3.11ですべてが変わった。
私の中のすべてがひっくり返された。

3.11地震発生当時、私はピアノを弾いていた。もちろんアメリカに居たわけだから、揺れなどは感じない。
フッとネットのトップニュースを見て、血の気が引いた。

ゾッとした。

それからは、UstreamでUpされていたNHKの生放送をずっと、食い入るように見ていた。あの空撮の津波の映像も。

「終わった・・・。」

飲み込まれていく家や車。人の力では到底抗うことができない自然の力。

それから1週間はずっとネットに張り付いて、日本の情報を集めまくった。

特に、福島第一原発事故。
これは、一報が入ってすぐに、「大変なことになる」と感じた。今日現在も放射性物質を封じ込める見通しはまだ立てられていない。

私は、某巨大掲示板で情報を集めるようになり、東電・保安員・官房長官の会見をはしごして、できるだけ誰がどのようなことを言ったかを記憶するようにした。その他の時間は、原子力情報資料室のUstreamで後藤先生はじめ、山崎先生の講義を聴き、さらに京都大学の小出先生の話も聞くようにした。
さらに、Youtubeでは、チェルノブイリ関連のドキュメンタリー見て、さらに原発について、深く考えるようになった。

その情報とは反対に、日本の報道は酷いものだった。民放やNHKですら「ただちに影響はない」を連発し、風評被害の名の下、国民の不安をさらに煽っているように見える。日本のメディアには、絶望した。

そんな中でも、各所会見(特に東電会見)で、フリーのジャーナリストの方々が奮闘している姿が生で見ることができ、
「こういう方々がいるなら、まだいけるかもしれない」
と、少し希望を持った。特に、Ustream配信を続けて下さっている岩上さん、上杉さん、日本インターネット新聞社など、彼らが居なければ、私たち一般市民があのゆる~い会見を生でみる機会はなかっただろう。

ちょっと話がそれるが、みなさんは斉藤和義さんの「ずっとうそだった」をごらんになりましたか?


http://www.youtube.com/watch?v=C019gmSV3xQ

これは、4月7日にそっくりさんとしてゲリラ的にUpされた動画を海外向けに加工したものです。当日、ツイッターや掲示板で急激に広まり、祭り状態になりました。私もその中で、激しく興奮したのを覚えています。

彼は、本物のロックミュージシャンです。
やらなければならないときに、やる。

今の日本では簡単そうで、非常に難しいことをやってのけました。
オリジナルの動画は、ビクターに削除されてしまいましたが、彼の意思をついで再upが続いています。
4月8日には、Usteamで斉藤和義さんご本人が登場し、最後には「ずっと好きだった」と「ずっとうそだった」ともに歌いきりました。
「~うそだった」の途中、あまりのアクセス数でサーバーダウンというハプニングがありましたが、きちんと歌いあげました。

次の記事で、こういう状況の中で、私が考え、行動したことをご紹介します。