※この記事は、8月27日 【動画・書き起こし】「原発」国民投票、やるべし、やれるよ、やりましょう!飯田哲也×杉田敦×マエキタミヤコ×宮台真司&今井一【その②】の続きです。

(今井氏)
第二ラウンド『国民投票はポピュリズム、衆愚政治に陥る、そういう批判に対してどう答えるのか?』開始
<44:00頃~>
(杉田氏)
・『プロフェッショナル』について、これまでの右・左にきっぱりわけることができないことを踏まえておく必要がある。
・右よりの人「国土をここまで汚すような原発、国民という単位を衰微させる、こんなものは反対だ」
・市場派「原発が無いと生活が悪くなる、国民生活の水準が下がる」
・逆に「いや、むしろ市場的に言っても全然PAYしない。だから止めた方がいい。」
・更に「一人一人の判断だという意味から、国民投票を推進する」
・道徳的争点に関わる問題だと、従来の政党政治の右・左とかイデオロギー的配置と必ずしも一致しないことが起こる。
<47:30頃~>
(宮台氏)
・複雑な社会において、国民が「引き受けて考える」ようになれば、必ず自主的共同体自治を要求するようになる。
・市民自治には三つの理由がある。
・一つ目、政党制問題「自分たちで決めれば、この問題は少しは納得できる」
・二つ目、安全保障問題。市場に依存しすぎるのも良くないし、国家や行政官僚制に依存しすぎるのも良くない。
両方に依存しすぎないための、やはり共同体自治が重要。
・三つ目、実存問題。状況が判らないまま他人に任せて快適に生きることは、快楽をむさぼっている。「我々の尊厳とか幸福に障るんじゃないか」
・国民投票をするとこれらに気づいてしまう。
・そうなれば中央省庁から権益は剥奪され、国会議員の威信も下がる。
・だからポピュリズムの危険の心配はない。
(飯田氏)
・ポピュリズムという批判そのものが、愚民意識と表裏一体。「一般の奴は馬鹿だから、そいつらに決めさせるとポピュリズムだ」
・複雑化社会を理解していない政治家、御用メディア、官僚たちは、こういう要求がでてくることが理解できないから、ポピュリズムとして排除してくる。
・多様な価値観の中で、「物事をどうやって決めていくか」を政治家も学ぶ必要がある。
・もう一つ、補完性原理として、究極的に「個人に意思決定を委ねる」。
・個人で決められないことは補完性原理で決める、逆に個人でできることには社会は手を出さない。
・上から目線の愚民思想を転換しないとしんどいだろう。
<54:00頃~>
(杉田氏)
・「税金は反対」だけど「税金を使ってほしい」というポピュリズム的(=人気のあること)だけを政治で決定していく。これがポピュリズムの弊害。
・ヨーロッパでは、何でもかんでも移民のせいにする。自分たちは変わる必要はなく、移民が悪いと考える。
・日本では、「公務員の給料減らせば、そこの自治体の問題は解決する」これもポピュリズムだと思う。
・原発問題は、「仮に高くなったとしても、それは受け入れる。仮に技術的な目処が立たなくて、電気が若干足りなくなったりしたら、節電する」これはポピュリズムではない。民主的な決定。
・『無いものねだり的』或いは『問題を他の人に被せるような形で判断する』とすれば、それは一種のポピュリズムになってしまう。
(宮台氏)
・ポピュリズム批判として、
『良いとこどりはできないのに良いとこどりを主張する。』
『負担はいやだ、給付はくれ。』
『官僚が悪い。移民が悪い。』これらは妥当だが、ちょっとパターナリスティック。
・人のせいにしても、問題は解決しない。良いとこどりしようとしてもできない。だから、ポピュリズム的な政治は破綻する。
・つまりポピュリスティックに振舞おうとした人間たちに返ってくるから『ポピュリズム批判は余計なお世話だ!』
・もちろん犠牲が生じている間は、その痛みに耐えなければいけない人、期間を生み出すが、ポピュリズム批判は『余計なお世話』という側面もあると思っていることが大事。

【その④】へ続きます。

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