6月3日福島の子供を守ろう-全国のお母さんたちあがる①の続きです。

代表者、偉い人に会うためへ移動 (③50:05-)
文科省側「撮影だけはご遠慮ください。カメラもご遠慮ください。録音はOK」

開始 (③52:00-)
代表者:
「福島のお母さんからの手紙を読んでもらいます」

二児の母の方の声 (③52:30-)
「二本松市に住んでいらっしゃる専業主婦、12歳と10歳のお子さんを持っていらっしゃるお母さんのメッセージを代わりに読ませていただきます。

ピーマン、玉ねぎ、ほうれん草、トマト、きゅうり、なすび、さやインゲン。これまで家族で食べる野菜は、家で作ってきました。とてもおいしいです。放射性物質が怖くて、今年は子供たちには食べさせません。4月中旬から給食が始まり、学校から詳しい説明がなく、『大丈夫だ』とだけ言われました。放射線量年間20mSVで生徒が安全だという国や県の言葉を信じることができません。先週はお弁当の日が二日あり、自分で食材を選んで作れるからほっとしました。できたら毎日お弁当を作りたいです。夫と相談し、3月末に夫と母を残し、子供たちと他県の親戚の所に避難しました。『お父さんとおばあちゃんに会いたい、お友達に会いたい』と、子供たちが強く言うので、福島に戻りました。子供たちは、夫とおばあちゃんが大好きです。夫は自営業をしており、年齢的なものもあり、他県で仕事が見つかるとは思いません。また、母は90歳と高齢です。経済的なことを考えると、夫が福島を離れることができないのです。家族が離れて暮らすことを子供たちが望んでおらず、どうしていいのかわかりません。何が正しい情報かわからず、毎日不安な日々を過ごしています。子供たちの健康のことが一番心配です。」

代表者
「福島のお母さん、せっかく文科省の職員の方にきていただいているので、具体的に何か伝えたいことを一つずつ話してください。」

福島のお母さん (③55:00-)
「郡山から来ました。20mSVから1mSVをめざすと発表いただきましたが、幼稚園から高校生までの・・・(不明です)、それぞれで条件が違ってくるんですよ。いろんなことを考慮して考えていただきたいなと思います。あとは内部被爆のことも含めて対応をしていただきたいと思います。」

福島のお母さん
「・・・校庭の砂入れ替えをしていますけれども。郡山市から避難してきました。郡山市内の中でも、なぜか私が住んでいた周りでは、公園も遊ぶのは禁止。ブルーシートが張られています。郡山市内は唯一3.8μSVになる小学校がすぐ近くにあります。なので、郡山市内であっても地域によってはすごく高いところがあると認識した上で、砂の行方、撤去した砂が今は、一番近くの薫小学校に山盛りになって、その上にブルーシートが張られている状態なんですが、それをどうするのかという、将来的な明確なプランを組んで、撤去した後の校庭がどのくらい安全なのかということも全くわからない状態で、『大丈夫ですよ』という言葉しかいただいてないので、何がどう安全なのか、どのくらい危険性が逆にあるのかというのをデータで教えていただきたいです。」

福島のお母さん (③56:55-)
「郡山から避難してきた1児の母で、お腹には8ヶ月の赤ちゃんがいます。主要な公園や学校などは線量を測っているようですが、郡山にも小さい公園がたくさんあります。子供はいろんなところで遊びたいんですね。そういう小さいところでもちゃんと線量を測ったり、土を入れ替えたり、そういうことも考慮してほしいです。」

福島のお母さん (③58:00-)
「福島県深川市から避難してきました。目標として1mSVに下げて具体的に何をお手伝いしていただけるのかを明確にしていただきたいです。学校の土などの除去は国が費用を出して対応していただけるとのことでしたが、子供たちが生活するのは学校だけではないので、通学路だったり家のまわりだったり、そういう土を除去するのをお手伝いしてほしいと思います。やっぱり1mSVを目標としたからには、基準値を超える場所に居る子供・妊婦さんには避難を促してほしいです。」

