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そうは言っても、非常に解析上も難しい解析だし、実際にどうなるかというのはわからない。実際に実験をやる。アメリカでこれはサンディア国立研究所というのがニューメキシコ州の首都アルバカーキの空港の近くにある。そこのサンディア国立研究所の砂漠の真ん中で、こういう容器を作って、これに窒素ガスをいれてどんどん圧力をあげていく。そうすると、圧力とともに変形していって、最後にこれが壊れる。
 それが設計圧力が40psig=(2.5cm×2.5cm当たりに0.5kgくらいの圧力)0.29MPaくらいのオーダー。これが設計圧。これに対してどうなったかというと、結果このくらいになった。
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ここにあるが、190から195psig(=約4.75から4.88Pd)設計圧の5倍近くで壊れた。壊れ方はこの骨がついたところ。骨というのは、補強用の溶接してある部材の付け根の応力集中、ここから破壊が進んで一気に壊れた。絵は無いが、鉄板はバラバラにこなごなに飛んで、数百メートル飛んだ。つまり、鉄で出来た容器であっても、圧力をかけて壊れると、このように爆発的に壊れる。これがアメリカの実験。
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それを受けて、日本のマークII型の格納容器の上半分をモデルにして、10分の1で実験した。同じくサンディア国立研究所。これは日立製作所で作った。日本側の何人かの委員が検討会に入って一緒にやってアメリカで実験をやった。外側にコンタクトウォールという鋼製の、本当はコンクリートだが、それを鉄で作った外側の壁を設置して実験した。これは本当はこれをいれると精度が落ちる。つまり接触問題が起こって解析との付け合せが難しいのであまりやりたくなかったのだが、破片が飛び散ることを抑えるという意味で、こういう方法になった。ただし、この時は、サンディア国立研究の時に破片が何百枚だので航空機が飛んでいて、空港の近くなんです。飛行機が直撃するので、この日本が提案する格納容器の実験の時に飛行機を止めることが出来ないというのがあって、爆発的な現象を起こるということが見えるのが嫌だということで、地下壕を彫って実験した。
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 結果は、このときには、設計圧に対して、6倍近くまでは圧力で破損した。壊れたのは、機器ハッチという底に機械を抜き出すための直径4mくらいの大きなフランジ、蓋がある。その蓋の付け根のところ。格納容器の普通の板厚とは違って、こうやっ厚板で補強してある。その補強部分と薄板の部分の境目で破壊が起こった。先ほどのアメリカ側もまさにこれと同じ。応力集中部からはっきり壊れている。この亀裂が入った。このときには、外側にシールドを作ったので、爆発的なボンっとシューっと漏れて試験を終了している。
<00:54:20->
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さて、今の話を元にこういうことをした。今の話をした格納容器の全体モデル。今は見せなかったが、格納容器のいろんな部所の計算をしている。すると、フランジが開くこと、フランジがガスケットが温度でやられること、電気配線のパーツもやられること、ここに横に温度、縦に圧力をとって、それぞれのカーブを求めた。これは、マークI改良型の分。これが設計圧。温度は171度でこの辺。それに対して実際に評価した結果は、例えば聞きハッチの貫通部、これは、赤と青は先ほどの上限・下限です。つまり最初に漏れ始めるところと、もうちょっと持ったかもしれないを両方やった。多分この辺になると漏れ始めるんじゃないの?という値。これは、うまくしたら、もっとここまで持つよね?っていうのは結構違う。これ、10キロくらい違う。これは16近く違う。こういう風にして格納容器全体のシェルはこの辺、下限がこの辺で上限がこの辺というふうにもっていった。そうするとフランジはこことここで、一番弱いところは、ここで漏れる。
そうすると4.35に対して大体2倍くらいで漏れ始めるということになった。
これが温度。ガスケットのリーク。このカーブよりこちら側はガスケット或いは電気体が壊れて漏れてしまう。
 つまり、この辺までだったら持つだろう。ただしこれは絶対ではない。なぜかというと、材料は実測を使っているし、強度計算も安全?というのが入っていない。
設計はいろんな誤差があるので、余裕を持たせる。そういう余裕の無い部分、実力値と言う。これを耐性評価と読んでいる。これがまさにストレステストの意味です。多分、こういうことをやろうとしているというふうに私は思う。
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これはマークI改良型だが、実際には、こういう形で、先ほど言った設計値がこれに対して、こういうふうに評価し、これで過酷事故の時にはこれでベントする・しないが議論になってくるということになる。
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 そういうことで、格納容器のベントのことは何度も話しているので飛ばしましょう。
