※この記事は、
8月6日 広島:原爆投下の日【菅首相の挨拶と広島平和宣言】
8月6日 第二次大戦の原爆投下の意味と未来につなげる私達の責任
8月7日 被爆者医療に30年以上捧げてきた斎藤医師:「被爆地がなぜ原発を許してきたのか」
8月7日 東京新聞の社説:「核廃絶と脱原発 次世代に引き継ぐ責任」をご紹介【必要なことは自分の考えを持つこと】などに関連しています。


平成23年長崎平和宣言
 
 今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわかりません。
 「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか。
 自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。
  たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。

 福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました。
 世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。
 核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないでしょうか。核兵器が使われることはないと思い込んでいないでしょうか。1か所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはずです。
  世界の皆さん、考えてみてください。私たちが暮らす都市の上空でヒロシマ・ナガサキの数百倍も強大になった核兵器が炸裂する恐ろしさを。
 人もモノも溶かしてしまうほどの強烈な熱線。建物をも吹き飛ばし押しつぶす凄まじい爆風。廃墟には数え切れないほどの黒焦げの死体が散乱するでしょう。生死のさかいでさまよう人々。傷を負った人々。生存者がいたとしても、強い放射能のために助けに行くこともできません。放射性物質は風に乗り、遠くへ運ばれ、地球は広く汚染されます。そして数十年にもわたり後障害に苦しむ人々を生むことになります。
 そんな苦しみを未来の人たちに経験させることは絶対にできません。核兵器はいらない。核兵器を人類が保有する理由はなにもありません。

 一昨年4月、アメリカのオバマ大統領は、チェコのプラハにおいて「核兵器のない世界」を目指すという演説をおこない、最強の核保有国が示した明確な目標に世界の期待は高まりました。アメリカとロシアの核兵器削減の条約成立など一定の成果はありましたが、その後大きな進展は見られず、新たな模擬核実験を実施するなど逆行する動きさえ見られます。
 オバマ大統領、被爆地を、そして世界の人々を失望させることなく、「核兵器のない世界」の実現に向けたリーダーシップを発揮してください。
  アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国など核保有国をはじめとする国際社会は、今こそ核兵器の全廃を目指す「核兵器禁止条約(NWC)」の締結に向けた努力を始める時です。日本政府には被爆国の政府として、こうした動きを強く推進していくことを求めます。
 日本政府に憲法の不戦と平和の理念に基づく行動をとるよう繰り返し訴えます。「非核三原則」の法制化と、日本と韓国、北朝鮮を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の創設に取り組んでください。また、高齢化する被爆者の実態に即した援護の充実をはかってください。  
 長崎市は今年、国連や日本政府、広島市と連携して、ジュネーブの国連欧州本部に被爆の惨状を伝える資料を展示します。私たちは原子爆弾の破壊の凄まじさ、むごさを世界のたくさんの人々に知ってほしいと願っています。
  「核兵器のない世界」を求める皆さん、あなたの街でも長崎市と協力して小さな原爆展を開催してください。世界の街角で被爆の写真パネルを展示してください。被爆地とともに手を取り合い、人間が人間らしく生きるために平和の輪をつなげていきましょう。  

 1945年8月9日午前11時2分、原子爆弾により長崎の街は壊滅しました。その廃墟から、私たちは平和都市として復興を遂げました。福島の皆さん、希望を失わないでください。東日本の被災地の皆さん、世界が皆さんを応援しています。一日も早い被災地の復興と原発事故の収束を心から願っています。
  原子爆弾により犠牲になられた方々と、東日本大震災により亡くなられた方々に哀悼の意を表し、今後とも広島市と協力し、世界に向けて核兵器廃絶を訴え続けていくことをここに宣言します。  

 
2011年(平成23年)8月9日
長崎市長 田上 富久
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/peace/japanese/appeal/

