※この記事は、7月23日 小出氏講演:「原爆・原発と憲法9条」@堅田9条の会【その②】の続きです。

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 (音声不良)「石炭などの資源が今後地球上から次第に無くなっていく」その石油がどれくらいで無くなってしまうかということを今から皆さんに見ていただこうと思う。
 石油はあと何年もつのだろう?石油可採年数推定値の変遷とあるが、1920年から2010年まで。それぞれの年に石油があと何年もつかと考えたのが石油可採年数推定値として、縦軸にとった。一番上でも60年。
 私は1930年からの石油可採推定値からこのグラフに書こうとしているが、1930年は今から81年前。でも、これ(縦軸の)一番上でも60年しかない。この時に60年もつと思っていたとしても、実際には石油は一滴もなくなっているはず。

 では、この1930年の時に本当に石油があと何年でなくなると考えたかというと、18年。(音声不良)今でも石油はたくさんある。間違えていたが、この年はどういう年かというと、前年の1929年に世界大恐慌(音声不良)労働者が首を切られて巷にあふれるというそういう時代。大変だった。これからは自分の国をなんとか強国にする努力をしなければいけないし、そのためには、石油や石炭というエネルギー資源の確保もしなければいけないということになった。
 日本はどうしたかというと、非常に単純な選択をした。日本国内にはエネルギー資源が少ないので、
「そうなったら大陸の資源を押さえればいい」
満州に侵略を始めた。これから日本は15年戦争という大変な時代に入っていく。日本だけではなくて、アジア諸国の人々、何千万人もの人を苦難の底に落とすという歴史を始めた。
 長い戦争を続けて10年経った。1940年になったら、石油はあと何年になったか。10年前の1930年には18年しかないと言ったのだから、10年後の1940年には、あと8年しかないということにならなければおかしい。では、実際どうだったかというと、まだ23年ある。もうこれで歴然と間違えていたと反省しなければいけないのだが、でもこの時は、こういう時代だった。日本という国は中国へも侵略戦争を始めていた。世界中から忌み嫌われていた。
 例えば石油に関していえば、ABCD包囲網という経済制裁を受けた。A=アメリカ、B=ブリテン=イギリス、C=中国、D=Dutch=オランダ。オランダというのは(音声不良)、そういう国々が、「日本には石油をやらない」という制裁を発動した。
 (音声不良)できないということで、どうしたかというと、これも非常に単純な選択をした。
「こうなったら南方の石油を押さえるしかない」
太平洋戦争。
 そしてまた長い戦争が続いて、さっき見ていただいたように1945年になって、原爆を落とされて、遂に日本は敗北する。
 それでも世界では戦争が続いている。
 1940年から10年経って1950年、この年に石油があと何年あるか考えた。するとまだ20年あると言った。この時はまだ朝鮮戦争という大変悲惨な戦争が行われていて、世界中がどうやってエネルギーを確保するか血眼になっていた時代。それで「後20年で石油が無くなってまう、大変だ」とやはり皆が言い続けた。
 (音声不良)1960年代。この頃は私が中学時代の頃。石油があと35年で無くなると私はずっと脅かされて、「もうしょうがない。原子力だ」と思った。しかし1964年には東京オリンピックで大量のエネルギーを使って、東京をコンクリートジャングルに改良するということをやった。そんな時に、あと34年、35年といっていた。
 その後、まだ何年経っても30年といい続けてきた。
 オイルショックというのがあった。一回目もあったし、2回目もあった。それでもまだ石油は約30年あるといい続けた。その後もずっと石油は30年、35年あると言いつづけた。
 その後どうなったかというと、なんと石油はもっとあると言った。(1990年頃)ソ連が崩壊したり、米国が攻撃を受けたり(9.11)したが、現在の石油の可採推定量値で一番新しいのは、「あと50年ある」
27 石油はあと何年もつのだろう?