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 で、つまり、原子力プラントの設計条件というのは外部事象と内部事象があって、ある条件で設計する。一番問題なのは、私は設定が甘いことだと思う。
 今回真摯に見直さなければいけないのは、ストレステストいいですけど、確実にやらなければいけないことは、地震と津波の評価。まず。これが絶対条件。それについてのきちんと評価をしない限り・・・。科学的にわかる範囲で徹底的にきちんとすること。それをした上で実力テストはどうかということを素直に考えるべきだと思う。そうしていくと何がわかるかというと、非常に危険性の高いものと、まぁ少し余裕があるかもしれないという差がでる可能性はある。だからそれは絶対的なもの見方ではない。それを以って小さいもがあったら、安全だというふうにはちょっと無理がある。なぜかというと、もともと原子炉というのは、非常に厳しいものだから、それをある条件になると炉心溶融を起こしてしまうということがあるから、必ずしも確実だとは言えない。
 今回の問題は、やはり地震学の知見とプラントの設計の適応。
 これが双方持たれ合いだったと理解している。
 地震を設定する時の学者の在り方。石橋克彦さんが言っている。「こんなことでは非常に危ない、地震はそんなふうに制限できない。」
 それに対して一部の学者は、「そんなことない。」
ここが分かれ目になっている。地震については。それをプラント設計する条件として地震はどこまでかを適用する時に、また地震学を絶対化して適用していく。ここの構造の作り方が、まさに耐震性指針、或いは安全指針の問題だと思う。これは、私は、カーン?と応用の問題として、根源的な問題を含んでいると思っている。ここは、まず真摯に科学者・技術者が対応しなければいけない。
 特にできるだけ小さくしろという無言の圧力が、ずっと働いてきた。それが外に出るときには、マスコミを通じて安全神話としてずっと続いてきた。つまり外部に対して原子力プラントは「安全だ」といい続けてきた。その結果、自ら、自分たち自身が安全だと思い込んでしまった。私はそういう風に思っている。私にはそういうふうにはっきりと見えた。最初は、スリーマイル・チェルノブイリの直後は非常に心配して、安全に対して作りこみをしようというのもあったが、だんだん「そんなことはない。」
 例えば過酷事故対策によくでている。過酷事故の時に、格納容器が圧力が上がってしまう?ベントしなきゃいけないことがある?そのために格納容器ベントやると言っておきながら、「そんなことはないだろう。だからフィルターなんかつける必要ない」 
 格納容器ベントというのは、バルブはついているが、あれは開かない可能性がある。二つとも。どっちかが開かなければ終わり。そんなことだったら、せっかくつけた格納容器ベントできない、ではなくて危ない。それをちゃんと設計だったら組み込まなければいけないのに、やってない理由は、「本気でそれを考えていないから」安全かどうかを考えたら、ああはできない。だから、シビアアクシデント対策といっている、Accident Managementといっているものは、一見一生懸命、安全性を保つといっているが、実は逆で、
「安全性が担保できなくなった時に、仕方がないからやらなきゃいけないからつけたした、だけどそれが作動する可能性が低い、信頼性の低いものがついている。」
それは間違いない。だからこういうことが起こる。
 電源車の話をした。電源車を手配したが、渋滞で来られなかった、地割れがあってもこられないし、いろんな理由がある。持ってきてもつなぎこみができなかった。そういう関係がつまりこれは安全だという根底を持っているから、形だけやるからそういうことになる。対策として成立していない。
だから、今回の津波対策にしても全部そう。そういうもので部分的に対応することをもって、原子力プラントの安全性を論じるのは、私は無理があると思う。
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 そういう意味で、シビアアクシデントというのは、設計条件を???加える事象ですけど、起因事象は停電とか地震からくる機器の故障。だから今回航空機の落下もあった。ああいうものも当然考えていなければおかしい。

 はっきり申し上げて、北朝鮮の脅威の話ありましたよね?ああいう話をするなら、原子力プラントに対する飛来物の対応はとっくにしなければいけない。核兵器じゃない。通常の普通のもので突っ込まれたらそれでおしまいになってしまうから、事故でもテロでも同じ。
 それで、私の格納容器については、格納容器はどこまでもつかということを耐性評価としてやった。
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 これ(一番左)は、時間の関係で細かくはやらないが、過酷事故のシーケンスというのは、このように検討している。
 例えばトランジットで異常な事態になって、事故とはいえないけれど不安定な状態になり、そのあと、炉心が水位が落ちて燃料が損傷し、圧力容器も損傷する。格納容器の温度上昇でこうなる。こういう一連の流れ。