【菅首相のあいさつ】

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ


 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。
 そして今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 核兵器の惨禍を、人類は二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国である我が国は、「核兵器のない世界」の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任を有していると確信します。私は、様々な機会をとらえ、核兵器保有国を始めとする各国首脳に、核軍縮・核不拡散の重要性を訴えてまいります。そして、将来を見据えた具体的な措置を積極的に提案し、国際社会の合意形成に貢献していく決意です。また、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、日本国憲法を遵守し、非核三原則を堅持することを誓います。

 昨年四月のオバマ大統領のプラハ演説を契機に、核軍縮・核不拡散に向けた動きが活発化してきています。
 こうした中、本日の式典には、三十か国を超える国の代表の方々が出席されています。心より歓迎をいたします。日本国民の、二度と核による被害をもたらさないでほしいという思いを受けとめていただくよう祈念いたします。また、焦土の中から立ち上がり、国際色豊かな観光都市・平和都市となった長崎の姿をご覧になってください。

 核兵器廃絶を訴えるNGOである「平和市長会議」に加盟する都市は、長崎や広島を先頭に、世界で四千を超えています。こうしたNGOや市民を母体とする動きは、世界的な核軍縮の気運を高めていく上で、重要な役割を果たしています。
 五月の核兵器不拡散条約運用検討会議の際には、被爆者を始め百人近くの方々がニューヨークに赴き、会場や街頭で、核兵器被害の悲惨さを訴えられたと承知をいたしております。この会議が最終文書採択という成果を収めた背景にも、こうした被爆者の方々とそれを支援するNGOや市民の方々の貢献がありました。
 今後は、被爆者の方々が例えば「非核特使」として日本を代表して、様々な国際的な場面で、核兵器使用の悲惨さや非人道性、平和の大切さを世界に発信していただけるようにしたいと考えております。
 長崎市では、市民が「平和案内人」として被爆の跡を修学旅行生にガイドする活動などが展開されています。若い世代が被爆者の声を聴き、その思いを受け継ぐ取組もあります。
 核軍縮・核不拡散に向けた教育活動を世界に広げるため、長崎・広島の両市や国連と連携し、被爆者の体験談を英語等外国語に翻訳し、各国に紹介する取組を進めたいと考えております。

 政府は、被爆により苦しんでおられる方々に、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。
 長く続いてきた原爆症認定集団訴訟については、昨年八月に終結に関する確認書を交わしました。この確認書に基づき、控訴の取下げや基金の創設などを行っています。
 一方、原爆症の認定を待っておられる方々に関しては、一日でも早く認定すべく最善を尽くしたいと思います。さらに、法律改正による原爆症認定制度の見直しについて検討を進めてまいります。
 また、母親の胎内で被爆された方々やご家族のご要望を踏まえ、こうした方々への支援体制も強化いたします。

 最後に、私自身のことを、一言触れさせていただきます。私が大学で物理学を専攻した際、原爆開発にも関わったアインシュタイン博士や日本の湯川博士が、核廃絶を呼びかけた「パグウォッシュ会議」のことを知りました。人類の幸福に役立つはずの科学が、人類の生存を脅かす核兵器を生み出したという矛盾です。この会議の活動を学び、自分もこの矛盾を解決したいという思いが、政治を志す私の一つのきっかけになりました。この初心を忘れずに世界から核兵器をなくすその努力を、全力を挙げて取り組んでまいりたいと思っております。

 結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸を心からお祈りし、併せて参列者並びに長崎市民の皆様の御健勝を祈念申し上げ、私のあいさつといたします。


 平成二十二年八月九日
内閣総理大臣 菅直人
http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201008/09aisatu.html

