はいいんだけれども、即刻廃棄というのはちょっと問題じゃないか?厳密にちゃんと測定をした上で、子供には決して食べさせてはいけないけれども、例えば50歳以上だと問題がない、60歳以上だったら問題がないというものについては、廃棄をしないで大人が責任を取って食べるべきじゃないか?」
という主張をされてます。
そのことについて、結構あちこちで『異議あり』という声があるんですよね。
小出さんのファンの中にも。
それで、小出さんは
「今日はそのことをじっくりと深く話をしたい。ついては自分の対戦相手を公募してほしい」
で、公募しました。
皆さん知ってますよね。HPにも載ってましたよね。
公募して、じゃあ出なかったらどうするか、その時はしょうがないから、私がやるしかないかと思ったら、すぐに手を挙げてくださった方がいて、子供たちを放射能を守る全国ネットワークの森さんなんですけどね。今日来てくださってます。
その森さんと小出さんとのやりとりというか議論は、第2部でやらしてもらいます。
第1部は、ちょうど半年ですから、この半年を小出さんがどんなふうに総括されているのかということを、小出さんの口から直接伺いたいと思っています。

では、早速小出裕章さんに登壇していただきます。どうぞ。

<05:00頃>
(今井氏)最近僕も取材で小出さんの密着取材をしてるわけですから、あちこちの講演会場行くんですけどね、女性の方がアイドルを見るような目で…
<会場爆笑>
正直言って、辟易してますよ。気持ち悪いんです。最初はこんなことなかったんです。普通に尊敬とかそういう感じだったんですが、最近「章ちゃん!」とかね、この前も浅草でやった時に、小出さん、いつも本にサインをされたりしますよね。今日も小出さんの本がずらっと揃ってますけど、女性のほうも女性のほうで、無茶苦茶なんですよね。
「抱きしめてください、ハグしてください」
とかね。
僕それを横で見てて、
「まさかしないだろう?」
と思ってたら、するんですよ!
<爆笑>
ちょっと調子に乗ってるんじゃないか?と(笑い)やっかみです。いいじゃないですか。そういう時代が来たということで。
そんなことですので、今日は頭に、実は私昨日女川原発に行ってまして、今日飛行機でこっちに来ました。
もう皆さん、小出さんのファンだからご存じだと思いますが、小出さんは、もともと反原発じゃなくて、原子力を平和利用する夢を持って、東北大学に入って行かれたわけですが、まもなく考えを改めて、かれこれもう40年以上過ぎてるわけです。
小出さんにとって、仙台と女川、女川で鍛えられたと言ってもいいと思うんですが、その女川の小出さんが昔住んでいらしたところとか、小出さんが師と仰ぐ方に昨日お目にかかってきました。その映像をちょっとだけ頭見ていただいて、それを見ながら小出さんに思い出を語っていただこうと思っています。

<07:15頃~>
(今井氏)じゃあ早速映していただいていいですか?
電気を消してもらわないと…。
これは、小出先生マイクをどうぞ持ってください。
これは女川原発の前の海岸から撮ったところです。

1


もちろん小出さんが、いろいろ闘争されているときは、この原発は無かったわけです。小出さんどこが原発の建屋になるんですか?
(小出氏)これが原発の建屋です。

2


(今井氏)これは何なんですか?
(小出氏)これは排気塔です。

3


(今井氏)排気塔ね。
これは防波堤の上から撮った映像です。まったく編集してません。飛行機着いて直ぐに今これUPしましたから、最後かなりひっくり返ってますけど、許してください。
この動画は間もなく終わりますけれども…。
これは、小出さんが女川でいろいろビラなんかを撒かれた何年後にできたんですか?
(小出氏)えー、私は74年の3月までここに居ました。
女川の原発が動いたのは、確か79年だったと思います。ですから、5年後くらいですかね。
(今井氏)で、次スチール写真があるので、見ていただきたいんですが。
これが今のそうですね、女川原発。
で、次ちょっと見ていただいて。これ、ちょっとこれ、小出さんのほうから解説してください。
(小出氏)私が女川に行きはじめた時に、女川で阿部宗悦さんという人が原子力に抵抗して活動を始めていた時でした。私は宗悦さんに女川の町のことを教えてもらいながら、ずっとそこで活動を始めて、あとでまた写真を見せていただけるかもしれないですが、そこにぼろぼろの長屋を借りて、長屋に住みこんで女川の原発に抵抗しようとしていた時期があるのですが、その長屋も宗悦さんが私たちのために借りて、地元の人間だからといってようやく借りられるわけですが、借りてくれたところで私たちは、かなり何年か住みながら女川原発に抵抗していました。
ただ、女川の町は、先日の津波でまるごと無くなっていました。宗悦さんの家もまるごと無くなって、私は宗悦さんは多分命を落としたと思ったのですが、なんとか逃げてくれて、宗悦さん、生きていてくれました。今は仮設住宅に入っていて、これが今宗悦さんが住んでいる仮設住宅。
(今井氏)これは女川第一小学校の敷地内にある仮設住宅。
(小出氏)これ、今ちゃんと写真に撮ってくれているけれども、宗悦さんの仮設住宅に行くと、玄関の前にこの旗が新たに染め抜いた旗ですけれども、『原発廃炉』という旗がはためいているという、そういう状態で宗悦さんは、いまだに原発をとにかくやめさせたいという活動を続けてくれていました。
(今井氏)はい。次の写真を。
この方がそうですね。これは、実は女川の駅から徒歩2分くらいのところなんですが、もちろん駅は今トイレしか残っていません。トイレとエレベータの残骸しか。それで、そこに海から近いというふうにいったら宗悦さんは、
「女川の人はこれでは海から近いとは言わない」
と、まぁ海まで本当に歩いて3分かそこらなんですけど、阿部宗悦さんと、娘さんのみきこさんですね。ここが宗悦さんのお家やったんですよね。お店をやってらしたんですよね。
(小出氏)酒屋さん。
(今井氏)酒屋さんですよね。で、このこっち側に上がっていったところの写真をちょっと出します。次の写真をちょっと。
これが実をいうと、今おっしゃったみたいに、この高さくらいまで全部水で、一日全部津波が来た後も全部残って、湖みたいになったそうです。