 化石燃料がいずれなくなってしまうなんて、本当ですか?
 私は、この図を作りながらこう思った。
 石油が20年で無くなるという時代が20年続いた。
 石油が30年で無くなると脅かされた時代が30年間続いた。
 今、石油が50年で無くなると言われている。この時代が50年続く。1990年からそういい始めている。もう既に20年間そう言い続けている。あと30年間言い続ければ、私の予言が当たる。当たると思う。2040年まで「石油はあと50年で無くなる」といい続ける。
 皆さん、その後なんて言うと思いますか?
 そこで私は冗談を一つ言いたくなる。2040年になったら、「石油はあと100年だ」と言い出す。その時代が100年続く。そんな冗談を言いたくなるほどに、ようするに「インチキ」だった。化石燃料が無くなってしまう、石油が無くなってしまうというのはインチキだった。
 「そんな宣伝に惑わされて、国の運命を決めるような選択をしてはいけない。私のように自分の人生を掛けるような選択をしてはいけない。」
この図を描きながらずっとそんなことを思っていた。何と愚かな選択を自分はしたのかと。でも多くの日本人は、未だに化石燃料がなくなるので原子力が必要だと思っている。そして、皆さんはこの表を見ながら、まだ私に意義を唱えようとする。
「そんなこと言ったって、いずれ無くなる。どうするの?やっぱり原子力必要なんじゃない?」
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 その為に私は、もう一つ資料を用意した。
 地下にある資源はどれだけある?
 化石燃料はもちろんなくなる。地球が46億年かけて地下に蓄えてきた資源。それを人間が湯水のように使おうとすれば、いずれなくなるのは当たり前。しかし原子力の燃料であるウランだって、地下に埋まっている資源。それを掘ってきて使えば、いずれ無くなる。問題はどっちの資源がどれだけ多いか、それだけのこと。
 では、一体どうなっているかというと、一番多い資源は石炭。四角で書いている。ただしこれは究極埋蔵量で、地球にとにかく存在しているということが分かっている資源。でも地下から掘ってくるということは、エネルギーが必要なので、金勘定をして金儲けにならないと思えば、全ての石炭を掘れるわけではない。今だって北海道にたくさん石炭はあるが、結局、金儲けにならないとして、北海道の炭鉱は全て閉鎖されてしまった。
 では、実際に金儲けになる石炭はどれくらいあるかというと、確認埋蔵量は(音声不良)だんだん大きくなってきたわけだし、(音声不良)。ではこの(青の)四角の大きさがどういう意味かというと、いまここに小さな四角を出した。これが、今現在世界で一年間で使っているエネルギーの総量(世界の年間総エネルギー消費)。数字で書くと0.4。石炭の究極埋蔵量は310。確認埋蔵量は25.9。つまり、今の確認埋蔵量だけ、今の技術力で金儲けになる石炭だけに限っても、現在の世界60年、70年間を満たせるだけある。究極埋蔵量使えるとしたら、800年分ある。

28 地価に眠る資源はどれだけある?


 次の資源は天然ガス。私はこの図を30年くらい前から書き始めたが、当時は天然ガスなんていうものは資源として認められていなかった。ほんの小さな四角でしかなかったが、最近天然ガスが大変便利だといって、たくさん使われるようになって、ガス電開発が進められて、今や石炭に次ぐ資源だと認められるようになってきた。この四角は多分石炭と同じくらい大きくなると、私は思っている。つまり天然ガスだけで、人類何百年間のエネルギーを供給できるだろう。
 そのほかに石油であるとか、オイルシェール・タールサンドとか。今のところオイルシェール・タールサンドは金儲けにならないので使っていないが、これからどんどん使う時代が来る。
 これはすべて化石燃料。この化石燃料が無くなってしまうから、原子力が人類の生存のためには不可欠だと宣伝がなされ、私はそれを信じた。
 では、原子力の資源であるウランはどれだけあるかというと、これだけしかない。

28 地価に眠る資源はどれだけある?②ウランまでの比較


 石油に比べて数分の1、石炭に比べたら数十分の1しかない。まことに馬鹿げた資源だった。こんなものにもともと未来をかけること事態、間違えていた、そういうもの。
 ただし、私がそういうと原子力を進めようとする人たちは、(音声不良:ここは残念・・・)とされるウランの資源量をここに書いた」と私はいう。「現在の原子力発電で利用できるものは、そのくらいしかないので、そうしたのだ」というと、原子力を推進しようとしている人たちは、「ほら見ろ。おまえの言っていることは間違いだ」という。
「原爆を考えろ。広島の原爆は確かに燃えるウランでできていた。長崎の原爆はプルトニウムで出来ていた。プルトニウムは、燃えないウランを変換するとプルトニウムになる。燃えないウランは全体の99.3%も占めているのだから、それを効率的にプルトニウムに変えてやれば、原子力の資源になる。」と言い出した。そして、彼らの描いた理想どおりになると、このウランの量は約60倍になると彼らは言っている。60倍になったところで、ようやく石炭に並ぶくらい。「原子力が未来のエネルギー源になるということは決してない。無いけれども、石炭に匹敵するくらいの資源にはなるだろう。だからやる価値がある」と言っている。
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 その為に彼らが何をやろうとしているか。
 まずウランを取ってくる。それを濃縮する。マンハッタン計画で広島原爆を作るために濃縮して、原子炉で燃えるように加工してそれを原子力発電所で燃やすということをやっている。これは、広島原爆を作ったのと同じことをやっている。広島原爆で核分裂反応を起こした反応を原子力発電所で今やっている。でも、これをいくらやったところで、原子力はエネルギー資源にならない。今聞いていただいたとおり。
 そこで、原子力を推進しようとしている人たちは、プルトニウムを作り出すと言っている。どうやって作るかというと、こうやる。ウランを取ってきて、プルトニウム燃料加工といきなりプルトニウムになっているが、ちょっと今は無視してください。(音声不良)加工したプルトニウム以上のプルトニウムを新たに作ろうと(音声不良)高速増殖炉(音声不良)、そこでもう一度高速増殖炉用の燃料に再処理をして、プルトニウムをまた加工する。これを核燃料サイクルという。最後にやはり核燃料の廃棄物、ごみが出てくるので、核のごみはいずれ処分しなければならない。
 でも、私はこちらにプルトニウムと書いたが、プルトニウムは全然地上にはない。では、どうやってこのプルトニウムを始めに取り出すかというと、こういうことを彼らはやっている。普通の原子力発電所でも、燃えるウランを燃やしている限りプルトニウムが出来ている。効率は悪いが出来ている。その出来ているプルトニウムを再処理工場で処理してここに回す。はじめにこれを渡してやれば、後は自前でこのサイクル(核燃料サイクル)を回す。