脱原発に転換を=市長、福島事故に危機感-米代表が式典出席-66回目長崎原爆の日
時事ドットコム(2011/08/09-11:45)
 長崎は9日、66回目の原爆の日を迎えた。爆心地に近い長崎市松山町の平和公園では、市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、被爆者や遺族、菅直人首相ら約6000人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。田上富久市長は平和宣言で、福島第1原発事故に危機感を示した上で、「原子力に代わる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要だ」と訴えた。
 式典には、原爆を投下した米国からズムワルト首席公使が初めて出席し、参加国は過去最多の44カ国となった。福島県からは、瀬戸孝則福島市長やいわき市の中学校生徒会役員43人が招待された。
 式典は午前10時35分に始まり、この1年間に死亡が確認された原爆死没者3288人分の名簿3冊を奉安。長崎原爆の死没者は15万5546人となった。原爆が投下された午前11時2分には、全員が黙とうをささげた。
 平和宣言で田上市長は「『ノーモア・ヒバクシャ』を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖におびえることになってしまったのか」と原発事故に危惧を表明。より安全なエネルギーを基盤とする社会に転換するよう呼び掛けた。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011080900052&rel=y&g=soc

「平和記念式典の政治利用」=「脱原発」の首相批判-湯崎広島知事
時事ドットコム(2011/08/09-12:29)
 湯崎英彦広島県知事は9日の定例記者会見で、今月6日に広島市で開かれた「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)でのあいさつで菅直人首相が「脱原発依存」を改めて表明したことについて、「(式典を)政治的に利用していると言われても反論できないのでは」と批判した。
 湯崎知事は、報道が被爆者援護や核兵器廃絶ではなく脱原発に集中したことに触れ、「本来、平和記念式典は被爆者のことや核兵器について考える機会であるのに、それが違う方向にいっている」と指摘。世論調査で脱原発への支持が高い中で、「平和記念式典というみんな注目している中で、支持率上昇につながるような発言をしているのではないかと疑われても仕方がない」と述べた。 
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011080900395&rel=y&g=soc

「原爆投下、歴史家が判断」=米公使、是非明言せず-被爆者と非公開で懇談・長崎
時事ドットコム(2011/08/08-22:44)
 9日の長崎の平和祈念式典に、米国政府代表として初めて出席するズムワルト首席公使は8日夜、長崎市で被爆者と非公開で懇談した。被爆者が原爆投下の必然性を問いただしたのに対し、公使は「歴史家が判断すべきだ」と述べ、是非について明言しなかったという。
 公使と懇談したのは、国際社会に核兵器使用の悲惨さを証言するため政府が昨年創設した「非核特使」第1号に任命された山脇佳朗さん(77)。長崎市が式典に出席予定の各国政府代表を招いた夕食会の中で実現した。
 山脇さんによると、懇談は数分間、日本語で行われた。山脇さんが「米国が長崎、広島に原爆を落とす必要はあったと思いますか」とただすと、公使は「それは過去の話。私は外交官であり、将来の日米の友好関係が重要と考えている」と述べた。その上で「歴史的な出来事にはいろいろな意見がある。歴史家に判断を任せるべきかもしれない」と語った。
 懇談の際、2人は握手を交わし、記念写真を撮影したという。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201108/2011080800904&rel=y&g=soc

【社説】長崎原爆の日 平和宣言を原発論議の契機に
2011/08/09付 西日本新聞朝刊 2011年8月9日 10:43
 長崎市に原爆が落とされて66年となるきょう、平和祈念式典で田上富久市長が読み上げる平和宣言文には、東京電力福島第1原発事故を受け、原子力に代わる将来を見据えたエネルギー開発の必要性が盛り込まれている。

 1948年に始まった宣言文で原発のあり方に言及するのは初めてだ。原発の安全神話が崩れたいま、放射能汚染の恐怖を知るナガサキからの呼びかけを重く受け止めねばならない。

 被爆地として、原発にどう向き合うのか。かつてない課題に直面し、長崎平和宣言は起草委員会での取りまとめが難航した。しかし、事実上の脱原発を訴えることで、軍事利用だけでなく平和利用も含めた「非核」の立場へと一歩踏み出す形になった。

 平和宣言の歴史の中で、一つの節目を迎えたと言えるだろう。

 ▼制御不能の事態に

 長崎平和宣言の起草委員会は、市長を委員長に学識経験者や被爆者などで構成し、幅広く意見をくみ上げる「長崎方式」として知られる。

 チェルノブイリ原発事故や核拡散防止条約(NPT)再検討会議、「核兵器なき世界」を訴えたオバマ米大統領のプラハ演説…。宣言文にはその時代を象徴する出来事が登場してきた。