4


これくらいの高さまで。
で、次の写真を。

5


ここは、海岸広場と昔は呼んでいて、1970年の10月23日、原発反対の大きな集会がありまして、小出さんたちはさっき言った長屋で現地闘争本部を作って、漁民の皆さんにビラを配ったりして、コツコツと漁民の皆さんに呼びかけてらしたんですけど、ついに漁民も立ち上がって、反対集会があったんですが、これがそうなんですよね。海岸広場っていって。
次の写真をちょっと見ていただいて。

6


もうちょっと引くとこんなかんじで、ここが海です。実はこっち側のこっちのすぐそばに女川の駅があるんですね。ここに1000人以上の方が集まって海上デモもあって、すごい熱気で、それが小出さんの大転換になったわけですよね。
次です。

7


これが、さっき言った阿部宗悦さんが斡旋して、小出さんやほかの学生たちに「ここをつかえ」と言った長屋で、確か真ん中の廊下が結構広めで、左右に九軒づつでしたかね、あってね。確か四畳半か六畳くらいで。
(小出氏)二間だったと思います、昔は。
(今井氏)そこに学部ごとにいろんな方が、「今日は月曜日だからお前らが当番、水曜木曜はあなた」というふうにして、誰かが必ず常駐する形でそこでビラを作ったりして、拠点にして活動されていたわけですよね。
次の写真。これもそうです。
はい。次。
これで終わりです。
ちょっと明るくしていただいて。

<14:00頃~>
(今井氏)
今はその長屋が無くなっていますけれども、実はその長屋で現地闘争本部で、小出さん真ん中来てください、ここへ。もう使わないです。
(小出氏)私使う…
(今井氏)いや、そのあと、後でまた…
<会場笑い>
(今井氏)じゃ、椅子だけ…
(小出氏)私、今井さんとあんまり近づきたくない…
<会場爆笑>
(今井氏)実はですね、それでその、「近づきたくない」…、もうね、その女性とはハグするくせにねぇ…。
で、実は、小出さんたちは当時あそこの長屋には何もないでしょ?布団一枚で…。
(小出氏)一枚ってことなないですけど…。女性だっていたし…。
(今井氏)二枚?
(小出氏)いやいや、何枚かあって…。
(今井氏)かなり汚いやつがね。
(小出氏)そうです。
(今井氏)それで、ガリ版、今日のお客さんはほとんどガリ版って言ったらわかると思いますけど、ニコニコ動画で若い人たちがいっぱい、「ガリ版」ってどう説明したらいいですか?ガリ切り、とかガリ刷りとか。
(小出氏)今日の方、ほとんどの方はわかると思うんですけど。
(今井氏)今日でも、ニコニコ動画で若い人たちが全国で見てらっしゃるから。
(小出氏)あー、そうですか。もちろんコピーはなかったわけだし、スキャナもありませんでした。蝋を引いた紙に、鉄ペンでやすりの上で字を書いて、それをインクで投射版と私たちが呼んだもので、ビラを作るということを毎日やっていました。
(今井氏)そのビラがこれなんです。現物です。
(小出氏)<笑い>