関西のお母さん (③58:45-)
「一つ文科省の方々にお願いしたいことがあります。3月14日、15日のあとものすごい放射線量が東京にも来ましたし、福島はなおのこと濃い放射線量が空気中にありました。このことを私たちが知ったのは、1ヶ月、2ヶ月経ってから。私たち、そのとき、もしSPEEDIを公開していただいて、正しい情報、風向き、危険性を知っていたら、子供たちを外で遊ばせることはしませんでした。学校には通わせませんでした。家で待機することができました。避難することができた人は避難できたかもしれない。そういうパニックを恐れるから情報を出さないのではなくて、文科省のみなさん、国のみなさんが情報を隠してらっしゃるので余計に疑心暗鬼になってパニックが起きてしまうんです。なので、今後日本全国54基の原発があります。福島からもまだ放射線漏洩が止まっていません。どこに、いつ、どんなものが、放射線が出ているのか、そのときの風向きはどうなのか、っていうことを、正確な情報を私たちに伝えてください。メディアを通じて、私たちはそういう情報が一番知りたいです。是非、本当によろしくお願いします。」

代表者: (③01:00:10-)
「ここでお願いしたいのが、メディアの方も本当にありがとうございます。やっぱり高木大臣に会いたいです。福島のお母さんお父さんに会っていただきたいです。よろしくお願いします。大臣にいつ会えるのかわかったら連絡ください。じゃあ、ご連絡いただけるということで。本当に今日はお忙しい中ありがとうございます。」

記者会見場へ移動 

代表者: (③01:23:00-)
「皆さん今日はお待たせしてしまって、本当に申し訳ありませんでした。こんなにたくさん来ていただけるとは思っていなかったので、心から感謝いたします。今回「アクション 福島の子供たちを守ろう 全国のお母さん立ち上がる」の事務局をしています。今回、福島、そして日本の子供たちを放射性物質から守りたい。原発の無い、子供たちが放射性物質に脅えることのなく安心して暮らせる社会を作りたいというお母さんたちが、偶然つながって、こういうアクションをすることになりました。今日何をしてきたかというと、まず2時から経済産業省、原子力安全保安院に行って要請書を出しました。要請書は皆さんにお渡しした資料の中にあります。そして、福島のお母さんたちの話をさせていただきました。その後厚生労働省に行きまして、また内容が違うんですが、要望書を出しまして、福島のお母さんたちの気持ちを伝えました。今こちらの文部科学省で要望書を出しまして、思いを伝えました。
今日は、エプロンをつけているのは、お母さんらしさを出すためです。このお花というのは放射性物質をひまわりと菜の花が吸収するということで、こういう花を持っています。命を守るお母さん全国ネットワークについて説明させていただきます。」

大学生の女性 (③01:25:30-)
「本日はお忙しい中、足をお運びいただきありがとうございます。地震、津波、放射性物質が漏れる事故が福島第一原発でおきました。私たち母親は、子供は大丈夫なのかと心配してきました。福島の子供たちも、自分の子供たちも、同じように子供を守りたい。そこで同じ思いを寄せる母親たちが集まり、命を守るお母さん全国ネットワークを結成しました。福島の子供たち、日本全国の子供たちが、安心して暮らせる社会を作りたいというお母さんたちの緩やかなネットワークです。東京・関西・福島・名古屋・福岡とネットワークは広がっています。これまでは福島のお母さんの思いを全国に届けるためのや避難先の情報を伝えるために活動してきました。今回のアクションを通して、福島・日本の子供たちが安心して暮らせる社会にするために、今何をすべきかを考え、アイデアを出しあい、これからの行動につなげていきたいと考えています。代表はまだ決まっておらず、きちっとした組織になっていません。今後、福島のお母さんたちと手を取り合って、皆の力で何ができるかを考えていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。」

代表者:
「このネットワークというのは偶然広がっていきまして、今回は参加していないのですが、このキルトっていうのは名古屋のお母さんたちから預かってきています。こちらの方は、高校卒業したばかりの時に浜岡原発を止めるためのパレードを主催して、何人かの著名人が菜の花パレードということで紹介してくださいました。彼女と名古屋のお母さんたちがつながっていて、現在彼女は女子大生になっているんですが、今回このキルトを持ってきていただきました。名古屋のお母さんたちからメッセージを預かってきているので、彼女に読んでもらいます。」

(③01:28:00-)
「名古屋のお母さんからメッセージを読ませていただきます。
人の命を傷つけるエネルギーではなく、人の命と共存できるエネルギーに変えたいと、原発からの卒業を目指す名古屋のママたちです。命はかけがえのない宝物です。未来を生きる子供たちのために、社会がどれだけの負担をかけたとしても、その命を守ることができるなら、子供たちは成長し社会のために働くことができます。命というかけがえの無い財産を考えてください。今、守るべきものが何なのかを、社会全体で考えていく必要があると思います。子供たちの命と子を持つ母親の気持ちを守るための政策を国に求めると同時に、母親としてもできることをしていきたいと思います。以上です。
私も、将来、子供・・・ほしいです。でも、本当に福島のお母さんたちも都内にいるお母さんたちも、何が・・・、どこが安心できるのか、全く判らないし、私自身も不安です。」

