※この記事は、一時帰宅の様子の続報となります。
警戒区域の車持ち出し 福島第1事故で南相馬と川内55台
河北新報社 2011年06月02日木曜日
福島第1原発事故で立ち入り禁止になっている警戒区域(20キロ圏内)からの車の持ち出しが1日、初めて実施され、福島県南相馬市と福島県川内村の住民計59人が区域内に入って55台を持ち帰った。
防護服を着用した住民は、南相馬市と川内村から計8台のバスで警戒区域に入った。自宅や車を止めていた場所でいったん降り、自分の車を運転してバスの後ろに続く方式で次々と運び出した。日本自動車連盟(JAF)の職員が同行し、バッテリートラブルなどに対応した。
車を持ち出した後、全員が楢葉町で放射線の検査を受けた。通過した警戒区域内の放射線量は最大で毎時19.4マイクロシーベルト(大熊町)、1人当たりの累積線量は1~9マイクロシーベルトだった。除染が必要な人や車はなかった。
当初は58台を持ち出す予定だったが、3台はエンジンが始動しないなどで動かせなかった。
南相馬市小高区から郡山市に避難している会社員岡田広明さん(33)は「やっと家族8人全員で出掛けられる。子どもを遊園地に連れていってやりたい」と話した。
車の持ち出しは避難した住民の要望が強く、今後も各市町村で実施される。今回、警戒区域からの出口は原発南側の広野町となり、北側からの出入りを求める要望も出された。内閣府の上田英志審議官は「南北双方から出入りできるよう対応を急ぎたい」と語った。
◎住民から不満の声/出口1ヵ所で不便/知らない場所で解散
南相馬市と福島県川内村を対象に1日、初めて行われた自家用車の持ち出し作業は、おおむね順調に進んだ。だが車を持ち出せなかった人もいるほか、住民からは「警戒区域からの出口が一つに限られた上、避難所から遠い」と不満の声が上がった。
南相馬市小高区の無職佐藤尚信さん(81)は車のエンジンはかかったものの、停電でガレージが開かず、持ち出しを諦めた。福島市の旅館に避難中で「買い物の場所が遠く、車がないと大変。持ち出せた人がうらやましかった」と残念がった。
警戒区域内に同行した日本自動車連盟(JAF)長野支部の加藤一成さん(35)はバッテリーが上がった車を補修できず、悔しかったという。「1台当たり時間制限は10分で、短すぎる。あと5分欲しい。放置期間が長いほどトラブルが起きやすくなる」と指摘した。
車を持ち出せても、警戒区域からの出口が1カ所だったことも住民の負担となった。須賀川市の避難所で生活する南相馬市小高区の自動車整備工大関茂さん(59)は、同市から警戒区域に入ったが、出たのは原発を挟んではるか南の広野町。
南相馬市で妻と合流しなければならない大関さんは中通りに出て北上し、さらに浜通りまで戻らなければならない。「地図はもらったが、土地勘がない所で解散と言われても困る。ただでさえ緊張してへとへとなのに、長時間かけて帰るのはしんどい」と疲れた表情だった。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110602t63004.htm
少しでも、使えるものは持ち出したい気持ち、伝わってきますね。
大人の方々は、被爆への覚悟もできているでしょうから、自家用車の持ち出しを優先されるのは、至極当然と思います。
この持ち出しができる地域は、恐らく限られているでしょう。先日のETV特集ネットワークで作る放射能汚染地図では、打ち棄てられた車から120mSV/hがありました。さらに津波被害などを考えると、持ち出せる状態の方は、不幸中の幸い(この言葉あまり好きではないのですが・・・)なのだと思います。
※そうそう、この放射能汚染地図の続編が6月5日夜10時に放送されると発表がありました。
詳しくは以下のURLをご参照ください。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0605_02.html
失礼します。