※この記事は、8月6日 第二次大戦の原爆投下の意味と未来につなげる私達の責任に関連しています。

医師自問「原発なぜ許した」
中国新聞 '11/8/7
 広島の被爆者医療に30余年をささげた。斎藤紀(おさむ)医師(64)。勤め先を福島市の病院に変えて2年目の春、福島第1原発事故に遭遇した。今、被曝(ひばく)者支援を手掛ける。「人類と核は共存できない」。その思いを強くして迎えた8・6。原点の地、広島市西区で講演した。

 「広島の黒い雨を思い出した」。そう言って示したのは、原発からの放射性物質の拡散マップ。局地的に汚染度が高い「ホットスポット」が生まれていた。

 宮城県出身で、福島県立医科大(福島市)を卒業。広島大原爆放射能医学研究所(現原爆放射線医科学研究所)で臨床血液学の研究を重ね、西区の福島生協病院で院長を務めた。

 被爆者医療の蓄積が今回、図らずも生きた。

 西区の講演会場―。詰めかけた約180人を前に、自問自答してみせた。「ヒロシマとフクシマが強く手を結ぶためには何をすべきか」

 一呼吸置いて自分なりの考えを伝えた。「被爆地がこれまでなぜ原発を許してきたのか、そこを考えないと始まらない
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201108070041.html

この方の言葉は、重い。
ドーンと来ました。

Bochibochiごとき小童がどれだけ叫んでも届かないのは、自分の今までの無関心を考えると当然です。
やはり、深く関わってきた方だからこそ、説得力と影響力が生まれています。だから、こんな短い記事でも、Bochibochiに届きます。同じ言葉でも、その重みは全然違います。

こういった方々、原発に反対してきた方々に対して、申し訳ない気持ちで一杯です。

これからは、一緒にその道を歩きます。

失礼します。

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