代表者:
「今日、福島のお母さんたち、皆さん避難されているんですが、本当は福島に今いらっしゃるお母さんに来ていただきたかったんです。何人か私たちのグループでつながっている福島の方に声をお掛けしたところ、やっぱり子供のことがあったり、面倒を見たりだとか、あと家庭の事情があって行けないと。どういうことかと言うと、同じ家庭の中でも、おじいちゃん・おばあちゃんは『日本政府の言うことは大丈夫なのに、何があんたは心配なの?』と家庭の中でも温度差があるようです。それはご理解してくださっているご主人も居るでしょうが、なかなか奥さんが一人で・・・。23日の文科省の申し入れの時は、みんなでバスに乗って行くから割と行けると。でも、今回は少数で、一人一人にインタビューという形で、本当に勇気を持って東京にいらっしゃる方たちなのですが、だから、福島からはなかなか来られなくて、でも、行けないけど、皆さんに気持ちをどうしても伝えたいって。私も頼んだんです。手紙を預かってきました。彼女が読んでくれます。」

手紙の代読 (③01:30:40-)
「福島県のお母さんのお手紙を読ませていただきます。
福島市、会社員兼主婦、二児、11歳の男の子と8歳の女の子のお母さん、シングルマザーの方です。
今回の原発事故で、私が感じたこと。それは数え切れないほどたくさんあります。まずはネガティブな考えから話します。わが子は結婚できるのか?まともな就職ができるのか?子供なら無邪気に語る夢を話すことは許されるのか?これに関しての私の答えはこうです。
わが子にいわれの無い誹謗中傷をしてくるやつがいたら、わが子にどんなに罵られようが、憎まれようが、私は全力でそういう人たちから遠ざける。そしてわが子にもそういう強さを身に着けてほしいということでした。今、福島の親や世界中の親は、わが子を守るために戦士のように生きています。その本能というものは、人間に限らず地球上に生息するすべての生き物に当てはまることだと感じます。犬も猫もかえるもアリもライオンも、母親は戦隊を組んでわが子を守ります。それは至極当たり前のことで、何ら不思議はありません。ただ、現実を見ようともしない親が居ることもまた事実です。今、福島で起こっていることは、決して対岸の火事ではないのです。全国、全世界に原子力発電はあります。大人が無関心でいることが、一番の恐怖です。次世代にトンだ置き土産をして世を去るわけにはいきません。まだお子さんが居ない大人も、これから大人になり、子を成すであろう若者も関心を持ち、自分のため、将来のわが子のため、皆が戦わなきゃいけない課題です。どうか無関心でいることの恐怖を感じてください。そして、福島の子供たちの未来が明るいものになるように一緒に戦ってください。私たちの子供は、無限の可能性を秘めているのに、芽が出ないうちに摘まれようとしています。その現実と政府の無責任さ、福島の子供たちの過酷な現状を一人でも多くの方々に知っていただければ幸いです。そして、最後にポジティブなことを話します。きっかけはなんとも悲劇ですが、私たちにはたくさんの出会いがありました。この事故がなければ、すれ違うことすらなかったかもしれない、たくさんの人々との縁ができました。それは私の宝になりました。全国、全世界で、福島の子供たちのために力を尽くしてくださる方々が、わが子の第二、第三の何人の親ができたんだろうと考えると、感謝の言葉がふさわしくないくらいの気持ちでいっぱいです。」

代表者:
「では福島のお母さんから、今日の思いを一人ずつお話していただきます」

福島のお母さん(妊婦さん) (③01:34:40-)
「私は二歳の男の子とお腹に妊娠8ヶ月の赤ちゃんがいる、福島の郡山市のお母さんです。震災後、放射能が心配で、東京の実家へ子供と避難しています。主人は仕事のため郡山にいます。自主的に避難したくても、家庭の事情で避難できない人はたくさんいます。福島では、外へも安心して子供を連れていけない状況です。先日福島に数日間戻った際も、町中の公園に子供の姿はほとんどありませんでした。けれど、ごくごく当たり前の家族一緒に暮らすということが、今の私にできないことが残念で仕方ありません。本来なら2歳の息子の日々の成長を主人も肌で感じることができました。この2ヶ月半で言葉もたくさん増えました。これから生まれてくる赤ちゃんに語りかけることもできません。そして、この先暮らしがどうなっていくかも不安でたまりません。以前のように福島で家族一緒に子育てがしたいです。そのためにも平常時の基準値に戻してもらい、一日でも早く安全な福島、安心して子育てができる福島へ戻ることを願います。福島の子供たちを守ってください。以上です」