 例えばこれ(一番右)だと、外部電源喪失。D/Gが故障してバッテリーも故障、今回はまさにこれ。こういうことが大体どのくらいで起こるかと、こういう検討はしている。
 だから、今回こんなことをしていなかったのではなく、考えている。でも突破されている。これが重たい。ですから、直接今回異常な事象だというが、そうではなくて、過酷事故というのは一連こうやってやっているんだから、こうやって確率を出している。
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米国のプラントとの比較とかもやっている。日本では大体このくらいと計算している。その時に、こう見てもらうとわかるが、このPスロットルというタイプだが、TBというのがある。これがステーションブラックアウト=全電源喪失事故。日本ではこういう(上段中央)評価。実はアメリカでは(下段中央)これでだけの評価。だからアメリカでステーションブラックアウトは非常に怖いという報告書がでて、それを受けて日本もやっている。それをやった結果が皓だといっている。このくらい落ちたと。だけどそれが突破されている。ことが重たい。
 私は、そういう対策をしていない、今回初めてわからなかったのなら、「初めてだし反省します」というのはわかるが、それが判っていてこうなって、それをやっていたにも関わらず、突破されているというのが過酷事故。そこは声を大にして言いたいと思う。
 そこのところを安全委員会は、きちんと捉えて全部評価しない限りは、全く信用できない。
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 これが、事故のシーケンス。全電源喪失事故。
 例えばどういうことかというと、これは凄くまとめてシナリオ化しているので、必ずしもこのシーケンスにはならないが、一例でいくと、最初に何らかの形で異常事象が発生し、上が成功、下が失敗。例えば反応度阻止に失敗する、つまり制御に失敗すると、そのままボンッといって、反応度事故、一発でおしまい。反応度、つまり今回成功した。だけれども、電源の確保に失敗した。これ成功すると上に行く。電源の確保に失敗すると下に行く。つまりTB。実は失敗した後、これもさらに分かれる。炉心の冷却があって格納容器が。実際はこれは、TBになっている。こういうふうにして、例えば電源が確保できた場合にも、炉心の冷却に成功・失敗。失敗した場合には、TQUXとTQUV、高圧でガスを??破損すものとか、低圧で破損するものとかに分かれる。冷却系が働く・働かない。格納容器としてどういう影響があるか。そういうことをずっとシーケンスで追いかけていく。この冷却に成功するとうまくいったなというが、でも格納容器に冷却失敗すると、やっぱり最後は駄目になる。これは、全部が成功した時には、上に成功、成功、成功とめでたく安全停止と。
 これに確率されている。そうするとどれだけの確率で停止するかと計算できる。これが確率論的安全評価と言われているもの。
ただこれ自身が非常に、すごい小さい数字になる。
(澤井氏)マイナス何乗?
(後藤氏)ものすごいです。信じられないもの。
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ここの年っていうのは一年間に発生する確率。これは沸騰水型の場合。
7.8×10マイナス7乗/炉年。
 ちょっと信じられない。7.8×0.000000078、つまり無視しうるほど小さい確率。これ全体が。だからこんなに安全なんだから、原子力って安全だとずっと言ってきた。これはじゃぁ、どうやって考えたらいいか?炉心溶融確率をどうだすか、わからないが、例えば、今まで世界で起こった大事故3件、3基がここ数十年に起こった。そうすると20年に1回くらい起こる。とんでもない数字。桁違い。20年に1回。それを何千何百万年、それ以上にないといってきた。そうすると話が全然違う。だから交通事故より少ないとか言ってるでしょ?20年に1回というのは、とんでもない確率。
 そうすると、そういうまさに、なぜそういうことが起こるかというと、確率論的安全評価、これは、一見もっともらしく見えるが、極めて平均的な値、あるいは問題が無い時の話。東電はいろんなことで事故隠しやってますよね?これ、組み込んでいけばどんどんいっちゃう。そういうことも入っていないし、それをごまかしていないとしても、発見できなかった故障もある。人間のエラーもある。そういうものが入っていない。こんな理想的にいくとは限らない。一つので一気に変わってしまう。そういうこともあるので、これはどうやって使うかというと、私の意見は、これはこの電源確保するのは、あるやり方でやっていいかどうか、どっちのやり方のほうが得か、損か。これでやって炉心損傷は酷いから、改善する、何かやる。それで計算してみたら、「あ、改善された」そういうため使い方。私自身もこういうことに使ったことがあるから、これを技術的に否定することはない。
 ただ、この値を絶対値をもって、これを言うのは全くナンセンス。これは机上の空論もいいとこ。こういうことを言うのはもうやめてほしいし、確率論的安全評価をもとに、大規模事故を議論することはやめるべき。それは許容できない事故に対して、こういうものを持ってきてはいけない。許容できる、例えば、非常に回数が多いもの、交通事故のようにしょっちゅう起こる、それに対しては統計で扱うのは許されると思うというのが私の意見。

その④に続きます。