8


(今井氏)びっくりしたでしょう?ほら~!
びっくりさしたろうと思ってね。これ全部あるんですよ。手に入れました、私が。これYahooのオークションに掛けたら大変なことになりますよ。
<会場笑い>
これなんですよね。
あとで皆さんにお見せしますから、どうぞ。
小出さん、これさきにどうぞ。まとめてちょっと。全部コピーとってますから。またコピーを渡します。
これね、えーと、このビラは、右見てもらったらわかると思うんですけど、『のりひび』って書いてあるでしょ?
この意味が分かる人、この中におられます?あ!手が挙がった!ちょっと言ってみてください。
(不明瞭)
あのね、『のりひび』というのは、女川の漁師さんたちがさんま獲ったりイワシ獲ったり、カキを養殖したりしてたんですけど、海苔の養殖の時に、いかだを作るんじゃなくて、当時は竹竿を突き刺して、そこで海苔の養殖をしてたんですよね。
その竹竿を突き刺したそういう状態のことを『のりひび』とこう言って、多分小出さんたちの気持ちは、
「女川町で自分たちものりひびになろうと。反原発の」
ということで書かれたと思うんですが、これ僕チラシ全部読んだんですが、なんかセクトの具体的な名前を出すと…、まあいいか、中核とか核マルのあのチラシとはちょっと一味違うんですよね。紋切型じゃないんです。中核、核マルの方、怒ったらダメですよ。
あの、一枚一枚、本当によく言葉を選んで、紋切型じゃなくて、よく考えて漁民の皆さんに訴えてらっしゃるんですよね。例えば、
「鉄塔を作ったり、道路を作ったりして漁民の皆さんに原発建設は既成事実なんだと、諦めさせようと、そんなふうに電力会社はしてるけれども、漁民の皆さん、諦めないでください」
というような内容ですよね。
だから、そんなことで小出さんたちは私が聞いたところによると、小出さん、何か女川の例の駅の前から船に乗って、原発予定地に船で行って、ビラを抱えたまま、そのビラを山道を通って十数キロの一軒一軒家に置いていったって聞いたんですけど、やられましたか?
(小出氏)もちろんです。ただ、私は行くときも歩いて行きました。
(今井氏)えぇ!!!
(小出氏)女川の町を朝早く出て、行きながら撒いていって、最後にさっき見た原発の敷地の今井さんが写真を撮ったというところに、小屋取(こやとり)という集落があって、ちょっと小さな港が。そこで最後にして、夕方になってテクテクとまた十数キロの道を歩いて帰ってきました。それは、普通は私はそうしました。
(今井氏)もうこんな時代は日本にこないでしょうね。今の学生が、その小出さん、どんな思いでやってらしたんですか?
(小出氏)今も一緒ですけれども、原子力だけは決して許せないと思いましたので、そのためには、『私ができることは、私の責任でやりたい』と、それだけです。
(今井氏)ということらしいです。
で、まあずっとそこから一直線に来てますよね。まっすぐに四十数年。
(小出氏)すいません。何の進歩もないまま…<笑い>
(今井氏)<笑い>そんなことで、改めて本当に、昨日私は歩いてではなくて、嘗て小出さんが仲間と一緒に一軒一軒ビラを配って歩いた集落を、私も昨日歩いてきたんですが、いやー、小出さんの仲間の方は、
「もう一回やれっていってもようやらん。」
って言ってましたね。
「よくあんなことやったな」
って。あと、援漁というのがありますよね。三里塚では援農というのがあったんですけれども、農業を支援するっていう。
小出さんたちの場合は、漁を支援する。漁師さんたちも最初は胡散臭い目で見るわけですよね。
「おまえら、目的は何や?」
みたいなそんな感じ<笑い>
(小出氏)役に立たないしね。学生が漁師になろうとしても、本当迷惑ばっかり。
(今井氏)カキ剥きとかやるんでしょ?
(小出氏)カキ剥きもやりましたし、のりひびを作るのもやりましたし、ワカメの目付とかいうのもやりましたし、山ほどやりましたけど、ほとんど足手まといだったと思います。
(今井氏)でも、いい話は小出さんがそういうふうにやると、だんだん漁師たちも情が移っていって、小出さんたちが女川の町から石巻を経て、仙台の自分たちのところに戻るわけです。仙台には仙台のアパートがあるんです。山屋敷っていう…。その山屋敷に帰るときに2時間半、3時間半かかるわけですけれども、漁師さんたちが、
「あんちゃん、これ持って帰れ」
って言って、いわしとかさんまを大量にビニール袋に入れて持って帰らせるわけですよ。
それで山屋敷の大家さんに渡すわけですよね。
大家さんとも会ってきましたけれども、なんか鶴瓶ちゃんのA Studioみたいになってきましたけれども、だけどその大家さん曰く、
「小出君が時々そうやって、さんまとかいわしとかを持ってきてくれるから、今度は山屋敷というアパートの廊下に七輪を置いて、みんなで焼いて食べた」
というふうに言ってました。ちなみに当時の家賃は5500円です。
小出さんは、一回も滞納が無かったと。何年いましたか?あそこに。
(小出氏)4年半居ました。
(今井氏)そんなことです。
そこから来て、今日の小出さん活動を続けてらっしゃるんですけど、今日さっきも言ったみたいに、そんな小出青年がずっと一直線に来て、今研究者として活躍されていますけれども、小出さんの目から見て、この3.11からの半年というのを少し話をしていただこうと思います。
小出さん、その話の時もパワーポイント要りますか?わかりました。
じゃあ僕ちょっとハケます。

【その②】に続きます。
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