福島のお母さん (③01:36:00-)
「福島県深川市から神奈川県の実家に今避難しています。私は神奈川県で生まれ育ち、結婚を機に福島県へ移り住みました。慣れない土地で必死に子育てをしてきました。この4月からは再就職に向けて動き出す予定でした。でもそんな中あの事故が起きてしまったのです。当初、私は原発のことについて無知でしたので、『たいしたことはないだろう、みんなが大げさに言っているだけだろう』と、たかをくくっていました。でも、いざ原発のことを調べれば調べるほど恐ろしくなり、放射能が子供たちにとってどれほど危険なものなのかを、思い知らされました。私の住んでいる○○市はホットスポットになっており、放射線量がとても高いです。とてもじゃないけど安心して暮らせません。感受性の高い子供たちへの影響を考えて、私たち家族は、移住する方向で動いています。うちは、まだ息子が1歳なので、親である私たちが決断をしなければなりません。10年、20年と経ってから後悔はしたくないんです。何もないかもしれないし、私たち家族にとっては賭けのようなものです。これからまた一からやりなおさなければいけないし、仕事も見つかるかもわからないし、不安だらけです。でも、このまま悩んで立ち止まっているわけにはいかないんです。わが子を守るのは親しかできないんです。子供たちの未来を守りたい、ただそれだけです。各家庭、避難したくてもできないさまざまな事情もあります。自主避難されている方々は、あくまでも自主なので何の支援もありません。そういうことも判ってほしいです。事故の検証も大切ですが、今後どうしていくのか、今やるべきことは何なのか、子供を守らないで日本の未来はあるのか。大人はもっともっと考えなきゃいけないと思います。そして行動にしていくべきだと思います。」

福島のお母さん (③01:38:00-)
「私は郡山市に居て、3歳の息子を持つ母親です。郡山市では主人と一緒に子供向けの保育園・英会話スクールの自営業をやっていました。地震のあと、原発の事件があり、生徒たちは、まずはほとんど、ほぼ全員の生徒さんたちが他県へと避難されました。自動的に職を失いました。結果的にその自営業は廃業しまして、東京の実家に今、暮らしています。避難してからもう一ヶ月以上経ちますが、就職活動もままならず、夫婦ともども無職で、でも両親に支えられて東京で過ごしています。でも、あの、東京に実家があるということは、どんなに幸運であるかとかみしめています。私の友人は、どこかに避難したくても、福島県から逃げ出したくても、逃げ出すことができない。親戚の家に一度避難したけれど、お金も使って、気も使って、疲れ果てて福島へ帰ってきました。・・・現実、子育てが安心してできない現実。子供を外に出せないってものすごいストレスなんです。それを日々お母さんは子育てしながら感じてると思うんですが、子供が居ない方、遠く離れて自分のこと、日本のニュースだとは思っていないような方は忘れているんじゃないかと、忘れ去られてしまうんじゃないかという不安もあります。そして、20年後30年後に、もし自分の息子がガンになったときに、なんてお詫びをしていいのかと、今、福島に住んでいる私の友人は言っていました。避難ができなかった、親のせいで自分の子供が病気になった、なんてお詫びをしたらいいんだろうか、と。そういう人たちがたくさんいることを忘れないで居てほしいと思います。」

福島のお母さん (③01:41:45-)
「福島県郡山市から避難をしてきました。この子はまだ4歳です。原発が爆発した直後、3月15日から、会津、山梨、東京と4箇所転々としながら2ヶ月たって、今度は東京のほうでしばらく生活をすることを決めました。いつかは帰りたいと思いながら、福島郡山を思っていましたが、現状を見る限り、3ヶ月、夏まで、冬まで、1-2年?いややっぱりそういう話ではないなという話し合いを、夫と繰り返して、避難することを決めました。ただ、私たちみたいに自主避難でも外に出られた人たちは、救いがあったかもしれません。福島にはたくさんの友人たちが子供を抱えて生活しています。家庭の事情や、いろんな環境の違いで避難をすることができない、そういう人たちのためにも、避難をせずにそこに残ることを決めた人たち、いろんな人たちがいる、そういう立場の人たちに合わせたサポートやケアを、これから考えていただければと思います。みんながそれぞれが選んだ選択で、心穏やかに生活できることのが目的です。ありがとうございます。」

質疑応答 (01:48:35-)

ごめんなさい。割愛させていただきます・・・。

以上、失礼します。