29 ウラン採掘~各サイクル~廃棄


だから原子力は無限の資源になる。こういう内容。
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 そのための高速増殖炉というのは、日本のどこにあるか。
 琵琶湖の北のほうに敦賀という町がある。そして敦賀半島の最北端にもんじゅという原子炉がある。

30 もんじゅの立地


 これを高速増殖炉の原型炉と私たちは呼んでいるが、こんな姿。

31 もんじゅの写真


 1995年にここで原子炉を動かそうとした途端に事故になり、止まってしまったもの。大変この原子炉は作ることが難しい。(音声不良)世界中がウランは貧弱だということをはじめから知っていて、どうしてもプルトニウムを作り出さなければ原子力の資源にならないということを、実はみんな知っていた。皆さんには一言もそんなことを言わなかったと思う。そのために世界中が高速増殖炉(音声不良)、一部は関西電力の原子力発電所から来ているわけで、皆さんは原子力発電といえば、今世界で動いているような発電所をイメージするかもしれないが、世界で一番初めに電気を起こした原子炉は、高速増殖炉。それほど一番初めから世界中は高速増殖炉を作ろうとしていた。1940年代から既に作り始めた。バッテンをつけてあるのは、既に駄目になった原子炉。

32 高速増殖炉各国の失敗ぐらふ


 はじめはもちろん米国が始めたが、イギリスがやり、旧ソ連がやったり、(音声不良)全てがつぶれてしまった。日本ももんじゅというのを動かそうとしているが、またつぶれてしまって、昨年の?月頃また事故が起こってしまって、世界中でつぶれている、とてつもなく難しいもの。
 特に日本の高速増殖炉というのは、本当に馬鹿げた歴史をたどってきた。
 今私が何を書こうとしているのかというと、高速増殖炉計画はどうやって破綻してきたかというのを書こうとおもう。まず棒グラフ。
 横に並んでいるのは、1960年から2010年まで。これは、日本の原子力開発利用長期計画という計画に則って進められる。その計画が(音声不良)、高速増殖炉実用化見通しの年度というのがあって、高速増殖炉がいつできるのか(音声不良)。原子力利用長期計画で一番初めに高速増殖炉について触れられたのが、1967年の第3回の時。その時には、高速増殖炉は、1980年代全般に実用化すると書いた。実用化というのは、高速増殖炉が日本中にいくつも建って、電気を起こしているというのが実用化。80年代前半、もう今から30年くらい前に実用化しているという見通しを立てた。まことに馬鹿げている。実現できなかった。すぐにこれが間違いだということには気がついた。原子力委員会というところが作っているんだが、彼らは次の長期計画で見通しの年度を書き換えた。
何年に書き換えたかというと、1990年前後に実用化すると書き換えた。でももちろんできていない。
それで彼らは、また年度を書き換えた。高速増殖炉は2000年前後に実用化する。これももちろんできていない。
また次の長期計画になって、また彼らは書き換えた。2010年に実用化する。これだってできていない。影も形も無い。
それでまた次の長期計画で彼らは書き換えた。2020年代にする。これはもう実用化ではなくなった。「技術開発の目処を立てる」というような表現で2020年代。
これも難しそうだということで、次の長期計画では、2030年代に技術開発の目処を立てると言った。
これもできそうにないので、2000年の長期計画では、また改定が加えられた。この改定のとき私はなんて書き換えるかのまず予測を立てた。彼らは、2050年に技術開発の目処を立てると書き換えるだろうと予測をたてた。遂に2000年の長期計画では、遂に彼らは数字を示すことすらできなくなってしまった。そこで私はしょうがないからバッテンをつけた。
では、その次にどうしたかというと、2005年になってそれまで原子力開発利用長期計画と呼んでいたのを、原子力政策大綱という何とも??時代的なものに書き換えて、そこで見通しを出した。その見通しは、2050年にとにかく1機目の高速増殖炉を動かしたい。そういう記述になった。

33 原子力はエネルギー源として意味が無い


 だから、私はここに青い帯を書いたが、この青は、初めの頃は実用化、途中からは技術開発の目処、最後は一機目を作りたいということで、中身が違うが、とにかく原子力委員会が言っている、示した年度をここに書いた。
 それを一つの線で結ぶとこうなる。
 この横軸は1メモリ10年。縦軸も1メモリ10年。この線は何を意味しているかというと、『10年実際の時間が経つと、夢が20年先に逃げる

34 十年経つと二十年先に逃げる夢


 10年経つと20年先に逃げる夢には、永遠に到達できない。
 こんな馬鹿げたことを日本の原子力委員会という原子力の中枢にいた人たちが、次々と書き換えて、既に1兆円というお金をこの開発に費やしている。誰も責任を取らない。本当に酷い世界だと私は思う。

【その④】へ続きます。