 今年のテーマは、もちろん原発問題である。田上市長は「どこまで踏み込むかが課題だった」と振り返る。

 5月下旬に始まった起草委は計3回開かれたがまとまらず、結論は小委員会に委ねられた。最も慎重だったのは市長自身である。「原発を是か非かの二者択一で論じるのはどうか。一自治体の問題ではなく国民的な議論が必要ではないか」という考えだった。

 国を挙げて核の平和利用を推進した結果、原子炉は50基を超え、国内発電量の3割を占める。原発が企業活動や市民生活を支える現状を考慮せずに、性急に否定していいのか。そんな思いも態度を決めかねた背景にあった。

 しかし、福島第1原発の制御不能の事態はあまりにも衝撃的だった。

 唯一の被爆国でありながら、核兵器と同じ核分裂を利用する原子炉が新たな被ばく者を生んだのだ。市長は「核は制御できるか」と委員に問うたが、委員の多くは否定的だった。あらためて「核との共存は難しい」という見方を突きつけられたのと同じである。

 委員会では将来の脱原発を求める意見が大勢を占め、最終的には田上市長も決断する。「二度とヒバクシャをつくらないのが長崎の思いだとすれば、行き着くところは原発ゼロということになる」(7月28日の会見)。「ノーモア・ヒバクシャ」を訴える被爆地の市長の主張は明快になった。

 宣言文は冒頭から、福島の原発事故による放射能禍の脅威に触れる異例の内容だ。そして「脱原発」という言葉は使わないものの、より安全なエネルギーに基づく社会への転換を図るため、原子力に代わる再生可能エネルギーの開発が必要だと明確に述べる。

 原発と核兵器を切り離してきたのは被爆地長崎でも同じであった。49年の宣言文では原子力の平和利用を熱く願ってもいる。それだけに、今回は転換点を印象づけるものとなろう。

 被爆地から被ばく地へ。原発依存からの脱却を促す宣言はナガサキからフクシマへの連帯のメッセージでもある。委員の一人、土山秀夫・元長崎大学長は「宣言が原発に触れるのは最初で最後かもしれない。後世はきっと評価してくれるだろう」と意義を語る。

 ▼長期間を要しても

 転換点と言えばもう一つある。

 核被害を語るのに、福島が加わったことだ。核の暴走による原発放射線の恐怖は、核兵器がもたらす惨事を想起させたに違いない。核の脅威は広島、長崎の「過去」のことではなく、「現在」や「将来」に世界が直面する可能性がある。今回の原発事故が、そのことを如実に物語ったのである。

 長崎の平和宣言は2008年以降、9カ国語に翻訳され、ホームページで発信されている。核兵器廃絶という変わらぬ願いに加え、今回、事実上の脱原発を求める訴えが世界中を駆け巡る意味は決して小さくないだろう。

 原発を問い直す動きは長崎平和宣言だけではない。被爆者たちも行動を始めている。長崎県の被爆者5団体は福島原発事故後の4月、原子力偏重のエネルギー政策からの転換を求める要請書を菅直人首相に送っている。

 これまで以上に「放射能の恐怖に対する人々の想像力の扉が開いている」(田上市長)今年、ナガサキが練り上げた宣言文が、一人でも多く世界の人々に届くことを期待したい。

 原発依存からどう転換するのか。風力や太陽光など再生可能エネルギーへいかにシフトするのか。さらに、そんな社会をどうやって築くのか。

 いずれも、解決に向けた具体的な道筋や処方箋があるわけではない。平和宣言は「たとえ長期間を要するとしても」「根底から議論し選択するときがきている」と問いかけるだけだ。

 ナガサキを最後のヒバクチに-という願いが裏切られた現実に真正面から向き合い、たどり着いた一つの結論が長崎平和宣言だ。今度は私たちが、それをエネルギー政策の国民的な見直し論議の契機として生かす番である。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/257557

Bochibochiは、現実を見つめます。
そして、動いていきます。

失礼します。

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